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 ( 2015年12月 蒲染の章 )

昨年はいろいろな出来事があった。
新たな体験もいろいろあった。
その度に気力も上向いてきた。
老いたなどと言っておられない。
やること、できることはいろいろある。
やれるだけのことはやろう。
こう言えるのは恵まれた人生である。
恵まれた人生は生かさねばならない。
老いはしばらく忘れていよう。
 
( 2015年11月 白菜の章 )

なぜか今年は寺参りの機会が増えた。
檀家総代に加え、十八日講という
講の役を引き受けている。
それに加え、西国33ヶ寺参りを始めた。
これは偶然であろうか、縁であろうか。

 来年以降も続けようか迷っている。
続けるよう請われてもいる。
悪いことではない。縁は大切にした方が
良いという思いが交錯する。
 
   ( 2015年10月 白樺の章 )

オスロのヴィーゲラン公園には650体
以上の人間像の彫刻が設置されている。
怒りん坊はその中の人気者である。

皆がほほ笑んで眺めていく。
怒っていてもどこか可愛い。
子供が人気者である社会はいい。
子供は外でノビノビさせたいものだ。
将来は子供にある。
日本の国は大丈夫だろうか。
  ( 2015年9月 箒木の章 )

柿は熟して落ちるもの、
青いまま落ちるとは思っていなかった。

世の中に確実というものはない。
思わぬことが起きるのが世の中である。
青い柿から不確かさを知った。

学びの場はどこにもある。
死ぬ間際まで学ばねばならない。
( 2015年8月 桧扇の章 )

高齢者に夏は辛いもの。暑い暑いと
言っているだけでは始まらない
子供らは夏休みだ。生き生きとしている。
一緒に楽しもう。

今年は子供らと朝のラジオ体操もした。
孫を連れて出かけもした。旅行もした。
  老いて楽しむことはまだまだある。
気持ちがあればまだまだできる
 
  ( 2015年7月 南瓜の章 )

スリランカへ行ってきた。仏教寺院に
入るときは靴を脱がねばならない。
裸足や靴下のままになる。
服装も肌を露出したものは要注意である。
これは敬虔な気持ちの表れであろう。

信じるものがある、と言うことは
人生大きな強みである。
十分わきまえながら対応していきたい。 
 ( 2015年6月 立葵の章 )

走る列車の窓から風景を
綺麗に撮るのはなかなか難しい。
腕もあろうが、多くは呆けてしまう。

当たり前のことではあるが、
これは何事にも当てはまる。
余分な無理は避けたいものである。
でも、しなければならない無理もある。
この判断を間違えないように
生き抜かねばならない。
 
 ( 2015年5月 金魚草の章 )

人を星になぞらえることがある。
どんな星の元に生まれたのか、
良い星であったか、悪い星であったか。
また星占いというものもある。

星は神秘である。数知れず、
行き着く果ても分からない。
多分どれかがボクのものだろう。
静かに見上げ、探してる。
感謝の気持ちを持ちながら・・・・。
 
   ( 2015年4月 空豆の章 )

友人が古希にして初めて市会議員選挙に
立候補し、当選した。同級生で支援した。
 
しかし、当選して終わりではない。
当選してから始まるのである。
スタートに着いたばかりである。
本人はもとより、これからも支援していく
私もこのことを忘れないようにしたい。
共に知恵を出し、役目を果たしたい。
( 2015年3月 三味線草 )

人生という電車に皆乗っている。
明日の行き先も知らない。 
不安もあるが安穏としている。
皆で乗っているからだろうか。
所詮知ることはできないからか。

まもなく行き着く年齢になってきた。
終焉は肝心である。
することをして自然体で
待つより仕方あるまい。
 
   ( 2015年2月 法連草の章 )

人はうわさ話が好きなものである。
寒い冬などは何もできなくて
よりそんな話に熱心になる。
小人閑居して・・・である。

寒い、寒いと言っていた冬も
日増しに暖かくなっていく。忙しくなる。
うわさ話どころではなくなる。
もうまもなく終わるだろう。
  ( 2015年1月 竜の鬚の章 )

