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第228号  2023年6月

 
 

(第3516話) 故人の思い

2023年06月30日 | 出来事

 “新型コロナウイルスの影響もあって「家族葬」という言葉をよく耳にするようになったが、今春亡くなった友人の家族葬からいろいろと考えさせられた。友人の家族から、死を告げられた電話で「本人の希望通り家族葬にする」と言われた。そこで私は近親者だけで静かに見送ることができるよう、あえて通夜の前に故人の顔だけを見て花を手向ける簡素なものとした。ところが聞けば、「生前世話になった」「うちの葬儀に以前来てもらったから」と喪服の人が家族葬会場に次々と訪れ、「辞退する」とした香典を無理に置いたり、後で郵送したりした人もいたとか。
 故人とその遺族の気持ちをおもんぱかると、私はやるせなくなってきた。”(6月1日付け中日新聞)

 名古屋市の吉田さん(男・72)の投稿文です。葬儀に関する話題は最近尽きない。形態がいろいろになってきて、様々ことが生じている。家族葬は増える傾向にあったが、コロナ禍が拍車をかけた。私の村でもほとんどが家族葬になった。今までの付き合いがポツーンと切れるのである。吉田さんの文もそのことをよく現している。遺族には故人のことが多く分かっていない。特に人付き合いのことなど、ほとんど分かっていない。
 亡くなっていく人は、遺族に迷惑をかけないようにと、簡単化を望む。吉田さんは故人の希望通りに家族葬とされた。ところがここに問題を含んでいた。家族葬にしてその後がより大変だった話をよく聞く。吉田さんの場合も全くそうであった。
 ボクは一般葬にしてくれと、言ってある。伝えられる人にはできるだけ伝えて欲しいとも言ってある。今まで親しくして貰った人に、死を伝えるのも一つの責任である。どうされるかは相手の考えである。連絡先などもう少し本気で伝えておかなくては、と思っている。


(第3515話) 句集朗吟

2023年06月28日 | 行動

 “四十三年連れ添った妻が昨年三月に急逝し、遺品を整理する中で句集を見つけた。趣味で二十年近く詠んできた俳句を自費出版でまとめたむので、これを開くたび、家事の傍ら五七五を指折り数えていた妻の姿が浮かぶ。.各句からは心揺さぶられるような感動をはじめ、心の葛藤も感じられ、中でも巻頭にある二句の語彙力とリズム、発想力には舌を巻く。
 私は最近、毎朝妻の遺影に向かって句集にある二句を朗吟している。声に出す分、妻の詠んだ世界が頭にすっと入ってくる。それをノートに書き写し、私なりの感想も添えている。時折言葉の意味が難しすぎて分からず、季語のつもりなのかと疑問に思うこともあり、そんなときは決まって「君が伝えたかったことは、こうだよね」と独りごちている。そうすると、天国にいる妻が私のそばにいるような気がしてきます。”(5月30日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の鵜飼さん(男・69)の投稿文です。亡き妻の句集から、毎朝その中の2句を選んで遺影に向かって朗吟する。こんな人があるのだろうか・・・あるのである。更にノートに書いて、感想まで加える。奥さんとの生活を思い描きながらの行動であろう。亡くなって1年半、夫婦愛は変わらないのである。
 実はこの鵜飼さん、よく投稿欄で見かけ、この「話・話」 でももう何回かと使わせてもらっている。夫婦共にペンを握る生活であったのだ。ボクの夫婦ももう40年以上川柳を共にやってきた。何か身近に感じ、参考になる話である。そして朗吟されるという。朗吟も、腹から声を出してまた良いものである。ボクも仏壇の前で正信偈を唱えるようになって1ヶ月になる。腹から声を思い切り出す良さを感じている。何ともいい行動である。


(第3514話) サロン参加

2023年06月26日 | 活動

 “健康づくりや仲間づくりを目的に地元で毎木曜の午後、もう二十二年余開かれている「ふれあいサロン」が六月初めで通算千回目となります。毎回二十人ほどが集い、かかと落としや片足立ちを含む健康体操で筋力アップを目指す他、歌や脳を鍛えるトレーニング、ゲームにそれぞれ取り組み、口腔ケアや認知症予防にも励みます。七夕やクリスマス会といった季節の各行事も大切にしていて、会場では毎回明るい声が飛び交います。
 私が初めて参加したのは民生委員だった十九年前。その九年後に先輩からサロンのスタッフの任を引き継ぎました。仲間と過ごす時間は私にとって元気の源で、十五年に及ぶ介護職員の経験を生かしつつ、どんな内容がいいかと日々考えています。二回笑うごとに一歳若返る」と自らに言い聞かせて、この先も頑張る所存です。”(5月26日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の主婦・寺部さん(75)の投稿文です。ふれあいサロンというと、ボクは老人相手の場所を頭に描く。ところが寺部さんは55歳の頃から参加されている。そしてもう22年余、毎週開かれて1000回と言われる。サロンと言っても市町によって取り組みが様々であろう。行政や公民館が深く関わっていたり、企業が半事業で行う場合もあろう。毎週これだけの行事をしながら続けていくのは並大抵なことではないと思う。でも、こんな盛んなやり方はボクの知るところにはない。
 ボクが始めたと言ってもいい地元のサロンは、平成29年から毎月1回、この6月で59回を終えた。参加者も減少傾向であるが、それでも20人以上を保っている。参加は町内以外でも誰でもいいことにしているが、いつも参加する人は地元の高齢者である。高齢者には閉じこもることが一番悪く、出かけられる人にとっては出かけることが一番必要と思っている。今後どのように運営していくのか、頭を悩ますところである。


