ha2307

第229号  2023年7月

 
 

(第3532話) 平成ホタルの会

2023年07月30日 | 活動

 “ホタルの飼育や環境保全に取り組む一宮市の市民団体「一宮平成ホタルの会」が、第三十四回「みどりの愛護」功労者国土交通大臣表彰を受け、市役所で中野正康市長に報告した。同団体は、昭和三十年ごろまで濃尾平野に生息していた「ヘイケボタル」が成育できる環境づくりを目指し、二〇〇〇年に設立。「ホタルが舞う姿をもう一度、私たちのまちに、子どもたちに」を合言葉に、市内の大野極楽寺公園野鳥園を拠点に活動を続けている。
 現在の会員は約七十人で、同園の水辺環境や竹やぶを整備したり、ヘイケボタルの人工飼育に取り組んだりしている。その結果、ヘイケボタルの自然発生が確認されたほか、元々いたヒメボタルも多く飛び交う様子が見られるようになった。
 伊藤勝英会長(ハ一)は一宮にもこんなにホタルがいるのってびっくりするくらい増えた」と振り返り、「長い間やってきた成果」と受賞を喜んだ。”(7月6日付け中日新聞)

 記事からです。一宮市の市民団体「一宮平成ホタルの会」が表彰を受けた話です。今ホタルを飼育している団体は結構あると思いますが、この会はその草分けのような団体でしょう。2000年設立とありますので、もう23年です。そして、ボクはこの団体をもう20年近くも前に知っていたのです。そのころボクはグラウンドワーク東海という環境団体に所属していました。そして、この平成ホタルの会も所属していたのです。ホタルの飼育場所を見学に行ったこともあります。ボクはグラウンドワーク東海を10数年続けたのですが、入会していた頃にはいろいろな体験をさせてもらいました。今となっては良い思い出です。
 そして、平成ホタルの会など知っている会がまだ活躍していることを聞くと嬉しくなります。こうした活動には長い期間が必要です。グラウンドワーク東海も後にNPO法人となります。ところがNPO法人を続けるのはなかなか難しいことです。設立したときはやる気満々の人達が多いのですが、後継者がなかなか見つからないのです。そうした中で継続されている平成ホタルの会は立派なものです。


(第3531話) 廃品回収

2023年07月28日 | 活動

 “私が会長を務める子ども会が、新型コロナウイルスの影響でずっと中止になっていた廃品回収を五月下旬、四年ぶりに催しました。小学校五~六年生とその保護者の総勢四十人が早朝から町内の各家庭を回っては新聞紙や段ボール、空き缶を集めていきました。皆笑顔で楽しそうにリヤカーを押したり、リサイクル資源を運んだりしました。総回収量は千六百キロ余に達し、トラック二台分に積み込みました。
 リサイクルの必要性、暮らす地球上でのエコ活動の大切さが声高に叫ばれる昨今ですが、特に次代を担う子どもたちにとっては今回、貴重な学びの場となった気がしています。児童の何人かは「また親子でやりたい」と言ってくれ、うれしい限りです。”(7月6日付け中日新聞)

 三重県津市の主婦・松尾さん(44)の投稿文です。この廃品回収はどういうやり方なのでしょうか。自分達が自主的に廃品回収をしてりサイクル工場に持ち込んだのでしょうか?それとも市町の決めた資源ごみ回収の日に、皆さんが持ってくるのを待っていず、回収して回ったのでしょうか?
 ボクの村の昔を思い出してみます。と言っても娘が小学校の頃です。今でも同じですが、市の決めた月1回の資源ごみ回収の日があり、その手助けをする担当(会)が決められています。子供会、女性部、老人会等です。その日の収益は担当した会に渡されます。これは大きな資金源です。昔は、その収益を多くするために回収して回ったのです。それが、松尾さんの言われる資源ごみ回収ではないでしょうか。そして、娘が小学生の頃はこのようにリヤカーで回って集めたのです。いつ頃からそのようにする会がなくなったのか、ボクには分かりません。
 ボクは今老人会の会長をしています。老人会は9月2月が担当です。ボクはその数ヶ月前に老人会会員に、資源ごみは取っておいてこの月に出してください、とお願いの回覧を回しています。それをしなかった以前より数十%多くなりました。このことから、言えば答えてくれる、そう思っています。


