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第206号  2021年8月


 

(第3192話) 闘病の父

2021年08月30日 | 出来事

 “新型コロナウイルスに感染した父が六月末、六十七歳で亡くなりました。マラソンが趣味で、体力には自信を持っていました。高熱が出たため病院で受けたPCR検査の結果は陽性でした。いったん帰宅するも三日後に酸素飽和度は93%まで下がり、救急車で病院に運ばれました。酸素マスクを一週間つけて飽和度を保った上で、人工呼吸器をつけることを勧められました。そうなると鎮痛剤で眠った状態になりもはや話すことはできなくなるので、医師から「治療しても回復は半分ほどしか見込めない」と覚悟を求められました。装着直前、家族でテレビ電話を使って「元気になって戻れるから」と勇気づけたのが父との最後の会話となりました。
 装着一週間後に集中治療室(ICU)で面会した父はちょうど鎮痛剤を弱める時間で、まばたきで声に反応してくれました。それでも容体は良くならず合併症も次々と出て、発症からIカ月で逝きました。
 父は最期まで格好よく頑張る姿を見せてくれました。二歳の孫娘をはじめ愛する家族ともっと一緒に過ごしたかったでしょうに・・・。今は感謝でいっぱいです。”(8月3日付け中日新聞)

 名古屋市の会社員・大野さん(男・31)の投稿文です。新型ウイルスの感染者については減るどころか、増えるばかりである。騒ぎ始めてもう1年半以上経つというにである。大野さんはこのウイルスで、67歳という若さのお父さんを亡くされた。全く突然と言っていい。このウイルスで亡くなる人は、どの人もある日突然である。心の準備もできていない周りの人の悲しみはいかばかりであろうか。今は他の何よりも早く終息して欲しい事柄である。
 ボクはこうした話を、メディアはどんどん流すべきだと思ってきた。感染者の数字どうこうより、人に与えるインパクトは大きいと思ってきた。今はそうでもないかも知れないが、数字だけ見ていれば若い人は、自分達は問題ないと思いがちであったろう。ボクの知人に、濃厚接触者と言われたお嫁さんを2週間ばかり面倒を看た人がいる。結果的に陰性であったが、でも2週間の生活を聞いただけで、大変さを実感した。非常事態宣言と聞いた時、この言葉には驚いたがその中身たるやこんな程度のことかと思った。ここからもう問題があったと、ボクは思っている。

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(第3191話) 水の備蓄

2021年08月27日 | 活動

 自然災害はいつ私たちに襲いかかるかが分からない。ライフラインの停止を想定し事前に用意しておきたいのが水だ。町内会長として本年度、災害用飲料水の備蓄に着手した。愛知県一宮市の広報で五年間保存可能なナチュラルウオーターの限定販売を知った。予算や防災倉庫のスペースを考慮し、五年後には全百世帯の大人一人当たり一日分の飲料水を確保する計画を練った。しかしこれだけで十分な備蓄とは言い難い。回覧文書で「ご家庭でも防災を話題にし、必要な飲料水は準備してください」と呼び掛けた。
 これを機に、住民の皆さんの防災意識の動機づけや向上につながればと願っている。”(8月3日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の鵜飼さん(男・68)の投稿文です。災害用の備蓄の話である。災害時のことを考えるといろいろな備蓄が気がかりになる。いろいろな情報が流れている。それを参考にしながら、わが家も緊急持ち出し袋や緊急時の対応は一応考えている。鵜飼さんは地域の備蓄として水を思いつかれた。そして各家庭にも水の備蓄を訴えられた。災害時、いくら備えても十分と言うことはないので、行政、地域、個人、それぞれが最大の対応をしておく必要がある。ボクの家は水については40リットリ以上備蓄している。
 ボクも地域の防災について考えていたときがある。しかし、自然災害について比較的安全な地域であるので、なかなか防災について意識は高まらない。防災訓練もあるが、何か単なる行事の感である。しかし、最近の雨の降り方は凄い。いつまでも安穏としていてはいけないだろう。

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(第3190話) 西暦換算

2021年08月25日 | 知識

 “元号と西暦が併記されていないとき、私は記憶する明治以降の元号の各開始年を元に西暦へ換算するとある方法を活用します。各元号元年の西暦四桁の下二桁から一を引いた数を「キーナンバー」とし、それに換算したい元号の該当年を足すものです。一九二六年が元年の昭和の場合、キーナンバーは二十五で、昭和二十年に当たる西暦を知りたい場合は二十を足した数を、西暦の冒頭二桁の「一九」に続けて「一九四五」となります。
 それでも注意すべきは改元の年です。平成三十一年と令和元年が重なった二〇一九年だと何月何日に元号が変わったかは年表で確認すればいいのです。”(7月30日付け中日新聞)

