ha22201

第211号  2022年1月



(第3267話) 「娘の授業参観日」

2022年01月29日 | その他

 “明日は、娘が通う中学校の授業参観日。母親の私が「明日、学校へ授業を見に行くからね」と言うと、「恥ずかしいから、絶対来ないでよ」と娘は怒った。「大丈夫よ。誰のお母さんかは、どの子にも分からないから」私はそう答えた。プレッシャーを感じたのか、娘は夜遅くまで何度も教科書を見直していた。
 翌日、娘は、教室に入ってきた私を見て驚いていたが、その後は落ち着いて授業に取り組んでいた。授業を終えて廊下に出てきた娘に向かって、私はこうささやいた。「堂々としてたじゃないの」「本当にお母さんが来るとは思わなかったなあ」「だって、幼い頃の夢がかなって先生になった娘が、どんな授業をしているのか見たかったのよ」”(1月9日付け中日新聞)

 中日新聞のサンデー版「300文字小説」から、第26回「300文字小説賞」で、最優秀賞に選ばれた市川さん(男・67)の作品です。あっと驚くどんでん返し、最優秀賞が分かります。ボクは毎回読んでいるつもりだが、覚えていなかった。
 さて授業参加だが、こういう親はいないだろうか。実際にあっても、何もおかしくない気がする。親の中に紛れ込むだけである。誰も知らない。迷惑をかける訳でもない。子どもの成長が気になるのは何も子どもの頃だけではない。子離れしていない、と言われるかも知れないが、まだ学校を卒業したばかりである。実際にあってもいい。いや、実際にあるかも知れない。こんな親ならユーモアもあり、いい娘さんに育っているはずだ。
 市川さんは本当の学校の教師であった。そんな中で思いつかれたのであろう。「300文字小説」には3回目の投稿とある。羨ましい楽しみと思う。


(第3266話) セルフサービス

2022年01月27日 | 出来事

 “近頃は多くのところがセルフサービスで行うようになってきました。病院の診察受け付け、スーパーの買い物の支払い、図書館の貸し出しなど、私にとっては戸惑うことばかりです。 息子は「音声ガイドや画面の指示通りにすれば、何も難しいことはない」と言います。が、自分では力-ドをスライドしたつもりでも、何回もエラーが出たりして、その度に後ろに並んでいる人の目が気になって、余計に焦ってきます。
 先日、自動車にセルフで給油をするのにどうしてよいかわからず、事務所の人を呼びに行きました。いつもは夫が早め早めに入れていたので、私はセルフになってから給油したことかありませんでした。事務所の人は「セルフだから指示通りに自分でしてください」と言って説明した後、事務所へ戻ろうとしました。慌てて引き留めて「給油が終わるまで見ていてほしい」と頼みました。すると、あきれた様子の顔で、ずーっと見守ってくれました。
 時代の波に乗り遅れないようにとは思うのですが、波に乗る前に溺れそうになっています。次からは人に頼らず自分でしようと、その日の動作の順番を何度も思い浮かべ、反省しました。”(1月8日付け中日新聞)

 三重県松阪市の主婦・小野さん(80)の投稿文です。いろいろなものが人を相手にするのではなく、機械を相手にするようになってもうだいぶ経つが、それでも最近の進みようは凄い。物覚えの悪い、新しいことに戸惑う高齢者には辛いものになってきた。小野さんはセルフ給油の出来事を記されたが、実はボクはセルフ給油をしたことがない。長年入れているガソリンスタンドが、今も入れてくれるからである。この店もいつまでやってくれるのか、気がかりである。
 スムーズに進めば、セルフサービスは店も客もそれなりに便利であろう。現金を扱うことは本当に減って来た。先日も1泊旅行に行ってきて、現金を扱ったのはお賽銭だけであった。そのお賽銭もスマホのところがあるという。確かに財布からお金の出し入れは時間がかかる。機械相手になって人との会話が減った。会話が減ることの弊害も多かろう。この弊害をどうやって克服するのか、これからの課題であろう。また新たな手段を構じなけねばならない。高齢者はますますなじめないものになる。ここは高齢者もひと踏ん張りであろう。今死ぬ気がないのなら「永遠に生きると思って学びなさい」。


