ha2308

第230号  2023年8月

 
 

(第3548話) 比べなくていい

2023年08月31日 | 意見

 “母の姉である伯母の三回忌法要が四月に営まれ、そこで僧侶が語った「幸せは人と比べるものではなく、当たり前でもありません。それに気づくか、どうかです」が今も私の心を離れません。日ごろ、他人と比べがちな私には身に染みたのです。それから、「自分は幸せなんだ」と自らに言い聞かせ、あまり大きなものを求めず、ちょっとした幸せを大切にしようと考えるようになりました。すると三度の食事や友人と一緒にいる時間がかけがえのないものに思えてきました。
 生前感謝の気持ちをよく口にした伯母に向け、私は「幸せに暮らしているよ。見守ってくれてありがとう」とつぶやいています。”(8月8日付け中日新聞)

 愛知県稲沢市のパート・黒田さん(男・41)の投稿文です。人は生まれて以来、小さいときから競争をさせられて生きてきている。競争をすると言うことは、人と比較すると言うことである。今更比較するなと言われても無理である。成長すればするほど、競争である。それを生き延びた人が勝者である。競争して勝つのは正義である。生涯続くのである。
 そんな中で「比べなくていい」と解かれる。黒田さんは、法要の時に僧侶の方から解かれた。宗教の世界である。これほど違う世界を解かれようとは、戸惑って当然である。ここをどう理解するか、どう受け入れるか、難しいことである。簡単には説明できないが、勝っても絶対の勝者にはなれず、上はどこまでもあり競争は続くのである。そして明らかなことは、比較していては平穏な世界は訪れないことである。これほど明らかなのに、なぜ人は競争社会に生きるのであろうか。


(第3547話) 高札場

2023年08月29日 | 知識

 “江戸時代に東海道と中山道を結ぶ美濃路の宿場町として栄えた一宮市起に五日、幕府の法令を民衆に伝える「高札」を再現して掲げた広場が完成した。キリシタンの取り締まりや、放火の禁止などさまざまな種類の札が並んでいる。昔ながらの街並みを残す起地区を、観光客らにさらに楽しんでもらおうと市が設置した。                  
 高札は木曽川の堤防近くにあり、実際に江戸時代に掲げられていたのとほぼ同じ場所に立てられた。実物は高さ4.4m、幅5.6mの大きさだが、今回はその半分ほどのサイズで再現した。それでも大人の背丈よりもかなり高く、当時は幕府の威光を庶民に見せつける狙いがあったという。
 高札は実際に掲げられたいた5枚を再現した。キリシタンを取り締まるため、信者を密告した場合に褒美を与えることを定めた札や、隣の萩原宿まで馬を使って荷物を運ぶ場合の料金などが書かれた札がある。(後略)(8月8日付け中日新聞)

 記事からです。ボクの近くである。一宮友歩会の今年12月例会で、ここに行くことにしている。3月の下下見で行ったときには、工事中であった。それが完成したのである。いいタイミングで今年の例会が開催できる。参加者に喜んで貰えるであろう。
 一宮友歩会を運営しているボクにとって、こうした史跡が再現されることは何とも嬉しい。現地にどんな小さな痕跡でも残っていると、訪ねる価値が高まる。紙の資料だけでは、現地を訪れる価値が半減するのである。
 ボクの村は歴史的価値のある村ではない。でも、神社、寺院、薬師堂などある。どこにも由緒書きは立っていない。ボクが薬師堂の管理責任者をしたとき、この建物は何ですか?と訪ねられたことがある。多くの新しい人は知らないのである。これではいけないと、すぐに調べ少し記した案内板を掲示した。次に神社総代をした2年前、今度は神社の由緒書きを作った。そして、数年前に寺院へ由緒書きを作ったらどうですか、と話し掛けておいたところ、先日少し書き出しという、連絡があった。何も無いと思っていたわが村も、少しは歴史を感じ親しみの湧く村となったのではないか、密かにほくそ笑んでいるのである。


