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第205号  2021年7月


 
 

(第3178話) ドクダミ

2021年07月31日 | 知識

 “ドクダミは昔から嫌われている雑草の一つだ。繁殖力が強く、他の植物の生存を脅かし、あっという間に広がるから。そんなドクダミがわが家の庭に三十本以上生え、花も咲かせた。花びらのような総苞は白い十字の形をし、中心から伸びた黄色の小花はかれんだ。ただ庭いっぱいに咲くと困るので駆除を兼ねて根から抜いた。
 駆除した花や茎、葉は袋に詰めて風呂に入れた。それらは肌に良く、吹き出物対策にいいという。花は花瓶に生け、葉は乾燥させて緑茶に混ぜて飲んだ。「十薬」とも呼ばれるだけあって利用価値はかなりありそう。別の活用法も調べようと思っている。”(7月13日付け中日新聞)

 名古屋市の河野さん(女・69)の投稿文です。ドクダミについてはこの「話・話」 ですでに書いたはずだと思って調べてみたら、2009年6月21日第1128話で書いていた。もう12年も前のことである。読んでみると、今も全く同じ気持ちである。
 河野さんはドクダミが30本以上生えて、丁寧に根から抜いたと言われる。30本などとは易しいもので、これは甘い。一度生えたら除草剤を頻繁に使うなどしないととても絶やすことはできない。少しでも根のかけらが残っていたらそれからが伸びてくる。一度侵入されたらもう上手に付き合うより仕方がない。ボクなど栽培しているかと思われるほどである。
 しかし、よく見ればいい草である。一面に花を咲かせた時など綺麗なものである。また十薬と言われるほどに、役に立つのである。妻はいつも花瓶に挿して、消臭剤代わりにしている。強すぎるが故に嫌われるのであろう。

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(第3177話) 97歳の決断

2021年07月29日 | 人生

 “「スマホに替えようかと思うのだけれど、携帯電話会社の店に一緒に行ってくれないか」満九十七歳の祖父からの電話に驚いた。七十七歳で事業を廃業し、老後の生活を始めた祖父は、大正十二年生まれ。八十八歳の時、自宅で心筋梗塞で倒れた。たまたま訪れていた叔母のおかげで発見が早く、助かった。
 その後は、、読書会などに車を運転して出かけ、リポートをパソコンで打って保存、私にファクスで送ってくれる。戦争経験者で、当時の話を最近は聞かせてくれるようになった。夫婦そろって入れ歯もなく、全て自分の歯だ。
 そんな祖父が、スマホに替えると言い出したが、周りはガラケーのままでいいのではと言っていた。買い替えの理由は「これ以上、年を取ると覚えられなくなるから」だった。「なるほどね」ってならないよ! たくさんのツッコミの声が聞こえてきたが、祖父は買い替えた。慣れない操作を少しずつ覚えた。電話に出られる、フリック入力を覚え、ラインで会話ができる。コロナ禍でなかなか会えない孫、ひ孫とつながり、写真や動画に目を細め、うれしそうにしている姿が印象的だ。高校生の娘は「ひいおじいちゃんとライン友達」だと言って、友達を驚かせている。”(7月6日付け中日新聞)

 静岡県島田市のパート・登沢さん(女・45)の投稿文です。「これ以上、年を取ると覚えられなくなるから」と97歳の人が言う。こんな言葉をシャアシャアと言われたら言葉もない。もう人間の意欲、能力などと言うのは年齢で線引きなどできない。寿命も分からない。沢登さんのおじいさんは今何歳と思っておられ、幾つまで生きると言われるのだろうか。そんなこと考えたこともないと言われるかも知れない。多分これが正解だろう。人間、限界を設けていけない。限界を設ければそこまでである。
 97歳までと言われると、ボクには生まれてから大学卒業までの期間がまだあることになる。この間にはどれだけのことがあったろうか。ちょっとやそっとでは言い表せない。これからまだそれだけのことができるのである。年齢を考えなければ条件的には今の方がはるかにいい。こうなるともう年齢は考えないことである。目の前にある状況を見つめ、後は意識、意欲だけである。などと沢登さんのおじいさんに乗せられ、調子に乗っているととんでもないことになる。あと5年、あと5年がいいところである。

