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第209号  2021年11月


 
 

(第3237話) 冬の七夕

2021年11月29日 | その他

 “冬の一宮市中心部を照らす毎年恒例のイルミネーションの点灯式が三日、尾張一宮駅前ビルで開かれた。駅周辺で計十六万球の発光ダイオード(LED)をともし、多くの人たちが写真を撮って楽しんでいた。
 一宮商工会議所などでつくる協議会が毎年実施し、今回が七回目。「冬の七夕」をテーマに、織り姫とひこ星をイメージしたピンクと青の照明を中心に使用している。駅の東口には音楽に合わせて色が変化する飾りを、西口には中からライトで照らす木製のツリーを設置している。
 点灯式には関係者ら約四十人が出席し、地元楽団による演奏も披露された。カウントダウンとともに電飾が点灯すると、会場からは歓声が上がった。中野正康市長は「寒くなる街を明るく照らしてほしい」とあいさつした。来年一月十日まで。”(11月5日付け中日新聞)

 記事からです。 インターネットの掲示板でも紹介しましたが、一宮駅前のイルミネーションは年々華やかになっている気がします。イルミネーションのLEDは1年で消耗するものではないので、毎年少しずつでも予算を増やしていけばLEDの数は増えるでしょう。数が増えれば華やかなになるでしょう。まだ油断のできないコロナ禍の中、華やかさや楽しみを与えてくれます。
 わが家もイルミネーションを飾りました。今は道路から見えるものが2本、250球くらい。もう1本は居間から見えるように、200球のものがついています。いずれもソーラー式で、暗くなればつく自動点灯です。1500円くらいのものですが、もう5年ほど使っています。段々光が衰えてきますので、来年には買う必要があるかも知れません。でも道行くう人やボク自身をこれだけ楽しませてくれれば、安いものでしょう。最近、個人のイルミネーションが減っているという話もありますが、ボクはもう少し続けたいと思っています。

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(第3236話) 子どもの言葉

2021年11月27日 | 行動

 “ここ二年ほど、二人のわが子が口にして、うれしかった言葉の数々をメモ用紙に走り書きしては、折って菓子の空き缶に収めるようにしています。七歳の娘と五歳の息子の成良の証しを何らかのかたちで残したいと思ったからです。「カマキリさんって目がすてきだよね」「ママのこと、どうしてこんなに好きなんだろう」-。ささいなものばかりですが、疲れたり落ち込んだりしたら缶に手を入れ、それこそ、おみくじのように紙を取り出して読んでいます。子どもらしく純粋で好奇心いっぱいの言葉の端々から、ほっこりできます。こんな缶の「幸せ貯金」の力で私は充電完了。今日も頑張ります!”(11月5日付け中日新聞)
 
  愛知県半田市の公務員・沢田さん(女・35)の投稿文です。7歳と5歳は幼すぎず、反抗にはまだ遠すぎる年齢でしょう。思ったままを口にする、素直な時期でしょう。その言葉に驚き感心し、その言葉をメモし、貯金箱に入れる。いろいろな親があり、いろいろな方法があるものだと感心する。沢田さんはその言葉に力づけられている。子育ての魅力を十分に生かされていると言えるでしょう。こういう年齢も程なく終わるでしょう。その時、子どもにもこのメモを見せる。どんな反応になるのか、これもまた楽しみです。
 ボクの家では毎日数時間、フォトフレームが動いています。孫のこの頃の写真もいっぱい出てきます。多くはボクがウォーキングに連れて行った時のものです。その仕草のかわいいこと、妻はいつも微笑んでみています。ボクも懐かしく見ています。この頃の子どもは本当に良い。何かの形で残しておきたいものです。

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(第3235話) 雨の日

2021年11月25日 | 意見

 “雨が嫌いでした。晴れの日は一日中気分が良く、雲一つない青空を見ると自然と元気になります。が、雨の日は憂鬱な気分になり、通学も大変になるからです。しかしあることを知ってから考え方が変わりました。それは雨のメリットです。
 雨の降る音は心を落ち着かせてくれます。晴れの日よりも紫外線の量が減ります。目に入る光が優しくなるため色がきれいに見えるように思います。湿度が高く肌の状態もよくなります。花粉の飛散量も少なくなります。たくさんのメリットがあるのです。
 物事には全て一長一短があります。短所だけを見るのではなく、長所も見て、前向きに考えることが必要だと雨から学びました。雨の日には自分なりに良い面を見つけるようにして、気持ちを切り替えて気分よく過ごしていきたいと思います。”(11月2日付け中日新聞)