(第3546話) 夫亡き後

2023年08月27日 | 人生

 “大学の同級生で、結婚して半世紀を経た私も夫も互いに相手に先立たれるのが嫌で、それぞれが逝った後のことが話題になれば、けんかになりました。六年間の闘病生活の末、夫が他界した半年前までは。
 最愛の人を失った私は悲しみや、むなしさを覚え、とめどなく涙があふれました。そんな折、ふと脳裏をよぎったのがどこかで目にした「共依存」という言葉。私たち夫婦もそんな関係だったことに気付き、みとる直前、私が「私ももうすぐ逝くから」と言ったら、「急がなくていい」と穏やかな口調で諭した夫の姿を思い出しました。今度こそ自立するぞと心に誓いました。
 きちんと食事を取り、体を鍛え、友人と旅行に行きたいな-。これが今の私の願いです。”(8月7日付け中日新聞) 

 三重県松阪市の三田さん(女・73)の投稿文です。夫婦どちらが先に逝くか、こんなことで争うのはたわいもない遊びである。どう思ったところでどうなるものでもないものを。しかし、それは実際にあるし、深刻な問題でもある。後に残された苦労を思えば先に逝きたい。わが夫婦もしかりである。わが家庭は日常の生活は妻が仕切っているが、主要なことはボクが仕切っている。ボクが先に逝ったら妻は苦労するだろうな、と思う。ボクの方が後の方がいい気がする。でも、先に妻に逝かれたら、ボクはすぐに日々の生活から困惑するだろう。
 ボクはつい最近までは、多分ボクが先に逝くだろうと思っていた。いくらボクが元気でも、男性と女性の平均寿命を見れば、明らかである。十年妻が長生きして普通である。ところが昨年、妻がリンパ腫で手術をしてからそうとは言えなくなった。いつどうなってもおかしくないからである。それに比べ、ボクは今年6月に元気になる手術をした。どちらが先に逝くか?こんなことで言い争いができるときは平穏な良いときである。三田さんはご主人を先に亡くされた。そして、自立すると誓われた。これでいいと思う。


(第3545話) 15年後の成長

2023年08月25日 | 行動

 “「十五年先の未来で私は何をしているのだろう?」と題した社会人向けのオンライン研修に参加した。五月までの半年間にあった計六回の講義を通じ自分の癖や価値観を知った上で、社会で求められるであろう人材像に自分を近づけようとした。思考や行動を少し変えていき、それを十五年続ければ、積み重ねできっと大きな変化につながるはず。さまざまな年代の方と議論するうちに、挑戦してみたいと思う仕事をはじめ、あと一年半後に定年退職して何をしたいかについて、前向きな皆さんから多大な刺激を受けた。
 今、私が思い描く近未来像はこんなふうだ。趣味のウオーキングや竹林整備に励み、研修仲間を大切にして家庭菜園も続け、それ以外のことにも挑戦したい。”(8月3日付け中日新聞)

 愛知県小牧市の会社員・匂坂さん(男・63)の投稿文です。定年退職を前に、オンライン研修を受けられた。15年先の自分を見つめるものであった。前向きな皆さんから多大な刺激を受けた、と言われる。と言うことはヒントや刺激をもらわれたのである。そして、それを頭に置きながら思考や行動を変えていかれれば、15年後も明るい人生である。「趣味のウオーキングや竹林整備に励み」とあるので、もうすでに始められているのである。それらを土台にしながら挑戦されれば、いろいろなことが見つかるであろう。
 匂坂さんは今63歳、ボクの63歳の時もウォーキングや環境整備に関わり、家庭菜園もしていた、と言うことでよく似ている。そして15年後は今のボクである。どんな成果を生み出されるか楽しみである。


(第3544話) 博物館浴

2023年08月23日 | 知識

 “博物館や美術館を訪れることで気分が落ち着くという「博物館浴」の効能を最近実感しています。以前、大学が各来館者への心身への効果を測ったところ、脈拍数をはじめ「疲労・無気力」に関係する数値が大幅に下がる一方、活気を示す指標が上がったそう。
 絵画が好きな私は大学生のときから美術館や博物館によく母と行きました。静かな空間で何も考えずに作品に見入っているだけで心がリフレッシュされ、展示品の背景や美術史といった説明も頭に入りやすくなる気がします。
 「博物館浴」の効果は私にとって森林浴よりも大きい気がします。皆さんも試してみてください。”(8月1日付け中日新聞)

