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第221号  2022年11月

 
 

(第3415話) 親しまれる寺

2022年11月29日 | 行動

 “二十代から寺を預かるようになり、少しでも身近な存在になろうと努力してきましたが、檀家や地域の理解を得られない時期もありました。僧侶同士の勉強会にも出席し、他の寺の取り組みを参考にした結果、幅広く寺の活動を公開することが大切だと気付きました。そこでこ こ数年、寺のホームページを作って毎日ブログを更新し、変わりゆく風景や寺の様子を紹介しています。仏教の教えや仏事の意義も分かりやすく伝えようと寺の新聞を年二回発行し、現在は当初の倍に当たる二百世帯に配っています。
 こうした取り組みのおかげで、以前よりも多くの人がちょっとした相談で寺に足を運んでくれるようになりました。今後も、さまざまな人に親しまれる寺を目指すつもりです。”(11月8日付け中日新聞)

 岐阜県神戸町の僧侶・桑海さん(男・45)の投稿文です。ボクの母は後生願い、熱心な仏教信者であった。晩年は仕事のように法話を聞いて回っていた。ボクはそんな母とは関係ないと思っていたが、これが親子であろうか。ボクは小さい時から寺院に出入りしていた。そのきっかけは子供会活動の関係からであったと思う。平成21年11月からつごう11年間檀家総代を務めた。その間に、寺葬を経験し、寺院主催の夏休みラジオ体操に参加するようになり、また平成27年からは丹羽郡十八講にも参加するようになった。これも母の賜か、そして、寺院を観察してきた。
 一般には仏教寺院とは離れがちである。葬式仏教を言われることもある。本来の寺院の役割ではない。ボクも寺院には反発を覚えていた。おぼろげながらボクの考えもある。仏教は本来人を導くもの、救う立場のものである。住職や寺院はそうした役割を持つものである。今の時代待っている状況ではない。積極的に信者に触れねばいけない。桑実さんはその状況をよく心得ておられる。関係者は我々以上のよく考えてもらわねばない。


(第3414話) 永遠の今

2022年11月27日 | 知識

 “大学生のとき、今は亡き恩師が毛筆で半紙に「永遠の今」としたためてくれた。その心は「今という時間は今しかないから永遠なのです」。侮いのないよう、今を大事に生きよとのメッセージだと解釈した。
 八十九歳となった認知症の父は急性心不全と胃潰瘍を乗り越え、何とか高齢者施設に入居することができた。やれやれと思う間もなく、今度は八十五歳の母に大腸がんが見つかり、手術を受けた。幸い、両親とも今は元気だが、二人を見るにつけ、果たして幸せなのだろうかと考えている。
 あすが当たり前のように来るとは限らない以上、私は、両親からもらった貴重な命を大切にしたいと思った。恩師の書のことを思い出し、今についての重さをかみしめている。”(11月1日付け中日新聞)

 名古屋市の大学日本語講師・久野さん(男・58)の投稿文です。過去は過去、もう戻らない。未来は、一秒先のことも分からない。ただ確かなことは今の一瞬だけである。この一瞬は二度とない。「永遠の今」とはこんな意味であろうか。そんな今をおろそかにしてはいけない、大切にしよう。
 「生かされている」と思うことも大切である。今を生きているが、実際は生かされていることが多いのである。生かされている命を大切に今を生きる、これが重要とボクには思えてくる。ボクは朝の散歩で、寺院でこの言葉を唱えることにしている。最近は「助けてください」と付け加えることも多くなった。今年9月の丹羽郡十八日講で「南無阿弥陀仏とは“助けたまえ”ということ」という法話を聞いたのである。妻の病が判明し「助けたまえ」がより身近になった。今できることを一生懸命にして、最後は「助けたまえ」とお願いする、これがこれからのボクの姿勢であろうか。


