ha2112

第210号  2021年12月


 

(第3252話) 全席優先席

2021年12月31日 | 意見

 “優先席は必要ないと考える。優先席があってもなくても自然に席を譲るようになってほしいからだ。電車に乗っていたとき、ある駅から身体障害者の方が乗ってきたのを見かけた。優先席ではない席に座っていた若い男性が近寄り、「席はこちらですよ」と案内した。男性のような人が増えたら自然と席を譲り合えるようになると思う。
 優先席がないと空いている席に気がねなく座れるので空席がむだにならないというメリットもある。周りの人を思いやれない人がいると、優先席がないと席を必要とする人が座れないというデメリットもある。しかし「全席優先席」の考えが広まればいいと考える。”(12月8日付け中日新聞)
 
  名古屋市の中学3年・中嶌さん(女)の投稿文です。昔は優先席はなかった。と言うことは全部が優先席であったのである。ところが譲る人が減ってきた。そこで、苦肉の策として優先席が設けられた・・・とボクは思っている。そして優先席のメリット、デメリットは中嶌さんが言われるとおりである。優先席が空いていのに立っている人がある。空いていれば遠慮無く座り、その代わりいつもまわりを気にし、対称になる人がいたらサッと代わればいいのである。目の前に立たれるのも結構嫌なものである。
 ところが今の現実は、優先席に対象外と思われる人が堂々と座っていることの方が多いのである。周りに対象の人が来ても譲らない。スマホをじっといじっているのである。優先席の意義もなくなってきた。もうなくした方がいいかもしれない。そして、中嶌さんが言われるように「全席優先席」の思想を植え付けるのである。こうしたことは優しい人が多くなれば自然にできることであるが、現実は逆に、逆に動いている気がする。

0
0

(第3251話) 漢字クイズ

2021年12月28日 | 行動

 “結婚して十五年-。妻とは毎日曜、本紙サンデー版にある漢字クイズに挑み正解数を競っている。十問中いくつ解けたかをカレンダーに記入し、週間、月間、年間チャンピオンを決めている。妻は今、漢字検定で準一級を取得するほどの強者となった。
 中学校二年生と小学校六年生の息子二人も、今年から私たち夫婦の漢字クイズに参戦してきた。長男は書ける字が増えたとはいえ、私は断トツの妻に続く二位を維持してきたが、九月の問題で私はまさかの最下位に。仕事ではほとんどパソコンを使い、漢字を書く機会が減ったためだろう。家族の皆に内緒で漢字の勉強をやり直そうかな。”(12月7日付け中日新聞)

 愛知県大口町の会社員・梶田さん(男・47)の投稿文です。家族で新聞に掲載される漢字クイズに取り組む。それも、中学校二年生と小学校六年生の息子二人という、親にとってはなかなか扱いにくい年齢である。余程穏やかな家庭であろう。一人でやるより励みになる。それもこのように成績をカレンダーに書き込み、競われる。最下位になって悔しがられる梶田さん。気持ちも若い。
 先日、今の子どもはHBのエンピツが使えないと聞いた。キーをたたくことばかりで、指先に力を入れる機会がないからと言う。先日の果物の皮むきと同じである。信じられないが、そうであれば、梶田さんの息子さんはそれも解消されよう。
 ボクの妻もサンデー版を活用している。数独からこの漢字クイズ、クロスワード。漢字クイズではあまりに分からないと、ボクにもやらせる。今のわが家はこんな程度であるが、もっと一緒に取り組んでもいいと思う。ボクの気持ち次第だろう。