広々とした野原を歩き、空を仰ぎ、
自然を観察する。当然体に良い。
また、気持ちも晴れやかになる。
少し若返った気分にもなるだろう。

これはウォーキング愛好家の
私だけのことではないでしょう。
春はもう遠くない。
これからの人は準備を始めよう。 
 ( 2014年12月 覇王樹の章 )

夢のない未来は生きた屍である。
夢を持って生き生きと生きていこう。
夢を持つ人の話を聞くのも楽しい。
そんな人のところへ人は集まる。

何歳になっても夢を大いに語ろう。
歳にひるむことはない。
それが生きているあかしである。
有言実行と言うこともある。
その心意気で行こう。
 
   ( 2014年11月 蜜柑の章 )

先日兵庫県の余部へ行った。昭和61年
12月に鉄橋から列車が落ちた現場である。
落下後にも行った。そして今回である。
鉄橋は新しく建設され、以前のものが
記念と見学用に残されたいた。

惨劇を乗り越え、今人を迎えている。
惨劇は乗り越えねばならない。
東北も早く乗り越えて欲しいものだ。
 ( 2014年10月 杜鵑草の章 )

柿が色づいてきた。まだ青いものもあるし、
もう熟れすぎて落ちそうなものもある。
同じ木にありながら色は様々である。

そんな柿を見上げて、人生を思う。
同じ社会にありながら人生も様々である。
そんな人生も晩年に入ってきた。
明日はどうなるのだろう。
この晩年の過ごし方こそ様々である。
正念場はこれからである。
 
 ( 2014年9月 科の木の章 )

新しい発見をしたとき、心はときめく。
自然気持ちも若がえる。
発見にはいつもを少し変えることである。
それは何でも良い。道を少し変える。
電車を変える。時間を変える。

老いてきた身にはより必要である。
発見を求めを旅を続けて、身も心も
若くなる。楽しいな!嬉しいな!
 
   ( 2014年8月  花梨の章 )

胸に響く良い話を聞くのは、楽しい。
そんな話を集めるのは更に楽しい。

そんな話を集め、コメントを付けた
「話・話」がまもなく2000話になる。
どこまで行けるのだろうか。
こうして老いを行けるのは嬉しい。
健康に留意し、惚けないようにして
書く意欲を保ち、命果てるまで。
( 2014年7月   山法師の章 )

人生はなかなか思うようにはいかない。
あきらめるのが良い場合もあるし、
リベンジを果たすのが良い場合もある。
リベンジを果たせるものは果たしたい。
それまでは死ねない、長らえたい。

先日天候の都合で、外国旅行が突然
中止になった。人生の損をした気分である。
次の機会を是非見つけたい。
こんな程度のことで壮大な句を詠んだ。 
 
  ( 2014年6月  菩提樹の章 )

この6月で一宮友歩会は例会50回を達成。
その記録誌の中で100回を目指すと書いた。
達成の頃には75歳を越えているはず。
そのためには健康ばかりでなく、体力、
意欲も備わっていなければならない。
宣言したからには一筋に進むだけである。

奇しくも川柳連れ連れ草は150号であった。
当面こちらはどこに目標を定めようか。
こちらは参加の皆さん次第である。 
   ( 2014年5月 水芭蕉の章 )

古稀と言われるような歳になると
元気さや意欲を保つのは
なかなか大変になる。
そんな時にすがすがしい青い空は
大いに英気を与えてくれる。
青い空は病も癒してくれる。

そんな青い空を人類は濁していく。
取り返すが着かなくなる前に
人間の英知を結集したいものだ。
( 2014年4月  藤の章 )

電話は便利なものである。しかし、
時にはとんでもないことを伝えてくる。 
深夜や朝早い時の電話は用心である。
その電話で予定がすべて狂うこともある。
狂う時はほとんどが悪い話である。
人生ままならぬと思っていた方がいい。