(第3530話) 紙の辞書

2023年07月26日 | 意見

 “高校生になった孫は学校で指示された通り国語辞典と漢和辞典を買いそろえました。ただ中学生のときの辞書は奇麗だったので、少し不満そうでした。聞くと、高校入学前は意味の分からない言葉は情報端末のタブレットやスマートフォンで調べるため、紙の辞書はあまり使わなかったとか。
 私も確かに園芸や料理で調べたいことはスマホですぐに検索してしまいます。でも漢字や言葉の使い方を知りたいときはたいてい紙の辞書を利用しています。手紙や書類を作成する場合、特に失礼や間違いのないよう慎重に一つ一つの言葉を確認しながら書きたいですから。
 紙の辞書には思わぬ副産物もあります。ページをめくる過程で目的外の発見があり、さまざまな用例を知って得した気分になれます。孫にも、やや遠回りした学習の楽しさを知ってもらえたらな。”(7月1日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の主婦・水川さん(71)の投稿文です。アナログかデジタルか、それぞれに利点がありいろいろ議論の対象になってきましたが、もう昨今では完全にデジタル時代です。スマホはもう切っても切れない人が多いでしょう。学校ではタブレットが必需品です。その中で紙の辞書の話です。副産物の話もあります。71歳の主婦の方の意見です。どこまで若い人に話が通じるでしょうか。
 我々は当然ながらアナログから始まっています。次第にデジタル世界になり、その両方の利便さを知っています。新聞や本の良さは必ずあります。先日娘が来て、新聞を取っている世帯は所々しかないと言っていました。そして自分の家も止めたと言っていました。でも、無くなっていいとはとても思えません。時代は流れていきます。アナログの良さを知らない世代が多くなっていきます。今までの社会では、新聞も本も利益の上がるほどの利用者があって成り立つ企業です。本屋さんはどんどんなくなっています。そのうち新聞社もと言うことになるでしょう。どうなっていくのでしょう。


(第3529話) 毎日2万歩

2023年07月24日 | 行動

 “体力維持のため長年続けるウォーキングではここ三年、毎日二万歩を目標としています。合わせて取り組んでいるのが声かけです。住宅地の狭い道を通っていて、ちょうど家の前にいた高齢女性に話しかけてしばらく世間話をし、去り際に「ぜひここを通って、また会って話しましょう」と喜ばれました。過日、突然雨が降りだし、洗履物を外に千している家の住人に伝えて感謝されたこともありました。
 散歩は続けるのが大変とためらわれる人もいますが、まずは家の周辺から歩いて、慣れたら距離を伸ばしていくのがいいと思っています。歩けば、私の場合、食欲が湧き、夜はすぐに寝付けるようになる上、気分転換にもなりますから。”(6月30日付け中日新聞)

 愛知県知多市の藤田さん(男・82)の投稿文です。82歳で1日2万歩、素晴らしいでしょう。一般に1日1万歩と言われている中でである。そして、歩いていろいろな余録を得られている。これがまた素晴らしい。歩く以上に人と接することが大切である。たわいもない話でもいいし、時には重要な話も出よう。
 1日1万歩についてもいろいろな考え方があるようだ。人にはいろいろな生活がある。1日1万歩と言うと約1時間半から2時間かかる。これだけの時間を取るのが難しい人もあろう。8000歩でもいい。また1週間をならして1日1万歩でいいという話もある。無理なく、継続しておこうなことが大切である。
 ボクはいろいろな歩く会に属し、役員を務めてきて、定期的に歩いていると思われていると思うが、実際はそんなに歩いていないのである。もう少し余裕ができたらそうしたいと思っているが、まだ先のことのようである。それでも歩く力を備えているのは、畑仕事などいろいろなことをやっているからだと思っている。