0
0
0

(第3250話) 「かきくけこ」胸に

2021年12月26日 | 行動

 “農業人として米や柿などを栽培しつつ、素晴らしい老後を送るための「老活」にも自分なりに精いっぱい頑張っている。午前六時から一時間ほどウオーキングし、その後は時間の許す限り田畑にいて、自家用としても各種野菜や果実を育てている。新型コロナウイルスの影響でここ一年半は、一人でもできる趣味として園芸や登山、筋カトレーニング、自分史執筆などに力を入れ、認知症予防に努めてきた。近年は地域住民と一緒に農道の草を刈ったり、休耕田にコスモスの種をまいたりして農村景観の保全にもいそしむようになっている。
 自分の中では終活はまだ早い。「感動」「奇麗」「工夫」「健康」「貢献心」の各頭文字「かきくけこ」を大切に老いたいと考えている。”(12月2日付け中日新聞)

 岐阜県本巣市の農業・関屋さん(男・74)の投稿文です。素晴らしい老後の過ごし方と思う。それも自分で考え、積極的に行われている。それが「かきくけこ」によく現れている。精いっぱい頑張っている、と言われるゆえんである。終活はまだ早いと言われる。ボクと2歳違うだけである。人生、気持ちの持ち方が大きく左右する。こうした言葉を意識して行動することは大きな力になることでしょう。
 こうした5音による教訓を今まで数回紹介して来たと思うが、「かきくけこ」が多いのである。2005年1月10日の第166話、2012年3月17日の1582話、2019年8月14日の第2826話などがあります。関屋さんと同じものありますが、違うものもあります。こんなことにも面白さを感じます。

0
0
0
0

(第3249話) 生まれ変わったら

2021年12月23日 | 人生

 “夫が一年前に十ヵ月の療養の後に、あっけなく肺がんで亡くなった。六十三歳だった。私たち夫婦は仲の良い方ではなかった。夫が亡くなっても正直、あまり悲しくなかった。むしろ、夫は奥さん孝行で、あまり私に世話をさせずに亡くなったと思った。
 そんなある日、風呂場の水道が水漏れするようになった。パッキンを交換しなくちゃいけない。夫がいれば簡単に交換してくれたなあと思いながら、私がやってみた。蛇口は外せたけど、中のねじが動かない。こんなことで水道屋さんに頼むのも悪いと思って、姉のご主人に頼んだら「やったことがない」と言う。
 「あー、どうしよう」と困った。夫を亡くしたんだと、しみじみ思った。そういえば、器用な夫は自転車の電気や勝手口の網戸をつけてくれたり、衣紋掛けを曲げてタオル掛けを作ってくれたりした。いなくなって初めて夫の良さが分かる。
 私が仕事、仕事と言っておらずに、もっと旅行に行ったり、夫の話を熱心に聞いてあげたりすればよかった。お互い、もう少し違う生き方をしていれば、夫は長生きできたのではと後悔する。今度生まれ変わったら、夫と家族ともう一度、違う人生を生きてみるのもありかな、と思う。”(12月1日付け中日新聞)
 
 名古屋市の主婦・森さん(61)の投稿文です。夫婦仲はあまり良くなかったと思っていた奥さんが、旦那さんを亡くされて懐かしく思う、夫婦とはこんなものかと改めて思う。ボクは親よりも子どもよりも、配偶者であろうと思っている。何と言っても一緒に過ごす時間が長い。そして養われる親より養う子より、共同作業が多いのである。夫婦は元々他人である。共に健在の時は、葛藤や喧嘩もあろう。でもそれを繰り返しながらも夫婦を保っていけば、森さんのような思いになろう。
 最近は「その年に結婚した夫婦と離婚した夫婦を比較すると3組に1組が離婚している」ことになるという。それも熟年離婚が増えているという。離婚するにはいろいろな状況があると思うが、一時の感情ですることではない。特に高齢者はこれからこそ相方が必要になる。女性は強いからまだいいが、まず男から言い出すことではない。また女性から言い出されないように、気配りが常に必要である。