名古屋市の中学2年生・梶原さん(女)の投稿文です。素晴らしい発見です。何事も考え方、捉え方によって違ってきます。特に雨は、子どもさんにとってあまりいいいことは少ないかも知れません。それでも梶原さんはこれだけのメリットを挙げられました。雨は人類全般を見ればもっと多くの重要点があります。まず飲み物、そして植物を育てる人にとってはなくてならないものです。しかし、水害も起こします。言われるように「物事には全て一長一短」があります。特に自然物は良い面と悪い面があり、それは避けられないものです。人間が自然を克服するなど傲慢で、どう付き合うかだと思います。
 ウォーキング愛好家に「雨も自然、雨の日には雨の日の良さがある」という言葉があります。雨の日だからやめると言うことでなく、雨の日も歩いて雨の日の良さを知りましょう、と言うことです。好天では分からないこともあります。特に若い人はいろいろ体験することでしょう。

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(第3234話) ルール守って

2021年11月23日 | 意見

 “昨年春から地域で資源ごみの整理に携わるようになった。そこで気付いたのはルールが守られていないということだ。ペットボトルのラベルとキャップは本来取り除くはずなのに、付いたまま出されていることがままある。瓶の金属製のふた、割れた瓶の破片は不燃ごみなのに、資源ごみのかごに堂々と入っていることも。これらのことを口頭や張り紙で伝えても、なかなか周知されない。こちらで対応しきれない場合、名古屋市の環境事業所に迷惑をかけてしまう。
 リサイクルの推進にはごみを出す側一人一人が手間を掛けて分別することが不可欠。地球環境保護のため皆で考えていきたい。”(10月30日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・高見さん(女・62)の投稿文です。資源ごみの回収はすべての自治体で行われているだろう。しかし、分別の仕方は各自治体によって様々である。それはその自治体の処理方法や施設能力にとって違ってこよう。よって住民はその仕方を知る必要がある。
 我が町ではその処理に当たる団体は月ごとの決められている。ボクの町では老人会は9月と2月が割り当てられている。ボクももう何回となく分別処理に当たってきた。今年も9月に行った。大方はできているが、中には違いもある。この際にと出す人もある。ボクはいつも瓶のキャップを取る役をしている。ハサミみたいなものでこじ開けて取る。これは道具がなくてはなかなか難しい。ボクのした状況では資源ごみはそれ程の不満がないが、生ゴミの出し方の方が問題が多いようだ。いずれにしろごみは出ししまえば終わりではない。一人一人が少しの手間を負い、他の人に大きな負担をかけないことであろう。

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(第3233話) 考え方

2021年11月21日 | 意見

 “両親が亡くなりもう何年もたつのに、会いたくなります。「もっと話がしたかった」「孝行したかった」と遺影に手を合わせてきました。涙がこぼれ落ちるときもありましたが、テレビの対談番組を見てそんな考えは変わりました。若い男性の脚本家がモデルを職とする女性に「両親は亡くなったが、僕の体は両親でできている。体の中に両親がいるといつも思っている」と語っていました。それを聞いて「私には両親の血が流れていて、体の中で今も生きている」と思えてきたのです。
 以降わが心は強くなり、つらくても「負けないぞ」と勇気が湧いてくるから不思議です。考え方次第でこんなに前向きになれるのですね。”(10月28日付け中日新聞)

 岐阜県美濃加茂市のパート・坂井さん(女・64)の投稿文です。64歳の女性が、両親のことをこれほどに慕い続けるのか・・・・。ボクにこれほど両親のことを思えない。薄情なのだろうか、男だからであろうか。若い時、ボクは両親とあまりすっきりとは行かなかった。そのせいであろうか。でも今は「私には両親の血が流れていて、体の中で今も生きている」ことは実感している。顔を見れば似ていると言われる。昔はよく年長者に「君の親は君のことをこう言っていた」とよく聞かされたものである。先祖があって、親があって自分がある、これはまぬがれることのできない事実です。これは誰もが認めざるを得ないでしょう。そう思うと感謝の念も湧てくる。私はほとんど毎日にお墓に行く。そして昨日あったことを、今日も無駄にしないように過ごしたいことを告げる。こうするようになってより前向きになれた気がします。少しばかり遅かったのですが、その分長生きして取り戻したい、そんな気持ちです。