(第3528話) 陽口

2023年07月22日 | 知識

 “「陽口」という言葉を知ったのは、義母が亡くなる数カ月前、たまたま開いたツイッターからでした。「陰口」の反対で、相手のいないところで、その人のことを褒めることを言います。そして数カ月後、その言葉の意味を実感することになりました。
 義母が亡くなった時、妹さんやお友だちが「いつもあなたに感謝しているって言ってたよ」「いい子だって褒めてたよ」「嫁をあんなに褒める人は珍しい」と、次々に言ってくださったのです。
 そういえば、デイサービスに行きたくなくて、朝から私と口嘩をして「行ってらっしゃい」と言っても、返事をしないで出かけたことがありました。そんな時も、職員さんには「嫁がいいから、家が一番いい」と言ってくれていたそうです。認知症が進んで、私は愚痴もこぼしていたのに、義母はずっと私のことを褒めてくれていたのですね。やっぱりお母さんにはかなわないなぁ。最後にまた、大切なことを教えてくれてありがとうね。三十七年間、楽しかったね。
 もう時間だね。えっ? 行きたくない? ダメだよ、お迎えの人が待ってくれてるよ! 「行ってらっしやい」 ”(6月29日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・前田さん(58)の投稿文です。面と向かって褒められるより、人からこう褒めていたよ、と伝えられた方が嬉しく思う。面と向かっては、悪口など言えない、お世辞かと思ってしまう。ボクなど人前で話すことも多く、本当は評価を聞きたいところであるが、聞かないことにしている。聞いたとて、悪く言うはずがない。褒められて嬉しがっていてはそれこそ愚の骨頂である。そして、本人がいない人同士だと何も褒めることはない、返って陰口の方が多い。それだけに真実味を覚える。この言葉はボクも知らなかった。陰口があれば、反対言葉もあるはずである。これが陽口であった。いいことを知った。
 陰口もいつか本人に入るはずである。人の口に蓋などできない。内緒事はいつまでも内緒事で済まない、それが世の常である。陽口はどんどん言うべきである。陰口は慎むべきである。人間往々逆が多いのである。


(第3527話) 弁当の味

2023年07月20日 | 出来事

 “初夏を迎えるたびによぎるのが中学校二年生の記憶-。同級生四十八人は遠足に行き、私と男子生徒一人が教室に残った。私は腎臓病の冶療中だっただけに無理をさせたくないとの母の思いをくんだのだ。それでも本音では遠足に行きたかった。普段見学が多かった体育の授業にずっと参加したかった。チャイムが鳴って半日の自習時間は終わり、当番の先生から下校が許可された。帰ろうとしたら私と居残った生徒が「弁当を持って来たから一緒に食べよう」と誘ってきた。タケノコの煮物の味付けはやや濃かったが、実においしかった。あの弁当の味と、友とのひとときは絶対に忘れない。”(6月29日付け中日新聞)

 名古屋市の豊島さん(男・75)の投稿文です。体育や遠足に参加できない生徒、ボクの小学校の時にも一人ありました。体育はいつも見ていました。そして、20歳くらいまでしか生きられない、と聞いたこともあります。しかし、元気になられ55歳くらいまで生きられました。バイクで走り回っていた姿が思い出されます。
 豊島さんは腎臓を患い、中学2年の遠足の時、学校に居残りとなり、その時の思い出を投稿されました。嬉しかった思い出です。そして、今75歳。もう同級生で亡くなられた人も多いでしょう。人の寿命は分からないものです。元気な人が突然亡くなったり、病気がちの人が長生きしたり。ともかくできることは、毎日毎日悔いなく生きることでしょう。この姿勢は老いてくるほど大切になります。明日は分からないですから「明日死ぬと思って生きなさい」。難しいことですが、心構えです。


