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第215号  2022年5月


 

(第3326話) 小銭減らす

2022年05月31日 | 行動

 “スーパーや薬局での精算時、小銭を数えるのが面倒でたいてい紙幣を出して釣り銭をもらってきました。レジに列ができている場合はなおさらで、小銭はたまる一方でした。それでも友だちとの間で数年前、釣り銭が話題になったことをきっかけに、私はある工夫を始めました。財布での小銭入れスペースには仕切りがあり、片方に一円玉と五円玉を、もう片方にそれ以外の硬貨を入れるというものです。一円玉と五円玉は色が異なるので一目瞭然。十円、五十円、百円、五百円の各硬貨はその大きさや色、穴のあるなしで見分けています。
 こんな一手間で財布内の硬貨は激減しました。店のレジ担当者からも「釣り銭は不足しがちなので助かります」と感謝されています。”(5月10日付け中日新聞)

 長野県伊那市の平沢さん(女・74)の投稿文です。硬貨の使い方の話です。後ろに並んでいる人があると時間をかけるのが申し訳なく、つい札を出してしまいます。そして硬貨はたまる一方。ボクもこんなことを繰り返しています。平沢さんは、硬貨を入れるポケットを分けることによって素早く出せるようにされた。ボクも今は10円以下は別の財布にしています。頭は生きているうちに使うもの、自分に合った工夫をしたいものです。
 5月30日付けの中日新聞を見ていたら、高齢者が焦らず会計をしてくれるスローなレジが現れた、という記事が出ていた。高齢者には嬉しいことである。デジタル機器が使える人と使えない人の対応がますます違ってくる気がする。ボクなど本当に現金で払う機会が減った。
 そして、今硬貨を銀行などに預け入れると手数料を取られるようになった。これでは使えなくなったと同じである。日本のお金である。いくら手間がかかると言っても何かおかしいと感じるのはボクだけだろうか。そして小銭の集まる神社仏閣、子供相手の店などはどうされているのだろう。ボクは今神社総代をしているのだが、今度から手数料を払うことになりそうだ。手数料の方が高くなることだって考えられる。どうしていくのだろう。


(第3325話) 心すっきり

2022年05月29日 | 行動

 “近所でごみを拾うという新しい趣味ができました。散歩中、落ちている菓子袋を見つけ、拾うべきかどうかと迷いましたが、そのまま通り過ぎてしまいました。「汚いものには触りたくない」「前の家の人がきっと拾うだろう」-。そう考えたのです。翌日、その場所を通りかかったところ、袋はそのままでした。「私が拾わなければ、このままだ」とようやく気付きました。それからです。ごみを道端で見つけては家に持ち帰るようにしています。
 最近は軍手をはめ、ごみ袋を手にして出掛けています。拾っているうちに心がすっきりしてくるから不思議です。われながら良い趣味だと思っています。”(5月7日付け中日新聞)

 愛知県小牧市のパート・酒井(女・43)の投稿文です。ごみ拾いを趣味と言われるとは、なかなかこうは言えないものです。どれも道路のごみです。「私が拾わなければ、このままだ」と気づかれました。誰かがするだろうという、気づいてもそのままにしてしまいがちです。人を当てにしない考え方です。立派です。
 と言うよりごみを捨てる方が問題です。ボクの家の道路を挟んで反対側にコンビニがあります。ボクに家の周りに飛んできたごみを拾うのがボクの日課になっています。そこに捨てればボクの家に飛んでくるのは誰にも分かることでしょう。誰に迷惑をかけるかそれも分かっています。捨てる人、拾う人、この違いはどこから生まれるのでしょう。


(第3324話) 弱いロボット

2022年05月27日 | 意見

 “「弱いロボット」の研究に賛成です。高性能なロボットはすごく便利で、人はたよりすぎてしまい、毎日をだらだらと過ごすようになってしまうかもしれません。私はだらだらと過ごしたくはないし、運動不足にもなりたくないです。
 弱いロボットは全てをしてくれるのではなく、たとえばごみが落ちていたら、知らせてくれるだけです。ごみは人が拾わないといけません。自分でごみを拾うと、その場所がきれいになります。このような弱いロボットなら人のためになります。
 ロボットにたよりすぎないようにしたいです。どうしてもこまったことがあったら、お母さんに聞いたり、友達に助けてもらったりしたいです。便利すぎるのは自分のためにならないので、弱いロボットの研究に賛成です。”(4月28日付け中日新聞)