(第3265話) ラジオ体操

2022年01月25日 | 活動

 “家から歩いて二十分ほどの公園で毎朝ラジオ体操をするようになって七年になる。友人の誘いで始めた当初は第一、第二の両体操に続いてグラウンドー周走るのがきつかったが、仲間との談笑が楽しくて続けられている。散歩中の夫婦がやり始めたのをきっかけに、通り掛かった人たちも次々と加わって体操クラブを結成するまでになったのだ。現在のクラブ員は十五人ほど。その平均年齢が七十代前半になっても、思い思いに開始三十分前には集合して準備体操をしている。昨年十一月にはクラブの創立十周年をみんなで祝って万歳三唱をした。新しい仲間が加入してくれることを心待ちにしている。”(1月3日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の赤松さん(男・85)の投稿文です。ラジオ体操の同好会の話も、新聞などでこうして時折目にする。実際の会をボクの周りでは知らない。そして、同好会的な多くの会は誰かが中心になって設立したものが多いと思う。このようにだんだん人が集まり、自然発生的にできる会というのは珍しいと思う。それだけ参加者が自発的であるのだ。非常に望ましいあり方である。そして10周年である。おめでとうを申し上げたい。
 78歳にして初めて第一、第二ラジオ体操をしてグラウンド1周を走るのはかなりきつかったろう。よく乗り越えられたと思う。これも周りの支援があり楽しかったからであろう。78歳と言えばもうそろそろいろいろ止める歳である。その頃から新しいことを始める。これは良い縁が無いとできないことである。赤松さんは幸運であった。その幸運を呼んだのも人柄である。ボクはまだその歳になっていない。もう一幸運を呼び込みたいものである。


(第3264話) 亀育て60年

2022年01月23日 | 行動

 “その昔長男が友人からもらったアカミミガメをわが家で育てて六十年。軒下に置いたたらいで飼い、手のひらサイズだった体長は今や三十センチほどとなり、両手を使わないと重くて持ち上がりません。何かが近づくと首を長く伸ばし、つぶらな瞳で見つめてくる姿は愛らしく、癒やされます。週二回ほど甲羅をたわしでゴシゴシと洗って奇麗にしてあげると気持ち良さそうです。
 「鶴は千年、亀は万年」とはよく言ったものです。数年前に家の敷地内を出て近所の道路を歩いたことがあり、今もすごい勢いで餌を食べていて衰えを感じません。朝、餌をやる際、「おはよう。きょうも元気ね。あなたも長生きだけど私も負けないわよ」と話すのが日課です。新年も一緒に頑張ろうね。”(1月3日付け中日新聞)

 愛知県日進市の主婦・本田さん(80)の投稿文です。愛玩動物はいろいろあるが、そして寿命の長いもの短いものもいろいろあろうが、60年育ててきたとはびっくりである。まさに自分と人生を共にした思いであろう。亀は万年と言うから長いのであろうが、それでも家で育てて60年とは凄い。生き物である、餌を与えねばならない。週二回甲羅をたわしでゴシゴシと洗うと言われる。本田さんはこの60年、家族で家を長く空けることは無かったろうか。入院されるようなことはどうだろう。生き物を飼うというのは大変な苦労を伴う。その分、大きな力や楽しみも与えられたであろう。80歳にして亀に負けないと言われる。さてどうなるか、経過を聞きたいものである。
 昨今の愛玩動物嗜好はどうだろう。途中で投げ出すような話も聞く。ボクには少し行きすぎている感じがする。


