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第201号  2021年3月

 

(第3117話) 人生百年

2021年03月30日 | 意見

 “人生百年時代―。この先の生き方を考える指針として感謝、興味、グローバル、継続、好奇心の最初の文字を並べた「かきくけこ」を大事にしようと思っています。好奇心を失わず何事もポジティブにとらえ、チャレンジしていくつもりです。
 以前よく出掛けた学習セミナーは、感染が拡大する新型コロナウイルスの影響でオンラインでの開催となりました。初めは講師の先生の表情や会場の雰囲気が伝わってこなくて、何か物足りないと感じましたが、最近はそれなりにオンラインの良さにも気づくようになりました。自宅でコーヒーを飲みながら、のんびり視聴できるのもありかたいことの一つです。”(3月6日付け中日新聞)

 名古屋市の自営業・城部さん(男・70)の投稿文です。人生100年時代に向けて「かきくけこ」、感謝、興味、グローバル、継続、好奇心と言われる。本当に必要なものと思う。これは城部さんの創作であろうか。なかなかのものである。
 こうした五十音になぞらえたものは覚えやすい。一度覚えたら、いつも呪文のように唱える。いつも心がけることになる。こうした知恵はこの「話・話」 で数回紹介したことがある。2005年2月27日付け第210話で「たちつてと」、2014年4月2日付け第1925話で「まみむめも」、2019年8月14日付け第2826話で「かきくえこ」等である。もう一度読んで頂けると参考になるかも知れない。

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(第3116話) ソックス

2021年03月28日 | 行動

 “高校生の息子はサッカー部に所属しています。ソックスにしょっちゅう穴を開け、その都度、私が針と糸で縫い繕っています。二月上旬、さすがに今度ばかりは修繕不可能かなと思うほど大きな穴ができていました。何とかふさぐことができましたが、まるで足袋みたいになってしまいました。きっとはきづらく、恥ずかしいだろうと思いましたが、息子は何も言わずにはき続けています。繕った箇所は他にもたくさんあります。本当はもう捨てたいのかもしれませんが、私が繕うゆえ、息子も使わざるを得ないのかもしれません。そう、息子とのいたちごっこです。
 その昔はすぐ物をなくしていた息子ですが、ソックスー足でも大事に使えるようになり、わが子の成長を感じる今日この頃です。”(3月6日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市のパート・岡部さん(女・46)の投稿文です。「繕う」、今の若い人が繕いを生活に取り入れている人はどの程度あるのであろうか。岡部さん宅は繕って繕って、ソックスが足袋になるまで使っていると言われる。繕う人も、使う人もものを大切にする心があるのである。今は何でも使い捨ての時代である。ボクの娘らはどうしているのだろうか。先日気になって聞いてみた。一人は繕っているようだが、もう一人はボタンのつけ直しもわが家に持ってくるようだ。躾を間違えた。
 もちろんわが家は繕って繕ってである。靴下などは、岡部さん宅までは行かないかも知れないが、ボクは破れればすぐ妻に渡す。ボクが諦めるまで妻は繕っている。豊かとものを使い捨てにすることとは別だ。ものは資源だ。お金で資源は作れない。資源には限りがある。大切にしなければならない。

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(第3115話) 友の顔知らず

2021年03月26日 | 出来事

 “一月下旬のことだ。中学校一年生の娘が「○○ちゃんの顔を見て、こんな顔だったんだとびっくりしちゃった」と言っていた。給食でマスクなしの顔を初めて見たそうだ。思えば、娘は入学式に出たもののすぐ学校はニカ月間休みとなった。クラスメートの三分の二は違う小学校の卒業生だといい、感染拡大が続く新型コロナウイルスの影響で彼ら彼女らのマスクを外した顔をまだ知らなかったのだ。
 コロナ禍でこの一年、中学校ではキャンプも生徒会行事も文化祭もいずれもなくなり、体育祭は縮小され部活動も思うようにできていない。給食は前を向いておしゃべりせずに食べるだけで、友達の方を向いたら知らない顔がそこにあるー。なんと悲しい時代なんだろう。”(3月4日付け中日新聞)