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(第3176話) 体重ノート

2021年07月27日 | 行動

 “毎日体重計に乗り、数値をノートに記録している。最初の記録は十年前にさかのぼる。もともと健康管理の一環で何となく始めたが、ちょうどフィットネスクラブに通い始めた頃で、体重計に乗ることはその後すっかり習慣化した。他に体脂肪率、便の有無と回数、体調の変化なども記録し続けている。こんな記録ノートは全て保管してある。読み返すと付け始めたときよりも体重はかなり減ってきて、思えば腰痛は随分改善された。その時々の体の状況だけでなく、どんな医者にかかったかも分かる。
 ノートは現在四冊目。今や人生の記録となっていて、これからも毎日続けるつもりだ。”(7月3日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・渋谷さん(60)の投稿文です。人はいろいろ記録する。日記や家計簿はその代表であろう。歴史を知ることが必要のように、日常の生活においても現在や未来のためには過去を知ることも必要である。その為には記録が必要だ。そしてその記録も様様である。渋谷さんは体重などの体の状態を記録されている。それも種々、毎日十年以上と言われる。こうなるともう記録魔ではなかろうか。それも手書きであるようだ。いい生活の習慣である。習慣は生活を規則正しくさせる。これも人間の知恵である。
 ボクは思いつきで体重計に乗る。週に2、3回であろうか。あるメーカーの体重体組成計である。体重はもちろん、体脂肪率、骨格筋率、体年齢等を表示してくれる。そして、その記録は記憶され、時折パソコンに読み取る。こうしてもう5年以上になる。面白いのは体年齢である。ボクの体重では増えると体年齢が上がる。標準より少し重いと言うことだろうか。ボクは今のところ60歳前後を行き来している。体年齢は実年齢より15歳も若いということである。これは実に気分がいい。でも15歳というのは若すぎる。これは気分をよくさせる機種かも知れない。

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(第3175話) ブタはしゃべる

2021年07月25日 | 知識

 “わたしは自転車教室を通じて知ったことが二つあります。一つ目は自分の後ろをかくにんすることの大切さです。これまで自転車で道路をわたるとき、「右、左、前」と声に出しながら周いを見てきました。しかし自分の後方について気を回したことはありませんでした。ひょっとして自分のすぐ後ろに車や別の自転車、人がいたらと思うとヒヤッとしました。
 もう一つは「ブタはしゃべる」です。ブレーキの「ブ」、タイヤの「タ」に、「は」は反しゃきライト、「しゃ」は車体、「べる」はベルをさし、それらをつなげたひょうごです。これらを思い出しながら自転車に乗るのです。自転車をひんぱんに点けんする必要性も分かりました。わたしはこの先、自転車に乗るさい周りに気を配って楽しく安全に動かすつもりです。2(7月1日付け中日新聞)

 岐阜県瑞浪市の小学生・水野さん(女・10)の投稿文です。「ブタはしゃべる」とは何のことかと思ったが、自転車教室で学ばれたことらしい。自転車のそれぞれのことについて注意を払いたいと言うことである。何とも愉快な表現である。
 自転車は便利だ。特に車の運転ができない人にとって、自転車がなかったらどうしようかとなろう。特に中高生にとっては通学の手段の人は多かろう。ところが車社会である。自転車は車両である。車と同等である。車道を走る。しかし、その大きさ、動力の程度、スピード、どう見ても車と同じには思えない。完全なる弱者である。そして、歩道がある道路では、歩道を走ることが一般であろう。認められていなくても、歩道があれば歩道を走る。その方が安全である。そして歩行者に比べれば自転車はこれまた凄い強者である。この3者が入り組んでいる道路である。自転車はその中間である。それだけに強者に対する対応と弱者に対する配慮が必要である。こう考えると自転車は難しい乗り物である。

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(第3174話) 切手4万枚

2021年07月23日 | 行動

 “趣味で世界の切手をコレクションしていて、最近はインターネットオークションで使用済みの寄せ集めセットを買い求めている。購入すると一度に何百枚も届くため、朝から晩まで切手とにらめっこしている。まずスマートフォンで国名を検索し二百近い国・地域ごとに整理する。現在の手持ちは四万枚ほど。膨大な数を前にして、この上ない喜びを感じている。
 切手の魅力に取りつかれて五十年。五輪の記念切手二千種を近くの郵便局で展示したこともあった。新型コロナウイルスの影響で外出はままならないが、家の中で切手のそれぞれの国や地域に思いをはせる至福のときで浮き浮きしてくる。”(7月1日付け中日新聞)

