例 会 案 内

第35回ウォーク例会・開催要項



 
       
【河川探訪シリーズ・天白川編part2】
                   16km

1.開催日時   平成23年12月3日(土) 9時〜(15時)

2.集合場所   地下鉄 植田駅(2番出口を利用)

3.コース等   植田駅→防空壕→赤池城跡→龍淵寺→天地社→白山宮

         →藤島城跡→米野木城跡→愛知牧場→黒笹駅

4.参加費    300円(中学生以下無料、小学生以下は保護者同伴)

5.その他

     *雨天でも開催します。

     *歩ける服装で、弁当、飲み物、雨具、敷物、筆記具等を持参してください。

   *例会中の事故(けが)については、傷害保険の範囲内で対応致しますが、安全

   健康管理は自己責任でお願いします。

            
傷害保険の内容      死亡・後遺障害保険  166万円
                             入院保険金(日額)   4000円
                             通院保険金        2000円


                               
主な見所の紹介


天白川(後方は国道302号) 
 
日進変電所・防空壕
 
赤池城跡
 
龍淵寺
 
天地社
 
岩崎川(後方の山に白山宮)
 
白山宮(昼食予定)
 
足王社(白山宮内)
 
藤島城址
 
米ノ木城址
 
天白川遊歩道
 
日進南山エピック
 
愛知牧場入り口
 
愛知牧場


主な見所の説明

 ◎日進変電所・防空壕
 日進変電所は、天竜川(静岡県)方面で発電された電気を名古屋港周辺の軍需工場等へ送電する重要な中継施設として昭和11年1月に建設された。その後、名古屋初空襲(昭和17年4月18日)があったことから、配電盤を死守する職員に何かあった場合、すぐに代われるよう予備要員が待機するために防空壕がつくられ、当時は変電所本館に隣接して同様のものがもう1基あった。
 その構造は、長さ8.5メートルの半地下式で、入口は4箇所あり、屋根は爆風を避けやすいようにアーチ状になっている。また、鉄筋コンクリート製の強固なつくりは名古屋市近郊では、非常に珍しいものです。

◎龍淵寺・椎の木(ツブラジイ)
 高さ・約14.0メートル、幹まわり・約3.6メートル、枝張・(東西)約11.8メートル(南北)約12.5メートル。
 天正元年(1573)、龍淵寺(りょうえんじ)が赤池城主・丹羽秀信により創建されたとき、植えられたものと言い伝えられ、樹齢400年を超えると推定されている。もとは、境内の塀に沿って5樹ありましたが伊勢湾台風の被害に遭い、現在はこの1樹のみになった。

◎天地社旧本殿
 日進市内最古の建造物。昭和58年市指定文化財に指定。
 神社建築の中でも全国的にみられる一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の形式がとられている。再建されたことをしめす棟札が現存しており、元禄2年(1689)、赤池村の龍淵寺支配のもと、村の氏神社として造営された。屋根は柿葺(こけらぶき)でしたが伊勢湾台風(昭和34年)後、その上にトタンがかけられた。本殿の新築計画にともない境内の南東へ移され、平成元年、社殿の保管を図るために保護覆屋が設置された。

◎足王社(白山宮境内)
 ご祭神は足名椎神(アシナヅチ)。古来より足の神様で有名で、脚腰の病んでいる方や強くしたい方が参拝に訪れる。又、足にちなんでサッカーの神様としてもお参りされる方も多くなっている。毎年5月中旬日曜日に「足王社春祭り」を斎行している。
 社殿の横に祀られている「痛みとり石」はこの石を願い込めてを撫でその手で患部を撫でると痛みが取れ、また強くしたい丈夫にしたいという気持ちで石を撫でその所を撫でると叶えられるという信仰がある。

◎赤池城
 中部電力日進変電所の南側に入る農道脇に立派な石碑が建てられているが、城の遺構は何も残っていない。 昭和48年までは土塁が残っていたようだが、土地区画整理により消滅した。
 赤池城は、天文年間に丹羽氏によって築かれた。詳細については定かではないが、城主丹羽秀信が天正元年に龍渕寺を創建して同2年に没した。

◎藤島城
 水田の真ん中を通る農道脇に石碑が建てられている。碑文によれば、『東西土居共30間南北土居を除き27間土居の直高2間東西に門かたち残る。碑の位置は、南東隅高土居の一部である。』
 藤島城は、築城年代は定かでないが、丹羽右馬允氏秀が居城した。氏秀は、天正元年同族の岩崎城主丹羽氏識との不和から戦になり、敗れた氏秀は三河へと逃れ、藤島城は丹羽氏識の所領となった。

◎米ノ木城
 城主・築城時期・廃城時期とも不明。丹羽氏関連の城郭であると考えられる。城域は東西16間、南北14間で、廃城後飯田街道(現県道)の北側に存在し、熊野藪と呼ばれていた。 現在の東武福祉会館が城跡とされており、城址碑が立てられている