 名古屋市の教員・青山さん(女・51)の投稿文です。海水浴、日光浴は昔から、最近は森林浴や岩盤浴もよく聞く。博物館浴は初めて聞いた。ここで言う浴とは、ある環境の中に身を浸すことである。博物館浴で脈拍数をはじめ「疲労・無気力」に関係する数値が大幅に下がった、と聞いてびっくりである。博物館や美術館に入って、興味のない人でもいやという人は少ないとは思う。こう言った場はともかく静かである。その静かだけでも効果はある気がする。でも脈拍数まで下がるとは、ビックリである。興味のある人なら尚更であろう。
 ボクに欠けているものの一つに、博物館や美術館行くことがあろう。博物館はまだしも美術館となるとよく分からないのである。この投稿文を読めば、分からないままにも行く意味はありそうだ。最近、ラインで自分の描いた絵を送ってくれる人が2人いる。こんなこともあって、老いの挑戦でもしなければならないか、と思っている。


(第3543話) この名前

2023年08月21日 | 意見

  “四月二十九日付本欄「名前 読みやすさは大切」に共感しました。私の名、「さちこ」を正しく読んでもらえず苦労しましたから。香川県出身の今は亡き父があえて「香」の字を当てて「こ」と読ませたと推察しますが、学生のときは新学期を迎えるたびに先生や友達から、そして大人になってもわが子の学校絡みの各種団体の担当者から、どう読めばいいのかと尋ねられるのが常でへきえきしました。
 四十年近く前、私が初めての子どもを出産したとき、病院の陣痛室で偶然同じ漢字で「さちか」と読む方と隣り合わせとなり、親近感を覚えました。「夜回り先生」こと水谷修さんの出版サイン会場で水谷さんから読みを聞かれ「すてきな名前ですね」と言ってもらい、うれしかったです。こんな私ですが、実は、わが子三人の名付けで最も重視したのは読みやすさ。名前は一生ものゆえ、間違いなく読めるものが一番だと思ったのです。”(7月28日付け中日新聞)

 愛知県豊川市のパート・藤井幸香さん(女・66)の投稿文です。名前に関する投稿である。ボクはこの話題を何回も取り上げている。それは最近の名前がスラッと読めないことが多いからである。そして、ボクは子の名付けでまず重要なことは、ほとんどの人が間違えなく読んでくれることだと思っている。いつか新聞で、高校野球の選手名にほとんどふりがなが振ってあって驚いたことがある。また今高校野球をやっているが、自信を持って読める名はわずかである。それ程に読めないのである。その他でも驚くことが多い。そして画数、形の取り方である。画数が多くなると形も取りにくくなることが多い。生涯、何度と呼ばれ何度と書く名前である。このことを親はどう思っているのか、ボクには不思議で仕方がない。
 実はボクの妻も「さちこ」である。そして漢字は「幸智子」である。先日妻に聞いてみたら「智」を書くのが面倒と言っていた。「幸子」は「さちこ」とも「ゆきこ」とも読める。「幸智子」は「さちこ」としか読まないだろうから、ボクは親の賢い知恵と思っている。


(第3542話) 食がつなげる

2023年08月19日 | 行動

 “私には障害のある娘がいます。外食や外出するにも細かなスケジュール調整がいるので「家でおいしい料理が食べられるといいね」と、主人が二十年ほど前から料理を始めました。経費をあまり考えない食材や新鮮な野菜を使用するので、夫婦バトルは尽きません。
 しかし、先日結婚した甥っ子のお嫁さんから「付き合いだして間もない頃、お店よりおいしい料理を作れる叔父がいるから遊びに行こうと言われたことがある」と聞きました。いつでも誰でも遊びに来られる、開放的な家を目指してきた私たちにとって、これほど嬉しいことはなく、二人で涙しました。まだ見ぬ甥っ子の子ども、その子どもにもそう思ってもらえたらどんなに幸せか。
 立て続けに、息子からも「彼女に父の料理を提供したい」とリクエストが入りました。あまり多く話さない親子ですが「食がつなげてくれている」と、主人は満足げです。
 これも娘がつくってくれた環境だと思っています。家族や親戚、そしてつながっているみんなに、改めてありがとうという気持ちになりました。新メニュー、期待しています!これからもよろしくお願いします。”(7月27日付け中日新聞)

 三重県津市の主婦・池端さん(50)の投稿文です。障害のある娘さんのために、父親が料理に励む。そしてその料理がプロ並みとなり、甥や息子さんから評価を受ける。食が関係をつなげてくれた、と喜ぶご夫婦。池端さんはこれを娘が作ってくれた環境と考えられている。いろいろな努力、考え方があるものと思う。
 男性がここまで料理に励むことは少なかろう。障害のある娘さんに対する愛である。そして、この環境を娘さんお陰と言われる。障害のある子供さんを持つと、やはりそれだけの努力がいる。その努力がいい環境を作る。よく障害のあるお子さんを持つ親の話に、この子のお陰という言葉が出てくる。これはその努力の分、家族関係を密にするのであろう。努力は様々効果を生むのである。


