例 会 案 内

第110回ウォーク例会・開催要項


 
     
【史跡巡りシリーズ・三重編part6
                   10km

.開催日時   令和7年10月4日(土) 9時~(15時)

2.集合場所   JR関西線線 富田駅(東口)

3.コース等   富田駅→飛鳥神社→富田一本松→其角句碑→(Sコース:5km・霞ヶ浦

          駅へ)→四日市ドーム→稲葉翁記念公園→旧四日市港→四日市駅

4.参加費    300円(中学生以下無料、小学生以下は保護者同伴)

5.その他

    *雨天でも開催します(暴風警報発令時は中止)。

    *歩ける服装で、弁当、飲み物、雨具、敷物、筆記具等を持参してください。

  *例会中の事故(けが)については、傷害保険の範囲内で対応致しますが、

     安全健康管理は自己責任でお願いします。

          傷害保険の内容    死亡・後遺障害保険  166万円

                   入院保険金(日額)   4000円

                   通院保険金        2000円


                               
主な見所の紹介



伊勢湾台風潮位表 
 
飛鳥神社

水と緑のせせらぎ広場 
 
富田一本松
 
其角句碑
 
松並木
 
霞ヶ浦緑地

四日市ドーム 
 
旧四日市港

潮吹き防波堤 (ジオラマ)


主な見所の説明

◎飛鳥神社
 富田一色村の産土神として祀られており、神社誌によると812年(弘仁2年)に富田一色の浜辺に漂着した社殿を引き上げて、富田一色の祀って浜神楽を奉納して、大漁を祈願した。1907年(明治40年)に、飛鳥神社に改称された。大祭は毎年8月15日(鎮火祭)と10月13日(秋祭り)。鎮火祭はけんか祭りと言われ、鉦と太鼓を乱打して悪魔を追い払い、精霊を迎える大念仏の一種。秋祭りは通称ガニ祭と言われ、村人が伊勢湾で捕獲されたワタリガニを神前で供える風習が背景と言われる。また神社境内には、二本の木が夫婦のように途中で合体した『えん乃樹』があり、夫婦円満(子宝)・良縁成就(恋愛)・延命長寿(健康)の利益があるという。

◎富田一本松跡
 東富田付近が波打ち際であった頃に、伊勢湾の内海航路の船、伊勢湾の漁船の目印となっていた。樹齢が700年を超えていたが、伊勢湾台風により1960年(昭和35年)に枯れた。かつてこの地に居住していた俳人山口誓子の「町なかの 昔の松の 春の暮」の句碑がそばに立っている。

◎其角句碑
 『蛤の焼かれて鳴くや郭公(ほととぎす)』。この句碑は、元禄時代に俳人宝井其角が、当時桑名領に属していた富田庄茶屋町(現在富田三丁目)を通過の際、旅籠尾張屋にて焼蛤を食し、その風味を称えて読んだ句を、当時の主人がその筆跡を模して石に刻み、自己の庭池の泉水石にしたもの。昭和5(1930)年に富田保勝会の有志が譲り受けて、この地に移設した。

◎稲葉三右衛門(いなばさんえもん)
 天保8(1837)年、美濃国高須藩の旧家吉田詠甫の六男として出生。天領の四日市中納屋町の廻船問屋であった稲葉家の養子となる。明治時代の公共事業家。伊勢四日市で廻船問屋をいとなむ。明治6年四日市港の修築に着手。工事は困難をきわめしばしば中断したが,私財を投じて17年に完成(現在旧港とよばれる)。四日市市の繁栄の基礎をきずいた。大正3(1914)年死去、78歳。

◎潮吹き防波堤
 明治26年10月から半年間で県営事業によって築造された。この事業は明治21年の暴風雨や翌年の台風によって稲葉三右衛門が築造した防波堤が破損したために計画されたもの。大堤と小堤が並行する二列構造をとり、港内側の大堤には49ヶ所にわたって五角形の水抜き穴が設けられている。オランダの水理工師ヨハネス・デ・レーケの計画案によるものと言われており、工事は三河の左官職人であった服部長七が請け負う。平成8年には潮吹き防波堤を中心とした旧港湾施設が国の重要文化財に指定された。