(第3413話) 妻亡くし

2022年11月25日 | 出来事

 “八月に妻を肺がんで亡くしました。八歳年下で、自分より先に妻が亡くなることは想定していませんでした。結婚して四十三年。喪失感から抜け出せません。妻は手術と分子標的薬の治療で三年半の闘病後、治療の限界を医師から告げられました。「余命三~六カ月」。私と娘はそう伝えられましたが、本人には言いませんでした。九月二十日付の「つながる縁」で「母に告知せず侮いなし」と投稿された方の気持ちがとてもよく分かります。
 妻は自力で食事を食べられなくなり、残り時間が少ないことを悟っていたと思います。「お父さん、私あとどれだけ生きられるかな」。ぽつんと言った言葉が、今も耳から消えません。「そんなこと誰にも分からん」としか返すことができませんでした。
 妻は最後の二週間、自宅で過ごしました。訪問看護師さんは夜中でも来てくれました。「ご主人がまいってしまうから、いつでも呼んでください」と言っていただき、ありがたかったです。最期は、私の腕の中で亡くなりました。”(11月1日付け中日新聞)

 「つながる縁」と言う欄から、名古屋市の岡田さん(男・75)の投稿文です。誰もがとは言えぬが、こうした事態に出会う人も多かろう。奥さんは8歳年下と言われるからまだ60代である。今の時代若い死である。3年半の闘病生活後、ご主人の腕の上で亡くなられた。死は一律ではない。全く様々である。事故もあろう、静かに眠るような死もあろう。いくら元気に見えている人も多くは80代で亡くなる。世間や報道を見ているとそのように見える。
 ボクも妻も後期高齢者である。80歳は目の前である。その妻が、完治不能という病気に罹った。10月に入退院し、今は通院治療である。妻はボクより2歳若い。平均寿命からして、当然ボクの方が早く死ぬことと思っていた。それがどうも怪しくなってきた。こういう投稿文がより気になるようになった。


(第3412話) 史跡巡り

2022年11月23日 | 行動

 “地域を題材にした郷土史の本を何冊か読んだが、その中で重要性や場所がいまひとつよく分からない史跡があった。「百聞は一見にしかず」という言葉を思い出して実際に行ってみた。
 名古屋市中区の古渡稲荷神社を八月に訪ねた。仕事で時々通ってきたが、江戸中期に尾張藩主が現在の愛知県江南市からこの地に神社を移転させたことを知って興味を覚えた。朱塗りの本殿を目の当たりにして霊験あらたかな気がした。参拝後、周りを散策して説明板を読んでいるうちに執筆者が伝えたかったであろう歴史的な価値が分かってきた。以降、名古屋市内を中心に名古屋城との関連が深い場所を訪れている。今や史跡巡りが何よりのわが楽しみとなった。”(10月31日付け中日新聞)

 愛知県あま市のアルバイト・横井さん(男・69)の投稿文です。人はなぜ歴史に興味を持つのだろう。知的好奇心をくすぐるものがあるのであろうか。温故知新、故きを温ねて新しきを知る、と言う言葉もある。歴史から学ぶことは多い。学ばなかったことによる間違いも多い。
 横井さんは歴史書を読んだことをきっかけに、その地を回ることを始められた。そして、何よりの楽しみとなられた。いい発見があって良かったことである。
 ボクはウォーキングを始めて、まさにこれにはまっている。ウォーキングのコースの多くは、史跡を訪ねることである。特に一宮友歩会を設立して、テーマを持ったコースを作ると言うことで、「史跡巡りコース」と「河川探訪コース」を設立以来続けてきた。「河川探訪コース」も川に沿って歩くというものの、ほとんど史跡巡りである。こうして来年12月には99回を数えることになる。これはもうボクの財産である。良い趣味を持ったものと思っている。いや、もう趣味以上である。