(第3526話) 点字ブロック 

2023年07月18日 | 意見

 “六月一日付本欄「点字ブロック上あけて」を読み、投稿した小学生の思いが一人でも多くの人に届く手伝いができたらと考え、ペンを執りました。随分前のことです。駅で知人と待ち合わせをしました。あのときはばかなことをしてしまったと反省しきりですが、私は点字ブロックを踏んだ状態でいたのです。白杖の人が急に視界に入ってきて慌てて退いて、事なきを得ました。
 そんなことがあってから、信号を待っている際は点字ブロックにかかっているかどうかを必ず確認しています。それでもブロック上にいる人をよく見かけます。ブロックの上に商品を並べた出店があったり、旅行者がかばんや荷物を置いたりしていることもままあって。少しの間だからとか、視覚障害者がそぱにいないからと思っているのかもしれませんが、それは間違いです。配慮が欠けた社会では絶対優しさは生まれません。”(6月28日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の松下さん(男・75)の投稿文です。点字ブロックの上に立つ、ものを置く、この間違いもよく指摘されることです。多分悪気はないと思いますが、配慮不足です。視覚障害者がいないのだからいいだろう、という言い訳はできません。こういうことになれてしまうと、肝心の時にもやってしまいます。これは常日頃からの心がけが大切です。商品を置くなどとんでもないことです。そういう店では買わないことです。松下さんが言われるように、配慮が欠けた社会では絶対優しさは生まれません。一事が万事と思われても仕方がありません。日頃から、優しさに心がけたいものです。


(第3525話) お年玉

2023年07月16日 | 出来事

 “郵便物の中に、息子宛ての葉書がありました。私が平素お世話になっている銀行からのお知らせです。息子の預金が何年も出し入れがないのでどうしますかとのこと。これはどうしたものか。十年前に息子は亡くなっています。独身だったので家族もありませんし、通帳もありません。額は些少でしたので、手続きすれば簡単に頂けるものと思い、銀行に電話しました。
 すると「本人の戸籍謄本がいります」とのこと。市役所へ行って謄本をもらい、銀行に出しました。ところが本人の出生地の戸籍が必要だと。本籍は現住所なのですが、出生地は他県でしたので、他県の市役所に問い合わせました。遺産相続になるので、相続人の印を押すとか、いろいろ煩雑な手続きを経て、やっと成立し、わずかぱかりの金額を受け取ることができました。四十五歳で交通事故で逝った息子から生前、お小遣いなどもらったことはないですが、思いがけず「お年玉」をもらうこととなりました。
 主人が逝って二年。生きていたら、全部主人がやってくれたことでしょう。それにしても、思わぬ手間がかかってしまいました。でも頭のいい運動になりました。天国の息子よ、お年玉、ありがとう。”(6月28日付け中日新聞)

 岐阜県大垣市の主婦・清水さん(81)の投稿文です。清水さんは45歳の息子さんを亡くされ、そして今回思いがけなくその息子さんからお年玉をもらうという、体験をされた。寂し中にも、ホッと嬉しくなる出来事だったでしょう。人生にはこんなこともあるのだ。
 しかし、いくらのお年玉だったかは知りませんが、この手続きは大変だったようです。それもご主人を亡くされた後で、全部自分にかかってきました。こんな額でこんなに大変ならもう諦めよう、と言う気になられなかったでしょうか。でも手続きは額の問題ではありません。相続人の確定など法的問題です。間違っていたら大変ですから、相手方は徹底的に調べます。私も3度経験しました。義弟の時はもう諦めようかとしましたが、お願いした司法書士の方が頑張ってくれて、無事解決しました。
 相続は手続きだけでもこのように厄介です。こじれたら更に厄介です。相続問題でこじれて、それがきっかけで犬猿の仲になる場合もあります。そんな例をボクは何人も知っています。できるだけ整理しておくのも務めでしょう。


