ha22203

第213号  2022年3月


 

(第3296話) 三つのノート

2022年03月30日 | 行動

 “私の手元には心強いノートが三冊ある。健康チェックノートはこの十数年間、一日も欠かすことなく書き続けている。朝と晩の体重を記録し余白には体の不具合をメモしてきた結果、医療機関での問診ではどんなことでもさっと答えられる。支出管理ノートは一ヵ月ごとの見開きで、手元のレシートを基に店名と金額を記している。最後、畑・野菜ノートは一年半前に作ったむので、畑のどこに、いつ、何を植えたかをイラスト付きでつづるようにしており、近所の農家に教わった助言もその都度書き添えている。
 いずれのノートでも私が心掛けているのは後で見ることを想定して分かりやすく丁寧にまとめること。今後も改良を続けていくつもりだ。”(3月4日付け中日新聞)

 三重県菰野町の主婦・樋口さん(57)の投稿文です。また素晴らしい知恵、話しです。1冊目の健康チェックノート、健康に不安な人にはあると思う。しかし、健康で朝晩体重を記録するとなるといかがなものであろうか。ボクなど医者に血圧ノートを付けるように言われていたが、それもいつの間にか止めてしまった。体重計には週に1回乗るかどうかだ。2冊目の支出管理ノートは多くの主婦でされているだろう。ボクの妻も結婚以来、もう50年以上家計簿を付けている。日記の用にもしているようだ。そして3冊目の畑・野菜ノートである。これはボクもやらねばと考えていたところで、早速実施したい。多くの野菜で連作は禁止である。昨年どこに植えたのか、最近は思い出せない。それでいつもいい加減になる。連作もすることになっているだろう。
 それにしてもこれだけのことももう10数年続けておられるとは、素晴らしい。習慣にされているからであろう。習慣になってしまえば、意外にたやすいことである。それまでが大変だ。凡人も継続すれば非凡な人、ボクの口癖である。己書にも書いた。


(第3295話) 太陽光パネル

2022年03月27日 | 知識

 “あと二十年もすると、太陽光パネルの大量廃棄のピークが見込まれる「二〇四〇年問題」。松本議員が取り上げたところ、県は、パネルのリユース(再利用)やリサイクルを進めるため、二二年度から設計や生産、リサイクルの各段階に関わる事業者を募集し、有識者を交えたプロジェクトチ-ム(PT)を設置する考えを明らかにした。
 太陽光発電は十年ほど前から加速化。パネルの製品寿命は二十~三十年とされることから、四〇年ごろに耐用年数を迎えるパネルが大量に出ると予想される。松本議員は「資源再利用を今から準備しても良いのではないか」と指摘。これに対し、岡田守人環境局長は「新事業創出や循環ビジネス構築など、事業者の支援をし、使用済みパネルを貴重な資源として有効活用する」と述べた。
 PTでは、廃棄パネルの回収方法、リユース品の品質評価、無害化したリサイクル品の用途の開拓支援などを幅広く検討。今月策定予定の「あいもサーキュラーエコノミー(循環経済)推進プラン」でも、太陽光パネルを重要な課題の一つとして位置付ける。”(3月2日付け中日新聞)

 記事からです。太陽光発電は国の政策、後押しもあり非常な勢いで広がった。それが、2040年頃に大量は廃棄物になるという。物には寿命がある。考えてみれば至極当然なことである。その時に混乱を起こさないように、今から対策を取っておいて欲しいという要望である。
 実はボクの家は2009年12月に設置している。早いほうである。国の政策に協力したつもりであった。売電も一キロ当たり48円であった。もう12年以上経つ。しかし、ボクは国の政策にまたしてもやられた気がしている。48円は10年間である。それを過ぎたらまさか8円になるとは、信じられなかった。損益はどうなっているかと思うと、ボクの計算では10年でほぼ戻した状態である。ボクの家は日当たりもよく、条件がいい。ボクの家がちょんちょんなら、10年で元が引けない家は多かろう。そして一度も故障もなかったし、災害に遭うこともなかった。運がよかったからいいが、この危険負担を負って、ちょんちょんでは納得がいかない。また今後故障もある。この記事のように処分費のこともある。最終的にボクは利息どころか、赤字ではないかと思っている。
 先にボクはまたしても国にやられたと書いたが、それは分収育林である。大損失であった。一般国民にとって国などは信用してはいけない代表と思っている。


