ha2208

第218号  2022年8月


 
 

(第3371話) 私は空気

2022年08月30日 | 人生

 “若い頃、出勤の夫に「今日美容院へ行ってくるね」と言った。「ああ」との返事。髪をバッサリとカットしてきた。帰宅した夫は何も言わない。食事の時も寝る時になっても、まだ何も言わない。とうとう「ねえ、今日美容院へ行って来たんだけど」と言ったら、夫は「行くと言ってたじゃないか」。私は「・・・髪切ってきたの!ホラー」。夫はやっと見て「おう、いいじゃないか」。
 そんな夫といつの間にか五十年。今年は金婚式である。やさしかった二親を送り、三人の子どもも育ってくれた。よく頑張ってきたなあと思う。『妻は空気』の夫だが、やさしい。夫に感謝である。この頃は、もの忘れ競争』が熾烈になってきた。夫の方が少しリードしているようで、それはそれでちょっと心配だ。片付けた場所を忘れ、家中を大捜索はしょっちゅう。『大切なものは片付けてはいけない』と学習した。
 これからは残りの人生を『二人で一人前』で終えることができるよう、仲良く元気で前向きに過ごしていきたいと思う。そして、今の私にはささやかな願いがある。涼しくなったら、散歩の嫌いな夫を何とか引っ張り出して、一緒に歩きたいと思っている。”(8月9日付け中日新聞)

 名古屋市のパート・森さん(女・74)の投稿文です。空気があることをボクらはあまり意識しない。空気がないと一瞬も生きていけないのにである。それ程に当たり前のことだけに、いちいち意識していたら、気持ちがたまったものではないだろう。そして、夫婦は空気か?。そしてそれが良いのか?。いろいろな意見があろう。
 新婚の頃なら大いに意識しているだろうが、次第に薄れていく。それが一般ではなかろうか?。ボクらもそうであると思う。空気は見えないが配偶者は目に見える。見えるだけに自然にいろいろな配慮はする。自然に程度である。森さんはご主人を「『妻は空気』だが、やさしい。夫に感謝である。」と言われる。これが長年連れ添った良い夫婦ではなかろうか。そして、残りの人生を『二人で一人前』と考えるようにしたいと言われる。これからはまさにこれである。相手の失敗をいちいち告げていたら、険悪になってしまう。気がついたらそれとなく正していく。これまた空気である。
 外国の状況を見ていると、何歳になってもハグをし、愛しているという言葉を交わす。これを羨ましく思う時もある。これは文化の違いであろう。ボクら夫婦のそんなときはまた来るであろうか。


(第3370話) ヒマワリ畑

2022年08月28日 | 活動

 “稲沢市千代田地区の住民と花き農家らが育てるヒマワリ畑が満開になり、六日に同市井堀橋下町でオープンした。約六千㎡の敷地に数万本の花が咲き誇る。開園は二十一日まで。黄色の大輪が一面を埋め尽くすほか、黒や白など珍しい種類の花もある。この日は、畑作りを手伝った千代田中学校の生徒や地域住民らが集まり、写真を撮ったり、花を摘んだりしてヒマワリに見入っていた。
 同校一年の家田楓さん(一二)は「最初は何もなかったのに、こんなに大きくなるのはびっくり。地元の人以外にも見てもらいたい」と話した。三年の大島脩聖さん(一五)は「大きなヒマワリを見て癒やされ、驚いてほしい」と期待した。
 畑はコロナ禍で沈む地域に活力を取り戻そうと、住民らが昨年初めて取り組み、今年が二回目。農家の休耕地を利用するため、前回とは場所を変えた。”(8月7日付け中日新聞)

 記事からです。休耕田や空き地を利用して花を植える、こうした取り組みもよく見かけるようになった。嬉しいことである。と言ってもこれを行うことは、少し考えただけでも大変な努力、協力がいる。まずは土地を提供してくれる人を見つけねばならない。そして、耕して整備しなければならない。また一方で、ヒマワリの苗を育てねばならない。数万本ともなれば、大変な管理、作業であろう。そして植え付けである。植え付けても草に負けてはならない。その後も管理は大変であろう。そして、花の見頃は2週間である。そして、終わったら終わったでその後の後始末も大変である。この文は、ボクが作業をした時を想像しながら書いているが、これだけ大がかりとなるとまた違った仕方があるかも知れない。今は機械化の時代である。大きな作業車でボクが想像するよりも簡単にできるかも知れない。と言っても大変なことに変わりはない。でもこれができるのが地域力であり、絆である。苦労を上回る効果のあることであろう。


