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第220号  2022年10月

 
 

(第3400話) かけ直し作戦

2022年10月30日 | 行動

 “自宅への不審な電話が七月中旬、同じ週に二度かかってきた。最初は市役所職員を装い「地域安全課の○○と申します。おひとりさま宅にかけています」とのことだった。とっさの機転で「かけ直しますから電話番号を」と聞くと、すんなり教えてくれたが、市役所の電話番号ではなかった。その二日後に「防犯協会の△△と申します。おひとりさま宅に防犯を呼びかけています」とあり、過日と同じ対応をした。教わった電話番号にかけると、現在は使われていないとのアナウンスが流れた。
 ふと七年前のことがよぎった。自宅にかかってきた電話で「僕だけど分かる?」と言われ、おいだと信じ込んでだまされそうになったことを。今後も詐欺まがいを撃退すべく「かけ直し作戦」を励行するぞ!”(10月1日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の水野さん(女・78)の投稿文です。不審電話の話は本当に絶えない。次から次へ新たな手法が伝えられる。話を聞いて、そんな程度のことに自分はかからないと思う人も多い。でも被害額を聞くとびっくりである。本当に驚く額である。多くの人が引っかかっている。水野さんは「かけ直し作戦」を取っていると言われる。これは引っかからない一つの手法かも知れない。騙された振りの話もある。一瞬の判断が求められる。大変な世の中になったものである。本当に常に心しておきたい。
 電話の勧誘は毎日数度かかってくる。ボクは上手に断れきれない。つい相手をしてしまって、妻によく叱られる。その点妻は上手だ。そんな時間にボクは電話に出ないことにしている。
 そして、ボクはネットで2回引っかかっている。1回目は実際に使われてしまった。でも早く気がついて実害はなかったようで、カードの作り直しだけで終わった。2回目はもっと早く気づき、使われてなくて、これもカードの作り直しだけで終わった。同じ間違いを2度もするなんて、自分でも信じられないが、人間というものはそんな程度のものである。これから判断がマスマス鈍っていくだろうから、本当に要注意である。


(第3399話) 青春

2022年10月28日 | 活動

 “地域住民が気軽に集まれるサロンを、五月から一宮市の自宅で無料で開いている主婦荒井美織さん(六五)。特に独居老人に参加を促し、横のつながりを強めようとする姿に、頭が下がる思いで取材した。参加者からは「明るい気持ちになれた」「人とおしゃべりできた」と感謝されている。
 荒井さんは仕事をやめてから一時は自分の趣味に時間を費やしていた。しかし、それ以上に誰かに喜ばれることをするのが何よりの喜びであることに気付き、ボランティアにやりがいを感じてきた。
 秋には初めて起業を予定する。自宅で栄養バランスのとれた総菜を作り、販売する。やはり高齢者の役に立てばという思いからで、すでに百万円かかるキッチンの改修に着手した。「やりたいことをやらずに死んじゃうのは、もったいないと思って」と言い切る。そんな荒井さんは今、「青春を感じている」という。何かを始めるのに年齢は関係ないことを教えてもらい、私も気持ちが高ぶった。”(9月29日付け中日新聞)

 「モーニング」というコラム欄からです。 ボクもサロンを主宰しているので、サロンのことには興味が湧く。荒井さんの行動は素晴らしい。自宅で開き、食事までも提供される。これぞ主婦の知恵、技能である。そして起業されると言われる。青春を感じられるとまで言われる。このパワーにはただただ敬服する。何人の協力者があるのだろうか。まさか一人であるまい。これが地域力である。地域力は衰退の一途である。でもこうして掘り起こすこともできる。気力体力があれば、いくつになってもできる見本であろう。
 妻の抗がん剤治療が始まり、今日ひとまず退院予定です。今後半年くらいの通院治療が続きます。ボクの気力体力は妻のおかげ、妻の助力があってのことと痛感する。ボクがやっていること、特に老人会のことは裏でも表でも、ほとんど妻の手助けを受けている。ともかく元気になって欲しい。今はただそれだけです。


