例 会 案 内

第28回ウォーク例会・開催要項



 
       
【史跡巡りシリーズ・岐阜編part3】
                   14km

1.開催日時   平成22年10月2日(土) 9時〜(15時)

2.集合場所   名鉄本線 笠松駅(商工会館)

3.コース等   笠松駅→善光寺→笠松歴史民俗資料館→白髭神社→代官陣屋跡

→誓広寺→本覚寺→竹鼻別院→佐吉大仏→羽島市役所駅

4.参加費    300円(中学生以下無料、小学生以下は保護者同伴)

5.その他

     *雨天でも開催します。

     *歩ける服装で、弁当、飲み物、雨具、敷物、筆記具等を持参してください。

   *例会中の事故(けが)については、傷害保険の範囲内で対応致しますが、安全

   健康管理は自己責任でお願いします。

            
傷害保険の内容      死亡・後遺障害保険  166万円
                             入院保険金(日額)   4000円
                             通院保険金        2000円


                               
主な見所の紹介

善光寺

笠松別院

笠松歴史民俗資料館

杉山邸(改修なった土蔵)

大臼塚跡

白髭神社(東流廃寺塔礎石)

旗本津田領代官陣屋跡

児神社(鎌倉街道跡)

尾濃大橋

美濃路一里塚

八剱神社

本覚寺

羽島市映画資料館

竹鼻別院

竹鼻大仏

大仏児童公園


主な見所の説明

◎東流廃寺(蓮台寺)・田代城(蓮台城)
 跡地には現在は白髭神社が立っている。昭和32年長池東流地区の土地改良工事を行っていた時、土中から礎石や瓦などが出土。礎石には、二重の穴があいていて、その大きさから塔の高さは30メートル近くあったのではないかと推測されている。半分ずつ別れてみつかった礎石の一つは白鬚神社に残されているが、もう一つは明治初年、笠松別院に経蔵を建立するときに、長池の信者がこの礎石を土台石にと寄進した。塔礎石は笠松町指定文化財。
 また、この地は田代城(でんだいじょう)、別名蓮台城の跡でもある。築城は1500年代初頭と言われている。初代城主は森可勝で森蘭丸等を輩出した、戦国武将の森氏である。当時この地域は尾張国葉栗郡である。
 斎藤道三の娘の帰蝶(濃姫)は織田信長の元に嫁ぎ、1553年、斎藤道三と織田信長は尾張国中島郡冨田村(旧尾西市:現一宮市)の正徳寺(聖徳寺)で親子対面し、帰りを共にする。田代城にて別れの儀式を行い、道三は稲葉山城に、信長は那古野城に戻っていった。

◎大臼塚跡
 処刑されたかくれキリシタンが埋葬された塚。「大臼(デウス)塚」または「大字須(デウス)塚」と呼ばれる。この処刑場で首切り役人として働いていた役人の子孫が、1844年、処刑された人びとの御霊を祀るために「南無阿弥陀仏」と「南妙法蓮華経」の大きな石碑二基をこの場所に建てた。現在この石碑は、明治12年ごろの堤防建設工事にともない、笠松町内の善光寺へ移された。

◎旗本津田領代官陣屋跡
 長池村(長池)、三ツ屋村(長池)、藤掛村(田代)を支配していた津田家は、4010石取りの旗本で、他に不破、揖斐、可児、安八郡なども支配し、羽栗郡長池村に代官所を置いていた。
 織田信長に仕え、その後秀吉、家康に仕えた。陣屋の跡は民家となり、長屋門と蔵が現存している。

◎八剱神社
 祭神は日本武尊。天正9年(1581)竹ヶ鼻城主不破源六により居城の守護神として現在地に遷紀。遷紀当時は室町幕府の末期に当たり、当時の居城の跡地は諸説があって確かではない。現在竹鼻の東部を流れる「逆川」は城の外堀であったが、後世太閤秀吉による水攻めで落城し今は城跡はない。
 祭礼は江戸時代より明治の中期迄は実りの秋に行われていたが、周辺の村祭と重なるので明治35年より春に変わり、戦後大型連休の初日の5月3日になった。山車は13輌ですべて県指定重要有形民俗文化財に指定されており、半数づつの隔年交互曳行とされている。

◎本覚寺
 永禄元年(1556)尾張国春日郡三淵村下津、正眼寺八世玄沢祖栄の創立で、当初は天台宗でしたが後に曹洞宗に改める。竹鼻城主の菩提寺。
 本堂の絵天井は幕末の勤王家浮田一恵斉による八方睨みの雲龍は県の重要文化財。永田佐吉翁の墓所。