ha2402


第236号  2024年2月

 
 

(第3636話) 日本の文化

2024年02月29日 | 意見

 “僕はあいさつをいつも大切にして生活をしています。なぜならあいさつをしたら自分もいい気持ちになれるし、あいさつをされた人もいい気持ちになることができると思っているからです。そしてあいさつをすることは日本の誇ることができる文化にもなっていると思います。
 しかし今はあいさつをする人が少なくなっていると感じています。このままでは日本の文化である「あいさつ」というものがなくなってしまうと思っています。なので僕はまず友達にあいさつをすることからはじめています。そうすることによって、もっと他の人にあいさつをしてもらうことができると思うので、これからも少しでも自分なりに努力していき、大切な日本の「あいさつ」という文化を守ることができるようにしていきたいと思います。”(1月27に付け中日新聞)

 今月のテーマ「あいさつ」から、愛知県高浜市の中学生・板倉さんの投稿文です。「あいさつ」は文化か?若い人の発想にビックリです。ボクは世界共通のマナーと思っているし、社会の基本だと思っている。それだけ少なくなっているのだろうか。挨拶をされて悪い気はしない、これは誰もが感じることでしょう。でもしない、なぜなんでしょう。板倉さんは、なくなるのを恐れて、積極的にされている。この姿勢を忘れないで欲しい。大人になるほど減っていく感じがします。
 ボクは村中で会う人には誰にでも挨拶をするように心がけている。先日、うっかり後から通り過ぎてしまった。そしたら向こうから挨拶をされた。体裁が悪かった。遊歩道では他の村の知らない人に会うことも多い。でもボクは自分から挨拶をかけることにしている。度々会えば、何かに発展するかもしれない。


(第3635話) 親切いっぱい

2024年02月27日 | 出来事

 “元旦、1人で近くの神社へ初詣に行きました。参拝前にお清めをしようとしたら、電動車椅子の私は水に手が届きません。四苦八苦する私に中年男性が気付き、水をくんだひしゃくを手渡してくれました。私が手に水を振りかけた後のひしゃくは、男性が戻してくれました。
 参拝を終えて、おみくじを買い求めました。「健康良し」とあり、境内の木の枝に結び付けようとしたら強風で吹き飛ばされてしまいました。その様子を見た若い男性が走って追いかけて持ってきてくれました。
 そして帰宅途中に車椅子の前輪が段差に引っかかって立ち往生してしまいました。このときは中年男性が車椅子の前方を持ち上げて助けてくれました。
 親切な3人のおかげで、とてもありがたい気分に浸れた元旦でした。今年はいいことかありそうな予感がします。”(1月27日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・武田さん(67)の投稿文です。車椅子の人の感謝の投稿文、時折読みます。車椅子も、バリアフリー化が進んでかなり出やすくなったと思いますが、それでもいろいろな苦労があるでしょう。それだけにこうした手助けをもらうと感謝したくなられるのでしょう。そしてこうした文を読んだ人は、自分もそんな場に出合ったら、そうしようと心がけられるでしょう。ボクもいつもそん目で見ている一人です。
 発信することは重要なことです。でもいろいろな人の目に触れる文章です。中傷や心ない言葉が返ってくることもあるでしょう。ボクのこの「話・話」 など投稿文を活用させてもらっています。変な言い方ですが、これだけ文を書くボクでも、新聞の投稿には二の足を踏みます。皆さん、凄いと思います。先日ボクはミニコミ誌に投稿し、掲載されました。発行部数は8000部程度です。地域誌だけに、それなり読んでもらい、状況を知ってもらったと思います。ボクももっと勇気を出そうかな、と思っています。


(第3634話) ときめき

2024年02月25日 | 意見

 “健康で手芸や俳句、読書とさまざまな趣味を楽しむことができた昨年でしたが、知人から「年を取ると、ときめきがなくなり、短く感じるんだよ」と言われてずっとひっかかってきました。新年のえと、辰は天に昇る様子が何事も成功や発展といった良い方向に導くことにつながって縁起がいいとか。ならば私も新しいことに挑戦して多くのときめきに触れれば、この1年を味わい尽くせるのではないかと考えました。衰えがちな脳を刺激するパズルや、体操教室、野球のテレビ観戦は続けつつも、好奇心を持っていろんなことに取り組んでいきたいです。結果、ときめきがさらに増えればいいな。”(1月26日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・小杉さん(80)の投稿文です。「ときめき」、久しく使わない言葉です。ときめきは、年を経るほど減っていくものでしょう。それを80歳の人から聞くとは。そして、その機会を作ろうと努力される。若い!人間は歳ではないという、心がけである。
 先日ボクは、学生時代に行った自転車旅行の記録を読み直す機会があった。こんなのだった、久しぶりに思い出した。これが青春だったのだ。そしてボクはこんな体験をしてきたのだ、もっと自信を持とうと思った。小杉さんのように、ボクもときめきを求めよう。これは好奇心、挑戦である。いくつになってもできる。


