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第233号  2023年11月

 
 

(第3591話) 骨まで頂く

2023年11月30日 | 教訓

 “終戦時は今でいう小学校2年生でした。住んでいた東京では深刻な食料不足がなかなか解消されず、川で魚を捕まえたり、川の土手で野菜を育てたりして飢えをしのいでいました。特に捕まえた魚を食べる場合、私は子ども心に「さっきまで生きていたのに・・・」と思ったものです。焼き魚をうまくむしって食べられず、まだ身が残った骨を捨てようとしたことがありました。母が「ちょっとお待ち」と制し、「命をささげてくれた分、奇麗に食べないと成仏できないよ」と続け、残り火で再び焼いてくれました。そうして私は骨まで食べることができました。かりかりした煎餅のような歯応えは今も記憶しています。私が食材を大切にし続けるのはこうした経験があったからでしょう。”(11月9日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・水野さん(85)の投稿文です。植物にも動物にも命はある。人間はそれらの命を頂いて、殺して生きている。考えてみれば残酷なことである。でもそうしていかないと生きられない。では頂いたその命に報いるのにはどうすればいいのか。それは粗末にしないことである。水野さんのお母さんはそのように教えられた。そして、85歳になられた水野さんは、今もこの教えを守っておられる。
 これは人間の勝手な理屈かもしれない。でもそう思うことで救われるのである。最近、動物愛護を語られる人は多い。いろいろ見ていると、随分片寄った意見があると思う。愛護を語られる人も、絶対に別の動植物の命を頂いているのである。人それぞれに環境や条件が違う。それに思いが及ばないのは、独りよがりではなかろうか。


(第3590話) 102歳にあやかる

2023年11月28日 | 教訓

 “102歳のいとこの誕生祝いが9月半ばにあり、家族や親族26人が名古屋のいとこ宅に集いました。100歳の祝いは新型コロナウイルスの影響で催されなかったため、今回は久々の再会となり、ひ孫4人から花束を受け取ったいとこは満面の笑みを浮かべていました。その後の昼食会でも皆と談笑していました。
 いとこは長年造り酒屋を業としてきて今も会長職にあります。青・壮年期は狩猟に興じ仕留めた鳥の剥製をもらったこともあります。10年前にはクルーズ船に乗って一緒に旅行し、途中停泊した鳥取県の境港では貸自転車で「水木しげるロード」を駆け巡り、その速さには驚きました。社交ダンスやカラオケも好きで実に多趣味でした。
 こうした刺激が長寿の秘訣なのでしょう。私も元気をもらって、茶寿たる108歳の祝いをともに健康で迎えたいです。”(11月7日付け中日新聞)

 名古屋市の水野さん(男・79)の投稿文です。102歳の誕生会、100歳を超える人が増えた、本当に長寿国になったものだと思う。102歳のいとこさん、今も会長職という。10年前に一緒にクルーズ船に乗り、貸し自転車で「水木しげるロード」を走ったと言われる。10年前とは92歳である。本当にこうした元気な人があるのだ。そしてそれにあやかろうと79歳の水野さん。秘訣は刺激と理解されている。刺激とは好奇心である。何にでも挑戦である。
 ボクの最近は少し気持ちに波がある。積極的になるときと消極的になるときが入りまざる。先日、人工尿道括約筋の使用を始めて以来初めて病院の診察に行った。全く順調であった。何のために手術をしたのか、余生を元気に活動するためではなかったのか、初心を忘れないようにする必要がある。