ままならぬことが最近続いた。
ままならぬから人生面白いのだが、
そうはなかなか言えぬものである。
 
( 2014年3月   葉蘭の章 )

地域の大きな役目を終えた。
安堵すると共に時間に余裕ができる。
このまま静かに過ごせる性格ではない。
走れる間は走り続けたい。

次のステップを描かねばならない。
任期中できなかった外国旅行などを
楽しみながら、少しずつ始めていきたい。
余裕のある人生の始まりである
 
  ( 2014年2月  胡蝶蘭の章 )

厳しかった冬も終わりまもなく春だ。
春になれば草木も芽を出し、花を咲かす。
そして人も活発になっていく。

4月になれば新年度だ。
新しい生活が始める人も多かろう。
その前に障害になることは取り除こう。
歯の治療もしておこう。
いつまでも明るい気分で、
 楽しくものに望んでいきたい。
( 2014年1月 犬柘植の章 )

人ごとと思っていたが、
今年古稀と言われて驚いた。
こうなれば喜寿はもう視野の中である。
歌って楽しく過ごしてそれを目指そう。

その後の米寿にはもう一息あるが、
困難も待ち受けていようが、
健康に気をつけながら
明るく過ごせば無理とも言えまい。
どこまで行き着くか楽しみである。 
 
  ( 2013年12月 犬槇の章 )

町会長の今年は毎日のように
用事があり、電話も入ってくる。
寒くなったと思ったらもう雪である。
今夜はどんな電話があるだろうか。
 
今年は町会長の役目を第1にし、
多くの私用を控えてきた。
それでもいろいろあったなー。
総じて良いことが多かった気がする。
悪いことは忘れたのかも知れない。
   ( 2013年11月 白銀葦の章 )

本当に物忘れが激しくなった。
気づいてあわてることも度々だ。
秋はよりそんな思いを抱かせる。

秋はいい季節だがすぐに寒い。
もの憂くなる。黄昏である。
人生はもう晩秋、いや、もう冬に
入っているかも知れない。
でも、それにめげてはおられない。
清涼の秋を生き抜こう。
 ( 2013年10月  大紅蓼の章 )

  終戦後の困難な時期を乗り越え、平和で豊かな日本になった。最近はそれが続き、平和に慣れすぎた日本。ものは溢れ、それでもこれでもか、これでもかと押しつける。そうしないと経済の現状が維持できない。これをどこまで続けるのか、どこまで続くのか。色いろいろで全く困惑する。「見ざる、言わざる、聞かざる」もまた一つの知恵かも知れない。
 
   ( 2013年9月 蔓紫の章 )

旅は良いものである。
行く前は期待感があり、行って楽しみ、
帰って人に話して思い出す。

今年は全く控えているので寂しい。
しかし、先日は久しぶり2泊3日の
老人会の旅行を楽しんだ。
観て食べて飲み話し、更に歌い。
町会長職が終わるのが待ち遠しい。
 ( 2013年8月  蒲の章 )

鵜飼の鵜にされ脚光を浴びるのは
沢山の鵜の中で、希有な鵜です。
さてこれは幸せなことでしょうか、
それとも不幸せなことでしょうか。

これは人間社会にも多く見られます。
マスメディアなどその代表でしょう。
でも、幸せとつながるとは限りません。
影に隠れた大きな幸せもあります。
見かけに囚われないようにしたいものです。
 
( 2013年7月 半夏生の章 )

7月の参議院選挙で立会人を勤めた。
鉛筆を持ってから動かない人も多い。
ここに来てから考えているのだろうか。
ここに来てまだ迷っているのだろうか。

様々な事項があるのだ。
一人の人と全く一致することはない。
それを一人の人に託すのは難しい。
 迷って揺らいで当然である。
私も大いに揺らいだ。
 
  ( 2013年6月  風車の章 )

緑緑した樹林の中に身をおけば、
目に優しく、香りもよく、
時には鳥のさえずりも聞こえる
ささくれた気持ちも次第に収まってくる。
まさにこんな日は癒やしの日である。