(第3524話) 頑張って

2023年07月15日 | 出来事

 “私は四十年、配達の仕事をしています。最近は持病の心房細動の症状が進み、息切れに悩まされつつ、仕事をこなしています。心房細動は、一定のリズムを刻んで動くべき心房が、小刻みに震えてしまう不整脈の一種。動悸や息切れが現れます。配達作業は階段の上り下りが多く、数段上るだけで肩で息をしてしまう始末。配達先には、階段を上る家が数軒続く箇所があり、いつも「ハァハァ」と言いながら配達をしていました。
 ある日、その階段を上っていると、どこからともなく「頑張ってくださ~い!」の声が聞こえてきました。辺りを見渡しても人影はなし。ふと向かいを見ると、小学校の校舎二階の窓から、子どもさんたちが、手を振っています。私と目が合うと、もう一度、「頑張ってくださ~い!」と叫びました。私も手を振りながら「ありがと~!」と応えました。一瞬にして足取りと心が軽くなり、軽快に階段を上れました。
 幼い時はよく言われた「頑張って」という言葉も、久しく言われていませんでした。デリケートな現代社会では、使い方に気を遣う「頑張って」。しかし、その日、私は小学生に言われて、心底嬉しく励まされました。今でも階段の前に立つと、あの声が聞こえてきます。「頑張ってくださ~い!」”(6月21日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の会社員・鬼頭さん(男・59)の投稿文です。配達の仕事も、若いときならまだしも年老いてくると大変である。この話のように、重いものを持って階段を上がるとなると更に大変である。病気を持てばもっと大変である。そんな鬼頭さんへ「頑張ってくださ~い!」の声援。一瞬にして足取りが軽くなったと言われる。思わぬ出来事である。こんな感動も子供の素直な心からの贈り物だからであろうか。
 そして、ボクがこの投稿文で気にしたのは「頑張って」と言う言葉である。鬼頭さんも書かれているように、この「頑張って」と言う言葉は、現代社会では使い方に気を遣う言葉の一つのようである。特に病人に使うときである。何という言葉をかけていいのか分からず、つい「頑張って」と言ってしまう。これほど頑張っているのに、これ以上何を頑張れというのか、と言う反発になる。その他、受験生や病人の介護の方、頑張っている方には特に注意が必要である。ところがなかなか他の言葉が浮かばないのである。難しいところである。
 ボクもこんな知識があり、自分に対しても人に対しても「頑張る」という言葉は極力使わないようにしてきた。ところが最近交流の始まったボクのメル友でいつも「頑張ります」という人がいる。そして、ボクもつられてつい「頑張ります」と言ってしまう。自分に使う分にはいくら使ってもいいのだ。思い切り使って自分を鼓舞したい。


(第3523話) ボウリング場

2023年07月14日 | 出来事

 “行きつけのボウリング場が年内で閉鎖するというボードが掲げてあって衝撃を覚えた。わが家から自転車で十分ぐらいの場所にあり、最初に利用してから三十年になる。今もよく通っていて時折友人や娘夫婦を誘って訪ねている。心地よい汗を流せるのはもちろんストライクを出したり、両端のピン何本かを残しての第二投で全てを倒したりした時に周囲から送られる拍手は最高だ。見ず知らずの人からハイタッチを求められるのはボウリングならではの良さという気がしている。聞けば、このボウリング場は営業を始めて半世紀。日々奮闘されているスタッフの努力と明るい笑顔には頭が下がる。”(6月19日付け中日新聞)

 名古屋市の泉さん(女・64)の投稿文です。ボウリングも一時代を風靡する時代があった。ボクが就職した頃からである。そして、次第にする人が減り、ボウリング場も閉鎖されていった。そうした中でいくつは生き延びていき、今も存在する。
 ボクもはやった時代にはよく出かけていたが、流行が止むととも行かなくなった。そして昨年参加したシルバーレッジに、ボウリングサークルができ、それに参加することにした。そして、昨年8月以来ほぼ毎月1回行っている。まさに何十年ぶりのボウリングである。毎回の参加者は12名ほどであるが、なかなか盛り上がっている。ストライクが出たり、難しいピンが残りスペアーになったりしたときには大はしゃぎである。思わず大きな声が出る。そして、ハイタッチである。大きな声を出す、高齢者にはこれだけでも魅力がある。ボクは普通には110~140点くらいであり、成績は二の次である。が、やっていればとんでもないことが起きるのである。30人ばかりの5月の大会では準優勝になったし、7月の例会では1ゲームでストライクが6つ、201点を出した。信じられない。何でもやってみるものである。


