(第4集)                

                  

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( 2018年9月 梅花藻の章 )

般若心経や経文などというものは
なかなか理解できるものではない。
訳も読んでみたがよく理解できない。

でも理解もせずただ唱えている。
心頭滅却してただ唱える。
そこに意味もあるようだ。
当分機会を捉えてひたすら
般若心経や経文を唱えてみよう。 
成果など必要ない。あっても結果だ。
 
 ( 2018年8月 男郎花の章 )

今夏の炎暑、猛暑に熱中症が続出。
そしてエアコンをつけよの声の一辺倒。
数年前は節電、使用調節などの大合唱。
今年は節電の声は全く聞こえてこない。
電力、環境等問題は解決したのだろうか。

喉元の暑さにすべてを忘れる。
人間はどんな理屈でも作る。
戦争大合唱にならない保証はない。
 
 
( 2018年7月 山桃の章 )

今年の夏の暑さは何としたことでしょう。
この暑さでは思考もままならない。
朝からぐったり、思考停止が続く。
頑張れば、熱中症が恐い。
ここは我慢、もう少しの間、
おとなしくしていよう。

異常、異常と言っているが、これが
いつの間にか普通という事にならないか。 
この方も心配である。
( 2018年6月 杉菜の章 )

余生とは余分な人生である。
余分な人生に何が必要か。
必要なものなど何もない。
でも前向きに生きる意欲は保ちたい。

勝っても負けても、損でも得でも、
そんなことは大したことでは無い。
来たるものを淡々と受け入れる。
そう思えばより闊達に生きられる
 こんな姿勢で余生に臨みたい。
 
  ( 2018年5月 箱根空木の章 )

余裕ができたこともあって、ここのところ
畑仕事に精を出している。
通る人が皆声をかけてくれる。
声をかけられると仕事に励みがつく。
これが昔から住んでいること、
また田舎の良さであろう。 

道路沿いを花畑にしている。
通る人に楽しんでももらう為である。
更に話は盛り上がる。
   ( 2018年4月 白詰草の章 )

さあ、春だ、種蒔いて、苗も植えた。
どう育つだろう。うまくできるだろうか。
期待に胸がふくらむ。

何もせずに待っているだけでは
何事も成就できない。手を尽くし、
努力をして、初めて期待できる。
苦労した分喜びも大きい。
棚ぼた式に達成感はない。
人生は結果だけではない。
   ( 2018年3月  葱の章 )

ここまで学業に、仕事にいつも勤勉に
走り続けてきた気がする。
遊びでもいつも何かの役員をやり、
勤勉だった気がする。
余裕の時間は苦手であった。
しかし、これからは本当に余裕の
時間ができる気がする。
だから少しずつ、そんな時間に慣れ、
楽しんでいきたい。
それが今年の課題であろうか。
( 2018年2月 水菜の章 )

人間退くタイミングは難しい。
 崇められいい気分でやっていると
批判の言葉も耳に入らなくなる。
これは政治家や企業人に限らない。

退くのを残念がる言葉を沢山貰った。
でも惜しまれて退くのが最善である。
未練を持ってはならない。
後は静かに裏で支える。
この姿勢を貫きたい。
 
  (2018年1月 蔓梅擬の章 )

老いたから、余生だから何も
しなくてよい、は全く逆である。
何もしなかったら呆けるだけである。
これからこそ挑戦がより必要である。
 
老人は楽しくなければいけない。
楽しくするには挑戦である。
昨年はいろいろ挑戦した。
今年も挑戦を続けよう。
 ( 2017年12月 紅菜苔の章 )

何をするにも自ずから目的を持つ、
また目的を持たねば果たせない。
そして、それを果たした時、
安堵もし、喜びも持つ。
それが十分だったら更に大きい。

2017年はいくつもことを企て、
精力的に動き、果たしてきた。
大きな喜びが持てた年であった。
 
( 2017年11月 姫向日葵の章 )

余生である。余分な人生である。
そんな余生に喜びを与えられる。
もう小さな喜びで十分である。

余生である。したいようにすればいい。
そしてした結果、喜びを与えられた。
余生には大きすぎる喜びである。
一生懸命やった結果である。
素直にそして謙虚に喜ぼう。 
 
   ( 2017年10月  甘臭木の章 )

