(第4集)                

                  

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した句をここにコメントをつけて再掲します


   ( 2017年8月 柳花笠の章 )

余生とは余分な人生、余った人生など
所詮、老後の残された人生である。
そんな余生に杞憂など持つことはない。
何が起きても大したことはない。
大らかに生きたい。その方が楽しい。

第三の人生に入った。まさに余生である。
大らかに生きて余生を楽しもう。
楽しむには積極的に生きることである。

ますますいろいろなことに挑戦だ。
 ( 2017年8月 丘虎の尾の章 )

誠実に勤めてきたつもりである。
しかし、立場という演技もあったろう。
それも送別会を以て終わりである。
送別会が進む中、その終演を意識する。

第三の人生に入る。余生である。
我が身一つという意識を持つ。
我が思うままに思いきりやろう。
そして朽ち果てよう。それも良しである。
 
 ( 2017年6月 枇杷の章 )

道の狭い村中を訪ねて回るには、
車より自転車が最適である。
そして自転車にも安全のために
ヘルメットは必要である。

これは今の我が姿である。
こうして我が道を信じていくのである。
格好も悪くないと思っている。
老人クラブ連合会長が「今日も自転車で
走っている」と評判にならないだろうか。
 
( 2017年5月 黄素馨の章 )

同じコーヒーでも、飲む相手、場所、
雰囲気等で全く違ってきます。

畑作業の休憩時に、藤棚の下で
妻と飲むコーヒーは極上です。
5月の風もいいが、真夏の木陰もいい。
わが家のとっておきの場所です。
満ち足りた至福の時間でもあります。
こんな時間を大切にしたいものです。 
 ( 2017年4月  三叉の章 )

4月から地区の老人クラブ連合会長を
引き受けた。まさに青天の霹靂、
予期せぬ大役である。
老人会長だからといって老人
らしくしている必要はあるまい。
やるからには若々しくやりたい。
そんな気持ちを秘めていざ行かん。
モットーは「老人は楽しく!」と決めた。
前向きにやれば楽しくなる。
 
 ( 2017年3月 雛草の章 )

古稀を過ぎてもう数年となるが、
快い風はなかなか難しい。

今年はまもなく完全退職となる。
地域の大役も回ってきている。
古稀の年以上に大きな転機である。
ここで快い風を呼びこみたい。
呼びこもう。もう意思である。
自分の思うようにやろう。やれる。
それが快い風である。
 
   ( 2017年2月  花韮の章 )

冬の天候は変化が大きい。
真っ青な快晴が翌日
何も見えない吹雪であったり。
短期の旅ではどちらに当たるか、
この違いは大きい。

先日は吹雪の止んだ翌日出かけた。
今年の冬の旅の天候には恵まれた。
もう春である。雨はあっても
吹雪はもうない。大いに楽しもう。
( 2017年1月 匂菫の章 )

古稀を過ぎ老いを感じることもある。
しかし、先日はツルハシや備中を使い
荒れた畑をよみがえらせた。
まだこれだけできると自信を持った。

力を出せばまだできることはある。
挑戦できることも横たわっている。
新しい年を迎え挑戦を続けよう。
本当の戦いはこれからだ。
 
  ( 2016年12月 柾の章 )

老後とは先のことと遠ざけてきた。
しかし、年齢には勝てない。
平成28年はそれを実感させてくれた。
手術、そして手術後の状態に
年齢を感じざるを得ない。
老後の道は着実に近づいてきている。
自分に伸びてきている。
しかし、まだ近づくに任せられない。
本当の戦いはこれから始まる。 
   ( 2016年11月 藤袴の章 )

晩秋は夏のよう暑い日があるかと
思えば冬のように寒いがある。
寒暖入り混じる。

同じように吉と凶も入り混じる。
今年も終わりに近づく。
いろいろな結果が決まってくる。
吉ばかり凶ばかりと言うことはない。
吉凶入り混じって人生は保たれる。
明日を信じて生き抜こう。
( 2016年10月 団子菊の章 )

