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第214号  2022年4月


 

(第3311話) 遺影探し

2022年04月30日 | 行動

 “親しい友が続いて天国に召され、自分もいつどうなるか分からない年齢となり、遺影を用意しておこうと考えた。アルバムの写真の私は、楽しそうに笑っている。何度も旅行に出してくれた家族や、健康で過ごしてこられたことに感謝している。
 十年くらい前の六枚の写真を気に入って選び出した。主人が「今の写真を」と言うので、眉と口紅を少し足して三枚ばかり写してもらった。出来上がった写真は、白髪交じりで顔には黒いしみと深いしわの年老いた女の顔、姿。「これが現実」の声とともに、思わず破り捨ててしまった。結局、昔の六枚の写真を二組に分けて、若めに見える四枚は、仏壇の右の引き出しの目につくような所に入れた。子どもたちが見たら、すぐに見た目が違うと「却下」してしまうだろうけれど。やや老けて見える二枚は、左の引き出しの奥の方に入れておいた。
 長いマスク生活で、すっかり自分の顔を忘れてしまったのだろうか。女とはいくつになっても、少しでも若く見られたいと思うバカな生きものらしい。運命のいたずらで、もう少し長く生きられたら、左の引き出しの写真も「却下」されるかもしれない。”(4月5日付け中日新聞)

 愛知県高浜市の主婦・加藤さん(85)の投稿文です。遺影の写真も難しいものである。今の時代は一般葬が少なくなり、葬儀に参列する機会は減った。よく参列していた頃、遺影の写真に驚くことも度々であった。事前に準備されていることは少ない。残された家族が適当写真を探し出し、使う。いかにも若い写真、ふさわしくない服装、物調面の顔などもあった。ボクの場合、父の時は適当に探し出し、母の時は用意をしておいた。
 加藤さんは自分で使って欲しい写真を数枚用意された。自分の葬儀である。主役である。自分の希望を託すのも良かろう。葬儀の仕方を希望する人も多かろう。残された人が困らないようにこのようにするのが賢かろう。
 妻からこんなことを話し掛けられながら、今のところ何ら用意はしていない。まだ先のことと思っているからであろうか。そういう話に触れたくないからであろうか。ソロソロ本気で取り組むことか。


(第3310話) より良い地域へ

2022年04月28日 | 活動

 “知人に誘われたのを機に五年ほど一人暮らしの高齢者向けに弁当を週一度作る地域ボランティアに参加しています。作業を終えると温かみとすがすがしさを覚え、改めて地域とともに生きているんだという気持ちになれます。この活動は私が幼いときから自治会や社会福祉協議会がずっとやっているものです。
 小学生の登下校や高齢者の見守り、災害時の避難所運営、子育てサロンや健康講座の開催とボランティアは多岐にわたっています。長引く新型コロナウイルスの影響で再開できていない活動もあると聞きますが、ボランティア人口がもっと増え、さらに暮らしやすい地域になればいいなと思っています。”(4月4日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・中嶌さん(40)の投稿文です。より良い地域にするためにボランティア活動に参加する。こんなことを40歳の主婦の方から聞く。嬉しいことである。今の若い人は優秀である。いろいろなことができる。そして興味あることに飛び込む人は多い。ところがやはり忙しすぎるのか、一般には無関心な人が多すぎる。特に、働く期間が長くなって、仕事を辞めた時にはもう関わりたくない、という人が多すぎる、というのが問題だとボクは思っている。
 ボクはこの4月から、昨年中断となってしまったあいちシルバーカレッジに参加している。第1回目の講座は「ボランティアができるって幸せ!」という題であった。ボランティアをするには「健康、円満、ゆとり」があることが条件とあった。もっともである。この3つが揃えばもうそれだけで幸せである。その幸せの恩返しとボランティアをすることによって増幅させるのである。ボクもいろいろボランティア活動に関わってきた。関われるありがたさを感じてきた。このシルバーカレッジで再び委員長に推されてしまった。この1年は参加者にいかに喜んでもらえるか、その工夫を凝らすことがまた増えてしまった。


