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第216号  2022年6月


 
 

(第3340話) 己の限界

2022年06月29日 | 出来事

 “体力も気力も十分だった父が七十三歳で逝ってはや一年。病院での検査後、容体が急変した。人工呼吸器で辛うじて生命を維持させる状態となり、別れの言葉を交わすこともかなわなかった。医療行為自体が原因の「医原性疾患」とみられる。検査後に瀕死となったことからして、やむを得ないと思うべきなのだろうが、父にはもっと違った適切な対応があったのではなかったのか、と医療従事者の一人として自問自答している。
 現代医療は高度に細分化され、一人の医師が対応できる範囲は狭くなっている。自分の限界を素早く認め、他分野のスタッフと協働しないと患者の人生さえ奪いかねない。「己の限界を知る」ことをわが教訓にしようと思っている。”(6月6日付け中日新聞)

 三重県津市の医師・稲垣さん(男・39)の投稿文です。父親を亡くした医師からの投稿文です。それも医療行為自体が原因の「医原性疾患」と言われる。この発言の意味は大きい。稲垣さん自身がお父さんの検査をされたのだろうか。この文からは、そうでなくても何らかの関与はされていた気がする。
 今はすぐに検査、検査と言われ、実際に検査が行われる。検査の体に与える負担は大きい。稲垣さんのお父さんは、検査後様態が急変したと言われる。今はいろいろな情報が流されている。高齢者は検査は受けない方がいい、という医療関係者の意見もある。お父さんはまだ73歳であった。ボクはそれを越えている。ボクは毎年定期検査を受けるものとして受けてきた。今年も来月には受けることになるだろう。その時、異常が見つかりその後精密検査となった時、どうするかである。
 ボクの同年の友人が、今月亡くなった。それも2回目のウイルスワクチンを受けた後、肺が急激に悪くなってである。ボクの友人の奥さんも急激に悪くなった人がある。ボクの身の回りだけでも数件あるのにそんな報道はほとんどない。


(第3339話) 戦争は悪

2022年06月26日 | 出来事

 “高校教師として初めて担任を持って九ヵ月後の一九九一年一月、湾岸戦争が始まった。テレビで初めて見るミサイル発射、それによって失われるであろう命のことを想像するだけでやるせなくなった。この戦争について授業で生徒に討論させたら「殺し合いという戦争は悲劇しか生まない」「戦争は絶対悪」といった声が上がった。この授業は全校の先生が見学する研修会の一つでもあった。翌日、校長から「戦争には良いものと悪いものがある。世界的に評価が定まらない戦争を取り上げるのはいかがなものか」と言われ、私は「良い戦争なんてない」と心の中で叫んだ。(後略)”(5月31日付け中日新聞)

 岐阜県高山市の高校非常勤講師・大田さん(男・63)の投稿文です。今まさにウクライナ戦争の真っ最中です。マスコミの多くもこの報道に多くの時間を割いています。そしてほとんどはウクライナから見た戦争。戦争はウクライナ国内で行われている。ウクライナ寄りの国は武器を供与するなどいろいろな支援をしている。ボクには代理戦争に思われる。これではウクライナの大統領は止めるに止められない。本当にやりたいと思っているかもしれない。国民も思っているかもしれない。でも被害を受けるのはウクライナ国民である。そして勝っても負けても被害は大きい。それはソビエトも同じである。ボクも良い戦争など絶対にないと思っている。
 日本も今まさに戦争ができる国に進もうとしている。為政者は国民など、全部はできなくても大半はどうにも誘導できる。今のまま進めば日本はいつか必ず戦争をすると思っている。


(第3338話) ヒル対策

2022年06月24日 | 行動

 “わが地域の水田や山、草むらのあちこちにヒルがおり、しばしば血を吸われるので私たちは困っています。周辺には「蛭谷」という地名もあり、近年、その数が増えてきた気がしています。地元住民総勢三十人ほどでやる年四回の田んぼの草刈りでは、その都度何人かが被害に遭います。長袖に長ズボン、長靴を履いてもそれらの隙聞から入り込んできます。かゆみを感じたと思ったら、かまれた痕は血まみれになっています。なかなか出血が止まらず、洗い流してから薬を付けても完治するまでには一週間ほどかかります。
 ヒルの対処法が以前ケーブルテレビの番組で紹介されていました。私は今年、忌避効果があるとされる塩と、市販の薬剤を準備しました。”(5月31日付中日新聞)