 名古屋市の竹内さん(男・82)の投稿文です。ボクの若い頃はほとんどが元号であったが、今は西暦と混在である。悲しいかな元号に慣れたボクには、西暦ではいつのことかイメージがわかない。つい元号に直したくなるが、これがなかなかスッと行かない。そこにこの投稿文である。平成も令和もやってみた。ぴったりである。考えてみれば納得である。明治元年は1868年、大正元年は1912年、昭和元年は1926年、平成元年は1989年を覚えておけばいい。良い知恵をもらったが、悲しいかなこの西暦が覚えられない。これを覚える良い知恵はないだろうか。

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(第3189話) プレッシャー

2021年08月23日 | 出来事

 “総合病院に勤務する看護師です。六月、新型コロナウイルスのワクチン接種でつらい思いをしました。「使い回しの針じゃないだろうな?」。高齢の男性に、接種の準備をしているときに言われました。なんとか笑顔を保ちながら、たくさんの注射器と針が入った箱を見せて、「使った後はすべてこの箱に入れて捨てていますよ」と答えましたが、とても侮しかったです。
 接種を巡っては、使用済みの注射針を使うミスがあったというニュースがあり、疑心暗鬼になる気持ちも分かります。コロナさえなければ、お互いにこんな気持ちにならなかったと思います。改めてコロナの恐ろしさを思い知りました。
 国内での総接種回数は七千七百万回を超えました。多くの方にミスなく打たなくてはいけません。プレッシャーで心が折れそうになる中、「ありがとう」「ご苦労さまです」という声に、もう少し頑張ろうと励まされる日々です。”(7月27日付け中日新聞)

 「ホンネ外来」という欄から三重県の女性(32)の文です。コロナ禍がもう1年半以上に及び、これに携わる医療関係者には本当にご苦労様と感謝している。本当に逃げ出したい思いではないだろうか。目の前の現実と使命感が支えている気がする。ボクも7月に2回のワクチン接種を終えた。配慮の行き届いた流れに、短時間で終えることができた。受ける方は2回であるが、医療担当者は毎日何百人と対応するのである。それも人間の健康に関わる非常に気を使う仕事である。本当に凄いプレッシャーであろう。仕事とは言え、本当にご苦労様と言いたい。ボクは内心オリンピック開催には否定的であった。それはこうした医療従事者やコロナ感染者をないがしろにしたイベントであるからである。社会はまずは苦労している人に寄り添うことではなかろうか。
 そんな中、このように感謝のない言葉を吐く人もあるのか?。わずかな人であろうが、言われた方は本当に悔しい思いであろう。相手は仕事だからと言って何を言ってもいい訳ではない。受ける人も仕事の人もお互いがあって初めてなり立つのである。お互いを尊重し、感謝である。どんな場でも「お客様は神様である」などと、お客は絶対思ってはいけないし、ゆめ言ってはならない。

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(第3188話) 健康な歯

2021年08月21日 | 出来事

 “三ヵ月に一度、歯科で定期検診を受けています。そのおかげか、歯の痛みを感じずに済んでいます。歯科医師から「歯が二十五本残っており表彰を受けられますので、手続きしましょう」と言われました。うれしさと気恥ずかしさが入り交じりながらも、せっかくなので手続きをお願いしました。六歳上の友人に電話で伝えたら、「両親に感謝しなさいよ」と言われました。亡くなった姉は歯が悪く、入れ歯や治療の支払いに困っていたことを思い出しました。今の私は年金生活だけに、いざ治療となれば葬式代にも手を付けざるを得なくなるかもしれません。歯をもっと大事にしようと思いました。”(7月27日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・犬飼さん(81)の投稿文です。歯の良し悪しは遺伝が大きいと聞いたことがある。また幼い頃の生活が大切とも聞いた。小さいときは親と一緒の生活である。遺伝か生活か判断がしがたい。遺伝にしろ生活にしろ、良い歯の持ち主は「両親に感謝しなさいよ」は間違いがない。
 人間の食による喜びは大きい。食の喜びは健康な歯があってこそである。「8020」運動がある。80歳で自分の歯を20本保つことである。20本あれば食べるのに困らないという。犬飼さんは25本あると言われる。合格、表彰対象である。これは三ヶ月に一度の定期検診のおかげと言われる。ボクももう20年くらい三ヶ月に一度の定期検診を受けている。その頃になると医院から手紙が来る。行けば何か悪いところを見つけてくれる。早い治療は容易である。ボクもこの定期検診を受けるようになって良かったと思っている。ボクらの小さい頃は歯磨きもしたことがない。虫歯ができて当然である。金属をかぶせてある歯が何本もある。しかし、32本中、親知らず4本は抜き、入れ歯が2本、インプラントが2本で、自歯は24本と言うことになる。まずは合格か。インプラントは今までのところ全く問題なく自歯と同じである。

