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第226号  2023年4月

 
 

(第3489話) 理解に感謝

2023年04月30日 | 行動

 “去年の七月、長年の老老介護で疲れ切った母を見かね、私は仕事を辞めて関東から実家に戻った。認知症が進み、度々救急車で運ばれるようになった父。その様子を母から電話で聞いては悶々としている私に、主人が「自分のことは何とかなるから、行っておいで」と声を掛けてくれた。
 保護猫六匹を連れての大移動。十数年ぶりに戻った実家で、猫たちは父に大層甘えた。父は、認知症になって暴れることもあったが、猫にはいつも優しかった。その姿は、幼少の頃に父と出かけた際に拾ってきた犬や猫を育てた懐かしい日々と重なった。親子三人、大変ながらも幸せなひとときを過ごし、帰省後三ヵ月半で父は旅立った。
 四十九日の法要や役所の手続きなどを終え、八十近い母をひとり残して関東に戻れずにいると「納得いくまでそっちに居たらいいよ。少し仕事もしたら?」と主人。理解のある人と一緒になったものだと、つくづくありがたい言葉だった。四月から週三日だけ教職に戻る。そう遠くはないであろう母の介護の時が来るまで、もう少し働かせてもらおう。主人の理解のもと、最後の親孝行をしながら、値上がり著しい猫たちのごはん代と病院代の足しにと、好きな仕事に戻る幸せ。今、気持ちはとても前向きである。”(4月4日付け中日新聞)

 愛知県瀬戸市の教員・尾西さん(女・46)の投稿文です。多くの人にとって介護は大きな問題である。多くの人が長生きになり、長生きになればその分いろいろな問題が生じる。認知症になったり、体も動かなくなったりする。そして、家庭環境も介護が難しい家庭が多くなっている。子どもが少ない、そして誰も働いている。高齢者は増えるばかりである。施設にもなかなか入れない。その施設も人手不足である。そんな状況に尾西さんのご主人は非常に理解があった。奥さんの親の介護に、奥さんの気持ちを十分に理解され、納得できるように促されるのである。自分は不自由な生活になるのにである。男はこうでありたいものだ。
 ところが世の中、介護は女性任せにする人が多い。自分の親も奥さんの親もである。実はボクもその典型であった。勝手に歩きばかりに行っていて、批判する友人もいた。ただ妻は専業主婦であった。子どもももう手を離れていた。介護に多くの時間を割くことができた。この点ではボクは妻に感謝する以外何も言えない。さてボクが介護をされることになった時、どんな状況が待っているのだろうか。


(第3488話) 父を尊敬

2023年04月28日 | 出来事

 “その昔、就職活動で会社に提出する身上書に「尊敬する人は」という項目があった。それを見た父から「父親と書くのが一番良い」と言われました。その通りにしましたが、内心は「とんでもない」と思いました。無口で気が弱く農家として年中汗を流して働く姿を見ても尊敬する気になりませんでした。友人の父と比べ、農業という職業に気恥ずかしさを覚えましたから。長年、父の職業を差別してきた気がします。
 父は十年前に亡くなり、喪主として通夜であいさつする際、情けなさと申し訳なさで涙がこぼれ落ちました。愚痴も弱音も発せず家族のために働いて八十六歳で逝った父に、私は優しい言葉一つ、かけてあげられませんでした。この先尊敬する人を聞かれたら、胸を張って「父です」と答えます。「父ちゃん、ごめんね。長い間本当にありがとう!」”(4月3日付け中日新聞)

 三重県四日市市のアルバイト・森さん(男・68)の投稿文です。「尊敬する人は」と問われ、父親と書いたものの、農業を職業とする父親を尊敬出来なかった。亡くなってからそれを悔やんだ森さん。これはボクの父親も農業だっただけによく分かる。もっと言えばボクは農業を卑下していた。ボクは農家の一人息子、当然農業を継ぐように育てられた。農家の多い中学までは何ともなかったが、町の人が多い高校に入ってからはだめだった。生活が全く違う。農家は地味なだけ、華やかさはない。つい何でも卑下してしまう。実はこの習性は今も拭い切れていない。「ボクは百姓だから」と今でも言うときがあるが、それは卑下の気持ちを含んでいる。今の時代から見れば、自然とともに歩む農家は自慢出来るほどのものである。ボクが百姓と言うとき、地味で粗雑で、エチケットやデリカシーがない気持ちが含まれている。こうしてボクが言わないと誰も信じないだろう。
 ただボクは父親といろいろ問題を起こしたが、父親を認めていた。村では農業の先生とも言われていた。賢かった。小作ながら、村のいろいろな役も果たしていた。でも「尊敬する人は」と問われ「父親と書くのが一番良い」と言うのは今ひとつ分からない。


