例 会 案 内

第114回ウォーク例会・開催要項


 
     
【史跡巡りシリーズ・岐阜編part18
                   11km

.開催日時   令和8年4月4日(土) 9時~(15時)

2.集合場所   名鉄本線 笠松駅

3.コース等   笠松駅→八幡社→県庁跡→歴史未来館→渡船場跡→白鬚神社→

          (Sコース:6km・柳津駅へ)→境川→原三渓史跡→南宿駅

4.参加費    300円(中学生以下無料、小学生以下は保護者同伴)

5.その他

    *雨天でも開催します(暴風警報発令時は中止)。

    *歩ける服装で、弁当、飲み物、雨具、敷物、筆記具等を持参してください。

  *例会中の事故(けが)については、傷害保険の範囲内で対応致しますが、

     安全健康管理は自己責任でお願いします。

          傷害保険の内容    死亡・後遺障害保険  166万円

                   入院保険金(日額)   4000円

                   通院保険金        2000円


                               
主な見所の紹介

 
八幡社
 
陣屋・県庁跡
 
笠松湊公園
 
白鬚神社

境  川 
 
道の駅柳津
 
境川桜並木(要桜)

山田省三郎碑 


主な見所の説明

◎笠松歴史未来館
 笠松は、寛文2(1662)年から幕末まで、江戸幕府の直轄地として郡代陣屋が置かれ、幕府支配の重要な位置にあった。明治維新後には、明治6(1873)年まで笠松県庁・岐阜県庁が置かれた政治の中心地でもあった。
 笠松町歴史未来館1階では、笠松町の歴史と文化・古くから伝わる伝統芸能や民具を後世に伝える展示を、2階では企業・学校などの協力を得て、未来志向の展示を行っている。

◎笠松湊渡船場跡(石畳)
 木曾川橋の北に位置する渡船場跡。笠松湊は木曽川筋最大のにぎわいを見せた川湊で、水運の中継地点として発展し、上流からは年貢米、木材、薪炭などが、下流からは海産物、塩、酢、酒、醤油などが運ばれた。大八車の車輪が道に食い込まないように、大きな石を敷いて地面を固くしたものが石畳。現在の石畳は、明治11年の明治天皇御巡行の時に改修されたもので、総延長114mの石畳からは江戸時代の面影を偲ぶことができる。県指定文化財。

◎柳津要桜
 柳津小学校裏の境川南堤の上に、「濃飛十勝柳津要桜」の石標が建っている。この石標を中心として、西は新境川橋から、東は光沢寺(柳津駅北付近)裏あたりの堤防に植えられた桜並木を要桜と呼んでいる。江戸時代からあった桜が枯れてなくなったのを惜しみ、柳津村初代村長伊藤要氏が声をかけ、明治22年より約9年間かかって、先の新境川橋から光沢寺裏の堤防に桜を植えられた。伊藤要氏の名をとって要桜と呼ばれる。昭和8年には、岐阜日々新聞社主催「濃飛十勝コンクール」に第五位で入選し、県下十名勝の一つとして有名になった。石標は、その時建てられたもので、北塚青年団の協力で岐阜市から運んできたもの。その後、戦争が激しくなり、大部分の鞍か薪として切り倒され、当時の桜は数本残すのみであるが、その後再生された。

◎山田省三郎
 1843年1月、現在の羽島郡柳津町佐波に生まれる。少年の頃から治水に熱心であった省三郎は岐阜県にはじめて創設された県議会議員に当選、堤防費を地元負担金でなく、地方税で賄うように指摘した。また、同じ水に悩む脇坂文助、国枝小左衛生門と西濃治水派と呼ばれる一大勢力を形成し、輪中地域の問題を県全体の問題として解決しようと努めた。その後,「大日本治水協会」を設立、「治水雑誌」を刊行するなど治水に関する世論を盛り上げていった。1916年3月逝去。昭和32(1957)年、岐阜市内の長良川金華橋近くの四ッ屋公園に顕彰記念碑が建てられた。