(第3411話) 自分の考え 

2022年11月21日 | 行動

 “子どものときから周りに気を使う人間だった。褒められたい一心で自分を隠すようにして嫌なことを言われても愛想笑いを浮かべ、その場の空気を乱さないように心がけた。三十歳を前にして希望の仕事に転職できた直後、頼まれたら断れない性格ゆえに人間関係でつまずき「このままだと、いい人でいても都合のいい人で終わってしまう」との思いに至った。ならば世の規律は守った上で相手への思いやりを持ちつつ、自分の考えはきちんと伝えながら行動することにした。すると、普通に周囲に感謝できるようになり、生きているだけでありかたいと感じられるようになった。
 今、私は職場でも家でも実に居心地が良い。そう、人生は楽しんだものが勝ち。”(10月28日付け中日新聞)

 三重県鈴鹿市の公務員・桑原さん(女・38)の投稿文です。不思議に似たような話題が続く。また心構えの問題である。日本人は自分の考えや気持ちを押し殺し、周りの同調する傾向が強いと言われる。桑原さんはその傾向が強くて、人間関係につまずかれたと言われる。そして「このままではだめだ」「相手への思いやりを持ちつつ、自分の考えはきちんと伝えながら行動」と悟られた。そして、居心地のいい環境を得られた。
 時には思いがけない行動も必要である。それによって気持ちが切りかえられる。実はボクも先日、今までしたこともない行動に出た。シルバーカレッジの委員長を前触れもなく、突然辞任を申し出たのである。皆唖然として一言の言葉もなかった。半年間務めたが、どうにも気持ちがしっくりこなくて、重荷になっていた。途中で変わっても差し障りのある役でもない。何かすっきりした。その夜はよく眠られた。


(第3410話) 幸せいっぱい

2022年11月19日 | 出来事

 “八十四歳になりました。信じられません!! 自分がこれほど長く生きられたことが。コロナ禍にロシアのウクライナヘの侵攻など暗いニュースばかり。足腰も痛いし、早く召された方が楽じゃないかと思う日々でした。
 そんな時、若い友人から飛騨高山ヘランチドライブに誘われました。冥土のみやげにと重い腰を上げました。友人三人と私、道中でおしゃべりと笑い声が絶え間なく続きました。足腰の痛みも忘れ、ちょうどその日が誕生日だった私を、おいしいランチで祝ってくれました。
 帰途、友人の一人の家へ寄って一休みしてから解散するリとのことで、お邪魔してびっくりです。「勝子さん誕生日おめでとう」と大きな垂れ幕が張られ、ケーキと立派な鉢植えの花が用意されていました。
 一瞬、頭が真っ白になり、声が出ません。でも涙はいっぱい出ました。八十四年、生きてきて初めての体験です。沈みがちだった心がひっくり返り、これからの人生、明るく、楽しく、今年より元気に八十五歳を迎えたいと、生きる力が湧いてきました。本当にうれしい出来事でした。すばらしい友人に恵まれた私は、幸せ者です。感謝!! 長生きしなくちゃ”(10月27日付け中日新聞)

 岐阜県中津川市の園原さん(女・84)の投稿文です。これはまた思いがけないサプライズに感激の至りでしょう。いい友人を持たれた。園原さんもそれにふさわしい人柄なのでしょう。
 人間、ちょっとした一言、事柄で有頂天にもなり沈み込んでしまうこともある。それは前回の「話・話」 でも書いたとおりである。園原さんは「早く召された方が」から「長生きしなくちゃ」まで変わってしまった。凄いものである。高齢になるとどうしても体ばかりでなく意思も弱ってくる。意思が弱まると体はより弱まる。体はどうにもならない部分がるが、意思は自分の意思で大きく左右できる。それは周りの人の気遣いが大きい。
 妻が全快不能の病に陥った。今のところ大きく気落ちした様子は見られない。これからは周りの気遣いが重要になろう。まだ5年どころか10年、15年と生き抜いて欲しい。