 愛知県半田市の主婦・奈良さん(51)の投稿文です。このコロナ禍は、人間の絆をいかに阻害していることか、このマスクの話でもそれがよく分かる。このコロナ騒動以後知り合った人には、このように本当の顔を知らないままに接していることもあろう。ボクにも幾度目かに初めて素顔を見て、こんな顔の人だったのかと驚いたことがある。本当に近しい人でも、マスクをして、帽子などもかぶっておられたら全く気がつかない。このコロナ禍は、誰への影響も多くて一口には語れないが、新入生、新入社員には大きい方だと思う。全く新しい生活が機能しないのである。
 「3密」回避も、良好な人間関係構築に全く反する。この生活が長くなり、それに慣れてしまうと、元の生活に戻ることも難しくなろう。そしてこのコロナ禍の騒動を、思い出話として語れる日が早く来ることを祈りたい。

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(第3114話) 新たな学び

2021年03月24日 | 行動

 “六十の手習いとして短歌を始めた。品があって知的なイメージを覚えたからだが、三十一文字を「みそひともじ」と読ませることからして粋だ。しかし私に知識はなく、そもそも短歌を詠んだのは高校の授業以来。それでも、ひたすら文字のパズル合わせにいそしんでいる。
 必要に迫られパソコンも始めた。町内会の書類作りは今までの知識で何とかなるものの、基礎がない。これまで適当にごまかしていたことの何と多いことか。今はオンライン講座を受け息子みたいな若い先生から指導を受けている。実の息子なら舌打ちされるだろうが、親切丁寧に教えてくれるので、この年になっても楽しく学ぶことができている。短歌、パソコンともに細く長く続けられたらどんなに幸せだろう!”(3月5日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の主婦・魚住さん(61)の投稿文です。60の手習い、本当はもっと早いほうが良いと思うが、マア、良いでしょう。人生100年時代である。まだ先は長い。
 短歌を始められたきっかけは何だったでしょう。何かの縁があったはずです。縁はチャンス、そのチャンスをつかまれた。短歌は創造である。すらすらできるときもあるし、いくら考えてもできないときもある。こんなことで悩んでどういう意味があるだろう、と思われるときもあろう。でも、難しく考えないで続けてほしい。続けることに意味がある、と考えて欲しい。ボクはこうして川柳をやって40年になる。川柳連れ連れ草は月1回で230号になった。20年目に入いっている。続けていればこそである。60歳から始めても20年、30年とやれるであろう。
 魚住さんはパソコンも改めて勉強を始められたと言われる。立派なものである。ボクのパソコンは我流である。仕事で使った訳でもなく、特に教えてもらった訳でもなく、困ったときに人に聞きながらやってきた。今神社総代で庶務を担当し、書類作りはボクの仕事である。前任者の作った書類に驚いている。こんなことまでできるのか、ボクの知識ではとてもそれを使いこなせない。本当はボクもきちんと習った方が良いのだろうが、その気にはならない。魚住さんに負けている。