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(第3187話) 干し柿と新茶

2021年08月19日 | 人生

 “東京へ単身赴任していたころ、自宅から送られてきた干し柿を皆にお裾分けしようと会社に持って行った。同僚の一人が目ざとく見つけると、こう言った。「その干し柿、全部俺にくれないか」そう話す彼は、同い年で気さくに話ができる親友の一人だ。聞けば柿が大好物とのこと。岐阜県内では有名なブランド柿である富有柿を作っている友人がいることから「よかったら自宅へ送ろうか?」と話してみた。「ぜひとも」と言われ、翌年から静岡に住む彼の自宅へ富有柿を送り始めた。すると新茶の季節になると、今度は私の自宅に静岡の新茶が送られてくるようになった。
 お互いに転勤して顔を合わさなくなってからも、このやりとりはずっと続き、リタイアした現在も続いている。「今年もおいしい柿をありがとう」「香り高い静岡の新茶が届いたぞ」それぞれの自宅に荷物が届くと、即電話で近況報告が始まる。仕事や友人関係、自身の体調、趣味のゴルフなど、どうでもいい話ばかりだが、この時間が実に楽しい。
 少々長電話になって妻に笑われるが、三十年前の干し柿が縁で始まったつながりは、時を超えても途切れることなく、今では大切な情報交換の場になっている。”(7月25日付け中日新聞)

 岐阜県養老町の伊藤さん(男・74)の投稿文です。柿が大好物と知ったことから富有柿を送ることになり、そして返礼に新茶が届いた。この贈答が30年も続いているという。そして近況を話し合う友となっている。こうなるとたまたまの縁とは思えない。深い因縁があったと言うことになる。
 「袖すり合うのも他生の縁」という諺がある。袖が触れあったのも偶然ではなく、前世からの因縁によるものである。だからどんな出会いも大切にしようというのである。本人たちには分かっていなかったが、そういう約束事になっていたのである。約束事だったと思えばもう避けられない。その縁を大切にして行くのみである。とは言いながらも、分かっていないのだから、たまたまと思えてしまう。だからボクはたまたまを大切に、それに感謝することだと思ってきた。人生は偶然の連続か、それともすべて約束事か、この違いはよく考える必要がある。

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(第3186話) 息子かたる詐欺

2021年08月17日 | 出来事

 “一九四五(昭和二十)年六月、三重県四日市市の実家が空襲で焼けてしまったため、伯母夫婦宅に疎開しそこで一年余、世話になりました。
 終戦前後、兵隊上がりふうの男が伯母宅に訪ねてきて、「息子さんから下着と服がほしいと頼まれた」と言ったのです。息子二人の戦死公報は届いていたのに、伯母は「持っていってやってくれ」と風呂敷に入れて手渡しました。妹である私の母が「だまされている」と反対しても、「あれは生きとる」と聞きません。あんな善良な人をだますとは・・・。幼いながら憤りを覚えました。
 夏が巡ってくるたび、伯母の心境に思いをはせるといたたまれなくなってきます。”(7月22日付け中日新聞)

 三重県菰野町の大橋さん(女・88)の投稿文です。終戦間際、非常に苦しいときの話である。兵士風の人が息子さん依頼されたと、衣服を取りに来た。周りは嘘であるので渡すのを反対するが、叔母さんは渡してしまう。その時の叔母さんの気持ちはどのようであったろうか。叔母さんは本当にだまされたのだろうか。ボクには「生きている」と思いたいために、知りながら渡されとも思える。息子さんが死んでいないことを伝えてくれたことが嬉しく思えたとも思える。渡したものも息子さんの使っていた衣服である。高価なものではない。相手も兵隊上がりで、こんな嘘までつかなくてはならい苦しい人である。人情味さえ感じる。戦後生まれが多くなった今、もう一度戦争の悲惨さを学ばねばならない。
 昨今も「息子かたる詐欺」の話題は尽きない。でも大橋さんの話とは全く違う。今は組織立ててやる。金額も驚くほど大きい。騙された人を窮地に陥れるほどの詐欺である。絶対に許すことができない犯罪である。