(第3409話) 違い認め合う

2022年11月17日 | 意見

 “私は背が高く、街で擦れ違った人は必ず振り向くほど。この長身を面白がってか、時にマイナスの言葉を投げかけてくるケースもあるが、長身を優れたことと捉えて私がうれしくなることを言ってくれる人も実際いる。
 この日本でも近年、さまざまな個性が社会全体で認められるようになってきた。しかしながら日本では皆と同じことを良しとし「普通が一番いい」といった価値観は根強い気がする。何でも平均化して考えようとする社会は、個性をつぶすだけで、結局、何も生み出さないのではなかろうか。性別、人種、国籍、容姿とは無関係に、相手の違いを認めて尊重し合っていけば、私たちの視界は一気に開け、より豊かな社会が実現するきっかけになると考える。それが普通のことになることを、私たちは当面目指すべきだ。”(10月24日付け中日新聞)

 愛知県あま市の高校生・品川さん(女・18)の投稿文です。自分が長身の故、いろいろなことを言われる品川さん。そこでいろいろなことに気がつかれた。言われるとおりである。自分の意思でどう何もならないことは、それはもうその人の責任では無い。性別、人種、国籍、容姿、そこを非難したり責めてならない。尊重すべきである。そしていろいろな発想や体験が得られる。自分の意思や考えを持つことは重要である。しかし、周りの人の言葉がけも重要である。批判的に言うのか、好意的に言うのか、言われた人は大きく左右される。その人の責任でないことは特に気をつけたい。SNSが盛んになって、何か危うい方向に進んでいる気がする。日本人の同一性を求める強さも気がかりである。


(第3408話) 今時の若者は

2022年11月15日 | 教訓

 “昔から、おじさんと称される人間の話は長い。「私の若い時は」という起こしで始まり、愚痴を連ねて「全く今の若い者は」と終止符が打たれる。自身も若い時分には、おじさんたちの今昔物語に辟易していた。そこで誓った。自分がおじさんになったら、そんな言葉は禁句にするぞ。
 やがて、おじさんになった。今時の若者は、なかなかどうして、倹約家でまっとうな将来設計がある。未来は明るい。いやはや、おじさんの若い頃とは隔世の感甚だしい。
 だいたい、おじさんの若い頃は「宵越しの金は持たん。日の出まで飲み明かして出勤した」など、武勇伝が山盛りだった。おい! 人が話している時は、しっかり聞け。まったく、今時の若い者は・・・あっ!”(10月23日付け中日新聞)

 「300文字小説」から岐阜県高山市の公務員・中西さん(男・60)の投稿文です。「私の若い時は」「全く今の若い者は」というのははるか昔からのことらしい。そして、ボクも極力言わないと決めていた。しかし、数年前から少し考えを変えた。そう遠慮することなく言った方がいいのではないか。先回の「上司」と同じである。言わないでは何も相手に分からない。自分達の時代を知ってもらうことも必要である。参考になることもあろう。父母を亡くして、何も聞いていないことを身に染みて感じた。もっと聞いておけば良かった、と思うことが度々である。最近は娘や孫にも時々話すようにしている。どう受け取っているかは知らない。自分の悔いを話ことも必要だ。妻が全快不能の病気と言われ、家族が大きくまとまった。この機会を大切にしたい。


(第3407話) 上司

2022年11月13日 | 人生

 “入社七年目。これまでの会社員生活を振り返ると、改めて自分の間違いや甘い考えを正してくれた上司への感謝が込み上げてきます。注意されたおかげで成長することができましたから。
 今や後輩ができ、改善点やミスを指摘する機会がぐんと増えてきた私。仕事中もずっと楽しい話をしていたいので小言を口にしたくない気持ちは正直ありますが、黙っていると後輩だけでなく、会社にも迷惑がかかるので心を鬼にしてあえて注文を付けています。そんなときに脳裏に浮かぶのは、同じ思いをしたであろう過去の上司です。いずれ自分も人を育てられる上司になりたいな。そう思う日々です。”(10月22日付け中日新聞)