 津市の伊藤さん(男・73)の投稿文です。切手収集を趣味にされている人も多かろう。伊藤さんは4万枚といわれる。どれ程の量か、嵩かボクには見当がつかない。この歳になると皆さん、断捨離とか言ってその処分に頭を悩まされる人が多い。先日は硬貨の処分で相談を受けたし、絵画の寄付した人も知っている。ところが伊藤さんは違うのである。まだ収集を続けられ、楽しんでおられる。人生百年と言われる時代である。70代で終活などと言っているととんでもないことになる。と言っても人間、明日も知れぬ命である。残された人が戸惑わない配慮はしておいた方が良いが、処分など最後の最後でいいし、しておかなくたって捨ててもらえばいい。楽しめる間は楽しめばいい、ボクは大いに伊藤さんに賛同したい。ボクは活動はあと5年、死ぬのはあと10年先、と毎年言っている。1年無事すぎれば1年先延ばしである。

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(第3173話) 神社の石碑

2021年07月21日 | 活動

 “千年以上の由緒を持つとされる一宮市萩原町串作の室原神社で二十七日、神社の歴史や伝承を記した新たな石碑などが、関係者ら約三十人に披露された。町民の安全を願い、歯科医師で氏子総代の伊藤弘昭さん(七四)が、石碑二つとこま犬一対を自費で奉納した。石碑の内容は、地元の歴史を研究する萩原町郷土史研究会のメンバー三人が監修。約二年間で、二十回以上の校正を繰り返して完成させた。
 由緒を伝える石碑には、江戸期の絵図を刻印して年表も添えたほか、大正時代に合祀された周辺の神社との位置関係も図示した。もう一つの石碑には、現在も境内に残る池で雨乞いをすると、水の神が竜の姿になって現れて雨を降らせたという伝承を記した。伝承にはふりがなとイラストも加え、子どもにも分かりやすいように工夫した。
 この日は、神職が神に完成を伝える神事をした後、石碑の前でおはらいした。野口弘隆宮司(六七)は「神社の由緒を一般の方にも知ってもらえる。次の世代にも伝えたい」と語った。伊藤さんは「子どものころから親しみを持てる神社にしていきたい」と話した。”(6月28日付け中日新聞)
 
 記事からです。ここに写真は載せていないが、あまり見かけないほど立派なものである。それも個人の寄付である。そのお金の寄付もなかなかできないことであるし、それに呼応していろいろな人が協力をされて出来上がったのも嬉しい。神社の由緒書きがこうした協力によってできるのはまた意味が大きくなる。訪れる人に大きな印象を残すであろう。
 ボクはウォーキングで、こうした寺社を多く訪ね歩いている。こうした由緒書きがあるかないかは大きな違いである。是非各所で増えて欲しいと思っている。それがその地域のためでもある。ボクも今年、氏子総代を務める地元神社の由緒書きを作った。前々から気にしていて、氏子総代になった機会を利用した格好になった。そのついでに、村にある馬頭観音の由緒書きも作った。今、お寺さんに作られるように話し掛けている。より愛着が沸くものである。

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(第3172話) 手書きでの「体得」

2021年07月19日 | 意見

 “簡単な漢字を書けなくなったという話をよく耳にする。年相応の物忘れもあるのだろうが、ITの発展からパソコンやスマ-トフォンで簡単に文章をつづれる便利な世の中になったのも一因ではなかろうか。現代の文明の利器に慣れ、手書きの機会が減ったためと推察する。
 漢字を学ぶ際、知識を習得するだけでは不十分。紙媒体の漢和辞典で意味を調べたり、実際に書いたりする「体得」が肝要だ。辞書を引くには部首や画数を知らなければならず、手書きなら筆順から身に付くため、こんな手間をかけただけ忘れにくくなるはずだ。若い方もたまには手紙を書いたり、メモを取ったりしてはどうだろうか。”(6月26日付け中日新聞)