(第3398話) 父の半生

2022年10月26日 | 行動

 “傾聴ボランティアを二年前に始めたものの、新型コロナウイルスの影響で高齢者や障害者、その家族と会う機会は少ないまま。そこで技能を維持し、さらに高めるため九十代のわが父の話を聞くこととし、隣接市にある実家を週一度訪ねました。家族のことや子どものときの話、戦争体験について私は真剣に耳を傾けました。初めての話もたくさんあり、それこそ驚きの連続でした。苦労を笑い話にする明るさがある一方、他人の失敗を自らの教訓とするしたたかさも垣間見られました。
 父はけがで入院して、最近は会えていませんが、感謝の念は増すばかり。もっといろいろな話を聞きたいです。”(9月27日付け中日新聞)

 愛知県安城市の水野さん(男・67)の投稿文です。傾聴ボランティアなるものがあることは知っていたが、やはり技能が必要なのだ。いろいろ研修を受けられたのであろう。その技能維持のために父親の話を聞かれた。そしてボクは常々思っているのだが、知人など他人のことは知っていても身内、特に親のことについては知らない人が多いのではなかろうか。本当は一番大切な人であるのにである。小さい時から一緒に暮らし、今更親の生い立ちなど聞く必要もないし、また親も改めて語ろうとしない。ボクもそうだった。肝心なことは何も知っていない。知らないことをなくなってから気づくのである。
 人は聞いてもらうことで慰めにもなり、悩みも吹き飛ぶようである。話すだけで、多くのことが解決するのである。下手な意見や助言よりも聞くことであるようだ。それが傾聴ボランティアであろう。相手が話しやすいように、聞くことは難しい。
 水野さんは父親の話を聞いて、いろいろビックリされた。一石二鳥、いい機会を得られたと思う。


(第3397話) 東海道踏破

2022年10月24日 | 行動

 “足かけ二年三ヵ月、通算二十九回で旧東海道約五百キロを歩きました。京都・三条大橋から歩を進め、次回からは主に電車で向かった上で歩くということを続けて四月、東京の日本橋に着きました。道中の静岡県掛川市の茶畑では摘み取り機を見た他、同県藤枝市ではわが岐阜県を本拠とした岩村藩の標柱と案内板があって飛び領地がこんな所にもあったのかと驚きました。
 新型コロナウイルスの影響もあって予想以上に時間はかかってしまいましたが、旧中山道に続いて旧東海道を踏破できたのは大きな喜びです。この先は、広島、愛媛両県を結ぶ「瀬戸内しまなみ海道」のウォーキング大会に出てから、京都-大阪の東海道延長区間にも挑もうと考えています。”(9月27日付け中日新聞)

 岐阜県各務原市の片岡さん(男・74)の投稿文です。この片岡さん、実はボクの知人である。知人と言うより一宮友歩会の役員をしてもらっている主要人物である。こうして歩いてみえることは知っていたが、この投稿文を見た時には驚いた。もうここまで達成されていたのか。月日は何かを成し遂げるものである。継続の素晴らしである。これからも体に気をつけて、いろいろ達成して欲しいものだと思う。
 この片岡さんとの出会いも面白い。もう何年前になるのか、北京で知り合ったのである。同じツアー旅行に参加し、ある食事の時同じテーブルになった。いろいろ話している内に、ウォーキングの愛好者と知り、そのうちボクのホームページを見たことがある、言われるのである。それがきっかけで一宮友歩会の役員までしてもらうことになったのである。人の出会いというのは実に妙味があるものである。


(第3396話) 一粒残さず

2022年10月21日 | 行動

 “父を早くに亡くし、幼少期の生活は楽ではありませんでした。今でいう小学生のとき、ご飯を食べて席を立とうとすると母に「ご飯粒が茶わんに付いているのはいかん。米は農家が心を込め半年かけて大事に作ったんだよ。奇麗に食べないともったいない」と叱られました。座って最後の粒まで食べた記憶は、母が逝って半世紀を経た今も食事のたび脳裏によみがえります。もちろん一粒も残さずに食べ、毎日三度のご飯が食べられる幸せを十分にかみしめながら、食後には毎回手を合わせています。
 子どもや孫たちは私の茶わんを見て驚きますが、母の教えをこの先も実践していく所存です。”(9月22日付け中日新聞)

