(第3集)
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した句をここにコメントをつけて再掲します
( 2015年12月 蒲染の章 ) 昨年はいろいろな出来事があった。 新たな体験もいろいろあった。 その度に気力も上向いてきた。 老いたなどと言っておられない。 やること、できることはいろいろある。 やれるだけのことはやろう。 こう言えるのは恵まれた人生である。 恵まれた人生は生かさねばならない。 老いはしばらく忘れていよう。 |
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( 2015年11月 白菜の章 ) なぜか今年は寺参りの機会が増えた。 檀家総代に加え、十八日講という 講の役を引き受けている。 それに加え、西国33ヶ寺参りを始めた。 これは偶然であろうか、縁であろうか。 来年以降も続けようか迷っている。 続けるよう請われてもいる。 悪いことではない。縁は大切にした方が 良いという思いが交錯する。 |
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( 2015年10月 白樺の章 ) オスロのヴィーゲラン公園には650体 以上の人間像の彫刻が設置されている。 怒りん坊はその中の人気者である。 皆がほほ笑んで眺めていく。 怒っていてもどこか可愛い。 子供が人気者である社会はいい。 子供は外でノビノビさせたいものだ。 将来は子供にある。 日本の国は大丈夫だろうか。 |
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( 2015年9月 箒木の章 ) 柿は熟して落ちるもの、 青いまま落ちるとは思っていなかった。 世の中に確実というものはない。 思わぬことが起きるのが世の中である。 青い柿から不確かさを知った。 学びの場はどこにもある。 死ぬ間際まで学ばねばならない。 |
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( 2015年8月 桧扇の章 ) 高齢者に夏は辛いもの。暑い暑いと 言っているだけでは始まらない 子供らは夏休みだ。生き生きとしている。 一緒に楽しもう。 今年は子供らと朝のラジオ体操もした。 孫を連れて出かけもした。旅行もした。 老いて楽しむことはまだまだある。 気持ちがあればまだまだできる。 |
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( 2015年7月 南瓜の章 ) スリランカへ行ってきた。仏教寺院に 入るときは靴を脱がねばならない。 裸足や靴下のままになる。 服装も肌を露出したものは要注意である。 これは敬虔な気持ちの表れであろう。 信じるものがある、と言うことは 人生大きな強みである。 十分わきまえながら対応していきたい。 |
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( 2015年6月 立葵の章 ) 走る列車の窓から風景を 綺麗に撮るのはなかなか難しい。 腕もあろうが、多くは呆けてしまう。 当たり前のことではあるが、 これは何事にも当てはまる。 余分な無理は避けたいものである。 でも、しなければならない無理もある。 この判断を間違えないように 生き抜かねばならない。 |
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( 2015年5月 金魚草の章 ) 人を星になぞらえることがある。 どんな星の元に生まれたのか、 良い星であったか、悪い星であったか。 また星占いというものもある。 星は神秘である。数知れず、 行き着く果ても分からない。 多分どれかがボクのものだろう。 静かに見上げ、探してる。 感謝の気持ちを持ちながら・・・・。 |
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( 2015年4月 空豆の章 ) 友人が古希にして初めて市会議員選挙に 立候補し、当選した。同級生で支援した。 しかし、当選して終わりではない。 当選してから始まるのである。 スタートに着いたばかりである。 本人はもとより、これからも支援していく 私もこのことを忘れないようにしたい。 共に知恵を出し、役目を果たしたい。 |
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( 2015年3月 三味線草 ) 人生という電車に皆乗っている。 明日の行き先も知らない。 不安もあるが安穏としている。 皆で乗っているからだろうか。 所詮知ることはできないからか。 まもなく行き着く年齢になってきた。 終焉は肝心である。 することをして自然体で 待つより仕方あるまい。 |