(第3589話) われらが愛知

2023年11月26日 | 出来事

 “現在の愛知県域が確定したとされる11月27日は、同県によって今年から「あいち県民の日」と定められました。
 思い出されるのは1950(昭和25)年の愛知国体の開催を記念して作られた県民歌「われらが愛知」。小学校高学年だった私は音楽の授業で教わりました。『建設の意気も新に たくましき力協せて ああ われら 我が郷土 振い興さん・・・』
 歌詞は難解でしたが、先生にその意味を解説してもらいました。戦後の貧しかった時代、互いに励まし合って頑張ろうという心意気が、作曲家古関裕而の力強いメロディーとともにダイレクトに伝わってきました。この歌が大好きになりました。
 時代は変わっても、地元の発展を願う県民の気持ちは同じ。故郷の魅力が詰まった「われらが愛知」を今も口ずさんでいます。”(11月4日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の主婦・成瀬さん(82)の投稿文です。県民歌「われらが愛知」、ボクは知らない、聞いた覚えもない。どこかで生きているのだろうか。成瀬さんは、鮮やかに覚えておられる。それほど時代に合い、印象深かったのであろう。今の時代に合うかどうか知らないが、知らないのは少しもったいない気もする。
 こうしたものに校歌がある。中学、高校の校歌はよく歌ったものである。今よく耳にするものは、甲子園野球である。今は歌う機会もなくなったが、それでも覚えている。やはり母校を思う気持ちであろう。何事も凄い早さで変わっていく今日、いつまでも残るものがあって欲しいものである。


(第3588話) 最高の名月

2023年11月24日 | 出来事

 “9月末の中秋の名月、三重県伊勢市にある伊勢神宮の観月会に招かれた。友人の勧めで応募した短歌が友人ともども入選して、初めてのありがたい機会を得たのだ。奉納舞台で記念撮影と表彰式があり、その後、観客席に移動した。私たちの短歌は古式にのっとり節を付けて歌人に読み上げられ、それを聞いているだけで夢心地に浸れた。続いて管弦のみやびな音色が響く中、女性4人が色鮮やかな衣装で舞った。そうこうしていたら舞台に隣接する大きな建物の屋根から満月が姿を現した。雲一つなく、私たちをこうこうと照らした。来年も短歌を出し、この会場に来たいと心から思った。”(11月2日付け中日新聞)

 三重県松阪市の主婦・小山さん(64)の投稿文です。続いて月の話である。伊勢神宮の募集で短歌を応募した。入選し、観月会に招かれた、と言うのである。短歌が素晴らしかったのであろうが、何という幸運が舞い込んだものだろうか。忘れられない思い出になったであろう。
 しかし、ここは応募したからこういう幸運が舞い込んだのである。行動があったのである。これは何事も同じである。思うだけで行動に移さなかったら、何事も起こらない。良いと思ったことはまず行動である。特にボクら高齢者には、残された時間は少ない。機会は生かす、この気持ちを忘れないようにしたい。


(第3587話) 月夜に願う

2023年11月22日 | 行動

 “9月29日の中秋の名月を前にして、受け持つ定時制高校の古典の授業の一環で学校グラウンドに出て月を眺めながら生徒2人に中国・唐の詩人である王維の「竹里館」、李白の「静夜思」を音読してもらった。生徒はボリビア人男性とブラジル人女性で、ともに選択科目で古典を選んでくれた。「こんなにゆっくりと月を見ることないな」という男性の言葉にハッとした。2人は仕事を終えてから学校に来ていて、その頑張りには頭が下がる。女性は「月も星も世界中の人々が平等に見られるものですよね」と語り、あちこちで紛争が相次いでいることを意識して、皆が思い思いに月見ができるような平和の到来を願っていた。
 定時制高校ならではのぜいたくな夜の授業。外国人生徒2人も日本語を介して漢詩の魅力も伝わったようで、私にも思い出深いひとときとなった。”(10月31日付け中日新聞)

 滋賀県長浜市の高校非常勤講師・足利さん(女・70)の投稿文です。定時制高校で、月を眺めながら月を愛でる詩を読む、何とも情緒ある授業ではなかろうか。足利さんの発想に感心する。月をゆっくり眺めるというのは、なかなかないものである。そうすれば、気分もゆったりするし、いろいろな思いにも浸るだろう。ボクも満月などの時、凄い、綺麗と思って眺めるが、一時である。時には椅子に座ってゆっくり眺めるときがあっても良い。テレビなど見ているのはもったいない。
 「月も星も世界中の人々が平等に見られる」、この言葉、本当である。見られるが状況は千差万別である。世界中の人が、ゆっくり月や星を眺められるのは、夢のまた夢であろうか。