(第3369話) 恩送り

2022年08月26日 | 出来事

 “愛知県大府市の国道を走行していた六月上旬の暑い日でした。時は正午ぐらい。停止した交差点の信号が青となったのに私の車はびくともしません。そこでハザードランプを点灯してから降車し、路上に三角表示板を置いた。すると後続車の男性三人が私の車に駆け寄って「車を押すよ」と。おかげて交差点を何とか抜け出すことができた。ここは大型車も行き交う交通量が多い国道交差点だけに、私に手を差し仲べてくれた三人の親切さ、優しさが身に染みた。感謝の念が込み上げ、「世の中捨てたもんじゃない」と思えた。
 この一週間後、自転車から転倒した女性を私が進んで介抱したのも過日の「恩送り」からだ。多くの人を経ていつかあの三人にも届くといいな。”(8月6日付け中日新聞)

 愛知県東海市の公務員・片岡さん(女・26)の投稿文です。大きな交差点で突然車が動かなくなったら慌てるだろう、パニックになるかも知れない。片岡さんは冷静に対応された。そして3人の助っ人も現れた。本当にホッとされたとともに感謝されたことであろう。更にこの恩を、すぐ返す場面に遭遇された。世の中を見直されたでしょう。こういうことはなかなか忘れないものです。良い体験になりました。
 恩送りにつてもこの「話・話」 で何度も触れたと思う。受けた恩をその人にもので返すことはできても、行為で同じ人に返す機会はなかなかないものです。でも他の人にならこの話のように機会はいくらでもあるでしょう。そうして恩が継続していく。これが良い社会でしょう。


(第3368話) 電子データ

2022年08月24日 | 知識

 “パソコンやスマートフォンの普及でデジタル遺品が社会問題化しているそうです。IT機器の持ち主の死後、残された各種データをどう扱えばいいのでしょうか。
 わが家でも急ピッチにペーパーレス化が進んでいます。電気やガス、水道をはじめクレジットカードの利用明細も今や電子データで受け取っています。今後こうした各種電子データが増えれば、管理する私に万が一のことがあったら家族が対応に困る事態が起こりかねません。夫に相談したら「電子データを見るためのパスワードを一つ一つノートか何かに書き出しておいた方が良さそうだな」。私は「その通り」と思いました。それが家族のためなんですね。”(8月2日付け中日新聞)

 岐阜家県羽島市の主婦・老田さん(63)の投稿文です。問題なく使っている時は全く便利なデジタル機器である。ボクももう数え切れないくらい使っている。IDやパスワード、暗証番号、使い回しなするなと言う。それを知りながらもボクは多くを同じものにしている。それでも分からなくなってしまう。
 先日ボクはスマホを買った店に飛び込んだ。暗証番号を尋ねてくるのだが、全く覚えがないし、メモもない。店員に助けてもらってやっと目的のものにたどり着けた。もちろんボクも一覧表してこれらのものをメモしている。今の機器は一度登録したらもう記憶されてもう打ち込むことがないものも多い。それだけに意識にのぼることも少ない。スマホやパソコンが故障したり、買い換えた時にはどうなるのだろう。設置した自分でさえ大変だと思うので、これが子ども達となったらどうなるのだろう。今残しているメモで何とかしてくれるだろうか。便利さと危険は裏腹、考えると気が遠くなる。