(第3513話) 金婚式

2023年06月24日 | 行動

 “金婚式を迎え、夫と写真館を四月中旬に訪ねて記念写真を撮ってもらった。わが家の床の間には祖父母の金婚式の写真が今も飾ってある。両親の場合、父は既に亡くなっていて母は金婚式が祝えなかった。そこで私たち夫婦は二人で現在まで元気に半世紀過ごすことができたことに感謝して、写真を残そうと考えたのだ。
 さて今回撮った写真を、結婚式のものと見比べてみた。二人ともしわが増えたものの、それも夫婦としての歴史の証しだと思えた。昔の写真を二人で見ているうちに新婚時の記憶がよみがえってきて、近年めっきり減りがちだった夫婦の会話も多くなった気がする。金婚式を夫との第二のスタートと位置付け、互いに笑顔を増やせたらいいな。”(5月26日付け中日新聞)

 滋賀県守山市の主婦・西出さん(74)の投稿文です。金婚式の記念に、夫婦の写真を撮る。よく行われていることであろう。結婚記念の写真と見比べる。感慨にふけるものがあろう。50年、長かったようであり短かかったような結婚生活。人生50年といった時代があった。金婚式など夢の夢、恵まれた人だけのものであったろう。
 ボクは3年前、コロナ禍の中で迎えた。市の行事も中止され、記念品だけが送られてきた。自分達は近くの料理屋に2人で出かけただけで終わった。子供らかも何も無かった。写真だけでも撮っておけばよかったと思う。でも悲観するのはよそう。2年後にはもうエメラルド婚式である。そして、7年後のダイヤモンド婚式を目指そう。


(第3512話) 休日も返信

2023年06月22日 | 教訓

 “仕事や趣味の連絡は交流サイト(SNS)を介するのが当たり前となったが、便利さゆえに仕事が休みの日や深夜にもメッセージを送受信してしまい、文章が簡潔で相手の気持ちや状況が読めないこともあって、何かと煩わしさを感じることがよくあった。
 娘と水族館に行ってイルカショーを見ていたときのことだ。仕事の大先輩からスマートフォンにメッセージが届いた。調べものの依頼だったが、気になって親子の予定を切り上げて帰宅、確認した上で返信した。後日、大先輩と会って急ぎでなかったことを知り、何度も謝罪された。世代や立場の違いだけでも文面の受け取り方は大きく変わる。それだけに一層相手をおもんぱかれるようになった。”(5月22日付け中日新聞)

 名古屋市の歯科医師・吉田さん(男・39)の投稿文です。携帯電話が普及してからの変化は凄まじいものがある。休憩も休みもなくなりました。いつも持ち歩いていなければならない。そして自分中心になりがちで、相手がみえないのだからより勝手になる。それがこの話である。SNSは文面も短い。それだけに勘違いさせるような文もよくある。そして急ぎか、いつまででいいのか、つい書き落としになる。重要なこと、特に相手に負担を負わせるような場合は、本当に気配りが必要である。
 ボクはつい先日、9日ばかり入院手術をした。動けないから退屈だろうと、LINE友達が気を使ってほぼ終日付き合ってくれた。何十通とやり取りしたであろう。この機会にお互いのいろいろを知ることができてよかったが、何度も理解ができなかったり、文を誤解をした。本当に重要なことだったら、大変なことになるところである。ボクはスマホに文を打つのが全く苦手で、隣の文字ばかり打ってなかなか進まない。だからより素っ気なく短い文になる、便利ではあるが、より注意を要する代物である。