(第3309話) 3年ぶり

2022年04月26日 | 活動

 “江戸時代から続く三百八十八回目の犬山祭が二日、愛知県犬山市で始まった。新型コロナウイルスの影響で二年続けて中止になっていた豪華絢爛な車山の巡行も三年ぶりに復活した。主催する祭保存会は、車山の運行技術の伝承を目的に今年の開催を決定。例年のような集客はせず、運行範囲も狭めるなど規模を縮小した。
 法被姿の若者らが、太鼓や笛を奏でる子どもたちを乗せた車山を威勢良く押して犬山城下を進んだ。夜にはそれぞれ三百六十五個のちょうちんで飾る「夜車山」があり、昼間とは運った華やかな姿を見せた。友人と三人で訪れた名古屋市名東区の古橋エツ子さん(八〇)は「地元の人たちがすごく伝統を大事にして、老若男女で楽しんでいることが伝わってきた。感動しました」と話していた。”(4月3日付け中日新聞)

 記事からです。コロナ禍で中断した行事をどうするか。コロナ禍はまだ収まる気配を見せない。しかし、これ以上中断してしまうともう復活が及ばない。そんな行事も多かろう。そして、もうやむにやまれず、規模を縮小して再開する。この犬山祭りもその一つであろう。今年はこんなことが多くなると思う。でもそれはまだ存続させようと思う働きがあるからいいのである。あきらめて廃止してしまうことも多かろう。止めたらもう終わりである。
 もっと小さなことながら、ボクの周りでも瀬戸際に立たされているものがたくさんある。例えば妻が所属している料理教室である。妻は最も古い会員になり、今年再び会長を務めている。数年前までは会員の空きを待つほどに盛況であったが、このコロナ禍で待つ人どころか会員が半分になってしまったという。開催しないから辞めてしまうのである。そこで今、妻は5月開催を企画した。今回は参加者を事前に聞いているようである。どういうことになろうか。
 コロナに対する考えは今や様々である。あくまで慎重である人、引き籠もっていることの方が問題だと思う人、その他いろいろである。結果論かもしれないが今の状況を見れば、政府や行政、マスコミが感染者の数字ばかり示し、自粛ばかり求めた方が問題であった、とボクは思っている。


(第3308話) 4年後のおやつ

2022年04月24日 | 行動

 “我が家では、九月一日の「防災の日」を、防災袋の食料品の「賞味期限点検の日」と決め、毎年確認してリストを作っています。去年は飲料水とサバ缶を新しいものと入れ替えました。今年三月に入って、賞味期限間近となった非常食用のチョコ味のようかんを新しいものに入れ替えました。ホームセンターで購入し、リストの賞味期限を「2026年9月」と修正しました。用済みになったようかんは、おやつに妻と二人でおいしくいただきました。
 考えてみると、次の賞味期限は四年後、私は八十八歳のじい様です。果たして高カロリーのあのようかんを体が受け付けてくれるかどうか心配になり、再度ホームセンターの防災グッズコーナーに向かいました。保存食の品数の多さに品名と賞味期限を追記し、防災袋に収めました。
 四年後、お役目御免のようかんは妻が、私は元気で長生きしたご褒美として、缶入り醤油せんべいをおやつにいただきます。何はともあれ、それまでにあの缶の蓋を開けるような災害が起きないよう、ただただ神に祈るばかりです。”(4月3日付け中日新聞)