 愛知県新城市の小学6年生・時原さん(女)の投稿文です。高性能になれなればなるほどいいと思うのが普通ですが、それを適当なところでいいとは面白い意見です。人間便利さを追い求めます。いろいろな便利さがありますが、今までしていたことを機械等に任せばその分人間の能力は衰えます。過酷であったものの代替えは助かりますが、歩くことを車に任せば歩く能力は衰え、力仕事を機械に任せば体力は衰えます。必要以上に楽にしたら、その分他で補わなければいけなくなります。その一つがウォーキングや筋トレに励むことです。昔はそれを生活の中で必要なこととしてしてきたことです。こう考えると何が豊かさか分からなくなります。時原さんの意見は人間の限りない欲望に対する警鐘でしょうか。小学6年生です。いろいろ考えながら進んで下さい。


(第3323話) 10年後配達

2022年05月25日 | 出来事

 “「もしもし、お父さんとお母さんからの十年前の手紙が明治村から届いたよ」と、長女から電話がありました。「えっ、あれから十年も過ぎたんだ!」と、返事はしたものの驚きました。
 あの頃、愛知県犬山市の野外博物館「明治村」で、季節の移り変わりや折々のイベント、花火などを楽しみに、一年間何度も入れるパスポートを購入。明治生まれという建築物などに、はるか昔を偲びながらの散歩コースでした。
 ある時、村内の宇治山田郵便局舎で「配達は十年後です」の企画を見つけました。主人と私の十年後は八十代になるから、もうこの世にはいないと思い、天国からの手紙となると考えました。非現実的でドッキリ感も期待し、二人の娘に手紙を書くことにしました。「天国から応援しているからね」と書いたような記憶があります。
 ところが十年経過したという今日現在、主人も私も予想外に元気でした。思えば、八十歳の時、誕生日が一日違いの友達から「今日からは『おつり』ではなく『利息』の人生よね」との言葉を聞き、なるほどと納得したものでした。今回の手紙で、生きている幸せを心より実感でき、利息の人生をもう少し楽しみたいと心の底から願いました。”(4月27日付け中日新聞)

 愛知県扶桑町の久保川さん(女・81)の投稿文です。扶桑町ですから明治村にも近く、年間パスポートを購入されたことに驚きもしません。いい施設が近くにあることが羨ましくなります。そして何年後に届く手紙、こういう行事も時折ありました。10年後何を想像するか、久保川さんは当時70歳、天国からと想像されました。そしたら今もピンシャン、嬉しい予想外れです。こんな企画は楽しいものです。
 さて今のボクが10年後を想像すれば・・・これはそう難しいことではないでしょう。それこそあの世からでしょう。子供たちは60歳近く、孫たちは30歳近く。どんな世の中になりどんな人生を送ってくれているか、これは難しい。
 さてこれからの人生、おつりか利息か?どう理解すればいいのだろう。おつりは限度があり利息は元本がある限りいつまでも続く、と言うことだろうか。ボクは先日死に損なった。生き延びた。どう理解すればいいのだろうか。


(第3322話) おしゃれ心

2022年05月23日 | 行動

 “鏡に映ったわが身を見て、長らくおしゃれをしていないことに気付いた。新型コロナウイルスの影響で昨今の外出は買い物や散歩ぐらいで、衣服は数着で回し指輪もネックレスも身に着けなかった。マスクをするので化粧は簡単に済ませ、口紅を塗ることはなかった。このままくたびれた老人になってしまうのでは?不安に駆られてきた。
 春風を浴びての毎朝の散歩で奇麗な花を目にしたら、自分も明るい色の服を着て口紅をし装飾品も着けたくなってきた。やや高価なケーキでも買って「プチぜいたく」しようかしら。コロナ禍が収束して久々に会った友人から「いつまでも変わらないね」と言われたいな。”(4月26日付け中日新聞)