(第3487話) 描き続ける

2023年04月26日 | 行動

 “高校の英語教師を六十歳で定年退職後、ある展示会を見たのを機に日本画を描き始めた。百枚できたら個展を開こうと決めた。足かけ十五年、ついに昨年末、大台に到達した。この間患った病気の影響もあって歩行困難となったが、家族や仲間に支えられてきた。近くの公民館で一月中旬、個展を開いた。岐阜市の金華山、鹿児島県・屋久島の紀元杉といった多くの風景画、犬山祭の山車や孫を描いた作品を並べた。木工や陶芸、組み木と合わせ計五十点を展示し、五日間で五百人が会場を訪れ、そこで教え子とも出会えた。好きなものを十年も続けれぱ得意になることを実感した。この先も自分らしさを描き続けたい。”(4月1日付け中日新聞)

 愛知県犬山市の農業・小嶋さん(男・81)の投稿文です。定年退職後、15年かけて100枚の日本画を描き上げる。そして、その他の木工などを加えて作品展を開催し、5日間で500人が訪れたという。「十年も続けれぱ得意になる」を実感された。これにはいろいろな素晴らしさが含まれている。まず、老後の過ごし方を示された。まず絵を描くという趣味を見いだされた。定年後数年間で見いだされたのであろう。これは好奇心があったからである。更に100枚描いたら個展を開くという目標を持たれた。続けるという意思を持たれた。今81歳、それを見事に維持され実現された。容易いようだが、誰にでもできることではない。この歳で15年続けるというのは、いろいろな条件がいる。病気もあったと言われる。それを乗り越える環境もあった。そして、最後の言葉の「十年も続けれぱ得意になる」が生きてくる。「継続は凡人を非凡人にする」というボクの口癖が示される。
 継続を重んじてきたボクは、結構いろいろ続けているものがある。最近新たに始めたことは、己書と言えない英人書がある。これがどこまで続くか、そしてシルバーカレッジ生との付き合いであろうか。


(第3486話) 学んだ暗算

2023年04月24日 | 行動

 “家計簿をつけるのに、そろぱんを使っています。そろぱん塾に通ったのは主に小学生のときで友達が習うのを見て自分もやりたいと思って始めました。商業高校に入学するときには塾をやめていましたが、高校ではそろばんの授業があり、卒業後は証券会社の会計担当として日々そろばんをはじきました。その昔、同じく塾で学んだ暗算はとても便利なむので今も買い物で役立っています。割引率はもちろん、昨今の物価高による値上げ幅も瞬時に分かります。
 母は生前、「知恵と知識は荷物にならず、誰にも奪われることがない」とよく言っていました。私にとって、そろぱんや暗算がまさにそれです。パソコンや誰もが有するスマートフォンで何かと便利な昨今ゆえ、そろばんや暗算といった古典的手法で日々脳を活性化させれば、より生きているとの実感が湧きます。”(4月1日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の主婦・水川さん(71)の投稿文です。ボクは暗算が苦手だ。子どもの頃にもっとやっておけばよかった、と思ったことが度々である。いくらパソコンやスマホで簡単にできても、とっさのことは暗算にかなわないと思う。何を持たなくてもできるのだ。戦前は読み書きそろばんといったものだ。戦後はこれがおろそかになっていた。ボクの子供頃も学校では少しその時間はあったが、それだけでは足りなかった。それが今のボクだ。人にはいろいろな知識や教養も必要だが、読み書きそろばんは生活である。まずは生活であろう。特に今の人を見ていてひどいと思うのは、書くことである。まず持ち方、ビックリするような持ち方の人を見る。そして、その文字である。その人の人格からしてとても信じられないような文字を見る。いくら機器が進んでも、読み書きそろばん、いや読み書き暗算は生活の基本、必需品である。