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(第3113話) ひな人形

2021年03月22日 | 行動

 “今年もひな人形を飾った。いつもの年より七段がなかなか組み立てられなかった。つくづく年齢を感じた。思い起こせば、娘が生まれてから四十五年間ずっと飾ってきた。最初の娘を死産で失ったが、どうしても娘が欲しかった。待望の女の子が元気に生まれてきてくれ、貧乏生活のわが家には不似合いな七段飾りのひな人形を買った。
 引っ越しのたびに持ち運び、お殿様とおひなさまだけを飾った年もあった。娘が大病で入院中は、病室に飾り、無事を願ったこともあった。娘が嫁いでからも、一人で毎年飾り、癒やされてきた。娘のためというよりも、半分は自分のためだったように思う。私同様、少しシミが出たりほつれたりしてきた。まだまだ処分するには惜しい気がするが「元気なうちにお別れしよう」と声を掛け、ぽんぼりに灯をともしている。訪ねてきた小三の男の孫に処分の話をすると悲しそうな顔をした。「ひな祭りの曲のオルゴールだけでも欲しい」と持ち帰った。
 三月三日の節句が過ぎたら人形供養に頼もうと思う。仏壇の中の抱いてあげることもできなかった娘の位牌にも見えるよう部屋いっぱいに並べたひな人形。心を込めて「今まで見守ってくれてありがとう」と伝え、送りたい。”(3月3日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・梶川さん(71)の投稿文です。七段のひな人形、引っ越しにもいつも持って行った。そして毎年飾り付けた。そして今も親元にある。梶川さんはこう言われるが、こういう家庭は多いと思う。ひな人形を娘が持って行った、という話を聞いたことがない。どこも親元にあり、もう処分を考えているという話ばかりである。先日の「話・話」 の季節行事で恵方巻きやバレンタインデーの話は出るが、ひな祭りの話は出ない。
 実はわが家も同じである。ボクは昭和50年頃、勤め先の近くにあったひな人形の製造元で、一対のお内裏様を購入した。まだ親王飾りなど広まっていない時代で、特にこの部分だけを分けてもらった。それ以来、もう50年近く、2月になると飾っている。次女は娘2人の子持ちである。持って行けと言っても持って行かない。そして今もわが家にあるのである。これが世間一般のようである。場所のこともあろうが、出し入れが面倒、関心がないというところであろう。さてわが家はこの先どうなろうか。処分せずに残したら、娘は持って行くだろうか。

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(第3112話) 仕事の中で

2021年03月20日 | 行動

 “つぼみが膨らみ、メーターの上のクモの巣が大きく広がり、台所の窓からいいにおいがしてきます。同じ景色なのに、春夏秋冬いつもどこか変化しています。私の仕事はガスメーター検針と集金。一ヵ月に一度、電動アシスト自転車で町中を走ってます。
 メーターの目盛りから気をもみ、出てきた元気な姿にほっとします。草むらのドブにはまり骨折したり、犬にかみつかれたり、ハチの巣にビクビクしたりと嫌なことも多いけど、楽しく仕事ができるのは「一日中ひとりぼっちだよ。誰とも話してないんだよ」と待っていてくれる人がいるからです。
 高齢化社会の中で一人暮らしの人が増えています。コロナ禍で外出を控え、会話することも少なくなり、心も沈みがちです。家族のある人、いない人では思うことも違うでしょうが、人恋しく、ひと声を待っている人がいます。こんな毎日だからこそ、声をかけ合って、親交を深め、ふれあって、支え合い、絆をつくり、笑顔で生活していくことが一番大切なことではないかなと思います。「笑う門には福来る」と言います。みんなの笑顔でコロナ退治をして乗り越えたいですね。仕事の中で、人と接して教えられました。”(2月27日付け中日新聞)

 愛知県蒲郡市のパート・小久保さん(女・73)の投稿文です。検針の人にはこんな役割もあるのか、と改めて知った。一人暮らしの人が多くなった。ガス、水道、電気などの検針の人が訪れる。その時一言声をかける。待っている人がいる、それを知っただけで声をかける。これも気配り、心がけだけであろう。時間が取られて大変かも知れないが、して欲しいことである。会社もこうした姿勢を取ることを推奨してもらうと、検針の人もやりやすくなろう。これぞ社会貢献である。
 ボクの家で定期的に訪れる人は、水道は2月に1度、ガスは毎月、電気はスマートメーターになって来なくなった。検針票はポストに入れてある。他に新聞の集金、これはお金をもらうことであるので、必ず声かけがある。又毎月の銀行預金の集金がある。頼まれてやっているのだが、考えてみれば声をかけてもらえるという効用がある。一人暮らしの人には、お勧めかも知れない。