(第3263話) 道草のすすめ

2022年01月21日 | 活動

 “忘れられかけていた一冊が、突然注目を浴びた。「子どもの道くさ」 福岡県糸島市の僧侶水月昭道さん(五四)が子どもの登下校に付き添い、その様子や意義をつづって二〇〇六年に世に出した。千五百部を印刷して、終わり。そうなるはずだった。
 十四年後の二〇年七月。旅行ライターの岡田悠さん(三三)がツイッターで本の感想をつぶやいた。道草をする子どもの写真を添えて「全然ちゃんと帰らなくて良い」。投稿は、あっという間に十二万を超える「いいね」を集め、コメントも相次いだ。「通学路は大いなる学びの場!」「帰り道って冒険の毎日だったよなあ」(中略)
 水月さんは新型コロナウイルス禍をキ-ワードに挙げる。会社帰りに一杯引っかけたり、ぶらりと散歩したりすることが「不要不急」とされた。「でも、その中に大事なものがあったと気が付いたのでは。目の前の仕事をこなすだけでは、機械と同じですよ」
 馬が道端の草を食んで歩みが遅れる。そんな語源を持つ「道草を食う」ことは無駄なようでも、知らず知らずの間に私たちの心に染み込み、息づく。効率やスピードが重視されがちな時代に、その深みを見つめ直してみたい。”(1月1日付け中日新聞)

 記事からです。ボクも老人会の役目で、児童の登下校を見守る機会がある。下校時に児童はまっすぐには歩かない。ふざけあったり、何かを見つけてしゃがんだり、特に低学年は激しい。危なくないようにそれを見守るのが役目である。子どもの道草は本当に楽しそうである。
 しかし、効率を求め一直線に進むことを求める現代社会である。大人の話であろうが、当然子どもにも影響を及ぼす。それに異を挟むような道草。さてどうなんだろう。ボクは子どもなら当然許させばいいと思う。道草もしないような子どもに豊かさはあるだろうか。さて、大人である。日本社会は生産性が低いという。それは仕事の進め方の問題と思う。意見も言わないような会議や上意下達の進め方、前例踏襲の重視などの問題であろう。人間は機械ではない。厳しさと余裕の兼ね合わせが重要ではなかろうか。先日テレビを見ていたら、リズムを取って歩いたり手を動かすといいと言うことをやっていた。これは力を入れる時と抜く時を上手に組み合わせることである。入れっぱなしでは効果は上がらない。仕事や人生にも通じると、この文章を書きながら気がついた。


(第3262話) 古希に思う

2022年01月19日 | 人生

 “今から五十年ほど前の話です。その頃、私はどうしても特撮映画の仕事がしたくて、今で言う就活でいろいろ当たりましたが、コネも紹介もなく、立ち往生。夢は捨てがたく、意を決して当時、「ゴジラ映画」で有名なH監督に、思いの丈を書いた手紙を送りました。
 まさかの丁重な返事に大感激です。中身は映画界の厳しい現状や将来性など。否定的な内容ではありましたが、最後に「貴君がそれでもやりたければ是非やるべきだ」と激励されました。「よしやるぞ!」と、この手紙を片手に再度上京。特撮テレビ制作会社「Tプロ」の門を叩きました。運命かな、私の話を熱心に聞いて下さった方が即決しました。この世界では珍しい正社員登用です。天にも昇るとはこのこと。それからの四年間は古い徒弟制度の厳しさと優しさ、徹夜作業の連続、Tシャツの汗が白い粉になるセット内の暑さ、大掛かりな仕掛け撮影がうまくいった時の高揚感・・・。
 今、古希を迎えて、あの時本当にやっておいてよかったと懐かしく、しみじみと思い出します。翻って、このコロナ禍の閉塞感漂う世の中、将来ある若者諸君!夢を諦めず悔いなき人生を!ウォーキング中の古希オヤジの、ほんのつぶやきです。”(12月27日付け中日新聞)

