例 会 案 内
第43回ウォーク例会・開催要項 |
1.開催日時 平成25年4月13日(土) 9時~(15時) 3.コース等 JR岐阜駅→光国寺→革手城跡→加納城跡→加納宿→鏡岩の碑 5.その他 *雨天でも開催します。 *歩ける服装で、弁当、飲み物、雨具、敷物、筆記具等を持参してください。 *例会中の事故(けが)については、傷害保険の範囲内で対応致しますが、安全 健康管理は自己責任でお願いします。
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光国寺・亀姫の墓 |
水薬師 |
革手城跡 |
正法寺跡 |
加納城跡 |
加納宿・専福寺 |
鏡岩の碑 |
閻魔堂 |
細畑の一里塚 |
手力雄神社 |
加納立場 |
各務原市民公園 |
主な見所の説明
◎光国寺 臨済宗妙心寺派。慶長19年(1614)に奥平信昌夫人亀姫が創建。亀姫と2代城主奥平忠政、3代城主奥平忠隆が祀られている。亀姫の墓は外から見学できる。 亀姫は永禄3年(1560)駿府にて築山御前を母として家康(19歳)の長女として生まれ、17歳で三河国・新城城主、奥平九八郎信昌に嫁ぐ。夫の信昌は関が原合戦の功績により美濃国加納城10万石城主となり、信昌は一人の側室も置かせず、亀姫は4男1女を生み、加納御前、加納の方と敬愛さた。 ◎水薬師寺 慶長17年6月21日伊三郎という者が清水川にて拾い上げた黄金佛を光国寺に奉納した。藩主忠政と亀姫はこれを慶び清水川に水上殿を建て安置した。以来水薬師または乳薬師と呼ばれ,乳がよくでる仏として親しまれている。 ◎革手城 築城は南北朝時代(1300年代)土岐頼遠が長森に府城を築いたあと、その後を継いで美濃守護に任ぜられた頼康が長森城が狭いので治世上不便のため、川手に新城を構築した。以後約200年間、府城として室町時代には美濃、伊勢、尾張の三国の守護を兼ねた本拠地として繁栄した。しかし船田合戦のため敗退、のち関ヶ原合戦のあと石垣等は加納城へ移され今は城跡はなにもない。氏寺正法寺も消失した。 ◎加納城 慶長5(1600)年11月関ヶ原合戦後、家康は西方の脅威に備え交通の要衝を理由に加納城の築城を命じた。守護代斉藤氏の城跡を利用し築城され、初代城主に奥平信昌が任ぜられた。奥平、大久保、戸田、安藤、永井の各氏が藩主となり、明治維新の廃藩置県まで治世をつかさどった。明治5年解体された。 ◎閻魔堂 土岐頼康が長森から革手城に移ったとき、鬼門除けとして応安元(1367)年建てたという。関ヶ原合戦の前哨戦のとき、岐阜城主織田秀信はこの堂まで出陣したという。 ◎細畑の一里塚 慶長九年(1604年)、中山道の他の一里塚と共つくられた古いもの。東方の鵜沼宿から三里十四町(約13.3km)、西方の加納宿まで三十町(約3.3km)の位置にあり、中山道の風情を今に伝えている。 |