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第237号  2024年3月

 
 

(第3648話) リュック登校

2024年03月25日 | 意見

 “ぼくは、ランドセルよりもリュックの方がいいと思っている。いつも背負うランドセルは重い。たしかにランドセルは頑丈だけど、値段はすごく高いという。それにくらべてリュックはものすごく軽い上、たくさんのものを入れることができ、値段もかなり安めだ。
 ランドセルにはもちろん安全面や耐久性でリュックに勝るところはある。でも成長期のぽくたちがタブレットや教科書などが入った重たいものを背負うことで体を悪くしたら元も子もない。学校に行くときは絶対ランドセルでとは決めないで、時にリュックで登校することもできるようにしてほしいな。”(2月28日付け中日新聞)

 名古屋市の小学生・三浦さん(男・11)の投稿文です。ボクは登下校の児童見守りに時折出かけている。小さな児童が、あんな大きなランドセルを背負って大変だろう、とまず思う。いつか持ち物が重くて歩けない、と言っていた児童がいた。ボクが皆で持ってあげて、と言ったらすぐに皆で分担していた。そして手を繋いで登校していった。皆優しいな、と思った。
 今のランドセルの規制がどうなっているか知らないが、昔は華美になりがちなものに、そうならないように規制があった気がする。つい競争意識が働いて、ドンドン華美になって、そうできない人のための規制なら理解できる。三浦さんは、もっと安いリュックを許せ、と言っている。個性を重んじよ、と言っていながら逆のことが多い。
 話は飛ぶが、夫婦別姓も同じである。世界の多くは別姓を認めているようだ。何も全員が別姓にせよ、と言っているわけではない。そうしたい人にはそれだけの理由があるのである。何もいつまでもこんな規制を強いる必要性がどこにあるのだろうか。時代はドンドン変わっている。


(第3647話) 川辺の良さ

2024年03月23日 | 行動

 “弁当容器、ペットボトル、菓子袋・・・。近所の川辺のごみが気になって3年前からほぼ毎日のようにごみを拾っています。清掃を通じ、川辺は景観がとても良いことを再認識しました。春は桜、夏はユリ、秋は彼岸花、冬は水仙が咲き誇ります。さまざまな虫が集い、飛来する鳥の声も聞こえてきます。私が確認できただけでセミやコオロギ、カモ、サギ、カワウ、カワセミと実ににぎやか。季節の花々をはじめ鳥や虫に私は日々癒やされています。
 こんな都市部のオアシスが、人間によって捨てられたごみの数々に埋もれようとしています。四季を感じられる川辺を何としても守りたいとの一心で、私もごみ拾いに精が出ます。”(2月27日付け中日新聞)

 愛知県春日井市のパート・武藤さん(女・59)の投稿文です。町中や田畑をより、歩ける川辺があるのは本当にありがたいものです。ボクの近くにも川はあったのですが、とても歩ける状態ではなかった。もう5年以上になるでしょうか、そこを市が遊歩道にしてくれました。ボクは散歩ができるときはいつもその遊歩道を歩くことにしています。武藤さんが言われるように草花が咲き、魚が泳ぎ、鳥が遊んでいる。こんな様子を見るのは誰もが気持ちが良いだろう。ところがこの川もご多分に漏れず、ごみが散らかっています。武藤さんは一人でそのごみ拾いを始められた。それもほぼ毎日です。素晴らしいです、なかなかできることではありません。それも道路や広場でなく、川です。堤防を降りていくことも多いでしょう。歩くところはよくても、法面は草が茂っているでしょう。どうされているのだろうか。誰もが少しの気遣いでいい、そうしていきたいものです。それよりごみを落とさない、捨てないことがまず大切です。