 静岡県湖西市の大川さん(男・84)の投稿文です。ボクの家も全く同じような生活をしている。防災用食品の賞味期限が近づくと、それを食べ、新たなものを買い入れる。今の防災食品は結構食べられるのである。妻の説明を聞けば、レンジに入れるか、湯に入れるか、そんなことで済んでしまう。これは前回の自然食品とは全く違ったものであろう。それでもこれは緊急時である。やはりものも使いようである。そしてこの管理は全く妻の仕事になっている。これは少々訂正しなければいけないかもしれない。
 いつ起こるかもしれない災害対策は全く難しいと思う。身近に起きたときはやらねばならないと思うが、自分の生涯の間に起きるか起きないか分からないようなことを続けることは並大抵ではない。でも妻は阪神震災以来だと思うが続けている。そしてその後もいろいろな知識を身につけて進化している。


(第3307話) 同じ給食

2022年04月21日 | 出来事

 “中学校一年生の長男には卵と牛乳のアレルギーがあり、幼い頃は少しでも食べるとじんましんやせきが出たため、小学校四年生の途中まで学校に弁当を持たせました。皆が給食を口にする間、一人で弁当を食べる姿を想像するだけで心が痛みました。そこで担任の先生にお願いして、クラスの友達にアレルギーのことと息子の状態を伝えてもらいました。病院の先生の勧めもあって数年にわたる負荷試験での治療を続けた結果、やがて皆と給食を食べられるようになりました。そのときはクラス中の拍手を浴びたそうです。長男はとても喜び、それから前向きになりました。
 支えてくれた皆さんには感謝でいっぱいです。長男にはその気持ちをこの先も忘れないでほしいでです。”(4月2日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の施設職員・植田さん(女・42)の投稿文です。アレルギーで食事が制限される子供の多さにはビックリするばかりである。実はボクの男孫二人もアレルギーが強い。小さい頃から苦労し、今も苦労している。どの程度の苦労か、同居していないボクには本当のことはよく分からない。
 植田さんの息子さんは、そのことを同級生の皆に告げ、克服した時には皆から拍手を受けたと言われれる。本当によかったことである。こう言った良い体験は今後に生かされていくでしょう。お母さんの心配はないと思います。
 ボクらの頃にアレルギーの子はいたのだろうか。ボクが知らなかっただけか、でも聞いたことがない。食生活始め大きく生活が変わったことが影響しているのではなかろうか。人工的なものはあまり食べなかったし、もっと自然の中で生きてきた。人間は生物である。人工的なものが良いとは思えない。それでも寿命は飛躍的に延びた。単純なことではない。でも元気に生まれ、元気に過ごし、元気に亡くなりたい。寿命が延びるのが最重要とは思えない。


(第3306話) ガイドに区切り

2022年04月19日 | 活動

 “愛知県犬山市にある博物館明治村で二十年間務めたガイドボランティアを三月いっぱいで辞めた。六十歳で会社を退職してから週に一度通ってきた明治村には国内外から多くの老若男女が訪れ、その都度いろいろな学びがあった。明治時代の警察官の格好をしての会話は楽しく、とてもいい経験になった。最初は百人いたボランティアー期生も気付けば十人ほどになっていた。ガイドを辞めて一年以内に亡くなった人も数人おり、後で聞くと気持ちの張りを失ったことが一因になったようだ。
 私も数年前、大きな病を二つ経験した。死亡率が高いとされる手術を受けたが、元気に復帰できた。「無理せず毎日少しずつ」という妻の言葉を胸に、この先もウオーキングしながら健康維持に努めたい。”(4月1日付け中日新聞)

 愛知県犬山市の的場さん(男・80)の投稿文です。少し知的なことに興味ある高齢者に、ガイドボランティアは絶好の対象であろう。的場さんは明治村で20年務められた。いろいろな思い出があろう。良い余生であったと思う。
 ボクはガイドボランティアになるより、そんな人にお世話になる役に回った。そして多くのガイドボランティアさんにお世話になった。そしてこうした人の熱心さは全く驚かされる。一宮友歩会の4月例会で東浦の方にお世話になったばかりである。40名程のの参加者に8人もの人に来てもらった。2班に分かれて説明を受けた。これは向こうからの提案であった。受けたボクにもいろいろな思い出がある。下見から付き合って貰った人、予定外にも、急きょいろいろなところで説明をしていただいた方、弁当を持ってきていっしょの歩いてもらった方、熱心すぎて予定の一部しか歩けなかった例会もあった。本当に驚く熱心さである。これはいつでもそうであった。ボランティアさんの出番もこのコロナで全く少なくなった。本当に困ったコロナである。


