ha2106

第204号  2021年6月


 
 

(第3163話) 新聞

2021年06月30日 | 行動

 “三月に父が八十二歳で亡くなった。生前「新聞を取らないと一軒家らしくない」とずっと言っていたのに、死んで三日後、一時的に購読を停止することにした。「父イコール新聞」の思いが強く、新聞を開くたびにつらくなったからだ。
 父は今年の正月ぐらいから目がぼやけるとこぼすようになった。それでも真剣に紙面を見ていた。「要介護5」だったが、新聞からいろんな元気をもらっているようだった。
 ある日の明け方、目が覚めたら新聞配達のバイク音が聞こえた。父の「新聞を取らないと」との言葉がよぎり、二ヵ月半ぶりに配達してもらうことにした。久々に紙面を目にすると妙に喜びを感じ、父が新聞から元気をもらっていた理由が何となく分かるようになってきた。”(6月7日付け中日新聞)

 名古屋市の会社員・尾藤さん(男・49)の投稿文です。今は何がなくてもスマホであろうが、昔は新聞であったろう。一般家庭では新聞をほとんど取っていたと思うが、今はどうだろうか。少し調べてみると、一世帯当たりの購読数は2000年には1.13部であったが、2020年には0.61部とあり、毎日新聞を読む人は45%、全く読まないに人が33%と言う数字があった。
減ったろうとは思っていたが、これほどとは思っていなかった。尾藤さんは、お父さんが亡くなられた機会に、新聞を取ることを止められた。新聞を開く度にお父さんを思い出され、辛くなったからと言われるが、ただそれだけとは思いがたい。ボクは親が亡くなっても新聞をどうこうとは全く思わなかった。尾藤さんはその後再び取られるようになった。そしてその価値も見いだされ、良かったと思う。
 この「話・話」 でも新聞の良さについてはしばしば触れてきた。ボクはスマホも度々見るが、読む内容が片寄ることが気にかかる。

コメント

(第3162話) 湯飲み

2021年06月28日 | 出来事

 “随分長い間使用してきた私の湯飲みの上部が欠けてしまい、食器棚にあった別の湯飲みを使うようになった。
 あるとき、その湯飲みの底を見れば「創業百周年」とあり、生まれ育った故郷のプロパンガス店の名が印刷されていた。少し気になって調べたら大きな店で創業は1870(明治3)年だった。逆算したら、この湯飲みは五十年も前にこしらえられたものだった。とすると食器棚に五十年近く眠っていたことになる。私が結婚する際、亡き母がそっと置いてくれたものだろうか。そんな想像を膨らませた。母は、あの世で「そんな古い湯飲みを出して」と笑っているかもしれない。”(6月5日付け中日新聞)

 愛知県北名古屋市の田中さん(男・74)の投稿文です。長年一つの家に過ごせば、仕舞っておいて忘れてしまった物が多かれ少なかれあろう。田中さんは、50年以上も前の湯飲み茶碗を見つけられた。昔は結婚式の引き出物などもらい物も多かった。こうした物は特に仕舞われたままになっている物も多かろう。最近は断捨離が叫ばれている。長年使われることもなく、場所を占めているものを片付けようというのである。片付けて空間を広く使おうというのである。空間を広く使うという意味では、ボクも断捨離は賛成である。幸いボクの家は2人で住むには広すぎるほどであり、毎日の生活も広い空間を使っている。ものは奥の部屋にまとめられていて邪魔にはならない。でも、ボクは最近、使えるのに使わない物を引っ張り出してこなければと思っている。有用なものがあることを結構忘れているのである。妻は捨てることを主張するが、ボクは無視をしている。捨てて後でしまったと思うことを度々経験しているからである。ボクは廃物利用を楽しんでやっている。先日は古い犬の置物に、古い甕、壊れた傘立て、くたびれたネクタイを使って面白いものを作った。