(第3522話) OB会

2023年07月12日 | 人生

 “新型コロナウイルスの影響で中断していた、私が勤務した職場のOB会が五月半ば、三年ぶりに開かれました。11人が集まり昼食を口にしてのひとときを楽しみました。このOB会は十年ほど前に始まりました。わが社会人生活を振り返っても、四十年ほど前に属したこの職場ほど皆が一致団結した部署はありませんでした。大きなプロジェクトが無事終了して、特別表彰をもらったこともありました。メンバーそれぞれが自分の役割を自覚して責任を果たし、そのチームワークを高く評価してもらえたのがとにかくうれしかったです。
 久々の会では今回も思い出話や現況報告で盛り上がり、八十代となった上司が勉強やスポーツに励む姿に大いに刺激を受けました。”(6月19日付け中日新聞)

 名古屋市の高井さん(男・69)の投稿文です。職場のOB会もこのコロナ禍で中止になった例は多かろう。高井さんは3年ぶりのOB会に出席され、楽しい思いをされた。OB会ができるのは当然いい職場であったろう。しかし、こうした集まりも少なくなる時代である。今の人はいつでも職場に関わることを嫌う傾向がある。用がなくなれば終わりである。これを寂しく思う年代は我々までか。
 ボクも今年4月に、3年ぶりに元職場の集まりがあった。昭和53年からほぼ毎年1回集まってきた。もう40年以上である。今年は16名の参加があった。96歳の所長、92歳の課長も出席された。こんなに長く続く会は、世の中広しといえども、珍しいのではなかろうか。この会の結束の強さの理由は当然にあるが、ここで書いて理解してもらうのは少し難しいと思うので省くかせてもらう。この年、本当に奇跡のようなことが起きたのである。世の中いろいろ、人生いろいろ、いろいろ体験できたことは幸運というものである。


(第3521話) 農は国の元

2023年07月10日 | 意見

 “先日、ようやく田植えが終わった。ほとんどのものを輸入に頼っている日本。コロナ禍と長引く戦争の中で、せめて自分たちが食べるものぐらいは、自分たちで作らないといけないのではないか、という気持ちが高まって作業を行う。しかし、田植えは大変だ。その大変さを感じてか、今年は大学生の娘までもが田植え機に乗り、家族総出で作業した一大行事であった。
 そんな中、気になる記事をネットで見つけた。水田のカエルの鳴き声がうるさいという苦情だ。確かに田んぼに水を張れば、カエルが一斉に鳴きだす。本当にびっくりするぐらいだ。でも、それが「平和の証し」だと私は感じる。
 最近は、後継者不足ということで水田を手放す人が増えている。住宅が建てば、カエルの鳴き声もなくなるが、生産高も減ってしまう。カエルが減るような農薬を撒けば、おのずと米にも影響が出る。先述の苦情を言う人は、今後いったい何を食べていくのだろうかと考えてしまう。
 いま一度、農作業を理解していただきたい。人間は食べなければ生きていけない。細い苗がだんだんと緑の葉を伸ばし、そよ風になびく。秋になると稲穂が垂れ下がる。どうか稲が育っていく過程を五感で楽しんでほしい。勿論、カエルも含めて。”(6月18日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市のパート・岩月さん(女・53)の投稿文です。これからの日本の食糧問題は大きなものがあると思う。食糧自給率を挙げようといろいろ施策されてもなかなか上がらない。先進的に集約され、工場のような農業もある。でも農業従事者の高齢化、減少、更に田畑の減少はそれを上回っているだろう。
 ボクは都市化されてきたと言っても、まだ田畑の中に住んでいる。田は数人の専業者によって維持されているが、畑は高齢者の自家用野菜の栽培で、市場に出すようなものはほとんど作っていない。ボクがその見本である。そして、その高齢者ができなくなるともう耕作放棄地である。これが近郊農業の実態ではなかろうか。山間地も同じか、それ以上であろう。人は自分の周りしか見ていない。それがこのカエルの鳴き声がうるさいという人であろう。カエルの鳴き声が聞こえるのはまさに平和の証しである。