(第3485話) ISS

2023年04月22日 | 出来事

 “国際宇宙ステーション(ISS)が肉眼で見える日は決まって、わが家の庭に出るのがここ数年の日課となっている。星が瞬く中、ISSは白い明かりを輝かせながら飛行機と同じくらいの速さで動く。見えるのはたいてい日没後か、未明の天気が良い日で、月に十日ほどだろうか。通過する時間帯や方向は日によって異なり、インターネットで事前に調べておき、見え始める時刻の少し前から庭でそのときを待つ。毎回見上げても全く飽きず、童心に返ってつい浮かれてしまう。
 ISSには日本の実験棟「きぼう」があり、今月半ばまでの半年間は宇宙飛行士若田光一さんがいただけに感慨深い。この先もISSを見上げながら、飛行士の皆さんの無事を祈ろうと思っている。”(3月28日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の豊田さん(男・80)の投稿文です。ボクの知人が、LINEで「きぼう」の運行情報を何度も送ってくれた。そして、先日ボクも見ることができた。明るく、飛行機が飛んで行くのと間違うくらいであった。本当に見とれるくらいの気持ちになった。豊田さんのような人は多いかも知れない。ボクの知人もまさにそうであろう。その後、ボクも夕方外に出て夜空を見上げると、つい探しているときがある。
 この知人は、こまめにボクにいろいろな情報を送ってくれる。元理科の先生と言うことで、このように天体の情報もよくくれる。また植物の情報も多い。ボクに今までなかった楽しみを与えてくれる。まだ知り合って数年であるが、これからが楽しみだ。


(第3484話) 家鳴り

2023年04月20日 | 知識

 “ある日のラジオ番組の投稿テーマが「私が不安を感じる時」だったので、私の死後の夫の行動が不安という話を送りました。その内容は、常日頃、夫に「私が先に死んで、私の大好きなこの家に女の人を上げたら、私は家鳴りという妖怪になって、家をガタガタ鳴らすからね」と冗談交じりに言っているというもの。
 投稿は番組で取り上げられ、大変盛り上がりました。主人に向け、私の死後、もし家鳴りがしたら、取材に行くから連絡くださいと。そして、これは奥さんですよって言ってあげるからねとも。
 嬉しくて、何人かの友達にこの話をしました。すると、なんとみんな家鳴りを知らないと言います。え~。家鳴りは、いたずらをして家を揺すったり、音を立てたりする小さな鬼のような妖怪です。家の天井からバキッなどと音がするたび、家鳴りがいるのね、と思っていた私。だれもが知っていると思っていたのに、共有できるものではなかったとは。
 日本には、目に見えないものがたくさんいて、そんなものをあがめたり、おそれたりする文化があって素敵だなって思っています。「家鳴り」を検索して、画像を見てくださいな。とってもかわいいやつですよ。”(3月22日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の主婦・伊藤さん(60)の投稿文です。「家鳴り」、知らなかった。調べてみました。確かに言われるとおりでした。そしてラジオ番組でのやり取り、これでは盛り上がりますね。こういう話しが生きているのはいいですね。日本には八百万の神がいる、何でも神様にしてしまう国です。国民を一つの宗教でまとめ上げようとすると当然無理が生まれる。そして争いになり、戦争ともなる。ボクにしたら宗教で戦争なんて、最大の愚かに見える。世界はそんな国が多い。その点日本は大らかで良い。伊藤さんが言われるように「目に見えないものがたくさんいて、そんなものをあがめたり、おそれたりする文化があって素敵だ」は、ボクもそう思う。日本人は宗教心がない、と言われる人もあるが、排他的になるより余程良いと思う。
 伊藤さん夫婦の話もいい。60歳にしてまだ嫉妬心がある。愛がある証拠である。この家に家鳴りはないだろう。


(第3483話) 母の好意

2023年04月16日 | 出来事

 “八十五歳の母と、ここ数年欠かさず、毎月二、三回の文通を続けている。父の月命日に、久々にお供物を持って会いに行った。しばらく互いの近況報告をした後、母が「あっそうや!これ、こうちゃんに!!」と古封筒を差し出した。中にはチラシや文書コピーの紙が沢山入っていた。裏の白い面を一歳七ヵ月の私の孫のお絵描き用に取り置きしておいてくれたようだ。でも、すかさず「こんなの家にもいっぱいあるからいらんわ」と返答した。母は少し残念そうな様子だった。
 家に帰って、あれはつつましやかな暮らしをしている母なりの、ひ孫に対する厚意だったのだろうと思えてきた。そんな心優しい母の厚意を一瞬にして踏みにじってしまったことへの反省の念が、どんどん膨らんできた。
 翌日、手作りプリンを持って、再び母に会いに行き、昨日の紙をもらえないかと申し出た。母はニコニコして、あの古封筒を手渡してくれた。私の胸のつかえはスーッと消え、とてもすがすがしい気持ちになった。
 孫が今度遊びに来た時、思いきりご飯を食べ、汚れを気にせずお絵描き遊びを楽しめるように、余り布地でスモックを作った。お母さん、ごめんね。そしてありかとね!!”(3月20日付け中日新聞)