0
0
0

(第3248話) 果物味わう

2021年12月21日 | 意見

 “春はサクランボ。太陽に照らされるときれいな赤色に光る実はかわいらしい。三つ子の実があると愛らしく食べるのがもったいなくなる。口にすると甘く幸福感に浸ってしまう。
 夏はスイカ。縁側に座って食べるのもよいが、自然の中で川で冷やして食べるとみずみずしく、また違う味を味わうのもよい。砂浜でスイカ割りをして食べるのもまたよし。
 秋はリンゴ。そのまま食べるのも甘くておいしいが、バーベキューなどで食べる焼きリンゴはなめらかな食感と果汁にいやされる。昼間に食べるより、夕暮れ時に外で食べると風情を感じる。
 冬はミカン。こたつに入って口にするのは言うまでもないが、かまくらの中で口にしたら心が温まり、体も自然と温かくなる。また一人で食べるより、家族で食べるのがいい。”(11月27日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の中学2年・倉知さん(女)の投稿文です。季節毎に味わう果物をあげ、その気持ちを書く。快い文に詩を覚えます。果物が好物の人は多いでしょう。ボクはここにあげられた果物はすべて大好きです。スイカとミカンは家で作っています。今年もスイカはよく成りました。思い存分食べられました。そしてスイカにはボクがまだ小学生の頃の思い出があります。畑へ父といった時、父がその場で割ってくれて食べました。生暖かいスイカでしたが、いい思い出です。ミカンは、父が植えてくれたミカンの木がまだあります。父が亡くなってもう40年ですから、植えて50年くらいたっているでしょう。数は少ないが、今年も成っています。数年前に、新しい木を2本植えました。今年は2人で食べる分は成りました。サクランボとリンゴの木はありません。サクランボ狩りに出かけた時、思い切り食べるくらいです。リンゴは時折妻が買ってきます。
 最近の子どもは果物をあまり好まないと聞きます。特にリンゴやミカンなど皮を剥くのは、面倒で嫌うという話を聞きました。ボクには信じられない話です。その点、外やこたつで食べる嬉しさを語る倉知さんはボクの感覚そのままです。

0
0
0

(第3247話) 弱が強に

2021年12月19日 | 意見

 “今年の日本シリーズは、熱い。おもしろすぎる。ヤクルトもオリックスも前年まで二年連続の最下位チームだったのに、一転、手に汗にぎる熱戦、躍動、感動の戦いを繰り広げている。両チームとも選手がすべて入れ替わったわけでもないのに、なぜこれほど強くなったのか。その原因究明は専門家にお任せするとして、私が驚くのは、集団の力は個々の力の総和ではないという原理を結果としてみせてくれたことだ。
 明治の初め、福沢諭吉は「集団の力」についてこんな例え話で説明している(文明諭之概略)。臆病者でも三人集まれば臆病ではなくなることがある。この場合の「勇気」というのは、一人一人の勇気の合計ではなく「三人の間に生ずる勇気」なのだ、と。人と人との関係、組み合わせの仕方によって集団の力が変わってくることを化学変化にも比している。カセイソーダと塩酸は個別では劇薬だが、合成すれば食塩となって「日用に供すべし」。逆に、無害な二つの物質が合成によって劇薬となる場合もある。”(後略)(11月27日付け中日新聞)

 「風来語(かぜきたりてかたる)」という欄から編集者の文です。二年連続の最下位チーム同士で日本シリーズを闘う。学生野球のように毎年選手が大きく替わる訳でもなく、一人の選手に大きく負っている訳でもないプロチームである。本当にこんなことが生じるのだ。そしてどの試合も接戦であった。
 そしてこの編集者の文である。集団の力である。集団であるから大きな力となる。それが良い方向に向かえばいいが、悪い方向に向かったら大変である。日本人は「右向け右」と言ったたら、皆が一斉にそちらを見てしまう。個々の判断、状況はもうそっちのけである。それが世界大戦でもあったろう。近くで言えば、このコロナ禍でもあった。少し違う言葉や行動を取ればもうやり玉である。それだけに怖い。
 この日本シリーズに勇気を与えられた人は多かろう。人生、いつ逆転するかも知れない。今恵まれない人は諦めてならない。最善を尽くすのみである。逆に、今恵まれている人はいつ苦境に陥るかも知れない。驕ることなく、謙虚に、感謝を忘れず。今のボクは後者である。

