例 会 案 内
第6回ウォーク例会・開催要項 |
1.開催日時 平成19年2月3日(土) 9時集合〜(15時解散予定) 2.集合場所 名鉄本線・木曽川堤駅(受付・出発式は光明寺公園) 5.参加費 300円(中学生以下無料、小学生以下は保護者同伴) |
第6回例会の見所の一部を紹介します
大野極楽寺公園と138ツインタワー
この竹藪の奧でホタル飼育がされている |
大野城跡 |
大野渡船場跡 |
河田城跡 |
河田渡跡 |
神明小網橋(愛称・思いやり橋) |
見 所 説 明 *小網橋、及び神明小網橋 平成18年11月まで使われていた小網橋は、橋長280m、幅員3m、中央部に長さ10m、幅員5.5mのすれ違いできる部分が設けられていた。しかし、中央に待避所があるとはいえ自動車一台分の幅しか無く、優先順位をめぐるトラブルが絶えなかった。口喧嘩、取っ組み合いもあり、警察沙汰もあったという。その為、いつの日からか、“けんか橋”という汚名がつけられていた。この事に心を痛めた地元小学生を中心に、譲り合いを呼びかける看板を設置した。「この橋は思いやり橋。待ってくれた人には、御礼のあいさつ!!」この看板の効果かトラブルは激減し、“思いやり橋”と呼ばれるようになった。 平成18年11月に小網橋の下流に橋長323m、幅員11.5mの神明小網橋が完成し、小網橋は撤去された。神明小網橋の通称は、小網橋のいきさつから「思いやり橋」となった。 *大野城 城主は大野伊賀守、佐渡守が居城したと「葉栗郡紀要」にある。高さ2mの土地を開墾したときに、石垣や木杭などが多量に出土したという。小牧・長久手の戦いのとき、秀吉方の砦として利用されたらしく、秀吉入城のため、無断でこの城の外堀を掘り、大野氏と争いになったと伝えられている。 *河田城 1584年の小牧・長久手の合戦の時に、豊臣秀吉が小牧山の徳川・織田軍に対して構築した城砦のひとつ。秀吉と織田信雄の和議成立後も、犬山城と共に秀吉の城として残された。 *人麿塚 葉栗臣人麿別名栗本人麿の墓と伝えられる。横穴式の石室に組合せ石棺が見つかっている。また,馬具や土器などが出土している。人麿は、7世紀後半頃、天武天皇に仕えた葉栗郡の郡司として善政を行い、光明寺(現存)を建立した。昭和8年県道工事のときに発見され、現在の地に塚が移築された。 |