(第3520話) 「私」主語に

2023年07月08日 | 意見

 “その昔、小学校、中学校では学級委員を務めるほど優秀だったのに、進学校の高校に進んでから周囲に埋没してしまい、自分に自信が持てなくなった。何を信じればよいのかが分からなくなった。こんな状態が近年まで続いた。さすがにこのままではいけないと思った。まずは周囲に自分の考えること、抱く思いを伝えることに傾注してみた。そうこうするうちに自ら考えだしたのが「私」を主語にすることだった。
 私はこう思うといったふうに話をすると、他人の意見に振り回されることがなくなった。結果、自分を守ることができるようになった。自分を把握することで、考えやどうありたいかも分かってきた。そう、この調子。もっと自分を大切にして生きていくつもりだ。”(6月10日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の夏目さん(女・46)の投稿文です。日本人はなかなか自己主張をしない、意見を言わない、と言われてきた。夏目さんは進学高校に進んで、自分に自信がなくなってしまった。いろいろな迷いが生じ、埋没してしまった。これではいけないと考えられ、「私」を主語にし、自分の考えを出張されるようにされた。結果自分を守ることができるようになったと言われる。良かった。
 夏目さんは今46歳である。それが今になってこの気づきである。高校時代から考えると、30年近い年月である。そのまま一生を過ごされても不思議ではない。よく気づき変わられたと思う。人間はきっかけさえあればいつでも変わることができる。ボクなども夏目さんに似ている面がる。小中学生時代は田舎の優等生であった。ところが進学高校に進んで、劣等感の塊になってしまった。自分の意見を言わず、愛想笑いをしていた時代がある。今のボクを見てそう思う人はあるであろうか。本当に変わったと思う。どこがきっかけであったろうか。いろいろあったと思う。
 今の時代、自己主張がよくでるようになったと思うが、それが単純に良いとは思えない。難しいことである。


(第3519話) 感謝の気持ち

2023年07月06日 | 出来事

 “この前、十九歳の娘と二人でコンビニに行きました。それぞれ商品を選び、お会計をするためにレジに行くと、私と同年代ぐらいの女性店員がいました。私は内心、「いらっしゃいませも言わず、ムスッとして愛想が悪いな」と思いました。
 そこに娘が「お願いします」と元気よく言いながら、自分の分の商品を置きました。すると店員は、ハッとした表情になり「いらっしゃいませ」と返しました。それから、残りの商品をスキャンし「袋はお付けしますか」と尋ね、娘が「袋は持っているので大丈夫です」と、ニッコリほほ笑みます。それを見た店員は、娘につられたのか笑顔で「はい」と返しました。会計が終わり帰り際、娘が「ありがとうございます」と言うと、店員はその日一番の大きな声で「ありがとうございました」と言いました。
 このやりとりを横で見ていた私。なんだか自分がすごく恥ずかしくなりました。私は、今まで感謝の気持ちで店員に接していただろうか。顔を見ながらお礼を言っていただろうか。やってもらって当たり前、と私のほうこそ横柄な態度だったかもしれない。人の振り見てわが振り直せ。わが子に教えられた出来事でした。”(6月9日付け中日新聞)

 滋賀県竜王町のパート・徳田さん(女・46)の投稿文です。子に学ぶ、いい話である。「老いては子に従え」という諺があるが、学ぶこともあるのだ。特に小さな子供は素直だけに、反省させられることは多い。前回の「話・話」 など全くそんな話である。
 今回は19歳の娘さんの話である。全く良くできた娘さんだと思う。それを見たお母さんその素直さ、これもいい。親が子に学ぶのは、親のプライドもあって難しい。いい母娘である。我々は自分のことを捨ておいて、まず相手に要求する。このお母さんがそうであった。自分が欲しいものはまずこちらから与える。
 そして言葉の重さ、笑顔の重要さを思う。ものでは賄えない、それ以上のものである。この店員さんの態度をみると全くそうである。正直な店員さんである。客と店員さんは同格である。何も店員さがへりくだる必要はない。昔は私の笑顔は売りであった。それを最近忘れがちであった。意識して取り戻したいと思う。