緑とはこれ程に素晴らしい。
こんな日を時には持ち、
明日に向かう鋭気を養いたいものだ。
生きている限り明日をめざすのである
 ( 2013年5月  甘野老の章 )

人間の心はなかなか一定していない。
喜怒哀楽、ころころと変わる。
平生強気の人も時には弱気となる。
でも弱気は損気である。

人生より積極的に生きたいと思う。
今日の弱気も、明日には乗り越えたい。
一晩寝れば、乗り越えられるだろう。
人生残り少なくなってよりそう思う。
 
   ( 2013年4月 紫丁香花の章 )

  今まで家にかかってくる電話のほとんどは妻の用件であった。だから妻が取っていた。
 ところが町会長になったとたん、かかる電話は圧倒的に僕の用件が多くなった。僕が取った方が都合がよくなった。電話取る役目は自然僕になった。
 これからどんな役目が僕に変わっていくのだろうか。食事や洗濯も僕に変わらなければいいが・・・・。これ以上妻を楽にさせてならない。
   ( 2013年3月  仏の座の章 )

目、耳・・・・何となく不調を感じてくる。
原因を問えば加齢と言われる。
先日生まれて初めて手術を受けた。
ヘルニアである。これも加齢という。

60代後半ともなればもう高齢者、
加齢と言われても仕方ない。
でもまだまだ元気、若いと思っている。
加齢と言われて疑心暗鬼である。
納得も半分ほどである。
( 2013年2月 大 根 の 章 ) 

何ごとも正面からぶつかれば
困難や苦労は多い。精力もいる。
それを避けて隅や脇道をコソコソ歩く。
なぜ正々堂々と事に当たらないのか、
楽ではあるが、そんな自分に嫌気がさす。

自分の人生はどうだったのか、
いろいろなことが浮かぶ。
少しでも悔いの少ない人生で終えたい。
 
  ( 2013年1月  藪柑子の章 )

今日は冷たい風だった。
明日はきっと良い風が吹くだろう。
それを信じて明日を待とう。

こうして幾十年を過ごしてきた。
 明日が信じられる時もあったし、
信じられない時もあった。
しかし、今こうしておられるのは
良い風が多かったのだ。
 (2012年12月 於多福南天の章)

70歳を古来稀なりといって、それが
相応しかったのはかなり昔のこと。
今や90歳、いや、100歳であろうか。

若年層減少時代、60歳、70歳代を
老後老後などといわず、
若い若いといって上手に使わねば。
多くの人はそれを願っている。

私も思案のしどころにいる。
 
 ( 2012年11月  初雪草の章 )

今年の紅葉はどこも見事、綺麗だった。
しかし、木枯らしが吹くと一瞬にして
散ってしまう。紅葉の命は短い。

紅葉になる木(落葉樹)は春夏秋冬、
様々な姿を見せてくれる。
その姿を味わう機会を持ちたいものだ。
その機会のひとつはウォークである。
「歴史を訪ね、自然に触れ、友と語らう」
ウォークの行事に参加すれば
その機会は自ずと訪れる。 
 
   ( 2012年10月  秋海棠の章 )

よほどの不幸がない限り足は生涯ある。
あっても弱って歩けないかも知れない。
生涯丈夫な足を持って歩きたい。
いろいろな事情でウォークの行事に
参加できなくなるかも知れない。
でもいつまでも参加できる生活でいたい。

丈夫な足と歩ける境遇、
共に願うのは欲深いだろうか。
まずは一宮友歩会の例会を
1年でも1回でも多く行いたい。
 ( 2012年9月  柳蘭の章 )

街行く人を観察していると
前屈みの人が多い。
そうした中で背筋をシャンと伸ばし、
颯爽と歩く姿はすがすがしい。
つい目が行く、つい見とれる。

着飾るより化粧に力を入れるより
まず姿勢に気をつけたいものだ。
いくつになっても背筋を意識していこう。
 
   ( 2012年8月   栗の章 )