(第3367話) 連係プレー

2022年08月22日 | 出来事

 “6月上旬の正午ごろ、名古屋市西区のコンビニで高齢女性が電話をかけながらATMを操作していた。電話の相手は、ニセ電話詐欺グループの犯人。不審に思った近くの女性客が「詐欺では?」と声をかけた。さらに他の客4人もATMの操作を取り消したり、電話を代わったりして詐欺の撃退に成功した。
 ちょうどそのころ、詐欺グループからとみられるクレーム電話が店にあり、コンビニの店長や店員はクレーム対応で行動を封じられていた。巧妙で卑劣な犯罪を防いだ客たち。西署員は「これは大きな1件だ。ありがたい」と絶賛していた。”(8月2日付け中日新聞)

 「よもやま事件帖」と言う記事欄からです。この欄から取り上げたのは初めてかも知れません。地元の小さな事件が取り上げられています。
 ニセ電話詐欺はとどまることがありません。これだけ注意が喚起されているのにです。それも大きな金額です。誰もが自分は罹らないと思っているのでしょうか。ボクの家にはまだ電話がかかってきたことがありません。そしてボクも罹らないと、思っています。果たしてどうなんでしょうか。もう少し高齢になり、もう少し呆けてきたら・・・。電話詐欺にはかかっていないが、偽メールには一度ならずかかって大慌てした経験がある。
 この場合は周りにいた人で見事に防いだ。こんなにうまくいくことはまれでしょう。店長の行動を封じるために電話をする、こんなことも初めて知りました。手口はますます巧妙になるでしょう。やはり周りの人が気を配らないと、防げないかも知れません。他人同士でも気楽に声をかけ合う、そんな社会にならないと無理かも知れません。しかし、そんな社会からますます遠ざかっている気がする。


(第3366話) 七福神の絵

2022年08月20日 | 人生

 “その昔、幼稚園に進んだ祝いとして、今は亡き両親が地元の画家に頼み縦四十五cm、横百四十五cmほどの七福神の額絵を描いてもらいました。やがて太平洋戦争が始まり、今でいう中学生だった私も学徒動員で特攻機の部品を作りました。住んでいた愛知県岡崎市にも空襲はありましたが、幸いなことにわが家も額絵も無事でした。額絵は少し黒ずみ額の部分に傷があるものの、今もわが家の仏間に飾っています。
 仏壇の花を取り換えて重なっていた経本を整理していた五月末、笑っている両親の写真が出てきました。早速写真を立てかけると額絵の七福神と一緒に自分をずっと見守ってくれているような気がして、改めて両親への感謝の気持ちが湧く今日この頃です。”(8月1日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の神谷さん(男・90)の投稿文です。祝いとして七福神の絵を画家に依頼されたご両親。そして80年以上経った今も仏間に飾られている。そんな両親に今も感謝されている90歳の息子さん。肉親の情は歳に関係ないことをこうした投稿でいつも知らされます。
 ご両親が七福神の絵を依頼されたにはいろいろな願いが込められていたことでしょう。七福神の絵は見ているだけでも何か幸せな気分になります。ボクの家には小さな作り物の七福神があります。
 親子兄弟、肉親の関係は切っても切れないだけに、一生の間にいろいろな状況が生じます。助け合ったり、憎しみあったり、本当に様々です。兄弟は他人の始まりという言葉もあります。相続問題でこじれる場合も少なくありません。でも、親子は切っても切れません。亡くなった後にも続いていきます。神谷さんのご両親はいつ頃亡くなったのでしょう。もう何十年と経つでしょう。でも今でも感謝です。いや、時が経つほど感謝の気持ちが大きくなります。ボクも若い頃に父母と不穏な時がありました。でも今はそれも懐かしく、毎日のように墓に行き、ただ感謝を伝えます。


(第3365話) 開催一宮七夕まつり

2022年08月18日 | 出来事

 “愛知県一宮市の夏の風物詩「おりもの感謝祭一宮七夕まつり」が二十八日、市中心部で始まった。新型コロナウイルス禍以前の「七割程度の規模」(主催者)ながら、三年ぶりの本格開催。街中を色とりどりの吹き流しが飾り、来場者が久々の雰囲気を楽しんだ。
 一方、市内はこの日、過去最多の九百五十六人の感染を確認。祭りも路上での出店を禁止し、盆踊りは参加者を絞り込むなど、感染防止策を取った。開幕に当たり、中野正康市長は「皆でマスク、手指消毒をして、楽しんで」と呼びかけた。”(7月29日付け中日新聞)