(第3511話) 音読

2023年06月20日 | 行動

 “以前、声を出して本などを読むと、ボケ防止に良いと聞いたことがある。息子家族との二世帯住宅で暮らす私は、時々挨拶はするが、話すことはあまりない。朝、仏壇の花の水を替え、線香をあげてお題目を唱える以外は、丸一日声を出さない日があることに気が付いた。
 いつも読んでいる「くらしの作文」の下に「音読しませんか?」の一行があるのに、今年の初めに気付いた。気軽に早速やってみたが、声がかすれてうまくできない。それでも毎日続けていたら、いろんなことが分かった。まず声に出して読んでみると、自分の耳で聞いて読み間違いがあることに何度か驚き、その都度、読み直して次へ進んだ。これは黙読していた時には見過ごして、自覚していなかった新しい発見だった。
 最初は舌がもつれてうまく声にならなかったり、咽せたりしていたが、少しずつ慣れてきた。一つの作文を音読し終えると、喉と胸が温まり、ホカホ力して体全体に元気が出てくる。作文の内容を感じる余裕も出てきて、いろんな人々の喜びや哀しみが分かり、今更ながら人生の勉強になる。これからも声に出して読めて、自分の耳で聞き、間違いに気付くことができる間は、頑張って続けられたらと思う。”(5月18日付け中日新聞)

 名古屋市の牧田さん(男・80)の投稿文です。二世帯住宅と言われるので、それぞれがほぼ独立し、炊事場等もあるのであろう。そうなると、息子さん家族といながらも、そんなに話すことはないのかな?。牧田さんは多分奥さんを亡くされたと推察されるので、夫婦揃っていたときとは全く違う状況であろう。ここは少し生活様式を変更されるのがよいと思うのだが、難しいのだろうか。
 牧田さんは毎日お経さんはあげておられるようだ。これは良いと思う。ボクも5月末から毎日お経さんをあげる生活を始めた。15分ばかりであるが、思ってた以上に良い。あげている間に声はどんどん大きくなっていく。周りをはばかることもない。腹から声を出す。姿勢も良い。ボクはもう生涯続けるつもりになっている。そして、牧さんの言われる「くらしに作文」の音読である。確かにそのように書いてあるし、やって悪いわけがない。いいと思うこと、できることは何でもやる、そのつもりで過ごして行くことに大いに賛成である。


(第3510話) 俳句教室

2023年06月18日 | 行動

 “夫と三月までの一年間、俳句教室に通いました。もともと俳句が好きで、回覧板に載っていたのを見て入会しました。五十~九十代の経験豊富な受講生が十人余おり、毎週一回、題材となる花鳥風月をはじめ俳句の歴史を基本から丁寧に教えてもらえました。毎回発表があり、先輩の話を聞いていると、たった十七音に皆さまざまな思いを込めていることが分かりました。季語を探したり、難しい表現を知ることに一喜一憂したり・・・。夫婦の会話も随分弾むようになってきました。
 毎回、各自が詠んだ句は講師が印刷して皆に配ってくれました。最後にそれをまとめて句集をいただきました。私たち夫婦にとっても、教室を通じて充実した一年を送ることができました。今は夫と学んだことを生かして、競って投句したいと思っています。”(5月18日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の主婦・石垣さん(73)の投稿文です。70歳過ぎてから夫婦して俳句教室に通う、そして夫婦の会話も増えた、まさに老後夫婦の見本であろう。俳句は認知症にならない限り、動けなくなってもできる、そういう面でも良いものを見つけられたと思う。
 これは杞憂ではあるが、少し心配な面もある。それは競うことである。夫婦が同じ趣味をするとき、奥さんがうまいと夫はすぐすねる。そして、やめてしまう。こんな夫婦が多いと聞く。男は自尊心が強いのである。競うことは極力やめにした方がいい。ボクら夫婦はもう40年も川柳をやってきた。でも多くは優劣がつくやり方ではなかった。最初の頃はともに大会に出たこともあるが、妬むほどのことにはならなかった。それが今も続いている結果であろう。
 今ボクが気にしているのは、昨年のシルバカレッジ同窓生について、こうした文芸のサークルが一つもないことである。石垣さんのように、文芸も高齢者の大きな楽しみの一つである。あれだけ活発な人が揃っていながら、これが不思議である。もう何かをやっている、またやってみたいと思っている、そんな人がきっといるはずだと思う。でも声が上げらない、声がかからない。いつまでも動けると思っているのだろうか。動けなくなった時のことを考えていないのだろうか。ボクに何か策が施せないか、考えているところである。