 滋賀県長浜市の主婦・八上さん(59)の投稿文です。物が不足していた時代に子ども時代を生きた世代は豊かになった今でも物を大切にする。八上さんのお母さんはそんな時代に育った。ボクも同じである。「三つ子の魂百まで」で、子ども時代に身についてことは今でも離れない。八上さんのお母さんは、広告など片面でも白い物は孫のお絵描き用として取っておいた。それを渡された八上さんはそれを要らない、と言って否定された。そして後悔された。
 こう言ったとき、どこまで相手の気持ちを思って対応できるかである。一瞬の判断である。これが大きく物を言う。この場合、後で取り返すことができた。これができないときがある。その場合はいつまでも自分を悔いたり、相手に恨まれたりする。こう言った一瞬の判断をすることは結構ある。これはもうその人の人柄によることが多かろう。それはもう毎日の精進である。日々を疎かにしてはいけない。


(第3482話) 虫食い理由

2023年04月14日 | 行動

 “勤務先の農業高校で三年生は授業の一環で野菜を栽培してきた。一月に収穫したキャベツは学校隣の特別支援学校に届け、「残りは持って行けばいいよ」と生徒に言ったら、一人は間髪入れずに「虫が食っているからいらない」と。
 安心、安全を第一に考える野菜の栽培だと農薬を使わない分、虫食いが増える。残ったキャベツは私が持ち帰ってロールキャベツを作り、子ども食堂に持っていったら大好評だった。この話を、三年生に報告すると丹精した野菜が役立ったことに満足した様子だった。私がなるべく自然に近いかたちでの栽培にこだわっている理由は、食べ盛りの若者にたくさん味わってほしいからだ。”(3月17日付け中日新聞)

 愛知県半田市の高校教員・森川さん(女・61)の投稿文です。野菜の虫食い、そんなものは店に並んでいない。見た目全く綺麗なものばかりである。その綺麗なものにするため、とんでもない努力がいる。最たるものが消毒である。虫を殺すための消毒であるので、基準に合致していてもそんなものが人間にも言い訳がない。今多くの人はそれを知っているだろう。でも皆綺麗なものを買っていく。虫食いだけではない、見目形、大きさまで統一している。切り刻む物にこんなことが必要であろうか。
 作っている人はそれがよく分かっている。ボクの家は専業農家だった。売りに出すものと家で使うものとは全く違っていた。見目形、大きさなど市場に出せないものは自家用になる。そして、虫食いも同じである。と言うより自家用のものは消毒を極力抑えているのである。そんな父を見てきたので、ボクは野菜に消毒はしない。もちろんボクは売りに出していない。自家用か、知り合いに渡すだけである。妻は渡すとき、消毒はしてありませんから、と言って渡している。消毒がしてないことを、売りに出しているのである。消費者も気づいて欲しい。野菜は見目形ではない、虫食いも当然であると。そうすると、農家の手間も随分省ける。知識だけでなく、行動で示して欲しい。そうしないと世の中は変わらない。


(第3481話) 小さな幸せ

2023年04月12日 | 行動

  “くらしの作文を通じて知り合い、十五年以上、文通が続いている方から、素敵なお便りが届いたのでご紹介したいと思います。「旅行やレストランなどは付き添い無しでは行けないので、自宅から離れた場所には外出していない状態。でもネ、毎日服を替えておしゃれして、食事はテーブルコーディネートして、少しでも楽しい雰囲気をつくるように努力しています。自分の食事、身の回りのことができるだけでも感謝する毎日です。月に一度、必ず友人と、私の粗末な料理でお食事会。貴方から来るラブレター。好きなポール・モーリアのテープを聞きながらコーヒータイム。これが私の幸せ。ちっちゃいでしょう」
 このお便りを書かれた方は、今年九十歳になられます。素敵な心構えと努力。おもてなしの心と共に、心豊かにゆっくりと過ごされる時間。一つ一つが幸せに満ち溢れていることが分かります。
 私の日々の生活の中にも、小さな幸せがたくさんちりばめられているはずなのに、なぜ気付かなかったのでしょう。このお便りが教えてくださったように、私も「小さな幸せ」を生み出す努力をし、そして「小さな幸せ」を感じながら、一日一日を大切にしていこうと思います。”(3月15日付け中日新聞)