コメント
0
0
0
0

(第3246話) 安否確認 

2021年12月17日 | 行動

 “昨年三月、主人が他界し、一人暮らしになった私。車で一時間くらいの他市で暮らす長男一家が時々、様子を見に来てくれます。ある日、私から長男に、安否確認のため「毎日ライン交換しようか」と話しました。横で聞いていた高校二年の男の孫が、すぐに「ぱあちゃん安否確認」と名付けて、四人のライングループをつくってくれました。
 私から朝は「おはよう」、夜は「おやすみ」のスタンプを送ると、誰かがスタンプで返事をくれます。送ったラインに既読マークがつかないと、どうしたんだろうと心配することも。逆に、こちらがすっかり忘れていると「おや?」なんてラインが来ます。大慌てで「てへっ、忘れちゃった」と返します。遅くにおやすみスタンプを送ると「きー!」と返ってきます。みんな私のことを見ていてくれるんだなと思うと、とても頼もしくなります。
 最近、小学六年の男の孫がスマホを買ってもらい、仲間になりました。ラインができるようになった孫は、うれしくて毎日かわいいスタンプをいっぱい送ってくれます。もう一年くらい続いていますが、みんなが私を楽しませてくれ、ほっこりとする毎日で幸せを感じます。優しい孫に育ててくれた嫁に感謝。”(11月26日付け中日新聞)

 愛知県瀬戸市の近藤さん(女・74)の投稿文です。私の村を見ていても、一人暮らしの高齢者は増える一方です。老夫婦だけの家庭が多いのですから当然です。いずれわが家もそうなります。そしてその時、安否問題が生じます。近藤さんは、家族とライングループを作られました。毎日スタンプを送る。それで確認ができる。今らしい良い知恵でしょう。やっていれば安否確認だけでなく、いろいろなやり取りも生じるでしょう。いい相乗効果を生むでしょう。こうした家族はもう沢山あるでしょうし、これからますます増えるでしょう。ラインはいいグッズです。我が家族もラインを利用していますので、その気になればすぐにもできます。
 役所もいろいろな方法を試行、模索しています。スマホ利用を推進するような施策も施されています。スマホはやらない、できないと言っていると、恩恵を受けることができません。スマホに毒されてもいけませんが、可能な人は挑戦する時代でしょう。あまりも早く変化する時代に高齢者には辛いことも多いのですが、ここは好奇心、挑戦です。

コメント
0
0
0
0

(第3245話) たわしを作る

2021年12月15日 | 行動

 “洗剤の量を減らせ、水を汚さないことにも寄与するとされるアクリルたわしを、ここ二十年間で千個以上作った。二〇〇五年の愛・地球博時、積極的なPRに関わってきた知人に手渡してきた。しかし一年ほど前、アクリル毛糸のくずが海面の汚染にもつながりかねないことをテレビ番組で知った。そこで今度は番組内で紹介されたヘチマのたわしを作ろうと思った。種子から育て、九月、熟れた実を二枚重ねのポリ袋に入れて雨水に浸した。数日して腐った皮をはがし、水洗いして干した後に長さ数センチの輪切りにしてひもを通して完成させた。
 仮に微力であっても、地球環境の改善に私は貢献したい。”(11月23日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の中村さん(女・81)の投稿文です。続いて環境問題への行動です。洗剤が悪いと知ってアクリルたわしへ、更にこれにも問題があると聞いて今度はヘチマのたわしへ。アクリルたわしは20年間で千個以上作ったと言われる。今年からヘチマたわしである。これほど環境問題に真摯に接する姿勢には感動さえ覚える。今や81歳の高齢女性である。中村さんのこの姿勢は子孫への思いであろう。今の若い人は自分の問題である。
 環境問題は難しい。良かれと思ったことが悪い面を持つこともある。このアクリルたわしもその一つの事例であろう。でも一度に変えることはできない。少しでも良い物に変えることである。それがこの場合ヘチマのたわしである。ヘチマは植物、用を足せば自然に返る。これ以上のものはなかろう。日々環境を意識しながら、少しでもいいものを使用する、これに尽きるのではなかろうか。

