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( 2009年12月   風船唐綿の章 )

やろうやろうと思っていた庭そうじ、
言っている間に雪が降ってしまった。
綺麗な雪だるまも作れない。
当分汚れた庭を見なければならない。
えらい誤算だ。

何事も気づいたときにすることが肝要。
先延ばしは後悔のもとだ。
先の短い人類はなおさらだ。
( 2009年11月   七変化の章 )

思わぬことで風邪を引いた。
静かにしていようと推理小説を読む。
読むほどに熱中してしまう。
気づくと咳もしていない。
熱中すると咳も出ないのだ。

熱中する効果の大きさ、大切さを知る。
もっと意味のあることで熱中したいものだ。
( 2009年10月   酔芙蓉の章 )

旅は多くの人にとって大きな楽しみ、
その旅を何を基準して選ぶのか?
すでに行った所より、まずは行った
ことのない所を選ぶのではなかろうか。

一生に行ける所は大したことない。
人間未知の魅力に引かれることは多い。
この好奇心は大切だ。
今回の旅もそんな気持ちで選んだ。
( 2009年9月   竜胆の章 )

いくつになっても悟ることはできず、
凡人なりの気がかりに患わされる。
いつ何事があるか分からぬ年齢。
気がかりは早めに頭から消し、
身軽にしておくことが賢明。

それには遺書を書くのもひとつの
方法だろう。文書にするだけでもよい。
書いたら安心して忘れてもいい。
葬儀の方法も書かねばならぬ。
( 2009年8月   女郎花の章 )

義母が8月早々老衰で亡くなった。
弱った身体に夏は応えるもの、
まさに眠るように命が果てた。

老衰というのは全く自然な、
人間として最もそう有りたい
終焉の仕方ではなかろうか。
夏の空のようにどこまでも清々しく、
人生の最後の勲章である。
( 2009年7月   南京櫨の章 )

酔いに任せて、調子の良い約束を
してしまう。醒めて後悔が始まる。
こんな愚かを何回すれば終わるのか。

してしまった約束は、酒の上といえども
守らねば男がすたる。
後悔しながらも約束を果たす。
それで一歩前進することもある。

いろいろ使いようだが、危うい行為だ。
( 2009年6月    十薬の章 )

優しく見つめられて有頂天となり、
厳しく見つめられて悲嘆に陥る。
本当に薬と毒を併せ持っている目だ。
こんなにボクの気持ちを揺さぶる
君の目は本当に憎らしい。

でも逃れられない。
優しさを求めて追い続ける。
こんな想いはいつの頃だったろうか。
あの頃が懐かしい。
( 2009年5月  芝桜の章)

どんなものでも畑に蒔いたり
埋めたりしておけば知らぬ間に
芽を出し、成長している。
そのものの生命力もあるだろうが、
それを助ける畑があってこそである。
畑の育成力は素晴らしい。
愛も育てる媒体があってこそである。
まずは愛を埋め、そして回りの助力を信じ、
時期を待つのである。
いつか実るのである。
( 2009年4月  片栗の章 )

どんな気分の時も花を見れば、
大方の人の気分は上向く。
特に沈んだときにその効用は大きい。
私も花作りに精を出している。
見にも出かける。豊かな気分になる。

人間の一生は花のある風景を
求める旅なのだ。
その花が、仕事や家族に
形を変える場合もある。
( 2009年3月 山茱萸の章 )

工事中である。迂回路が示されている。
予定していた通りに進めず、苦々しい。
でも、皆のためにされているのである。
炎天の中、寒い中ご苦労様。

迂回路を行く。桜が咲いている。
新しい家ができた。美しい人にあった。  
いつもと違う道に新たな発見がある。
感謝する人に幸運は来る。
( 2009年2月   金柑の章 )

遠くから眺めている分には美しいが、
近くに寄ってみたら幻滅というものも多い。
富士山などはその代表だろう。
人間にも往々にあることだ。
自分もそんな思いを与えてこなかったか。

人間老いれば外見を美しく
保つのさえ難しくなる。
その分、内面をより磨いて辻褄を
合わせて行かねばなるまい。
( 2009年1月   砂糖黍の章 )

タイムスリップして、どこから
やり直してもいいと言われたら・・・・。
中学時代なら、又高校、大学受験を、
就職も結婚もどうなるだろう。
これからの社会や、地球環境を思うと
不安だらけである。
どこへ戻ろうか、決断がつかない。