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( 2015年2月 法連草の章 ) 人はうわさ話が好きなものである。 寒い冬などは何もできなくて よりそんな話に熱心になる。 小人閑居して・・・である。 寒い、寒いと言っていた冬も 日増しに暖かくなっていく。忙しくなる。 うわさ話どころではなくなる。 もうまもなく終わるだろう。 |
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( 2015年1月 竜の鬚の章 ) 広々とした野原を歩き、空を仰ぎ、 自然を観察する。当然体に良い。 また、気持ちも晴れやかになる。 少し若返った気分にもなるだろう。 これはウォーキング愛好家の 私だけのことではないでしょう。 春はもう遠くない。 これからの人は準備を始めよう。 |
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( 2014年12月 覇王樹の章 ) 夢のない未来は生きた屍である。 夢を持って生き生きと生きていこう。 夢を持つ人の話を聞くのも楽しい。 そんな人のところへ人は集まる。 何歳になっても夢を大いに語ろう。 歳にひるむことはない。 それが生きているあかしである。 有言実行と言うこともある。 その心意気で行こう。 |
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( 2014年11月 蜜柑の章 ) 先日兵庫県の余部へ行った。昭和61年 12月に鉄橋から列車が落ちた現場である。 落下後にも行った。そして今回である。 鉄橋は新しく建設され、以前のものが 記念と見学用に残されたいた。 惨劇を乗り越え、今人を迎えている。 惨劇は乗り越えねばならない。 東北も早く乗り越えて欲しいものだ。 |
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( 2014年10月 杜鵑草の章 ) 柿が色づいてきた。まだ青いものもあるし、 もう熟れすぎて落ちそうなものもある。 同じ木にありながら色は様々である。 そんな柿を見上げて、人生を思う。 同じ社会にありながら人生も様々である。 そんな人生も晩年に入ってきた。 明日はどうなるのだろう。 この晩年の過ごし方こそ様々である。 正念場はこれからである。 |
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( 2014年9月 科の木の章 ) 新しい発見をしたとき、心はときめく。 自然気持ちも若がえる。 発見にはいつもを少し変えることである。 それは何でも良い。道を少し変える。 電車を変える。時間を変える。 老いてきた身にはより必要である。 発見を求めを旅を続けて、身も心も 若くなる。楽しいな!嬉しいな! |
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( 2014年8月 花梨の章 ) 胸に響く良い話を聞くのは、楽しい。 そんな話を集めるのは更に楽しい。 そんな話を集め、コメントを付けた 「話・話」がまもなく2000話になる。 どこまで行けるのだろうか。 こうして老いを行けるのは嬉しい。 健康に留意し、惚けないようにして 書く意欲を保ち、命果てるまで。 |
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( 2014年7月 山法師の章 ) 人生はなかなか思うようにはいかない。 あきらめるのが良い場合もあるし、 リベンジを果たすのが良い場合もある。 リベンジを果たせるものは果たしたい。 それまでは死ねない、長らえたい。 先日天候の都合で、外国旅行が突然 中止になった。人生の損をした気分である。 次の機会を是非見つけたい。 こんな程度のことで壮大な句を詠んだ。 |
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( 2014年6月 菩提樹の章 ) この6月で一宮友歩会は例会50回を達成。 その記録誌の中で100回を目指すと書いた。 達成の頃には75歳を越えているはず。 そのためには健康ばかりでなく、体力、 意欲も備わっていなければならない。 宣言したからには一筋に進むだけである。 奇しくも川柳連れ連れ草は150号であった。 当面こちらはどこに目標を定めようか。 こちらは参加の皆さん次第である。 |
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( 2014年5月 水芭蕉の章 ) 古稀と言われるような歳になると 元気さや意欲を保つのは なかなか大変になる。 そんな時にすがすがしい青い空は 大いに英気を与えてくれる。 青い空は病も癒してくれる。 そんな青い空を人類は濁していく。 取り返すが着かなくなる前に 人間の英知を結集したいものだ。 |