チベットへ行ってきました。
五体投地をする人々を見てきました。
一心不乱に何万回と繰り返すのです。
これは信仰のなせる技でしょうか。
この意志は私にはありません。
ただ黙ってみるだけでした。
チベット人は信仰に支えられ、
心穏やかであるという。
信じるものは強し、まさにその感です。
最後、私は何を信じ頼るのであろうか。
   ( 2012年7月  玉蜀黍の章 )

壱岐の島の猿岩へ行った。
目に入った瞬間「おおっ」と唸った。
獅子岩とか亀岩とか○○岩と名付
けられた岩は多く見てきたが、
この猿岩はその中でも絶品である。
大猿が海を眺めているこの造形は
自然の機知や奇智であろうか。
ただじっと見とれたのである。

いろいろな意味で自然は侮れない。
( 2012年6月  人参の章 )

「1年の計は元旦にあり」
人は新年を迎え、いろいろ計画を立て、
決意をする。良いことである。
しかし、「三日坊主」で終わるものも、
 更に半年も立てばその計画の
成り行きも見えてくる。
多くは目標にほど遠い。
ここで諦めるのか、もう一鞭当てるのか、
決意が揺らぐ6月である。
今年も繰り返している。
 
   ( 2012年5月  花桃の章 )

名古屋番割観音講なるものに参加した。
声を合わせ般若心経を唱えるが、
信心、悲しみを癒やす、健康のため、
参加した人の想いは様々である。

協力し合ってしている何事も想いは
様々であるのはこれと同じである。
それでうまくいっているのである。
川柳連れ連れ草もまた同じである。
 ( 2012年4月  蓮華草の章 )

ハワイへ行ってきました。
ワイキキの浜辺がコースにない。
ワイキキの浜辺を歩かずして、
ハワイへ行ってきたとは言えない。
時間を見つけて歩きに行きました。

物事には肝心要の部分がある。
その部分を見逃さないように、
取り違えないようにしたい。
 
 ( 2012年3月  棕櫚の章 )

今年の春は何とゆっくりしたことでしょう。
もう十分に右を見て左を見て
慎重の上に慎重を期したことでしょう。

今の日本を見ると不安ばかりで、
皆が春を待ち焦がれているのです。
何事にも時というものがあります。
時を失するとありがたみも消えます。
早くやってきて皆を安心させて下さい。
 
  ( 2012年2月  桜草の章 )

人生ひたすら実直、愚直も良かろうが、
 時には酔狂、羽目を外すも良かろう。

私が花を買う、それも妻に買う。
これはもう酔狂以外の何物でもない。
それを今年の2月14日にしたのだ。

それから夫婦の雰囲気がかなり変わった。
時には酔狂も良いものだ。
 ( 2012年1月   竹の章 )

いい話は少なくなった気もするが、
探せばまだまだ見つかる。
いい話は気持ちを温かくするし、
広めれば実行する人もあろう。
「伝えたい話・残したい話」は
そんな思いで続けている。

そして我が身を振り返るのである。
足りない点、反省すべき点に気づく。
1番恩恵を受けているのは私であろう。
 
  (2011年12月 常磐山査子の章)

窓を開ければ良いもの悪いもの、
いろいろなものが見えてくる。

特に心の窓は大切だ。
見たいものだけを見る、
これでは行き先を間違える。
自分自身を見極めて
この先を進みたいものだ。 
   ( 2011年11月   真弓の章 )

十数年ぶりにマラソン大会に参加した。
距離は短かくてもマラソンは辛い。
今何分、後どれだけとそのことばかり
考えていると、辛さはさらに募る。

そんな時、全く別事を考えていると、
知らぬ間にゴールは近づいている。
ものごとにはいろいろな対応の仕方がある。
真正面から取り組むだけがすべてではない。
その時その時にあった手法を考えよう。
( 2001年10月 秋明菊の章 ) 

あれほど暑かった夏も過ぎると、
寒さ厳しい冬はすぐに来る。
その間に挟まれた秋は短い。

日々の生活も次から次へと
振り回されなかなか平穏と行かない。
それだけに意識しないと秋は味わえない。
その時は今だ。
ゆっくり秋を味わおう。
 
( 2011年9月   初雪葛の章 )