コメント

(第3161話) ほほ笑み

2021年06月26日 | 意見

 “新型コロナウイルスの影響でこの一年余、疲れやストレスからつらくなるときがよくあります。そんな中、誰かにほほ笑みを向けられホッとした経験はないでしょうか。私には、いつも笑顔で周囲を元気づけてくれる友人がいます。彼女は私よりも七~八歳上で、家族の世話や新聞配達の仕事に励んでいます。彼女だって疲れも相当たまっているはずなのに笑顔を絶やしません。
 家で雑誌を読んでいたら「ほほ笑み すてきなプレゼント」とのフレーズに目が留まりました。「自分からほほ笑みかけて誰かの一日にちょっとした幸せを添えてあげましょう」ともありました。「受けるより与える方が幸福」という言葉もあります。私は今だからこそほほ笑もうと思っています。”(6月4日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の主婦・宮地さん(68)の投稿文です。先日に続いて笑みの話である。笑みを見せられて、よほど機嫌の悪いとき以外、悪い気のなる人は少なかろう。笑みは相手を嬉しくさせることはあって、悪くさせることはあるまい。そして笑顔のできる人は人柄と、その顔つきであろう。顔つきも自分で作るものである。ボクも昔、笑顔がいいといってくれた人がある。言われた方も良い気になるが、相手も良い気になってくれていたのであろう。最近は言われた覚えがないので、まずいのかも知れない。
 「ほほ笑み すてきなプレゼント」はまさにそうである。無料でできるプレゼントである。心がけたいが、一朝一夕でできるものではない。常の心がけである。「受けるより与える方が幸福」も事実である。受けるのはその時得した気分になるが、何か負担の気持ちが残るものがある。与える方はただ良い気持ちの残るのみである。

コメント

(第3160話) 笑顔の連鎖

2021年06月24日 | 出来事

 “私は店に行き、店員の対応が良いとそこでのうれしかったことを店のホームページを介して書き込むのが好きだ。久しぶりに訪ねた店で「一年以上前のことですが・・・」と話をすると、「本社からメールが届きました。ありがとうございます。とても励みになりました」と覚えていてくれた。京都の有名なホテルでフロントの女性に近くの観光地を尋ねると丁寧に教えてくれ、そのうれしかったことを書き込んだら、数日後、ホテル側からお礼のメールが届いた。
 私はうれしかったことのお礼をしているだけなのに、相手からはさらに丁寧なお礼を言われる。これならどちらも笑顔になれ、こんな世の中が続けばいいなと強く思う。”(6月1日付け中日新聞)

 岐阜県可児市の主婦・長瀬さん(64)の投稿文です。ホームページで客の意見を聞く、多くの企業で行っていることであろう。どれだけの人がホームページを開いてまで意見を書く人があるだろうか。苦情を言いたいときはたくさんある気がするが、嬉しかったときはどうだろうか。一度聞いてみたいものだ。嬉しいときは多分少ないと思う。それだけに、この店の人も覚えておられた気がする。嬉しいときこそ伝えたいものである。それが良い連鎖を生む。
 店にアンケート用紙を置いているところも多い。これは書きやすいが、顔を覚えられることに躊躇することもあろう。一昨年のことだったと思うが、妻が好意的なことをアンケート用紙に書いておいた。後日お礼の言葉と来店サービス券が届いた。そして出かけた。これは商法であろうか。でも嬉しかったことも事実である。

コメント

(第3159話) なじみの店

2021年06月22日 | 出来事

 “私は定期的に訪ねる文具店で愛用するボールペンの替えのインクを買い求めています。五月初めに訪れた際、替え芯の在庫がありませんでした。店員に相談したら「お急ぎならば」と店頭にある同じ系統のボールペンに入っている芯を融通してくださいました。普段から世話になり、なじみとしている店をますます好きになりました。
 ボールペンは父親からもらった思い入れのある品です。今、就労に向けた訓練でもプライベートでも大活躍しています。ボールペンを手にするたび、店員の温かな心遣いがよみがえってきます。その節は本当にありがとうございました。”(5月31日付け中日新聞)

 愛知県西尾市の金原さん(男・32)の投稿文です。融通を利かせる、これもなじみの店だからこそであろう。客の便利を図った一時的な対応である。この融通を利かせるかどうか、それは客との信頼関係でもある。これは何事にも言えることである。
 芯を入れ替えてもそのボールペンを使う。それは思い入れがあるからである。ボクなどボールペンは、インクがなくなれば捨てて別の物を使う。他に代えがたい物は貴重な財産である。ボクにこういうものはあるか?特に思いつかない。妻はもう何十年と同じ万年筆を使っているが、それはスペアーインク用であるから当然ではあるが、でもその万年筆は何かの賞で貰ったもののようだ。そういう意味では思い入れがあるのであろう。今、常時万年筆を使っている人はどのくらいあるだろうか。