(第3305話) 寛容な心で

2022年04月17日 | 意見

 “良いことも悪いことも忘れず、その結果から各過程をたどって問題があったかを考えることが将来必ず役に立つと信じてきました。それなのに私も加齢からかこの十数年、物忘れの頻度が増え、もどかしさを覚えるようになりましたが、二年前に逝った父の介護を通じ忘れることにもっと寛容にならなきゃと思うようになりました。
 父の認知症がひどくなった際、大好きなあんこ入りのまんじゅうを差し出しながら私が「昔は大変だったけど今はまんじゅうが食べられて幸せだね」と言うと穏やかな笑みを浮かべてくれました。父は早くに父親を亡くして苦労したつらい記憶は忘却のかなたで、何だか妙に幸せそうでした。”(3月31日付け中日新聞)

 愛知県稲沢市の主婦・今井さん(61)の投稿文です。「良いことも悪いことも忘れず」、これはこれで有用である。良いことは励みになるし、悪いことは反省し、次のステップにつながる。しかし、若い時はそうかもしれないが、老いてはどうだろうか。今井さんは、父親を見て忘却もいいものと感じられた。いつまでも悪いことを思い出していては気持ちも晴れないだろう。自分自身も寛容な心で受け入れる。
 ボクも今全くそんな気持ちでいたいと思っている。寛容な心でいたいと思っている。ボクはこの歳にしてはいろいろやっている方だろう。やればやっただけいいことも気になることも悪いことも起きる。気になることや悪いことに心を占められるのは、それ以上に面白くなくなる。そんなことに時を費やすのはもったいない気がしてくる。早く忘れた方がいい。今年は神社総代最後の年になるし、1年間のシルバーカレッジの委員長も引き受けた。老人会会長や一宮友歩会会長は続く。当然いろいろ起ころう、寛容な心で進めたい。


(第3304話) 血や肉に

2022年04月15日 | 人生

 “中学生だったとき、図書室の本を全て読むことに挑戦した。憧れていた先輩が本好きだったこともあり、先輩が借りたものを読破したいとの単純な動機だった。三年かけて読破した。その十数年後、私は国語教師として母校に赴任した。図書室の授業で生徒に「私の名前が残っている本の貸し出しカードを探して」と言うと、皆宝探しのように取り組んでくれた。そんな古いカードが残っていたのはあまり人気がない、古びた文学全集に多かった。満面の笑みを浮かべ「見つけました」という報告のたび、「せっかくだから読んだら」と勧めてみた。
 読書から学んだことは私の血や肉となり、今に至っている気がする。若者には今のうちからたくさんの本に触れてほしいと切に願う。”(3月25日付け中日新聞)

 愛知県清須市の公務員・富田さん(女・63)の投稿文です。またまた楽しい巡り合わせである。中学生の時、図書室の本をすべて読もうと挑戦されたとはまた凄い挑戦である。そして読破された。十数年後、国語教師として母校に赴任された。そして生徒に「先生の名前の書かれた貸し出しカードを見つけて」といわれる。こんな話ができる人ってあるだろうか。そして、自分の体験、実感を話される。読書の大切さを教えられる。本当に幸運な富田さんと思う。いろいろな人生があるものだ。
 ボクを振り返れば、本をあまり読まなかった人生と思う。最近など特に読んでいないと思う。ここら辺りは大きな損失であったろう。大きな喜びを味わえなかった人生だったかと思う。今はもう目も根気も追いついていかない。