苦労もほどほどにあったが、
意外に良かった人生ではなかろうか。
( 2008年12月   八手の章 )

1日に疲れ、1日が終わった。
そして見ると夕焼けである。
きれいで壮大で私を大きく包んでくれる。
幸せを感じる。
この幸せな気分で明日を迎えよう。
更に幸せが発展するように。

新しい年が始まった。
社会は変動し、様々な困難もあるだろう。
でも気持ちは前向きに行きたいものだ。
( 2008年11月   公孫樹の章 )

見事に美しかった紅葉も、時が来れば、
それも落ち、側溝や隅にかたまり、
地面に張りついて醜くなる。
その後始末をしなければならない。
でも不平は言うまい。
十分に楽しみ、喜びを与えてくれたのだ。

生きるものすべてに生病老死がある。
楽しむだけはですまないのが人生だ。
素直に受け入れよう。
( 2008年10月   芙蓉の章 )

夫婦での旅行はできそうでできない。
仕事や家庭の事情、それぞれの都合が
そろわない、許さない。
嵐を控えながらも、今の我が夫婦は
それがしやすい環境。

旅は学習の場であり、大きな癒しの場。
出かけられるときに出かけよう。
据え膳があればいいと言う妻を相手に、
次はどこへ出かけよう。
( 2008年9月   韮の章 )

あれほど暑かった夏も終わり、
秋が感じられるようになった。
まだまだ日本の四季は豊かである。
さわやかな風を感じるウォーキングも良し、
また夏できなかった夢を追うも良かろう。

はたまた、旅に出るも、孫と遊ぶも、
本を読むも、川柳を作るも・・・・
秋は最適、秋は短し。
(2008年8月    苦瓜の章)

人間は旬の野菜を採ることが大切である。
夏にはナス、ピーマン、キュウリ、
ゴーヤ等、野菜がたっぷりである。
そして、生物すべてに寿命があるように、
夏野菜もその使命を終えると絶えていく。

それを見ると、あれほど暑かった
今年の夏も晩夏を感じるのである。
人間の移ろいもまさに同じである。
(2008年7月   無花果の章)

温暖化を実感する今年の夏の暑さ、
この暑さにストレスは増殖する。
そんな時、さっと一吹き風が流れる。
この心地よさ、ストレスも一瞬忘れる。
風がストレスを持っていってくれたのだ。

厳しさの中の一瞬の優しさ、
よりありがたく感じる。
人生すべてに通じることである。
(2008年6月    人参の章)

2011年のデジタル放送切り替わりにより、
新たな電波塔が建てられ、今の
名古屋テレビ塔は第一の役目を終える。
しかし、かつての名古屋名物である。
まだ余命はある。これからどう活用するか、
新たな役目を見いだして欲しい。
人間も同じ運命、余命をどう生きるか、
現役時代より重要なことに思われる。
(2008年5月    連翹の章)

威勢のよかったトドマツ林も地形の
変化により、枯れ木となり朽ちていく。
何とも荒涼とした風景である。
人生もまたこのごとし。
いや、このまま環境破壊が進むと
人類の終末の姿であろうか。


*トドワラとは、砂嘴の上のトドマツ林が
枯木群に変化したもの。
北海道野付半島に見られる。
(2008年4月    花蘇芳の章)

ボクにとって車中は絶好の読書場所に
なっている。意外に集中できるのである。
しかし、春はこの場所でも
快さに惰眠に落ちてしまう。
自宅にいるときならなおさらである。
これは至福の時間である。
人生に必要な時間である。
惰眠というと、何か後ろめたい気がする。
福眠、要眠などと言うのはどうだろうか。
(2008年3月   柊南天の章)

もうぼちぼちかなと思っていた桜が、
暖かさにつられていっせいに開いた。
寒々とした街がいっぺんに明るく、
にぎやかになった。

人の口も軽くなる。
あちこちで話の花が咲く。
こんな時期を満喫した。
花の命は短い。
(2008年2月    花月の章)

駅には出会いや別れ、いろいろな
思い出があるものである。
その駅も最近は自動改札機の設置など、
新しく改造されることが多くなっている。
便利になり嬉しいことではあるが、
同時に思い出も消えてしまって
寂しい思いをすることも多い。
あれもこれもというわけには
行かないものである。
人生すべてのことに言えそうである。
(2008年1月   柚子の章)