 名古屋市の関沢さん(男・92)の投稿文です。ボクらにしてみれば当たり前のことである。ボクは一粒も残さないようにしているのは当然であるが、テーブルに落としたものでも拾って食べている。今はもうしないが、床にこぼしたものでも食べていた。子供らは汚いと言って批判していたが、子どもの頃、身についた行動はいつまでたっても離れられないのである。だから子どもの頃の躾がいかに大切か、知るというものである。
 あれほど余って、減反など減らす工夫をしてきたお米であるが、この先も続くのだろうか。ボクにはまもなく逆のことが起こるのではないかと思っている。農業の担い手が減り、米も作り手がなくなるのである。外国産が安く買え、食料自給率を減らしてきた。そして、こんなに自給率が低い主要国はないようになってしまった。戦争武器を持つことだけが国防ではない。食料対策、防災対策がそれ以上に重要な国防と思うが、どうだろうか。


(第3395話) 講座修了

2022年10月19日 | 活動

 “大府市共西町の早川浩さん(九〇)はこの夏、市のボランティア養成講座を修了した。今後は市の健康づくり推進員として、市民の健康づくりに一役買っていく。「ボランティアは気持ちよく活動できることがいい」と、意欲は衰えない。
 妻が長期入院で家を離れることになり、家族から「家でじっとしていてはいけない」と心配され、受講を決めた。推進員として体を動かしながら、行事の裏方に回る。活動で着る黄色いジャンパーと青いポロシャツを支給され、「体を動かすのはいいこと。自分も楽しい」と笑顔を見せる。
 市職員によると、推進員たちの間でも、最年長となる早川さんの存在が知れ渡り、八十代のご年少者が「頑張ってね。私も頑張るから」と声をかけに来た。講座で知り合った仲間たちと交流を深めながら「市民の健康のために少しでも役に立てれば」と気を引き締める。”(9月20日付け中日新聞)

 敬老の日にちなんで3組の高齢者の紹介された記事の中の一人です。90歳にしてボランティア講座を受け、推進員となられた。こういう高齢者をいろいろ取り上げて来たが、本当に人様々、凄い人があるものである。本当に人生100年時代の到来である。
 奥さんが長期入院で家を離れられたことが、きっかけである。心配した家族からの勧めであった。勧めた方もなかなかだが、応じた方も素晴らしい。こうした場合、家族は出かけることを勧めるだろうか。多くは逆ではなかろうか。この文からは分からないが、多分家族は同居であろう。それなら分かる気もする。さてわが家の場合ならどうなるであろうか。娘らは近くにはいるが別居である。ボクの妻も健康状態が怪しくなってきた。昨日10日間ばかりの予定で入院した。その後半年ばかりの通院、治療が続くと聞いている。ボクは妻を最優先するだろう。その時、今やっている事をどうするのだろう。ボクには今更新たなことをする事ではなく、今やっていることをどうするかが問題である。


(第3394話) 公衆電話

2022年10月17日 | 活動

 “受話器の向こうの大切な人に、皆どんな思いを伝えたのだろう。神戸市内の喫茶店の店先にある緑色の古びた公衆電話。店主の岡本美治さん(80)が、阪神大震災直後から守り続けている。震災で店は全焼。焼け跡にビーチパラソルを立て、がれきから掘り出した机といすを並べ、コーヒーを無料で配ることから再開した。三ヵ月後に仮店舗を建てた際、設置したのが公衆電話。「嫁さんと連絡取れてやれやれや」「電話があってよかった」。つながりを取り戻した人々が笑顔を見せた。
 携帯電話の普及で公衆電話は減った。店先に置く電話は利用が少ないと撤去対象になるといい、今も自分でテレホンカードを入れ所用の連絡に使い続ける。小学校で災害時の電話の使い方も教える。あの日、崩れた家から「助けて」という声を聞いた。「生かされた自分はいざというときに小さくても人の役に立ちたい」。今も毎朝大切に電話を磨く。”(9月20日付け中日新聞)