(第3303話) 伸びしろ

2022年04月13日 | 人生

 “鍼灸マッサージ師として夫と治療院を営んで二十七年目となった。技術向上のため四半世紀世話になってきた大阪の勉強会へは今も月に一~二度参加していて、「教わったことを体得できるまで」との思いで通ってきた。講義と実技を繰り返すうち、ここ数年はそれまでよく分からなかった理論や技術が頭と体に溶け込んできて治療成績も良くなったように思う。改善点を指摘されたことで、それがさらなるモチベーションにつながっている。
 来年六月で六十歳となるが、自分にはまだ伸びしろがあるように思え、引退は考えていない。九十七歳の現役看護師がいるとの記事を最近読み、驚くとともにわが背中を押された。体が動く限り、誰かの役に立ちたい!”(3月22日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の鍼灸師・四ッ谷さん(女・58)の投稿文です。もう還暦に近い人が、まだ伸びしろがあると主張される。これは職業によるだろうか。自分の技術で生きている人だからであろうか。ここ数年、治療成績も良くなったと感じておられる。それならよりまだこれからと思われて当然であろうか。寿命は長くなった。四ッ谷さんにはまだ40年の人生があるかも知れない。まだ終わる歳ではないし、鍼灸師をやっておられる間はこの気持ちで過ごして欲しいと思う。
 勤め人であったらもう定年、いや定年でなくても職場の扱いが大きく変わる人は多いだろう。退職されて第二の人生に入る人も多かろう。ここが自営業か勤め人かで大きく違うところである。この歳まで来れば、もう振り返って良い悪いではない。これまでの人生から次のことを考えるだけである。全く違った道を進むことによって、伸びしろが大きくなることもある。先を見ることによって楽しみも生まれる。


(第3302話) もどってきて! 

2022年04月11日 | 出来事

 “朝、明るくなってから行ってみた。昨日、夫が落ちた場所へ。雪のまだ残った土の上に脚立が倒れていた。そこから奇妙で不規則な線が六十メートルほど続いている。骨折して鉛のようになった左足を引きずりながら地面を這った跡だ。春になると濃いピンクの花を咲かせるアーモンドの木。ここ数日、夫はヘルメットを被って、その高い木を剪定していた。まさか救急車を呼ぶことになるなんて。
 予定されていた手術終了時刻は、もうとっくに過ぎている。遅い。何か予期せぬことが起きたのだろうか。いつもふざけている私の横で、呆れてニヤニヤしている夫に二度と会えなくなったら・・・。体が震えてきた。「どうしよう」という言葉しか出てこない。もっと優しくできたのに、私は・・・。涙が次から次と出てくる。「大変な手術で長くかかってしまいましたが、無事に終わりました」と、医師からのありがたい電話があった。
 颯爽と自転車に乗って図書館に通う夫。どんなに暑くても「俺の夏だ!」と言って野菜をたくさん作ってくれる夫、大好きな日本酒を嬉しそうに飲む夫。そんな夫の姿を、また見られる。この家の中で笑ってくれる。そう思うと、また涙が次から次と流れてきた。さっきとは違った涙が。”(3月13日付け中日新聞)

 長野県豊丘村の主婦・原さん(65)の投稿文です。先回に続いて、当たり前と思っていたことが当たり前でなくなった時の騒動である。当たり前と思っていたことは、本当はいろいろな人の助けと大きな幸運がついていたのだ。そうでなくなった時に始めて気づくのである。こんなことをいつも思って過ごすのは難しいが、1日に1回でもそんな時間を持つことはしようと思えばできるのである。ボクは多くの日、朝の散歩で神社寺院に参拝する。その時「生かされている」ことに感謝を述べることにしている。元気でおられるのは自分の努力だけではとても及ばない。その他の大きな力が働いているのである。こんなこと言えるようになったのはまだ数年前からのことである。
 庭で脚立に乗るのは本当に気をつけねばならない。多くのけがをした人を知っている。亡くなった人もある。まず不安定な地盤の上に立てる。よく場所をわきまえて設置する必要がある。そして乗っても気をつけねばならいことばかりである。ボクも庭木の剪定をするが、数年前にほとんどの木を背丈くらいの高さに切り落としてもらった。見かけは全く悪くなった。でも、これで脚立に乗る回数はグッと減った。危険は少なくなったが、それでも高齢者に剪定は危険な仕事である。


