例 会 案 内
第42回ウォーク例会・開催要項 |
1.開催日時 平成25年2月2日(土) 9時~(15時) 3.コース等 堀田駅→惣作公園→田光八幡社→大喜寺→津賀田神社→ 5.その他 *雨天でも開催します。 *歩ける服装で、弁当、飲み物、雨具、敷物、筆記具等を持参してください。 *例会中の事故(けが)については、傷害保険の範囲内で対応致しますが、安全 健康管理は自己責任でお願いします。
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田光八幡社 |
田光八幡社・和合の木 |
大喜寺 |
津賀田神社 |
山崎川 |
大曲輪貝塚 |
あゆちの水 |
西八幡社 |
藤原師長謫居跡 |
龍泉寺・亀井水 |
鎌倉街道説明板 |
為麿塚 |
主な見所の説明
◎田光八幡社 明治31年の竣工。仁徳天皇、応神天皇などをまつる。境内の中でひときわ大きく樹高 25m、幹回り7mのクスノキは別宮白竜大神の神体となっており弘法大師手植えと伝えられている。名古屋7本クスノキのひとつ。また境内にはムクノキとエノキの和合の木があり、夫婦円満、子授け、浮気封じに霊験があるという。 ◎大喜寺 真言宗豊山派で高野山弥勒院に属する。創建は正保元年(1644)と伝えられる。境内に安置される地蔵座像石仏は、もと鎌倉街道沿いの寺山地蔵塚にあったと伝えられ扁平な花崗岩の中央に地蔵菩薩の座像を彫り、光背を彫りくぼめてある。鎌倉時代の石仏としては市内唯一。名古屋市重要文化財。 ◎塩付街道 江戸時代の中頃まで、南区本星崎町一帯では、さかんに塩を作っていた。ここでとれた塩は、千種区古出来町あたりに集荷され、遠く信州(現在の長野県)まで、俵に詰め運ばれたといわれている。本星崎町から古出来町まで約10kmが塩付街道と呼ばれる。 ◎大曲輪貝塚 昭和14年6月に発見され、16年に国の史跡に指定された。55年瑞穂陸上競技場改築工事の時、縄文時代の人骨がほぼ完全な形で出土し、実物は名古屋市博物館に展示されている。 ◎あゆちの水 尾張の名水の一つで、万葉集に詠まれた「小治田の年魚道の水」はここであるという説がある。直径1m、深さ3mほどの井戸で日照りが続いても水が枯れなかったと言われ、多くの人々が利用していた。戦後は荒れ果てたままになっていたが、昭和52年に地元の有志の人たちの協力により現在の形になった。 ◎藤原師長謫居跡 治承3年(1179)太政大臣藤原師長は、平清盛のクーデターによって尾張国井戸田の田嶋へ流された。師長は琵琶の名手。今様に堪能で、配流の1年有余を鳴海潟を眺めながら琵琶を弾ずるなどして自らを慰めたところ。 身辺の世話をした井戸田の村長・横江氏の娘と契り、翌4年、清盛の死で京へ帰るとき、土器野里(枇杷島)まで送ってきた娘に形見として琵琶を与えた。娘は悲しみのあまり池に身を投げた。娘を弔う為、清音寺が立てられた。 (平成22年7月3日第27回例会「庄内川編part2」で清音寺を見学) ◎龍泉寺 行基の開山とも伝えられ、曹洞宗、熱田円通寺の末寺。本尊薬師如来は聖徳太子作と伝えられる。源頼朝の誕生地であるという説があり、表門脇の亀井水は、頼朝が産湯の水に使ったといわれている。 ◎為麿塚 長岡為麿をまつる。長岡為麿は元禄期(1688から)熱田祠官といわれ彼が老後職を辞して閑居したのがこの地である。彼が唱えだした彼一流の神道は、民衆の信仰を得て大いに流行したという。 |