 「中部9県コラム特集2022年上期」という欄からです。公衆電話は本当に減った。ボクも気にしていないからか、ほとんど見かけた覚えがない。設置すれば当然経費はかかるのだから、需要が減れば減るのはやむを得ない。しかし、携帯電話やスマホが使えない時が生じる。災害ばかりでない、機械である、故障することもある。先日もあったばかりである。災害を考えれば、何事もであるが、いろいろな手段を用意しておくことが肝要である。一つだけに頼るのは危険である。
 岡本さんは阪神大地震の体験から、公衆電話の重要性を実感された。そして、その維持のために自ら使って需要を高めておられる。これも一つの社会貢献であろう。ひとりひとり皆が、いざというとき何ができるか、考えておくことであろう。こんなことがと思うことが役に立つ。多様なことが必要であると思う。ボクの家にはまだ井戸があるし、くみ取り式のトイレもある。いずれも使える。


(第3393話) 体動かす

2022年10月15日 | 行動

 “地元老人クラブのグラウンドゴルフに昨年秋から週三日参加している。力の入れ具合が難しくてなかなか上達しないものの、気心が知れた仲間とおしゃべりしながら体を動かすのが楽しい。九十代の男女三人は達者で、五十メートルの長いホールもクラブを大きく振りホールポストの間際まで軽々とボールを運ぶ。常時参加している十数人のうち半分は八十代後半以上。二十~三十年の経験者ぞろいで、体と勘で覚え込んだ技術には目を見張る。
 午前八時半の開始に合わせて早起きし家事を早く済ませないといけないが、それを上回る楽しみがグラウンドゴルフにはある。自分も先輩みたいに長く続けたいと思っている。”(9月19日付け中日新聞)

 愛知県新城市の主婦・岡田さん(80)の投稿文です。ボクの入っているグラウンドゴルフの会も全く同じ状況である。生まれを調べてみたら、25人中20人が昭和15年より前の生まれである。昭和15年生まれと言えば今年82歳である。調べてみて改めてビックリした。そしてほとんどが20年以上の経験者、そして上手である。ボクはと言えば、入ってもう5年になるのに相変わらずどん尻、上達の気配はない。皆さんは月10回くらいされているが、ボクは1~2回である。忘れた頃にやっている感じであるので、さっぱりコツが身につかない。会には下手も必要である。あきらめず続けていこうと思っている。
 ついでに老人クラブの歩こう会の会員についても調べてみた。80歳代が62に人中44人であった。7割である。会員数も減った。ボクが会長をしていた4年前は100人を超えていた。もうまもなく消滅であろう。これからの元気な老人はどこへ行くのであろうか。


(第3392話) 音読

2022年10月13日 | 行動

 “「くらしの作文」を楽しく読ませていただくと、作文の下に「作文を音読しませんか?」と書いてあります。毎回見てはいるのですが、「そうねえ」という感じで過ぎていきました。ある時、音読が認知症予防に効果があると聞きました。忘れっぽくなった自覚はすごくあるのです。
 二人の娘たち家族と旅行した時、スーツケースを忘れてると思ってもいない私の後を、五人の孫娘たちが笑いながら「いつ気がつくんだろう、ばぱは」とついてきたことがありました。友達と喫茶店でお茶をして別れてから、「ねえ、喫茶店でお茶した時に携帯を忘れたらしいの、どうしようか?」と青くなってドキドキしながら友達に電話しました。冷静な友達は「今どこからかけてるの?かけてるのは何?」と言いました。「ええ? あっ!携帯でかけてた」と私。
 もう、これは音読に挑戦しましょう。でも黙読なら感動して涙を流しても、文字は目で追えて最後まで読めます。音読は涙で声が詰まって止まってしまい、再び声が出るまで時間がかかります。それでも音読だと、作者さんの心は、とてもわかる。頑張って楽しみながら、音読を続けていこうと思います。”(9月17日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・井戸さん(74)の投稿文です。「音読」の勧めは至る所で聞く。この「くらしの作文」の下に書いてあることも知っている。井戸さんと同じく、良いことは分かるが聞き流してきた。音読をしていれば妻に聞こえる。何か照れる気持ちが妨げているかも知れない。しかし、考えてみれば妻に照れることではない。また聞こえる妻に効果もあろう。会話にも繋がろう。悪いことは何一つない。ここはもう一歩進むだけである。
 と思って先日やってみた。新聞を読んでいる途中で、一部を声を出して読むだけである。以外のすんなり始められた。妻に聞かれるかと思っていたが、考えてみたらボクが新聞を読む時間、妻はまだ寝ているのであった。もっとすらすら読めるかと思っていたが意外につかえるのである。何か衰えているのだろう。する価値が高まった。当分妻には内緒にしておこう。いつか明かしたら驚くだろう。これでボクの毎朝がまた一段充実した。