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(第3185話) 孤立学生の癒やし

2021年08月15日 | 行動

 “名古屋市内で生け花教室を開いています。六月、テレビのニュースで大学ではリモート授業が多く、先生や友人に相談できず焦りや孤立感から抑うつ状態になる学生の相談が多いと報じられていて、私は草木の癒やし効果で学生を支援できないかと思い、大学に電子メールを送りました。その結果、大学で体験セミナーを開くこととなり、過日、講師を務めました。
 セミナーでは大学内を皆で散策して花材を探しました。新型コロナウイルスの影響で通学機会が減った学生に大学キャンパスヘの親しみを感じてもらえ互いの交流も深まったようです。さらに楽しんでもらうために次は何をしようかしら?”(7月20日付け中日新聞)

 名古屋市の自営業・藤墳さん(女・46)の投稿文です。このコロナ下の中で、藤墳さんは生け花の先生の特技を生かし、孤立する大学生の支援をされた。それも自発的にである。誰もがその気になれば、何かできるものである。そんな人が集まれば集まるほどいい社会と言えよう。
 誰もができない訳ではない。その気になるか、その1歩を踏み出せるか、それだけである。例えば、ボクが中心になってやっているサロンの参加者で手芸クラブができた。作るものはそれぞれが出し合うのである。こんなことは多かれ少なかれ人皆が体験したことである。この体験をどう生かすか、1歩踏み出せるか、それだけである。その時先頭を切れる人があると、あっという間に進む。その手芸クラブはそうであった。そして声かけである。声をかけられると、1歩が踏み出しやすい。ボクはつい数ヶ月前に知り合ったばかりの人に、9月のサロンで講演を依頼できた。話さなければ縁も生まれない。藤墳さんはニュースからであった。ボクの役目は、今の立場を利用してどんどん話し掛けることだと思っている。

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(第3184話) 地場トマト

2021年08月13日 | 知識

 “トマトが好きだ。スーパーに並ぶさまざまな商品から色や大きさ、産地を見定めている。檀家から昨年頂いたトマトは見事に赤く熟れ、甘みも素晴らしかった。思いがけず、また出合えたのは何とトマトも販売している書店だった。色合いは良く、一口か二口で食べられるほどの大きさだった。食べると昔懐かしい味が口の中にふわっと広がった。記載されていた産地はわが家から十数キロしか離れていない場所。「身土不二」という言葉によると、自分の足で歩いて行ける約十六キロに当たる四里の四方内で取れたものや旬のものを食べれば体に良いそうだ。もちろん生産者の努力はあるだろうが、理にかなったトマトにわが体は大いなる喜びの反応を示していた。”(7月20日付け中日新聞)

 滋賀県近江八幡市の僧侶・西沢さん(男・72)の投稿文です。ボクは多くの野菜を種から育てるが、トマトは苗を買ってくる。だからそれ程に多くはない。ミニトマトと中玉トマトがそれぞれ3本である。そして、今が盛りと成っている。丸かじりがおいしい。今年はよくなる方である。
 この文で、「身土不二」と言う言葉を知った。「しんどふじ」と読み、人間の身体と土地は切り離せない関係にあるということで、その土地でその季節にとれたものを食べるのが健康に良いという考え方、明治時代に石塚左玄らが唱えた、とある。仏教用語である。僧侶の方から聞くと、なおさらである。その土地とは、西沢さんは4里四方、16km範囲と言われる。健康によい野菜とは、気候の違う遠いところから運んだり、温室で無理に時期をずらしたりするのではなく、自分の住んでいる近くで自然に育てる、と言うことであろう。こういう話を聞くと、ボクは全く健康によい野菜を多く食べていることになる。ほとんどは種を直まきであり、苗を買ってきてもビニ-ルトンネルなどはかけない。せいぜい風よけをするくらいである。もちろん消毒はしない。怠けていることもあるが、自家用野菜はこれで十分である。健康によいとなれば更にいい。