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(第3232話) 自ら考える

2021年11月19日 | 活動

 “理数教育を重点的に推進する文部科学省の「スーパーサイエンスハイスクール」の同高で約18年、科学の魅力を伝えている。「赤ジソの葉が赤いのはなぜ?」などと自ら問題提起し、生徒に理由を考えてもらい、実験で赤い色素の役割を解き明かしてもらう。「調べたことをつなぎ合わせると、見えてくるものがある。その楽しさを知ってほしい」と目を輝かせる。大事にするのは、生徒に考える時間を持ち、意見を言ってもらうこと。母校の名古屋大で研究者を目指していたころ、教員と学生らが研究について対等に意見を交わし、刺激になっていたことが念頭にある。「教科書の内容を教えることが先立つと、生徒が受け身になってしまう」。対面の授業では、最後に「これって不思議じゃない?」と問いかける。(後略)(10月26日付け中日新聞)

 第52回中日教育賞を受けられた名古屋市の高校教諭・伊藤さんの紹介記事からです。この伊藤さんを紹介するのは、高校1年のボクの孫がこの学校に通っているからである。孫が言い出す前にボクはこの高校のことを全く知らなかった。「スーパーサイエンスハイスクール」と言う制度も知らなかった。孫は、小さな中学校ではあるが、トップグループにいた。ボクとしては地元のボクの母校へ行ってくれるものと思っていた。ところが違っていた。名古屋の高校である。なぜ遠い名古屋?。何かのテレビ番組を見たらしい。そしてこの高校を知り、中学1年から決めていたという。愛知一番の難関?と言われる有名私立高校に合格もした。ボクも娘もそちらを希望したが、孫は意志を貫いた。時折状況を話しに来てくれる。ボクの母校ならある程度のことは聞かなくても分かる。ところがこの高校は全く違っていた。全く楽しいらしい。聞く楽しみが増えた。この先どんな道をたどるのか、若いと言うことは羨ましいものだ。

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(第3231話) 花咲く頃に

2021年11月17日 | 行動

 “朝、窓を開けた夫が「金もくせいのにおいがしないか」と言うので、私も鼻をクンクン。確かに、風に乗っていい香りがしてきます。隣家とお向かいの庭の金もくせいが、小さなオレンジ色の花をつけています。もうそんな季節がめぐってきたのだなあと思いつつ、「モクセイの花咲く頃は」で始まる生命保険会社のかつてのCMソングを思い出しました。故郷の情景が思い浮かぶ歌詞で、懐かしさがあふれてきます。私の大好きなCMでした。
 私は昨年三月から今年八月まで、抗がん剤治療を続けてきました。新型コロナウイルス感染拡大の時期と重なり、通院以外はずっと家で過ごす日々でした。コロナがなければ、少しでも動けるうちに、あちこち旅行に行きたいと思っていたのに、どこへも行けず、とても残念でした。
 再発して九年、転移もあります。抗がん剤治療と主治医の先生から言われたときには、すぐに脱毛が頭に浮かびました。でも大したことではないと思い至りました。今ではいい具合にグレーヘアになり、とても気に入っています。人生の終わりが近づいてきた気もしますが、また次の治療を続けながら、来年ももくせいの花咲く季節にめぐり合えますように。”(10月26日付け中日新聞)

 静岡県藤枝市の主婦・小山さん(68)の投稿文です。9年前と言われるとまだ60歳である。その時ガンが分かり、どんな治療をされたのか、この文からは分からないが、何かされたのであろう。そして、昨年から1年半以上に及ぶ抗がん剤治療である。この文から思うに小山さんはかなり前向きな人に思える。文の書き出しがキンモクセイの話である。そして脱毛も大したことではないと受け止められ、今はグレーヘアが気に入っていると言われる。病気治療にはこの姿勢が大切と思える。
 今や誰もがガンに罹る可能性は高い。ガンを恐れていては生きていけない感じでもある。そして早期治療をすればかなりが生きられる。実は我が夫婦もガン患者である。ボクは平成28年1月に前立腺ガンにより前立腺全摘手術を受けている。もう6年以上経つ。1年1回定期検査を受けに行くが、今のところ再発や転移の恐れもない。ただ尿漏れが残り、これがいささか難ではあるが、普通か普通以上に元気な生活はできている。妻は何年か前に濾胞性リンパ腫を告げられ、4年前に放射線治療を受けた。そしてこの10月再発し、再び放射線治療を受けている。そしていろいろな不調を訴える。検査をしても問題は見つからないので、多分精神的なものであろう。小山さんのような前向きな精神が欲しい。特に老後は病気との闘いでもある。いろいろな事例を知り、精神も鍛えねばいけないだろう。