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( 2014年4月 藤の章 ) 電話は便利なものである。しかし、 時にはとんでもないことを伝えてくる。 深夜や朝早い時の電話は用心である。 その電話で予定がすべて狂うこともある。 狂う時はほとんどが悪い話である。 人生ままならぬと思っていた方がいい。 ままならぬことが最近続いた。 ままならぬから人生面白いのだが、 そうはなかなか言えぬものである。 |
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( 2014年3月 葉蘭の章 ) 地域の大きな役目を終えた。 安堵すると共に時間に余裕ができる。 このまま静かに過ごせる性格ではない。 走れる間は走り続けたい。 次のステップを描かねばならない。 任期中できなかった外国旅行などを 楽しみながら、少しずつ始めていきたい。 余裕のある人生の始まりである。 |
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( 2014年2月 胡蝶蘭の章 ) 厳しかった冬も終わりまもなく春だ。 春になれば草木も芽を出し、花を咲かす。 そして人も活発になっていく。 4月になれば新年度だ。 新しい生活が始める人も多かろう。 その前に障害になることは取り除こう。 歯の治療もしておこう。 いつまでも明るい気分で、 楽しくものに望んでいきたい。 |
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( 2014年1月 犬柘植の章 ) 人ごとと思っていたが、 今年古稀と言われて驚いた。 こうなれば喜寿はもう視野の中である。 歌って楽しく過ごしてそれを目指そう。 その後の米寿にはもう一息あるが、 困難も待ち受けていようが、 健康に気をつけながら 明るく過ごせば無理とも言えまい。 どこまで行き着くか楽しみである。 |
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( 2013年12月 犬槇の章 ) 町会長の今年は毎日のように 用事があり、電話も入ってくる。 寒くなったと思ったらもう雪である。 今夜はどんな電話があるだろうか。 今年は町会長の役目を第1にし、 多くの私用を控えてきた。 それでもいろいろあったなー。 総じて良いことが多かった気がする。 悪いことは忘れたのかも知れない。 |
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( 2013年11月 白銀葦の章 ) 本当に物忘れが激しくなった。 気づいてあわてることも度々だ。 秋はよりそんな思いを抱かせる。 秋はいい季節だがすぐに寒い。 もの憂くなる。黄昏である。 人生はもう晩秋、いや、もう冬に 入っているかも知れない。 でも、それにめげてはおられない。 清涼の秋を生き抜こう。 |
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( 2013年10月 大紅蓼の章 )
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( 2013年9月 蔓紫の章 ) 旅は良いものである。 行く前は期待感があり、行って楽しみ、 帰って人に話して思い出す。 今年は全く控えているので寂しい。 しかし、先日は久しぶり2泊3日の 老人会の旅行を楽しんだ。 観て食べて飲み話し、更に歌い。 町会長職が終わるのが待ち遠しい。 |
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( 2013年8月 蒲の章 ) 鵜飼の鵜にされ脚光を浴びるのは 沢山の鵜の中で、希有な鵜です。 さてこれは幸せなことでしょうか、 それとも不幸せなことでしょうか。 これは人間社会にも多く見られます。 マスメディアなどその代表でしょう。 でも、幸せとつながるとは限りません。 影に隠れた大きな幸せもあります。 見かけに囚われないようにしたいものです。 |
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( 2013年7月 半夏生の章 ) 7月の参議院選挙で立会人を勤めた。 鉛筆を持ってから動かない人も多い。 ここに来てから考えているのだろうか。 ここに来てまだ迷っているのだろうか。 様々な事項があるのだ。 一人の人と全く一致することはない。 それを一人の人に託すのは難しい。 迷って揺らいで当然である。 私も大いに揺らいだ。 |
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( 2013年6月 風車の章 ) 緑緑した樹林の中に身をおけば、 目に優しく、香りもよく、 時には鳥のさえずりも聞こえる ささくれた気持ちも次第に収まってくる。 まさにこんな日は癒やしの日である。 緑とはこれ程に素晴らしい。 こんな日を時には持ち、 明日に向かう鋭気を養いたいものだ。 生きている限り明日をめざすのである。 |