 三重県いなべ市の川瀬さん(男・74)の投稿文です。「ヒル」、忘れていた言葉です。今ボクの地域にはいないでしょう。聞いたこともありません。川瀬さんの地域ではそれに悩まされていると言われる。それ程自然豊かと言うことでしょうか。
 ボクらの子供の頃はヒルだらけでした。田植えの話しが続きましたが、もう一杯食われて、血だらけでした。取っては投げ、取っては投げでした。いつからいなくなったのでしょう。田に消毒をするようになってからでしょうか。昔は誘蛾灯という物もありました。いろいろなものがいなくなりました。あれほどいたイナゴはほとんど見かけません。タニシはどうでしょう。ジャンボタニシに取って代わられた気がします。ヌートリアが増えました。


(第3337話) 傘の記憶

2022年06月22日 | 出来事

 “四月二十九日の「昭和の日」は雨で、室内から外を眺めていると遠い記憶がよみがえってきた。
 食料も物資もなかった戦後すぐ私が通った現長野県安曇野市の小学校にも傘やゴム製靴がクラスに一つずつ配給された。くじで当たった人に渡されていき、私は確か三~四年生ぐらいのときようやく傘を受け取ることができた。その日の朝は雨が降っていなかったのに下校前から雨粒が落ち始めた。傘を持って登校しなかった私は家までの四キロの道中、びしょぬれになることを覚悟しただけに、思いがけなく傘を手にできてうれしかった。今思えば先生の気遣いだったのかもしれない。先生のおかげで私は勉強が好きになった。”(5月31日付中日新聞)

 長野県伊那市の山岸さん(女・82)の投稿文です。ボクより少し年齢が上ですが、こんな制度があったのは知りません。ボクの時代にはなかったと思います。先生の配慮で濡れずの帰ることができた。もう70年以上も前のことです。今でも嬉しく思い出されている。小さい時の思い出は忘れられないものです。クラスに一つずつ、これは1年にでしょうか。その当時のクラス人員は多かったでしょう。それだったら貰えずに終わった人も多かったでしょう。
 当時は、今思えば本当に貧しかった。でもそれ程に貧しさを感じていなかった気がします。貧富の差も小さく、またそれがあっても実生活はそれ程に違っていなかった。先日、妻とヤングケアラーの話が出ました。実は妻はヤングケアラーの状態だったのですが、それ程苦にしていなかったなあ、と言っていました。皆とそれ程の違いがなったからでしょうか。人間は何事も比較して生きていきます。本当はつまらぬことですが。


(第3336話) 田植え

2022年06月20日 | 行動

 “息子や娘の各一家と四月下旬、恒例の田植えをした。この地に私が嫁いで四十年余。当初は義父母が苗作りからやっていた。岐阜県富加町の実家にはその数倍の広さの田があっただけに、もみまきや苗の箱洗いの手伝いは全く苦でなかった。やがて義父母は亡くなり夫が田の仕事を担った。「米をあげるだけでなく、稲作を手伝ってもらおうか」と十年ほど前から息子や娘婿らに声を掛けるようになった。今年も私たちを含め総勢九人が集い、作業を終えた後はみんなでバーベキューを楽しんだ。遠くに出掛けての行楽でなくとも大型連休中のいい思い出になった。今や田植えは、わが一族に欠かせない大切な行事となっている。”(5月30日付中日新聞)

 岐阜県可児市の主婦・長瀬さん(65)の投稿文です。前々回に田植えを話題にしたばかりですが、再び取り上げます。昔は田植えはお祭りでもあった気がします。村中、7月1日からに一斉に田植えをします。そして一族郎党が集まる機会でもあります。長瀬さんが今行ってみえることです。一族郎党が集まるのですから、その後は本当にお祭りです。その家の奥さんは田植えをせず、お祭りの準備にかかりきりであった家もあった。昼食は、奥さんが持ってきた弁当を一斉に土手に座ってします。もう行楽気分です。でも仕事は辛いものがあります。そんなに続けて行えません。10時、3時のおやつも出てきたでしょう。ボクもこんなことを思い出したのはいつ以来のことでしょう。貧しく、厳しい時代であったでしょうが、そんな中で、家族や地域の絆が人生に豊かさをもたらしていた気がします。
 近くの家で、今でも子供たちが集まってきて行う家があります。その家は正月の餅をつく時も集まってきているようです。その家の怠ってはいけない習慣なのでしょう。