 大津市の書道講師・宇野さん(男・81)の投稿文です。宇野さんは漢字が書けなくなった理由に、老化と書く機会が減ったことを挙げられた。宇野さんは高齢者と言っても書道講師であり、辞書まで引いておられる。これは自分の話ではなく、一般論であろう。生活で必要なことだけしているのであれば、自筆で書く機会はほとんど無いと言ってもよかろう。書いてもこのようにパソコンやスマホである。これはもう書くではない。打つである。漢字も読むだけなら知識でよかろうが、書くとなれば体得が必要である。体で覚えなければ書けない。宇野さんは81歳である。それでこの心がけは立派なものである。
 ボクは毎日自筆で日記を書き、新聞の書き写しをしている。日記で漢字が怪しいと思うと、電子辞書を引く。書き写しは500字程度と短いが、それでも効果は大きいと思っている。さらさらと惰性のように書くのと、一画ずつを確認しながら書くのとは違うのである。
 体得の重要性は何も書くことだけではない。体で覚える。これは小さいときからすることを勧めたい。

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(第3171話) 背筋ピン

2021年07月16日 | 意見

 “「女の子は姿勢で二割かわいくなるのよ」―。女優の木村佳乃さんが祖母に言われたと、あるテレビ番組で語っていた。とてもすてきな言葉で、その通りだと思った。立ち姿が猫背だと自信なさげに映り、背もたれにふんぞりかえって座れば横柄に見えてしまうだろう。
 小学生となった長男が今春卒園した幼稚園の先生方は皆姿勢が良かった。笑顔や身なり、言葉遣いとともに姿勢が大事なのは男性も同じだろう。小学校入学の際、息子から「初めてのお友達はドキドキする」と言われ、「背筋を伸ばしてあいさつするといいよ」と助言した。近くある学校の保護者向け講習会には、私も背筋を伸ばして臨むつもりだ。”(6月26日付け中日新聞)

 岐阜県可児市の主婦・池田さん(34)の投稿文です。背筋ピンは、好印象を与える大きな要素である。人は見かけではないと言うが、何も知らなければまず見かけから印象を持つ。最初の印象がいいか悪いかは、後々かなり影響するであろう。最初の印象は顔の表情、姿、服装からであろうか。顔が明るいか暗いか、笑顔かブスッとしているか、まずはこれであろう。これは数回前にも書いた。そして姿がピンとしているか、前屈みか、腰が落ちていないかである。ボクの孫は背が高いせいか、腰を落とし前屈みである。最悪である。来る度に注意をする。ボクは腹を引けという。腹を引くと自然に背筋が立つ。ボクはこれを心がけている。高齢になるほど前屈みになる。今のところボクは褒められている。

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(第3170話) じぃ様とばぁ様

2021年07月14日 | 人生

 “私の家族は、夫、小学六年、小学一年、保育園年中、生後三ヵ月の四人の子どもの六人家族です。そして、隣の家には姉一家が住んでおり、そこには幼稚園年中と三歳児がいます。そして、その隣は私の実家で、とても元気なじぃ様とばぁ様が住んでいます。「とても元気」というところがポイントで、日々の暮らしのサポートを存分に受けています。
 子どもたちも「じぃちゃんち行ってくる」と早朝から遊びに行ったり、家で叱られると駆け込み寺のように走って行き、しばらくするとケロッとした顔で帰ってきたり。子どものいろいろな気持ちを受け止めてくれます。そして何より、今年の三月に四人目を出産した際は、夫が一ヵ月の育児休業を取得してくれたので、私は実家で赤ちゃんとゆっくり過ごさせてもらいました。
 じぃ様は赤ちゃんが泣くとすぐに抱っこし、ばぁ様は遊びに来た上の子の相手をしてくれました。おかげで高齢出産でヘトヘトだった私は、とても助かりました。いろいろな意味での感謝の気持ちを込めて、赤ちゃんには「礼」と名付けました。私の育児はまだまだ続きますが、じぃ様とばぁ様が近くにいると思うだけで心強い。いつまでも元気でいてね。”(6月25日付け中日新聞)

 愛知県北名古屋市の主婦・山下さん(39)の投稿文です。2世代、3世代の家族がどのように住まうのか、長寿社会となった現代は大きな課題である。一昔前なら、誰かが親と同居し、他は別に家を構えるのが一般的であったろう。今やボクのような農村地帯でも同居家族は少なくなった。同居して気持ちよく過ごせれば、これに超したことはない。経費的にも楽だし、いろいろ助け合える。ところがなかなかそうはいかない。嫁姑問題ははるか昔からあったようだし、誰かが一方的に従うことではない。世代の相違はなかなか乗り越えられない。
 そしてこの山下さん家族の話である。家を別々にしながら近くに住まう。ボク今が思うに、この環境ができれば最善ではなかろうか。山下さんの話でもそれを感じる。細かな生活は覗かない。何かの機会を見つけて訪ねる。このように助けるときは好都合である。ボクの知り合いにも山下さんと全く同じような家族がる。これはかなり恵まれないとできない。この幸運を十分に味わって欲しい。
 ボクはここまでは行かないが、長女家族は150mほど離れたところにおり、次女は車で10分ばかりのところに住んでいる。十分に恵まれた方であろう。