(第3294話) 親からの贈り物

2022年03月25日 | 意見

 “習い事はするべきなのか。考えてみた。大抵の家庭では、幼い子供に習い事をさせることが一般的となっている。そんなルールはないのだが、子供の将来のためにスポーツや音楽を習わせる親が多い。私自身も、周りの友達もそうだった。
 習い事をすることで、将来の選択の幅が広がる。子供はまだ幼いため、習い事の選択権はほとんどが親にある。もしかしたら、子供の希望通りではない習い事をさせてしまうかもしれない。でも逆に、子供の可能性を引き出してあげることができるのは親だけなのだ。
 私は幼い頃からチアダンスを習わせてもらっていた。幼稚園以外でのコミュニケーションの場ができ、この習い事を部活動にもつなげることができた。とても親には感謝をしている。子供に習い事をさせるというのは、子供にいろんな挑戦をさせてあげられる、という親からのプレゼントなのだ。”(2月27日付け中日新聞)

 「今月のテーマ・習い事」という小中学生の投稿欄から、高校3年生の加藤さん(女)の投稿文です。一般に子どもに習い事をさせるようになってどのくらい経つのであろう。家庭環境、地域環境によって大きく違うだろうが、ボクの子供のころはほとんどの人が無縁であった。ボクの娘の頃はぼちぼちであったろうか。孫の頃になるともうほとんどがである。豊かになったと思う。加藤さんはこの習い事について考えられた。それを親からの贈り物と位置づけられた。これは素晴らしいと思う。そこには感謝の心があるからである。
 親は一生懸命に子どもの将来のことを考える。ボクの家の場合、幼稚園児の娘にピアノを習わせた。その地域では普通のことだったが、その後転校した学校では珍しかった。それで小学校を卒業するまでいろいろな行事でピアノを弾いていた。大きな自信になったようだ。しかし、小さい子どもには理解が及ばないこともあろう。やらされているという思いになることもあろう。親の見栄が伴うこともあろう。加藤さんはいろいろ考えられた。将来の選択の道が広がり、親からの贈り物と結論づけられた。でもそうならない場合も多い。ボクには親が一生懸命になり過ぎ、かなり押しつけ、生活に無理をしていると感じる場合がある。習い事はしょせん趣味、遊び事だ。誰かが犠牲になって本末転倒である。


(第3293話) 短歌と絵日記

2022年03月23日 | 出来事

 “昨夏、分厚い封筒が届いた。差出人は、私が小二のときの担任の先生の妹さん。中には先生の名前を冠した歌集が入っていた。先生とは年賀状のやりとりを続けていたが、三年前に亡くなったとうかがっていた。歌集は、先生が詠んだ歌を妹さんがまとめたものだという。読み進めていくと、ある歌が目に留まった。
 「訪れをかく待ちいしか母に添い 小さき両手で茶をすすむ児よ」。これは私のことを詠んだに違いないと確信した。暑い中、家庭訪問にいらっしやった先生に、麦茶をお出しした記憶があるのだ。そのときのグラスまで、はっきり覚えている。
 このことを当時、絵日記に書いた覚えもあった。実家の押し入れを捜してみると、色あせた絵日記が見つかった。昭和五十四年五月二十三日、全然似ていない先生の似顔絵とともに、つたない文字が綴られていた。「きょうはかていほうもんでした。たのしみにしていました。先生はわたしをほめてくれました。おちゃちだしました」早速これをコピーし、妹さんにお送りしたところ、大変喜んでくださり、仏前にお供えしたとご連絡をいただいた。四十余年の時を経てつながった短歌と絵日記。天国で優しく微笑みながら見守る先生の顔が目に浮かんだ。”(2月26日付け中日新聞)

