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第227号  2023年5月

 

(第3504話) 駅前保健室

2023年05月30日 | 活動

 “岐阜県瑞浪市のJR瑞浪駅前に「みんなの保健室」を開設して毎第三月曜、子どもから高齢者までの思い思いの相談を受けるようになって間もなく二年。「医療従事者とコミュニケーションが取れない」「介護スタッフに遠慮し本音を言えない」といった各心配事に対し、親身になって耳を傾けています。
 新型コロナウイルスの影響で孤立しがちな人が増えてきたことが気になった際、医療と介護を対話でつなぎ、その懸け橋となる「メッセンジャーナース」という認定資格があることを知りました。私も昨年末、この資格を取得しました。私は今、少しでも相談者一人一人に寄り添えるよう、医療機関や介護施設に出向いて直接話をする機会を設けてもらっています。この先、みんなの保健室のスタッフと開催日をそれぞれ増やしていけたらと思っています。”(5月8日付け中日新聞)

 岐阜県瑞浪市の看護師・梅村さん(女・65)の投稿文です。いろいろな活動、いろいろな資格があるものだ。「みんなの保健室」という活動は各地にあるのだろうか、少し調べてみた。各地に点々とはあるようだが、全国的ではないようです。またメッセンジャーナースとは、「一般社団法人よりどころ【メッセンジャーナース認定協会】に登録」とあります。私的な資格のようです。社会は活動的な人が増えてはいるが、一方孤立した人はそれ以上の増えようのようです。そうした人に医療関係者として寄り添うのが、梅村さんのような人です。医師になかなか思うように話せない人があります。そういう人には仲立ちが必要です。今後ますますこういう人は必要になるでしょう。ボクにしても社会はとんでもなく早く変わって、着いていけない気がしています。ついて行けなく悩む人がどんどん増えていくでしょう。どんな社会を目指して社会は進んでいるのでしょう。ボクの目には便利になる方に進んでも、人のために良いかというと、全く疑問に思えます。

(第3503話) 好意に感激

2023年05月28日 | 出来事

 “小雨が降っていた。近所の道路脇にある集積場に可燃ごみを捨てに行くと、覆ったネットの隙間からカラスにでもつつかれたのか、いくつかの袋が破られ、中のごみが車道に散乱していた。ちり取りとほうきを家から持参して集積所周辺の片付けを始めた。
 しぱらくして私と同年代ぐらいの女性が車でごみを捨てにやって来た。掃除する私を見るや「手伝わせてください」と言った。おおかた片付けは済んでいたので、「もうあと少しなのでやっておきます」と丁重に断った。
 立ち去った女性は数分後、またここに戻ってきた。除菌シートを私に差し出し「これを使ってください」と。私はありがたく使うこととし、汚れた手を拭いた。思いがけない厚意に私は感激した。うれしかった。今もとても感謝している。”(5月6日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の訪問介護士・嶋村さん(女・48)の投稿文です。ことはささやかなことであるが、良い話である。ごみを片付けている姿を見て「手伝わせてください」という言葉、「させてください」という言葉はまず出ない。車で立ち去った後、あの時除菌シートを差し出せば良かった、と思うことはあるかも知れない。でも、まず戻ることはできない。ところがこの人はしたのである。思うとするのは大きな違いである。この人はボクには天使に思える。多分この人は、もっと大きなことに出合えばそれこそ親切な行動をされてきたと思う。
 こうして「話・話」 を書いていると、人は本当に様々だと思う。ボクの思いで良い話ばかりを拾い上げているので、よりそう思うかも知れないが、人間は本当に良いものだと思う。世の中全体の流れを見ると、どんどん住みにくくなっているので、せめて日々の生活は気持ちよく送りたいものだと思う。