今年の9月は台風に2度も大騒ぎをした。
台風はいろいろ吹き飛ばしていく。
気力も吹き飛ばされた。
吹き飛ばされた気力の回復は難しい。

人生は何事も気力である。
しぼんだ気力に豊かな人生はない。
回復のきっかけをつかまねばならない。
まずは人生を冷静に見ることであろう。
( 2011年8月  百日草の章 )

「一病息災」という言葉がある。
一つ位の持病を持つと健康に注意し、
返って長生きできるという言葉である。

小さな病で病院へ行くようになると
少しの変調を感じるとすぐに医師に話し、
大事になる前に治療が受けられる。
私は今内科、歯科、泌尿器科などに
数ヶ月毎に行く羽目になっている。
これで大病が防げれば幸いである。
( 2011年7月    鋸草の章 )

どうして蝉の鳴き声でカレーになるのか?
これには人それぞれ、家庭それぞれの
歴史や思いがある。
こんなことを詠うのが川柳である。

万人が認める当たり前のことは
何の感慨も感動も起こさせない。
人それぞれの思いを詠う、
ここに川柳の醍醐味がある。
( 2011年6月  金宝樹の章 )

天候の人に及ぼす影響は大きい。
特に旅行ではてきめんである。
良い企画も天候が悪ければ台無しだし、
良ければ少々の不満は忘れてしまう。

これだけ大きな影響のあることに
人知が及ばない。自然を前に
人間の力はそんな程度のものだ。

何事も冷静に受けとめたいものだ。
( 2011年5月    空木の章 )

後悔が反省となり、次につながれば
後悔にも意味がある。
しかし、後悔が単なる後悔で、悔やんで
いるばかりでは時間の浪費である。
人間、終焉に近づけば、その余裕はない。

つい先日、親しい人が62歳で亡くなった。
過ぎたことは過ぎたこと、
私に後悔をしている時間はありません。
今が本番、そのうちはもうない。
( 2011年4月  金盞花の章 )

日本ではいろいろなことが始まるのは
新年の1月より新年度の4月と言えよう。
入学式、入社式・・・各種役員等の
交替もこの4月であろう。
勤務が週3日になり、筋トレを始めた。
地元役員も回ってきた。
良いこと、悪いこと、次から次へと
いろいろなことが起こる4月。
もう少し落ち着いた風が吹くのは
いつからであろうか。
( 2011年3月  日向水木の章 )

人間というのは辛いもの、
弱い部分は何とか補おうとする。
何かしていないと落ち着かない。
効果がないと分かっていても、
他に方法がなければ続ける。

薬やサプリメントを飲み続けるのも
そんなことであろうか。
弱さを知ることも必要であるし、
賢明な判断も必要である。
( 2011年2月   蘇鉄の章 )

暇な時間があれば、暇をもてあますなら、
ウォークに行けばいい。
ウォークは歴史を訪ね、自然に触れ、
全く素晴らしいものである。

孫を連れて行けばより楽しいものになる。
孫にも素晴らしい学びの時間となる。
ウォーク万歳である。
( 2011年1月     松の章 )

夫婦と言えども別別の人格、
一緒に歩むことはなかなか難しい。
しかし、一緒に歩めば安堵感が
生まれる。安らぎの場ともなる。

一段ずつ階段を登るように
確かな夫婦仲を築かねばならない。
それでこそ夫婦になった意味がある。
人生終焉に近づくほど
この安堵感は大切である。
( 2010年12月   柊の章 )

仕事を離れ好きなことができるのは
いいものである。
しかし、静養のための休みと
いうのは困ったものである。

特にウォーキングや外に出たい
人には全く辛い。
静養などいう言葉が不要な
日々を過ごしたいものだ。

( 2010年11月  黄花秋桜の章 )

8日間のイタリア旅行を楽しんだ。
雨は行った日から晴れ上がった。
そして、滞在中は好天が続いた。
帰る日からまた雨となった。
旅行の良し悪しは天候に大きく負う。
大きな幸運であった。
この幸運を持ち帰らねばならない。