(第3646話) クラス会

2024年03月21日 | 活動

 “昨年1月に逝った夫と私は定時制高校の同級生でした。夫は卒業式の直後、私も含めた皆の前で「自分が永久幹事をやるから、クラス会をやろう」と宣言しました。明るく、目立つ存在だった夫は会社員となり、その年の11月に最初のクラス会を開きました。私たちは卒業して1年半後に結婚し、3人の子どもに恵まれました。夫は自分の仕事がどんなに忙しいときもクラス会を2年ごとに開き続けました。2019年のクラス会を最後に、新型コロナウイルスの影響で開催がままならないまま夫は病気で亡くなりました。コロナ禍での葬儀ゆえ、級友と盛大に夫を送ることはできませんでした。
 級友4人が今年1月、わが家を訪ね、仏壇の前で手を合わせ卒業60周年を記念した最後のクラス会を5月に開くことを報告していました。天国にいる夫はきっと喜んでいるはずです。”(2月26日付け中日新聞)

 愛知県瀬戸市の加藤さん(女・79)の投稿文です。加藤さんのご主人は「自分が永久幹事をやるから、クラス会をやろう」と自ら宣言、それも卒業式直後である。そして続けてこられた。それも2年ごとに、立派なものである。それだけクラスに対する思いが深く、人望もあった。多くのクラスでクラス会は開かれていると思う、これだけの人はまずないだろう。
 実はボクもズッとクラス会、同窓会を開いてきた。ほとんどの人は小学校から中学校へ持ち上がっていくので、中学校を開けばほとんどの人が参加できる。調べてみると中学の同窓会は昭和58年2月が最初で、それまでは時折、平成11年からは毎年となり昨年までで25回を数えている。そして、中学校を替わっていった人もあるので、小学校は平成6年から隔年、令和2年まで開いていて、12回している。そして、令和2年で終わっているので、区切りとして来月4月に最後の小学校の同窓会を計画して、今参加連絡を待っているところである。ボクは宣言はしていないが、自然そのような形なって卒業以来、会長を引き受けている。ここでクラス会とは、同学年のクラス単位、同窓会とは同学年全員の会を指しています。小学校は1学年1クラスだったので、同窓会と呼んでいたし、中学校も1学年100人程度でしたので、全員の同窓会を開いてきました。田舎の小さな学校でした。


(第3645話) 食事中のテレビ

2024年03月19日 | 意見

 “私の家のルールは、食事中にテレビなどを見ないことです。私の家では何年も前からこのルールがありました。あまり気にしていなかったのですが、友達に朝のニュース番組を見ていると聞いてとてもうらやましくなりました。家に帰って母に見てよいか聞いてみましたが、よいとは言ってもらえなかったのでとても不満でしたし、理由が分かりませんでした。
 母が出かけて夕食を母以外の家族で食べることになったときに私はテレビを見ました。そのときの夕食はとても楽しかったですが、あまりご飯の味がしなくておいしいと感じられませんでした。そのときに食事中にテレビを見てはいけない理由が分かりました。苦労してご飯を作ってくれた人への感謝を忘れずに食べるためだと思います。私はこのときからテレビを見て食事をしたいと思わなくなりました。食事に感謝しながら失礼のないように大切に食べたいです。 ”(2月24日付け中日新聞)

 名古屋の椙山女学園の中学1年生・池田さん(女)の投稿文です。これは毎日のことであり、重要なことである。ボクの家の食事室にテレビはない。だからテレビを見て食事をすることは、昔からほとんどない。特に見たいことがる時は、食事をテレビのある居間に持っていかねばならない。時折はあるが、滅多にないことである。
 体験されたように、テレビを見ながら食事をしていては、何を食べているか全く分からないだろう。もったいないことである。そして作ってくれた人に失礼である。またそれ程にして見る番組があるのだろうか。最近のボクなど全くテレビ離れである。昔「一億総白痴化」と、言う言葉があった。ボクにしてみれば、この頃の番組は、そのころよりはるかに劣化していると思っている。


(第3644話) 源氏物語

2024年03月17日 | 行動

 “紫式部が主人公のNHK大河ドラマ「光る君へ」を見て、中学校3年生の記憶がよみがえってきました。最後の国語の授業で男性教師が「日本文学の最高傑作は源氏物語である。一生かかってもいいから読んでほしい」と言ったのです。その言葉が忘れられず20代のときに与謝野晶子、60代で瀬戸内寂聴さんの書いたそれぞれの現代語訳を読みだしたものの、長編ということもあり、ともに途中で挫折してしまいました。これらは今も本棚にあります。
 大河ドラマで紫式部がどんな思いで源氏物語をつづるのかが楽しみです。情熱的だったあの中学校の先生が伝えたかった真意が分かるかもしれません。源氏物語の現代語訳にもう一度チャレンジしてみようかしら。そう思い始めています。”(2月23日付け中日新聞)