 記事からです。もうこれ以上の中止は絶えられません。これ以上中止したらもう復活は無理でしょう、そう言ったものが次から次へと再開されています。その一つが我が町にもありました。一宮七夕祭りです。規模は縮小し、考えられるコロナ対策し、再開です。
 そしてボクは再開された七夕祭りを見る機会を得られました。7月29日、昼間にシルバーカレッジの同班の8名で見学をしました。班長の発案です。主な会場の本町をゾロゾロと歩き、真清田神社に参拝し、近くのホテルで会食です。2時間ばかりの交流を楽しみました。再開された七夕祭りでこうした機会を持てたのは良かったでしょう。
 しかしながらこの日は最多の感染者数のようでした。そして今も明らかな減少傾向とは言えません。為政者も専門家も本当に真摯に対応してきたのでしょうか。駆け引きや裏事情に忖度ばかりしてきたということはないでしょうか。最近の世情を見ていると、世の中は裏事情で動いている、と言うことがよりはっきりしてきた気がしてなりません。


(第3364話) 新聞配達励み

2022年08月16日 | 教訓

 “第一子を四月に出産した。かわいく愛らしいが、夜泣きへの対応には気力を奪われる。午前四時ごろに与えるためのミルクをこしらえていると新聞配達のバイクの音がした。走行中の「ブーン」がアイドリング中の「ドゥルルル・・・」に変わったと思ったら「カタン」と朝刊がポストに入った。多くの人が眠っている時間帯。子育て中の私以外でも、世の中で頑張っている人がいると思うだけで力が湧く。「ミルクを全然飲んでくれません」「何か悲しくてぐずるんですかね」なんて、心の中で配達員に向けて独りごちるうちに気持ちが楽になる。
 一寝入りして新聞を広げる。本欄や地方版、生活面には老若男女の挑戦や各種話題があり、見知らぬ誰かと対話しているかのようで面白い。”(7月26日付け中日新聞)

 愛知県尾張旭市の小学校教員・酒井さん(女・26)の投稿文です。子育ての大変さの中、夜中にも走り回る新聞配達員に気づいて、気持ちが楽になったと言われる酒井さん。良かったと思う。人間の一生には、なぜ自分ばかりがこんなに苦労するのか、と思う時期が必ずあります。でも本当は自分ばかりではありません。誰もがあるのです。その時何に気づき、力となり乗り越えられるのか、それが重要でしょう。
 世の中、効率性、合理性を求めた結果、全く余裕がなくなったと思います。トラックは夜中走り回り、コンビニは四六時中開いています。朝には起きて夜には寝る人間の習性もなくし、盆や正月、季節ごとの行事も削っています。考えていくほどに人間、何を求めているのかよく分からなくなります。度を超してきている気がします。一度走りを止め、ゆっくり考えた方がいいことが沢山ある気がします。


(第3363話) 心の余裕

2022年08月14日 | 意見

 “「タイパ」という若者言葉をテレビ番組で知りました。かけた時間に対する満足度、タイムパフォーマンスの略。映画やドラマを早送りで見たり曲のサビ部分だけを視聴したりする場合に使うそうです。
 私は高校で放送部の顧問をしています。朗読の大会に出る部員に、私は朗読で大切なのは間をはじめ、声の緩急、そして気持ちの込め方だと指導してきました。そんな部員の朗読がもし早送りで聞かれるとするならぱ、読み手の意図が正確に伝わることはないでしょう。タイパ優先なら情報を消費するだけで鑑賞とは相いれません。
 誰もがスマートフォンにすっかり依存している現代社会、特に日本人の余裕のなさを私は強く感じています。それゆえ、映画やドラマの細かな演出や曲のイントロや転調部分といった魅力にも着目するようにしてください。心と時間の余裕ができて初めて鑑賞するといった感じがベストな気がします。”(7月26日付け中日新聞)