帰国後体調不良が続いたことを思うと
幸運を使い果たした気もする。
( 2010年10月   臭木の章 )

人が集まっている。大したことはないと
思いながらも無視して通り過ごせない。
覗き込まないと何か損した気分や
取り残された気分になる。
そして大方は想像通り
どちらでも良いことである。

いつまでたっても泰然自若、
我が道を行くとはならないものだ。
そうして人生の終焉に近づくのである。
( 2010年9月   藪茗荷の章 )

食欲の秋、素材もいろいろ、
煮たり焼いたり蒸したり
いろいろ試して味わう。
失敗もあるが思わぬ発見もある。
何事も決めつけぬ方がいい。

決めつけると可能性が狭まる。
人生のことも全く同じである。
過ごしやすい秋になった。
試行錯誤、いろいろ挑戦して
新しい自分を見つけていこう。
( 2010年8月   夏水仙の章 )

今年の暑さには閉口です。
猛暑日はどこまで続くのだろう。

身軽になった身に、今まで控えていた
少し長い旅を考えよう。
今から考えれば時期は秋だろう。
どんな風景を見、どんな旅になるだろう。

そんなことを考えて猛暑を逃げる、
これも避暑のひとつの方法だ。
( 2010年7月   紫露草の章 )

人の死は家族にとっては一生の一大事、
時によっては残された人の人生を
左右するほどに大きな悲しみの時もある。

しかし、聴診器には1つの作業である。
機械的に無造作に死を告げる。
医者も感情移入ばかりしておられない。

人の死は、生前の関係者で厳かに
葬り、偲び、生きる糧とするのである。
( 2010年6月   薔薇の章 )

検査入院をした。
検査前から点滴が始まった。
検査の結果によって生活が大きく変わる。
今までの生活を続けることができるのか、
入院手術などで生活が全く変わるのか、
この点滴が新たなドラマの開始であった。

結果は異常なしであった。
ひとまず安心を得た。
( 2010年5月   浮釣木の章 )

青葉若葉には若さを感じすがすがしい。
昔の自分にもそんなものがあった。
しかし、今の老いた身には眩しすぎる。
でも、眩しすぎると避けていてはいけない。
心がけ次第ではその若さを維持できるし、
力をもらうこともできる。

その心がけとは・・・心身の健康・・・
謙虚な姿勢・・・意欲・・・好奇心・・・
( 2010年4月  梅 の 章 )

できる時には鳥や木はもちろん、
その他も素材になってしまう。
できない時には素材になりやすい
鳥や木を見ても何も浮かばない。
ただ苦闘が滲むばかりである。

この楽しみと苦しみを繰り返して、
長い歴史ができる。今日は鳥も
木も素材に見えて上々のようだ。
( 2010年3月  紫花菜の章 )

寒い冬を耐えに耐えてきた。
待ちこがれていた春がそこまできた。
サアこれからだ、ボクも動き出そう。

耐えた分、期待も大きいのである。
しかし、いい時期は短い。
高齢になると更に短いのである。

そのうちはもうない。
機を逃さないように過ごしたい。
( 2010年2月  冬牡丹の章 )

旅は未知のことを知る楽しみと共に、
不安もいっぱいである。
そんな旅先で知人に偶然会う。
出会っただけでもホッとするが、
旅慣れた人なら頼もしくもなる。

今まで懇意にしていなくても、
こんな機会に一度に親しくなる。
若い男女なら恋も芽生える。
旅は不思議な力があるものだ。
( 2010年1月    紅要黐の章 )

人間生まれて出でてから現在まで、
苦も楽も、いろいろな経験してきた。
その苦労や努力が報われたこともり、
徒労に帰したこともあろう。
現在あるのは今までの集積である。

といっても何も人間結果がすべてではない。
経過が大切である。
いろいろな山に登ったことを喜ぼう。
そして、現在があることに感謝をしよう。

川柳&ウォーク