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(第3111話) 季節行事

2021年03月18日 | 行動

 “節分に恵方巻き、バレンタインデーにはチョコレートをいただきました。これらを食する習慣はともに業者側の消費拡大が世に広まったのが起源のようです。普及したことについて日本人が「周りに流されやすい」「立場の強い人に言われると反論できない」との同調圧力に弱い側面を指摘する評論家もいます。
 私は毎年恵方巻きは黙ってその年の方角を向いて食べています。妻と娘から高級チョコレート一粒でももらおうものなら、三月のホワイトデーにはそれ以上のお返しをしていて、それが家庭円満の秘訣だと考えています。季節感も味わえる、これら二月のイベントは私には悪いものでないような気がしています。”(2月25日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の会社員・布村さん(男・63)の投稿文です。こういう考え方もあるのか、と頷く。ボクはどちらかというと批判的であるのだ。そして恵方巻きもバレンタインデーもあまり意識したことがない。妻は買い物ついでに、恵方巻きを買ってきたりはする。バレンタインデーも、昔は義理チョコをもらうこともあったが今はもうない。妻からもいつの間にかなくなった。最近はハロウィーンが盛んになっている。しかし、新しいものがはやるのに、日本の伝統行事は廃れる一方である。何事も流行、時の流れはあると思うが、なぜ日本の伝統はなくなるだろうか。ボクの子供の頃あった行事の多くはなくなった。今年度から神社総代を引き受けていろいろな行事をやってきたが、役員以外の参列者はほとんどない。コロナの原因ばかりではない。
 布村さんは商業ベースに乗せられようと、流行の行事に参加するのも家庭円満の秘訣だと言われる。ボクは良いことなら何でもいい、と言う方だが、なぜこれらにはあまり関心がないのだろうか。日々の変化が少なくなった今こそ、今まで以上に取り入れれば良いと思うので、再考したい。

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(第3110話) 出会い

2021年03月16日 | 出来事

 “人生で最も心に残っているのは「君に出会えて良かった」と言われたことだ。この言葉を発した人を、私は絶体絶命のピンチから救ったわけでもなければ、何か利益になることをした覚えもない。ただの知人で、会ったとき共通の趣味を語り合う関係。それなのに、その人はあまりにも自然に先のフレーズを口にした。それを聞き「私も出会えて良かった」と感じられた。以降、私は誰かが熱中する物事を聞くのが好きになった。老若男女、好きなことを語る瞬間、生き生きとするものだ。その語り口から生き方や信念、情熱を感じられ、この人に出会えて良かったと思える。そんな出会いを私はこの先も大切にしていきたい。”(2月24日付け中日新聞)

 名古屋市の高校生・丹羽さん(女・18)の投稿文です。人を喜ばす言葉にはいろいろあるが「君に出会えて良かった」は、最高の言葉ではなかろうか。もちろん、この友人は丹羽さんを喜こばせようとして言った訳ではなかろうが、言われた方は感激である。そしてその喜びから新たな発見を得られた。人の話を熱心に聞くことである。人の話を熱心に聞くことは、話すことより難しい。聞いてもらえた人は「君に出会えて良かった」と思われるだろう。また丹羽さんも「この人に出会えて良かった」と、思えると言われる。若い人の感性は素晴らしい。この感性をいつまでもなくすことなく、人生を歩んで欲しいと思う。「今の若者は」と思うこともあるが、総合的に今の若い人は素晴らしい。豊かな分、体験することも知ることも、ボクらの時代とは格段に違う。

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(第3109話) 手紙

2021年03月14日 | 出来事

 “三歳年上の姉からセピア色の手紙とはがきの束を渡された。一九六五(昭和四十)年ぐらいから私が姉に出した五十通ほど。感染が拡大する新型コロナウイルスの影響で姉は外出を自粛する中、終活としての身辺整理をしてそこで見つけたという。
 切手も七円、十円、十五円、二十円などと懐かしく、文章を読むと思い出がよみがえってくる。田舎に嫁いだ私は当時の生活とともに、わが子や姉の子の成長をああだった、こうだったとつづっていた。苦しくてつらかったこと、とても楽しくうれしかったことなども書かれていた。今五十歳を超えたわが子に見せ、若い頃の私の日々を伝えたいと思う。「お姉ちゃん、ありがとう」―。”(2月23日付け中日新聞)