(第3541話) 地元の歴史

2023年08月17日 | 活動

 “愛知県春日井市の味美地区の歴史を後世に伝えようと、地元住民が集まって本を刊行することになった。私にも声がかかって、老人から聞いた昔の話をパソコンに入力したり、古い写真をデータに取り込んだりした。この作業を進めつつ、今は亡き祖父に「もっとこの地域の話を聞いておけば良かった」と侮やんだ。初めての編集作業とあって困難を極めたものの、歴史を受け継ごうとすることに携われた経験を通じていろいろと勉強することができた。
 本は今春刊行された。それにしても次代につなぐ編集に携われたことは望外の喜び。もっと味美地区の歴史をしっかり受け継いでいこうと思った。”(7月27日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の僧侶・輪田さん(男・39)の投稿文です。地域の歴史を残す、それも住民によって。この種はどこから芽生えたのであろうか?個人によって、有志によって、はたまたどこかの働きかけか。ボクには最初に声を出した人のことが気にかかける。ここさえうまく行き、始まってしまえば何とかなる気がする。専門家により歴史書ができるほどの地域ならいい。ところが多くはそれ程の地域は少ない。味見地区のきっかけを知りたいところである。
 ボクの地域に関する郷土史は、昭和31年の町村合併時に発行されている。それ以降、そんなことが進められていることは聞いたことがない。村の昔を知る人が亡くなっていく。そんな長老に、ボクはどんなことでもいいから、箇条書きにでも書いて欲しいと頼んだことがある。また、聞き取りをしようとしたことがある。しかし、いずれも何の進展も見せず終わってしまっている。地域の行事も慣習もどんどん変わっていく、減っていく。こういうことに興味がある人はいないだろうか。


(第3540話) 庭仕事

2023年08月15日 | 行動

 “わが家の庭の手入れや木々の剪定にいそしんで半世紀近く。庭師のやり方を見よう見まねで覚え、我流で取り組んでいる。庭での植樹も楽しみで、キンモクセイやヤマモモ、サザンカを植えた。最近は年を重ねたこともあり体への負担が気になる。一年半ほど前、はしごを上るのに不安を覚え、高さ3m以上の木数本はそれ以上伸びないよう最上段の枝を切り落とした。それでも形状のバランスはうまく保たれている気がしている。
 今春、家の周りの垣根として五十本ほどあったカイヅカイブキの管理が大変になって植木屋に全てを抜いてもらった。代わりにスチールフェンスで囲い、これで、ようやく身の丈にあった庭の作業量になったと思っている。”(7月27日付け中日新聞)

 愛知県知多市の外野さん(男・79)の投稿文です。ボクは半世紀とは言えないが、もう20年前くらいから外野さんに近い行動を取ってきた。ボクの家も多数の樹木がある。庭師が来てくれなくなって、ボクがその剪定を我流で始めた。そして数年前、脚立に乗るのをできるだけ抑えようと、多くの木を2m程度の高さで切ってもらった。見栄えは諦めた。今、もう1段、下げようかと考えている。木は伸びるのである。昨年から妻に手伝ってもらえなくなり、また年々自分は衰えていく。手に負えなくなってきているのである。身の丈に合ったものにする必要がある。
 外野さんやボクの家のように個人の庭木もどんどん減っている。新しい家はほとんど庭木を植えない。そして街路樹も管理が大変と減っている。社会の潤いが減っていく。樹木は水害や温暖化対策にも必要なものである。今までの豊かさはどこに行くのであろうか。


(第3539話) 100歳スイマー

2023年08月13日 | 行動

 “近所のプールでほぼ毎日泳ぐようになってはや七ヵ月。八十歳で水泳を始め百歳を超えた今も続けているという女性が紹介された新聞記事を読み、「自分もやろう」と考えたのがきっかけで、すぐに水着や帽子、ゴーグルを買いそろえた。泳ぎ方がいまひとつ分からず、子どもだったその昔、実家近くの川で犬かきをしたことをたどりつつ手脚をバタバタさせた。このプールに10~20年通っているという人と親しくなっていろいろと教わり、二十五メートルをクロールで泳げるまでになった。
 春の健康診断で腰の骨密度数値が改善したのはうれしい限り。泳ぐ前後のプール仲間とのおしゃべりも楽しい。私が目指すは百歳スイマー。”(7月22日付け中日新聞)