(第3633話) 遺影自慢

2024年02月23日 | 出来事

 “昨年の暮れに兄の四十九日法要を終えた義姉から、正月明けに電話があった。兄の葬儀に当たってのお礼とか、今年もよろしくといった内容だった。
 暮れから私は、息子・娘家族の帰省で大騒動し、無事に帰り「やれやれ、やっと自分のお正月をしているところ」。すると義姉は、友人のK子さんが昨日、兄のお参りに来訪された話をした。遺影に向かって「お父さん、いい顔してるでしょ」と言うと、すかさず「うちのお父さんの方がいい顔しているよ。見に来て」と彼女に言い返されたという。それで、兄より1年ほど前にご主人が他界されたK子さん宅へ、お参りを兼ねて訪ねたという。
 「どうだった?」と聞くと「うちのお父さんの方がいい顔している」との返事である。この言葉から、夫婦っていいなあ、としみじみと思いました。「お兄さんも喜んでいるよ。私も永く生きてきたけれど、遺影自慢の話って聞いたことないわ。お友達に話そっと。いいお話だから」。義姉は「変なこと言うもんじゃないよ」と、大笑いしながら電話を切った。
 私は13年前に主人を亡くしている。60代の夫の遺影に向かって話しかける。「お父さんも誰にも負けていない、いい顔していますよ」。久しぶりに夫の顔を見つめた。”(1月26日付け中日新聞)

 愛知県小牧市の主婦・加藤さん(79)の投稿文です。遺影自慢とは、これはつい笑みがこぼれる話だ。遺影については2月2日第3623話で書いたばかりで引き続きになってしまった。遺影を自慢すると言うことはご主人を誇りに思っているからである。麗しき夫婦愛である。この3未亡人、凄いと思う。こういう話になるのだったら、本当に遺影は納得できる写真にしなければならない。男やもめだったらどういう話になっていたろうか。ただ今を悲しんでいただけになっていなかったろうか。未亡人は内心はどうだか分からないが、見かけ上は全く晴れ晴れと活動している。あるときお茶を一緒した6人ほど全員が未亡人であった。本当に肩の荷が下りた感じに思えた。
 自分達で撮って保存しておくという方法もあるが、これは子どもや孫に頼んでおくのも方法と思う。実際に注文するのは子どもたちであるのだから。今度会ったら、機会のある毎に写真を撮ることを頼んでおこう。


(第3632話) 孫誇り

2024年02月21日 | 出来事

 “半年ぐらい前の夕方のことだ。同居する看護師の孫娘がいつもよりも1時間以上遅く帰宅した。孫娘によれば職場からの車での帰路、三重県四日市市内のガソリンスタンドで給油していたら高齢男性に「帰り道が分からない」と声をかけられた。そこで家の住所を聞いて「こっちですよ」と教えたものの、男性は別の方向に歩きだしたそう。そこで給油後、その男性を捜して車で家に送り届けたものの、家人はおらず、やむなく孫娘は自分の連絡先を記したメモを男性に渡したという。2日後、男性の息子さんがわが家を訪れて大いに感謝された。孫娘が訪ねたとき、家族総出で捜していたとか。
 孫娘の大活躍を思い返すたび、思いやりにあふれた人間に育ってくれたことが私はとても誇らしい。”(1月25日付け中日新聞)

 三重県東員町の土建業・伊藤さん(男・82)の投稿文です。孫娘さんが人に親切にして感謝されたことを喜ぶお爺さんの投稿文です。家族総出で探している最中に、人に送られて帰っていた、本当にホッとされたことでしょう。高齢化社会になり、放浪されてしまうことは、これから多くなるでしょう。これは人命に関わる事柄です。それかと見かけた人は、十分に心したいものです。
 ボクの母親も数度ありました。でも大事にはならなかった。足が弱いから遠くまで歩けなかったことが幸いした。さてボクが呆けたらどうなるのだろうか。この健脚さは、余程の何かがない限りさほどの衰えはないだろう。その上で痴呆による放浪がでたら、これは大事である。とんでもないところまで歩いて言ってしまうだろう。だからボクは絶対に痴呆になってはいけないのだ。この「話・話」 などを書きながら、防止に努めねばならない。


