“仕事を定年退職してわが半生記を書き始めたが、小学校卒業までを書いたところで中断していた。昨今の新型コロナウイルスに伴う自粛生活で持て余した時間を利用して続きを書き始めた。
これまでに書いたところを読み直した上で訂正したり追記したりした。中学校から高校、そして大学から会社生活へと書き進めた。そして一気に定年後の老人仲間との付き合いまでをつづった。今、読み直しつつパソコンに向かって訂正や追記をしている。人の名前やいつの出来事かには曖昧なこともあるが、読み返すだけで実に楽しい。書いて頭を刺激することでフレイル対策になっている気がする。”(5月7日付け中日新聞)
名古屋市の和気さん(男・72)の投稿文です。自粛生活の中で、半生記を書く。自分の人生を振り返る。これは人にもよるが、家族の歴史を振り返ることにもなる。改めて夫婦を考えることにもなる。この効用は大きいと思う。そして、文を書く。手書きなら更にいいだろうが、パソコンでも効用は大きい。文を書くには大きな努力がいる。この努力が頭のフレイル対策に大きな効果があろう。
半生記を和気さんは一時中断された。退職後も忙しかったのか、はたまた根気が続かなかったか。文を書き慣れた人ならよかろうが、慣れない人が文を書くのはなかなかのことである。半生記ともなると、根気が続かなくなるだろう。和気さんはほぼ達成された。良かったと思う。
ボクは作文の会に入り、またこの「話・話」 を書いている。書くことには慣れている方であろう。では半生記を書くか。今のところボクにそのつもりはない。作文の会の文(HPに随想として掲載)と、この「話・話」 が半生記のつもりである。