例 会 案 内

第30回ウォーク例会・開催要項



 
       
【史跡巡りシリーズ・西尾張編part8】
                   14km

1.開催日時   平成23年2月5日(土) 9時〜(15時)

2.集合場所   名鉄本線 須ヶ口駅

3.コース等   須ヶ口駅→萱津神社→(鎌倉街道)→実成寺→三社宮→明眼院

              →(佐屋街道)→万場宿→岩塚宿→近鉄烏森駅
 

4.参加費    300円(中学生以下無料、小学生以下は保護者同伴)

5.その他

     *雨天でも開催します。

     *歩ける服装で、弁当、飲み物、雨具、敷物、筆記具等を持参してください。

   *例会中の事故(けが)については、傷害保険の範囲内で対応致しますが、安全

   健康管理は自己責任でお願いします。

            
傷害保険の内容      死亡・後遺障害保険  166万円
                             入院保険金(日額)   4000円
                             通院保険金        2000円


                               
主な見所の紹介


萱津合戦場跡碑

萱津神社

実成寺

実成寺

三社宮(イチョウ)

明眼院

案内板(馬嶋明眼院道・佐屋街道)

自性院

栗田直政記念碑

新川(砂子橋より上流)

万場宿跡

庄内川(万場大橋)

七所社

岩塚宿


主な見所の説明

◎萱津合戦
 天文21(1552)年、清洲城守護代・織田彦五郎信友と織田信長の戦い。信長は那古野城から出陣し、稲葉地の河岸に進軍し、守山城から駆けつけた叔父・孫三郎信光と合流して海津口(下萱津)に陣を布いた。これに対し、信友軍は上萱津に兵を進め対峙した。この戦いが萱津合戦と呼ばれ、信長軍が勝利し、尾張統一の基礎を作ったと伝えられる。

◎三社宮社の御杖銀杏
 「一遍上人当国行脚の時、携ふる所の杖を此地にさされしに、何時しか芽をふき、根を生じ、ついに大樹となりて、直径5尺余りに及べりと伝う。今は枯れ朽ちて側小なる芽生あり。」(海部郡史稿本より)
 その芽生が今は巨木に成長してこの社の神木となっている。

◎明眼院(みょうげんいん)
 寺伝、同院の縁起文によれば、桓武天皇の延暦21(802)年聖円上人の開祖で、五太山安養寺と称し、元弘・建武の乱で、一部焼失、延文2(1357)年清眼僧都により、再建。この清眼僧都によって、馬島流眼科が創始された。寛永9(1632)年後水尾上皇第三皇女の眼病治療により、明眼院の院号を賜る。室町時代には、眼病治療所として全国に知れ渡っていた。明治7年には医術開業の試業規則により、正式の眼病治療は廃業となった。
安全な寺院ということで、弾圧を受けた犬山のキリスト教徒30数人が運び込んだのが、キリシタン灯籠として残る。庭園は小堀遠州作。

◎佐屋街道
 東海道の宮宿から佐屋宿までの道。嘉永11(1634)年、第三代将軍徳川家光が上洛する為に整備された道で、寛文6(1666)年、東海道の脇往還として、幕府の道中奉行が管理する官道に指定された。開設された当初は、万場、佐屋の二宿だったが、嘉永13(1636)年に岩塚宿が、正保4(1647)年に神守宿が設けられた。

◎栗田直政
 文化4(1807)年、大治町大字砂子に生まれ明治24(1891)年84歳で没した。神官の家に生まれ、国学・和歌に志し尾張で名高い国学者となった。特に著書の中で『源氏物語遠鏡』は、日本最古の古典源氏物語の研究書として、国文学を研究する人にとって一読したい著書となっている。

◎万場宿・岩塚宿
 万場宿は佐屋街道が開設せれた1634年当時から設置されていた宿場であり、1636年に、庄内川の対岸に隣接して岩塚宿が設置されると、このふたつで1宿として機能するようになる。月の前半15日は岩塚宿が、後半15日は万場宿が人足継立や休泊の役を務め、庄内川を渡る万場の渡しについては万場宿側が管理を行った。