 愛知県江南市の主婦・武村さん(女・82)の投稿文です。NHK大河ドラマ「光る君へ」、何年かぶりに大河ドラマを見ています。昔は毎年大河ドラマを楽しみに見ていたものだが、こちらの頭が硬いのか、どうも近頃の大河ドラマは途中で止めてしまう。今年は今のところ見ている。
 武村さんが言われるように、ドラマを見ながら小説を読む、と言うのもありかと気がついた。ボクは谷崎潤一郎の源氏物語全11巻を持っている。昭和60年に買っている。多分、ほとんど一度は読んだと思うが、よく覚えていない。今年読むのもいい機会であろう。ドラマの方も見て相乗効果を及ぼすかもしれない。ただ字が小さすぎる。でも読み始めた。


(第3643話) 配膳ロボット

2024年03月15日 | 出来事

 “友人とレストランに行くたび、店内で進歩する自動化や機械化に驚く。注文するためのテーブル備え付けの情報端末は操作に戸惑いつつも、「長年パソコンを扱う自分ならできる」と奮起して何度もトライし、少しずつ慣れてきた。店によっては配膳用ロボットが稼働しているが、初めて対面したときは料理を受け取った後もその場で動かないロボットとにらめっこしながら途方に暮れた。ロボット前方に任務完了のボタンらしきものがあることが分かり、押すとスーッと去っていった。
 最近は、どの店も従業員が減った気がする。これも世の人手不足の影響か。それにしても店でのやりとりが終始無言なのは寂しい限り。会話可能な情報端末やロボットの登場が待ち遠しく思う今日この頃だ。”(2月17日付け中日新聞)

 愛知県岩倉市の松波さん(男・84)の投稿文です。ボクもロボットが運んでくるレストランによく行く。注文はタブレット、運んでくるのはロボット、会計もタブレット、一言も話すこともなく店を出てしまう。少し前まではそんな時代が来ると言っていたが、もうこれが現実である。松波さんが希望される、会話が可能なロボットもそんなに遠くない時期に導入されるだろう。もう会話が可能なロボットはできているのだから。それが良いのか悪いのかは知らないが、そんな時代である。
 会話が可能なロボットを家庭に取り入れている家庭は、もうすでにかなりあるのではなかろうか。特に1人住まいでほとんど話す機会のない人には、良いものだと思っている。ボクはそうなったら真っ先に買うと思う。と言うより似たようなものがすでにあるのである。名前を呼んで「今日のニュースを教えて」「音楽をかけて」などなど、言えば答えてくれるのである。もう買って2年以上になる。


(第3642話) 小銭の義援金

2024年03月13日 | 出来事

 “先日、ネクタイの布が欲しくて、久しぶりに夫の洋服だんすを開けた。一昨年に七回忌を営んで以後、そのまま開けることがなかったので気付かなかったが、たんすの隅にコーヒーの瓶があった。取り出してみたら、何と小銭ばかりぎっしりと詰まっていた。ズボンのポケットに入れる財布には、小銭が重くて嫌だから、コーヒーの空き瓶に入れていたのだろう。
 夕食後、卓上に新聞紙を敷き、瓶の小銭をザアーッと広げた。1円、5円、10円の硬貨の山を仕分ける。1円玉を10個ずつ積み、並べていくと400個余り、5円玉は割に少なく、10円玉が115個。合計金額は1500円余り。それぞれビニール袋に入れ、金額を書く。翌日、郵便局へ持って出かけたが、あいにく祝日で閉まっていた。
 そこで近くの大型店に行き、受付の女性に「こんな小銭でも能登半島地震の義援金に受け取ってもらえますか」と尋ねたところ、とても快く受けてくださった。重い割に金額が少なくて申し訳ないので、1万円を足して心ばかりの義援金にした。わずかながらも小銭を活用できて、夫も喜んでくれているでしょう。それに何より私が助か下った。どうぞ被災者の皆さま、寒さ厳しい最中、どんなにかお辛いことでしょう。一日も早い復興をお祈りしています。”(2月16日付け中日新聞)

