“去年の七月、長年の老老介護で疲れ切った母を見かね、私は仕事を辞めて関東から実家に戻った。認知症が進み、度々救急車で運ばれるようになった父。その様子を母から電話で聞いては悶々としている私に、主人が「自分のことは何とかなるから、行っておいで」と声を掛けてくれた。
保護猫六匹を連れての大移動。十数年ぶりに戻った実家で、猫たちは父に大層甘えた。父は、認知症になって暴れることもあったが、猫にはいつも優しかった。その姿は、幼少の頃に父と出かけた際に拾ってきた犬や猫を育てた懐かしい日々と重なった。親子三人、大変ながらも幸せなひとときを過ごし、帰省後三ヵ月半で父は旅立った。
四十九日の法要や役所の手続きなどを終え、八十近い母をひとり残して関東に戻れずにいると「納得いくまでそっちに居たらいいよ。少し仕事もしたら?」と主人。理解のある人と一緒になったものだと、つくづくありがたい言葉だった。四月から週三日だけ教職に戻る。そう遠くはないであろう母の介護の時が来るまで、もう少し働かせてもらおう。主人の理解のもと、最後の親孝行をしながら、値上がり著しい猫たちのごはん代と病院代の足しにと、好きな仕事に戻る幸せ。今、気持ちはとても前向きである。”(4月4日付け中日新聞)
愛知県瀬戸市の教員・尾西さん(女・46)の投稿文です。多くの人にとって介護は大きな問題である。多くの人が長生きになり、長生きになればその分いろいろな問題が生じる。認知症になったり、体も動かなくなったりする。そして、家庭環境も介護が難しい家庭が多くなっている。子どもが少ない、そして誰も働いている。高齢者は増えるばかりである。施設にもなかなか入れない。その施設も人手不足である。そんな状況に尾西さんのご主人は非常に理解があった。奥さんの親の介護に、奥さんの気持ちを十分に理解され、納得できるように促されるのである。自分は不自由な生活になるのにである。男はこうでありたいものだ。
ところが世の中、介護は女性任せにする人が多い。自分の親も奥さんの親もである。実はボクもその典型であった。勝手に歩きばかりに行っていて、批判する友人もいた。ただ妻は専業主婦であった。子どもももう手を離れていた。介護に多くの時間を割くことができた。この点ではボクは妻に感謝する以外何も言えない。さてボクが介護をされることになった時、どんな状況が待っているのだろうか。