(第3301話) 当たり前

2022年04月09日 | 教訓

 “昨年六月に腰をひねって圧迫骨折し、リハビリのために毎夕、十五分ほど散歩している。その途上、墓園の入り口の石碑にある言葉と出合った。「この世に生まれ、多くの人と共に生きた喜びをここに!」。全くその通りだと思った。今までいろいろなことがあったが、親や夫、姉弟、子ども、孫、友達をはじめ大勢の人たちとつながったことで私はここまで来られたのだ。
 もう半世紀前に読んだ本に「当たり前が当たり前でなくなった時に初めて本当の当たり前の良さを知る」と書かれていたっけ。石碑の前で立ち止まり、あの言葉を胸に刻みつつ何げない喜びへの感謝を忘れないようにしようと思っている。”(3月10日付け中日新聞)

 愛知県碧南市の小笠原さん(女・72)の投稿文です。人間は一人では生きられない。生まれてからどれだけ多くの人の手を借りただろうか、考えるまでもない。しかし平穏な時、それは当たり前であまり意識することもない。しかし何かことがあり、それが普通にできなった時、その当たり前のことの良さを知らされる。老いればよりそうであろう。小笠原さんは圧迫骨折をされ、今までの当たり前のありがたさをより感じられた。そしてますます人の手を借りることになる。
 老いると言うことは、昨日まで当たり前にできたことができなくなるのである。ボクも少しずつ感じてきているが、まだそれ程でもない。これからであろう。覚悟はしておかねばならない。それが少しでも遅くなるように、ますます精進していかねばならない。本当の勝負はこれからである。
 先日3月31日に檀那寺で春期永代経が務まった。その時の法話で正信偈の中の「憍慢」の意味の説明があった。当たり前にすること、と言われた。当たり前にする人は悪い人となる。世の中に当たり前はないのである。


(第3300話) 叔父

2022年04月07日 | 行動

 “私には十六歳上の叔父がいる。叔父は、お小遣いをくれる時に、いつもメッセージを添える。その言葉一つ一つが毎回、私を後押ししてくれる。例えば、私が大学受験を控えていた頃のことだ。封筒の中には次のようなことが書いてあった。
 「最善を尽くして、結果を目指してね。でも、結果だけでなく、身につけた知識や経験も結果と同じくらい大切です。大学も部活も、今のをももさんにとって大切かもしれませんが、ももさんの長い人生からしたら一通過点にすぎません」私はこの言葉のおかげで、以前は睡眠をたくさん削ってまで勉強していたが、気持ちが少し楽になった。そして体を大切にすることの方を優先しようと思った。
 実際、叔父も公務員試験の時に寝不足でアトピーがひどくなったそうだ。体調管理に気をつけることができたので、最後まで体を壊すことなく、受験勉強に取り組めた。その他にも大学進学後のアドバイスをもらった。今後も初めての一人暮らしや社会人になった時など、たくさん不安なことが出てくるだろう。そのような時には、人生の先輩であり、経験豊富な叔父に相談し、有意義な生活を送れるようにしたい。”(3月9日付け中日新聞)