 岐阜市の会社員・石田さん(男・28)の投稿文です。上司である、先輩である、経験も知識もある。その人が導いたり教えなくてどうして若い人が育つであろう。時には叱責も小言もあろう。石田さんは受けた指導に感謝されている。今度はする番と心得ておられる。しかし、今は人に注意したり叱ったりすることが難しくなった。自分ではそのつもりでなくても、下手をするとパワハラと思われることもある。一方、良い人と思われていたい人も多く、苦言をいわない人もある。また、触らぬ神にたたりなしと、避けて通る人も多い。これでは、人を導くことも難しい。そこは信頼であろうが、言うほどに生やさしいことではない。
 ボクは先日、シルバーカレッジの委員長を辞任した。疲れたのだ。なぜこんな程度のことに、こんなに疲れ嫌気が差したのか、分析する必要がある。


(第3406話) 花言葉

2022年11月11日 | 意見

 “皆さんの好きな花は何ですか?私の好きな花はスズラン、カスミソウ、アジサイです。これら花々にはそれぞれ花言葉があります。かなり昔から花言葉はあり、そこにはいろいろな意味が込められています。
 花が下を向いているのがかわいらしい多年草の一種、スズランの花言葉は「幸せの再来」 「純粋」などでした。ナデシコ科の一年草、カスミソウの花言葉は「幸福」や「感謝」でした。 梅雨時に花を咲かせ、色鮮やかな花が、したたる雨に映えるアジサイの花言葉は「浮気」 「移り気」など。
 どれも見た目は美しい花なのに、その裏側には、こちらがハッとするような情念が隠されている気がしてきました。そう、昔から私たち人間は花と共生してきたのです。”(10月20日付け中日新聞)

 津市の中学生小原さん(女・12)の投稿文です。中学生が花言葉に興味を持った、花が好きなのでしょうね、嬉しいことです。
 花が嫌いな人はまずいないでしょう。ボクの家には畑がありますので、いろいろな花を植えてきました。そして花言葉に興味を持ったのは、2002年1月からです。川柳連れ連れ草の毎月の号に「○○の章」と花を掲げることにしました。身近な花の写真を撮り、その説明を少し書きます。そして花言葉も書くことにしました。その1月号は水仙でした。そして延々、この10月で250号となりました。まだ使っていない植物は沢山ありますが、見かけても名前が分かりません。また漢字で書ける花にこだわっていますので、なかなか見つけられなくなりました。人に助けてもらったりしていますが、苦労になってきました。そして花言葉は調べてみると面白い。また小原さんが言われるようにハッとするものもあります。いろいろいわれはあるようです。 この姿勢がどこまで続けられるでしょうか、危うくなってきました。

(第3405話) 治水の労苦

2022年11月09日 | 意見

 “江戸中期の木曽三川の治水工事で犠牲となった薩摩藩士や幕府の役人らゆかりの神社や寺、墓、記念碑など数十ヵ所を昨年夏から半年ほどかけて巡りました。岐阜県海津市の治水神社には薩摩藩士八十五人が祭られていました。幕府から工事を命じられた同藩内では多大な負担への反発がいろいろあったそうですが、家老は「困っている人を助けるのは人として当たり前」として引き受けたとか。工事責任者の家老は後に責任を取って切腹したと伝わります。
 近年も各地で水害が相次ぐだけに、被害を防ごうと命をささげた先人に感謝の念を示し、その歴史を後世に伝えるのが現代人の恩返しだと私は考えます。”(10月17日付け中日新聞)

 愛知県東海市の堀口さん(男・59)の投稿文です。ボクはこれらの史跡に何度も行っている。治水というのは、生きていく上に身近で非常に大切なことである。最近は、百年に一度という規模の水害が全国では毎年起きている。昔に比べればまさに異常である。でも毎年起きればもう異常ではない。そして今後ますます増えることが予想される。これが地球温暖化の成せることか?。ここ百年の人間の生活は、何千年、何万年と保ってきた地球環境を一挙に変えてしまった。これで子孫に良い地球環境を残せるであろうか。
 水害は人の生活を一挙に変えてしまう。家屋などの資産はもとより、命さえも奪ってしまう。治水というのは、今の時代たやすくできることではない。河道の拡幅など、個人資産が関わってくると何十年単位のことになる。ボクの近くでも毎年水害を起こしている地域がある。役所は一生懸命対応していると思うが、なかなか進まない。治水は防衛力よりもっと大きな国防である。人間の意思でどうにもなる戦争対応より、人間にはどうにもならない自然災害が、そしてはるかに頻繁に起きる災害が早急と思うが、どうだろうか。


