“二十代から寺を預かるようになり、少しでも身近な存在になろうと努力してきましたが、檀家や地域の理解を得られない時期もありました。僧侶同士の勉強会にも出席し、他の寺の取り組みを参考にした結果、幅広く寺の活動を公開することが大切だと気付きました。そこでこ こ数年、寺のホームページを作って毎日ブログを更新し、変わりゆく風景や寺の様子を紹介しています。仏教の教えや仏事の意義も分かりやすく伝えようと寺の新聞を年二回発行し、現在は当初の倍に当たる二百世帯に配っています。
こうした取り組みのおかげで、以前よりも多くの人がちょっとした相談で寺に足を運んでくれるようになりました。今後も、さまざまな人に親しまれる寺を目指すつもりです。”(11月8日付け中日新聞)
岐阜県神戸町の僧侶・桑海さん(男・45)の投稿文です。ボクの母は後生願い、熱心な仏教信者であった。晩年は仕事のように法話を聞いて回っていた。ボクはそんな母とは関係ないと思っていたが、これが親子であろうか。ボクは小さい時から寺院に出入りしていた。そのきっかけは子供会活動の関係からであったと思う。平成21年11月からつごう11年間檀家総代を務めた。その間に、寺葬を経験し、寺院主催の夏休みラジオ体操に参加するようになり、また平成27年からは丹羽郡十八講にも参加するようになった。これも母の賜か、そして、寺院を観察してきた。
一般には仏教寺院とは離れがちである。葬式仏教を言われることもある。本来の寺院の役割ではない。ボクも寺院には反発を覚えていた。おぼろげながらボクの考えもある。仏教は本来人を導くもの、救う立場のものである。住職や寺院はそうした役割を持つものである。今の時代待っている状況ではない。積極的に信者に触れねばいけない。桑実さんはその状況をよく心得ておられる。関係者は我々以上のよく考えてもらわねばない。