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(第3183話) ミョウガの花

2021年08月11日 | 知識

 “あっという間に今日から夏の土用入りとなりました。何はなくとも、見慣れた行事のことばが目に入るだけで、単調になりがちな日々をもり立ててくれるように感じます。猛暑の立ち上がりはいつも、なんとなく体は重くなり、食欲も少し落ちてきます。さっぱりしたものが食べたいなあ、と思っていると裏山の畑から下りてきた友人が、とれたてのミョウガを分けてくれました。
 袋をのぞきこむと、ミョウガはどれも花をつけています。いつもならすぐに天ぷらにするのですが、透き通るような花があまりにかれんですてきです。思わず水にいれてみました。ミョウガは一日花ですから、予想通りすぐにしんなりとしてしまいましたが、明くる日見てみると、驚くほど多くの花のつぼみを出していました。
 暑中、天ぷらに薬昧にと何度もお世話になるミョウガ。たくさんの花が折り畳まれていることを思い出し、内側からあふれだすような花の力にも、あやかることができればと思います。”(7月19日付け中日新聞)

 「くらしの歳時記」という記事からです。川柳連れ連れ草の毎月の章題は、現在まで植物を、それも漢字で書けるものを使用している。200号も超えると、毎回その植物探しが大変な苦労である。まだいくらでもあるだろうが、名前が分からない。そしてこの7月も頭を悩ませていた。そしてこの新聞を見たのである。茗荷か、まだ使っていない。今わが家の茗荷はどうなっているだろう。すぐに見に行った。芽を出し、花も咲いている。すぐに写真を撮り、7月号235号に使用した。この記事のタイミングの良さ、ホッとすると共に嬉しかった。
 この記事で1日花と言うことを知った。そして、この記事あるように水に差しておいた。翌日新たな花が咲いてきた。記事の通りで会った。わが家は薬味に使用している。天ぷらもいいだろうが、妻は油を使う料理をしたがらない。地下茎の繁殖は凄い。どこまでも延びていく。うっかりしていると茗荷だらけになってしまう。人も様々なら植物も様々である。

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(第3182話) ディーラー対応

2021年08月08日 | 出来事

 “新型コロナウイルスワクチンの集団接種に行こうと車に乗り込んだときのことです。何度試みてもエンジンが動きません。二週間ほど動かしておらず、バッテリーが上がってしまったのかもしれません。仕方なく近くのディーラーまで雨の中を走りました。そこにいた整備員は「案内してください」と車に乗せてくれ自宅に向かいました。バッテリーコードをつなぐとエンジンはかかりました。その車で妻と接種会場に向かい予約二分前に着きました。
 帰宅途中、新しいバッテリーを買おうとディーラーを再訪すると、そこの皆さんから「接種の時間に間に合って良かった」と自分のことのように喜ばれました。二十年近く世話になるディーラーの迅速な対応と気遣いに大いに感激しました。”(7月19日付け中日新聞)

 名古屋市の山口さん(男・72)の投稿文です。出かけようと、車に行ったらエンジンがかからない。避けられない用事の時はパニックである。山口さんは急いで、近くのディーラーに行き、このように事なきを得られた。そして用事が間に合ったことをそのディーラーは喜んでくれた。山口さんは間に合ったことも嬉しかったが、それ以上にディーラーが自分のことのように喜んでくれたことが嬉しかったようである。多分ディーラーも自分達の役目が果たせたことが嬉しかったのであろう。
 実はボクも今年新年早々このようなこと味わった。コロナ下で出かける用事が全く減った。そして年末からずっと車に乗らずであった。年明けて乗ろうとしたらエンジンがかからない。これはバッテリー上がりだろうと、行きつけの店に電話する。すぐにやってきて、コードをつなぐとすぐにかかった。寒い冬に2週間以上も乗らずであった。ところがである。数週間後にまたバッテーリー上がりを起こす。道路端であたふたしていると、今度は通りがかった見知らぬ車屋さんが助けてくれた。その後、バッテリーを交換し、1週間に1回は乗るように心がけている。コロナ禍はこんなところにも及んでいる。

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(第3181話) 美観継承

2021年08月06日 | 行動

 “地元の田で青々とした稲が一面に広がっています。江戸時代から続く美観を保つには草刈りが欠かせません。わが家の田周辺は岐阜県道沿いで雑草が高さ1mにもなればごみを次々と投げ捨てられるのが常です。県道は車も歩行者も多く、草刈り機の使用時は注意が必要です。機械の刃で石をはね飛ばさないよう、道路に背を向けたり車や人が通らないのを確認したりしながら作業を進めています。そんな中、近くの土手に白いヒメイワダレソウを見つけたときは気分が晴れました。七、八年前に植えたもので、今やたくさんの花を付けています。伝統と美観を次代に継承するため私はきょうも草刈りにいそしみます。”(7月17日つけ中日新聞)

