“ぼくは、ランドセルよりもリュックの方がいいと思っている。いつも背負うランドセルは重い。たしかにランドセルは頑丈だけど、値段はすごく高いという。それにくらべてリュックはものすごく軽い上、たくさんのものを入れることができ、値段もかなり安めだ。
ランドセルにはもちろん安全面や耐久性でリュックに勝るところはある。でも成長期のぽくたちがタブレットや教科書などが入った重たいものを背負うことで体を悪くしたら元も子もない。学校に行くときは絶対ランドセルでとは決めないで、時にリュックで登校することもできるようにしてほしいな。”(2月28日付け中日新聞)
名古屋市の小学生・三浦さん(男・11)の投稿文です。ボクは登下校の児童見守りに時折出かけている。小さな児童が、あんな大きなランドセルを背負って大変だろう、とまず思う。いつか持ち物が重くて歩けない、と言っていた児童がいた。ボクが皆で持ってあげて、と言ったらすぐに皆で分担していた。そして手を繋いで登校していった。皆優しいな、と思った。
今のランドセルの規制がどうなっているか知らないが、昔は華美になりがちなものに、そうならないように規制があった気がする。つい競争意識が働いて、ドンドン華美になって、そうできない人のための規制なら理解できる。三浦さんは、もっと安いリュックを許せ、と言っている。個性を重んじよ、と言っていながら逆のことが多い。
話は飛ぶが、夫婦別姓も同じである。世界の多くは別姓を認めているようだ。何も全員が別姓にせよ、と言っているわけではない。そうしたい人にはそれだけの理由があるのである。何もいつまでもこんな規制を強いる必要性がどこにあるのだろうか。時代はドンドン変わっている。