(第3586話) 築84年

2023年11月20日 | 意見

 “89歳となった父だけが暮らしている愛知県蒲郡市の実家は築84年。8月下旬、市の無料耐震診断を受けて基礎や壁、床、屋根、家の周りをチェックしてもらいました。半月後に届いた結果によれば、事前の予想通り、「地震が起きた場合、かなり倒壊の可能性が高い」。
 既に実家はリフォームを重ねていて、私が記憶する限り、かまどのあった台所は現代風キッチンとなり、屋外にしかなかったトイレは家の中にも設置されました。現在の唯一の住人たる父にとって思い入れのある家だけに、この先も快適な空間であるよう、行政による各種補助金制度も活用した改修を考えていくつもりです。”(10月24日付き中日新聞)

 愛知県幸田市の主婦・吉見さん(63)の投稿文です。築84年の住宅をどうするか、耐震診断を受けられた。そして、補助金制度を活用して改修を考えられている。よく考えられてのことであろう。でも、いつまで使われるのだろう。後住む人はあるのだろうか。
 ボクの家は、築74年である。吉見さんと似たようなものである。木造住宅はよく持つものである。ボクの家は、昭和47年に大幅に改修している。その後耐震診断も受けたが、しょせん玉石の上に乗った基礎である。この基礎を変えない限り、数値は上がらない。そして、知り合いの大工さんに頼んで、補強できるところはしてもらった。今もそのまま過ごしている。だけどボクは心配していない。平屋である。そして、その母屋の周りは増築し、増築した部分はしっかりした基礎になっている。自分達が亡くなれば壊される運命である。吉見さんのようにはなれない。


(第3585話) インターバル速歩

2023年11月18日 | 行動

 “日ごろの運動不足が気になっていろいろと調べてみた結果、ウォーキングする際の「インターバル速歩」を今春から実践している。3分間ゆっくりと歩いた後、ややきついと感じるぐらいのスピードで3分間早歩きをするということを何回か繰り返す。加えて、歩くときは胸を張るようにして、両腕を大きく前後に振って大股でリズミカルに歩くことも心がけている。
 これをほぼ毎日続け、1時間ほど汗を流す。膝への負担は思ったよりも少なく、ジョギングやマラソンが苦手な私でも難なく継続できている。両腕を動かすことで、数年間患った五十肩の痛みも軽減して、まさに一石二鳥。”(10月20日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の玉川さん(男・66)の投稿文です。「インターバル速歩」、早く、ゆっくりである。この効用についてボクもよく聞いている。ボクもほぼ毎日散歩をしている。昔から、と言うか、今でもボクは早く、時速5km以上である。一宮友歩会の例会ではすぐの先頭に立ってしまう。それでもインターバル速歩は必要であろうか、効果があるであろうか。試してみようと思っている。
 何にも増して、まずは歩くことである。歩くことができなくなっては、もうすべてが苦労である。その他のことはその上である。幸いボクには畑仕事もある。全身いろいろなところを使う。でも畑仕事だけでは足りない。意外に歩かないのである。歩くことと畑仕事、これがボクの健康の元である。ありがたいことである。


(第3584話) 2通の手紙

2023年11月16日 | 出来事

  “猛暑だった夏も、いつしか夜の虫の音を聞く頃となりました。昨年暮れ、急に夫を亡くし、その上この暑さで、老いた身には苛酷なつらい日々でした。私には2通の大切な手紙があります。1通は父からで、27年前に亡くなる前の一時退院の時のものです。、「紗代子殿 誕生日お目出度う。今年は洋菓子はやめます。その代わりとして券を入れてあります。旅行の足しにしてください」。券はお札でした。入院中にわずかな年金からためたお金です。もったいなくて封筒に入れたままです。
 もう1通は2年前、夫からです。「紗代ちゃん、84歳誕生おめでとう。これが最初で最後になるかもしれないかも? 結婚62年 良くこれまでありがとう 2021年1月2日」と茶封筒の表に書かれ、中にお小遣いが入っていました。今まで直接手渡しで「好きな服や化粧品の足しに」と祝ってくれたのに、手紙は初めてのことでした。
 父にしろ、夫にしろ、心から愛されていたことに、いつも以上に胸を打ちました。2通の手紙に因縁のようなものを感じ、大切に保管しております。夫との「2人で米寿を元気で迎えよう」との約束はかなえられませんでした。私が頑張って米寿を迎えられた時、仏前に赤飯を供えられるようにと、心から願ってます。”(10月15日付け中日新聞)