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(第3230話) 古典で学ぶ

2021年11月15日 | 知識

 “「過ちて改めざる、これを過ちという」中国の思想家孔子の言葉である。「過ちと知っていながら改めようとしないことが本当の過ちだ」との意味である。「過ち」という言葉は聞き慣れないが、「失敗」に置き換えるとどうだろう。思い返すと、失敗したと思うことはこれまでにも多くあった。
 勉強量が足りなくてテストで悪い点を取ってしまい、「もう少し早くから勉強していれば良かった」と後悔した。そんなとき、すぐに次に向けて勉強を始めることができていただろうか。
 考えてみると「本当の過ち」をしてしまうことが多かった。失敗をきちんとふり返らなかったことを情けなく思う。これからは良くなかったと思うことをしっかりと見直し、同じ失敗をしないようにしたいと思う。”(10月22日付け中日新聞)

 名古屋市の中学2年生・石川さん(女)の投稿文です。石川さんは中学2年生である。この歳でこれだけの投稿文を書かれた。多分「過ちて改めざる、これを過ちという」の諺は生涯の座右の銘となろう。投稿し採択されたことは生涯忘れることはないからである。そしてこの諺は人生の根本であるのだ。過ちは誰もがする。新たな挑戦をすれば失敗はつきものである。そして反省し、乗り越えていく。いくつになっても必要だが、特に若い人には必要だ。これも出合いである。いい出合いをされたと思う。
 ボクはどうだったろう。その時その時にはいろいろ思っていたと思うが、それを今も思っているものがあるかと言われれば、それはノーである。意志薄弱だった気がする。今思っているのは「明日死ぬと思って行きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」である。これは名刺に印刷しているし、机の上に張り出してある。石川さんはこの掲載文を見えるところに張っておかれるといい。

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(第3229話) 定年後の糧

2021年11月13日 | 行動

 “六十歳で教員を定年退職した後、高等技術専門校造園科で一年学び、動植物公園で六十五歳まで働いた。その職をいざやめるときは寂しかったが、無理に働いて体を壊さないで良かったと思っている。以降は自分の技術を生かして知人宅のマツを剪定するとともに、自宅近くの三十坪ほどの家庭菜園で野菜を作り、現在はサトイモやラッカセイ、白ネギなど三十種類を育てている。人権擁護委員も務めていて、日々の体調に合わせて自分のペースで体を動かしている。
 振り返れば、定年後の人生なんて五十歳ごろまでは全く考えてこなかったが、事前に少しは思いを巡らせた方がいい気がする。仕事でも趣味でも何でも良い。頭や体を十分に使って寿命を延ばしたい!”(10月21日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の松下さん(男・74)の投稿文です。50歳頃から定年後を考えることはなかなか難しいかも知れない。職場では最盛期であろう。今思えばボクも50代前半が最も気も張り、張り切っていた気がする。そしてそのまま定年を迎えてしまうと、さあこの後何をやろうかとなる。またいろいろやりたいことを考えていても、一区切り終えた気分でもう根気が続かない、疲れてしまうなど、なかなか思うように行かないのである。早くから考えるには余程の意識が必要であろう。またただ考えるだけでは十分でなく、できれば少しずつでも着手したい。これには幸運も必要であろう。今では定年も延びたので、50代前半とは言わずとも、辞める5年前くらいからしたいものである。そう考えるとボクは幸運であった。30代半ばから川柳を始め、50前からウォーキングを始めた。それが今も続いている。

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(第3228話) 「まだ〇歳」

2021年11月11日 | 意見

 “名古屋市に住む長女から無料通信アプリで「九月二十日にいつものお祝い弁当送るわね」とのメッセージが届きました。以前、母の日と父の日は直接やって来てプレゼントを渡してくれましたが、新型コロナウイルスの影響で昨年、今年と会うことはできずにいたら、京都の料亭弁当を送ってくれたのです。でも九月二十日って何の祝い? 誕生日は先なのに・・・。そこではたと気付きました、敬老の日だと。夫ともども健康で趣味に忙しく毎日楽しく過ごせているため年齢を忘れていました。
 弁当はおいしく、ありかたくいただきました。自分の中で「もう何歳」というのは禁句にしています。この先いくつになっても、「まだ何歳」と言い続けるつもりです。人生はずっと上り坂だと思いますから。”(10月19日付け中日新聞)