 愛知県知立市の高校教員・秋田さん(男・57)の投稿文です。「タイパ」、ボクも初めて聞く言葉です。「かけた時間(タイム)に対する満足度」を指す俗語だそうです。使った時間に対して良かった思うか、もったいなかったと思うか、これは確かに誰もが思うことでしょう。そして映画や音楽を選ぶ場合、一部分を見たり聞いたりしてどうするか判断します。これは誰もが今までやってきたことでしょう。
 そこで何が問題となるのでしょう。ボクが思うに、見ると決めた映画をそのまま見るのではなく、時間を短縮したり一部分だけを見ることではないでしょうか。それで以て鑑賞した気分になっては、それこそ時間の浪費だということでしょう。秋田さんの投稿文からも、見るからには細かな演出や間の取り方などゆっくり鑑賞して欲しいと、そしてそれをして評価をして欲しいと言うことになります。
 効率性を求める気運は高まるばかりです。しかし人間、四六時中そんなに有効な時間を使い方をしているのでしょうか。それは無理です。息が詰まってしまいます。効率性を求めた一方、多くの無駄な時間を過ごしています。人間の豊かさとは、何でしょう。ゆとりです。


(第3362話) 店内ラジオ体操

2022年08月12日 | 活動

 “キョーワ薬局一宮店(一宮市文京二)は今月から、毎週月曜朝に店内でラジオ体操を始めた。誰でも参加できる。定期的に運動する場を設け、参加者の健康増進に役立ててもらおうと、開店前に実施する。
 二十五日には子どもから高齢者まで十人以上が参加。午前八時半から十分ほど、ラジオ体操第一、第二の映像に合わせて体を動かした。参加者には飲料も提供された。この日から、同店手作りのスタンプカードも配られた。参加するごとにポイントが得られ、ためたポイントに応じて、中学生以下には菓子、高校生異常には食品がプレゼントされる。この日参加した近隣女性(81)は「高齢者は外に出ることが大切。涼しい中で運動できていい」と話した。野中志保店長(29)とは「気軽に立ち寄ってもらえる場所にしたい」と語った。参加費無料。祝日は除く。 ”(7月26日付け中日新聞)

 記事からです。店内でラジオ体操をする、いろいろな知恵があるものである。これは店を身近なものにし、いろいろな効果が出るでしょう。やっている内にまた他の知恵が出てくるかも知れない。当然店の売り上げにも効果を発揮するでしょう。野中さんにはそんな気持ちはないかも知れない。あれば見透かされます。無ければよけいに上がるでしょう。単純な善意の効果は大きい。
 ボクはラジオ体操の信奉者で、その効果はこの「話・話」 で何度も書いてきた。ボクの村では夏休みに寺院の境内で21日間ラジオ体操が行われ、先日8月10日に終了した。老人会も協賛し、何度も飲み物の差し入れをした。ボクは21日間のうち18日参加した。昔は、ほとんどの地域で夏休みのラジオ体操が行われたいが、今や貴重種であろう。8月5日の中日新聞の「子どもってワケわからん」で岡崎さんがこのラジオ体操について触れていた。地域力の減少である。ボクの村は寺院主催であるので大丈夫と思うが、ただ運営はボクを中心として老人会が担っているので、それが少し気にかかる。


(第3361話) 逆ナン

2022年08月10日 | 出来事

 “名古屋・名駅の商業ビル「名鉄レジャック」の閉館が決まったことを新聞で知りまました。もし、レジャックがなかったら、私の人生は全く違っていたに違いありません。昭和五十五年十月。私はこのビルにあったディスコに通っていました。仕事後の毎週金曜日の夜です。映画「サタデー・ナイト・フィーバー」観て影響を受けたのです。気分はジョン・トラボルタでした。その日、「一緒に踊っていただけませんか?」と、女性が丁寧な言葉で声を掛けてきました。当時十八歳だった妻でした。女性から男性に声を掛ける「逆ナンパ」といパターンだったのです。
 妻は看護学生でした。病院に住み込み、午前中は仕事、午後は高校の看護科で勉強、夜も仕事というハードな生活でした。卒業と同時に無事、准看護師に。後に我々は結婚しました。妻は五十代で正看護師とケアマネジャーの試験に合格。頑張り精神は若い頃と変わりません。
 現在の私たちには子ども三人、孫三人。私は前期高齢者になり、妻は昨年還暦。今も現役バリバリの看護師です。もしあの日、レジャックでの出逢いがなければ、妻と結ばれることはなかったわけで、閉館はとても寂しい。一度ビルの前で手を合わせようと思います。”(7月26日付け中日新聞)