 愛知県岩倉市の家電販売業・吉田さん(男・70)の投稿文です。吉田さんの20歳頃の話である。特撮映画の仕事をしたくて、無我夢中で飛び込む。4年ほどされたようだが、今懐かしく思いだし「やっておいて良かった」と、感嘆される。「将来ある若者諸君!夢を諦めず悔いなき人生を!」と言われる。この言葉に何の異議を挟むことではないが、しかし現実はいろいろな問題を含む。
 実はボクの孫が、昨年末大学を中退して沖縄へ1人行ってしまった。ボクは気がかりで仕方がない。放り出すように出してしまった娘夫婦の心配は、ボクの比ではなかろう。この行動は吉田さんが言われるとおりの行動であろう。吉田さんのように将来「やっておいてよかった」と言えるか、将来も台無しにとんでもないことをしたと思うのか、過ぎてみなければ分からない。今やわが家の最大の心配事になったが、ただ見守ることしかできない。
 ボクも「やれる時にやる」を基本姿勢としてきた。若い時からいろいろ手がけたこともある。明日も知れぬ今はまさにそれである。しかし、それはいつも本業は本業としてやっていた別のことである。だからボクのしてきたことは大したことではない。


(第3261話) 卒アル写真

2022年01月17日 | 知識

 “学校の卒業アルバムや保育園の卒園アルバムの作成に人工知能(AI)の顔認証技術を活用する動きが広がってきた。生徒や園児の登場回数を自動でカウントし「平等に」アルバムに掲載するのを支援する。手間のかかる写真選びを効率化でき、教職員や保護者から評価されている。
 ウェブシステム開発の「エグゼック」(東京)は昨年から顔認証技術を搭載した卒業アルバム制作サービスを提供している。ソフトはパソコンで操作する。米IT企業のAIと自社技術を調整して使用。昨年は約百の写真館を通じて約三百校で利用された。今年は七百~八百校程度に増える見通しだ。(後略)”(12月26日付け中日新聞)
 
 記事からです。こんなこともされているのか、驚いた。今や写真はデジタルである。パソコンに取り込めばいろいろなソフトが活用できる。顔認証技術を使い、卒業アルバム作りに活用されている。登場回数を平等にしなければならない先生にとっては大助かりである。
 本当に今の時代、何のどこに目を付けるか、それによってとんでもない利益を生むことがある。発想も今までの逆にした方がいいことも多かろう。先日テレビで、店内に監視カメラを沢山取り付け、その画像をSNSで流したら、売り上げが何倍にもなったという店を紹介していた。店の混み具合や商品数を見て客が訪れるようだ。当然ながら万引きも減った。自分で画像を見なくても皆で監視しているようなものである。思わず唸った。今までこうしてきたからはもうどこにも通じない。硬くなった頭をどう柔らかくするか、まだ生きるつもりならもう歳だからは言っておられない。


(第3260話) 寅年年賀状 

2022年01月15日 | その他

 “来年の干支にちなみ、戦前に出された寅年の年賀状を紹介する企画展が、江南市北野町の市歴史民俗資料館で開かれている。体のしま模様を年数に見立てるなど、今に通じる工夫が随所に。提供した同市布袋町の石黒三郎さん(七二)は「年賀状作りの参考に」と来場を呼び掛けている。
 一九〇二(明治三十五)年から三八(昭和十三)年の二百五十一枚を展示。七福神や暦、歌会始のお題のほか、エンボス加工で目立たせたトラなど、印刷技術も進む中で内容も多彩になる。軍艦や、幻となった東京五輪の図柄など、時代を映す年賀状も多い。
 石黒さんは二十代のころ、消印の付いた切手を集めるうちに、はがきにも興味を持つようになった。骨董市や古書店、最近はネットオークションで探したり、収集家同士で交換したりし、コレクションは寅年の年賀状だけで千枚を超える。(後略)”(12月25日付け中日新聞)