 愛知県高浜市の主婦・加藤さん(86)の投稿文です。お父さんとご主人から、亡くなる少し前の手紙です。こんな手紙を娘や妻に出すのだろうか、ボクに信じられないくらいの話である。内容もさることながら、紗代子殿、紗代ちゃんと言う呼び方もにもビックリである。そういう家族関係だったのだ。これはもう家系ではなかろうか。
 こういう文を読むと、ボクの至らなさ、と言うか優しさに欠けていることを思う。妻は毎日のように、何かの不調を言っている。今こそ、もっと優しくせねばと思う。妻とは人の話をしながら、自分達は夫婦が揃っていることをありがたく思う話がよく出る。2人揃っている今こそである。生、老、病、死、人間4苦の内3つはこれからである。これからが本番である。心がけたい。


(第3583話) 優しい言葉

2023年11月14日 | 教訓

 “愛知県西尾市に住む91歳の母は父が亡くなった6年前から一人暮らしとなり、私は週―度、様子をうかがいに母の家を訪ねている。母は昔から働き者だった。農業の傍ら育児や家事もおろそかにしなかった。読書が好きで、今も私が図書館で借りた本を持って行くと、「ありがとう、ありがとう」と喜んでくれる。「赤ちゃんのとき、もらわれてきたことに感謝」「子ども時代、養父母に人一倍かわいがられた」「地域の女性で一番長生きで、孫やひ孫の成長も見られる今が一番幸せ」ー。こんな感謝の言葉を母は次々と私に向けて発してくる。母は無意識のようだが、優しい言葉を常に口にする姿は見ているだけで気持ちがいい。私も、母のようにありたいと思う今日この頃だ。”(10月14日付け中日新聞)

 愛知県知立市の主婦・清水さん(67)の投稿文です。何事にも感謝の言葉を出される母親に、感心しての投稿である。いくつも言葉を例としてあげておられるが、ボクには「赤ちゃんのとき、もらわれてきたことに感謝」の言葉に驚く。生みの親に育ててもらえないことを、不幸に思ってもいい面がある。でもその不幸を言わず、もらわれてきたことに感謝をされるのである。感謝の言葉には「ありがとう」が続く。そして反対語は「怨嗟、迷惑、あたりまえ」である。反対語は自分の為にもならない。気持ちよく過ごすには、優しい言葉、ありがとうである。ボクも心がけているつもりだが、更に心がけたいと思う。


(第3582話) 絵手紙

2023年11月12日 | 行動

 “5年前から絵手紙教室へ月に1度通っています。夫はもちろん、息子一家と娘一家で誕生日を迎えたときに自作の絵手紙を手渡しています。計4人の孫にはクリスマスや年賀状の時期にも描いていて、よく見るアニメ、どんな動物が好きかの事前調査は欠かせません。
 1年間に手がける絵手紙は20枚近く。あっという間に季節は巡るので1枚を描き終えてもすぐ次の絵柄や構図を考える必要があります。高山植物のヒマラヤンブルーの花が天上の妖精のように思え、これを題材として息子の妻のために描き誕生日プレゼントの日傘と一緒に渡すと「すごい!奇麗」と喜ばれました。
 家族の絆を深めるべく、世界で一つしかない私の絵手紙。この先もずっと届けたいです。”(10月13日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・平松さん(71)の投稿文です。ボクも絵手紙を書きたいな、とズッと思ってきた。川柳連れ連れ草の巻頭句を絵手紙で書きたかったのである。しかし、絵手紙教室を探してまでやる気にはなれなかった。ところが令和3年10月に地元の公民館で己書を学ぶ機会があった。1回2時間くらい学んだだけである。そしてその月から巻頭句を自分で書いた絵と文字で作った。そして、全く自由という己書にも何か独特の書き方があり、それとはあまりに似つかわしくないので英人書とした。そして先月でちょうど90作となった。
 平松さんは、家族に絵手紙を送ることに生きがいと楽しみを見いだされた。1作にかなりの時間を費やされているようである。送って人に喜んでもらおうとされているので、当然であろうか。工夫されるのも楽しみの内である。家族の絆になった。良いことずくめである。
 ボクは1時間もあれば書き上げてしまう。惰性になってきている。英人書と呼ぶにふさわしい書き方を見つけたいものである。




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