 岐阜県可児市の主婦・冨士さん(72)の投稿文です。「もう何歳」と思うか「まだ何歳」と思うかは大きな違いがある。先がもう少ないと思うか、先はまだまだだと思うか、気分が違う。心意気も違ってくる。もう早く終末を迎えたいと言う人もあろうが、実は言っているだけで、本音は違うのである。その証拠に、どの人も少し体調が悪いと思うとすぐに病院に走る。ボクの母もそうであった。仏心の厚い母は早く迎えが欲しいと、常に言っていた。ところが、少し体に変調を感じるとすぐに病院へ行くのである。その母が「まだ90歳だから」と言った時には驚いた。そして97歳まで生きた。人生に勝者も敗者もないかも知れないが、ボクは長生きした人の方が勝者だと言っている。どんな状況の人も、ほとんどは死にたくないと思っているからである。冨士さんはまだ72歳である。本当にまだまだである。人生はずっと上り坂だと思うといわれるのも凄い。

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(第3227話) 「おはよう」

2021年11月09日 | 行動

 “午前五時に起き、犬の散歩と朝食を済ませてから自宅近くの五条川沿いを夫と四十分ほど歩いています。健康のための日課として始めてはや五、六年。出会う人に「おはようございます」と声を掛けていて、以前は返事をもらえなかった人からも返してもらえるようになりました。犬にも「おはよう」と声を掛けています。登校中の小・中学生からあいさつされるとうれしくなります。道中、虫や鳥、季節の花にも大いに癒やされています。
 時々出会う九十四歳の女性は達者な足取りで、つえもつかずに腰も真っすぐな姿は自分への手本になります。二十数年先もこうでありたいと思う今日この頃です。”(10月19日付け中日新聞)

 愛知県大口町の主婦・柳瀬さん(72)の投稿文です。散歩中などで出会う人に挨拶をする、何かと疎遠になる中、いい心がけだと思います。親からは村中で出会った人には、頭を下げ挨拶することをしつけられました。そしてそれは子供らにも伝えました。そして、孫にも伝わっていました。近くの人から褒められた記憶があります。ところが今はやっているでしょうか。怪しい気がしますが、一度聞いてみたいところです。
 そして、ボクもほとんど毎朝散歩していますが、誰にでも挨拶することを心がけています。何度出会ってもしない人にも繰り返しています。そのうちしてくれるようになるものです。ただ犬にはしていません。また日中、村中で出会った人にも挨拶を心がけています。老人クラブなど村のいろいろの役をしている、またしてきたボクには、すべての人が対象者だと思っています。知り合いだと話し掛けることにも心がけています。こんなことを言うと偉そうにと思う人があるかも知れませんが、たかが挨拶です。習慣ともなれば何と言うこともない事柄です。

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(第3226話) マスク生活

2021年11月07日 | 行動

 “仕事から帰宅してマスクを外し、手を洗いながら鏡に映ったわが顔を見て「これでは駄目だ」とがくぜんとしました。気付かぬ間に無精ひげとなっていました。新型コロナウイルスの影響でマスク着用が当たり前のこととなり、他人から見えない部分の手入れをおろそかにしてきた結果だと大いに反省しました。
 思えば若いとき、勤務先の上司や先輩から「身なりや机の整理整頓がきちんとできて初めて他人から信用されるものだ」と口うるさく言われました。現在の職場では私も年長者となり、あえて注意してくれる人がいないことも関係しているのでしょう。気を引き締め、今は毎日そるようにしています。”(10月16日付け中日新聞)

 三重県松阪市の会社員・山本さん(男・65)の投稿文です。またマスクの弊害の話です。今度は自分自身ことです。顔は一番よく見えるところだけに平生は気を使うものです。特に女性は念入りに化粧をします。ところがマスクで顔を大きく隠すことによってあまり気にならなくなります。気にならなくなれば自然疎かになります。山本さんは自分の無精ひげにびっくりされ、大いに反省されました。身だしなみは自分の気持ちもキリッとさせます。身だしなみがいい加減になれば、気持ちもゆるみます。人に与える印象も違ってきます。時によっては評価も下げます。本当に早くマスクの要らない時が来ないでしょうか。
 ボクもあまり人に言えたことではありません。今はだいぶましになりましたが、若い時はひどかったですね。若い時からもっと気を使っていたら、もっと出世し、違った人生があったかも知れません。でも過ぎたことを悔いてもどうにもなりませんので、これからのことに気を使いたいと思います。老いてますますキリッとしたいものです。