 記事からです。一宮友歩会の下見に行った時、この企画展を見てきました。本当に見事なものでした。いずれも見たことがないような絵柄である。係員の人に聞けば、素晴らしい年賀状を競っていた人もあったと言われる。今の時代ならどんなものもできる気がするが、戦前である。かなり知恵を絞り、技術を駆使されたのであろう。大きな楽しみでやられた気がする。
 石黒さんは趣味で年賀状の収集を始められた。では一般にはもらった年賀状をどうされているのだろうか。一度見て、お年玉番号を見てポイなのか、数年は保存されているのか、またずっと保存さているのか、どう扱われているか知りたいものである。ボクはどうなっているか、久しぶり開いてみた。結婚した年の翌年からの年賀状が取ってあった。最初は自分でファイルを作り、これはといったものを貼っていた。最初の年は自分のものを入れて14枚あった。年賀状のフォルダーを売っているのを見つけてからはそちらを使うようになった。多い年は4、50枚残していたと思う。昨年は15枚であった。凝った年賀状の人は毎年のように残されている。家族写真や工夫を凝らしたものも残っている。一度ゆっくり見るのもいい。


(第3259話) 点訳書籍

2022年01月13日 | 行動

 “点字に興味があり、夏から秋にかけて計十回の点訳講習会を受け、読み書きができるようになった。見渡せばあちこちに点字があることに改めて気付き、エレベーターや案内板に付いているものを触るうち関心はさらに高まった。
 視覚障害者への支援の一環で私は今、点訳ボランティアサークルに参加している。点字は、視覚障害者と健常者をつなぐとても素晴らしいものだと思う。たった六つの点の集まりから日本語はもちろん、アルファベットや楽譜、数字とさまざまな意味を構成するのだから。
 自力で点訳書籍を作るのが現在のわが目標となった。私が気に入っている作家曽野綾子さんのエッセーから手掛けてみたい。気が遠くなるほど長時間の作業になるのは必至だろうが、少しでも視覚障害者の読書の手助けにと頑張る所存だ。”(12月24日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の鵜飼さん(男・68)の投稿文です。68歳で点訳ボランティアを始められたことに敬意を表する。普通ならもう止める歳である。ボクも点訳ボランティアをしていた時代があるので、それなりに理解しているつもりである。ボクが始めたのは20代、10年くらいで止めるが、一緒に始めた妻は40代くらいまでやっていた。点訳版で一点づつ打つのか、タイプライターのようなものか、はたまた今は違う機器があるのか、この文では分からない。ボクは一点づつ打っていたが、これなら大変だ。まずは均等に打てない。そして重要なことは、本を正確に読むことである。本を全部ふりがなを打つと思えばいい。一番困るのは名前である。調べても分からないことが多い。そして地名である。こちらはまだ調べれば分かる。それでも調べねばならない。ともかく時間と根気を要する。まずは焦らないことである。呆け防止と思えばいい。でもいいことを始められたと思う。


(第3258話) 声かけ

2022年01月11日 | 出来事

 “それは、娘が七人ほどの人から優しい声かけと優しい気持ちをいただいた、十五分ほどの間の出来事でした。東京ドームの最寄り駅、地下鉄の後楽園駅。祝日の午前十時ごろ、ホームに下りる階段を踏み外し、階段を下りた所で足を伸ばして座っていた。すると、電車から降りてきた三十代ぐらいのカップルが「大丈夫ですか、駅員さん呼びましょうか?」と声をかけてくれた。ただの捻挫と思っていたのと、少しは歩くことができたので「大丈夫です、ありがとうございます」と返事をした。
 優しい声かけが二分おきぐらいに繰り返され、最後の人は駅員さんを呼んでくれた。二人の駅員さんは車いすを引いて来てくれた。「大丈夫です」と立ち上がると「途中の駅でも何かありましたら声をかけてください」と言ってくださった。自力で帰ったものの、整形外科を受診したら足の小指を骨折していた。以来、外出禁止。テレワークが定着していたのが幸いだった。
 東京に住む娘が、ラインと電話で伝えてきた一部始終だ。多くの人から優しい声かけをいただき、親の私は心の中で泣いた。コロナ禍で何かと我慢を強いられる日々でも、都会の雑踏を行き交う人たちの心は、こんなにも優しいという小さなお話です。”(12月21日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・西上さん(74)の投稿文です。2021年9月19日の「話・話」 「(第3302話)親切の3連続」で同じような話を紹介しています。今回は7連続です。階段を踏み外し休んでいたら、15分くらいの間に7人から声をかけられた。人はこんなにも優しいのかと、感激の投稿文です。困っていても皆素通りしていく、冷たい社会になったものだと嘆く話も多い。この違いは何であろう。その時の状況による運であろうか。
 第3302話でボクの捉え方を書いているので、今回は少し見方を変えます。こうした親切を受けた時、どうすればいいのか。西上さんの娘さんはお礼だけ言って断られた。乗り物で席を譲られた時、断る話も多い。そんな歳じゃない、と言って憤慨される話もある。実は声をかける方も、かなりの勇気を持って話し掛けられているのである。状況にもよるが、ボクはできるだけ素直に受けた方がいいと思っている。その方が声をかけた方も、好意を受け入れられ気持ちが良くなる気がする。ボクは「ありがとう」と言って素直に受けることにしている。