余生だからより挑戦できることがある。
でも挑戦には沢山のものが必要である。
まずは心意気、健康、場所・・・・等々。

幸いに老人クラブ連合会長という場を
与えられた。生かしているか???
まずは生かしていると思う。
あと半年、この役に挑戦しよう。
少し弱った足を鍛え直そう。
そして、そんな自分を愛おしもう。
  ( 2017年9月 孔雀草の章 )

老いると明日大丈夫という保証はない。
毎日毎日を大切に生きねばならない。
「明日死ぬと思って生きなさい」である。

今日の今日を見据えねばならない。
今日は何をすべきか、何が大切か、
そうしていれば大きな悔いはない。 
果たして我が老いはそんな意識で
過ごしているであろうか。
   ( 2017年8月 柳花笠の章 )

余生とは余分な人生、余った人生など
所詮、老後の残された人生である。
そんな余生に杞憂など持つことはない。
何が起きても大したことはない。
大らかに生きたい。その方が楽しい。

第三の人生に入った。まさに余生である。
大らかに生きて余生を楽しもう。
楽しむには積極的に生きることである。

ますますいろいろなことに挑戦だ。
 ( 2017年8月 丘虎の尾の章 )

誠実に勤めてきたつもりである。
しかし、立場という演技もあったろう。
それも送別会を以て終わりである。
送別会が進む中、その終演を意識する。

第三の人生に入る。余生である。
我が身一つという意識を持つ。
我が思うままに思いきりやろう。
そして朽ち果てよう。それも良しである。
 
 ( 2017年6月 枇杷の章 )

道の狭い村中を訪ねて回るには、
車より自転車が最適である。
そして自転車にも安全のために
ヘルメットは必要である。

これは今の我が姿である。
こうして我が道を信じていくのである。
格好も悪くないと思っている。
老人クラブ連合会長が「今日も自転車で
走っている」と評判にならないだろうか。
 
( 2017年5月 黄素馨の章 )

同じコーヒーでも、飲む相手、場所、
雰囲気等で全く違ってきます。

畑作業の休憩時に、藤棚の下で
妻と飲むコーヒーは極上です。
5月の風もいいが、真夏の木陰もいい。
わが家のとっておきの場所です。
満ち足りた至福の時間でもあります。
こんな時間を大切にしたいものです。 
 ( 2017年4月  三叉の章 )

4月から地区の老人クラブ連合会長を
引き受けた。まさに青天の霹靂、
予期せぬ大役である。
老人会長だからといって老人
らしくしている必要はあるまい。
やるからには若々しくやりたい。
そんな気持ちを秘めていざ行かん。
モットーは「老人は楽しく!」と決めた。
前向きにやれば楽しくなる。
 
 ( 2017年3月 雛草の章 )

古稀を過ぎてもう数年となるが、
快い風はなかなか難しい。

今年はまもなく完全退職となる。
地域の大役も回ってきている。
古稀の年以上に大きな転機である。
ここで快い風を呼びこみたい。
呼びこもう。もう意思である。
自分の思うようにやろう。やれる。
それが快い風である。
 
   ( 2017年2月  花韮の章 )

冬の天候は変化が大きい。
真っ青な快晴が翌日
何も見えない吹雪であったり。
短期の旅ではどちらに当たるか、
この違いは大きい。

先日は吹雪の止んだ翌日出かけた。
今年の冬の旅の天候には恵まれた。
もう春である。雨はあっても
吹雪はもうない。大いに楽しもう。
( 2017年1月 匂菫の章 )

古稀を過ぎ老いを感じることもある。
しかし、先日はツルハシや備中を使い
荒れた畑をよみがえらせた。
まだこれだけできると自信を持った。

力を出せばまだできることはある。
挑戦できることも横たわっている。
新しい年を迎え挑戦を続けよう。
本当の戦いはこれからだ。
 
  ( 2016年12月 柾の章 )

老後とは先のことと遠ざけてきた。
しかし、年齢には勝てない。
平成28年はそれを実感させてくれた。
手術、そして手術後の状態に
年齢を感じざるを得ない。
老後の道は着実に近づいてきている。
自分に伸びてきている。
しかし、まだ近づくに任せられない。
本当の戦いはこれから始まる。 
   ( 2016年11月 藤袴の章 )

晩秋は夏のよう暑い日があるかと
思えば冬のように寒いがある。
寒暖入り混じる。

同じように吉と凶も入り混じる。
今年も終わりに近づく。
いろいろな結果が決まってくる。
吉ばかり凶ばかりと言うことはない。
吉凶入り混じって人生は保たれる。
明日を信じて生き抜こう。
( 2016年10月 団子菊の章 )