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( 2013年5月 甘野老の章 ) 人間の心はなかなか一定していない。 喜怒哀楽、ころころと変わる。 平生強気の人も時には弱気となる。 でも弱気は損気である。 人生より積極的に生きたいと思う。 今日の弱気も、明日には乗り越えたい。 一晩寝れば、乗り越えられるだろう。 人生残り少なくなってよりそう思う。 |
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( 2013年4月 紫丁香花の章 )
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( 2013年3月 仏の座の章 ) 目、耳・・・・何となく不調を感じてくる。 原因を問えば加齢と言われる。 先日生まれて初めて手術を受けた。 ヘルニアである。これも加齢という。 60代後半ともなればもう高齢者、 加齢と言われても仕方ない。 でもまだまだ元気、若いと思っている。 加齢と言われて疑心暗鬼である。 納得も半分ほどである。 |
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( 2013年2月 大 根 の 章 ) 何ごとも正面からぶつかれば 困難や苦労は多い。精力もいる。 それを避けて隅や脇道をコソコソ歩く。 なぜ正々堂々と事に当たらないのか、 楽ではあるが、そんな自分に嫌気がさす。 自分の人生はどうだったのか、 いろいろなことが浮かぶ。 少しでも悔いの少ない人生で終えたい。 |
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( 2013年1月 藪柑子の章 ) 今日は冷たい風だった。 明日はきっと良い風が吹くだろう。 それを信じて明日を待とう。 こうして幾十年を過ごしてきた。 明日が信じられる時もあったし、 信じられない時もあった。 しかし、今こうしておられるのは 良い風が多かったのだ。 |
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(2012年12月 於多福南天の章) 70歳を古来稀なりといって、それが 相応しかったのはかなり昔のこと。 今や90歳、いや、100歳であろうか。 若年層減少時代、60歳、70歳代を 老後老後などといわず、 若い若いといって上手に使わねば。 多くの人はそれを願っている。 私も思案のしどころにいる。 |
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( 2012年11月 初雪草の章 ) 今年の紅葉はどこも見事、綺麗だった。 しかし、木枯らしが吹くと一瞬にして 散ってしまう。紅葉の命は短い。 紅葉になる木(落葉樹)は春夏秋冬、 様々な姿を見せてくれる。 その姿を味わう機会を持ちたいものだ。 その機会のひとつはウォークである。 「歴史を訪ね、自然に触れ、友と語らう」 ウォークの行事に参加すれば その機会は自ずと訪れる。 |
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( 2012年10月 秋海棠の章 ) よほどの不幸がない限り足は生涯ある。 あっても弱って歩けないかも知れない。 生涯丈夫な足を持って歩きたい。 いろいろな事情でウォークの行事に 参加できなくなるかも知れない。 でもいつまでも参加できる生活でいたい。 丈夫な足と歩ける境遇、 共に願うのは欲深いだろうか。 まずは一宮友歩会の例会を 1年でも1回でも多く行いたい。 |
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( 2012年9月 柳蘭の章 ) 街行く人を観察していると 前屈みの人が多い。 そうした中で背筋をシャンと伸ばし、 颯爽と歩く姿はすがすがしい。 つい目が行く、つい見とれる。 着飾るより化粧に力を入れるより まず姿勢に気をつけたいものだ。 いくつになっても背筋を意識していこう。 |
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( 2012年8月 栗の章 ) チベットへ行ってきました。 五体投地をする人々を見てきました。 一心不乱に何万回と繰り返すのです。 これは信仰のなせる技でしょうか。 この意志は私にはありません。 ただ黙ってみるだけでした。 チベット人は信仰に支えられ、 心穏やかであるという。 信じるものは強し、まさにその感です。 最後、私は何を信じ頼るのであろうか。 |