 岐阜県郡上市の古池さん(女・80)の投稿文です。八十歳で水泳を始め百歳を超えた今も続けているという女性の話しを聞いて、自分も80歳、すぐに始めようと水着等を買いそろえる。そして読む限り、今までに水泳に親しんだ感じはない。今25mが泳げるようになった。そして100歳スイマーを目指すと言われる。全く突然の行動である。この行動を何と解釈すればいいのか。室内でする手芸や文芸ではない。運動と言ってもウォーキングやグラウンドゴルフと言った軽いスポーツではない。水の中に入るのである。裸になって着替えもしなければならない。身の程知らず、無謀と言われてもいい行動である。家族の方は止めなかったであろうか。 それにしても人間、やる気になれば何でもできるものである。そしてそれをやる人がいるのである。この人の気なれば、ボクなど何でもできる、何をやってもおかしくない。今いろいろやってみようという気はある。考える幅をもっと拡げる必要があろう。


(第3538話) 封筒の気遣い

2023年08月11日 | 出来事

 “全盲の息子は仕事で年に何度か東京に出張します。新幹線の切符は事前に購入するのが常で、「間違いがないように」と私がいつも同行しています。
 六月中旬、息子の職場に近いJR金山駅の切符売り場を訪ね、いつものように往復切符を買い求めました。障害者手帳を窓口で示しても、購入したものをそのまま手渡すだけの人が多い中、その日の若い男性職員は往路と復路を別々の袋に分けて入れてくれた上、「行きの方は少し袋の右上を折り曲げておきました」と息子に手渡してくれたのです。こんな息子への気遣いをじかに目にしたのは初めてで、思わず胸が熱くなりました。”(7月18日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・久保さん(82)の投稿文です。新幹線の切符を、全盲の人が使いやすいように配慮した駅員さんに、感謝した投稿である。久保さんがこう言った配慮を目にされたのは初めてのことであるようなので、JRのマニュアルになってはいないようだ。若い男性職員の心遣いのようである。こういう配慮に行き着くには、全盲の人の苦労を知らねばなるまい。そういう機会があったのだろうか。こういう知恵も積み重ねである。
 世の中マニュアルだらけである。良い印象を持たれるような配慮は必要である。しかし、その場の状況を考慮せず、機械的にマニュアルに沿った言葉や行動でちぐはぐなことも多い。ここは気持ちである、愛である。一朝一夕ではできない、常日頃の心がけである。


(第3537話) 投稿60年

2023年08月09日 | 活動

 “新聞への各種投稿を始め気付けばはや六十年。掲載総数が千の大台まであと十数回に迫ってきました。最初に載ったのは高校一年生の墨で描いた腕時計のイラストでした。社会人になって本欄に挑戦し二十二歳でミニレターの封筒を題材につづりました。女子レスリングで一時代を築いた吉田沙保里さんが世界大会十六連覇を達成した喜び、第三セクター「四日市あすなろう鉄道」の健闘をたたえたもの、趣味で集めた鉄道記念切符や切手を展示したことが掲載されました。撮影した写真が新聞に載ったこともあります。
 わが投稿が掲載された新聞は全て切り抜いてスクラップブックに貼っています。いわば自分史でもあり、読み返すたび当時の記憶がよみがえってきます。”(7月18日付け中日新聞)

 三重県津市の伊藤さん(男・75)の投稿文です。投稿をマニアにしている人もかなりあろう。でもこれは採択されるだけの価値を持たねばならない。それが60年、1000数である。没になったのはその何倍、何十倍であろう。どれだけの努力をされたのか、ボクには想像ができない。不特定多数の人の目にさらすのである。好意的ばかりでなく、批判する人もあろう。最近のSNSを見ているとよく炎上している。そういうことも数知れずあったと思うが、伊藤さんの誠意が勝っていたのだろう。あっぱれである。
 ボクはこうして「話・話」 でいろいろ公表しているが、幸いに批判を受けたことはない。読者が限定されているのだろう。そして、どちらかというと心温まる話を選択している。伊藤さんと比較できるものではないが、自分史と思う気持ちは同じかも知れない。