 三重県津市の奥村さん(女・76)の投稿文です。昭和40年ぐらいと言われるから、もう50年以上昔の頃である。その頃からお姉さんに出した50通ほどの手紙が渡されたという。もう懐かしさである。10年一昔と言う言葉があるが、50年である。この間の変わり様は凄まじいものであった。記憶は薄れるものである。何か残されているものがあると、それをきっかけにいろいろな思い出がつながっていく。手紙は特に良いだろう。事実と共に気持ちも書かれている。
 人生は思い出作り、と言う人がいる。人間は思い出で生きる、と言う人もいる。もちろん過去は振り返らず、前を見て積極的に生きるのも一つのあり方である。でも、今は一瞬にして過去となる。過去を持たなかったら、すべて忘れたら虚しいのではなかろうか。
 ボクはいろいろなものを残している方だと思う。「路」と題した綴りが百何十冊とある。思い出の品物の綴りである。人から見ればただの紙くずである。でもボクには宝物である。「私の宝物」と題した次の随想を読んでいただけるとありがたい。
  http://terasan.dousetsu.com/zu021.htm
 断捨離、断捨離と言われる。そのメリットもよく述べられている。全く否定するつもりはないが、でも無理にする必要はないと思っている。ボクも本など一部捨てたが、多くはそのままである。幸い、ボクの家には場所がある。

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(第3108話) 当たり前

2021年03月12日 | 知識

 “「ありがとうの反対は当たり前だ」とは私の尊敬する先生から教わった言葉だ。当たり前と思ってしまうと、そこから感謝の念はどこかに消えてしまうものだ。そのことを見事に言い表していた。
 ちょうど一年前、感染が拡大し始めた新型コロナウイルスの影響で急きょ学校は休みとなり、いつもできていたことの多くができなくなった。そこで初めて当たり前のありがたさを知った。ありとあらゆることを日頃当たり前だと思ってきた自分か情けなくなってきた。私がこれまでに成長できたのは、たくさんの人に支えられたからだ。街角で目にするごみ拾いをする方のおかげで地域のきれいさが保たれていることに、感謝できているのだろうか?そう自らに問い掛けた。コロナ禍の収束は見通せない。ゆえに何事にも感謝しながら生きていこうと私は思っている。”(2月22日付け中日新聞)

 岐阜県本巣市の高校生・大西さん(女・18)の投稿文です。ありがとうの反対語?それが当たり前?これは先生の教訓的考え方で、正式には違うだろうと思った。ありがとうは感謝の言葉である。それなら反対語は、相手を非難する言葉ではなかろうか。しかし、ありがとうは「有り難う」と書く。有るのが難しいのである。有るのが難しい、の反対はよくあることとなる。当たり前となる。納得である。調べてみてもそのようになっていた。
 このコロナ下で、多くの人は今までの当たり前を封じ込められた。そして、当たり前に生活できるありがたさを知った。このコロナ下で、今まで気がつかなかったいろいろなことを知った。感謝の念をいだくことが、少しは多くなろう。何事も生かさねばいけない。

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(第3107話) 大岩駅

2021年03月10日 | 行動

 “若い頃から旅行が好きで、よく出かけていました。山陰線には、私の姓と同じ名の駅があります。四十代くらいの時、生きていくことに自信をなくし、毎日ぼんやりと過ごしていました。そんなある日、ふと見ていた時刻表から、この「大岩駅」を見つけました。どうしてもこの駅に行ってみたくなり、ひとりで訪れました。
 無人駅ということは知っていましたが、初めての駅に夢を膨らませて、少しでも元気がもらえたら、という気持ちでした。しかし、いざ駅に着いてみると、悲しいほどに荒れ果てた駅で、まさにその時の自分と同じでした。癒やされに行<つくつもりが、よけいに落ち込んで帰ってきました。
 あれから何十年もたった昨年の春。もう一度、この駅を訪れる機会がありました。鳥取まで行く友人の車に便乗してのことです。出かける前からとても楽しみでした。再度訪れた駅は思い出の姿とは全く違い、ホームも見違えるほどきれいになり、私は涙が出るくらいうれしかったです。今度こそ、いっぱいの元気をもらって帰ってきました。何もない自然の中にポツンとある駅ですが、私にとってこの「大岩駅」は、どこの駅よりも愛しく、かわいい駅なのです。”(2月13日付け中日新聞)