 三重県木曽岬町の主婦・柴田さん(女・72)の投稿文です。巣ごもりとマスク、この弊害はどのくらいであろう。柴田さんのようにおしゃれ心をなくされた人は数知れないでしょう。マスクでほとんど顔は見えないのだから、自然の成り行きです。人間は怠け者、すぐ自堕落になります。皆と接触することによって気持ちを盛り上げている面は多いでしょう。キチンとしていることによって若さも保たれます。
 先日もある雑誌を見ていたら「言われるままに巣ごもりした人と、人出の少ないこの時がチャンスと出回った人との差は大きい」とありました。特に高齢者は知らぬ間に体力が衰えています。ボクも一時控えていましたが、いろいろ見てこれではいけない、と感じました。そこで、老人会行事など再開できることは早くから再開し、自分も大いに活動してきました。旅行もよく行きましたし、今も行っています。


(第3321話) 優しい食生活

2022年05月21日 | 意見

 “スーパーの店頭には年中、キュウリはもちろんトマトやレタス、ブロッコリーが並ぶ。社会全体から季節感が消えて久しいとされるが、それだけ妙に旬という言葉に強く引かれる。この先やって来る暑さに思いをはせれぱ、体を冷やす効果があるという夏野菜を口にしたい。旬の時期の方が栄養価は高くて、みずみずしさを感じ、おいしい気がするのは私だけだろうか。
 今話題の持続可能な開発目標という意味のSDGsについて考えてみた。消費者の私たちがキュウリをなるべく旬の夏場に多く購入すれば、スーパーでもその時季を中心に並び、そんなニーズに合わせて農家も栽培するだろう。そうすれば季節外の生産に必要な燃料代やビニールハウス設置といった経費はいらなくなる。これって、資源の無駄遣いをなくすエコにもつながらないか。皆で知恵を出し合って、それぞれ協力して地球に優しい生活を実践しよう。”(4月26日付け中日新聞)

 岐阜市の会社員・染川さん(女・29)の投稿文です。若い人から旬という言葉を聞くとは思わなかった。これだけ年中野菜が出回っていればもう旬という言葉は死語ではなかろうか。旬の野菜がおいしいのは染川さんだけではなく、それが自然の摂理です。そして夏野菜を寒い時期に出そうとすれば燃料がいる。人間の勝手な欲望による資源の無駄使いである。染川さんはいいところに気づかれた。是非旬の野菜を多く使うようにして、季節を感じ生活を楽しんで欲しい。
 そういう点で言えばボクは優等生である。野菜はかなりのものを自宅で栽培している。昔はビニールトンネルなどを作り、夏野菜を少し早めに食べられるように努力したこともあるが、今はそれさえしなくなった。全く自然任せである。素人が少々の努力をしてもさほど変わらないことを知ったのである。多くのものを旬の時に食べる。そして旬の時に採れた保存がきくものはきかせる。芋類はそうである。またナスは暑い時に切って干し保存する。大根は切り干しにし、ゴーヤは佃煮にする。そしていずれも今食べている。


(第3320話) 消防団活動

2022年05月19日 | 活動

 “自治会長と消防団役員から勧誘されて二年前の四月に加わった地元の消防団活動を三月末で終えた。活動は毎月、土曜と日曜に二回ずつあった。土曜は消防車や徒歩での夜警をし、日曜は早朝から消防車のポンプを降ろしてホースを担いで走る水出し訓練をした。日ごろウオーキングやサイクリングをしてきたこともあって体力に自信があった私は、二十代や三十代の若手団員には到底かなわなかったものの、全体としては、何とかこなすことはできた気がしている。それにしても暑い夏場の防火水槽の清掃、いてつく年末の夜警は大変だった。長年、地元との関わりがどちらかといえば薄かっただけに、団員との触れ合いは新鮮で楽しかった。世話になった皆さんには感謝でいっぱいだ。”(4月25日付け中日新聞)