(第3257話) 町内会に関心を

2022年01月09日 | 活動

 “町内会活動への関心を高めてもらおうと、一宮市新生三丁目町内会は、住民に町会費で購入した品を配布している。山田裕範会長(七〇)は「見返りがあれば、関心を持ってもらえるのではないか。住民の意識を変えたい」と話す。
 山田さんは四月に会長に就任し、会費を払っても活動に消極的な住民や、会費を払わない集合住宅の住民が多いことを実感したという。寄付者に返礼品を贈るふるさと納税をヒントに、配布を企画した。
 誰もが使いやすい品として、食品を保存する耐熱容器を選んだ。住民への感謝のメッセージを添えて、会費を支払う約三百世帯に配布する。既に受け取った人からは、感謝されているという。山田さんは「町を活気づけたい。今後も住民のために役立つ町内会活動を続けていく」と話した。”(12月21日付け中日新聞)

 記事からです。町内会組織を維持していくのが難しくなってきた。山田さんは関心を持ってもらおうと思って、品物を配布したと言われる。衰退に任せるのではなく、いろいろな試み、努力が必要であろう。山田さんはそれをされている、立派と思う。
 まずは町内会に入らない問題である。役所は入ることは義務ではない、と言う。入らない人も入っている人によっていろいろな恩恵を受けている。そのことを役所は伝えているのだろうか。理屈はいくらでもつくが、本音は町内会費を払いたくないことと、役員をやりたくないことではなかろうか。町内会費が必要と言うことは、それだけの事業をしているからである。入れば輪番制ながら役員が回ってくる。それを拒否したらもう町内会は成り立たない。
 ボクの近くの町内でもう5割が入っていないという。ボクの知人の町内では入っている人が3割という。ボクの町内は幸いながら、入っていない人はゼロのようだ。ボクは入らない人を1人でも作ってはいけない、と盛んに言ってきた。1人でも作ったら五月雨現象である。老人会がそうである。昔は対象になったらすぐに入ったものだが、今では新規入会者はほとんどゼロである。


(第3256話) 生きている証し

2022年01月07日 | 行動

 “心をこめて年賀状をしたためることを、わが生きている証しとして毎年書いています。はがきの全裏面を自筆の字と絵で埋めてきましたが、年齢を重ねた今は胸の動悸や手の震えがあり思うようにいきません。そこで今回、郵便局の印刷サービスを利用して新年用を準備することにしました。中央上部に「いつまでも感謝の心忘れない」との太い文字を配し、真ん中には、えと寅が正座したまま両手をつき頭を下げてあいさつする絵を入れてもらいました。下部の余白は病気静養中の人や書道家など一人一人の顔を浮かべながら自分の言葉を添えています。五十枚ほど投函できた年の瀬、ささやかな幸せをかみしめています。”(12月20日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・一上さん(女・91)の投稿文です。ボクも先週年賀状を投函した。今年は80枚送った。年賀状廃止の連絡もあり、年々少なくなっていく。多い時代は200枚を超えていた。妻は数年前に止めた。自然に任せていても減っていくので、ボクは自分から止めることはしない、と心に決めている。ボクも生きている証しとしたい。
 一上さんは、裏書き全面を自筆の絵と文字で埋めてきたと言われる。凄い努力であったと思う。ボクがもらっていた人で、出す何ヶ月も前から構想を練り、版画を手作りされていた人がある。もう趣味、生きがいであったろう。いつだったか、頂いたものを年賀状展に出したことがある。義務的儀礼的にするのか、楽しんでやるのか、喜んでもらうためにするのか、違いは大きい。ボクは川柳を始めてからずっと川柳を載せている。今年は3句載せた。そして今年は全枚、裏に一言書いた。