(第3391話) わが使命

2022年10月11日 | 活動

 “すっかり年を重ねて、これまで世話になった地域社会に恩返ししようと考えている。わが家は滋賀県愛荘町のほぼ中央に位置し、鉄道駅に近く分譲住宅地が次々とできたことに伴い、ここ三十年間に人口、世帯数ともに急増した。そこで新しい住民にも親しみと愛着を持ってもらおうと自治会が毎月発行するコミュニティー紙に「古きを訪ねて」と題したコラムの連載を提案したら快諾してくれ、六月以降ずっと掲載されている。題材は地名の由来や街道、ゆかりの人物、歴史などでいずれも手持ちの愛知郡史より引いた。昔からの住民にも好評だ。自分自身でも知らなかったことがあり、「これこそが与えられたわが使命」と思い、筆を振るうつもりだ。”(9月17日付け中日新聞)

 滋賀県愛荘町の自営業・青木さん(男・82)の投稿文です。コミュニティー紙に地域の歴史を書き紹介する、良い発想をされたと思う。そして「これこそが与えられたわが使命」と思われるようにもなった。もう自分自身のためである。それが喜ばれる、一石二鳥以上であろう。これは前向きの姿勢と好奇心であろうか。これがあれば道は開かれる。いくつになっても忘れたくないものである。
 ボクにとってさし当たりこれに該当するものは、この「話・話」 であろうか。書く楽しみである。そして、毎日の読者カウント数を見ていると結構ある。ボクには十分な数である。そして喜寿を迎え、気になっているのは自分の健康である。今の活動がどこまで続けられるのか、特に一宮友歩会と老人会の活動である。継続はボクの健康状態と意欲にかかっている。ボクがこけると多分終わりである。ボクだけのことではない。何年先を見据えて行くのか、大きな問題である。

(第3390話) ローリングストック

2022年10月09日 | 行動

 “防災月間の九月、改めて災害への備えを見直すことにしました。数年前に読んだ主婦雑誌の東日本大震災の記事で、物流が止まる可能性があって皆慌てて買い物に走ったため一層物が入手しづらかったと指摘されていたことが頭の中にあったからです。近くの百円ショップを訪ねて、圧縮タオルや懐中電灯、体拭きシートを買い求めました。私が特に重視するのは「ローリングストック」という考え方。日常生活で備蓄した食料を定期的に消費しつつも、使った分はすぐに買い足す循環方法です。自宅の栄養調整食品がいつの間にか期限切れだったため、今度は普段食べ慣れているものに切り替えました。”(9月16日付け中日新聞)

 愛知県安城市のパート・石原さん(女・48)の投稿文です。「ローリングストック」、初めて聞く言葉である。備蓄した食料を定期的に消費しつつ、使った分はすぐに買い足す方法と言われる。災害時のための備蓄はよく言われることであり、最近の災害の多さを見るとかなりの家庭で行われていると思う。ところが食料品には消費期限がある。これは結構見逃しているのではなかろうか。
 わが家も備蓄はしている。妻は期限を意識しながら過ごしているようだが、結構消費期限を過ぎているものがある。先日も見てみたら結構消費期限を過ぎていて、慌てて買い換えたようだ。そして、消費期限を過ぎたものはボクが食べている。ボクは健啖家だから、少々の期限切れくらいでは問題はない。その他のものでも、いざ使おうと思ったら使えないものがあるのではなかろうか。いつあるかないかの災害用備蓄は言うほどに簡単ではない。