 愛知県愛西市の清水さん(男・67)の投稿文です。65歳で消防団に参加されたと言われる。消防団とはもっと若い人の集まりと思っていたので、ビックリである。言われるようにいろいろな訓練がある。そして実際の火事場となると危険も伴う。20代や30代の人と一緒にされたと聞いて感心する。いくら体力があると言っても比較できないだろう。楽しかったと言われるのでまずは安心である。
 さて、消防団活動は多くの地域でどうなっているのだろう。ボクの村でもボクの20代の頃はあった。ボクも実際に火事場に参加したことがあり、夜通し見守りをした経験がある。いつの頃かなくなった。消防団活動についてボクの周りの地域ではほとんど聞かない。ないのであろう。もう何度も触れたと思うが、今や多くの地域の団体活動がなくなっている。もう従来の活動はほとんどなくなると思った方がいい。でも本当にそれでいいのだろうか。


(第3319話) 安全な登校

2022年05月17日 | 意見

 “ぼくの通学路には、あぶない交差点があります。信号機も横断歩道もない交差点です。住宅街ですが、ようち園バスやトラックも通ります。ぼくは、三年生の時に、その交差点で車にぶつかりそうになったことかあります。その日からその交差点がこわくなりました。だけど、教頭先生が毎朝来てくれるようになりました。安全旗を持って、前後左右に目を向けて、ぼくたちが安全に登校できるように見守ってくれています。
 「おはようございます」と元気よくあいさつをすると気分がよく、今日も一日がんばろうという気持ちになります。四月からぼくは、はん長になります。教頭先生と同じ安全旗を持って、はんの子たちが安全に登校できるようにしたいです。また、気持ちよく一日が始まるように、あいさつもしっかりしていきたいです。”(4月24日付け中日新聞)

 続いて今月のテーマからです。ボクの地域では登校時の児童見守りを担当分けをして実施している。月曜日が老人会担当であり、4人で担当月を決めている。危険なある一カ所に旗を持って立つ。ボクも年に10回弱が立っている。ボクにとって数少ない児童との触れ合いの機会でもある。数班に分かれてやってくる。班長さんが先頭で来ていっしょに立ってくれる。ボクは「おはよう」と声かけをする。応えてくれる子もあれば無言の子もある。全部が通り過ぎるに20分くらいかかる。
 下校時は老人会では3組に分け、1組5人程度で担当している。上級生、下級生に別れて下校するので2回着いて歩くことになる。ボクは一番遠いので、往復2回すると5000歩くらいになる。ボクにはいい運動量である。多くの人はこんなには歩かないが、それでも辛いという人が増えている。方法を考えねばならない。


(第3318話) 電車から

2022年05月15日 | 行動

 “私は毎朝電車で通学している。窓の外を眺めながら電車に乗るのが好きだ。電車はいつも川の上を通る。その川は、天気や季節によって表情を変える。晴れた日はキラキラと水面が輝き、雨の日はどんよりしていて、川は私の気持ちを表しているかのようにいろいろな顔を見せてくれる。
 そして、もう一つ。大きな庭がある小豆色の屋根のおうち。その家の庭では毎朝必ずおばあちゃんが庭の手入れをしている。私はその庭とおばあちゃんが大好きだ。もちろん話したことはないけれど、庭の手入れをしているおばあちゃんはとてもかわいらしくて、見ているだけで癒やされる。「私もこんなおばあちゃんになれたらいいな」と思わされる。
 まだまだ、これからも新しい発見があるかもしれない。新たな景色を求めてワクワクしている私は、今日も電車に乗って学校へ向かう。行ってきます!”(4月24日付け中日新聞)

 「通学路」という今月のテーマから、美濃加茂高2年の堀江さん(女)の投稿文です。電車から眺める風景を楽しんでいる高校生である。
 今の電車の中の風景は何か異様さを感じる程である。ほとんどと言っていいくらい、皆うつむいてスマホを見ている。自分の周りの状況も知らぬままであり、人に対する配慮もない。ボクも昔は通勤時に本を読んでいた時代はあるが、電車の中で何もしなくなってもう何十年にもなろう。周りの人を観察し、外の風景を見ているか、ぼやっとしている。電車の中まであくせくする必要がどこにあるか、ここまで自分は時間を有効に使っているのだろうか、そう思ったのである。そう思えば電車の中の時間はゆとりである。思わぬ発見もある。特に季節の移り変わりはよく感じられる。それを堀江さんは実現されている。いいと思う。通学時間を楽しんで下さい。