 愛知県長久手市の大学特任講師・豊田さん(女・50)の投稿文です。人生にはこういう奇縁というか、繋がりというか、こういうこともあるのだ。これも生きていればこそ、残っていればこそである。お互い嬉しかったろう。こんな喜びを時折感じながら過ごしていく、これが幸せな人生である。ボクも小学校や中学校時代の文集が残っている。そんな繋がりになることはないだろうか。
 では最近のことで繋がりが縁になったことはないだろうか。昨年末、ボクの村の人が、ボクが第九の歌う会の初代会長であったことを知って、訪ねてきたことがある。その人の知り合いに第九に参加していた人から知ったと言われる。第九をやっていたのはもう20年以上も前のことである。今年度神社の役員をしてもらっていた人が、その後老人会のサロンで講師を務めてもらい、更にこの4月から老人会の役員もしてもらうことになった。今年度シルバーカレッジで一緒になった人が、といってもシルバーカレッジは中止となってしまったが、その人が一宮友歩会に参加してくれることになった。やはり縁は作り出すものである。双方が一致した時、その縁はますます大きくなろう。


(第3292話) エコバッグ

2022年03月21日 | 出来事

 “靴屋さんのレジでエコバッグを出したら、レジの若いお姉さんが「かわいいエコバッグですね」と声を掛けてくれた。そのエコバッグは、私が学生の頃に使っていた古い折り畳み傘を、母が袋に作り替えてくれたものだった。「これ、折り畳み傘だったんですよ」と言うと、お姉さんは「ホントだ!すごい!自分で作ったんですか?」とビックリしている。
 母は若い頃から洋裁や編み物が趣味で、鞄やアクセサリ-、洋服など、さまざまな物を作ってきた。八十一歳の今でも、お手玉や帽子など小さな物を作って楽しんでいる。何だか母のことを褒めてもらったような気がして嬉しくなり「私の母が作ったの」「傘だから撥水するのよ」「傘を巻いて留める紐も活用してコンパクトに畳めるのよ」と、いろいろ説明した。
 お世辞を真に受けたおぱさんのマシンガントークを、お姉さんは嫌な顔もせず頷きながら、にこにこと聞いてくれた。そしてさらにたくさん褒めてくれた。この日は優しいお姉さんのおかげで、とっても幸せな気分に浸ることができた。遠方に住む母に、早速この出来事を報告し、二人で良い気分になった。靴屋のお姉さん、ありがとう。今度また、靴を買いに行きますね。”(2月24日付け中日新聞)

 愛知県あま市の主婦・加藤さん(55)の投稿文です。レジ袋などプラスチック製品を減らすために、エコバッグが推奨された。そして、エコバッグを作る人も増えた。加藤さんのお母さんは、古い雨傘から作られた。その自慢話である。というよりその話を聞いてくれた靴屋さんのお姉さんへの感謝の投稿文です。人の話を聞く、簡単なようでこれが意外と難しい。聞いている内に自分の話になったり、素っ気なく聞いたり。だからこの話のように真剣に聞けば感謝されるのである。
 さてエコバッグであるが、至る所で配布される。ボクの家にはもう10枚以上あるのではないか。1人1、2枚あれば十分であろう。こうなればもう資源の無駄使いになってくる。難しいものである。その他家の中で眠っている物はどのくらいあるだろう。もう数え切れないであろう。断捨離と言われるゆえんである。一方こうしないと経済が回らないのである。そして地球資源は枯渇する。こんなことまで考えるとますます難しくなる。人間は矛盾、自分勝手の中で生きている。


(第3291話) 愛妻

2022年03月19日 | 人生

 “●節分 夕食時、幸せそうな顔で手巻きずしをほおばる夫に「今年の恵方はどこなの?」と聞くと、瞳をじっとみつめて私を指した。「私がいる方向ってこと?」と思わず確認すると、満面の笑み。(毎日ラブラブの40代妻)
 ●我慢比べ 「おーい、お茶」。夕食が終わると、互いに言い合う。すました顔の妻に、いつも私が根負けする。「私かいなくなっても一人で入れられるね」と言う妻に「おまえがいなくなったら誰に入れるんだ」と返し、二人で笑った。(幸せな時間・67歳)
 ●愛妻 一月三十一日の「愛妻の日」。当日、帰宅した夫に告げたところ「あー、アイ・サ・イね。なるほど」と語呂合わせに感心した様子。私への言及はなし。そうか、あなたに「愛妻」はいないのね。(お互いさまですが・60歳)”(2月23日付け中日新聞)

