例 会 案 内
第13回ウォーク例会・開催要項 |
1.開催日時 平成20年4月12日(土) 9時〜(15時)
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主な見所の紹介
万葉公園 |
日光川(万葉公園付近) |
日光川放水路工事 |
尾西排水機場 |
坂井文助旧跡(山崎神社内) |
永張寺 |
祐専寺 |
布智神社 |
布智神社境内 |
桜並木(平和支所付近) |
桜並木(六輪橋付近) |
勝幡城址碑 |
勝幡城址碑(左写真と別箇所) |
主な見所の説明
*万葉公園 万葉集の題材が多い萩が群生していたことに因んで、萬葉公園と命名された。6基の歌碑と45基の歌詞板が園内に設置されており、万葉の古を偲びながら散策できる。また、少し距離をおいた高松分園では38種類の菖蒲が植えられている。 *尾西排水路および尾西排水機場 上流部のたん水被害の軽減と下流部の排水負担軽減のため、上流部の排水を木曽川へ排除するもの。排水路は、尾西排水機場の上流部は1.6kmで自然流下により、下流部は2.4kmで排水機場ポンプにより強制排水している。事業費は190億円、工期は昭和61年度〜平成8年度。 排水機場の壁画のデザインは愛知県立起工業高校の生徒によるものである。 *坂井家および坂井文助 坂井家は中世末期、山崎に居住した土豪。初代坂井文助利貞は1574年信長の命で祖父江周辺の築堤奉行を務め、1575年東海道の整備などを行った。信雄、秀吉時代も奉行職を務め、2代利政は尾張藩で船奉行と1000石を得た。3代利知は船奉行時代、将軍秀忠上洛の時、起川に架した船橋の架縄が切れた事故で御家断絶となり、三河国へ移って眼病の医者となった。 *横井千秋 尾張藩重臣で御用人を勤めた横井十郎左衛門平宏時。千秋はその雅号。本居宣長の尾張門下を代表する国学者。その屋敷は広口池西一帯にあった。千秋は天明五年(1795)宣長に入門し、『詩歌論』『天真中岡』等を著した。宣長の大著『古事記伝』出版には、高弟横井千秋の尽力が大きかった。 平成20年3月、広口池に千秋の歌碑が建立された。横井家は鷹術が家芸であり、歌碑は鷹を詠じた次の二首がしるされた。 矢形尾の 鷹に鈴つけ 朝狩りに 雪踏みならし 出るますらを 天霧らふ 雪に放てる 真白斑の 鷹の尾鈴の 青の寒けさ 千秋は享和元年(1801)7月に64歳で没したが、宣長はその死を悼み歌を送ったが、その歌も歌碑に記された。 思ひきや 露ふく風も たゝぬまに 本の志づくと 君きえむとは *永張寺 文明7年(1475)開創。寛永8年(1631)尾張藩鷹匠頭横井作左衛門尉時久(法号一弓永張居士)によって、現在の寺号のもと再興された。脇菩薩として布袋尊を安置。布袋和尚は七福神の中でただ一人実在した人物で、10世紀の中国の禅僧であった。 |