(第3335話) 100歳目標

2022年06月18日 | 人生

 “書棚を整理した昨年秋、観光ツアーで十数年前に訪ねた中国蘇州の寒山寺で書家がしたためてくれたものか出てきた。書道が好きな私のために縦1m、横40cmほどの紙に達筆な字でつづられた「長寿而心静」。このままにしていてはもったいないと思い、表具店で買い求めた額縁に収めてもらい、寝室に立て掛けた。この書を毎晩眺めてはその日の息災に感謝してから床に就いている。
 新型コロナウイルスの影響で外出を控える生活はいまだ続いているものの、私は幸いにも書のおかげでいら立つことはなくなった気がしている。九十三歳の夫と心静かにともに百歳を迎えられることを切に願う日々だ。”(5月27日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の主婦・岩月さん(87)の投稿文です。中国で買った書に心癒やされると言われる岩月さん。書のおかげでいら立つことはなくなった気がするとも言われる。気に入った物にはこのような効果もある。
 実はボクにも似たような書がある。ボクも中国で求めた。「福寿康寧」と書かれた掛け軸である。言葉が気に入って買った。通る度に毎日目につく玄関に架けている。幸福に長寿に健康に安寧とは随分欲深な言葉である。そしてほとんど毎日行く村中の薬師堂でこの言葉を唱える。この言葉通りに過ごせていることに感謝し、そしてこれからもこれに努めると、心の中で願う。いい習慣ができたと思う。ところがこの掛け軸、帰国してからインターネットで調べたら、どうもまがい物であると知った。高いものではなかったし気に入ったのだからと、それ程の落胆はなかった。
 岩月さんは100歳が目標と言われる。もうそれ程のそら言ではなくなった。100歳超えがどんどん増えている。最近「人生100年時代」という言葉をよく聞くようになった。ボクなどシルバーカレッジでこれから新たなことを始めようとしている。本当に100歳まで生きるつもりにならないと、やっておられない。


(第3334話) 田植え

2022年06月16日 | 人生

 “田植えを終えた。ふと、半世紀以上前に嫁いで初めてやったときのことがよぎった。水を張った田に恐る恐る足を入れたら膝の上まで泥に漬かった。夫と今は亡き義父はともに後ろに下がりながらほぼ直線上に苗を植えていった。私はといえば、泥に足をとられてなかなか身動きができない始末。私が植えた蛇行する苗の列に、義父は「秋には実を結ぶから」と励ましてくれた。うまくできなかったつらさが和らぎ、義父の優しさや家族の絆を改めて感じた。義父の言う通り秋には稲穂はこうべを垂れた。収穫した新米がおいしかったのは、決して味の良さだけではなかった気がする。”(5月26日付け中日新聞)

 愛知県東海市の農業・杉江さん(女・76)の投稿文です。始めて水を張った田に入るのはビックリされるだろう。足が動かないのである。時には転んでしまうだろう。町から農家に嫁いだお嫁さんは皆そうだろう。そうして驚きながら慣れていくのである。稲の苗などのように植えても育つのである。こうしてひとかどの農業人になられた。その後の思い出も数え切れないだろう。農業は辛い作業ではあるが、他とは別の楽しさ、嬉しがある。何しろ食物を育てるのである。田植えも昔なら見栄えの問題だけだったろうが、今はコンバインなど機械で刈るので他の問題があるかもしれない。
 ボクらの小学生の頃は田植え休みがあった。稲刈り休みもあった。子供でも何かの役に立ったのだろう。多分ボクは小学4年生の頃から田植えをしたと思う。昔は子供でも一人前の働き手であった。ボクは中学を卒業したらすぐ農家を継ぐように育てられたので、特にだったかもしれません。