(第3404話) くらしの作文

2022年11月07日 | 人生

 “生涯学習で「自分の考えを表現する」ことを学んだ。五十歳目前の冬、くらしの作文に書いて投稿したのが、クリスマスの朝、「サンタの煙突」の題で載った。うれしい! 活字となった作文を何度も読む。大きな煙突ができて、子どもの夢が実現した話を書いた。
 人生百年時代。この先を思う時、自分らしく生きていこうと思う。書くことは母ゆずりで好き。四季折々の田舎ぐらしや、何げない夫婦の会話などを書いた。作文の切り抜きは厚みを増し、生活の証し、宝物である。
 「くらし友の会」にも入会し、木曽から二時間余、電車の旅も楽しみに通い続け、会友から「もう名古屋人になれば」と言われもした。生涯の大切な友とも出会った。
 この頃はボツが多い。五年前、久しぶりに「キンカンの思い出」が載った。しぱらくして、浜松市の男性からキンカンが送られてきた。初めてのことで驚いた。新婚時代、南国土佐の夫の実家で食べた懐かしい味だった。男性は北国から浜松に移り住んで、実のなる木を植えているとのこと。作文のご縁に感謝して頂いた。
 「くらしの作文」は五十歳からの私の生きざま、大切な宝物である。まだまだ書いていきたい。”(10月14日付け中日新聞)

 長野県大桑村の主婦・高橋さん(女・78)の投稿文です。「くらしの作文」に投稿している方の意見や行動が連載されていた中の一つです。高橋さんは50歳から投稿されていて、もう30年近い。何編が採択されたのであろう。生活の証し、宝物である、と言われる。皆さんそうである。掲載されると、いろいろ出会いや出来事もあるようだ。それがまた宝となるであろう。「くらし友の会」にも入会し、大桑村から名古屋まで2時間かけて参加されると言われる。余程楽しいのであろう。
 ボクは毎日楽しみに読んでいる。身近ないい話が多い。だからこの「話・話」で利用させてもらうことも多い。書いて、新聞に載せてもらって、交際が広がって、最高の楽しみではなかろうか。


(第3403話) 100枚目標

2022年11月05日 | 行動

 “今夏の第四回ぎふ美術展の工芸と洋画の両部にそれぞれ応募したところ、ともに入選しました。工芸ではステージ上にバイオリンやチェロ、ビオラといった弦楽器とグランドピアノを配した陶芸を制作しました。春に大好きなクラシックコンサートに行った際、その美しさに魅了された楽器を再現してみました。洋画は小学生の孫娘二人をモデルにバイオリンの夢を見たり、ひな人形に思いを寄せたりする姿を百六十四センチ四方キャンバスで表現しました。
 四十代では公募展に入賞・入選するのがうれしく、さまざまなコンテストに応募しました。しかし間もなくして仕事も多忙となり四半世紀応募は途絶えましたが、経営したギャラリー喫茶を三女夫婦に譲り時間ができたため再び挑戦しています。表彰状は今回の二枚を加えて計五十五枚。現在の目標は通算百枚です。”(10月7日付け中日新聞)

 岐阜県関市の足立さん(男・71)の投稿文です。公募展で入賞・入選すれば嬉しい。多くの人はそれが目標であろうから。そして足立さんは賞状100枚が目標と言われる。立派なことである。ところが現在55枚、71歳にしてである。どのくらい応募してどのくらいいただけるものなのか、ボクにはとんと見当がつかないが、とんでもない目標の気がする。年に何枚描くだけではない。応募して賞状をもらうのである。何年計画であろうか。何歳まで描き続けられるつもりなのか。目標は大きいほどいい、と言うのであるが。
 ボクはとんと賞状には縁が無い。応募しないのだから当たり前である。川柳でも応募すれば入選する可能性はあるが、その気は全くない。ただ川柳連れ連れ草で、言葉を並べているだけである。昨年から始めた己書も、己書と言うより我流書である。公募展に出せる代物ではない。本当に続けることだけが目標である。それもホームページがあるからである。足立さんとはほど遠いが、これが我が道である。