(第3255話) ダイヤモンド婚

2022年01月05日 | 行動

 “住んでいる愛知県知多市の催しでわが結婚六十周年のダイヤモンド婚を祝ってもらいました。新型コロナウイルスの影響で一年延びた祝いでしたが、その日は妻と出席しました。結婚したのは一九六〇(昭和三十五)年十一月、派手な式は慎み簡素化を目指す「新生活運動」が叫ばれた時代です。式は地域青年団の仲間が中心になり会費制で、宗教色をなくしてやりました。旅館の大広間に勤務先の同僚や友人、親戚ら総勢百人を招き平服で「青年団歌」を楽しく合唱しました。
 高度経済成長や石油危機などで景気が大きく循環し続けた中、妻の支えもあって定年まで公務員として務め上げ、娘と孫それぞれ三人、ひ孫二人に恵まれました。次の目標は九年後のプラチナ婚です。”(12月18日付け中日新聞)

 愛知県知多市の赤井さん(男・84)の投稿文です。ダイヤモンド婚を祝う町もあるのだ。普通は金婚式であろうし、我が市も金婚式である。我が夫婦は去年であったが、式典はなく、祝い品だけが送られてきた。知多市では今年は実施されたのだ。ダイヤモンド婚とは、寿命も延び金婚式では対象者が多くなり過ぎたのだろうか。今はそうかも知れないが、晩婚化がますます進んでいるので、この先はそうなるとは限らない。状況はどんどん変化していく。特にこのコロナ後はいろいろ変わるだろう。
 赤井さんは「新生活運動」が叫ばれた時代で、会費制で結婚式を挙げられたと言われる。ボクは理由は違うが、その10年後に会費制で結婚式を挙げた。ボクの結婚式を見て、会費制で結婚式を挙げた知人が数人ある。思い出深くこれで良かったと思っている。ボクもダイヤモンド婚を迎え、その時にひ孫はいるだろうか。この投稿を読んで、こんな期待も持った。


(第3254話) 人は変わる

2022年01月03日 | 人生

 “これと言って趣味のない夫の退職後の行く末を家族中で案じていたが、周囲の心配をよそに、本人自らJAの農園を借り、畑を始めた。長年畑をやっている友人が近くにいたことも幸いし、いろいろ教えてもらい恵まれたスタートを切った。「やれやれ、何とか続いてよ」と祈る気持ちで見守った。ところで夫はもともと好き嫌いが多く、結婚当初から「ジャガイモ嫌い、カボチャ嫌い」と臆面もなく言い放った。ちなみに私は大の大人が食卓で好き嫌いを言って食べ残すのを、非常にみっともないと思う者である。
 それが、キュウリの大収穫時には、サラダ、酢の物、漬物、味噌汁にまで毎日キュウリのオンパレードに文句を言わず食べた。大根、人参に至っては葉もすんなり食べた。人参の葉は刻んで卵焼きやサラダに。大根も然り。味噌汁、チャーハンの具、菜飯、野菜炒めなど、食卓に出し続けた。「えぐい」とか「苦い」とか文句が出るかと思いきや、「美味い」と言う。驚いた!あんなに好き嫌いを言っていた同じ人間の口から出た言葉とは信じ難い。おまけに毎年、「足首が冷える」と言っていたが、今年は聞かない。齢七十を過ぎても、人は変われるのだ。身も心も。”(12月11日付け中日新聞)