(第3333話) 合格通知

2022年06月14日 | 行動

 " 待ちに待った介護福祉士国家試験の合格通知が届きました。共に喜び、祝福してくれるはずの夫が、今は傍にいないのが残念でなりません。昨年六月、体調を崩し、病院で検査の結果、末期肺がんの宣告を受け、僅か二十八日間の闘病の後に天国へと旅立ってしまったのです。
 突然の別れに苦しんでいたある日、遺品の中から「試験頑張れ」と書かれた手帳を見つけました。「何をしてるんだ、しっかりしろよ」と言われているようで、目が覚めました。年齢を考えたら、今しかないと、ひたすら「合格」の二文字を追いかけました。皆からの励ましなどに支えられ、希望が叶いました。
 振り返れば三年前、百歳を目前に控えた母を看取り、やり残したことの多さに後悔の念でいっぱいだった時に思いついたのが介護職でした。周りからは「外で働いた経験もないし年齢を考えたら」と言われましたが、近くの施設で求人があり応募しました。採用通知を頂いた時は、個々の可能性を引き出してくれる会社に感謝あるのみでした。
 人生百年時代、合格は次への通過点です。未熟な私を助けてくれる仲間に囲まれ、恵まれた職場環境の中で、さらなる目標を目指して新たな一歩を踏み出します。勉強に終わりはありません。”(5月22日付け中日新聞)

 名古屋市の介護職・杉田さん(女・79)の投稿文です。80歳を間近にして、介護福祉士国家試験を目指し、合格する。更にその資格で就職する。本当に人は年齢ではないと言う見本のような杉田さんです。きっかけはお母さんの死、そして亡くなったご主人の言葉。ほとんどの人は哀しみだけで終わるでしょう。それを次の段階に臨む糧にする。本当に人は様々、何を血とし肉とするのも様々。人生百年時代、よく自分を見極めて進みたいものです。
 ボクも今複雑な気持ちになっている。もう70歳代後半、最近いろいろなことがあり、終活も頭の中をチラつく。特に社会のいろいろな会に関係し、その整理をしなくてはと少し動き始めた。その一方、シルバーカレッジが始まった。これは全く新たな人間関係を作ることである。それも今まで全く無縁であった人たちとである。63人のクラスの中で委員長を受けてしまった。このカレッジはただ講義を受けるだけで終わるものではない。卒業後のクラブ活動など続いていく。片方では終わりにしようと思い、片方では新たに始める。我ながら笑えてくる。しかし引き受け始まってしまった。そしてその後分かったのは、班長等役員が16名いるがボクが最年長者であるということである。本当に人生百年と思わなければやっていけない。


(第3332話) 可愛いお客さん

2022年06月12日 | 出来事

 “「こんにちは!」穏やかな土曜日の午後、元気な声が聞こえてきました。「おーい、可愛いお客さんだよ」と夫。出てみると、ほんとだ!! ヘルメット姿の女の子二人が、扉の外に立っています。近くの小学校の四年生と五年生だそうです。
 庭にあるリヤカーに花を置いています。「お花を見に来てくれたの?」と聞くと「ハイ、なんか可愛いなあと思って・・・」と少女らしい答え。どうやら花の引き立て役のウサギやリスの置物に目が留まったようです。それでも嬉しいではありませんか。少し話をしたあと、別れ際にミントの葉や小花を摘んで、持たせてやりました。
 すると、その二日後。「お礼に来ましたー」とお二人さん。これにはびっくりして戸惑ってしまいましたが、彼女たちの好意を受けることにしました。それぞれの袋の中には、心のこもったメッセージと、亀さんの折り紙、そしておまんじゅうも入っていました。もったいないくらいの嬉しさでした。
 いろいろと厳しい時代ですが、こんな優しさに出会い、明るい未来が見えてきたような気がします。お二人さんへ。「とっても美味しかったよ。ありがとうね。また寄ってね」”(5月20日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の主婦・足立さん(70)の投稿文です。これは二人の自発的行動か、また親御さんの誘いか、いずれにしても老夫婦には嬉しい訪問客です。つい接待もしたくなります。そして手作りの折り紙など持って再度の訪問です。ますます嬉しくなります。こういう交流が地域の力、支えになっています。
 ボクは散歩したり用事を足したり、村中をよく歩きますが、ほとんど人を見かけません。コロナのせいがあるかもしれませんが、そればかりではないでしょう。子供は塾へ、親は仕事で、そして高齢者は巣ごもりでしょうか。そんな中、かなり高齢の老婆3人が手押し車に座り、よく話している風景がボクの家から見えます。それが寒い日も続き、これから暑くなっても見るでしょう。もちろんボクはこの3人を知っています。これがいい田舎の風景だ、と思ったりします。ボクは老人会の児童見守りで、目立つベストを着て村中に立っているだけでもいい、と言っています。それが児童の見守り、防犯になると思っています。そして会えば声をかける。誰も見かけないのは何とも寂しいものです。