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(第3502話) 一番前の席

2023年05月26日 | 行動

  “名古屋へ出かける時は、名鉄電車を利用している。今日も座席は空いているか、座れるか心配しつつ、駅のホームの一号列車乗り場で、急行列車を待った。電車がホームに滑り込んでくる。電車の窓越しに、席の空いているのが見えた。ちょっと嬉しい気分である。電車に乗り込むと、一番前の席に座ることができた。ここは運転士さんとほぼ同じ景色の見える座席、私の特等席である。
 次の停車駅で、男の子と母親が乗ってきて、横に立って景色を楽しそうに見ている。他に座る席は空いている。私と同じように眺めるのが好きなようである。私も子どもの頃、よく眺めたものだ。私は男の子に席を譲り、後ろの席に座って、この子が声を出して喜ぶ様子をぼんやりと見ていた。
 しばらくして特急電車に追い越される駅に着いた。ここでいつも運転士さんは駅のホ-ムに降り、屈伸運動などをして体を休めるのが日常である。この日もホームに降りていくのであろうと見ていると、今日は客車のドアを開け中に入ってきた。どうしたのかと思っていると、子どもの前に行き、胸ポケットから複数の電車カードを出し、どれが欲しいか聞いてプレゼントした。運転士さんは子どもの喜ぶ声が聞こえていたのだ。その行動に心が温かくなった。”(5月5日付け中日新聞)

 愛知県安城市の村山さん(男・74)の投稿文です。何歳の人の文かと思えば、何とボクと同年である。電車の一番前に座り、運転手さんと同じ目線で、流れる風景を見ている。これが楽しいと言われる。意識してではないが、ボクも時折こんな場所に立つことがある。確かにこの流れる風景を見ているのは悪くない。それを意識して電車に乗られる。まさに童心である。この童心が、多分村山さんを若くしているのだと思う。高齢者は童心に戻り、若々しく生きた方がいい。何か教わった気分である。
 そしてこの日、運転手さんは喜ぶ子供に電車カードを渡された。運転手さんも嬉しかったのであろう。それを見た村山さんも心が温かくなった。皆がいい気分になった。

(第3501話) 学園ソング

2023年05月24日 | 人生

 “六十年以上前のことだ。現岐阜県下呂市の中学校を卒業した私は知人が勤める愛知県稲沢市の紡績会社へ集団就職した。当時は中卒でも労働力として重宝され「金の卵」と称された。仕事は二交代制で、給料の大半は実家へ仕送りした。
 親元を離れた六人部屋の寮生活は決して楽しいだけでなく、つらく過酷な側面もあった。仕事の疲れもなかなか取れなかった。そんな私の救いとなったのはラジオから時折流れる私より一学年上の舟木一夫さんの歌。「高校三年生」「修学旅行」「仲間たち」といった学園ソングを耳にするたび、大いに慰められた。ここに数年いて、また故郷に戻った。
 その後、名古屋であった舟木さんのコンサートに何度か行った。その都度、紡績工場のあった稲沢の町並みや、友と見に行った国府宮はだか祭が鮮やかによみがえってきた。”(5月4日付け中日新聞)

 岐阜県下呂市の桂川さん(女・77)の投稿文です。わが一宮の歌手と言えばまず舟木一夫でしょう。舟木一夫はボクより一つ年上、同年みたいなものです。知り合いに同級生だった人もいる。そしてデビュー曲は「高校3年生」。学園ソングはボクらのためにあったようなものだ。
 当時ボクは、自転車で遠くまで旅行に出かけていた。どこから来たかと問われると、一宮と答える。すると舟木一夫の出身地ですね、と言われる。分かりやすかった。この繰り返しである。自分まで有名になった気分であった。
 そして、ボクのカラオケは舟木一夫の歌を外すことはまずない。桂川さんがあげられた3曲はほとんど歌う。桂川さんのように学園ソングに思い出が残る我々世代の人は多かろう。ボクらに昔の歌は良かった。今の歌はあまりに早過ぎて、まず覚えられないし歌えない。そして次から次へと変わっていく。昔は同じ歌が長く流れたものである。これはもう郷愁の世界です。