 久しぶりに「つれあいにモノ申す」からです。この欄には他愛もない会話が掲載されています。読んでほっこりとします。今回は夫婦愛を感じる会話で尽くされていましたので、紹介しました。「節分」には奥さんは感激でしょう。毎日ラブラブの40代妻と自称されるに到ってはもういう言葉はありません。「我慢比べ」も上手な愛情表現でしょう。夫婦でお茶を飲む、確かに幸せな時間です。「愛妻」は「お互いさま」と皮肉っていますが、実はそうではないでしょう。こういう会話ができることが幸せな証拠です。ボクの家ではこういう会話はないな・・・。
 最近は「結婚ばかりが幸せの元ではない」という言葉をよく聞きますが、よくよく考えねばならいことでしょう。安易にな方に流されたり、周りの雰囲気に沿ったりするほど簡単なことではないでしょう。


(第3290話) 楽しみ

2022年03月17日 | 行動

 “高校に進学してから最寄り駅から登下校に利用する道を気分によって変えています。中学校までは決められた通学路で登下校しましたが、高校では通学路が定められていません。「どのルートが最短なのだろうか」「おもしろい店はあるのだろうか」と思いながら道を進むことで発見があります。並んだ道でも、住宅や店は違います。曲がる交差点を一つ前後させるだけで景色は変わります。
 高校に進学するまでは、味わうことができなかった楽しみです。裏路地を含め、全ての道を走破したいと考えていると、新たな脇道が現れました。巡り合えなかった道もまだあるのではないでしょうか。春から故郷を離れ、遠方の大学に通う予定です。そこには新たな通学路があります。新生活が待ち遠しいです。”(2月22日付け中日新聞)

 岐阜県各務原市の高校3年生・藤岡さん(女)の投稿文です。通学通勤、散歩、時折道を変えてみるといろいろは発見があるだろう。藤岡さんはそのことに気づかれ、楽しみにされている。ささやかながらいいことである。車や乗り物では分からない歩く効能である。
 歩く効能については、ボクはもう言い過ぎくらい言ってきただろう。健康増進と共にいろいろ発見があるのです。一宮友歩会の4月例会案内に少しウォーキングの楽しみ方を書きました。【ダイエットだ、健康のためだと言って毎朝、毎晩義務的に歩いている方も多いと思いますが、それも結構ですが、できれば楽しく続けたいものです。それにはただ歩くことを目的にせず、楽しくする別の目的も持つことです。ウォーキングにはそれができるのです。●①公園巡り、寺社巡り、史跡巡りなどの目的を持つ。②スケッチ、写真撮影、草花観察、俳句・川柳などの趣味を兼ねる。③ウォーキング会に参加するなど歩く仲間を持つ。④鉄道会社、市町村の行事などいろいろな大会に参加する。⑤ウォーキングの記録をとる。】
 藤岡さんには、歩く楽しみをいろいろ見つけられることが大いに期待されます。


(第3289話) ラジオ体操

2022年03月15日 | 行動

 “平日は夫と毎朝近所の寺に行き、ラジオ体操の会に参加するようになって八年になります。寺の副住職を務める息子の誘いがきっかけで会に加わり、仲間二十人ほどと楽しいひとときを過ごせています。心身ともにすっかり元気になりました。何げない会話から新型コロナウイルスをはじめとする情報もいろいろと得られています。犬の散歩がてら会に参加する人もいて、愛犬の人懐っこいしぐさにも癒やされています。
 会に入って肩凝りが治まっていき、帰宅後の朝食もおいしくいただけています。体を動かすことを習慣づけられ、ラジオ体操がない土・日曜は二十分ほど散歩するようにしています。この調子です。”(2月21日付け中日新聞)