まだまだ寒い日が続く。
でも原っぱで蕗の薹を見つけた。
春の近いことを感じる。
忍び寄る春が逃げないように
息をひそめてじっと見る。

季節は巡りめくもの、冬の次は春だ。
同じようだが少しずつ形を変えて来る。
生活も人生も自然も少しづつ良い方に
変わって欲しいものだが・・・・。
(2007年12月   万年青の章)

鳥用に残り20個ばかりになった柿を
そのまま柿の木に残しておいた。
それをめざして数羽の椋鳥が
毎日やって来た。
上手についばむ姿を見るのは、楽しい。
それも後一つになった。
この後どうなるのであろう。

ボクに残された柿は後いくつあるのだろう。
(2007年11月   千日紅の章)

優勝にもスポーツや学問いろいろあり、
いろいろな涙がある。
しかし、今年の中京地区の人にとって、
優勝の涙は何と言っても中日ドラゴンズの
日本シリーズ優勝であろう。
53年ぶりである。
ファンにとっては涙が出るというものだ。
良い秋だった。
もう何回嬉し涙を流せるのだろう。
(2007年10月    柿の章)

流れ星は美しい。その先にあるのは何か。
「流れ星が消えないうちに願い事を3回唱え
ると願いがかなう」という言い伝えがある。
期待したいのが人情である。
3回唱えるのはなかなか難しいが、
1回でもその効果は期待したい。

星空は街の明るさや空気の
汚れで見えににくなった。
きれいな星空を取り戻したいものだ。
(2007年9月   藪蘭の章)

「傷口は気にすると大きくなる」
と逆のことも言える。
人間心身とも、傷口を気にし始めると
もうどうしようもない。
そしてますます傷口は大きくなる。

人間には自然治癒力がある。
すべてのことは時間が解決する、
と開き直って気にしないと、
自然小さくなり、そのうち治っている。
(2007年8月   鬼灯の章)

今年の夏は過去の最高気温を更新する
地域が続出した。全く暑い夏であった。

暑い日は少し動いてもしゃべっても
ますます暑く感じられる。
こんな時は、一人静かに思いにふけり、
黙って考える。これも1つの避暑法である。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」である。
大の字になって沈思黙考、
これも1つの至福の時間である。
(2007年7月   茄子の章)

人生最後のつもりで自宅改装した。
書斎兼居間も装い新たとなった。
新しい部屋に気分も新たになる。
今まで音楽をかけることも少なかったが、
BGMとしてかけてみる。
ミュ−ジックも新しい部屋のひとつの装いだ。
何かゆったりと快い気分になってくる。
当分部屋にいる時間が長くなりそうだ。
(2007年6月   下野の章)

雑草という名の草はないというが、
でも雑草といわれるものは全く強い。
取っても取って、生えてくる。
すべての生物の命はひとつだと思うが、
雑草についてはとてもそうとは思えない。
命がいくつあるのと聞いてみたくなる。

雑草のような強さが、現代っ子、
現代人には必要ではなかろうか。 
(2007年5月   睡蓮の章)

親であろうとだれであろうと、心の内まで
知られるのは嫌なものである。
特にお医者さんには、心細くなっている
気持ちを知られるのは、嫌である。
しかし、隠そうとすればするほど
鼓動は高鳴り読み取られるのである。

本当は心の内まで読み取ってもらって
治療してもらうのが良いのである。
開き直りも必要である。
(2007年4月   辛夷の章)

春は大変気持ちの良い季節であるが、
入学や入社、また退職と、新しい生活が
始まり、楽しみと共に、何かと
心不安定になる季節でもある。
精神安定剤が必要になるときもあろう。

精神の安定に役立つものもいろいろある。
写真のようなものが役立つ人もあろう。
それぞれの安定剤をうまく見つけ出し、
乗り切っていきたいものだ。
(2007年3月   豌豆の章)

雨降りは概して嫌なもの、その分、
雨上がりは空気もきれいになり、
風も爽やか、散歩もしたくなる。
ふとかたわらを見ると、
知らぬ間に花が咲いている。
慈雨を受け植物も一層生長する。

人間も苦しみを乗り越えて、
始めて成長するもの、
苦労の後の成長が楽しみである。
(2007年2月   梅の章)