コメント

(第3158話) 「64」忘れない 

2021年06月20日 | 人生

 “その昔の十代の頃、初めてビートルズのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の「ホエン・アイム・シックスティー・フォー」を聴いたとき、三人の孫に囲まれて幸せな老後を過ごすという歌詞にロマンを抱き、それ以来「64」という数字を何となく意識してきた。ずっと先のことだと思っていたが、私もついにその年齢になってしまった。
 一九六四(昭和三十九)年はビートルズが日本デビューを果たした年で、同じ年に東京五輪があり新幹線も開通した。昭和六十四年になってすぐ年号は平成となり、社会主義の各国で民主化が一気に進んだ。「64」という数字に愛着とこだわりを持ち、この先も気持ちだけは若くいたいと思う。”(5月27日付け中日新聞)

 岐阜市の公務員・水野さん(男・64)の投稿文です。ある特定の数字にこだわりを持つ。人生にはこんなこともある。それがいいことの時もあるし悪いことの時もある。水野さんは「64」に愛着を持たれた。愛着である。気持ちがいい数字である。水野さんは64歳になられた。この先はいつまでも64歳の気持ちで過ごされるのだろうか。そうすればよりいい数字になる。
 ボクはある時期「6」という数字が嫌いであった。中学1年の時の10月6日に父が交通事故を起こし生死をさ迷った。中学2年の9月26日は伊勢湾台風であった。高校1年の9月16日は第二室戸台風であった。伊勢湾台風の方が被害は大きかったが、ボクには第二室戸台風の方が怖かった。昼間と夜の違いであったろう。
 父は2ヶ月入院したが、その間ボクは半分以上学校を休んだ。秋の農繁期である。近所の人に手伝ってもらいながらも母と一生懸命働いた。中学1年でよくあれだけやったなあ、と今でも思う。そして、父の交通事故はその後のボクに思ってもみなかった展開を起こすのである。この展開はボクにとって、とてつもない幸運になる。そうして今があると思っている。人生は計り知れないものである。

コメント

(第3157話) 幻の同窓会

2021年06月18日 | 行動

 “「喜寿の年の同窓会を最後とします」。遠い故郷の中学校時代の級友から連絡があったのは、何年前だったろう。楽しみにしながら待ちに待った昨年秋は、コロナ禍で同窓会どころではなく、中止となった。
 山あいの小さな学校で同級生は七十八人だったと記憶している。卒業後は進学、就職とぱらぱらになり、以来年賀状のやりとりが続いているのは十二人。他の人たちはどうしているのだろう。同窓会が中止となり、同級生への思いは募るばかり。小中学校と九年間、なじんだ名前が浮かんでくる。
 思いついて「あ行」から順に名前を書き出してみることにした。意外とすらすら出てきて、すぐに五十人近くになった。あとは散歩の途中や食事の支度をしている時などに、ふっと思い出したりして、何とか六十三人になった。だが名前を思い出しても顔の浮かんでこない人が何人もいる。何回か出席した同窓会でも、そのたびに誰か分からない人が何人かいたのを思い出す。名簿も卒業アルバムもなく、あと十五人、果たして思い出すことができるだろうか。コロナ収束の兆しもなく、この先同級生たちに会う機会がないと思うと、寂しい限りである。それにしても、コロナが憎い。”(5月26日付け中日新聞)