 愛知県北名古屋市の主婦・山下さん(84)の投稿文です。小銭、お金ではあるがなかなか厄介なものである。今や銀行など預けるところでも枚数に応じて手数料を取っているのである。確かに手間であろうが、ボクには納得できない。いくら手間と言ってもお金である。お金扱いしていない気がする。子どもや小銭を扱う場所はどうされているのであろうか。ところが1円足らなくも用が足せない、それ程に重要なものでもある。重い、つい財布から出して、山下さんのご主人のように瓶の中に入れたりする。そして山下さんはこの様に活用された。良かったと思う。これが義援金でなかったらどうなっていたろうか。
 今ボクは、バックに小銭入れ用の財布を入れて持ち歩いている。そしてほとんどを賽銭に使っている。神社仏閣は迷惑がっているだろうか。金融機関はこういうところに特別の配慮をしているだろうか、気になるところである。


(第3641話) 鳳来山

2024年03月11日 | 行動

 “冬晴れの朝、こたつで背を丸めている私に夫が「運動不足だから散歩に行こう」と言う。コートとマフラーを抱えて気楽に車に乗った。行き先は愛知県新城市にある鳳来寺山。2時間ほどで着いた。参道からは見渡す限り、樹齢何百年の巨木、整備された石段がずっと続いていた。傘杉、若山牧水の歌碑、松尾芭蕉の句碑を見ながら、一段一段上っていった。
 参拝を終えた若者が「こんにちは」と足取り軽く下りてくる。次第に夫との会話が途切れ、900段目あたりで足が止まった。石段がにわかに急勾配になり崖のように見える。「あそこ上るの?」と弱音を吐いた。夫が林から杖代わりの杉の枝を拾回ってきた。85歳と81歳の2人は、まるで仙人と家来に見える。すれ違う男女が「あともう少し!」と励ましてくれ、西尾市からの3人組がうなぎの話をして元気づけてくれる。必死の思いで1425段を上り切り、山頂にたどり着いた。山並みの彼方に三河湾、豊川、豊橋の街が、冬の日差しに輝いて見える。帰りの石段は、もっと緊張した。滑らないよう石垣にもたれながらの下山となった。
 入り口の山門で杖に深々と頭を下げ「散歩がよんぼになったね」と夫が笑顔を向けた。家に着くと夜空に三日月が昇っていた。”(2月15日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の林さん(女・81)の投稿文です。80歳超えの夫婦が、1425段の階段を上り鳳来寺山に登られた。そして鳳来寺に参拝された。立派なものである。ボクも近年鳳来寺山へ行ったので、鳳来寺山を紹介する機会と思って取り上げた。調べてみたら2019年11月16日であった。近年と思っていたが、もう4年半も前のことであった。中学の女性同級生3人と一緒であった。鳳来寺山へ行きたいというので、調べてみたら毎年11月の土日だけ、山頂までバスが出ていることが分かった。この女性らに上ることはとても無理である。降るだけである。これなら行けると言うことで決行となった。それでも家を出てから帰るまで1日がかりとなった。良い思い出となった。これがなかったら、ボクも鳳来寺山は、何十年も前の若いときの1、2回で終わったであろう。機会はありそうでないのである。来たチャンスは生かす、これはこれからますます大切なことになるであろう。