(第3536話) 暑中見舞い

2023年08月07日 | 行動

 “暑中見舞いのはがきを毎年百枚ほど出しています。二十年続くわが恒例行事となっていて、くじ付き専用はがきが二年前に発行されなくなっても、あいさつ文に家族の近況報告を詠んだ短歌を添え、夏の風物詩の絵を描きます。それらを家で印刷して一枚ずつ絵の具で着色してから自作のはんこを押し、宛名を筆ペンで書けば完成です。作成に数日かかりますが、受け取った人が喜んでいる姿を想像するのも、また楽しいひとときです。
 はがきに代わって電子メールや無料通信アプリを介してのやりとりが増える昨今です。わが家に届くはがきの数もひと昔前と比べてかなり減りました。それでも私はこの先も、手紙やはがきの温かみを大切にしていく所存です。”(7月17日付け中日新聞)

 名古屋市の佐野さん(男・75)の投稿文です。冬の年賀状に対して夏の暑中見舞いがある。いつから始まったのか、郵便局にどのような思惑があったのか知らない。でもこの二つ、普及度について大きな違いがある。暑中見舞いを出す人は少ない。暑中見舞い用の葉書をかつては買っていたことがあったが、はるか昔のことである。ところが佐野さんは、毎年100枚くらい、もう20年以上続けている恒例行事と言われる。そしてかなり念入りな作成である。作成に数日かかると言われる。これはもらった方に印象は強い。生涯忘れられることはないだろう。年賀状ではありふれている、印象も弱い。人と違ったことをする、これも知恵の使いようである。良いことを恒例にされたと思う。
 この暑中見舞い、裏面はボクの英人書とそっくりではないか。句に絵に印、ほぼ同じものとは言え、100枚である。凄い努力である。並の気持ちではできない。でも、ボクに何かヒントをもらった気がする。


(第3535話) 魔法の握手

2023年08月05日 | 行動

 “「行ってらっしやい」と、私は夫をいつも握手で送り出している。それもとうとう終わりの日がやってきた。勤続四十五年、退任の日を迎えたからだ。思えば三十代の頃、知人の先輩から、「握手して旦那さまを送り出すとすごくいいわよ!!」と教えていただいたことがあった。
 「本当にそうかなあ」と半信半疑で翌朝、早速実行してみた。夫は「えーっ!!」と照れて、その日はタッチしただけで出かけてしまい「あー失敗」。次の日、また次の日も、私のチャレンジは続いた。そして、それからなんと今日まで続いている。
 前日、喧嘩をして少し気まずい朝も、子どもが病気になり心が押しつぶされそうになっていた時も、黙って差し出す私の手を、そっと握手して応えてくれた。その時、一瞬で私の心の中を温かい風が満たしてくれた。魔法の握手に、私は何度救われたことか。
 今では、自然に夫からも握手をしてくれるようになった。今日は退任の日。ありったけの笑顔で感謝の気持ちを込めて、握手にも力が入った。長い間、お疲れさまでした。そして、これからの新たな人生の旅も、魔法の握手といっしょに仲良く続けていけたらと願い、夫の車に手を振る私が、そこにいた。”(7月15日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の主婦・中根さん(66)の投稿文です。ご主人の出勤の時、玄関で握手をして送り出す。新婚の頃なら「そうですか」と、言うだけのことであろうが、それが退職するまで何十年間となると、日本ではもう普通事ではない。外国では知らないが、日本では希有な夫婦の行動であろう。他の夫婦をのぞき見したこともないし、話としても聞かないので、キスもハグも稀であろう、と思っている。しかし、この話のようにボディタッチの効用は大きいのである。喧嘩をした時、心配な時には特にである。そして、中根さんは知人の言葉を真に受けられ、何十年間と実行されたのである。魔法であった。素晴らしい人生となった。めでたし、めでたしである。
 わが夫婦も、全く覚えていないが、ある時期から無縁となった。ところがである、数年前からハグが復活したのである。毎朝ボクの方が早く起き、机に向かっている。そして遅れて起きてきた妻がハグをしてくるのである。ボクも受け入れる。折角夫婦となったのである。夫婦なら堂々として良いことである。こういうこともしないのはもったいないのではなかろうか。どこまで続くのであろうか。