 岐阜県海津市の先山さん(女・78)の投稿文です。コロナ禍はいろいろなものを破壊しているが、この同窓会も代表的なものだろう。多くの人が集まって話し、食べることが一番抑制されているので、ほとんどの同窓会は開かれていないだろう。先山さんは最後の同窓会が延期され、先の見通しはない。このまま終わってしまうのだろうか。その中で、先山さんは名前の書き出しを始められた。いろいろなことを思いつくものである。悔しさの表れであろうか。
 ボクも昨年、今年と小学校、中学校の同窓会を中止した。本来なら、中学校の同窓会はこの6月13日に開いているところである。ただボクは、ボクの状況が許される限り、開けるときが来たらいつでも開こうと思っている。そしていつが最後とも考えていない。今のところ集まる人がある限り、開くつもりである。しかし、いつまでもあると思うな、親と金である。そして自分の健康と命である。このコロナ禍で十分知ったであろう。しかし、ある命は、生かされている命は生かさねばいけない。そのことを特に思うこの頃である。

コメント

(第3156話) 口元見せたい

2021年06月16日 | 意見

 “ある企業が、口元が見える透明なマスクの受注販売を開始したところ即日完売したという。コミュニケーションに不安を抱える人をはじめ、聴覚・言語障害のある方のために開発されたそうだ。
 二歳となった息子は物心ついた頃から自宅の外ではマスクを着けた大人しか見たことがなく、いつも一緒にいる保育士ですらマスクを外した素顔を知らないと思う。周囲が皆マスク姿だと、表情から相手の感情をうかがう能力を、子どもたちが養えなくなる危険性が指摘されていた。次代を担う子どもたちの健全育成のためにもコミュニケーションの壁となるマスクを「見える」化していってほしい。一日でも早く教育の場で活用していただけることを切に願っている。”(5月25日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の会社員・浅田さん(女・41)の投稿文です。先日テレビで、マスクの効用についての番組を見ていてびっくりした。マスクひとつでこんなに変わるものかと。その番組では、口や顔の変化について調査をした結果を報じていた。マスクをしていると、口や口周りの変化が小さくなり、口臭がひどくなり、筋肉も落ちていくという。無意識のうちに変わっていくのである。浅田さんの言われるとおりである。いや、以上である。相手が見えないだけでなく、マスクをしている本人も表情を抑制していくのである。見えないからと気がゆるむのである。人前に身をさらすには無意識にも緊張が伴う。そしてこの効果は大きい。
 ではこの巣ごもり状態はどうだろう。マスクどころではない気がする。家に閉じこもれば緊張は格段に落ちる。一人暮らしの人は更に落ちる。ストレスになってはいけないが、心身の緊張はある程度必要なのだ。緊張のないことがストレスになっては更にいけない。一時も早いコロナ禍の終焉を更に願うばかりである。

コメント

(第3155話) 腕を組み

2021年06月14日 | 出来事

 “その病院の駐車場は、緩やかな坂でありながら、角張った石ころがあちこち顔を出していました。「父さん、慌てずにゆっくり降りようね。上手、上手」「母さんもゆっくりでいいよ。オーケー、オーケー、さあ出発」
 主人は先日、卒寿を迎えたばかり。私も立派な後期高齢者です。今、集中するのは足元のみ。車から降りた通りは石ころなし。ヤレヤレ。ふと気づいたんです。運転して連れてきてくれた娘の腕が、主人の腕にしっかり組まれていることに。でぶっちょと少々細めの二人。何だか不思議なものを見ているようで、私は当惑しきりです。でも、すんなりいい感じで風景に溶け込んでいます。「しっかりついてこなあかんよ」とは娘の声。五十年ほど前、ぜんそくで苦しんだ娘。何のてらいもなく素直に身を任せている夫。今ではどこでも見かけるような風景ですが、何でしょうか。
 男子厨房に入らず、男女席を同じゅうせすの時代を生き、加えて大変な照れ屋で不器用な人なんです。家の中ではともかくも、明るいお日さまの下でのこと。快癒を目指す通院での大発見でした。診療後は、楽しい食事をいただき、幸せな一日を送りました。ありがとう。”(5月21に付け中日新聞)

 岐阜県羽島市の岡崎さん(女・86)の投稿文です。娘さんがお父さんの腕をしっかり握り、誘導していく。お母さんはその風景を感慨を持って眺めておられる。昔には考えもつかなかった風景なのだろう。老いた父親を娘がかばう、いい風景である。何歳かとみればもう90歳である。当然でもあろう。
 そしてこの風景はボクに訪れるだろうか。やはり今のボクには想像もできない。そんなことができる雰囲気にはない、と今は思っている。でも老いたらどうなのだろう。その時の状況であろう。命までとは言わないが、体の状況は一瞬にして変わる。特に転倒し骨折でもしようなら、もう寝たきりか車椅子にもなる。こんな話は毎日のように身近に聞く。その時に岡崎さんの風景を体験できれば、本当に幸運だろう。まずは少しでも長く自立歩行ができること、そしてそれがかなわくなった時にはこの風景をボクも密かに願いたい。