コメント
0
0
0
0

(第3244話) 「いのちの石碑」

2021年12月13日 | 活動

 “東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県女川町で、津波の脅威を後世に伝える「女川いのちの石碑」の21基目が完成し21日、除幕式が開かれた。発生直後に町立女川第一中(現・女川中)に入学した生徒らが「1000年先の人々の命を守りたい」と建立を発案。町内の津波到達地点より高い場所に計21基建立する計画が達成された。
 最後の1基は、昨年移転した町立女川小・中学校脇に建立。式典で、同級生ら有志でつくる「女川1000年後のいのちを守る会」会長の阿部由季さん(23)は「石碑が震災を後世に語り継ぐ一つのきっかけになれば幸いです」と話した。
 石碑は震災を記録に残し、将来の津波被害を最小限にするため当時の生徒が提案。修学旅行先などで街頭募金を行い資金を調達し、2013年11月に1基目が完成した。卒業後も活動を続け、これまでに20基を町の防災集団移転地など高台に設置してきた。(後略)”(11月22日付け中日新聞)

 記事からです。東日本大震災を忘れないようにいろいろな知恵が出されている。これもその一つである。でも驚いた、1000年先を見据えているということに。中学生の発案という。多くの人は自分の世代と数代先の子孫を考える程度である。そしてその行事も50年100年である。ボクなどこれから先の人は大変だ、と言っているだけである。これは地球規模のことである。1000年と言われても不思議ではない。若い人の着想は素晴らしい。
 今や地球環境問題は多岐にわたる。何千何万年と保ってきた地球環境を、人間がここ100年で大きく変えてしまった。温暖化問題など、生存に関わる問題も起きてきた。1000年単位で考えねばならないだろう。目の前の欲にとらわれて、取り返しのできないことにしてはならない。ジェスチャーやポーズで終わらせる時代は過ぎた。

コメント
0
0
0
0

(第3243話) 5年後こそ

2021年12月11日 | 出来事

 “私たち夫婦は十月、結婚五十年を迎えました。わが家の歴史を振り返れば今は亡き義父母、私たち、うちの三男夫婦と三世代がちょうど三十年ごとにいずれも名古屋市の熱田神宮で式を挙げました。同神宮では式後も五年ごとに夫婦が招かれる「結婚記念の年を祝う集い」が催されますが、夫婦にとって金婚式となる今年は新型コロナウイルスの影響で昨年に引き続いて集いが中止となり、とても残念です。四十周年と四十五周年のとき、ともに息子三人の各家族と皆で一泊旅行をしましたが、それも今回諦めました。
 五年後は三男夫婦の銀婚式。そのときは「祝う集い」が無事開催されますことを私は切に願っています。”(11月22日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・山田さん(72)の投稿文です。「三世代がちょうど三十年ごと」に結婚式を挙げられたという事実にまずびっくりしました。こんな偶然も世の中にはあるのだ。それも同じ熱田神宮で。なんと幸せな家族であろう。
 この文で熱田神宮では、式後5年ごとに「結婚記念の年を祝う集い」が開かれていることを知った。結婚記念日は15年目までは1年単位、以後は5年単位で祝う呼称が付けられている。全記念日で招いていたらすごい組数になってしまうので、5年ごとの20年からであろうか。結婚記念日もつい忘れるので、通知をもらうと改めて知ることになる。神宮に行かなくても、自分達でだけで何か祝い事をする気になるかも知れない。結婚記念日をほとんど忘れてきたボクには、羨ましい通知である。