(第3640話) 阿弥陀様

2024年03月09日 | 出来事

 “「冬には死ねん」。ここ数年来、母親の口癖だった。年末になると一段と健康に気を付け、一冬過ぎて春になれば、早く迎えに来てほしい、早く参らせてほしい、というわけである。母親から若い頃の苦労話をよく聞いていたが、後半は孫に囲まれ幸せな日々を送り、晩年は家族にも感謝の言葉しかなかった。最後は家から送り出してほしいというのが希望のようだった。滋賀といっても北部のこのあたりは、時に北陸・東北並みの大雪となる地域であり、負担をかける周囲に気遣い、せめて気候の良い時期にと思っていたのである。
 その母親が冬の真っただ中、1月13日に96歳で息を引き取った。最後の望みは叶わなかったかと思いきや、この冬は暖冬で全く雪はなく、翌日の葬儀の日は快晴で、真冬に一日だけ春をプレゼントされたような暖かい日に恵まれた。
 これは一生懸命生きて、感謝の日々を送ってきた母親への阿弥陀様からのご褒美だったのかもしれません。朝夕、手を合わせていた仏壇の前で葬儀を行い、住み慣れた家から送り出してやることができた。葬式には相応しくないかもしれないが、家族一同、悲しみより安堵感に包まれた一日だった。10日後の長浜市は大雪で、全国放送のトップニュースになった。”(2月14日付け中日新聞)

 滋賀県長浜市の山内さん(男・70)の投稿文です。人間、死をどのように迎えるのか、いくら考えようとも、達観しようとも難しい問題です。そして誰にも訪れます。死に対して、残された人にできるだけ迷惑を掛けないように死にたい、これは誰もが持つ気持ちでしょう。山内さんのお母さんは「冬には死ねん」が思いだった。でも叶えられなく、真冬の1月半ばの死となった。しかし、葬儀の日は、暖かい全くの快晴であった。これを山内さんは、母の希望が叶えられた、と思われた。そして、これを阿弥陀様からのご褒美だった、と受け止められた。まずは良しである。
 ボクにはここでなぜ阿弥陀様が出てきたのか、この文だけでは理解できない。お母さんは、仏教に深く帰依されていたのだろうか。いや、山内さんかもしれない。これがボクのビックリし取り上げた理由である。というのは、ボクは近年、お釈迦様や親鸞聖人についていろいろ学んでいるからである。いくら聞いても読んでもなかなか難しい。何気なく唱える言葉一つ一つに大きな意味が含まれている。今、ボクはもっと学びたいと思っている。


(第3639話) 受験結果

2024年03月07日 | 意見

 “受験をストレスに感じて不眠や不登校、抑うつ状態となり、精神的にかなり追い詰められている子どもたちに、精神科医として日々触れています。挑戦するという意昧での受験への頑張りは確かに大事だと思いますが、体や心を壊してまでやるものではないような気もします。
 わが身を思い返しても、受験の本番が迫れば、どうしても目の前のことしか見えなくなりがちでした。でも長い目で見れば受験の結果より受験後の未来をいかに有意義に生きるかの方が大切ではないでしょうか。受験生の皆さん、たかが受験です。肩の力を抜いて取り組んでください。くれぐれも頑張りすぎは禁物です。
 私は中学校受験と、2度の大学受験を経験しました。いずれも第1志望校合格は果たせませんでしたが、中学校では妻と、大学では生涯の友と出会えました。”(2月12日付け中日新聞)

 津市の精神科医・山村さん(男・43)の投稿文です。高校、大学の受験生にとって、入学試験は必死です。そこで第一希望に落ちれば人生、終わったような気分になる人もあるでしょう。でもそれは全くと言っていいほど間違いです。試験は、その学校に入るための試験です。そしてその試験内容が、人生にどれほど役立つか分からないものです。山村さんも言ってみえるように、受験生は目の前のものしか見えなくなっているのです。それだけ必死になっているのですから分からないこともないですが、その後は長いです。もし失敗すれば、その失敗をどのように今後に生かすか、その方が重要です。ボクも大学入試では第一希望に落ちました。でもボクは落ちて返ってよかったと思っています。あのまま順調に進んだら、天狗になっていたかもしれません。人間は入試、大学で決まるものではありません。
 ボクの孫も今年大学入試でした。第一希望の推薦は無理でした。でも昨日発表のあった大学は合格でした。今の入試制度がよく分かりませんが、聞いている限り孫には第二希望だったようです。でもこれで良かった、その上ボクと同じ大学なのです。孫の合格がこんなにホッとするもの、嬉しいものだとは、思っていませんでした。




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