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(第3169話) 己書

2021年07月12日 | 活動

 “自由に自分だけの書をつくる「己書」の作品展が二十二日から、一宮市役所本庁舎の市民ギャラリーで開かれる。七月二日まで。「己書で彩る世界」と題し、日本己書道場(名古屋市)の上席師範で、一宮市天王で指導する林巳幸さん(五六)と、門下生計十四人の作品約五百点が並ぶ。色紙やはがきには水彩絵の具で描かれた鮮やかなイラストに「夢をかなえるためにはタイミングを逃さないことが大切」「人生は楽しんだもの勝ち」など、前向きな言葉が添えられている。
 林さんは「市民に明るい気持ちになってもらえたら」と、初めて作品展を開催した。犬山市の門下生、曽我実生さん(五五)は「たくさん良い言葉を書くので、心が落ち着く」と己書の魅力を語った。”(6月22日付け中日新聞)

 記事からです。先日市役所へ用事で出かけ、その折市民ギャラリーを覗いた。ちょうどこの「己書」の作品展をやっていた。はがき大のものが多かったが、見事なものである。自由に自分だけの書をつくる「己書」とあるが、これはかなりの修練と根気が要ると思った。
 ボクが絵を描いたのは学校時代以外無い。素養もあるとは思えない。でも、最近書いてみたいと思うことがある。絵手紙がいいだろうと思っているが、その機会が無いまま過ぎている。9月から始まる公民館の成人講座で、己書の時間があること知った。己書を見た機会であるし、この講座の話も聞いてみようと思う。何が縁となるか、分からない。

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(第3168話) 助けてくれて感謝

2021年07月10日 | 出来事

 “裏道を自転車で走っていた昨年五月、後方から来たトラックをやり過ごそうとしたら、誤って自転車ごと道路脇の田んぼに転落してしまいました。すぐに立ち上がれず、トラックの男性運転手が気付いて車から降り「大丈夫ですか」と声を掛けてくれました。自宅に送ってほしい旨を伝えると、私を抱え上げて自転車ごとトラックに乗せてくれました。男性の名前や住所を尋ねても教えてくれず、わが家に着いても「当たり前のことをしただけ」と言い、笑顔でトラックに乗り込んで行ってしまいました。
 外科を訪ねると左足首から下の複雑骨折で、前のように歩けるようになるのに三ヵ月かかりました。あの道を通るたび、運転手への感謝が込み上げてきます。”(6月21日付け中日新聞)

 愛知県犬山市の吉野さん(女・84)の投稿文です。自転車に乗っていて細い道で車に出合ったらどうするか?前方の時、後方の時、素早い判断が必要である。若いときはそのまま走りながら縁によってやる過ごしたものである。これを高齢になってもしていると危険である。縁に寄ったつもりでもそれ程に縁によっていないのである。そしてふらつくのである。時には吉野さんのように転落するのである。この場合、車を避ける行為をした結果で何か車に言いたい気も起ころうが、車に過失はない。吉野さんの自損事故である。助けてもらって感謝しなければならない。
 この場合、一番安全なのは、自転車を止めて縁により、やり過ごすことである。最近のボクはかなりこれを徹底している。止まっていれば車も通りやすいし、またぶつかれば車の方が悪い。そして、車の少ない細い道の時は、真ん中を行くのである。縁を行くと、車の方は安全と思って走り抜ける。これがまた恐ろしい。ハッとして慌てると、これがまた危険である。最近のボクは近場はできるだけ歩いて用を足すようにしている。歩く機会を増やしていることもあるが、自転車も避けているのである。ボクのような田舎は幅4m位の道が多い。こんな道では車は赤信号と思い、また車は老人を黄信号と思って欲しい。