 浜松市の高校3年生・赤堀さん(女・18)の投稿文です。小遣いを渡す時に、メッセージを添える。こういう知恵があったのか・・・。小遣いをもらう時なのだから素直に聞けるか、逆に恩着せがましいと鬱陶しがれらるか、これはもう通常の両者の気持ちであろう。ただ小遣いを渡すだけでなく、何か一言を添えるのは非常に好ましいことである。そして赤堀さんは18歳と若い。これからいろいろな出来事に出合うであろう。悩むであろう。この叔父さんはそんなとき大きな助けになろう。今年1月から沖縄で一人暮らしを始めた孫が、会う機会は減ったが、何か身近になった気がしている。先日来た時、ボクの己書を見せたら非常に気に入り、「父母があり先祖ありて自分がある」という己書を持っていった。何か感じる気がしてきたのだろうか。
 ボクの家では小遣いを渡すのは多くの場合孫である。妻は何かに付け小銭を渡し、何かの記念になるような時はボクから渡している。一言言葉は添えるが、これが文字であったら更に心に残ったであろう。もう大きくなり渡す機会が減ったので、惜しいことをした。


(第3299話) 孤独

2022年04月05日 | 意見

“  【孤独は山にな<、街にある    三木清】
 昔、学生であった頃、古本屋で三木清の『人生論ノート』をみつけた。そしてそのなかにこの言葉を見つけて、ひどく動かされたことがあった。毎日、大学に行きながら、そして同級生たちと言葉を交わしながら、お互いに心に響く言葉をかけあうことがなかったからかもしれない。そんなとき、この逆説的な言葉が心にしみた。
 三木は「ひとは孤独を逃れるために独居しさえする」と言う。たとえぱ自然のなかに一人身を置くとき、小さな草花や深い木々の緑がひそかに語りかけてくれることがある。それに応えて草花や木々に語りかけることもある。おそらくこのようなつながりが孤独をいやしてくれるのであろう。
 三木のこの逆説的な言葉を目にしたとき、物事は、いつもと違った方向から眺めることによって立体的に、そして豊かに見えてくるのだと感じたことを思い出す。それが哲学を学ぶきっかけになったかもしれない。”(3月8日付け中日新聞)

 「今週の言葉」から哲学者・藤田さんの文です。ボクには藤田さんが言われること以上に何も言う知識はないが、孤独には見かけ上のひとりぼっちと、精神上のものがある。この三木清の言葉で言えば、山では見かけ上の孤独であるが、精神的には実はそうとは言えない。逆に町では見かけ上はたくさんの人がいて一人ではないが、精神的には孤独な場合が多い、ということであろう。これは誰もが感じたことであろうし、今も感じておられるかも知れない。
 ボクの周りにもたくさんの人がいる。それのほとんどが、趣味やボランティアなど何か目的とした繋がりである。個人的なことを話している人はどれだけあるであろうか。当然何かの折に話すことはあるが、恥部のようなことまで話す人はほとんどなかろう。今までは、妻も健在で、妻以外に話す必要もなかった、ということであろうか。こう考えるとこれからである。どちらかが先に逝く。その時からである。本当の孤独になる。この孤独を救ってくれる人はあるだろうか。心許ない。


(第3298話) 一通の手紙

2022年04月03日 | 出来事

 “絵手紙に添えられた美しい文字の葉書を受け取った。「突然、ビックリさせてごめんね。私、○月中旬から○○の緩和ケア病棟に入りました。幸せを下さった方々に一言お礼が伝えたくペンを走らせています。娘が年中組で受け持ってもらったのが最初。いろんな思い出が山ほどあります。突出された趣味の数々が羨ましく大らかなお人柄、いつも笑顔がありました。大勢のご家族で素晴らしい!私もこのたび十人の家族が心からの送り出しをしてくれました」
 内容を理解するまでに、しばらく時間がかかった。短大を出たての私が四十数年前に出会った幼稚園の保護者の一人。受け持ったどのクラスもとても協力的、まとまりが良く、仲も良く、数組の親子で田舎まで来て、野菜の収穫や五平餅を楽しみ、出産した時には飛んで来てくださるなど、いろいろな形で交流していた。
 私は返事の来ない手紙を送り続けたが、数週間後、息子さんより「穏やかに家族に見守られて旅立ちました」と連絡を受けた。知的な彼女を尊敬し憧れていた。料理も上手で、頂いたパンの味は忘れられない。彼女の潔い最後のお姿に拍手し「あなたに出会えて幸せでした」と手紙を仏前に供えた。”(3月5日付け中日新聞)