 愛知県大府市の大塚さん(女・68)の投稿文です。自分で作り始めたり関わり始めると、今まで言っていたことが大きく変わることは多々聞くことである。ところがこの大塚さんの変わり様は見事である。野菜を作り始めて、嫌いが一挙に飛び去り、普通では嫌うことも喜々として受け入れる。70歳を過ぎても人は変わる、奥さんがびっくりされるのももっともである。
 人にはいろいろな楽しみがあるが、特に作ること、想像することの楽しみは誰もが覚えることである。特に野菜作りはいい。何をしておいても何とかできる。そして、手を加えれば加えるほどよくできる。ところが逆に手を加えてもその努力が報われないこともある。これがまた面白い。ますますのめり込むことになる。そしてその成果の野菜は何を食べても美味しい。これは長年野菜作りやってきたボクの感想である。誰もがこの気持ちを味わって欲しいと思う。
 今わが家には小松菜がある。何カ所かに少し時期をずらして作っている。早く蒔いて大きくなりすぎたもの、少し遅くて全く小さいもの、虫がいっぱいついているもの、全くついていないもの、この違いに驚く。同じことをやっても同じにならない。これが野菜作りの面白さ、難しさである。妻はここまで食べるのかと思う程、食べ尽くす。これも関わっているからであろう。


(第3253話) 母にエール

2022年01月01日 | 行動

 “高齢者には「きょうよう」と「きょういく」が大切と母が言う。「今日、用事がある」「今日、行く所がある」とは言い得て妙なり。体育会系の母だが、八十代で両膝を人工関節に、数年前には救急車で運ぱれ、心臓カテーテル手術を二度受けた。昨年からは加齢黄斑変性症でほとんど失明状態と満身創痍。朝昼夕の薬が欠かせない状況ながら、ピンピンコロリを切望する母は意に介さない。
 先週も月火水木金はグラウンドゴルフ、土曜は私たち姉妹とシャッフルボード大会、日曜は孫娘と三人のひ孫も加わりダーツのミニ大会に参加。どこに行っても最高齢参加者で、周りの方々がびっくりされる。「家を一歩出たら見えを張ってシャキッとしている」と本人が言うとおり、帰宅後は「疲れたぁ」を連発してヘトヘト状態である。
 母の同級生は皆さんデイサービスを利用されているが、幸か不幸か要支援―の認定さえいただけない母。私と妹が近くに住み、毎日身の回りの世話をしていることが理由なのか? しかし、デイサービスに行くより三人のひ孫とゲームやトランプをする方が脳トレになると、母はケロリとしたもの。もうすぐ九十四歳! いつも前向きな母に皆で工ールを送ります。”(12月7日付け中日新聞)

 明けましておめでとうございます。今年もいい話をお伝えしたいと思いますので、ご訪問ください。

 愛知県豊田市の主婦・田中さん(72)の投稿文です。元気な高齢者は本当に元気である。ボクも多くの人を知っているが、それでも94歳でこの行動力は驚くばかりである。ボクの知るグラウンドゴルフ仲間でも94歳は知らない。「家を一歩出たら見えを張ってシャキッとしている」、これも元気な元かも知れない。キチンとした姿勢は気持ちも若がえさせる。100歳を超えて絵画教室の指導者をしている人を知っているが、本当に人様々である。高齢者に「きょうよう」と「きょういく」は本当に大切である。ボクもそう思って心がけているし、そう思ってサロンなどを開いている。自分から老けさせることはない。
 ボクが出かけるところは、ボクが若手の場所が多い。最も若い時もある。多くはボクの数歳若い人で途絶えるのである。いつまで経っても若手である。後期高齢者で若手とは、今の組織は近々なくなるだろう。その後新しい組織ができるだろうか、これが気がかりである。



柳&ウォーク