例 会 案 内

第33回ウォーク例会・開催要項



 
       
【史跡巡りシリーズ・東尾張編part4】
                   14km

1.開催日時   平成23年7月2日(土) 9時〜(15時)

2.集合場所   名鉄本線 有松駅

3.コース等   有松駅→桶狭間古戦場公園→長福寺→桶狭間古戦場伝説地→

         中江公園→
唐竹公園→二村山展望台→沓掛城址→三崎水辺公園

         前後駅
              

4.参加費    300円(中学生以下無料、小学生以下は保護者同伴)

5.その他

     *雨天でも開催します。

     *歩ける服装で、弁当、飲み物、雨具、敷物、筆記具等を持参してください。

   *例会中の事故(けが)については、傷害保険の範囲内で対応致しますが、安全

   健康管理は自己責任でお願いします。

            
傷害保険の内容      死亡・後遺障害保険  166万円
                             入院保険金(日額)   4000円
                             通院保険金        2000円


                               
主な見所の紹介


有  松  宿

桶狭間古戦場公園

長  福  寺

桶狭間古戦場伝説地

唐竹公園

二  村  山

二村山・切られ地蔵

二村山・鎌倉街道

沓掛城址公園

西川遊歩道

三崎水辺公園


主な見所の説明

◎桶狭間古戦場公園
 今川軍と織田軍の間で起こった「桶狭間の戦い」の舞台であり、今川義元最期の場所。2010年に桶狭間の戦い450年を記念して整備され、織田信長と今川義元の銅像や、合戦当時の地形を模したジオラマ公園として開園した。毎年5月には「桶狭間古戦場まつり」が行われ、歴史講演会や各種イベントが開催されている。
.
◎桶狭間古戦場伝説地
 永禄3年(1560)5月19日、今川義元と織田信長が戦った古戦場。明治9年(1876)の「今川治部大輔義元墓」、「松井兵部少輔宗信墓」、万延元年(1860)の仏式による「今川義元供養塔」などがあり、明和8年(1771)に建てられた今川義元、松井宗信のほか5人の武将の碑である「七石表」が残されている。
 昭和13年4月、豊明村は文部大臣から史跡「桶狭間古戦場伝説地」の管理者に指定された。これを受けて昭和16年10月に史跡指定標柱を建立した。

◎二村山
 豊明市の山で標高71.6m。名古屋市緑区鳴海町と豊明市の市境にあり、展望台からは360度の展望が素晴らしい。山頂には三角点もある。
 山頂に近い地蔵堂に安置されている二村山峠地蔵尊は3体のうち、向かって左の頭部のない高さ約115cmの地蔵尊で、背面に「大同二」(807)の刻銘がある。いつの頃か、旅人が熊坂長範という盗賊に襲われたとき、地蔵尊が身代わりとなって切られ、肩から上が欠落したという伝説が生まれた。
 山頂にある二村山切られ地蔵は胴体が斜めに切られた形で、上半身と下半身が別々になっている珍しい地蔵尊。下半身の背面に「古来仏依会大破建立之延宝七已未年(1679)」の刻があり、二村山峠地蔵尊の伝説を元に建立されたものと言われる。
 また山頂には伊藤両村先生之碑があり、両村の業績をたたえるため、門人によって生前の嘉永6年(1853)に建てられた。両村は幼少より学門を好み永井星渚に学んだ。文化14年(1817)年22歳のとき江戸に出て、昌平黌に学んだ。帰京後父の跡を嗣いで沓掛村の庄屋となり、二村山に因んで両村と号し、両村塾を主宰した。後刈谷藩に招かれて、毎月数回講義を行った。著作に「群雄割拠録」などがある。1796〜1859年。

◎沓掛城
 永禄3年の桶狭間の合戦前夜、今川義元が参陣の諸将を集めて軍議を行った城として有名。
 応永年間に藤原義行によって築城されたと言われている。室町時代の明応元年前後から近藤右近が城主となり、以後近藤氏の居城となった。永禄3年、今川義元の上洛の際、織田信長との戦いで城主近藤景春は戦死して、城は空城となった。その後、織田信長の所領となり、簗田政綱、織田信照、川口久助らが居城した。1600年(慶長5)の“関が原の役”で、川口久助は西軍について捕らえられ、伊達政宗に身柄お預けとなり、その後廃城となった。