(第3402話) 納豆好き

2022年11月03日 | 知識

 “好き嫌いが分かれる代表的な食べ物として皆さんは何を思い浮かべますか。僕の場合は納豆。例えば母親は大好きなのに、父親は嫌いで見たくもないケースもあろう。そこで納豆がどれほど日本人から好かれ、どれぐらい嫌いな人がいるのかを調べた。ある調査では「好き」と答えた人が77%、「嫌い」が13%。地域別にみると東日本で納豆が好きな割合が高く、関西圈を含む西日本では嫌いな人が一定数いた。
 納豆が好きか嫌いかという結果は、僕にとってちょっと意外なものだった。日本人にとってまさかこんなにも納豆が受け入れられているなんて思いもしなかったから。”(10月5日付け中日新聞)

 名古屋市の中学生・加藤さん(男・15)の投稿文です。加藤さんは、納豆について興味を持たれ、このような投稿をされた。好奇心であろう。好奇心は、若い時も老いても必要である。
 ボクは納豆はもとより豆類は苦手であった。多分これは、小さい時に豆類を食べて吐いた記憶があり、それがいつまでもトラウマになっていた気がする。
 ところがである、昨年から突然変わった。ホテルで何気なく納豆をそのまま食べてみた。美味い、と思ってしまった。それまでも家では、妻が自分の食べる分の少しだけボクのご飯に乗せていた。いやいやながら、食べていた。それからはほとんど毎朝、一パックをそのまま食べている。納豆が健康食として非常にいいことは知っていた。これでボクの老後の健康はますます高まったと思っている。何十年も嫌いだった食べ物が一瞬にして食べられるようになる、こんなこともあるのだ。信じられない。


(第3401話) 厳しい道

2022年11月01日 | 意見

 “専門学校を出た二十二歳のときのことだ。大学に進もうと考えたものの哲学と工学のどちらがいいかが分からなかった。友人に相談したら哲学・語学の文化センター運営に携わる神父の男性を紹介してくれた。男性はにこにこと私の話を聞き「僕だったら厳しい方を選択するよ」とアドバイスしてくれ、結果、私は哲学の道に進んだ。
 以降私は自分なりに頑張ったものの、十二年後、就職先で人間関係や将来の不安に悩み、仕事を続けるべきかどうかで迷った。ふと男性のことを思い出して再訪した。転職について「こちらの方が大変そうだね」と男性は言った。その後、私は仕事を何度か変わり、五十代から学習塾を二十年経営した。
 それ以外は年賀状を交換するだけの付き合いだったが、昨年春に男性は逝った。わが人生の支えとなった「迷ったら厳しい道を」の言葉を、今もかみしめている。”(10月4日付け中日新聞)

 愛知県南知多町の自営業・赤沢さん(男・83)の投稿文です。相談されて「迷ったら厳しい道を選びなさい」と、言えるだろうか。逆のことは言えても、余程の信念がないと、とても言えない言葉と思う。牧師さんである。キチンとした考えがあったのであろう。赤沢さんは、それに従われた。結果はどうであったろう。感謝されておられるようだから、この言葉は価値があったのであろう。
 人に相談をされた時、どう答えるのだろう。自信のある事柄ならいいが、そうでない場合、ただその場限りの言葉になってしまうのが、普通であろう。そうなら、ただ聞いてあげるだけにした方がいいかもしれない。傾聴ボランティアの話を先日掲げた。話すことによって自分で解決の道を見いだすかも知れない。安易な助言は、厳に慎むべきであろう。



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