“三月に父が八十二歳で亡くなった。生前「新聞を取らないと一軒家らしくない」とずっと言っていたのに、死んで三日後、一時的に購読を停止することにした。「父イコール新聞」の思いが強く、新聞を開くたびにつらくなったからだ。
父は今年の正月ぐらいから目がぼやけるとこぼすようになった。それでも真剣に紙面を見ていた。「要介護5」だったが、新聞からいろんな元気をもらっているようだった。
ある日の明け方、目が覚めたら新聞配達のバイク音が聞こえた。父の「新聞を取らないと」との言葉がよぎり、二ヵ月半ぶりに配達してもらうことにした。久々に紙面を目にすると妙に喜びを感じ、父が新聞から元気をもらっていた理由が何となく分かるようになってきた。”(6月7日付け中日新聞)
名古屋市の会社員・尾藤さん(男・49)の投稿文です。今は何がなくてもスマホであろうが、昔は新聞であったろう。一般家庭では新聞をほとんど取っていたと思うが、今はどうだろうか。少し調べてみると、一世帯当たりの購読数は2000年には1.13部であったが、2020年には0.61部とあり、毎日新聞を読む人は45%、全く読まないに人が33%と言う数字があった。
減ったろうとは思っていたが、これほどとは思っていなかった。尾藤さんは、お父さんが亡くなられた機会に、新聞を取ることを止められた。新聞を開く度にお父さんを思い出され、辛くなったからと言われるが、ただそれだけとは思いがたい。ボクは親が亡くなっても新聞をどうこうとは全く思わなかった。尾藤さんはその後再び取られるようになった。そしてその価値も見いだされ、良かったと思う。
この「話・話」 でも新聞の良さについてはしばしば触れてきた。ボクはスマホも度々見るが、読む内容が片寄ることが気にかかる。