 名古屋市の主夫・室谷さん(65)の投稿文です。名駅の商業ビル「名鉄レジャック」の思い出である。室谷さんはこのレジャックで逆ナンされ、結婚に到り、子ども3人、孫3人の至福を得られた。人の一生にはいろいろな思い出の場所ができる。結婚の機会の場所ともなればそれはもう忘れられぬ場所であろう。そのビルが壊される。寂しい気持ちになるのは当然である。
 今名古屋駅近辺は、リニアの開通に向けて、大改造中である。こうしたビルもいくつか建て替えられる。レジャックもその一環である。古くなった人工物はいつか寿命が来て廃棄され、新しいものに変わる。リニアの開通はその大きな起爆剤となっている。寂しく思う人もあろうが、大きな楽しみに思っている人も多かろう。


(第3359話) 再会の感激

2022年08月07日 | 出来事

 “実家があった名古屋市北区の商店街近くを訪れた際、小・中学校の同級生が営む店に立ち寄った。仕事中にもかかわらず同級生は対応してくれ、別の一人にも声をかけて三人で立ち話をした。会話は弾んで後日改めてもう一人も呼んで集まることにし、五月中旬、その近くのファミリーレストランで私たち四人は再会した。するとみんな六十数年前の少女時代に戻ったかのよう。互いを「○○ちゃん」と呼び、当時の思い出や級友の話で大いに盛り上がった。昼食の時間帯に店が混みだしても話は尽きず、近くの公園に場所を移し、そこで昼下がりまでしゃべった。久々の再会に感激し、次会う日が待ち遠しくて仕方ない。”(7月23日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・浅井さん(74)の投稿文です。久しぶり、小中学校の同級生を訪ねる。話が弾んで、今度は4人で会うことに。高齢になるほど、小さし頃の友達が懐かしくなるのだろう。ボクも数年前、散歩がてら長年会っていない友を数人訪ねたことがある。涼しくなったらまた訪ねてみよう。この文はそんなことも思い出させてくれた。
 コロナ禍でこの2年ばかり中断した同年の仲間の集いを今年二つ開いた。自分としてはこれを最後の機会とするつもりであった。一つは職場を同じ年に退職した15人ばかりの仲間である。今ではもう8人ほどしか参加できなくなっている。そして5人が参加したが、誰もこれを最後にしようと言わない。続けることになった。そして中学校の同窓会である。平成18年から毎年開催してきたが、これも今年最後のつもりで開いた。28人集まり、ボクがこれが最後のつもりと挨拶を終えれば、すぐに、続けてもらえるよう頼もう、という声が飛んだ。そして続けることに。これから何事も減るばかりである。自ら機会を減らすことはないのだ。ボクは10年続けると宣言する。


(第3358話) 米寿が目標

2022年08月05日 | 人生

 “フォークダンス仲間で同い年の妻と自宅で婚礼を挙げたのは一九六一(昭和三十六)年五月。結納直後、私が肺結核で入院したため結婚は七ヵ月遅れた。貧困農家の三男である私は小さな町工場に勤めていて、家に食費を納めていて貯金はそれほどなく、結納金は仲人から借り、結婚式の費用は親と兄に出してもらった。静岡県の熱海や富士山、神奈川県の箱根を巡ったぜいたくな新婚旅行は妻の持参金を充てた。
 月日は流れた。新型コロナウイルスの影響で一年遅れとなったものの、五月上旬、結婚六十周年のダイヤモンド婚をわが子や孫と一緒に老舗の料亭で祝った。結婚式や新婚旅行のモノクロ写真を並べ、昔話を楽しんだ。次は、夫婦そろって元気に米寿を迎えるのが目標だ。”(7月16日付け中日新聞)

