例 会 案 内

第39回ウォーク例会・開催要項



 
       
【河川探訪シリーズ・堀川編part2
                   14km

1.開催日時   平成24年7月7日(土) 9時~(15時)

2.集合場所   名鉄本線 山王駅 (松重閘門公園)

3.コース等   山王駅→松重閘門→洲崎神社→四間道→名城公園→下水道科学館

            →(Sコース:地下鉄名城公園駅へ)→御用水跡街園→天神橋緑地→

        →アサヒビール名古屋工場
→JR新守山駅


4.参加費    300円(中学生以下無料、小学生以下は保護者同伴)

5.その他

     *雨天でも開催します。

     *歩ける服装で、弁当、飲み物、雨具、敷物、筆記具等を持参してください。

   *例会中の事故(けが)については、傷害保険の範囲内で対応致しますが、安全

   健康管理は自己責任でお願いします。

            
傷害保険の内容      死亡・後遺障害保険  166万円
                             入院保険金(日額)   4000円
                             通院保険金        2000円


                               
主な見所の紹介

 
松重閘門

岩  井  橋 

洲崎神社 

堀川・納屋橋付近 

四間道(しけみち) 

四間道・屋根神様 

五  条  橋 
 
名古屋能楽堂と清正像

名古屋城 

名城公園 

下水道科学館 

堀川(黒川付近) 

御用水跡街園 

矢  田  川 


主な見所の説明

◎松重閘門
 名古屋の工業化発展の為には堀川、新堀川の二本の運河だけでは不十分であったので、堀川の西側に名古屋港と貨物ターミナル駅である笹島駅を結ぶ中川運河が昭和5年に完成した。庄内川の水が流れ込む堀川は中川運河より水位が1mほど高くなっていたので、この水位差を調整するため築かれたのが松重閘門であり、完成は中川運河と同じ昭和5年であり、昭和7年より供用が開始された。尖塔は4本、水門は2つあり、水門の間に船が入ると開けていた水門を閉じ、水を通して水位を揃えた後に反対側の水門を開け、約20分で運河間の連絡を行っていた。
 運河による貨物運搬は名古屋の発展に大きく寄与したが、戦後トラックによる貨物輸送が主となると次第に廃れていき、昭和43年を最後に水門が開かれることはなくなった。一時は解体される予定であったが、住民運動により産業遺産として残されることとなった。周辺地帯は公園として整備され、夜にはライトアップも行われている。

◎洲崎神社
 洲崎神社のはじまりは、太古よりこの地に祀られていた「石神」で、この石神の導きにより、平安時代初期に素戔鳴尊が奉祀され、「広井天王」または「牛頭天王(ごずてんのう)」と呼ばれるようになった。1612年(慶長17年)に名古屋城が築城される前までは、現在の名古屋市栄1丁目全域(堀川・広小路・伏見通・若宮大通で囲まれた区域)が社地だったようで、江戸尾張十社の1つとして、皇室や公家、徳川家より数多くの寄進・奉納があったようである。1912年(明治45年)それまで独立して奉祀されていた洲崎神社と石神神社が合祀されて「洲崎神社」となり、現在に至っている。境内には、道祖神、石神鳥居があり、縁結びをはじめ、金運、健康、学業、芸能に御利益があるとされ、多くの崇敬を集めている。

◎四間道(しけみち)
 1700年(元禄13)の元禄の大火で1649軒の町屋と15の寺社が焼失してしまい、尾張藩4代藩主の徳川吉通は、商家の焼失を避けるために堀川沿いにある商家の裏道幅を4間(約7m)に拡張した。このことから四間道といわれるようになった。現在では、屋根神様や子守地蔵尊など下町情緒が残る貴重な地域として、昭和61年、名古屋市の「町並み保存地区」に指定された。

◎御用水跡街園
 堀川の夫婦橋から猿投橋までの左岸、約1.5kmを整備して設けられたもので、かつて名古屋城のお掘の水源として開削された「御用水」に因む。黒川と並行していた御用水は戦後の水質の悪化などから1972年(昭和47年)から埋め立てられたが、その流域の一部が遊歩道を主体とした街園として整備され1974年に開放された。近年では桜の名所として市民から親しまれている。