(第3331話) 読解力

2022年06月10日 | 意見

 “投稿への反響を紹介する二月十八日付「結ぶ」にあった「国語力の軽視に危機感」には全く同感で、むしろ学校での国語を一層重視することを切望します。
 地域の小学校でI~四年生向けの「算数見守りボランティア」をして四年目となります。計算はできても、算数の文章題になると正解にたどり着けない子どもが結構いる気がしています。まず問題文を読むのに時間がかかる上、題意を的確につかめていないのが原因みたいです。スピーディーな読解力は国語だけでなく、他教科の理解向上にも不可欠。就学前から絵本に親しみ、読書を習慣化することが大切です。
 日々私は国語辞典を手元に「中日春秋」を書き写しています。スマートフォンで言葉の意味が簡単に調べられる昨今ですが、あえて私は紙の辞典を繰り前後にある言葉も合めて知識として蓄えるようにしています。こんなふうに私は国語力を磨いています。”(5月20日付け中日新聞)

 愛知県江南市の高田さん(男・76)の投稿文です。この意見にはボクも同感です。小学校から英語、英語と言われますが、国語の方はどうなっているのでしょう。高田さんの意見が本当なら、何をか言わんことです。まず国語でしょう。その上の他の学問でしょう。時折、国語の乱れ、貧弱さが報道されることがあります。本当かと驚かされることがあります。
 ボクも毎日新聞の書き写しをしています。日記も書いています。分からない漢字は調べることにしています。本当に若い人に頑張って欲しいと思います。
 そしてボクは何も英語力を否定するつもりはありません。ボクの男孫2人は、小学校から英語塾に通い、これが大きな自信にもなっています。でも一度国語力を試してみる必要があるかもしれません。


(第3330話) 人前が苦手

2022年06月08日 | 行動

 “その昔、小学生のときは家族や親しい友人とは話せるのに、多くの人の前では言葉が出てきませんでした。家庭の事情で三回転校したこともあって友達がなかなかできませんでした。いわゆる場面鍼黙症だったと思います。成長するにつれ症状は徐々になくなっていきましたが、つらい記憶は今も忘れられません。
 小学生二人の母である娘によれば最近の学校では障害や症状を隠さず仲間に打ち明けるのが一般的とか。ならば、かつての私みたいな子どもも学校に楽しく通えているはず。できないことは決して苦にしない一方、特技を伸ばそうとする環境は素晴らしく、個性を認め合えば皆きっといい人生を送れると思います。”(5月19日付け中日新聞)

 岐阜市の主婦・浦崎さん(70)の投稿文です。人前で話せないことが「場面緘黙症」という症状と言うことは知りませんでしたし、最近は知らない病気がたくさん報道されるようになりました。昔ならその人の性格、体力等で済ませていたことが、いろいろな研究で病気となれば話はかなり違ってきます。対応も違ってきます。病気なら話もしやすくなります。また克服の仕方も分かるようになります。そういう人には随分過ごしやすくなったでしょう。
 ボクも小さい頃は人前で話すことが苦手でした。元々体質的に汗かきでしたので、人前ではたまったものではありません。だらだら汗を流したものです。気になったらますます止まりません。随分恥ずかしい思いや苦労をしました。それが何時の頃からか、人前で話す機会が多くなり、汗を気にすることも少なくなりました。人前で話すのが仕事のようになってもう20年以上になるのでしょうか。今ではどこに出ても話す機会があります。こんなに変わったことが信じられません。


(第3329話) 「心配の種」

2022年06月06日 | その他

 “テレビを見ても、新聞を読んでも、暗い気持ちになるニュースばかり目に入る。心配性の私は、いろいろな事に不安がつのる。日々、心配の種を拾い集めているようだ。
 ある日、ふと思った。この種を蒔いたら、どんな花が咲くのだろう。真っ黒な花?嫌な臭いの花?蕾さえ持たないかもしれない。
 そう思うと何だかおかしくなった。咲かせるなら綺麗な花。芳しい香りの花がいいに決まっている。どうせ拾い集めるなら喜びの種にして、たくさん蒔こう。
 何だか周りを見渡す目も変わる。まずは自分の心に明るい色の花が咲いた。”(5月15日付け中日新聞)