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(第3167話) 手をつないで

2021年07月08日 | 行動

 “毎日、一時間程度のウオーキングをしています。気分の乗らない時も、夫の「行くぞ」という呼び掛けに、しぶしぶ腰を上げていることもあります。何の物陰もない田園の中を歩くのですから、風当たりは強いです。今はもう田植えも終わり、一面の緑が日一日と濃くなり、目を楽しませてくれています。
 農閑期ともなれば、代わり映えしない殺風景な眺めの上に、ほとんど行き交う人もありません。そんな頃でした。何となく冗談のつもりで「手をつないでみようか」ということになりました。結婚以来五十二年、手をつないで歩いた記憶がありません。決して、ふっくらと、滑らかな、とは言えない感触は、年月の重みを物語っているのでしょうか。
 もし私が何かにつまずいて、転びそうになったら、夫は力を入れて引っ張ってくれるに違いありませんが、反対の場合、私は夫をとても助けられそうにないと、ふと頭をよぎりました。力で支えることが無理ならば、心で支えることにしましょう。これまでの長い道のりに、多少のずれによる危機はあったけれど、今のこの心境を大切にしていきたい。そう思った、ある日のウオーキングでした。”(6月18日付け中日新聞)

 静岡県磐田市の主婦・磯部さん(女・74)の投稿文です。夫婦で散歩する。ボクの周りでも多く見かけるようになった。特に老夫婦が多かろうか。良い風景である。磯部さんは手をつないで歩くこと試みられた。どちらが言い出されたのであろうか。更に良い風景であろう。結婚以来、手をつないで歩いた記憶が無いと言われる。それがである。これぞ老境の気持ちであろうか。人に会うことはほとんど無いと言われる。さて会ったときはどうされるであろうか。どちらかがサッと手を引く。その時、一方は放させないぞと力を入れる。いろいろ想像できて面白い。
 さて我が夫婦はどうであろうか。まず一緒に散歩をしない。ペースが合わないからである。ボクがゆっくり歩けばいいだけのことであるが、これが難しい。それでも旅行に行けば、一緒に歩く。ボクに速く歩かせないように、妻は時折腕を組んでくる。マア、今はこれがいいところであろう。どちらかがもう少し弱ったら、それこそ転倒防止に手をつなぐべきであろう。日本人はとかくこういうことを避けている。考えてみればこんな変なことはない。

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(第3166話) 歩道で

2021年07月06日 | 出来事

 “道を挟んだわが家のお向かいは県立高校である。高校のフェンスに沿って歩道があり、この道はOさんと盲導犬ジェムの散歩コースになっている。Oさんは中途失明で、自らが習得された点字教室で、今は指導サポーターをなさっている。私もその教室のお手伝いをさせていただいているご縁で、Oさんとのお付き合いが始まった。
 偶然、家がご近所だったので、ごみ出しの際などにお会いすれば、声掛けさせていただいている。だが、その朝は洗濯物を干していて、二階のベランダからOさんとジェムを見送る形になった。すると、Oさんの前方から自転車の女子生徒がやって来た。歩道のほぼ真ん中に位置取りをして、Oさんとうまくすれ違えるだろうかと、注視した。彼女はほとんど止まるくらいにスピードを緩めて、さりげなく○さんに道を譲った。良かった!と思ったのもつかの間、再び同じ方向からかなりのスピードで男子生徒の自転車がやって来た。
 朝練に遅刻しそうなのだろうか。危ないなあと見ていると、彼はOさんに気付くや否や、サッと自転車から降りて車道側の路側に寄り、Oさんに道を開けたのだ。思いつく限り精いっぱいの対応をする若者を立て続けに目の当たりにした、うれしい朝だった。”(6月13日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の主婦・洲淵さん(73)の投稿文です。盲人とすれ違う学生の風景です。2人の学生は思いやりのある行動を取られた。その風景をみて洲淵さんは嬉しい気持ちをもたれた。社会にこういう優しい風景が多くなると、誰もが優しくなる。連鎖反応である。良い連鎖反応が続いてほしいものである。
 このコロナ禍で、体に負荷を持った人は更に大変であろう。人と距離を保つ、声を出さない、これは盲人の人には更に酷である。盲人の人は見えない分、声や体で感じる感触で判断する。離れていれば、声もかけてもらえないし、体も感じない。本当にこのコロナ禍の対応は非人間的、非社会的である。どれだけ社会の習慣を壊したのであろうか。元へ戻るだろうか。一度壊れたものはなかなか戻らない。特に楽になったものは戻らない。人と接するのは気を使うものである。これが楽と思った人は、自分が困るまで戻る気持ちにならないのではなかろうか。こうした障害を持つ人は特に声をかけて欲しいだろう。心がけたいと思う。