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(第3500話) 明治村

2023年05月22日 | 出来事

 “一九六五(昭和四十)年に愛知県犬山市の博物館明治村がオープンした数年前のことだった。私が勤務していた観光バス会社の社長から「あちこちにある明治時代の建物を集めようと考えているが、どう思う?」と聞かれた。昔の建築物に興味があった私は「楽しみです」と答えた。そのとき、社長が開村に向けて尽力していたことは知らなかった。
 以降、仕事でもプライベートでも幾度となく訪れてきた明治村。中でも印象に残るのが米国の著名な建築家が設計した帝国ホテル中央玄関。東京のいとこの結婚式に招かれたその昔、この建物を見たことを思い出し、妙に懐かしさを覚えた。年を重ねた今、遠出はすっかり難しくなったが、いつかまた行きたいと思っている。”(5月1日付け中日新聞)

 名古屋市の小嶋さん(女・87)の投稿文です。尾張部の人にとって、身近な「明治村」はいろいろな思いがある場所でしょう。ボクも何回行ったのか、数えきれません。家族、友人、また会で、お客さまを案内したこともあります。広い丘陵地です。そして博物館です。一つ一つの建物に展示品があります。何時間いても見切れません。
 小嶋さんはボクよりもっと身近な場所でした。社長から意見を求められた。帝国ホテルは結婚式に招かれたホテルであった。オープンが昭和40年であったことは改めて知りました。もう50年以上です。これだけの建物を維持するのは大変でしょう。それも文化財が多いでしょう。観光客も一時は大分減少したようですが、最近はまた回復傾向のようです。外国人観光客も多くなってきました。ボクにはあまり賑やかなテーマパークより明治村のように落ち着いた場所の方がいいです。尾張部の重要な施設です。しっかり守っていって欲しいものです。
 今回で「話・話」 は3500話を迎えました。丸19年です。まだまだ続けていきたく思っています。ご愛読のほど、よろしくお願い致します。

(第3499話) 300文字小説

2023年05月20日 | 出来事

 “新聞への投稿が趣味で六年ぐらい続けています。サンデー版「300文字小説」は空想の話を考えて文章にするのが楽しく、七十編送ったうち六編か掲載されました。初めて紙面を飾ったのは確か三、四回目に出した「秋の味覚」。こんな食卓があったらいいなと思ってつづったら、よもやよもやの掲載となり、驚くとともに、監修した作家の先生に読んでもらえた喜びに胸が高鳴りました。幼少時から文章を書きお話を作るのが好きだっただけに、このコーナーが三月で終わってしまって、寂しい限りです。
 300文字小説を通じて表現術をいろいろと教えてもらったことに今は感謝でいっぱいです。この先は他のコーナーにも積極的に投稿していきたいです。”(4月29日付け中日新聞)

 愛知県東海市の家事手伝い・山盛さん(女・56)の投稿文です。この「話・話」 で何回も取り上げた「300文字小説」が終わった。その欄に何回も投稿した山盛さんの文です。6年くらいで70編送って6編が採択されたと言われる。ほぼ毎月送って、毎年1編採択された勘定になる。それでは寂しくなるであろう。楽しみを奪われた気持ちであろう。どんな事情で終了になったかは知らないが、新聞の影響は大きいと知る。でも山盛さんは、この先は他のコーナーにも積極的に投稿していきたい、と言われる。自信になったのであろう。いい楽しみを見つけられた。
 投稿欄を見ると、同じ人の文に何度も出合うことがある。趣味とされているのだろう。でも、自分の思い出や考えを人目に出すというのは随分勇気の要ることだと思う。ボクのこの「話・話」 の読者は限られている。新聞は訳が違う。でもその投稿を利用してこの「話・話」 がある。ありがたいことである。

(第3498話) 母のルーツ

2023年05月18日 | 意見

 “母を亡くして悲しむ間もなく、さまざまな死後の手続きに忙殺された。中でも大変だったのが相続。母の出生から死亡までが公的書類に記されたものを取り寄せた上で、自分の戸籍謄本を添えて関係機関に送ることが大変だった。
 そうこうするうちにふと思った。母のルーツをたどることにほかならないんだと。母の誕生が記された戸籍は手書きで、字を読み取るのに一苦労した。これを見なかったら祖母の旧姓 を一生知り得なかっただろう。移り住んだ土地での話を、手元の戸籍謄本を見ながら母から聞けたらどんなに良かっただろうか。晩年は何度も同じ話ばかりを繰り返してへきえきしたことが今は懐かしい。”(4月28日付け中日新聞)