コメント

(第3242話) 補聴器 

2021年12月09日 | 行動

 “耳かけ補聴器を使い始めて十年近くになる。二つ目だ。店員さんは毎日使うようにと言われたが、普段は使っていない。必要な時だけ使う。たいてい人の声は聞こえるが、今はみんなマスクの中でしゃべるので、聞こえない時もある。
 医者に行く時は必要であるが、マスクに眼鏡と補聴器は、人が思う以上に厄介である。病院の入り口で補聴器と眼鏡を取り換える。先生の声がよく聞こえ、説明がよく分かる。ある日、病院の帰り、補聴器をつけたままスーパーマーケットに寄った。今日は何と騒々しいのだろうと思い、慌ただしく買い物をして、外に出た。
 みんなこんな騒々しい中で買い物している。何といろいろな音の中で生活しているのだろう。そう言えば昔、私もこの騒がしい音の中で平気で暮らしていたっけ。その日は補聴器のまま家に帰り、戸の鍵を開ける音にも驚き、急いで両耳から補聴器を抜いた。「あー、静かで落ち着くなー」と思った。かすかに聞こえる耳鳴りも懐かしくさえ思える。補聴器なしの生活もいい。あらためて必要な時だけ使おうと思い、専用の容器に補聴器をしまった。”(11月20日付け中日新聞)

 愛知県扶桑町の井戸田さん(女・87)の投稿文です。ボクも今年10月に補聴器を購入した。井戸田さんはもう10年と言われる。しかし、この文はボクの使い方、感じと全く同じであり、10年でもほぼ同じかと驚く。ボクはテレビを見る時と講演会などの他は多数での雑談くらいである。それも時折忘れる。耳にメガネとマスクと補聴器が重なって、億劫なことも事実である。でも、利点を知ったので慣れが次第に身についてくるだろう。
 言われるよ言うに、器具などの触れあう音の騒々しいことに驚く。これが正常なのだ。聞こえなくなった分、静かな世界で過ごしてきたのだ。補聴器は高価なのに、買ってみたのに着けない人が多いと聞く。それですぐ買うのを躊躇した。それを言うと、それはひどくなってから着けるので、違和感が大きすぎるからとも言われた。検査ではボクは軽度と中度の境くらいであった。店の人が言われるのには、この程度で着け始めるとあまり違和感はなく着けられるので、よいと言われた。店の人に乗せられた気もしたが、今は買って良かったと思っている。
 井戸田さんが着けられたのもボクとほぼ同じ年齢、と言うことはほとんど悪化していないことになる。ボクはどうなるのだろう。

コメント
0
0
0
0

(第3241話) 孫の言葉

2021年12月07日 | 出来事

 “七十七歳の誕生祝いとして孫五人から思い思いの言葉や、絵をもらった。わが宝物として額に入れて居間に飾っているが、その中には「いつもおいしい野菜を作ってくれてありがとう」とつづられ、周りに色鉛筆でキュウリやナス、スイカ、トウモロコシ、ニンジンなどが丁寧に描かれているものがあった。同居する三人の孫の一番上にあたる中学校一年生の作だ。半世紀にわたって、いろいろと栽培してきている私へのねぎらいだと思い、目頭が潤んできた。
 スーパーに行けば色やつや、形の良い野菜や果物がたやすく手に入る昨今とはいえ、その成長を日々間近で眺め肥料や水をやって育てたものの昧は格別だ。孫娘の文と絵に背中を押してもらった気がして、これからも頑張ろうと意欲が湧いてきた。”(11月16日付け中日新聞)

 滋賀県米原市の江竜さん(男・77)の投稿文です。孫に弱いのは世の中の趨勢のようだ。江竜さんも孫の手紙にメロメロである。そしてその内容が、江竜さんの精魂込めた野菜への感謝となれば、もう当然であろう。野菜作りは、本人のためにも非常にいいことである。自然の中で成長を楽しみ、更に食べられる。家計の助けにもなる。更に心身の健康に非常にいい。と言っても野菜作りには苦労も伴う。それで食べてもらえる人があって、少しの感謝の言葉もあればその苦労も癒やされる。それが孫ともなればなおさらである。額にも入れたくなるであろう。これはお孫さんの、江竜さんに健康に気を付けて長生きしてほしい、気配りであろうか。
 ボクも家庭菜園と言うには広すぎる畑を守している。草と闘争するだけでも大変な苦労である。当然野菜を作るが、とても夫婦2人の家庭では食べきれない。娘や知り合いへ配っている。作るのはボクの役目、収穫と配るのは妻の役目。知り合いへは物々交換の感じもある。返って迷惑かも知れないが、これも交流であろう。返ってくるものは大方ボクの好物である。