コメント

(第3154話) 黄色の靴

2021年06月12日 | 出来事

 “散歩用のスポーツシューズがかなり傷んできたため新たなものを求めてショップを訪ねた。店内にはカラフルな靴が所狭しと並べられていて私は黄色のシューズを手に取った。ふと六十年前の記憶がよみがえってきた。
 小学校二年生だった。父が黄色いエナメルの靴を買ってきた。その靴で登校したら皆から「女の子の靴だ」とからかわれた。当時靴の色は男子は白か黒、女子は白か赤だった。それ以外の色はほとんど市中に出回っていなかった。その夜、「黄色い靴は皆にいじめられるからもう履かない」と私が言うと父は悲しそうな顔をした。翌朝、黄色い靴は白色になっていた。父がペンキで塗ったのだ。私は何事もなかったかのように白い靴を履いて学校に行った。”(5月20日付け中日新聞)

 愛知県大府市のパート・相羽さん(男・68)の投稿文です。お父さんに買ってもらった黄色い靴がからかいの対象になり、その靴に白いペンキ塗って使ったと言われる相羽さん。時代は変わるなあ、とつくづく思う。今は靴だろうが衣服だろうが、男女の色の観念は大きく減ったであろう。この観念の固定が批判の的になったこともある。好きな色が選べる時代になった。ボクなど女性のカラフルな服装を見ると羨ましくなる。男もかなり自由になったといっても、勤めているときはあまり変わらない。スーツなど遠くから見れば皆同じようなものである。色も模様もわずかな違いしか無い。様々なのは遊び時と定年後である。今こそ謳歌したい。
 相羽さんの話で面白いのは、白いペンキを塗って履いたと言うことである。今では子供とてとても履いてくれないだろう。やはり戦後という時代であったろう。
 最近はジェンダーという言葉が「社会的、文化的な性差」として使われ、よく議論の対象になる。体質的に男女の差はあり、それから社会的文化的性差となる場合もあろうが、単に性差だけで差別するのは問題であろう。この問題は今後、いろいろな進展があろう。

コメント


(第3153話) 今の風呂

2021年06月10日 | 出来事

 “私が小学生だったその昔、家の風呂は五右衛門風呂でした。若い人が聞いたら「何、それ?」でしょうが、かまどに鉄釜を据え、下から火をたいて直接沸かす風呂のことです。現代のようなガスや電気でなく、まきや炭でたき付けます。私が入っていると「湯加減、どう?」と母が聞いてきました。シャワーなんてなく、頭を洗う際、母は洗面器で湯をかけてくれました。
 その頃、同居した祖父は足が悪くてトイレに行くのも大変で廊下にし瓶を置いていました。母が祖父をたまの風呂に入れてあげようとしたときのことです。風呂の脇につかまりながらしばらく気持ち良さそうな表情を浮かべた祖父ですが、いざ風呂から出ようとしたら足が動かなくなってしまって。母と私で引きずり出しましたが、祖父は「はあはあ」と苦しげでした。
 今なら介護施設もあり、足が動かない人でもリフト付きの機械で簡単に入浴できます。私は介護の仕事をしており、入浴の手伝いをすることもありますが、湯につかりながら「気持ちいい。よかったな」と言ってもらえるとこちらもうれしくなります。”(5月18日付け中日新聞)