「海は広いな、大きいな・・・・」
そんな海を見ていると、人間の小さな心も
広くなり、晴れ晴れとしてくる。

ストレスが溜まったら、下手なことを
考える前に海へ行こう。
足よ、そんな海を忘れないでくれ。

(2007年1月   姫橘の章)

良いこと、悪いこと、いろいろあって人生。
怒りたいときや泣きたいときもあろう。
でもいつまでも続くものではない。
今日と違った明日が来る。
嫌なことは、大きな声で笑ってやりすごそう。
そして良い明日を迎えよう。

今日良いからといって、
明日はどうなるか分からない、
そのことも忘れないように。
(2006年12月   楓の章)

濁った空からきれいな空気を
求めるのは難しい。
澄みきった空から清い風が
吹くのは至極当然である。

世の中のこと原因があって結果がある。
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」
元から正すことが肝心である。
(2006年11月  梅擬の章)

36年といえば、どんな人にしろ、
どんな事にしろ、いろいろな変遷がある。
それがどんな色にしろ、
歴史の重みがある。
それだけで尊いのである。
五色沼のように美しいのである。

ボクにとって36年は結婚生活である。
お互いほめたたえよう。
(2006年10月  金木犀の章)

空はどこまでも高く晴れ上がる。
こんな日は我が鬱々した
心も解き放たれる。
環境は人を左右する。

地球は我々世代だけのものではない。
澄んだ空や川、きれいな空気や街、
子孫に残していきたいものだ。
(2006年9月  蕎麦の章)

秋は旅、出かけるのに好都合の季節である。
サア、どこへ出かけようか・・・・。
以前なら人の話、広告紙などであろうが、
今はインターネットである。
キーボードを叩いて調べる。
行き先もホテル予約も、列車の時刻も。

確かに便利になった。
さて、その便利さに落とし穴はないだろうか。
(2006年8月  風船蔓の章)

人生泣いたり笑ったり、
いろいろなドラマがある。
しかし、多くは家族の愛、絆によって
めでたく終演となる。

富を得ようと、名声を得ようと、
家族がバラバラ、冷え切っていては
本当の幸せは得られない。
人生突き詰めていくと最後は家族である
ということをつくづく知るこのごろである。
(2006年7月  合歓木の章)

新しい人生だ!いちにっさん

二人三脚でいちにっさん

新しい靴を買っていちにっさん

いつまでも元気でいちにっさん

若さだ若さだ!いちにっさん
(2006年6月  馬鈴薯の章)

何年と続けてきた生活、習慣である。
退職したからと言って
急に変わるものではない。
もっとゆっくり寝ていてもいいものを、
同じ時間に起きている。
妻は不満顔である。

でも健康にはこれでいいのだ。
妻にかまわず、早寝早起きだ。
(2006年5月   紫蘭の章)

伸びた枝がとなりの木に接して、
そのまま一体化してしまった夫婦杉。
そこから水分も養分も行き来する。
当然愛も行き来していることだろう。

屋久杉のすごさ、生命力に驚かされる。
これが本来の自然のなせる技なのだ。
(2006年4月   桜の章)

海は広いな大きいな・・・・・
穏やかな海の前に立つと
気持ちがおおらかに、素直になる。

そんな海の前に妻と立つ。
黙して語らず、お互い今までの
人生をふり返っているのだ。
かみしめているのは確かだ。

ボクの定年退職記念旅行に、
妻と八重山諸島の海を見た。
(2006年3月    猫柳の章)

消費社会に毒され、ついいろいろな
ものを買い、溜まってしまう。
思い切って捨てようと大掃除をするが、
つい未練があって残してしまう。
どこの家庭もこのくり返しであろう。

定年退職で38年の生活に別れを告げる。
これは最大の整理するチャンスである。
どこまで未練を断ち切れるか、
我ながら興味がある。
(2006年2月  青木の章)

この歳まで来ると数え切れないほどの
失敗、つまずきを重ね、そして、それらの
蹉跌にどのように対応したのか、
その結果としての今がある。
逆にささやかながらも成功や幸運もある。
その結果として今がある。

他人はつい別々に捉えがちであるが、
本人は総合的、肯定的に捉えたいものだ。
(2006年1月  篝火花の章)