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(第3225話) 一宮空襲

2021年11月05日 | 知識

 “1945(昭和20)年7月の二度の大きな空襲で愛知県一宮市の市街地の8割ががれきの山と化した。実家が焼けた話をともに亡き両親から聞き、卒業した小学校の校門に残っている機銃掃射の跡は見たが、戦後生まれということもあり、いまひとつ実感が湧かなかった。少なくとも昨夏、地元の資料館であった戦争展を見るまでは。
 会場には米軍が飛行機からまいたという「伝単」と呼ばれる空襲予告の宣伝ビラがあり、爆撃予定の各都市名があり一宮もあった。その裏には日本語で「二週間以内に爆撃します。命を守るために一日も早く安全な場所に避難しなさい」とあった。ビラを巡り、戦意喪失を恐れたわが国は「デマだ」「拾うな」「警察に届けろ」と命令したそうだ。”(10月14日付け中日新聞)

  愛知県一宮市の鵜飼さん(男・68)の投稿文です。昨夏の戦争展は知りませんでした。こうした話を聞くと、地元のことを知るいい機会を失ったことが残念になります。
 この話の中で、母の家は空襲に遭っています。また、小学校の校門に残っている機銃掃射の跡は一宮友歩会の例会で見てきました。一宮市の大乗公園には空爆殉難記念碑と言うものがあります。これも一宮友歩会の例会で訪れています。この時には思い出を語ってくれた人がありました。
 ボクは戦後生まれです。戦後の貧しさは知っていますが、戦争そのものは知っていません。戦争を知っている人はまもなくなくなるでしょう。戦争放棄をうたいながら、どんどん戦争のできる国になっています。理屈など何とでもできます。国民を丸め込むことなど、権力者にとってみれば容易いことです。日本人の国民性から、走り始めたら一挙にその方向に走ることが懸念されます。戦争ができない国にすることは、いくら言っても言いすぎることはないと思っています。

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(第3224話) 不思議なご縁

2021年11月03日 | 出来事

 “今から七年前、主人の母の一周忌後に、相続の手続きで戸籍の写しを取った時のことです。主人の母の母である祖母は、生前「みちえ」さんと呼ぱれていたのですが、出生までの戸籍をさかのぼると、出生時の祖母の名前は「ゆき」と記されていました。役場で調べてもらったら、途中で戸籍が間違って記載されていました。昔は通称名で呼ばれることもあり、このような間違いが起きたのだろうとのことでした。
 主人の母の両親の名前は、父が「喜一」で母は「ゆき」と分かりました。主人も今まで祖母の本当の名前を知らずに、とても驚いていました。でも、私の驚きはここで終ではありませんでした。私の母の両親、私からすると祖父母ですが、祖父が「喜一」で祖母は「ゆき」です。主人と私の祖父母の名前は全く同じだったのです。相続の手続きをしたことで、偶然の一致を知り、不思議な気持ちでいっぱいになりました。何か見えない糸が主人と引き合わせてくれたのでしょうか。
 今、私は体調を崩して病魔と闘っていますが、主人がよく支えてくれています。早く健康を取り戻して、お互いの祖父母のように、健康で仲の良い老夫婦として頑張って生きていきたいと思います。”(10月7日付け中日新聞)

 岐阜県池田町の主婦・伊藤さん(67)の投稿文です。戸籍を調べて新たな発見をされた。それもびっくりするような偶然です。何かの縁を感じ、より親族が身近に感じられたことでしょう。
 実はボクも、最近戸籍簿を読んでいて知らなかった驚きべきことを発見しました。ボクも妻も両親が亡くなりその時いろいろ戸籍を取り寄せています。その時は申請のために取り寄せただけで、あまりよく読んでいませんでした。数ヶ月前、大学生の孫が家系図を知りたいと突然言ってきました。そこで相続の時の書類から戸籍簿を取り出し、家系図らしき図にしていきました。知らなかった事実が次々出てきました。1つだけ書いておくと、父が養子だと言うことは知っていました。でもどんな人の子か知っていませんでした。ところが祖父母の妹の子だと言うことが分かりました。もう血はつながっていないと思っていましたが、つながっていました。何かホッとした気持ちが起きました。墓石に名前が記されています。戸籍と違う名が刻まれていることを発見しました。今となっては聞ける人もありません。こうしたことも父母にもっと聞いておくべきだったと悔いています。先祖があって自分があるのです。

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