 名古屋市のパート・林さん(女・52)の投稿文です。人が亡くなるといろいろな手続きが必要になる。特に相続については、財産が絡むだけに随分いろいろな書類が必要になる。その代表が戸籍の書類である。林さんはこの手続きをしながら、お母さんのルーツたどることだと思われた。お互い生存中は、こういうことに意外と無関心である。亡くなって初めて知るのである。
 ボクも全くそうであった。父や母の相続の手続きもした。して初めて知ることも多かった。最近では義弟の相続手続きをした。そして、この時はビックリするようなことが分かった。妻らが全く知らなかった兄がいたのである。妻らが生まれる前に養子に出された兄がいたのである。その兄が相続に絡んできた。どうなるかと思ったが、その兄を見つけ出し、会うことができた。その兄も、自分は一人っ子と思っていて妹らがいたことを知らなかった。そして喜んでくれた。コロナ禍の収まったつい先日、妻は妹を伴ってその兄に会いに行った。何か小説の世界のように感じた。


(第3497話) いいとこ探し

2023年05月16日 | 教訓

 “「あ~よかった!」と、足の指先を見て、思わず手を合わせた。床でピカッと光る物を手に取ると、何と縫い針だった。十日ほど前、この場所で縫い物をした。きちんと針山に戻したつもりでいた。今日まで、この辺りを数え切れないほど往来していた。寝転んで体操もしていた。針が刺さらなかった幸運に感謝して、すぐに仏壇の前でも手を合わせた。しみじみ私は見守られていると感じた。
 私は今、進行性の難病にかかっているが、進行がストップしたような気がした。その時、近所に住む孫が訪れた。外で遊ぼうと、羽織った上着のポケットから、愛用の老眼鏡が出てきた。探し続けて一ヵ月。「ヤッター!」。いいことが続く。
 そういえば、ニカ月ほど前、悩んだ末に運転免許証を返納した。用事のある時は、身内や友人の車に乗せてもらうので不便ではない。徒歩が増え、体にいい。いいことづくしである。昔から「病は気から」と言う。何事も思いようだ。
 例えば、歩くことしかできない時、歩けることを感謝するか、走れないことを嘆くか。どちらがハッピーかは言うまでもない。現実を受け入れ、その上で「いいこと探し」を続けよう、と強く思った。床に落とした針から、いろいろ気づかされたのだった。”(4月27日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の主婦・関戸さん(75)の投稿文です。「いいとこ探し」、高齢者には特に必要であろう。何事もどんどんできなくなって行く高齢者、つい嘆きたくなるものであるが、嘆いていたらより辛くなる。できなくなって当たり前と受け入れ、そこでマダできることを見つけ喜ぶのである。努力してできることを増やすのも必要であろうが、もう限度がある。若い人には無限の可能性がある。歳とは言いたくないが、やはり歳には勝てない。その歳なりの生き方がある。
 ボクはどうだ、マダできることを探し求めている。無駄な抵抗、やせ我慢が過ぎるだろうか。今年、ボクが会長を務めるサロンで、骨密度、脳年齢、血管年齢の測定をしてもらった。いずれも60代前半であった。自宅の体重計で測る体年齢も60代前半である。この恵まれた体や環境を生かさない手はない。できる間はする、できることはする。生かされている、見守られている。感謝の気持ちでもう少し追求したい。