(第3317話) 誠実さとは

2022年05月13日 | 出来事

 “蛍光灯が切れた。近くの大きな家電量販店に出かけた。ベテランらしき店員が言った。「この製品は特殊な物で、もう作られていません。うちでは扱っていません」。じゃあ、どうするの?新しいのを買えってことなんだ。別の量販店で聞いてこよう。で、だめなら諦めよう。「ありますよ、同じのはないですけど使える物が。多分大丈夫だと思います」。若い男性の店員がすぐに持ってきた。家に帰って早速試すと、ちゃんと点いた。
 別の日、屋外のセンサーライトが一つ切れた。大きな量販店に持って行くと「これは電球に製品番号のない特殊な物で、電球だけ替えるのではなく、そっくり全部替えないといけないですね。修理の外注業者に予約を取ってください」。ならいいか、まだ片一方が点いているから。ダメ元で例の量販店に出かけた。「はい、ございます。同じのはないですけど。多分大丈夫だと思います」。若い女性の店員が、そう言って持ってきた。外注で頼めば、数万円は覚悟して「四百七十五円です」。狐につままれるとはこのことである。
 点くはずなんかないだろう。そう思ったが、脚立に上り必死の思いでやってみた。夜、突然、煌々とライトが点いたではないか。”(4月23日付け中日新聞)

 愛知県愛西市の洋画家・宮尾さん(男・77)の投稿文です。壊れた電気製品が修理できれば儲けものと出かけたら、2回も続いて見つけられた。それも最初の店では断られてからである。こんなことが2回も続けば感激であろう。この文から見ると、見つけてもらった店は同じ量販店のようである。これはもう店の方針と品揃えである。ボクも店の名前を知りたいものである。
 今の時代、電気製品は壊れれば修理より、新しく買い換えることを勧められることがほとんどであろう。修理代も安くない。また新製品は性能も良い。古いものを後生大事に使っている時代ではないことも多かろう。冷蔵庫と一番よく使う居間の蛍光灯を買い換えた時に、電気代が驚くほど安くなってビックリした体験がある。今までの美徳が美徳にならないことを知った時である。
 今の時代、情報が氾濫し、それに振り回されているととんでもないことになる。フェイク情報も多いらしい。そして世の流れに流されることも危険を伴う。自分で判断し行動しなければならない。この流れはますます強まりそうである。


(第3316話) 散歩歴30年

2022年05月11日 | 行動

 “若い時分から有言実行をわがモットーにしている。小学校長だったとき、朝礼で全校児童を前にしての「校長先生のお話」と題した三分間スピーチで、取り上げる話題に困ることがあった。つい思い付きで「毎朝午前六時に起きて山道を一時間散歩することにしました」と。そう公言した以上後には引けず、愛犬ハナと一緒に歩き始めた。そのうち同じように散歩する犬や飼い主との交流が始まった。そのときどきの草花から四季の移ろいを感じ、スピーチの幅は随分広がってきた。
 教諭を退職した十数年後、ハナはこの世を去った。体力の衰えで時間や距離は短くなってきたものの、わが散歩歴は約三十年になる。”(4月23日付け中日新聞)

 愛知県知多市の清水さん(男・84)の投稿文です。ボクは昔、無言実行か不言実行と言う言葉はあったが、有言実行という言葉はなかったと思っている。いつからか有言実行という言葉が使われ出したと思っているが、いかがであろうか。そして無言実行は美徳の感があるが、有言実行は不遜の感がある。
 清水さんは生徒の前で、散歩をすると公言したことから始められ、それが今や30年になった。現在84歳で元気でおられるのもこの散歩のおかげであろう。まさに有言実行の成果である。そしてボクも若い頃から有言実行を言ってきた。それが何であったか、今では思い出せないが、過去を振り返って一つ見つけた。それは川柳東浦の会のことで、会がある限り続けます、と公言している。そして言ったとおりになった。それは35歳の時である。もう40年以上も前のことである。