(第3389話) 思うこと

2022年10月07日 | 人生

 “妻が亡くなり十三年。掃除、洗濯、炊事、買い物、ごみ出しなどのくらしのサイクルも、そこそこ板についてきたように思う。妻は歩いて二十分ほどのお墓で静かに眠っている。職歴五十五年、仕事一途だった自分をしっかり支えてくれた妻。月命日には欠かさず墓参し「ありがとう」と花を手向けている。
 コロナ禍で窮屈な日が続く。以前は週に二回、近くのカラオケ喫茶に足を運んだ。腹の底から声を出し四、五曲は歌った。谷村新司の「群青」が歌えないのが残念だ。若い頃からスポーツを視聴するのが好きだった。野球、相撲、駅伝、サッカー、ゴルフなど。新聞は体調が良ければ眼鏡なしでも読める。日常を退屈と思ったことはない。
 近所に住む長女は「お父さん、免許証はすぐ返しなさい」と進言してくる。あと少しで期限切れ。その時は六十五年の運転歴に終止符を打つ。車なき後は大変だ。食材を買うスーパーは結構遠い。歩きは無理。自転車を買うことを考えている。
 十月に卒寿を迎える。自分に言い聞かせていることは「人さまの世話にならず、自活できる日を一日でも長くキープすること」である。老人ではなく“朗人”で、後期高齢者ではなく“光輝好齢者”の心意気で日を重ねたい。”(9月11日付け中日新聞)

 愛知県春日市の今井さん(男・89)の投稿文です。妻を亡くした89歳の男性の生活。この歳になればもう年齢ではない、誰がいつどうなってもおかしくない。自分の今後のことを思って取り上げた。生活一般を自分でこなし、墓参も欠かさず、スポーツを観戦し、日常を退屈と思ったことがないと言われる。89歳にして奥さんがなくても十分に自活しておられる。ボクより一回り上である。そして元気である。ボクの周りを見渡しても、これほどの人はなかなか見当たらない。
 さてボクであるが、まず妻が亡くなった後の生活は想像がつかない。妻は今のところ生活に支障はないが、結構病気を持っている。あそこがいた、ここが痛いは常であり、大きな病も抱えている。大きな病については今検査中であり、入院も決まっている。ともかく妻には1日でも長くボクより長生きしてもらうことである。女性はしぶといから大丈夫と思っているが、今のボクに大きな健康上の支障はない。賢明に生きているつもりであるが、結構行き当たりばったりである。すべてが妻にかかっていることを改めて思う。


(第3388話) 医師の一言

2022年10月05日 | 出来事

 “糖尿病を患って四半世紀ー。ここ十五年ほど通う病院の診察を受けた五月末、血液検査の血糖値で良い結果が出ました。ほぼ毎日続けてきたウオーキングやジム通いとともに、カロリーを控えめにした食事をずっと口にしてきたからでしょう。浮き浮きして病室を出る私に、医師は「桜井さんが思っている以上に僕はうれしいですよ」と。普段はもの静かな医師の一言にとても感動し、以来それが何よりの薬となりました。
 おかげでわが心のギアも一段とアップした気がし、猛暑でも毎朝一時間、自宅近くの堤防沿いを軽やかに歩くことができました。以前よりも心地よい風を感じられました。”(9月8日付け中日新聞)

 三重県伊勢市の桜井さん(女・67)の投稿文です。この言葉の与える効果は凄いだろう。こんな言葉使いのあることを改めて知った気がする。もう桜井さんの医師を信頼する気持ちは抜群だろう。これもただ言葉の上だけでは難しかろう。平生の態度があっての上である。
 本当に言葉の与える影響は大きい。一言で信頼関係ができたり、逆に崩れたりする。本来はそんな一言でそう動いてはならないはずだが、悲しいながら人間はそう言った感情の動物である。ボクも最近、気持ちの変動が大きい。人の言葉で一喜一憂しない、これが喜寿を過ぎた人間であろうが、悲しいながらそのように成長できなかった。未熟さを感じる。