(第3496話) 里山案内

2023年05月14日 | 活動

 “地元・愛知県豊田市にある自然教育施設「自然観察の森」でガイドボランティアをして十年近く。保全された里山の自然には希少種や固有種も含め動植物が数多く共存し、毎水曜には訪問者と一緒に二時間ほど歩く。道案内をしながら四季折々の森を紹介している。長い距離を歩くことを望んだり、知識を得たがったり、楽しくおしゃべりしたかったりと訪問者の要望もさまざま。熱心にメモを取る姿を見ると「自分も、もっと勉強しなくては」と気合が入る。何よりの励みは案内を終えた後の「楽しかった」という一言。後期高齢者の仲間入りをしたが、元気なうちはボランティアを続けるぞ!”(4月21日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の鈴木さん(女・76)の投稿文です。里山案内というガイドボランティア、それを10年、いい道を見つけられたと思う。こうしたものは人のためと言うより、まずは自分の為である。高齢者には特にである。出かける、学ぶ、人と触れあう、どれを取っても自分に良いことばかりである。そしてそれが喜ばれる、こんなに楽しいことはないであろう。ボクもそんなつもりで一宮友歩会や老人会の役目をしている。先日5月11日にFMいちのみやに出演する機会を得た。その時一宮友歩会のことを中心に話したが、まさにこの喜びを語った。そして、前回も書いたが、昨年までと比べれば随分余裕ができた。時間が経つとそれに慣れてしまう危険性がる。ここは早めに対応が必要である。

(第3495話) 漢詩作り

2023年05月12日 | 行動

 “新型コロナウイルスの影響から地元の図書館に通うのが習慣化した。週に二~三回訪ねていて、家から持参した頼山陽や新井白石といった江戸時代の知識人の漢詩集を精読し、疲れたら図書館にある雑誌を開いている。
 かつて勤めた職場の労働組合で中国を訪れた四十年前から漢詩をたしなんでいる。これまでに千編作り、同人誌やインターネット上に投稿してきた。いまだ作詩で至らなさを感じる日々。著名なものに少しでも多く目を通し、漢語の理解を深めることで吟詠をさらに楽しみたいと考えている。清新な題材をはじめ現代の政治や社会を詠もことにも挑むつもりだ。私の拙い作品から、漢詩を身近に感じてもらえたら幸いだ。”(4月21日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の山本さん(男・83)の投稿文です。自宅では落ち着かないのだろうか?、図書館に自分の本を持って行き読み、そして時折図書館の本を借りて読む。そんな過ごし方もあるのだ。図書館利用、そして本を読む。高齢者の上手な過ごし方であろう。今のボクには少し遠い過ごし方である。
 それにしても山本さんの意欲のすごさはどうであろう。千編の漢詩を作り、それを投稿し、また吟詠を楽しむ。漢詩である。川柳や俳句とは違う。独特の作詩の知識も必要であろう。これは若いときからされたことが大きかろう。ボクも川柳歴40年である。負けてはおられない。もう一踏ん張りであろう。支援してきた市議が先日の選挙で落選した。ボクの果たす役割は突然なくなった。こんなことも加わり、いろいろ考え直さねばならない。

(第3494話) 最後のハグ

2023年05月10日 | 出来事

 “いつもより少し早く桜が満開になった春の日、甥っ子の隆幸が亡くなった。まだ五十六歳。幼い頃から「おばさん」ではなく「おばよん」と呼んで慕ってくれた。二年くらい前から入退院を繰り返し、がんぱってその都度、乗り切ったけれど、ついに力尽きたね。やさしい奥さんとかわいい二人の子どもに恵まれ、幸せな人生だったよね。
 私の中ではまだ幼いままの隆君に、最後の見舞いに行った帰り際、なぜか突然ハグしたくなって、あなたを抱きしめた。少しはにかみながらも、うれしそうな顔をしてくれたね。「こんなに脚が細くなった」と見せてくれた、あの時の何とも言えない笑顔が、あのぬくもりが忘れられない。通夜も葬儀も涙が止まらなかった。
 大好きなお母さんにお経を唱えてもらい、何よりうれしかったよね。棺のあなたに、たくさんの人が花を入れてくれ、まるでお花畑の中にいるようだったね。涙の止まらない私は、隆君に花を手向けながら「こんなのないよ、早すぎるよ、でもよくがんぱったもんね、でも侮しいよね」と話しかけた。「おばよん、そんなに泣くなよ。俺がんばったんだからさ」と、どこからともなくあなたの声がした。そんな気がしたあの日の叔母でした。”(4月18日付け中日新聞)