 「300文字小説」から千葉県木更津町の主婦・輪鍋さん(64)の作品です。コロナに戦争、本当に暗い話が多い。税金をばらまき、借金を増やす。更に軍事費の増額である。反省どころか、不安をあおり拍車をかけている気がする。この先がますます心配になる。
 わが家もそれに巻き込まれている。いろいろなことが起きている。それでも何とか乗り越えている。そんなときである。輪鍋さんのこの小説である。どうせ拾い集めるなら喜びの種の方が良い。「話・話」 はまさにそれを望んで続けている。いい話をかき集めている。これに拍車がかかれば良い。人間は気持ちが大きく左右する。


(第3328話) 60年目

2022年06月04日 | 出来事

 “「明日下呂温泉に行くぞ」と突然の主人の言葉。近頃はコロナ禍で子どもや孫に会えなくて寂しい思いをしていました。「何で、どうかしたの」と私。子どもが小さい時は年に一度は家族旅行に連れて行ってもらいました。この何年かは行っていません。もう行けないと思っていました。
 主人も私も八十歳を超しています。主人は「今なら自分で運転して行ける。桜も満開で気持ちの良い旅ができる」と言います。私がガイドをして、お父さんは安全運転。高速道路では桜が満開でした。
 宿の据え膳も嬉しかったです。食後、宿の人が大きなバラの花束と果物の盛り合わせを持ってきて「ご結婚六十年、おめでとうございます」と言って私の前に置きました。何、何、よく分からない。お父さんが「今まで六十年ありがとう。これからも頼むぞ」と、宿の方との嬉しいサプライズ。突然のことに涙が出るほど嬉しいのに、何と答えていいのか、言葉が出ません。私の方こそありがとう、明日からもお世話になりますと、心の中で叫びました。
 六十年の間にはいろいろありましたが、私に話さないで考えてくれたお父さんの計画が、明日からの活力になりました。花束を庭の植木鉢に挿し木しました。いつまでも花見をしたいです。”(5月12日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の主婦・松井さん(81)の投稿文です。結婚60年、その記念にご主人の思いがけないサプライズ。もう感激でしょう。我々の世代、夫婦間で素直に感謝の姿勢が示せない。気持ちはあるのに、照れが先走ってしまうのか、とにかく表現が下手である。本当は今こそである。松井さんのご主人は立派だ。
 我が夫婦の金婚式も、コロナ下のこともあって夫婦だけの外食だけで終わってしまった。60年はまだ先である。これから長生きすれば良いことも悪いこともまだいろいろなことが起きる。それでも夫婦して長生きしたいものである。できたらこんなサプライズも考え、また孫や子供らもいっしょに盛大にやりたいものだ。一昔前に60年は考えられなかったろうから。


(第3327話) 私の原点

2022年06月02日 | 教訓

 “長年保育士をして感じるのは早生まれの子どもと、それ以外の子どもとでは同学年でも成長の差があり特に0~2歳児で顕著なことです。四月生まれと三月生まれとではほぼ1年違うので、生まれてしばらくは差を埋めるのは容易でありません。
 1月生まれの私は就学を翌年に控えた幼稚園年長児のとき、同級生と比べても背は低く、みんなについていくのがやっとでした。お漏らしもして弁当を食べるのは遅く、絵を描くのも自信がなく時間がかかりました。こんな私の傍らにいた教諭は決していら立つことなく、怒ることもなくて、焦らずにいろいろと励ましてくれました。ここで味わった教諭の優しさや温かさが、後に私が保育士を目指そうとした最大のきっかけでした。”(5月10日付け中日新聞)

 三重県東員町の保育士・三林さん(女・55)の投稿文です。ボクらの時代は、保育園や幼稚園に行った人はほとんどなく、小学校からが集団の始まりです。だからボクはこの1年近い違いを感じた記憶はありません。これより小さくなればなるほどこの違いは顕著でしょう。三林さんは自身が体験されたのでその大変さがよく分かっており、優しく接しておられる。それも自身が優しくされたことが保育士になったきっかけと言われる。私の原点とも言われる。良い体験はその人の生涯を決定することにもなるという、見本であろうか。体験の与える影響は大きい。良い人は良い体験をされた人が多いのだろうか。この逆の場合もある。悪い体験が反面教師となる場合もある。やはり人は様々である。
 ボクも原点という言葉を使うことがある。ボランティアの原点である。それは第九を歌う会の会長である。あの苦労を思えばほとんどのボランティアはこなせると思っている。それがいろいろなボランティアを引き受けることになっている。




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