 

コメント
0
0
0

(第3240話) 妻にラブレター

2021年12月05日 | 出来事

 “妻と結婚してはや六十年。農家として二人で力を合わせ、おいしい野菜を作ってきました。子ども四人は皆自立してそれぞれ家庭を持ち、妻とはカラオケやグラウンドゴルフを楽しんできました。それが二年ほど前からでしょうか妻の物忘れがひどくなり、家事も農作業もできなくなってしまいました。病院で診察してもらうと妻はかなり進行した認知症でした。理解できない行動を妻が取るたび注意したり、怒ったりしてきましたが、気付けば互いにストレスを抱えていたようでした。このためケアマネジャーの勧めもあって、妻を介護施設に入所させることにしました。
 一ヵ月後、施設から手紙が届きました。妻は食事や洗濯物を手伝い、元気に生活しているとのこと。「今は別の所に住んでいるけど、お父さん大好き」と話していたともつづられていて、うれしくなった私は早速妻宛てに「大好きだよ。愛しているよ」と結婚前以来のラブレターを書いて郵送しました。数日後、施設の介護士からの連絡では、妻は手紙を読んで顔を真っ赤にしたとか。妻の外出や外泊の許可が出たら一緒に過ごそうと考えています。”(11月16日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の農業・成瀬さん(男・84)の投稿文です。ボクはグラウンドゴルフを始めてこの夫婦を知った。同じクラブの会員である。と言っても成瀬さんは20年以上、ボクは数年である。奥さんと一緒に回ったこともあるし、成瀬さんとは今も一緒に回ることがある。そしてこの投稿文である。
 成瀬さん夫婦がどんないきさつで結婚されたかは知らない。もう60年も前である。単なる見合いであったのか、はたまた大恋愛であったのか。いきさつはさておき、夫婦は一緒になってからが夫婦である。過程は千差万別いろいろあろうが、最重要点は最後の頃である。「終わり良ければよければすべて良し」という言葉もある。80歳にして「お父さん大好き」と話し、聞いて「大好きだよ。愛しているよ」と答える。認知症といわれるが、施設でいろいろ手伝いをされていると言われるから、まだ正常な状態が多いのであろう。十分やり取りを理解されている。「妻は手紙を読んで顔を真っ赤にした」と言われる文には、ボクも思わず微笑みたくなる。これは最良の夫婦であろう。それも投稿されている。相思相愛を公言してはばからない姿である。これ以上の最良の夫婦があろうか。
 さて、自分で言うのは少しはばかられるが、我が夫婦は大恋愛の類いである。そして今、こうした言葉の交流はあるかと問われれば、ノーである。グラウンドゴルフもそうだが、成瀬さん夫婦に学ぶことは多い。我が夫婦は昨年金婚式であった。残されている時間はどんどん減っていく。