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(第3165話) 一宮市100年アルバム

2021年07月04日 | その他

 “一宮市が九月に市制百周年を迎えるのに併せ、中日新聞尾張版では「一宮市100年アルバム」と題した企画を始めます。
 一九二一(大正十)年の市制施行以来、戦災からの復興、ガチャマン景気、尾西市・木曽川町との合併など、多くの出来事がありました。街の様子や暮らしぶりがわかる写真を紹介しながら、歴史を振り返ります。読者の皆さんからも思い出の一枚やエピソードを募集します。
 第一回は、戦後に新装された一宮駅ビルの写真です。市博物館の学芸員に解説してもらいました。”(6月10日付け中日新聞)

 記事からです。月日は切れ目なく淡々と流れているのであるが、人は社会は切のいい年になると、何か理屈を付けて行事を催すものである。これをボクは良いことと思っており、人間の知恵とも思っている。振り返り、過去に思いを起こし、喜び、反省し、次に向かう。わが一宮市が今年市制100周年という。いろいろな行事が考えられていたと思うが、このコロナ禍でかなり縮小されたであろう。残念なことである。その中で、中日新聞が「写真アルバム・一宮市の100年」という冊子を発売するという広告を見た。この記事はその関連であろう。もう数回が掲載された。先日、中学校の同級生と話していて、その一人がこのアルバムに投稿し、採択されたと言っていた。昭和40年頃の写真らしいが、ボクの手持ちにそんな写真はない。
 ボクの住むところは昭和30年の町村合併で一宮市に編入された新市部です。それでももう65年経ちます。この「話・話」 を書きながら、この知恵を地域で活用することを思いついた。実現できるだろうか。

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(第3164話) ビワの木

2021年07月02日 | 出来事

 “もう十五年ぐらい前になるだろうか。五十センチぐらいの小さなビワの木を植えたのは。それが三メートル以上にまで成長し、毎年六月になると、ビワの実が色づいてくる。実の割には、大きな種が入っている。手できれいに皮がむけるので食べやすい。葉っぱが大きくて、一年中青々としていて、立派でたくましさを感じる。
 しかし、ビワの木は三年近く前から横たわったままである。2018年9月4日の台風21号で、根元からぱったりと倒れてしまったのである。そして、何の因果か、元気だった弟までが、台風の次の日、「近くの病院に行ってくる」と出かけ、それから五十日目、家へ帰ることもなく、母親よりも先に逝ってしまったのである。
 ビワの木も枯れてしまうだろうと思っていたのに、翌年の六月には横たわったまま、いつも通りにたくさん実を付けた。今年もまた、色づき始めている。根元の方から、しっかりとした若葉が上に向かって何本も伸びてきている。頑張って生きているんだ。天から弟の声が聞こえてくる。「生きていれば、また良いこともあるさ」「そうだよね、頑張って生きていくよ」。ビワの木から勇気と優しさをもらっているような気がしている。ありがとう。”(6月9日付け中日新聞)

 愛知県愛西市の主婦・恒川さん(69)の投稿文です。人は花一輪、樹木一本にも思い出はできるものである。この「話・話」 でも、花や樹木の投稿を見つけると結構取り上げた来た。今回はビワである。恒川さんは、ビワに弟さんの思い出を重ねられた。植物の生命力に驚かされることがある。それが人にも大きな影響を与えることがある。恒川さんのこの投稿がそうである。
 ボクもビワの木を育てている。育てていると言うより、植えてほかってある。勝手にどんどん大きくなり、ビワを成らせてくれる。ボクがビワの木を植えたのはもう何十年前か、思い出せない。高さは屋根を越えてしまい、毎年切り落とすのに苦労をしている。そして、ビワは実が落ち、種から自然ばえしてくる。ほかっておくなら何本も生えてしまう。一度その木を移植した。これも大きく育ち、実が成った。後にその畑が売れたので、切り倒した。それ程に強いのである。
 今年もたくさんの実を食べた。近所の人にも配った。木は強いが、実は茎から外れると意外に早く傷んでしまう。丁寧に取らねばならない。これが苦労であるが、楽しみの方がはるかに大きい。

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柳&ウォーク