(第3631話) 「歳をとるって」

2024年02月19日 | 行動

 “「歳をとるっていいね」。ある日の夫の弁。何のことかと思ったら、最近、親切にしてもらうことが多くなったとのこと。買い物好きな夫は、あちこちのスーパーによく出かける。ウオーキングを兼ねて行く近くのスーパーでは、馴染みのレジ係の方が、混雑していない時は「重い物から順番に、トマトやパンは上に」と言いながら、マイバッグに詰めてくれる。たまに行く大手スーパーでは、商品が見つからず、店員さんに「棚の場所だけ教えてもらえばいいですよ」と言っても「大丈夫ですよ」と商品の前まで案内してもらう。銀行では書類の記入欄を指でさしながら丁寧に教えていただき、病院の窓口や薬局でも、とても親切に対応してくれるそうだ。
 話を聞いて、ふと思った。後期高齢者になった夫だが、実は皆さん、見た目の年齢を実年齢よりうんと上に思っているのではないだろうか。自分が老けて見られているのかも、などとはまったく考えもせず、皆さんのご親切に感謝し、大満足のポジティブシンキングの夫。
 いずれにしても、こんなにも心やさしい親切な人たちが大勢いる地域に暮らせることは、とてもありがたい。幸せなことだと思っている。ちなみに、私はまだその恩恵にあずかってはいないのだが。”(1月22日付け中日新聞)

 愛知県瀬戸市の主婦・林さん(71)の投稿文です。普通には「歳をとるって寂しいね」となる。いろいろ手助けしてもらうと言うことは、自分ではできないからである。捜し物が見つからない、書類の書き方が分からない、そんなになった自分を情けなく思ってしまう。そしてますます落ち込む。それを林さんのご主人は助けてもらってありがたい、親切にしてもらって嬉しい、これをいいね、という。この発想、思いが重要である。まさにポジティブシンキングである。ものは見方である。表から見るか、裏から見るか、全く気分は違う。老化の大きなもとは、ストレスという。落ち込みもストレスに繋がる。ポジティブシンキングは楽しいに繋がる。老いを遠ざける。そして林さんは、そんな恩恵にあずかっていないことを、若いからと思っている。2人とも長生きされるであろう。


(第3630話) 警官訪問

2024年02月17日 | 出来事

 “近くの交番に勤務する中年の男性警察官がわが家を昨夏訪れ、ニセ電話詐欺への注意を呼びかけました。以前に警官の巡回があったのは確か10年ほど前。思い返せば、それより前はI~2年に1度ぐらいの割合で警官がわが家に来ては家族状況の変化や困り事があるかを尋ねたものです。
 わが地区は自治会が積極的に行政機関に掛け合ったこともあって、あちこちに道路標識を設置してもらいましたが、最近は近所付き合いが以前より希薄になった気がして一抹の不安を覚えるようになっていました。そんな中での警官訪問だっただけに余計ホッとできたのです。この先、気軽な相談が警官にできれば犯罪の各種抑止にもつながるでしょう、きっと。”(1月20日付け中日新聞)

 三重県四日市市の主婦・吉川さん(72)の投稿文です。交番の警察官は、ボクにはあまり縁がありません。交番から場所も遠いし、縁になることも起きていない。でも近い人には頼りになる人でしょう。ボクの知人で、交番の隣に住んでいていつも親切にしてもらっている人がいます。そして困ることがあるとすぐに駆けつける。これができる人は恵まれている。吉川さんは、そんな警官の訪問にホッとされた。やはり普通の人と警察官は違うのです。権力があるのですから。
 吉川さんが言われるように、近所付き合いも疎遠になってきた。そんな時代だからより警察官は頼りにされるのだろう。大変な仕事だと思うが、やり甲斐はある。住民に寄り添って欲しいと思うのです。


(第3629話) みそ汁給食

2024年02月15日 | その他

 “冬になると思い出すのがみそ汁給食。故郷・現岐阜県下呂市の小学校で私が5年生のとき冬場だけ試験的にみそ汁が提供され、各自持参した弁当と一緒に食べました。山間部だけに30~40センチも雪が積もる日もあって私たちは教室のストーブの周りに弁当を置いて温めるのが常でした。そんな中、湯気の立つみそ汁が毎日提供されるようになり、見ているだけでぽかぽか気分になれました。みそ汁には豆腐や地元産のダイコンやネギも豊富に入っており皆われ先にとお代わりをしていました。カレーうどんが出ることもあり、初めて口にしたときのあのおいしさといったらどう形容したらいいでしょう。みそ汁給食を楽しめたのは、小学校を卒業するまででした。遠い昔の思い出です。”(1月19日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の神戸さん(男・75)の投稿文です。以前にも書いたと思いますが、ボクも同じ年代ですから、同じような思い出があります。まずみそ汁です。冬になると、児童が当番でみそ汁の具となる野菜を持ってくるのです。そのために親は大根や人参を保存しておくのです。これは多分1年生からあったと思います。当時は小使いさんがいて、作ってくれました。冬だけの心遣いでした。他の時期は脱脂粉乳だったろうか。そして弁当です。これはブリキ製の保温器が廊下に置いてありました。何段にも置いた棚の下から炭火で温めるのです。下の方は焦げがつくくらい熱く、上の方は生温かさです。順番で置く位置を変えます。給食になったのは、ボクが卒業した翌年からでした。だからボクは学校給食に一度もありついていません。4年生くらいの時だっと思うが、何か特別のことがあって、コロッケがでたことがあります。初めてコロッケを食べました。そして初めてソースも味わいました。懐かしい思い出です。こんなことも覚えているのですね。