(第3534話) ありがとう

2023年08月03日 | 出来事

 “昨年十月に母親が九十四歳で他界した。コロナ禍で葬儀のあり方が変わる中、ごく身内での家族葬をした。香典も断ることにした。ところが、三十代の甥っ子、姪っ子三人から「生前はおぱあちゃんにとてもお世話になったから、香典を受け取ってほしい!」と懇願された。どうしようか困惑していると、姪っ子から「このお金を’軍資金’にして、来年、みんなが楽しめるイベントをやろう!」と言われた。思ってもいない提案で驚いたが、嬉しくもあり、三人の香典を「一時預かり」することにした。
 それから、首を長くして待つこと半年。妹夫妻から「六月に愛知県犬山市の入鹿他のほとりにあるグランピング施設で、みんなでテント泊することが決まったよ」との連絡があった。参加予定は大人が七人、小学生二人、幼児三人の大所帯だ。
 そして、その日がついにやってきた。陽が沈み、夕闇が迫る中、野外でのバーベキューが始まろうとした時、突然、姪っ子が「おばあちゃん、ありがとう!」と叫んだ。「ありがとうって?」と聞くと「おぱあちゃんが、みんなを引き寄せてくれたから」と一言。香典のことが、こんな素敵なふれあいの場につながるとはビックリ。私も心の中で「おふくろ、ありがとうね」とつぶやいた。”(7月14日付け中日新聞)

 名古屋市の佐々さん(男・72)の投稿文です。葬儀の香典の話から親族揃ってのキャンプに繋がった。知恵は出しよう使いようである。
 まず葬儀である。コロナ禍が拍車をかけるように家族葬が世の趨勢になった。そして、香典も断る。今までの社会慣習が廃止されていく。ボクには寂しく思うところだが、いかんともしがたい。そして、お世話になったお礼に、その気持ちを表すためにも香典をどうしても出したいという甥っ子、姪っ子。その妥協策して、香典を軍資金として大家族でキャンポのイベントとなった。そして、こんなきっかけとなったおばあちゃんに感謝の言葉である。家族のそれぞれの思いが繋がった。母の死が忘れ難いこととなった。人生の豊かさは、こういう良い思い出をいくつ持てるか、大きくかかっていると思う。そしてそこにあるのは、思いやりや愛であろう。形は変わってもこのことの大切さは変わらない。


(第3533話) 育ての父

2023年08月01日 | 人生

 “五歳だった戦時中の一九四二(昭和十七)年秋、写真でしか顔を知らない父が出征先の中国で亡くなりました。やがて松葉づえを突く傷痍軍人のお兄さんと仲良くなり「お父さんになってよ」と冗談で言っていたら、本当に母と再婚し、足が冶った四五年三月、赤紙が届いて再び戦地に赴き秋に帰還しました。
 育ての父は農業をしながら私たち子ども四人の面倒を見てくれました。二十歳で嫁ぐ私に、驚くべき話をしてくれました。育ての父は何と実父の部下でした。中国での戦闘で機関銃の弾が足に当たって負傷、いざ帰国するにあたり実父から「妻子に自分が元気だと伝えてくれ」と言われたとか。帰国後、実父の戦死を知り、幼い私を見て「この子を育てよう」と決意したそうです。その十一年後、五十五歳で病死しました。こんな二人の父に思いをはせる機会が増えた今日この頃です。”(7月13日付け中日新聞)

 三重県津市の松田さん(女・85)の投稿文です。戦争は勝っても負けても国民には悲惨です。負ければ尚更です。松田さんは実の父を戦争で亡くされ、そして育ての親とのこの巡り合わせ。育ての親の優しさに、何とか救われた思いでしょう。
 人生にはいろいろな巡り合わせがある。ないようでもあるのが人の一生である。ボクなども特に取り立てて言うようなことは無いと思っていた。ところが最近になっていろいろなことを知った。まずボクの父について、私生児でもらわれ子だろう、と言うことは戸籍を見て気がついていた。だから、父と祖父には実際の血のつながりはないとズッと思っていた。ところが祖父の妹、つまり叔母さんの子であることを昨年知った。何かホッとした思いを抱いた。数年前のことである。義弟が突然死をした。相続手続きをしている間に、義兄があること分かった。これには驚いたが、何とか相続問題はうまく解決できた。そして思ったのは、父母は元より親族の方にいろいろ聞いておくべきある、と言うことである。




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