コメント
0
0
0
0

(第3239話) 手紙に感謝

2021年12月03日 | 出来事

 “数年前から、友人と二人で市の花壇の手入れをしている。活動範囲はなかなか広い。大小合わせて二十四の花壇があるのだ。花の植え替え、草取り、剪定、水やりなど。花の苗は知人から頂いたものや種から育てたもの、花市場の割引品などで何とか工面している。
 雪柳、紫陽花、萩、ススキ、クリスマスホーリー、椿など、季節ごとの花木の種類も増えてきた。今年も綺麗に咲いてくれたので、花壇で育てた花をもらってもらおうと、立て札を立てた。「ご自由にお取りください」
 数日後、立て札のそばに、八角形の木の板に書かれたメッセージが。「お花、少し頂きました。ありがとうございます。家の玄関と仏壇に飾らせて頂きます。時々、この遊歩道をウォーキングしています。花壇のきれいな花々や木々の緑にいつも心なぐさめられます。有難う。コロナに負けずに明るく過ごせますように」。思いかけないことで、とても嬉しかった。最近少し疲れ気味の私たちだったが、力が湧いてきた。
 「優しい心の持ち主の方、本当にありがとうございました!心の絆で結ばれたような。これからも花壇のお世話に精を出していきますね」さて、次は冬に向けてパンジーでも植えようか。”(11月9日付け中日新聞)

 三重県桑名市の主婦・松本さん(69)の投稿文です。2人である団体に参加されたのか、2人だけで行っておられるのか。この文からすると後者だと思われるが、そうだとすると信じられないくらい大きな活動である。花の調達まで行われている。市の花壇と言われるが、市はどのように関わっているのだろう。そして、咲いた花を「ご自由にお取りください」と書かれた。もらって行かれた人からお礼のメッセージが届いていた。お礼のメッセージに感謝されている。こうした言葉はやっている人にやる気や喜びを与える。本当に感謝し合う心の絆であろう。いずれにしてもこんな人もあるのかと、ただただ感心するばかりである。
 花壇の手入れをしている団体はいろいろある。ボクの最寄り駅の広場でも行われている。手入れをされている人に出会うと「ご苦労様」と声をかけることにしている。時折花の名前を聞く。名札を立てて欲しいと頼んだことがあるが、それは実施されないままである。公地で花壇が作れる場所はいくらでもある。だが始めてもなかなか続かない。今やっている団体も多分高齢化しているだろう。ますます難しくなると思う。

コメント
0
0
0
0

(第3238話) 好奇心

2021年12月01日 | 意見

 “米国プリンストン大上席研究員の真鍋淑郎さんがノーベル物理学賞に選ばれたのを機に語っていた言葉は教育的示唆こ富んでいた。研究の源泉は「好奇心」だといい、なぜそうなるのかとの疑問に挑んだ姿勢がうかがえる。「研究が楽しくて仕方ない」とのフレーズも印象的だった。
 真鍋さんの言葉は、学習塾で中学校三年生に国語を教える私にとって「論語」の一節、「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」にも通じる気がした。そう、夏期講習での十三時間特訓学習会の際、受講生から「勉強が楽しく感じられた」との感想が毎年寄せられる。
 自分の興味をとことん突き詰め、楽しみながら社会に役立てる仕事ができたらどんなにいいだろう。”(11月9日付け中日新聞)

 岐阜県各務原市の塾講師・大堀さん(男・62)の投稿文です。ノーベル賞受賞者の言われる「好奇心」とボクが思う好奇心とは、格段の差があり比べられるものではない、それでもボクも好奇心は重要だと思っている。チャンスは毎日のように誰にも訪れる。ただそれを何気なく見逃すか、少しの興味で乗ってみるか。ちょっと乗ったことでノーベル賞まで行き着くか、また一生の趣味になるか、こんな大きな違いになることもある。この興味が好奇心であろう。
 これはボクが昔から言ってきたことである。それはボク自身が今やっている川柳やウォーキングがそうだからである。きっかけはほんの小さなこと。川柳は誰にも言われた訳ではなくほんのいたずら心で、始めてもう40年である。ウォーキングは人の誘われてであったが、これももう30年近い。今年の10月から己書を始めた。これは今年展覧会を見たこと、そして10月に地元の公民館で己書の講座があったことにある。展覧会を見たことが講座を申し込むきっかけであった。「話・話」 と連携させたので、長く続きそうな気がする。チャンスをものにした気がする。そして、大堀さんの言われる論語の言葉「楽しむ」、まさにそうであろう。楽しめるから続けられるのである。

コメント


柳&ウォーク