ウォーキングに行きたし、
されど強い雨に足がためらっている。
ウォーキングは足がまず第一、
足に拒否されてはどうしようもない。
その足をなだめねばならない。

我が身ながら、それぞれの部位に
不利、有利があり
それをうまくまとめねば何事も進めぬ。
身の回りも同じである。

(2005年12月  枇杷の章)

風邪をひいて辛いときくらい、不要な
髭など伸びないでくれよといいたい。
しかし、そんなことお構いもなしに
いつもと同じように伸び、
ゴリゴリと剃って出かけねばならない。

そう都合良く行かないのが人生、
受け入れざるものは素直に受け入れ、
穏やかに生きていくのを善しとしよう。
(2005年11月  背高泡立草の章)

暑かった夏が過ぎ、過ごしやすい
季候になったなと思うまもなく、
寒くなる。本当に
過ごしやすい期間はわずかである。
その間にしておきたいことも多い。
秋が早足なら、僕らも歩幅を広げて
さっそうと歩こう。
そしてやることはやらねば。
人生の適期もまたそんなものである。
(2005年10月  紫式部の章)

旅に出る魅力に、日常から離れ、
旅情を感じることも一つ。
車窓からの景色にふと
いろいろな思いにかられる。
しかし、新幹線はそんな思いを
抱く間もなく目的地へ。
便利ではあるが、ゆとりがなくなり
失ったものも大きい。
(2005年9月   萩の章)

七転び八起きはだるまの得意ごと。
でも限度がある。
起きなければ転ばない、
もう起きることは止めだ。

夢を持ち続けることは重要だが、
見極めをつけることも重要だ。

ボクはもう定年だ。

(2005年8月  夾竹桃の章)

折角の休みも妻が出かけていては
どうにもならぬ、全く不便だ。
お茶も入らなければ、
時間つぶしにも困る。

仕方なくパソコンのキーを叩くが、
それが妻の代わりになるでもなし・・・・。

早く帰ってきてくれ!

(2005年7月  金糸梅の章)

さすが万博、素晴らしいパビリオン、
楽しいイベントに、
快い風に吹かれて1日を過ごす。


しかし、その後がいけない。
ドッと帰る人の渦に巻き込まれる。
いつまで待てばいいのか帰りの電車。
少し早めに帰るべきだった。
すべて満足は要注意!
何事も腹八分か・・・・。
   
(2005年6月  石榴の章)

変化球を投げて相手を惑わせる
つもりであったが、何ととんでもない
球に自失茫然、自分を見失う。
よくあることである。

まあ、世の中の多くのことは直球勝負、
変な小細工はせずに、正々堂々と行こう。

真心は天に通じる。

(2005年5月  小手毬の章)

そうなのだ、幸せの根源は
母の温もりなのだ。
自分の回りをじっと見回したら
逝った今もあそこにもここにも残っていた。
産んでくれてありがとう。
いつまでも温もりを送ってくれてありがとう。
私幸せです。子や孫にも伝えます。
(2005年4月   馬酔木の章)

ふと目を上げたら目が合ってしまった。
これは何か縁があるからだ。
何かほほえんだ気がする。
この後どうしよう・・・じっと待つか・・・
男だから積極的に出るか・・・。
このチャンスを生かさない方法はない。

いくつになっても男は哀れなものである。
ただの偶然だけなのに。
(2005年3月  木瓜の章)

パソコンの知識も十分でないのに、
ボクには必要不可欠なものになってしまった。
それだけに少し思うようにならないと、
大慌てになってしまう。
特にインターネットが使えないと、
このホームページは更新できないし、
メールが気になって半狂乱になっていく。
厄介なものと縁ができてしまった。
しかし、全くありがたくも便利なものである。

(2005年2月  寒椿の章)

バレンタインデーは、たとえ義理
チョコでももう範疇外である。
それは認めているが、それでも
「今日はバレンタインデーだな」と
頭がよぎる。どこかにまだ少し
期待する気があったのであろう。
浅ましい意識である。

でも、きっぱりとできないところを
生きている証としておこう。

(2005年1月    万両の章)

昨日までと同じ朝日であるが、
なぜか元日の朝日には
神々しいものを感じてしまう。
つい、身を正して、手を合わせ、
そして、思ってもいなかった殊勝な
誓いをつぶやいてしまう。
3日も過ぎれば忘れてしまう
ことではあるが・・・・。

川柳&ウォーク