 三重県いなべ市の介護ヘルパー・出口さん(女・67)の投稿文です。昔の風呂のことを思い出すと今でもぞっとする。もちろん五右衛門風呂であったし、近所の3軒でもらい風呂をしていた。3軒が順番で風呂沸かし、その家に入りに行くのである。10数人が入るのである。かけ湯などしない。農業で汚れた体をそのまま沈めるのである。風呂の中は豆電球一つ、ほとんど何も見えない。多分最後の方は泥風呂であったろう。もらい風呂が解消したのは多分、水道が引けた小学6年の頃であったと思う。まだいろいろ語りたいことはあるが、それだけ風呂を沸かすというのは大変だったのである。そしてボクの家の五右衛門風呂は、ボクが家を改造した昭和57年まで続いた。娘も短い期間だったが、五右衛門風呂に入っていた訳だ。覚えているか一度聞いてみたい。
 その頃のことを思い出すと、今は天国だ。ボクの家は水道が引けてからずっと太陽熱温水器を使っている。これも昔に比べれば随分機能が充実し、ガスで加温するのは冬の間数ヶ月である。今など水に水を加える状態である。太陽熱温水器を利用している家庭も随分減った。一度村の中を歩いて数えてみたい。

コメント

(第3152話) 親切な高校生

2021年06月08日 | 出来事

 “病院からの帰り道、電車を降りたホームとは反対側にある改札へ行こうと階段を上ろうとしたら、足が痛くて思うように動きません。足を引きずるようにしてやっとの思いで階段を上がったら、反対側からやって来た男子高校生が笑顔で「大丈夫ですか? かばん、持ちましょうか?」と声を掛けてきました。「ありがとう、大丈夫」と言って歩き始めると私の歩調に合わせて改札まで一緒に歩いてくれました。多少の気恥ずかしさもあり、きちんとお礼を言えませんでした。思いがけない出来事にわが心は温かくなりました。
 このことを帰宅して夫に話すと「勇気ある行為で本当に優しい高校生だ。学校名と名前は確かめた?」と言われ、ハッとした。肝心なことを聞いておらず後悔しきりだった。”(5月17日付け中日新聞)

 岐阜県中津川市の主婦・志津さん(75)の投稿文です。人は性別、年齢など、傾向はあるかも知れないが、様々な人がいるものである。ボクは今の若い人はなどとひとくくりで言うつもりは全くない。そして、この高校生である。する人はするものである。
 ボクは最後のところ「肝心なことを聞き漏らす」に注目したい。人は慌てているときやとっさの時にどう判断するか、どう動くか。これはいろいろ経験した大人であればある程度納得した動きができるはずである。ところがこれが難しいのである。冷静でいられれば、より最適な方法が採れるはずであるが、この冷静が保てないのである。後でああすれば良かった、ああ言えばよかった、これがほとんどである。後で伝えられことである場合はいいが、なかなかそうはいかない。一瞬でことが決まる場合が多いだけに、人生は悔いが多い。

コメント

(第3151話) ミカン類

2021年06月06日 | 行動

 “幼い頃、「みかんの花咲く丘」を聴いたり口ずさんだりして海が見える丘を夢想しました。ミカンの苗木を庭に植えて大切に育ててきましたが、幹の根元に虫が入って枯れたことが二度、三度・・・。その後植えたハッサクには寒肥をたっぷり与えたら大きく育ち、わが家のシンボルツリーとなりました。あちこちに配っても食べきれないほど実がなります。レモンは茎にとげがあり、デコポンは形が面白い。通り掛かりの人に「あれは?」とよく問われるのは大きな実のザボンです。これら収穫した実は砂糖や蜂蜜に漬けたりジャムにしたりしています。
 この時季、さまざまなミカン類の花々は開き、わが家は甘い香りに包まれ、「ミカンの花咲く家」となります。”(5月14日付け中日新聞)

 愛知県愛西市の主婦・安田さん(71)の投稿文です。ボクも果物の木をいろいろ植えている。そして安田さんのように柑橘類もある。父が植えたミカンの木が2本あり、寿命はもう50年くらいだろうか。いまだ少しだが毎年実を付ける。ボクが数年前に植えた木も2本あり、昨年からなり始めた。ハッサクもある。実がならないので切り倒したが、根元だけ残した。そこからまた枝が出て、数年前からなり始めた。びっくりである。夏みかんはなりすぎて処理に困るほどであり、ゆずも風呂や食事に役立っている。柑橘類は作りやすく、食べる楽しみも大きい。そして作っていると思い出もできてくる。
 安田さんは「ミカンの花咲く家」と名付けられた。こういう遊び心はいい。ボクの家も名前を付けてみたい。更に楽しくなるだろう。今のところ「案山子のある家」である。先日も案山子の近くにいたら通りかかった知らない人が話かけてれた。