(第3315話) 「穴太衆」

2022年05月09日 | 知識

 “私の住む三重県東員町に「穴太(あのう)」という集落があり、三岐鉄道北勢線の駅があります。その昔、琵琶湖畔・大津の石垣職人「穴太衆」が長らくここに滞在したと聞きました。そんな縁から穴太衆を主人公とする今村翔吾さんの直木賞作「塞王の楯」を読みました。絶対破られないような石垣を造れば戦はなくなるとする穴太衆に対し、鉄砲職人の国友衆はどんな城も落とす鉄砲で恐怖を天下に知らしめれば誰も戦をしなくなると主張して対決する場面は実に印象的でした。現代の抑止力にも重なる気がしました。
 かつて桑名城の石垣に携わったと聞くわが東員町の穴太衆にもそんな志があったのでしょうか?”(4月22日付け中日新聞)

 三重県東員町の水谷さん(男・80)の投稿文です。続いて本を読んでの投稿文です。この「話・話」 でたまたまがよくあるのが面白い。そしてこの投稿文で石垣か鉄砲か、この主張が気になる。今、ウクライナ・ロシアの戦争の最中である。そしてこの戦争で、日本も武装化論争に拍車がかかりそうである。まさに石垣か鉄砲かである。そして論争をすれば、いつも強気の方が優勢になるのが気にかかる。
 ボクは夢ごとで馬鹿かと言われるだろうが、無防備がいいと思っている。仕掛ける方に抵抗するから戦争になるのである。抵抗しなければ戦争にならない。そして抵抗しない国に仕掛けられるだろうか。そんな国に仕掛けたら世界中が許さないだろう。今の時代戦争に勝っても負けてもとんでもない大きな被害を負う。こんな主張をする人はいないだろうか。


(第3314話) 「あおいくま」

2022年05月07日 | 知識

 “芸人コロッケさんの著作「母さんの『あおいくま』」を読みました。題名から青いクマの縫いぐるみを想像しましたが、お母さんが書いて家の柱に貼った紙の言葉にまつわるものでした。その言葉とは「あせるな おこるな いばるな くさるな まけるな」。それぞれの頭文字を取ったものが「あおいくま」でした。
 母子家庭だったというコロッケさんはお母さんの悪口を誰かに言われても「まけるな」を思い出して心を奮い立たせ、芸能界に入った後も仕事がなかなかないとき「あせるな」を何度も口に出して乗り越えてきたそうです。あの明るいキャラクターが際立つコロッケさんの知らざる一面が垣間見られた気がしました。
 シンプルで思い出しやすい「あおいくま」は何ていい言葉なんでしょう。落ち込んだり迷ったりしたときはもちろん、調子が良くても自分に言い聞かせたいと思っています。小学校六年生の息子にも教えてあげたいです。”(4月19日付け中日新聞)

 名古屋市の教員・青山さん(女・50)の投稿文です。初めて聞く語呂合わせである。「あせるな おこるな いばるな くさるな まけるな」の「あおいくま」である。自分自身を戒める言葉である。いずれも起こしやすい感情である。
 実はボクは最近、よくこの感情に侵されている。それも若い人との対応に多い。本当に若い人のことはよく分からない。先日は大学の先生からもこの言葉を聞きビックリした。若い人を導く人からである。ボクなどほとんどが同世代の高齢者の対応が多いので、良かったなあ、と言う気持ちを持った。自分中心で、プライドが高い気がする。高齢者を敬え、などという気はないが経験の差は大きいと思うが。たまたまならいいが、多くがそうだとすると、この面でも先が思いやられる。この言葉を覚えて欲しい。