 三重県伊勢市の安藤さん(女・71)の投稿文です。90歳の方の生活の紹介です。自分でできる楽しみを見つけ「小さな幸せ」を感じておられる。その内容たるや、男のボクには唖然とすることばかりである。出かけもしないのに毎日衣服を替え、食事をするテーブルにも工夫をこらす。時には友人を招いて食事会。ポール・モーリアを聞きながらコーヒータイム。自分のできる範囲で生活を、生きていることを楽しむ。これも本当の生活、幸せであろう。
 ボクらは生きがいの場所を外に求める。きょうよう、きょういくである。今日用事がある、今日行くところがある。これも本当であろう。家に閉じこもっているばかりでは、体も弱る、心も弱る、頭も弱る。高齢者には特に求められることである。ボクもこれを念頭に実践し、人にも説いている。そしてそんな思いで場所も作っている。でも、いつかそれができないときがくる。その時悲嘆するばかりではいけない。その時にどう対応するかである。それがこの90歳の方法がその一つであろう。でもこれは女性だから比較的簡単にできる。では男性ならどうすればいいのか。これらなどは余程の心構えをしないと難しい。女性がマスマス羨ましくなってきた。


(第3480話) オコワ祭

2023年04月10日 | 活動

 “愛西市勝幡町の勝幡神社で十二日、地域に春を告げる伝統行事「オコワ祭」が開かれ、もち米を入れたたるを境内の石にぶつける参加者の「よいしょー」という大きな掛け声が響いた。
 市の無形民俗文化財に指定されている行事で、記録では江戸時代までさかのぽれるが、始まりは不明という。この日は、勝幡区協議会と祭りの保存会メンバーらが神事に臨み、縄を編んだ「こも」にたるを入れて境内を一周。ところどころで「ウオー」と声を張り上げ、鐘を鳴らした。
 参加者はこもの端を握って思い切り石にたたきつけた。何度も繰り返すと、こもから餅状になった米がはみだした。集まった子どもらが広げたこもから次々に米を受け取った。この米を食べると無病息災で過ごせるという。
 協議会の総代、井戸田一仁さん(七〇)は「新型コロナの影響で今年も町内の練り歩きはできなかった。来年は以前のように行事ができることを願いたい」と話した。”(3月15日付け中日新聞)

 記事からです。ボクはこの勝幡神社に、一宮友歩会の例会で数度行っている。絵入りの立派な石碑や説明板で大方のことを理解している。でも読んだ理解である。一度実際の祭りを見みたいものである。今年はかなりの行事がコロナ前に復活してきている。しかし、このオコワ祭りのように、完全ではない。
 ボクの住んでいる周りでも、市の無形文化財に指定されるいる祭りが数カ所ある。今年はどこまで復活されるのだろうか。ただでさえこうした祭りは、維持が難しくなっている時代である。人間はAIやデジタルで便利なればいいだけではない。それだけでは味気ない生活である。手間暇かけたところに味も喜びもある。人が直接触れあって楽しみもある。伝統が引き継げる間に復活して欲しいものである。

(第3479話) ホワイトデー

2023年04月08日 | 行動

 “ホワイトデーが近づくと、開封する袋がある。それはコンビニのポリ袋。中には手のひらサイズの豚の形をした瓶が入っている。三十年前のホワイトデーに好きな男の子からもらった。豚の鼻の部分がコルクになっていて、開けると中にはキャンディーが入っていた。キャンディーはもうない。
 ホワイトデーの日、机の引き出しに白いコンビニの袋が入っていた。中には豚の形の瓶だけ。手紙などは入っていなかった。それでもバレンタインにチョコをあげたのは彼だけだったから、彼からのお返しだとわかった。お返しなんていらなかったのに。好きだという気持ちを一方的に伝えたかっただけなのに、嬉しかった。小学生だった時の思い出である。その気持ちを毎年、思い出す。純粋な気持ち。そして少し恥ずかしくなる。
 今年のバレンタインには、三つあげた。すべてチョコが大好きな夫にである。一つ目は彼が好きなトリュフ。二つ目はスーパーのバレンタインコーナーで買った大容量のチョコ。三つ目は私が好きなメーカーの高級チョコ。もちろんすべて私もいただいた。ホワイトデーにはお返しをしっかりもらう。三十年前のように、お返しなんていらない、とはいかないのだ。”(3月11日付け中日新聞)