 三重県東員町の川村さん(男・85)の投稿文です。またまた頑張ってきた高齢者の話しである。結婚の結納金は仲人さんから借り、結婚式の費用は親と兄に出してもらい、新婚旅行費用は奥さんの持参金を使ったと言われる。それでも結婚された。今、お金がないから結婚ができないという、話をよく聞く。こういう話を聞くと何と思われるだろう。何事も意思、意欲である。世の中の多くのことは、その気になれば何とかなる。今のお金がないから結婚できないは、弁解の言葉に聞こえる。結婚してから始まるのである。結婚にそれ程の意欲がないのであろう。
 こうして結婚して、ダイヤモンド婚を迎えられた。結婚して良かった、感慨無量であろう。次は米寿と言われる。未だ意欲は衰えない。こうした話しに、ボクの意欲もますます高まっていく。


(第3357話) 新聞はインフラ

2022年08月03日 | 行動

 “その昔、今でいう中学校二年生までの五年間、新聞を配った。新聞の中身は難しくて正直読むことができなかったが、祖父からいくつかの記事の内容は教えてもらった。
 そして現在は、新聞を午前と午後に分けて計二時間半以上読んでいる。関心のある記事は切り抜き帳に貼っておき、後日再読するようにしている。この他、「知識の落ち穂拾い」と題したノートには記事にある私にとっては新奇な表現や難解な字句、話題性があると感じた内容を書き留めておき、自分史やエッセーを書く際の参考にしている。老人会の集まりでも仲間との話題になる。新聞は私にとって貴重な生活インフラの一つだ。”(7月16に付け中日新聞)

 愛知県春日井市の今井さん(男・89)の投稿文です。今井さんのこの文を読むと、人間は年齢ではないと言うことをしみじみ思う。89歳にして、新聞は貴重な生活インフラとして、丹念に読み、切り抜き、自分史やエッセーの参考にしていると言われる。自分史やエッセーを書かれるのだ。老人会の集まりのも参加されている。ボクの地域で、89歳で老人会に参加されている人は知らない。でも、ボクに可能性は残されている。最近ボクは、あと5年と言っていたものを10年に延ばした。10年それなりの健康を保てば、今井さんに近くなる。上手に過ごして少しでも近づきたいものだと思う。
 小学校から中学校まで、5年新聞配りをされたと言われる。妻の弟も同じくらい新聞配りをしたようだ。昔の人は小さい時からよく頑張ったものである。


(第3356話) 選挙権

2022年08月01日 | 出来事

  “今参院選でも、今は亡き祖母のことを思い出しました。一八七七(明治十)年生まれの祖母は全く学校教育を受けず、自分の名前ぐらいしか書けませんでした。それでも戦後、婦人参政権が認められると就学前の私を連れて投票に行きました。手のひらに墨で投票したい人の名を書いておいたものの、投票所に着くと汗で手は真っ黒になっていて。そのことを察した係員が「代わりに書くから大丈夫ですよ」と言ってくれ、祖母は意中の候補者名を大声で叫びました。慌てた係員から「小さな声で」と注意され、祖母は「そうか、内緒話か」と言ってみんなで大笑いしていました。
 こんな祖母との思い出から私は選挙権を勝ち取った先人に感謝し、この権利を必ず行使しています。”(7月11日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の池田さん(男・77)の投稿文です。人間は身勝手である。あって当たり前になると何の感謝も起きない。そして疎かにする。その一つが今の選挙権であろう。一般人が選挙権を得るために先人はいかに努力されたか、そして婦人参政権も同じである。池田さんは、おばあさんの思い出を書かれている。お笑いのエピソードと言え、貴重な一票を行使された。平穏な時にはそれ程でない一票の価値であるが、いざというときには大きな意味をなす。
 一票が大切であるだけに、今の国会議員選挙の仕方にはどうにも納得がいかない。死票が多すぎるのである。少し調べてみると、大雑把ではあるが、ある党は得票率の倍の議員が当選しているようである。一票の価値はよく裁判沙汰になっているようだが、こちらはほとんど問題にされていない。こちらの方も大きな問題だと思うが、いかがなものであろうか。




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