予定表を見る。まだ空白の日がある。
この日も詰めよう。何をしよう。
友人とお茶でも飲むか、いや、
それより妻と旅行にでも行くか。

今年の前半は自重の日々であった。
後半になってその自重を振り切った。
次々予定を入れた。こうして秋を
駆け抜けている。これは元気さであろうか、
それとも焦りであろうか。 
 
 
( 2016年9月 仙人草の章 )

 2016年は、手術後の不具が長引き、全く試練の年になった。行動は鈍る。しかし、食欲は旺盛である。当然体重は増える。生まれて以来の最重量を記録する。
 食欲の秋である。ここで流されては将来に禍根を残す。今ならまだ間に合う。減食を宣言する。ご飯は減らした。間食も減らした。記録して成果を確認していけば励みにもなろう。ここでもまた試されている。見下されてなるものか。 
 
 ( 2016年8月  冬瓜の章 )

西瓜の色味具合を外から判断する。
取る時毎回のことながら頭を悩ます。
音や表面の色を見て取るのであるが、
これがなかなか分からない。
分からなければ人に聞けばいい。

分からなければ人に聞く、
このことは幾つになっても同じである。
年老いた今こそどんどん聞くべきである。
覚えていたことは忘れ、新しいことが
次々増えているのである。
 
 ( 2016年7月  西瓜の章 )

繊細な人を尊び、鈍感な人を疎んずる、
これは世の中の一般的な評価であろう。
でも時によっては繊細は生き辛いし、
鈍感は過ごしやすいこともある。

今回の手術後はかなり辛いものがある。
これが繊細であったら、ストレスで
耐えられなかったかも知れない。
鈍感で深刻にならず助かったと思う。
時には鈍感に価値があるのだ。
 
   ( 2016年6月 胡瓜の章 )

米作りはいろいろな手順がいる。
まずは田をならし、水を引き入れる。
これで次の手順は整った。田植えである。
そして次の手順に入る。
これは人生も同じである。
子供から大人へ、青年から老人へ。
それぞれに必要な準備がいる。
そして次の段階へ足を踏み入れる。
高齢になるほどそのテンポは速い。
準備に怠りはないか。
( 2016年5月 山吹の章 )

これからの10年を想うと、これまでの
70年以上に吉凶入り混じり
いろいろな変化がある気がする。
年々衰えを覚えながらも
人生終焉に向けて総まとめに入っていく。
より気を引き締めねばと想う。

高齢者に例を引いたまでのことであり、
10年は年相応にいろいろ変化がある。

10年単位で計画するのもいい方法である。
 
    ( 2016年4月 花蛍の章 )

「瞳から溢れるもの」いろいろです。
悲しみでしょうか、熱意でしょうか、
それとも熱い涙でしょうか?

そんな瞳で眺められたら・・・
ぼんやり眺める、目をそらす、
それともしかと受け止める。

しかと受け止めたいものです。
そこに友情や愛が生まれる。
( 2016年3月 蛇の目菊の章 )

尿が漏れる生活はやはりきつい。
しかし、明らかに改善はしつつある。
その気さえあれば普通に活動はできる。
新年度が始まる。次々行事もある。
避けられないのなら活き活きやろう。

先日は一宮友歩会の例会があった。
会長の役目を果たしながら
約15kmを元気に歩き通した。
気力があれば、気概があればできる。
 
 ( 2016年2月 雲間草の章 )

  私は今、前立腺がん手術の後の尿漏れがひどく、尿が垂れ流し状態である。医師は
「治らない人はないない、時間が解決する」
と言ってチョンである。
     「信じる者は救われる」
 今はただ医師の言葉を信じ、心静かに時を待つだけである。
 手術後、1ヶ月がたって改善の兆しが見えてきた。ホッとしているところである。
 
 ( 2016年1月  魚柳梅の章 )

ほとんどの人は平凡な人生と思っている。
ほとんどの部類に属するから平凡である。
その平凡を幸せと想うか、想わないか。
これはもう様々であろう。
でも平凡であるには多大な努力がいる。
多大な努力の結果が平凡に至る。
平凡は素晴らしい。
悔やむこと卑下することではない。
 平凡を大いなる幸せと想いたい。
 


川柳&ウォーク