 名古屋市の介護福祉士・西岡さん(女・71)の投稿文です。56歳の死、今の時代早い死である。叔母さんの嘆きもひとしおであろう。人の寿命について話し出せばキリが無い。ボクがこの話題を取り扱ったのは、ハグについてである。
 子ども抱きしめるのは親なら当然であろうし、そのまわりの人も子どもにはたやすくハグをするであろう。でも、子どもでも小学生くらいまでではなかろうか。日本人にハグの習慣はあまりない。次にあるのは恋人同士の時である。それも結婚すればまもなくその習慣もなくなっていく。これがボクのハグについての見方であるが、いかがであろうか。ところが西岡さんは56歳の甥に突然ハグをされた。照れながらも甥御さんは受け入れられ、西岡さんには良い思い出となった。
 次にボクの妻について書きたい。ボクの妻は孫によくハグをしてきた。そして今もである。上は22歳、下は17歳、男2人、女2人の孫である。来ると時々している。孫らも照れながらも受け入れている。そして、ボクら夫婦である。数年前からするようになった。朝、ボクがパソコンに向かっていると、起きてきたとき、しなだれてくる。日課になっている。もう幾年の寿命である。良い習慣になったと思っている。


(第3493話) アナログの人情

2023年05月08日 | 意見

  “仕事の合間に豆腐店に立ち寄っては昼食の弁当を買っている。ご飯は少なめながら、おかずの種類は豊富で物価高でも五百円で釣りがくるほど安いのが気に入っている。ついでに夕食の食材を購入することもあり、女性店主はいつも年季の入ったそろばんでてきぱきと計算している。それを見て私が「政府は電子化と言うけど、このそろばんの音が大好き」と話したら、店主はうれしそうな表情をした。
 今やセルフレジが普及し、スムーズに買い物できる点では便利となったが、味気なさも感じる。この豆腐店みたいに「いつもありがとう。お総菜おまけしとくね」「ラッキー。ありがとう」なんて会話が弾むようなアナログの人間付き合いを、私は大切にしていきたい。”(4月18日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の会社員・伊藤さん(女・70)の投稿文です。アナログとデジタルの話しです。(4月24日第3486話)で読み書きそろばんと話題にしたばかりです。人間、毎日が能率だけで過ぎているわけではありません。まずは人との触れ合いです。スーパに買い物に行きます。ほとんど一言も言葉を交わすことなく、店を出てきます。一人暮らしの人も多くなりました。1週間一度も人と話したことが無い人が結構あるようです。言葉をかけてくれる人が優しくみえて、詐欺に遭う人もあるようです。デジタルは所詮道具です。道具だけで生活が成り立つわけがありません。時間がある人はアナログも重視した方がいい気がします。


(第3492話) 思い出新聞

2023年05月06日 | 知識

 “昔の中日新聞紙面を購入できる「思い出新聞」があることを知り、私が生まれた一九四三(昭和十八)年五月のある日を買い求めました。戦時中とあって記事は軍絡みばかり。文字は小さい上、旧字体で読むのに難儀しましたが、書かれていることには妙に感慨を覚え、当時に思いをはせました。
 海軍軍人の山本五十六元帥の国葬をはじめ、空母と運命を共にした艦長の戦死詳報もあり、戦争で命を失うことが美徳とされた時代だけに一層悲しみを覚えました。大相撲で規定から引き分けとなった取組も「敢闘精神がなかった」と評されたのは戦時中ゆえでしょう。一方、鍋や釜、傘を直すために各地を回ったという「巡回修繕班」の記事や、現JR東海道線の笠寺駅開設といった話題にはホッとしました。別の日の「思い出新聞」を読んでみたくなってきました。”(4月13日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・赤井さん(79)の投稿文です。実はボクも持っている。結婚式にボクと妻の誕生日の思い出新聞を贈ってもらったのだ。但し毎日新聞であった。ボクは昭和20年9月、妻は22年7月である。久しぶり出して見て一番驚いたのは、横書きが20年では右から、22年では左からに変わっていたことである。20年では空襲の被害死者24万人余の記事や進駐米軍の記事が目につく。22年では登呂遺跡の発掘や鎌倉由比ヶ浜の海水浴の記事が出ている。たまたまであろうか、戦争から日常生活に大きく内容が違っている。時代の変わり目だった。こんなこともこの思い出新聞で改めて感じる。70年、80年、人の一生の間に社会は大きく変化する。諸行無常、そんなことも知る思い出新聞である。


