“母の姉である伯母の三回忌法要が四月に営まれ、そこで僧侶が語った「幸せは人と比べるものではなく、当たり前でもありません。それに気づくか、どうかです」が今も私の心を離れません。日ごろ、他人と比べがちな私には身に染みたのです。それから、「自分は幸せなんだ」と自らに言い聞かせ、あまり大きなものを求めず、ちょっとした幸せを大切にしようと考えるようになりました。すると三度の食事や友人と一緒にいる時間がかけがえのないものに思えてきました。
生前感謝の気持ちをよく口にした伯母に向け、私は「幸せに暮らしているよ。見守ってくれてありがとう」とつぶやいています。”(8月8日付け中日新聞)
愛知県稲沢市のパート・黒田さん(男・41)の投稿文です。人は生まれて以来、小さいときから競争をさせられて生きてきている。競争をすると言うことは、人と比較すると言うことである。今更比較するなと言われても無理である。成長すればするほど、競争である。それを生き延びた人が勝者である。競争して勝つのは正義である。生涯続くのである。
そんな中で「比べなくていい」と解かれる。黒田さんは、法要の時に僧侶の方から解かれた。宗教の世界である。これほど違う世界を解かれようとは、戸惑って当然である。ここをどう理解するか、どう受け入れるか、難しいことである。簡単には説明できないが、勝っても絶対の勝者にはなれず、上はどこまでもあり競争は続くのである。そして明らかなことは、比較していては平穏な世界は訪れないことである。これほど明らかなのに、なぜ人は競争社会に生きるのであろうか。