例 会 案 内

第40回ウォーク例会・開催要項



 
       
【史跡巡りシリーズ・東尾張編part5
                   15km

1.開催日時   平成24年10月6日(土) 9時~(15時)

2.集合場所   地下鉄東山線 藤が丘駅 (前側改札口を出る)

3.コース等   藤が丘駅→桧ヶ根公園→色金山→長久手古戦場→(Sコース:リニモ

        古戦場駅へ)→御嶽社
→妙仙寺→岩崎城址公園→香久山古墳→

        →レトロ電車館
→地下鉄赤池駅


4.参加費    300円(中学生以下無料、小学生以下は保護者同伴)

5.その他

     *雨天でも開催します。

     *歩ける服装で、弁当、飲み物、雨具、敷物、筆記具等を持参してください。

   *例会中の事故(けが)については、傷害保険の範囲内で対応致しますが、安全

   健康管理は自己責任でお願いします。

            
傷害保険の内容      死亡・後遺障害保険  166万円
                             入院保険金(日額)   4000円
                             通院保険金        2000円


                               
主な見所の紹介


 
桧ヶ根公園
 
堀久太郎本陣地跡
 
耳   塚

岩作神社 

色金山歴史公園 

 安昌寺

首   塚 

長久手古戦場 

リニモ・古戦場駅 
 
御 嶽 社

妙仙寺・臥龍の松 

岩城城址公園 

香久山古窯 

株山中央公園 
 
レトロでんしゃ館
 
赤池駅


主な見所の説明

◎小牧長久手の戦い
 本能寺の変後、明智光秀を破り強靱になる秀吉に対し、反発を強めた織田信長の次男・信雄が家康を抱き込む。天正12年(1584年)3月13日に信雄軍と合流した家康軍は小牧山に本陣を置き、3倍以上の大軍である秀吉本軍と対峙する。対陣にしびれを切らした秀吉軍は4月7日、羽柴秀次を総大将とする別働隊で三河攻撃を企てる。家康はこの動きを見抜いて逆に別働隊を挟撃、長久手において池田恒興・元助父子、森長可らを討ち死にさせ大勝を得る。その後、戦況は再び膠着状態に陥るが、5月1日に秀吉本軍は撤退、7月には家康も帰国、11月に信雄と秀吉の講和が成立する。

◎長久手市における合戦史跡(今回の見学地)
 ○木下勘解由塚
 白山林で敗戦し、徒歩で逃げる総大将・羽柴秀次に自分の馬をすすめて逃がし追い来る徳川勢と奮戦、兄の木下助左衛門祐久とともにこの地で戦死。

 ○堀久太郎秀政本陣地跡
 堀秀政は、秀吉方の軍監として 兵3000を率いて参戦。羽柴秀次の軍を破って追撃してきた徳川方榊原康政・大須賀康高の軍を迎えて討つ。この桧ヶ根(ひのきがね)の戦いが局地戦で唯一の秀吉側の勝利となった。

 ○色金山歴史公園
 徳川家康が陣を張った地(国指定史跡)で、山頂には家康が軍議を開いた際に腰掛けたといわれる「床机石(しょうぎいし)」が残されている。周辺は公園として整備され、園内には展望テラスや犬山の国宝茶室「如庵(じょあん)」を模した茶室「胡牀庵(こしょうあん)」などがある。

 ○首塚 (国指定史跡)
 岩作(やざこ)村安昌寺の雲山(うんざん)和尚が、合戦で死亡した多くの将兵の屍を集めて塚を築き、手厚く葬った後とされている。

 ○勝入塚
 池田勝入斎恒興の戦死場所と伝えられた。美濃大垣城主で秀吉方に組みした。別働隊で三河攻撃を秀吉に進言したと言われているが、近年の研究では異論も生じてきている。

◎岩崎御嶽社
 萬延元年(1860年)、明心行者・明寛行者の二人が木曽の御岳大神を勧請(かんじょう)したのが始まりといわれている。高さ約130mといわれる小山には、いたるところに神霊碑が建っており、その数は3000基以上あるといわれている。現在「平成ふれあいの森」として散策路が整備されている。

◎妙仙寺
 山門は寛政5年(1793)第16世千巌和尚の代に再建され、日進市の指定文化財になっている三間一戸の楼門(二階造りの門)。第20世元浄和尚の代(幕末の頃)に赤穂四十七士の姿が描かれた天井画が張られたが、昭和38年(1963)に行われた修理により、現在の新しいものと替えられた。当初の天井画は、妙仙寺で保存されている。
 また境内には臥龍の松と呼ばれる高さ約6.7m、幹まわり約2.5m、枝張(東西)約11.5m、(南北)約12.3mの黒松がある。市内唯一の巨木であり市天然記念物に指定されている。樹齢は約400年。「臥龍の松」という名称は、幹や枝の張り具合が龍が臥してからだをかがめている姿にたとえられることから名付けられたようである。

◎香久山古窯
 昭和57年、株山地区土地区画整理事業にともなう事前調査により、その遺構が天井部を除き、ほぼ完全に窯体が残存していることが判明した。現在、保護覆屋を設置し、見学が可能(公開期間は毎年5月から9月)となっている。全長約8メートル、幅約2メートル、分焔柱を有する窖窯(あながま)で丘陵斜面東側に築かれている。名古屋市東方の丘陵地帯約20キロメートル四方には1,000基を超える猿投山西南麓古窯跡群(猿投窯)が分布しており、この窯跡はこのうちの一つ。現在、香久山古窯の出土遺物は、岩崎城歴史記念館に展示している。