予定表を見る。まだ空白の日がある。
この日も詰めよう。何をしよう。
友人とお茶でも飲むか、いや、
それより妻と旅行にでも行くか。

今年の前半は自重の日々であった。
後半になってその自重を振り切った。
次々予定を入れた。こうして秋を
駆け抜けている。これは元気さであろうか、
それとも焦りであろうか。 
 
 
( 2016年9月 仙人草の章 )

 2016年は、手術後の不具が長引き、全く試練の年になった。行動は鈍る。しかし、食欲は旺盛である。当然体重は増える。生まれて以来の最重量を記録する。
 食欲の秋である。ここで流されては将来に禍根を残す。今ならまだ間に合う。減食を宣言する。ご飯は減らした。間食も減らした。記録して成果を確認していけば励みにもなろう。ここでもまた試されている。見下されてなるものか。 
 
 ( 2016年8月  冬瓜の章 )

西瓜の色味具合を外から判断する。
取る時毎回のことながら頭を悩ます。
音や表面の色を見て取るのであるが、
これがなかなか分からない。
分からなければ人に聞けばいい。

分からなければ人に聞く、
このことは幾つになっても同じである。
年老いた今こそどんどん聞くべきである。
覚えていたことは忘れ、新しいことが
次々増えているのである。
 
 ( 2016年7月  西瓜の章 )

繊細な人を尊び、鈍感な人を疎んずる、
これは世の中の一般的な評価であろう。
でも時によっては繊細は生き辛いし、
鈍感は過ごしやすいこともある。

今回の手術後はかなり辛いものがある。
これが繊細であったら、ストレスで
耐えられなかったかも知れない。
鈍感で深刻にならず助かったと思う。
時には鈍感に価値があるのだ。
 
   ( 2016年6月 胡瓜の章 )

米作りはいろいろな手順がいる。
まずは田をならし、水を引き入れる。
これで次の手順は整った。田植えである。
そして次の手順に入る。
これは人生も同じである。
子供から大人へ、青年から老人へ。
それぞれに必要な準備がいる。
そして次の段階へ足を踏み入れる。
高齢になるほどそのテンポは速い。
準備に怠りはないか。
( 2016年5月 山吹の章 )

これからの10年を想うと、これまでの
70年以上に吉凶入り混じり
いろいろな変化がある気がする。
年々衰えを覚えながらも
人生終焉に向けて総まとめに入っていく。
より気を引き締めねばと想う。

高齢者に例を引いたまでのことであり、
10年は年相応にいろいろ変化がある。

10年単位で計画するのもいい方法である。
 
    ( 2016年4月 花蛍の章 )

「瞳から溢れるもの」いろいろです。
悲しみでしょうか、熱意でしょうか、
それとも熱い涙でしょうか?

そんな瞳で眺められたら・・・
ぼんやり眺める、目をそらす、
それともしかと受け止める。

しかと受け止めたいものです。
そこに友情や愛が生まれる。
( 2016年3月 蛇の目菊の章 )

尿が漏れる生活はやはりきつい。
しかし、明らかに改善はしつつある。
その気さえあれば普通に活動はできる。
新年度が始まる。次々行事もある。
避けられないのなら活き活きやろう。

先日は一宮友歩会の例会があった。
会長の役目を果たしながら
約15kmを元気に歩き通した。
気力があれば、気概があればできる。
 
 ( 2016年2月 雲間草の章 )

  私は今、前立腺がん手術の後の尿漏れがひどく、尿が垂れ流し状態である。医師は
「治らない人はないない、時間が解決する」
と言ってチョンである。
     「信じる者は救われる」
 今はただ医師の言葉を信じ、心静かに時を待つだけである。
 手術後、1ヶ月がたって改善の兆しが見えてきた。ホッとしているところである。
 
 ( 2016年1月  魚柳梅の章 )

ほとんどの人は平凡な人生と思っている。
ほとんどの部類に属するから平凡である。
その平凡を幸せと想うか、想わないか。
これはもう様々であろう。
でも平凡であるには多大な努力がいる。
多大な努力の結果が平凡に至る。
平凡は素晴らしい。
悔やむこと卑下することではない。
 平凡を大いなる幸せと想いたい。
 


川柳&ウォーク