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( 2012年7月 玉蜀黍の章 ) 壱岐の島の猿岩へ行った。 目に入った瞬間「おおっ」と唸った。 獅子岩とか亀岩とか○○岩と名付 けられた岩は多く見てきたが、 この猿岩はその中でも絶品である。 大猿が海を眺めているこの造形は 自然の機知や奇智であろうか。 ただじっと見とれたのである。 いろいろな意味で自然は侮れない。 |
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( 2012年6月 人参の章 ) 「1年の計は元旦にあり」 人は新年を迎え、いろいろ計画を立て、 決意をする。良いことである。 しかし、「三日坊主」で終わるものも、 更に半年も立てばその計画の 成り行きも見えてくる。 多くは目標にほど遠い。 ここで諦めるのか、もう一鞭当てるのか、 決意が揺らぐ6月である。 今年も繰り返している。 |
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( 2012年5月 花桃の章 ) 名古屋番割観音講なるものに参加した。 声を合わせ般若心経を唱えるが、 信心、悲しみを癒やす、健康のため、 参加した人の想いは様々である。 協力し合ってしている何事も想いは 様々であるのはこれと同じである。 それでうまくいっているのである。 川柳連れ連れ草もまた同じである。 |
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( 2012年4月 蓮華草の章 ) ハワイへ行ってきました。 ワイキキの浜辺がコースにない。 ワイキキの浜辺を歩かずして、 ハワイへ行ってきたとは言えない。 時間を見つけて歩きに行きました。 物事には肝心要の部分がある。 その部分を見逃さないように、 取り違えないようにしたい。 |
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( 2012年3月 棕櫚の章 ) 今年の春は何とゆっくりしたことでしょう。 もう十分に右を見て左を見て 慎重の上に慎重を期したことでしょう。 今の日本を見ると不安ばかりで、 皆が春を待ち焦がれているのです。 何事にも時というものがあります。 時を失するとありがたみも消えます。 早くやってきて皆を安心させて下さい。 |
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( 2012年2月 桜草の章 ) 人生ひたすら実直、愚直も良かろうが、 時には酔狂、羽目を外すも良かろう。 私が花を買う、それも妻に買う。 これはもう酔狂以外の何物でもない。 それを今年の2月14日にしたのだ。 それから夫婦の雰囲気がかなり変わった。 時には酔狂も良いものだ。 |
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( 2012年1月 竹の章 ) いい話は少なくなった気もするが、 探せばまだまだ見つかる。 いい話は気持ちを温かくするし、 広めれば実行する人もあろう。 「伝えたい話・残したい話」は そんな思いで続けている。 そして我が身を振り返るのである。 足りない点、反省すべき点に気づく。 1番恩恵を受けているのは私であろう。 |
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(2011年12月 常磐山査子の章) 窓を開ければ良いもの悪いもの、 いろいろなものが見えてくる。 特に心の窓は大切だ。 見たいものだけを見る、 これでは行き先を間違える。 自分自身を見極めて この先を進みたいものだ。 |
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( 2011年11月 真弓の章 ) 十数年ぶりにマラソン大会に参加した。 距離は短かくてもマラソンは辛い。 今何分、後どれだけとそのことばかり 考えていると、辛さはさらに募る。 そんな時、全く別事を考えていると、 知らぬ間にゴールは近づいている。 ものごとにはいろいろな対応の仕方がある。 真正面から取り組むだけがすべてではない。 その時その時にあった手法を考えよう。 |
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( 2001年10月 秋明菊の章 ) あれほど暑かった夏も過ぎると、 寒さ厳しい冬はすぐに来る。 その間に挟まれた秋は短い。 日々の生活も次から次へと 振り回されなかなか平穏と行かない。 それだけに意識しないと秋は味わえない。 その時は今だ。 ゆっくり秋を味わおう。 |
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( 2011年9月 初雪葛の章 ) 今年の9月は台風に2度も大騒ぎをした。 台風はいろいろ吹き飛ばしていく。 気力も吹き飛ばされた。 吹き飛ばされた気力の回復は難しい。 人生は何事も気力である。 しぼんだ気力に豊かな人生はない。 回復のきっかけをつかまねばならない。 まずは人生を冷静に見ることであろう。 |