(第3509話) 諦めた自転車

2023年06月16日 | 行動

  “長年自転車を利用してきましたが、年々速度が出なくなり、自分でも蛇行しているのが気になりました。近くに住む小・中学生の孫たちから「危ないからもう乗らないで」と何度も言われましたが、自転車はスーパーや銀行に行く手段として欠かせなかっただけに、もう乗らないという決断をなかなか下すことができませんでした。
 四月の改正道交法施行で自転車に乗る際のヘルメット着用が努力義務となりました。ヘルメットを買うか、いっそ自転車を諦めるかで悩んだ結果、何かにぶつかって他人に迷惑をかけたり転んでけがをしたりしないように運転するのをスパッとやめました。今は専ら徒歩で出かけています。健康のためだと割り切り、自転車への未練はありません。”(5月13日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・加藤さん(82)の投稿文です。車を諦めたのかと思ったら自転車であった。サア、どちらが危ないか、難しいところである。普通なら車を諦めたら自転車となるところだろう。しかし、自転車もなかなか危ないものである。自転車にヘルメット着用が義務つけられた。傷害保険も必要となった。車は一度事故を起こせば大事である。どちらが安全か、考えるほどに分からなくなってきた。加藤さんのように徒歩がこの中でも一番安全なことは確かであろう。
 この選択は住む環境に寄ることが大きいだろう。また自身の体力であろう。ボクは今のところ行くところによって使い分けている。近場はもっぱら自転車である。ヘルメットはもう何年も前からかぶっている。運転免許は先日認知症の検査を受け、後免許証の手続きをするばかりである。どちらもまだ諦めるつもりはない。諦めて家に閉じこもる方がより悪いと思っている。老人は出かけて話すこと、これが真っ先に重要と思っている。


(第3508話) ありがとう

2023年06月07日 | 出来事

 “ごみ収集場に、一人の男の子が空き缶の入った袋を持って来た。どこに捨てればいいか、よく分からないみたいだった。生ごみの場所に置いたため、私は「これはいかん」と思い、おせっかいながらも正しい場所を教えた。すると男の子は大きな声で「ありがとうございました」と。素直さと、お礼まで口にしたことに驚きつつも、実に爽やかな気分に浸れた。
 大人でも世話になったことへの礼がなかなか言えないものだ。年を重ねれば重ねるほど何かと他人の世話になる機会は増えることが予想されるだけに、この子どもを見習って私も「ありがとうございました」をことあるごとに言おうと思っている。”(5月12日付け中日新聞)
 
 愛知県日進市の福山さん(女・78)の投稿文です。教えてもらってお礼を言う、子供の素直さ、正直さである。こうした言動に感激を覚える大人は多い。なぜだろう。それは大人がやっていないからである。なぜ子供の時にしたことを大人になってしなくなるのだろう。これはマナーである。考えるほどに不思議である。
 ボクは子供や孫に、村中であった人には、知らない人でも挨拶をしなさい、と教えた。そして、よくできたお孫さんですね、と言われたことも度々であった。ところが今はどうだろう。何となく怪しい気がする。一度聞いてみる必要がある。当のボクは、100パーセントとは言えないかも知れないが、ほとんど頭を下げ挨拶をしているつもりだ。高齢者は知っている人も多いから返ってくることが多いが、若い人となると返ってくることは少ない。昔なら高齢者にはこちらから先に挨拶をしなさい、と教えられたものだが、今はどうなっているのだろう。


(第3507話) 命の重み

2023年06月05日 | 意見

 “母の弟の嫁で元気だった叔母が四月上旬、突然亡くなりました。参列した通夜で読経後に導師は法話で「生命は自分だけのものではない。父母、祖父母から代々受け継がれている。今ある生命があすあるという保証もないからこそ大切に生きてほしい」と語りました。
 二十年前に逝った父は帰還兵でシベリア抑留も経験しました。戦争の話はほとんどすることはありませんでしたが、晩年、厳寒の地で死んでいった仲間のことを頻繁に思い出したようです。父の兄は抑留中に病死したと聞きます。もし父も日本に帰ってこなければ、自分は生まれていませんでした。
 交通死亡事故は毎日のように起き、世界を見渡すと紛争が後を絶たず命が奪われ続けています。機会があれば、二十歳と十八歳の孫にもわが一族の戦争体験を伝え、命の重みをかみしめてもらえれぱと思っています。”(5月12日付け中日新聞)

 滋賀県東近江市の主婦・沢さん(70)の投稿文です。先祖があって父母があって自分があること、これほど自明なことはない。しかし、そのことを人間はおうおうに忘れて生きている。自分一人で生まれてきたかのように振る舞う。父母に、先祖に文句を言う。感謝すれこそ文句を言うことではない。人間は愚かである。時折そのことを思い出す機会を作らねばいけない。その機会を生活の中に取り入れるか、入れないか、大きな違いとなる。
 ボクもあまり偉そうなことは言えないが、でももう何年になろうか、朝墓参りに行き、神社寺院に参ってくる。こんな生活が根付いている。行けば頭をたれ、手を合わせる。生かされていること、守られていることに感謝の言葉を唱える。
 毎日仏壇の前でお経を唱える人も多かろう。ボクの母がそうであった。ボクもやってみようか、ふとそう思った。妻に話したらやってみなさい、と言われた。そして、5月26日より実施に移した。いつまで続くであろうか。


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柳&ウォーク