(第3387話) 梅干し

2022年10月03日 | その他

 “遠い昔のことです。夏風邪をひいて食欲がなくなった小学校低学年だった私を見かねて、今は亡き母が「少しでも食べて」と梅干しがゆを作ってくれました。強烈な酸味に戸惑いながらも少しずつ口に入れると妙にさっぱりした感じがし、だんだん食欲が出てきました。以降、「梅干しは体にいいものだ」と心に留めました。今みたいに、まだ効果的な薬があまりない時代です。疲労回復の効果や抗菌作用があるとされる梅干しは、どこの家庭にも予防薬として大切にされていました。
 ここ二十年ほど、私は健康維持のため、天国の母に感謝しながら毎朝一個の梅干しを食べています。おかげで猛暑だった今夏、風邪をひかず、熱中症にもならず元気に過ごせました。”(9月5日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・土屋さん(81)の投稿文です。梅干しはありふれたものながら、薬の意味もあった。それがボクたちの子ども時代であった。今はもう全く違うものだろうか。いや、わが家では、夏になると妻は梅干しをご飯と一生に炊き込んでいる。抗菌作用を信じているのだろう。
 ボクの家も父母の時代からいつも梅干しはあった。梅の木はなかった覚えだから、梅は買ってきたのだろうか。ほとんど買うことを知らない家であったが、梅干しは特別だったのだろうか。父が亡くなってボクは梅の木を植えた。妻は梅干しから、梅ジュースなどいろいろな使い方をしていた。ところがもう10年くらいになるだろうか、梅の木が植えてあった畑が売れてしまった。ボクもウォーキングなどに梅干しの入った握り飯を持って行かなくなってしまったので、もう漬けた梅干しを少し買ってくるだけになってしまった。わが家の梅にも歴史がある。


(第3386話) もらいすぎたパン

2022年10月01日 | 出来事

 “現愛知県設楽町で暮らした戦時中の一九四四(昭和十九)年春、今でいう小学校二年生だった私が学校から帰宅するや祖父は激怒して拳を振り上げてきた。しぱらくして家に戻ると、祖父から「戦争でお国のためにお父さんが戦地に出向いている子どもの食べ物を取るとは非国民だ」と諭された。思い当たるのは学校で持参した弁当を広げたときだ。縁故疎開中の級友男児の昼食は乾パンで、農家ゆえ麦飯とたくあん弁当だった私にはそれが珍しくて一部を交換することにした。それを目撃した隣家の女児が、祖父に「取り上げた」と報告したらしい。
 息子であるわが父と叔父をともに戦争に送った祖父は、疎開中の男児に同情したのだろう。パンをもらい過ぎたことを私は大いに反省した。”(9月3日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の夏目さん(男・85)の投稿文です。乾パンとたくあん弁当を交換した夏目さんに悪気はなかったであろう。でも見た女児には取り上げたと見えた。その顛末がこの投稿文である。夏目さんはもらいすぎたと反省されている。人には思いがけないことがいつまでも心に残るものである。
 人は何かと自分に都合がいい方向に働く気持ちが自然に湧く。公平にしているつもりでも、どこかにそんな気持ちが働く。自分に都合がいい理由を付ける。ボクも先日そんな体験をした。参加しているある会の会員の親睦バス旅行を申し込んだ。ところが、最後の案内で、ボクが参加条件に該当しないことがわっかた。すでに参加費も払ってあるので、会長は便宜を図ってくれることになった。これはやはり特別扱いである。妻に話したら止めておきなさい、と言われてしまった。会長がいいと言うならと、でもこれはやはり自分に都合がいい判断である。人は何を言うか分からない。会長に迷惑がかかるかも知れない。結局は断って、これで良かったと思っている。



柳&ウォーク