(第3628話) お遍路

2024年02月13日 | 行動

 “60代になって四国遍路をした。健康維持も兼ねて近年は愛知県・知多半島の霊場巡りをしていて、現在は週末のたび、気に入ったスポットを選んでは歩いている。寺にたどり着けば本堂の前でお参りをして般若心経を唱えている。私のお薦めコースの一つは同県南知多町から同県美浜町にかけて。峠道で切り割りの崖から下っていくと眼前に海が広がり、いつしか足取りも軽やかになる。着いた先の寺を出て小山に入った後の道中1キロほどはアスファルトがなく、足裏に土の優しさを感じて爽快感にも浸れる。
 知多霊場の別のコースでは鐘を突く音に安らぎを覚えたり、木魚をたたきながら経を読んだり、竜の口から流れるちょうずで口や手を清めたり・・・。これらも実にすがすがしい。迎えた新年、あちこちのコースを堪能したいと考え、四国遍路にもまた挑戦しようかなと思っている。”(1月16日付け中日新聞)

 名古屋市の税理士・加藤さん(男・78)の投稿文です。知多四国の霊場巡りの話です。ボクは西国33観音巡りを終えた後、どうしようかと思った。近くにはこの知多四国がある。ウォーキング例会の機会にすでに訪れている寺院も多い。でも納経帳を持って歩いていないし、またそのつもりで訪れていない。そこで平成28年の時に鉄道会社主催の霊場巡りに参加した。でもあまりに人が多く納得できなかった。そして、そのまま中断してしまった。加藤さんは1人で楽しまれているようだ。ボク自身もいつかそういう時が来るだろうと思っている。今は一宮友歩会や老人会等であまり時間を持て余すことは少ない。でもいずれ来るだろう。その時にはこの霊場巡りもひとつの方策だろう。納経帳もガイドブックも持っている。それはいつだろうか。でもそれらを終えたとき、もう歩ける力が残っているだろうか。それが気がかりである。明日はないかもしれない。


(第3627話) みえ検定

2024年02月10日 | 行動

 “昨年4月の転勤に伴い、単身で関東から三重県に赴任した。新天地になじめるかどうかの不安もあり、営業の仕事でもプライベートでも積極的に地域に飛び込もうと思った。テレビや新聞で地元のニュースをチェックしては仕事が休みの週末は三重県内の観光地や祭り、博物館を巡った。伊勢市の伊勢神宮や志摩市の大王埼灯台、伊賀市の伊賀流忍者博物館を訪ね、趣味のマラソンでも各地の大会に参加した。昨年秋にはご当地の歴史・文化・自然・産業の知識を問う「みえ検定」の3級に挑み、合格した。地元出身の同僚や取引先の顧客と三重の話をするたび、「私たちより詳しい」と言ってもらえると、自分も仲間に入れたようでうれしい。
 縁あって赴任した三重の魅力。新年も交流サイト(SNS)はもちろん、対面での三重情報を発信していきたい。”(1月15日付け中日新聞)

 津市の会社員・飯田さん(男・50)の投稿文です。単身赴任で知らない地へ、そして地域に溶け込もうと各地を見学、更には地域検定までに挑戦、見事合格、この前向きな姿勢には驚くばかりです。飯田さんのような人は、この先も心配がありません。男性サラリーマンには退職後が心配な人が多い。会社人間で会社以外の人との付き合いがない。多くは退職すればそれで縁が切れます。あっても範囲が狭い。退職したら住んでいる地域です。退職後から地域に溶け込んでもいいが、これはなかなか難しい。早くからできることをしておくべきです。ボクの知り合いで結構若いときから地域に溶け込んだ人がいる。そういうチャンスをつかんだのです。チャンスを生かす、自分から飛び込む、若ければ若いほどいい。高齢になってくるといろいろなものが邪魔してくる。飯田さんの姿勢には敬服です。




川柳&ウォーク