コメント

(第3150話) 100歳回復

2021年06月04日 | 行動

 “「百年生きて コロナにかかる くやしさに 負けてなるかと われに鞭うつ」。一月に新型コロナウイルスに感染し、回復した百歳の伊東綾子さん=大津市=が十日、滋賀県庁で会見した。闘病中に検査用紙の裏に詠んだ短歌を披露し、一時は酸素投与が必要となる中等症となっても悲観せず、治療やリハビリに前向きに取り組んだ体験を振り返った。
 「パスポートの期限が百二歳までなので、世界遺産に行きたい。五輪やプロ野球も見たい」と、ワクチンを打った後の希望を語り、周囲を驚かせる伊東さん。一方で「いつどこで感染するか分からない」と注意を呼び掛けた。
 一九二〇年、大津市生まれ。今年一月十日に感染が判明した。同時に感染した家族と共に翌日から二十六日間、同県近江八幡市立総合医療センターに入院した。入院当初の症状はせきだけだったが、三日目から熱が三八度まで上がり、血中の酸素濃度も低下。鼻からの酸素投与を二週間ほど続け、ステロイド治療も受けた。その結果、最後の一週間ほどは症状が収まり、病棟内を歩くリハビリに取り組んだ。(後略)”(5月11日付け中日新聞)

 記事からです。100歳にしてコロナにかかり、負けじと治療とリハビリに頑張り、26日間の入院生活から退院する。そしてこの短歌である。特にコロナ禍の死亡は高齢者に多い。本当によくぞと思う。まずは意欲だと思うが、意欲だけではどうにもならないことも多い。でもこういう人の話を聞くと意欲や勇気が沸いてくる。
 若くして大病にかかる人や亡くなる人と100歳でコロナにかかっても元気に生還する人との違いの大きさは全く何だろう。自分自身ではどうならないことも多かろう。誰がどうしてこれだけの差をつけるのだろう。あがらえないものであるが、本当に不思議なものである。こうして考えると、人間自分で生きている部分もあるが、大きな部分では「生かされている」が本当だという気がしてくる。ボクは朝の散歩で、寺院で「生かされている命を大切にし・・・」と唱えることにしている。

コメント

(第3149話) ダクダクウオーキング

2021年06月02日 | 行動

 “仕事を辞めてから健康維持のためにウオーキングを始めた。何をするにも三日坊主だっただけに自分でもすぐに投げ出すだろうと思ってきたが、半年を過ぎた今も続いている。
 最初は一日一万歩の目標を決めていたが、数日するとそれが苦痛になってきた。そんな折、俳句が趣味の義姉から俳句手帳を頂戴した。簡単な季語とメモ欄が設けられていて、以来この句帳を持ち目にするものは何でも五・七・五にするようにしてきた。これが効果てきめん。気付くと一万歩に達していることもあり、歩くことは全く苦痛でなくなった。汗だくで駄句をひねるという意味から「ダクダクウオーキング」と名付けた。”(5月8日付け中日新聞)

 愛知県蟹江町の佐藤さん(男・79)の投稿文です。健康維持のためのウオーキングを始める。それが苦痛になった頃俳句手帳をもらう。歩きながら俳句を考えると歩くのが苦痛でなくなった。一石二鳥となった。挫けそうになったとき、何か助け船が入る。こういうのが運の分かれ目である。こうして続いていき、大きな成果となる。佐藤さんは79歳である。これから何年元気でおられるだろうか。85歳、90歳、その時ウオーキングを続けておられ、元気でおられればまさにウオーキングの成果である。俳句の数も恐ろしい数になっておろう。それを祈るばかりである。
 佐藤さんはこの歳まで働いておられたのであろうか。そうだとしたら、働いていることが元気の素であったろう。働く効果は大きい。これからは70歳も75歳も働く人が多くなろう。いいことではあるが、気になることがある。仕事以外の社会の仕組みは誰が維持発展させるのだろうか。社会は仕事だけで成り立つものではない。

コメント


柳&ウォーク