(第3518話) 子は見ている

2023年07月04日 | 出来事

 “地下鉄の駅のホームからエスカレーターで改札口に向かっていたときのことです。「エスカレーターは歩いたり、走ったりせずに立ち止まってご利用願います」とのアナウンスがあり、壁面の「歩かない、走らない」と書かれたポスターの文言が目に留まりました。にもかかわらず慌ただしく歩いたり、走ったりする若者が後を絶ちませんでした。すると私の前にいた小学生らしき男児が母親と思われる傍らの女性に「アナウンスが聞こえないのかな。字が読めないのかな」と。エスカレーターで私たちを追い抜いていった若者たちが情けなくなってきました。
 子どもは私たち大人をしっかり親察しています。「少なくとも自分はあの子の手本になるようにしなくては」と思いました。”(6月9日付け中日新聞)

 名古屋市の井上さん(男・73)の投稿文です。昔はエスカレーターの上は歩かなかったと思う。そして急ぐ人は階段を使ったものである。歩くようになったのはいつ頃からだろうか。楽して早く行きたい、人間がマスマスわがままになったのだ。この問題が提起されてからもう長いこと立つ。エスカレーターは2人が並ぶとほとんど余裕はない。そこを一方が歩くのである。危険極まりない。若い人はその危険を感じないのだろうか。事故が起きなくても隣に立つ高齢者はヒヤヒヤする。本当に止めて欲しいと思う。
 立ち止まる側に長い行列ができていることがある。そんなときボクは、歩く側にさっさと乗り込むことにしている。何で空いているのに並ぶ必要がある。そして立っている。文句を言われたことはない。皆歩いてはいけないことを知っているのだ。
 ボクは一人しか立てない狭い幅のエスカレーターが設置されることを望んでいる。時折こういうエスカレーターを見かける。これで歩く人は見かけない。工事費も安くて良かろうに。エスカレーターなど元気な人が使うものではない。


(第3517話) 安否メール

2023年07月02日 | 出来事

 “いずれも夫に先立たれた高校の同級生四人で三年前から年に数回の食事会を催している。春は浜松に旅行した。朝から温泉に漬かり思い出話で盛り上がった。私以外はいずれも一人暮らしとあって、それぞれの子どもから安否確認の電子メールが各自のスマートフォンに届いていた。うち一人は旅行に出ることを伝えそびれていた上、メールヘの返信もすっかり忘れていたという。心配した娘さんが出勤前に母の家を訪ねて車がないことに気付き、「出かけているから大丈夫」って安心したとか。申し訳なさそうな表情を浮かべつつも、娘さんの気遣いがうれしそうだった。
 わが子四人も最近何かと私を気にかけてくれる。感謝しなきゃと思っている。”(6月3日付け中日新聞)

 愛知県小牧市の主婦・井上さん(78)の投稿文です。1人住まいの人に安否確認メールである。今は少しその気なれば、こういうことがたやすくできるようになった。相手はまず子供が一番であろう。知人や民生委員、役所の場合もあるであろう。本当は1人住まいが多くなったことが問題であろうが、もう時代の流れである。止めることはできない。
 この4人、いずれも未亡人である。これもよく時代を表している。女性は元気で長生きだ。特に未亡人にはそれを感じる。一時は嘆き悲しむが、その時期を過ぎれば自由を得たりとばかりに活発になっていく。それに比べ、男性は長生きになったといっても、平均寿命で7年も違う。未亡人が多くなるわけだ。高齢者である。何でも元気で楽しくできればそれに超したことはない。
 未亡人という言葉が気になって調べてみた。「未だ死なない人」とある。配偶者の一方が亡くなって、残された人のことを言う。それなら男性でもあるはずだ。でも、未亡人は女性にしか使わない。これを問題にした話は聞いたことがない。いずれ男性にも使うことが出てくる気がするが、どうだろうか。




柳&ウォーク