 岐阜県可児市のアルバイト・長瀬さん(男・73)の投稿文です。雑草の生命力は凄い。切られても切られても、抜かれても抜かれても生き延びてきたのだから当然である。そして、人間の都合であるが、邪魔者だから困ったものである。特にこの夏の時期は成長が早い。そして、利用できない道路端は、伸びれば危険だし、美観的にもよくはない。道路管理者がこまめに刈ってくれればいいが、そこまでは手が回らない。自然隣接地の人が刈ることになる。それが長瀬さんのこの投稿文である。道路端や隣接地はゴミ捨て場にもなる。自然の成せる弊害に、人間のマナー違反が加わる。考えれば全く腹立たしいことであるが、それでも地域の美観継承のためにはやらねばならない。こういう人によって地域は保たれているのである。しかし、こういう人も減る傾向にある。無頓着な人も多い。こういう美観継承がいつまで保たれるのだろうか、危うさを覚える。

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(第3180話) 自作ことわざ集

2021年08月04日 | 行動

 “妻が天国に逝って五年が過ぎ、遺品整理とともにわが身辺整理にようやく着手しました。娘二人が使っていた部屋の本棚を整理していたら子ども用のことわざ辞典を見つけました。めくっているうちに六百五十近かった、ことわざの一つ一つにマッチした出来事を文章でまとめようかと思い付きました。そう、自らの失敗談などの体験を例にするのです。「徒然ことわざ集」と名付け、妻の命日からパソコンに向かって書き始めました。
 六十代前半で自分史を完成させたことを思い出し、執筆を続けています。書き終えるには数年かかりそうですが、出来上がったら娘と四人の孫に読んでもらえたら幸いです。”(7月15日つけ中日新聞)

 岐阜県可児市の奥西さん(男・75)の投稿文です。ことわざ一つずつに自分の体験を書く。それも、子供用のことわざ辞典を見つけての思いつきである。どこで何を思いつくか分からぬものである。これだから面白い。何事にも乗ってみる、沿ってみるである。いつまでも好奇心をなくさぬことである。奥西さんは60代前半で自分史を書き上げられた。こんな人だからの発想であろう。
 ボクはこの「話・話」 で、自分の体験を書いているし、自分史のつもりでもある。でも自分史と言うには足りなさ過ぎる。それは全く断片的でまとまりがないからであろう。これをまとまりがあるように再編集すればいいかもしれぬ。できる方法を見いだせるであろうか。

 

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(第3179話) 犬の尿?

2021年08月02日 | 出来事

 “今年二月、三重県鈴鹿市の市道交差点で信号機の鉄製の柱(高さ六・五m、重さ七十キロ)が、腐食して根元から倒れた。県警が原因を調べたところ、犬の尿で腐食が早まった可能性が高いことが分かった。現場は犬の散歩コースだった。
 県警科学捜査研究所によると、倒れた信号機の根元の地面からは、同じ交差点の別の信号と.比べ四十二倍の尿素が検出された。尿は主に水分と塩分などが合まれており、いずれも腐食を早める原因になるという。現場は、飼い犬の散歩コースとなっており、新たに設置した信号機にもたびたび散歩中の犬が尿をかけているのを確認できたため、県警は犬の尿が腐食を早めた要因と結論づけた。柱の耐用年数は約五十年だったが、倒れた当時は設置から二十三年だった。けが人はなく、近くの病院のブロック塀が一部壊れた。(後略)”(7月14日付け中日新聞)

 記事からです。犬を飼うと散歩に付き合わねばならぬ。皆さんこれがいい運動になっているようだ。朝の散歩で何匹もの犬に出合う。ただ見ている分にはいいが、どうも決まった場所で糞をし、放尿をするようだ。連れた人がそれをきちんと処理してくれればいいが、それがそうでもない。糞でもそのままに人が結構多い。尿に到ってはほとんどがそのままである。それがこの事故である。鉄製の柱も壊すのである。小さなことながら何十年もすれば当然このようなことになろう。舗装面にした尿の後も数日残る。ボクのように犬を飼っていない人には、それ見るのもうんざりである。ペットボトルなどに水を入れて持って行って、それをで流して欲しいと思うが、まず無理なことであろうか。公道を歩くのである。公道だから自由ではなく、気配りが必要である。どうすれば少しでも迷惑が少なくなるか、考えてほしいものである。

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柳&ウォーク