例 会 案 内

第62回ウォーク例会・開催要項



 
       
【史跡巡りシリーズ・岐阜編part9
                   13km

1.開催日時   平成28年6月4日(土) 9時~(15時)

2.集合場所   JR 大垣駅(北口)

3.コース等   JR大垣駅→荻神社→笠縫の里碑→受円寺→赤坂港跡→本陣公園

        →金生山化石館→昼飯大塚古墳→旧早野邸→勝山→御首神社

        →養老線北大垣駅


4.参加費    300円(中学生以下無料、小学生以下は保護者同伴)

            但し初参加の人及び誘って頂いた人は半額(150円)

5.その他

     *雨天でも開催します。

     *歩ける服装で、弁当、飲み物、雨具、敷物、筆記具等を持参してください。

   *例会中の事故(けが)については、傷害保険の範囲内で対応致しますが、安全

   健康管理は自己責任でお願いします。

            
傷害保険の内容     死亡・後遺障害保険  166万円
                             入院保険金(日額)   4000円
                             通院保険金        2000円


                               
主な見所の紹介

 
荻神社
 
笠縫の里碑
 
鎌倉街道碑(受円寺)
 
大垣輪中堤
 
赤坂港跡
 
赤坂宿港会館
 
本陣跡
 
旧清水家住宅
 
子安神社
 
金生山化石館
 
昼飯大塚古墳
 
旧早野邸
 
お勝山

御首神社 


主な見所の説明

 ◎受円寺
 弘仁6年(815年)伝教大師の創建と伝えられ、はじめは護法山荘厳院と称した。表門は木造瓦葦の四足門で、礎盤を刻んだ柱は大斗肘木で桁を支え、反りの強い虹梁には唐草を彫り込んだ、簡素な組み立てになっている。屋根は、享和年間(1801~04)に葺き替えられたといわれている。鎌倉街道に隣接し鎌倉街道の歴史的な風情を醸し出している。

◎赤坂港
 川を交通の手段としていた1900年初期ごろ、川港の赤坂港には500艘を超える船が往来したといわれる。この地域は、古くから石灰や大理石産業が盛んで産業の町としてにぎわいを見せていた。しかし、美濃赤坂線の開通に伴い、合わせて下流に水門が建設されたことにより船の航行が困難となり廃絶となった。現在は親水公園として整備されている。赤坂港会館は、明治8年(1875年)に中山道と谷汲街道の分岐点に建てられた警察屯所でしたが、現在の建物は復元されたもので、内部は資料館となっている。

◎所郁太郎
 1838~1865年。不破郡赤坂村(現大垣市赤坂町)商人矢橋亦一(やばしまたいち)の四男。加納藩医青木松軒に医術を学び、のち京都で勉学、さらに大坂緒方洪庵(こうあん)の適塾で西洋医学を学ぶ。京都で開業中長州藩志士と交流し、1863年(文久3)の政変で長州藩に亡命。やがて諸隊結成とともに隊医となり活躍。翌64年井上馨暗殺未遂時、治療にあたり井上の一命を取り留める。その翌年28歳で病死。赤坂本陣公園に銅像が立っている。

◎昼飯大塚古墳
 大垣市昼飯町字大塚にある東海地方最大級の前方後円墳。平成12年(2000年)に国の史跡に指定された。四世紀後半の大前方後円墳。全長150m、後円部径96m、高さ13mで前方部、後円部とも三段に築かれている。埋葬施設は後円部中央にある墓坑の中に竪穴式石室と粘土槨と木棺直葬跡が1基ずつ発見された。

◎勝山
 海抜53メートルの丘陵で、慶長5(1600)年9月14日に赤坂に到着した徳川家康は、ここを本陣とした。天下分け目の大合戦に勝利を得た家康は、ここを徳川ゆかりの地と記念して、岡山の名を勝山に改めたと伝えられている。

◎御首神社(みくびじんじゃ)
 御祭神は平将門公の御神霊。乱に敗れ、京でさらし首になった将門の首が関東恋しさに飛んで帰ろうとしたが、乱の再発を恐れた人々の祈願によりこの地の隼人神が弓をつがえて射落とし、首が落ちた地に創建されたという由緒を持つ。「首」から上に後利益があるとされており、首の病気平癒の他、「頭」が良くなるということで近年は合格祈願に訪れる人も多い。