 岐阜県可児市のパート・林さん(女・38)の投稿文です。30年前、小学生の時の初恋が実り、今もラブラブが続いている。小学生の時の初々しさ、その感情が今も残っている。持って生まれた素質なのであろう。世の中これほどの人があろうか。ないとは思わないが、希有に近いであろう。
 今は結婚しない人が増えている。日本の将来が怪しくなるくらいである。マスコミ等でも取り上げているように、理由を挙げればいくらでも上がる。昔は恋愛、結婚など言うものは男性から仕掛けたものである。女性は受け身、そうしたものと思い、男性は積極的に動いた。そして振られようと恥ともしなかった。ところがどうだ、今は男性が恥を嫌っている。断られるのを恐れている。格好が悪いと思っている。そして女性はどうだ、積極的になったと言えども、まだ受け身的であろう。これでは先に進むわけがない。これは実情を知らないボクが勝手に思っている理由である。その点、林さんは積極的であった。そして見事に実らせた。どうせなら自分で求めて成就した方が喜びが大きいのではなかろうか。


(第3478話) 誕生日に

2023年04月06日 | 出来事

 “歳を取っていく自分を否定してしまうようで、白髪は染めません。けれども変な人に思われるかなと、心は揺れます。老後の不安も感じ始めました。二十年前を思い出せば、買ったばかりの家のローンの長さに不安でした。十年前は長男が中学生、長女は小学生で、子どもの進路に不安でした。あの頃や今の若い人が持っているであろう不安よりは、ましかと思い直します。
 誕生日の夜、主人は会社帰りにコンビニデザート四個、長女は大学帰りにセンスの良い夫婦箸、長男は職場そばの百貨店で、私の知らない店のケーキ四個を買ってきてくれました。夕食は「手抜きをするぞ」と私の宣言のもと、以前から気になっていた「超」が六個付く大盛りカップやきそぱ。七人前はありそうです。2.2リットルのお湯を沸かし、主人が作ってくれました。「お母さんの誕生日に一個のカップやきそぱを家族四人で食べましたって、字面にすると悪いね」と笑いながらついぱみます。
 寝る前、主人が「歳を取るのも悪くないね」と言いました。歳を取るほどに子どもたちは頼りがいのある存在になっていきます。私はいい人と結婚しました。残ったやきそぱは、パンにはさんでおいしくいただきました。”(3月10日付け中日新聞)

 愛知県北名古屋市の主婦・志茂さん(51)の投稿文です。51歳、誕生日の思いです。子供らも成長し、人生の大きな峠は越えました。そして誕生日に食事の「手抜きをするぞ」と宣言したら、子供らからの贈り物、それも大盛りカップ焼きそば。ご主人が湯を沸かし作ってくれた。穏やかな幸せな家族です。「歳を取るのも悪くないね」と言う言葉に、実感がこもっています。でもこれだけ幸せを感じる家族は少ないかも知れません。
 ボクがその歳の頃、もう25年以上前である。わが家族はどうだったろうか。長女がまもなく結婚する頃である。穏やかであったと思うが、よくは思い出せない。家族年表を作る必要がある。そして、今娘らがその歳に係っている。どう思っているのだろうか、一度聞いてみる必要がある。
 志茂さんは白髪が見えてきました。老いも感じ始めます。老後の不安も感じます、と書かれている。でも、これからが人生を楽しむ期間です。この幸せを感じながら、積極的に進んで欲しいものだと思います。