(第3313話) 耳かき

2022年05月04日 | 出来事

 “ちょうど六十年前、古い家の離れを借りて夫と新婚生活を始めた。しばらくして耳かきを買おうと近くの小間物屋に行った。店先で出してくれたのは竹製のもので五円だった。象牙製のものもあったが、こちらは百円と高価で、竹製のとは二十倍の差があった。銭湯に入るのが十五円だった時代。百円はすごく高く感じたが、迷った挙げ句、長持ちしそうな象牙製を購入した。使ってみると心地が良く、気付けば三月下旬、私たち夫婦と一緒にダイヤモンド婚を迎えた。
 耳かきの先端の白はやや透明に変色してきたが、まだ使えそう。この先も、ずっと大切にしていこうと思っている。”(4月15日付け中日新聞)

 三重県鈴鹿市の主婦・米川さん(85)の投稿文です。タイトルは「耳かきと歩み60年の愛」とある。耳かきに愛か・・・60年ともなるとそう言う思いになるだろう。耳かきなどそんなに傷むものでもない。新しいものに変える時は、なくした時か新たないいものを手に入れた時くらいであろう。米川さんは高価な象牙製のものを購入された。それがこの結果であろう。やはり高価なものは大切に使う。
 ボクの使っている耳かきはいつからのものだろうか。ヒョッとしてもう何十年かもしれない。米川さんに負けないかもしれない。でも、どうして手に入れたかの記憶がない。その点米川さんはよかった。ダイヤモンド婚を祝う相棒がいたのである。
 他にこんな小物はないかと、ボクの身の回りを見たら、櫛を掃除するブラシがあった。100円ショップで買うようなものだが、就職してまもない頃職場のボーリング大会でもらったなものである。今も時折使っている。


(第3312話) 絵手紙

2022年05月02日 | 行動

 “この冬ほど寒さが身に沁みたことはない。降雪の日が多く、気温の低い日が続き、家に籠もりがちであった。桜だよりが聞こえる頃、姉から絵手紙が届き、一瞬で氷が解けるように心が癒やされた。風になびく爽やかな「すすき」の絵に魅了された。
 私も描いてみたくなり、基本も知らないまま、畑にあった蕪を丁寧にスケッチし、近況を添えて返信した。「味わいがあったよ」との姉の言葉に気を良くし、絵と文があれば絵手紙だと、独り善がりな理屈をつけて、自己流の絵手紙を描き始めた。
 しっかりと見つめ写生をすると、梅の花びらが五弁だと気づいたり、不用になったねぎ坊主がかわいく思えたり、雪の下から春を告げる蕗のとうが現れるのを見つけたり、今まで気にも留めなかった小さな発見もあり、面白い。今では妹とも交換するようになり、コロナ禍で制約されがちな生活の続く中、彩りを添えて心の豊かさを保っている。
 「下手でいい、下手がいい」という言葉を聞いたことがある。姉妹とも夫を亡くし、独り暮らしを余儀なくされている。三年余りも会えていない姉たちに、下手でいい、ぬくもりのある絵を描こう。温かみのある便りを心がけようと、無粋な絵手紙を楽しんでいる。”(4月13日付け中日新聞)

 三重県東員町の種村さん(女・81)の投稿文です。ボクも種村さんと全く同じような気分を味わっている。種村さんが絵手紙を始められたのはいつのことだろう。この文からするとまだ数週間の気がするが・・・。ボクは昨年10月からである。「己書」という2時間ばかりの講座を受けて、始めてしまった。もう40作以上書いた。絵手紙と己書の違いも分かっていない。己書と言って分かる人は少なく、人に説明する時「絵手紙みたいなもの」と言っている。ボクもまさに自己流である。己書を真面目にやっている人に申し訳なく思い、我流書とも言っている。この歳になって新たなことを始めたことに、自分でも感心している。やはり人は年齢に関係ないようだ。心がけの問題であろうか。ボクの机の上に貼ってある「永遠に生きると思って学びなさい」の通りである。
 「下手でいい、下手がいい」の言葉もありがたい。下手こそ味わいがあることもあるのだ。ボクはまだいろいろ試し中である。できれば「これがボクだ」というものを見つけたいと思っている。下手の中に見つかるかもしれない。

 


 


柳&ウォーク