“新型コロナウイルスの影響もあって「家族葬」という言葉をよく耳にするようになったが、今春亡くなった友人の家族葬からいろいろと考えさせられた。友人の家族から、死を告げられた電話で「本人の希望通り家族葬にする」と言われた。そこで私は近親者だけで静かに見送ることができるよう、あえて通夜の前に故人の顔だけを見て花を手向ける簡素なものとした。ところが聞けば、「生前世話になった」「うちの葬儀に以前来てもらったから」と喪服の人が家族葬会場に次々と訪れ、「辞退する」とした香典を無理に置いたり、後で郵送したりした人もいたとか。
故人とその遺族の気持ちをおもんぱかると、私はやるせなくなってきた。”(6月1日付け中日新聞)
名古屋市の吉田さん(男・72)の投稿文です。葬儀に関する話題は最近尽きない。形態がいろいろになってきて、様々ことが生じている。家族葬は増える傾向にあったが、コロナ禍が拍車をかけた。私の村でもほとんどが家族葬になった。今までの付き合いがポツーンと切れるのである。吉田さんの文もそのことをよく現している。遺族には故人のことが多く分かっていない。特に人付き合いのことなど、ほとんど分かっていない。
亡くなっていく人は、遺族に迷惑をかけないようにと、簡単化を望む。吉田さんは故人の希望通りに家族葬とされた。ところがここに問題を含んでいた。家族葬にしてその後がより大変だった話をよく聞く。吉田さんの場合も全くそうであった。
ボクは一般葬にしてくれと、言ってある。伝えられる人にはできるだけ伝えて欲しいとも言ってある。今まで親しくして貰った人に、死を伝えるのも一つの責任である。どうされるかは相手の考えである。連絡先などもう少し本気で伝えておかなくては、と思っている。