 愛知県江南市の中村さん(女・79)の投稿文です。ラジオ体操の信奉者のボクとしては、こうしたラジオ体操の活動は前から興味があった。中村さんが言われるように、いろいろねメリットがあり大変いいことである。この会は副住職さんの誘導で始められたのであろうか。こうした投稿文で、自然発生的に会になった話もあった。先日、名古屋の知人が参加していることも知った。結構あるのだ。
 ボクはできたらいいなと思っている。でもボクの村にその雰囲気はない。その時間にもう畑に出ている時期もある。やり始めたら参加する人はあると思うが、毎朝となるとボクが中心になることはとてもできることではない。だから言い出せないままでいる。今年は夏休みのラジオ体操を老人にもっと訴えてみようと思う。


(第3288話) 「見える化」

2022年03月13日 | 行動

 “町内会長を務め、その活動が案外知られていないことに気付き、活動の「見える化」を図っている。月に一度の資源回収はその日時や集積場所さえ分からない人がいた。その収益は町内会や子ども会、老人会など地域での活動資金となっているにもかかわらず、だ。昨年四月の回収量が前年同期を下回ったため翌五月から回覧文書を毎月発行した。回収日時はもちろん、その意義や簡単な使い道にも触れ、月ごとの回収量や収益額を数値と棒グラフで示すようにした。おかげで周知徹底でき回収量はぐんと増えた。
 町内会として文書を作るのは手間だが、会員間で資源回収の話題が増えてきた。心なしか、地球環境問題への関心が高まってきたような気もしている。”(2月21日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の鵜飼さん(男・68)の投稿文です。町会長になって初めて知ることも多い。これは何も町会長にかぎらないが、町会長は町内全般だから特にだろう。鵜飼さんは、活動が知られていないことに気づかれた。知られていなければ協力も少ないだろう。そこで資源ごみ回収について回覧を回された。そしたら回収量がぐんと増えたと言われる。
 実はこの経験を今年ボクも実体験したのである。今年度からボクは老人会会長を自ら引き受けた。3会長が1会長となったので、それなりにやり方を変えねばたまらない。そこでボクは市の助成金を受けることを止めた。税金をもらうということは大変なことなのだ。すると収入は町内からの助成金と資源ごみ回収からの収益金のみとなる。後は繰り越し金を使い込んでいく。そこでボクは資源ごみを老人会担当の9月と2月に出してくださいと会員に回覧した。そしたら何と前年の3割増し以上となった。これにはボクも驚いた。やはり言ってみるものである。応えてくれる人はいる。


(第3287話) 日本記録

2022年03月11日 | 行動

 “健康目的で長年通った卓球教室が新型コロナウイルスの影響で昨年十二月に閉鎖されたため、その代わりとして二十年続ける水泳を週二回から週三回とした。どうせ泳ぐ回数を増やすなら大きな目標を掲げようと考え、マスターズ水泳短水路での日本記録を調べてみたら男子自由形1500メートルは九十~九十四歳が空欄になっていることを知り、自分の名前で埋めたいと思った。インストラクーに相談すると、こつこつ継続すれば可能だと言われ、毎回泳ぐ距離を増やして千二百~千五百メートルとしている。
 この私が、やればできることを社会で証明することができれば、きっと同年代の励みになるだろう。”(2月18日付け中日新聞)

 滋賀県愛荘町の自営業・青木さん(男・81)の投稿文です。81歳にして水泳の90歳以上の部の日本記録を目指す、ただ唸るばかりです。この歳にして週3回、1500mを泳ぐ。これだけでも凄いのに、まだ9年先の記録を目指すとは。この歳になればもう明日のことは考えない、今日のことだけに思いをはせる、こんな考え方もある。それが9年先のことまでである。
 いろいろな考え方がある。ボクは信念がないと言われるかも知れないが、それは上手な使い分けがいいと思う。後期高齢者ともなると、ストレスを貯めないことが重要であるが、気力を保つことも必要である。ストレスを貯めないためには今日だけのことを考える。気力を保つためには将来に夢を持つことが必要である。ボクの机の上には「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると持って学びなさい」というガンジーの言葉が貼ってある。まさに今日と将来である。これからもこの姿勢で行こうと思っている。 



柳&ウォーク