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( 2011年8月 百日草の章 ) 「一病息災」という言葉がある。 一つ位の持病を持つと健康に注意し、 返って長生きできるという言葉である。 小さな病で病院へ行くようになると 少しの変調を感じるとすぐに医師に話し、 大事になる前に治療が受けられる。 私は今内科、歯科、泌尿器科などに 数ヶ月毎に行く羽目になっている。 これで大病が防げれば幸いである。 |
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( 2011年7月 鋸草の章 ) どうして蝉の鳴き声でカレーになるのか? これには人それぞれ、家庭それぞれの 歴史や思いがある。 こんなことを詠うのが川柳である。 万人が認める当たり前のことは 何の感慨も感動も起こさせない。 人それぞれの思いを詠う、 ここに川柳の醍醐味がある。 |
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( 2011年6月 金宝樹の章 ) 天候の人に及ぼす影響は大きい。 特に旅行ではてきめんである。 良い企画も天候が悪ければ台無しだし、 良ければ少々の不満は忘れてしまう。 これだけ大きな影響のあることに 人知が及ばない。自然を前に 人間の力はそんな程度のものだ。 何事も冷静に受けとめたいものだ。 |
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( 2011年5月 空木の章 ) 後悔が反省となり、次につながれば 後悔にも意味がある。 しかし、後悔が単なる後悔で、悔やんで いるばかりでは時間の浪費である。 人間、終焉に近づけば、その余裕はない。 つい先日、親しい人が62歳で亡くなった。 過ぎたことは過ぎたこと、 私に後悔をしている時間はありません。 今が本番、そのうちはもうない。 |
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( 2011年4月 金盞花の章 ) 日本ではいろいろなことが始まるのは 新年の1月より新年度の4月と言えよう。 入学式、入社式・・・各種役員等の 交替もこの4月であろう。 勤務が週3日になり、筋トレを始めた。 地元役員も回ってきた。 良いこと、悪いこと、次から次へと いろいろなことが起こる4月。 もう少し落ち着いた風が吹くのは いつからであろうか。 |
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( 2011年3月 日向水木の章 ) 人間というのは辛いもの、 弱い部分は何とか補おうとする。 何かしていないと落ち着かない。 効果がないと分かっていても、 他に方法がなければ続ける。 薬やサプリメントを飲み続けるのも そんなことであろうか。 弱さを知ることも必要であるし、 賢明な判断も必要である。 |
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( 2011年2月 蘇鉄の章 ) 暇な時間があれば、暇をもてあますなら、 ウォークに行けばいい。 ウォークは歴史を訪ね、自然に触れ、 全く素晴らしいものである。 孫を連れて行けばより楽しいものになる。 孫にも素晴らしい学びの時間となる。 ウォーク万歳である。 |
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( 2011年1月 松の章 ) 夫婦と言えども別別の人格、 一緒に歩むことはなかなか難しい。 しかし、一緒に歩めば安堵感が 生まれる。安らぎの場ともなる。 一段ずつ階段を登るように 確かな夫婦仲を築かねばならない。 それでこそ夫婦になった意味がある。 人生終焉に近づくほど この安堵感は大切である。 |
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( 2010年12月 柊の章 ) 仕事を離れ好きなことができるのは いいものである。 しかし、静養のための休みと いうのは困ったものである。 特にウォーキングや外に出たい 人には全く辛い。 静養などいう言葉が不要な 日々を過ごしたいものだ。 |
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( 2010年11月 黄花秋桜の章 ) 8日間のイタリア旅行を楽しんだ。 雨は行った日から晴れ上がった。 そして、滞在中は好天が続いた。 帰る日からまた雨となった。 旅行の良し悪しは天候に大きく負う。 大きな幸運であった。 この幸運を持ち帰らねばならない。 帰国後体調不良が続いたことを思うと 幸運を使い果たした気もする。 |
