例 会 案 内

第23回ウォーク例会・開催要項




 
       
【河川探訪シリーズ・五条川編part3】
                   15km

1.開催日時   平成21年12月5日(土) 9時〜(15時)

2.集合場所   名鉄犬山線 犬山遊園駅(東口)

3.コース等   【河川探訪シリーズ・五条川編part3】  15km

         犬山遊園駅→(木曽川→郷瀬川)→郷瀬川改良記念碑→(新郷瀬川)

         →前原公園→天道宮神明社→(木曽街道)→富士橋→(Sコース・

         羽黒駅へ 9.5km)→大宮浅間神社
→入鹿池→(五条川)→名鉄羽黒駅 

4.参加費    300円(中学生以下無料、小学生以下は保護者同伴)

5.その他

     *雨天でも開催します。

     *歩ける服装で、弁当、飲み物、雨具、敷物、筆記具等を持参してください。

   *例会中の事故(けが)については、傷害保険の範囲内で対応致しますが、安全

   健康管理は自己責任でお願いします。

            
傷害保険の内容      死亡・後遺障害保険  166万円
                             入院保険金(日額)   4000円
                             通院保険金        2000円


主な見所の紹介
                               


木曽川・犬山城

郷瀬川・遊歩道

郷瀬川改良記念碑

新郷瀬川

天道宮神明社・楼門

天道宮神明社・拝殿天井

木橋の人道橋

尾張富士

大宮浅間神社

入鹿池

入鹿池湖畔に立つ記念碑

五条川(取水口)

五条川

野呂塚

入鹿切れ流石(興禅寺)


主な見所の説明

◎天道宮神明社
 奥入鹿村にあったが、入鹿池の築造に際し、寛永10年(1633)に現在地に移されたもの。入鹿池造成のおりには、白雲寺と虫鹿神社ともに前原新田へ移築されたが、明治元年(1868)に廃仏毀釈に遭い、その後天道宮神明社となった。
 楼門は、三間一戸の重層で、屋根を入母屋とし、桟瓦を葺く。楼門は昭和34年愛知県指定有形文化財となった。更に平成10年、県道用地にかかり現在の位置に移築された。その際屋根は遺風に近い銅板葺に替えられた。

◎木曽街道
 江戸時代に尾張藩が独自に作った街道で、名古屋城下の東片端(現在の愛知県名古屋市東区)から中山道の伏見宿(現在の岐阜県可児郡御嵩町)までを結んでいた。総距離は約40km。途中3つの宿場町、小牧宿、善師野宿、土田宿があった。名古屋から楽田追分(現在の愛知県犬山市)までは稲置街道とルートが重複している。軍事的な事情から、大きな川に橋がない・升形が多い・2間幅であるなど、五街道に準じた道の作りになっている。

◎入鹿池
 入鹿池は寛永5年(1628)、鈴木作右衛門,江崎善左衛門ら入鹿六人衆と呼ばれる人たちにより、小牧・春日井方面の灌漑を目的に築造が計画された。付家老である犬山成瀬家を経由して尾張藩に入鹿池の開発届を出し、折から新田開発に力を注いでいた尾張藩主の徳川義直公はすぐに許可を与えた。当地には春日井郡入鹿村があったが、住民を移住させ、寛永9年(1632)から着工し、翌寛永10年(1633)に完成させた。堤防は河内国甚九郎の技術により完成したので「河内屋堤」(かわちやづつみ)と呼ばれた。満水面積152ha、貯水量1518万m3で、農業用ため池としては 香川県の満濃池と全国で一二を争う規模。
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◎羽黒の戦い
 天正12年(1584)、羽柴秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた小牧・長久手の戦いの前半戦。羽柴軍の森長可(森蘭丸の兄)が3月16日、羽黒(犬山市)に着陣する。この動きを知った徳川軍の酒井忠次、榊原康政ら5,000人の兵は同日夜半、羽黒へ向けて密かに出陣する。翌3月17日早朝、酒井勢は森勢を一気に奇襲。森勢は奮戦したものの酒井勢の猛攻に支えきれず潰走した。

◎興禅寺
 鎌倉幕府の侍所の別当として権勢を誇った梶原景時によって承安4年(1174)真言宗・光善寺として創建。文明11年(1479)年に臨済宗妙心寺派興禅寺と改め、現在に至る。天正12年(1584)、小牧長久手の戦いですべての伽藍を焼失したが慶長7年(1702)、18代犬山城主・小笠原和泉守吉次公によって、現在地に寺地を与えられ移転、再興された。現在の庫裡は文政13年(1830)に再建されたもので、木造切妻造桟瓦葺の国登録有形文化財。 
 境内には慶応4年(1868)の「入鹿切れ」の時に流れてきた重さ15トンの石が祭られている。