(第3477話) 夫婦の会話

2023年04月04日 | その他

 “私は友人と喫茶店でコーヒーを飲んでいた。女どうし、話すことは山ほどある。子どものことや孫のこと、世の中の出来事など、話はつきない。そこへ五十代くらいの夫婦と思える二人が来店した。
 ウエートレスさんが注文を聞き、男性が「コーヒ二つ」と言った。そしてレジの横から新聞を持ってきて読みだした。女性は週刊誌を読んでいる。やがてコーヒーを飲み終えると、男性が「行こうか」と言い、女性が「うん」と答えた。それ以外の会話は一言もなかった。
 私たちは、二人が出て行ってから笑った。「夫婦を長年やってると、もう話すネタがないんだよね」「それが夫婦かもね」「でも、コーヒーが飲めたから良かったんじやないの」「そうね」”(2月26日付け中日新聞)

 「300文字小説」から愛知県刈谷市の菊池さん(女・76)の投稿文です。少しアップする日にちが前後したが、少し首をかしげる風景が上手に書かれているので、掲載することにした。
 この風景は、小説と言うより、実際に毎日のように見る風景である。ボクの家の周りは喫茶店が何軒とある。ボクも時折出かける。女性はしゃべりまくっている。夫婦はまさにこのように黙って新聞や雑誌を読んでいる。この夫婦に喫茶店に出かける意味はあるのだろうか。美味しいコーヒーが飲める。ボクのところではモーニングサービスが付いて食事代わりにもなる。新聞雑誌がただで読める。二人で出かける。この小説の最後に書かれているように「良かったんじやないの」「そうね」であろう。これもできない夫婦もあろうから、これができるだけでもいいというのだろうか。
 ボクは一人で行くとき以外、新聞雑誌は手に取らないことにしている。妻と行くときも同じで何か話している。そして男同士でも何か話すことにしている。しかし、これはうまくいかなくて気まずいときがある。そうすればもうその男性とは行かないことにしている。喫茶店はボクにとって、コーヒーを飲みながら交流する場である。


(第3476話) 絵手紙感謝

2023年04月02日 | 行動


 “仕事が人生そのものだった私。退職後は趣味も楽しみもなく、不定愁訴の暗い日々が続いた。そんな私に四年前、「絵手紙を一緒に始めませんか」というチラシが届いた。そのチラシを胸に、近くの事業所の研修室へと向かった。
 「私、絵手紙は初めてで、絵はあまり上手では・・・・」と言うと、先生は笑顔で「絵手紙はへ夕でいい、へ夕がいいと言いますよ」と。この一言で俄然やる気を出し、月一回の教室に通い始めた。その後、新型コロナ拡大で教室はお休み。その間は自主練習。昨年四月から教室が再開し、月一の楽しみが戻ってきた。
 近所の方から採れたて野菜を頂くと、お礼にその野菜の絵手紙を描いて受け取っていただいている。ある日、その方から「畑で育てたすくな南瓜のプリンを作ったので」と招かれ、お宅へお邪魔した時のこと。玄関を開けると、そこには私が描いた絵手紙がずらりと飾られていた。キュウリ、ナス、オクラ、カブ、ピーマン、ニンジンなどなど。
 奥様は「額に入れて飾っておくといいんですけどね」と笑顔で迎えてくださった。私の絵手紙をこんなに大切にしていただいてと、胸が熱くなった。絵手紙は古希を迎えた私に、心を込めて描けぱへ夕でも気持ちが伝わる喜びを与えてくれた。絵手紙に感謝!”(3月6日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・平松さん(70)の投稿文です。絵手紙を始める。そして人に贈る。その人の家に行ってみたら玄関にその絵手紙が飾ってあった。なんと嬉しいことであろうか。描く人と貰った人の誠意の表れである。野菜を頂いた人にその野菜を描いて贈ったのだから、お互いいい思いに繋がったのであろう。
 さて、一般に描いたものを人に贈った場合、受け取った人はどんな感情になるだろうか。飾る場所がない、飾るにはふさわしくない、迷惑に思われる場合もあろう。またお礼をしなくていけない、などと思われる場合もあろう。一概に喜ばれるとは言い難い。よく自分史や個人の詩集などを作り、贈られる場合がある。これなども同じである。ボクも川柳などの個人句集をどれだけもらったであろうか。パラパラとめくっただけで、本箱に積んであるものがいくらでもある。嬉しく思ったことはほんの数度である。また捨てるに捨てられない。
 ボクも自分の句集や自分史などの発行を思ったことがある。でも今は思わない。ボクにはホームページがある。これがその役割を果たしている。誰にも負担をかけない。ボクにはこれで十分である。



柳&ウォーク