(第3491話) 読書で豊か

2023年05月04日 | 行動

 “本や新聞を読むように親から言われたこともあって、自分の時間ができた定年後、努めて読書をしている。読後は印象に残った言葉や一節、感想をノートに書き留めている。これまでに読破したのは百三十冊ほど。一冊一冊にはこれまで知らなかったことがたくさん詰まっている。最近はスマートフォンや電子辞書を駆使して難しい字や言葉を調べつつ読み進めている。小説の舞台を訪ねて海外旅行したこともある。読書を重ねるうち、少しは知識と教養が身に付いたように思える。夫婦間や身近な人との会話の中身も豊かになった気がしている。この先、認知症予防も兼ねて一層読書に励むつもりだ。”(4月13日付け中日新聞)

 岐阜県多治見市の安藤さん(男・74)の投稿文です。安藤さんは定年後からできた時間の有効活用として本を読み始められた。そして感想を書くなど、十分に活用されている。本の有効性など、ここで改めて言うことはなかろう。
 今のボクに欠けているのは読書だろうか。最近は本を買ったことも読んだこともないくらいである。もう何年も前のことになるが、電子ブックを買った。多くは無料で読め、手軽である。それを読んでいるうちはよかったが、次第に利用しなくなった。本はやはり紙であろうか、ボクらにはやはり向かないようだ。でも折角ある機器である。字の大きさも自由である。重くもない。その利便性を再度活用したいものだ。そう思ってこの投稿文を取り上げた。


(第3490話) 一宮モーニング

2023年05月02日 | 活動

 “一宮市の喫茶店などで提供される「一宮モーニング」を地域団体商標として登録する一宮商工会議所が、知的財産制度を有効に活用した企業や団体に贈られる「知財功労賞」の特許庁長官表彰を受けることが決まった。知財功労賞を受賞する商議所は全国で初めて。
 一宮商議所では、地元の食文化であるモーニングをアピールしようと、二〇〇九年に「一宮モーニング協議会」を設立。それ以来、積極的にモーニングの普及啓発やイベント開催に取り組んできた。「一宮モーニング」は一六年に、地域名と商品名を組み合わせた名前を付け、地域ブランドの保護をねらう地域団体商標に認定された。
 今回は商議所が市や地元企業と協力して市全体で取り組んでいる点や、モーニングを販売する加盟店を一覧にしたマップを配布する活動などが評価された。表彰式は十八日に東京で開かれる予定。”(4月12日付け中日新聞)

 記事からです。「一宮モーニング」を地域団体商標として登録する一宮商工会議所が、「知財功労賞」の特許庁長官表彰を受ける、と言うニュース。何のことかよく分からぬが「一宮モーニング」が表彰されるのである。一宮とモーニングがより知り渡ることになるのは確かだろう。それはモーニングをよく活用する地域の人にとっては嬉しいことであろう。
 コーヒーにいろいろな食べ物がついてくるモーニングコーヒー、この一宮地方独特の文化であろう。朝食や昼食代わりにしている人も多かろう。値段もコーヒー代だけである。他の地域に行ってコーヒーを頼むと、本当にコーヒーのみであったり、豆がつくことが精々であったりする。そして、コーヒー店を見つけること自体が難しい地域も多い。ボクの家は一宮市の外れであるが、500m範囲で4店くらいはあろう。1kmまで拡げたら10店くらいあるのではなかろうか。と言っても、最近はどんどん減っていく。物価の値上がりや跡継ぎ問題があろう。こうして「一宮モーニング」として売り出しているのだから、何とか食い止めて欲しいものである。

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柳&ウォーク