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( 2010年10月 臭木の章 ) 人が集まっている。大したことはないと 思いながらも無視して通り過ごせない。 覗き込まないと何か損した気分や 取り残された気分になる。 そして大方は想像通り どちらでも良いことである。 いつまでたっても泰然自若、 我が道を行くとはならないものだ。 そうして人生の終焉に近づくのである。 |
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( 2010年9月 藪茗荷の章 ) 食欲の秋、素材もいろいろ、 煮たり焼いたり蒸したり いろいろ試して味わう。 失敗もあるが思わぬ発見もある。 何事も決めつけぬ方がいい。 決めつけると可能性が狭まる。 人生のことも全く同じである。 過ごしやすい秋になった。 試行錯誤、いろいろ挑戦して 新しい自分を見つけていこう。 |
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( 2010年8月 夏水仙の章 ) 今年の暑さには閉口です。 猛暑日はどこまで続くのだろう。 身軽になった身に、今まで控えていた 少し長い旅を考えよう。 今から考えれば時期は秋だろう。 どんな風景を見、どんな旅になるだろう。 そんなことを考えて猛暑を逃げる、 これも避暑のひとつの方法だ。 |
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( 2010年7月 紫露草の章 ) 人の死は家族にとっては一生の一大事、 時によっては残された人の人生を 左右するほどに大きな悲しみの時もある。 しかし、聴診器には1つの作業である。 機械的に無造作に死を告げる。 医者も感情移入ばかりしておられない。 人の死は、生前の関係者で厳かに 葬り、偲び、生きる糧とするのである。 |
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( 2010年6月 薔薇の章 ) 検査入院をした。 検査前から点滴が始まった。 検査の結果によって生活が大きく変わる。 今までの生活を続けることができるのか、 入院手術などで生活が全く変わるのか、 この点滴が新たなドラマの開始であった。 結果は異常なしであった。 ひとまず安心を得た。 |
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( 2010年5月 浮釣木の章 ) 青葉若葉には若さを感じすがすがしい。 昔の自分にもそんなものがあった。 しかし、今の老いた身には眩しすぎる。 でも、眩しすぎると避けていてはいけない。 心がけ次第ではその若さを維持できるし、 力をもらうこともできる。 その心がけとは・・・心身の健康・・・ 謙虚な姿勢・・・意欲・・・好奇心・・・ |
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( 2010年4月 梅 の 章 ) できる時には鳥や木はもちろん、 その他も素材になってしまう。 できない時には素材になりやすい 鳥や木を見ても何も浮かばない。 ただ苦闘が滲むばかりである。 この楽しみと苦しみを繰り返して、 長い歴史ができる。今日は鳥も 木も素材に見えて上々のようだ。 |
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( 2010年3月 紫花菜の章 ) 寒い冬を耐えに耐えてきた。 待ちこがれていた春がそこまできた。 サアこれからだ、ボクも動き出そう。 耐えた分、期待も大きいのである。 しかし、いい時期は短い。 高齢になると更に短いのである。 そのうちはもうない。 機を逃さないように過ごしたい。 |
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( 2010年2月 冬牡丹の章 ) 旅は未知のことを知る楽しみと共に、 不安もいっぱいである。 そんな旅先で知人に偶然会う。 出会っただけでもホッとするが、 旅慣れた人なら頼もしくもなる。 今まで懇意にしていなくても、 こんな機会に一度に親しくなる。 若い男女なら恋も芽生える。 旅は不思議な力があるものだ。 |
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( 2010年1月 紅要黐の章 ) 人間生まれて出でてから現在まで、 苦も楽も、いろいろな経験してきた。 その苦労や努力が報われたこともり、 徒労に帰したこともあろう。 現在あるのは今までの集積である。 といっても何も人間結果がすべてではない。 経過が大切である。 いろいろな山に登ったことを喜ぼう。 そして、現在があることに感謝をしよう。 |