 岐阜県土岐市の原田さん(女・77)の投稿文です。ボクもこの投稿文を何度も読み直した。死を間近に感じられた人が、いろいろな人にお礼の手紙を書かれていた。その人は、原田さんが受け持った幼稚園年長組だった幼児のお母さんに当たる人であった。短大を出たてとあるから、原田さんがまだ20歳くらいの時の出会いである。40数年前でなく、もっと前ではなかろうか。この文からはその後も交流されていたように思われるが、いずれにしろ記憶から遠くなるくらい昔の出会いである。
 しかし、このお母さんの行為には驚くものがある。死を間近にして、幸せを下さった人にお礼の手紙を書く。この冷静さと行動力には感銘である。「幸せを下さった人」という言い方も凄い。こんな表現できるだろうか。感謝の日々で過ごされたであろう。感謝の日々で過ごすというのは幸せの極みである。この手紙から数週間後に亡くなられている。本当に死の寸前である。誰もがこんな死を望むのではなかろうか。でも望んだだけでは叶えられない。それに伴う行動が必要である。


(第3297話) なごやめし

2022年04月01日 | 知識

 “県や名古屋観光コンベンションビューローなどでつくる「なごやめし普及促進協議会」は四日、一月末から実施していた「一億人のなごやめし総選挙2022」の結果を発表した。一位はひつまぶし、二位はみそカツ、三位は手羽先、四位はみそ煮込みうどんだった。上位四品目は、二〇一五年に実施した人気投票でも、順位の変動はあるものの、同じ顔触れだった。しかし一五年に十一位以下だった小倉トーストとモーニング、名古屋コーチン、工ビフライが、今回はトップ10に入った。一方、一五年に六位だったあんかけスパは十四位、八位のどて煮は十三位、九位の鉄板スパは十一位、十位の台湾ラーメンは十六位という結果になった。
 投票は一月三十一日~三月一日、協議会のホームページで実施。二十八品目の中から、お薦めしたいものや食べてみたいものを一日一回、最大で八品目選ぶ方式を採った。延べ十五万五千四百四十一人が投票し、総得票数は六十二万九千四百六十票だった。選択肢にないとして自由記入欄に書かれたものでは、しょうゆたこ焼き、たませんが一定の票数を集めた。協議会は今回の結果を踏まえて誘客に取り組むとともに、各飲食店にも参考にしてほしいとしている。”(3月5日付け中日新聞)

 記事からです。さくらさんが、今年3月号の川柳連れ連れ草第243号に「懐かしのなごやめし」と題して、ひつまぶし、モーニング、あんかけスパ、味噌煮込み、味噌カツを句にされている。この記事に全く通じるものである。さくらさんは結婚する前に名古屋に住まわれていた。今や別のところに移られて、懐かしくなられたのであろう。今も他ではなかなか食べられないのだろう。またそれだけ特色のある食べ物なのだ。
 こういう協議会があることは知らなかった。なごやめしを全国に広め、名古屋に来てもらおうという協議会であろうか。そうならば大いに頑張って欲しい。そして、延べ15.5万人が投票されたという。多いのか少ないのか、よく分からぬが継続が大切であろう。そして、なごやめしの店を全国に広めるのではなく、名古屋に行かないと食べられない、として欲しい。全国どこへ行っても食べられるでは、画一的で面白くないし、もうなごやめしとは言えないであろう。


 


柳&ウォーク