 福井県敦賀市のパート・大岩さん(女・67)の投稿文です。駅名が自分の姓と同じと言うことでの話です。それだけのことでその駅と何の関わりもありません。それだけで訪問されました。そしてこんな思い出話になりました。でもこういうことは度々あります。
 先日、グラウンドゴルフから帰ってきたら、妻がテレビでびわこ毎日マラソンを見ていました。ボクと同じ名の選手がトップグル-プで走っています。つい応援してしまいました。人間というのは面白いものです。少しの縁を見つけると嬉しくなる。逆の場合もあります。同じ名が悪いことで知ると、いやになります。こう考えると、他人のためにも悪いことで名が知られてはなりません。同名の人のためにも責任があります。こうして自制するのも一つの生き方でしょう。良いことになるのなら、何を利用するのも良いでしょう。

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(第3106話) 懐かしの1000曲

2021年03月08日 | 行動

 “収束の見通しが立たない新型コロナウイルスの影響で外出を自粛しています。そこで何かに挑戦しようと思い、大正から昭和にかけての歌謡曲の歌詞を年始からノートに書き写すことにしました。
 約千曲が収められる分厚い歌謡曲全集を開きながら机に向かい、青春時代の曲は懐かしく口ずさみつつ書いていきました。食事の時間さえ借しんで取り組み、書き写しノートは全部で十冊を数えました。全て書き終えると「やっと終わった」とホッとし、心は安らぎ、達成感や充実感に浸ることができました。やればできると実感し、好きなことに熱中できた喜びが全身にみなぎってきました。”(2月12日付け中日新聞)

 岐阜県多治見市の加藤さん(女・90)の投稿文です。コロナ下の過ごし方、書き写しの仕方、いろいろあるものである。加藤さんは、歌謡曲1000曲を写されたと言われる。新聞の「中日春秋」とか、ボクがしている「編集日誌」だと1日1話となるが、本であればいくらでもできる。加藤さんは、年始からと言われるので、1ヶ月くらいで1000曲写されたと言うことになる。慣れ親しんだ歌謡曲である。書き写すのが楽しくて仕方がなかったであろう。食事の時間さえ惜しんだと言われる。そして終えたときの達成感が全身にみなぎったと言われる。これが90歳の女性である。探せば日々を楽しくさせる方法はいろいろあるのだ。ぼんやりはいけない。意欲であろう。いつまでも、いくつになっても意欲を忘れない、人生を楽しく有意義に過ごすにはこれにつきるであろう。
 実は先日、ボクの村で来年度の老人会の会長のやり手が見つからなく、対策の会議がもたれた。その会議にボクも呼ばれた。会長が見つからなくては、会員がいくらいても解散である。多くの町内はこれで老人会が解散になっている。会議はいくら続けても会長のやり手が見つからない限り、解散である。この状況にボクが会長に手を挙げた。これで会議は終了した。ボクを駆り立てたのは、消滅させてならないという気持ちと、意欲である。この話はこれから度々書くであろう。

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(第3105話) 感謝伝え合う

2021年03月06日 | 行動

 “私にとって「二十六」は特別な数字です。七月二十六日が結婚記念日で、私たち夫婦は毎月二十六日になると感謝の気持ちを伝え合っています。
 「今日は二十六日ですね。これからもよろしくお願いします」。一月、私が仕事から帰ると妻がこう言いました。感染が拡大する新型コロナウイルスの影響で二度目となる緊急事態宣言が発出されている折、日常の忙しさもあって、うっかりその日を忘れていました。
 妻は私が元気に過ごせるよう、玄関先の見送りを欠かさず、温かくおいしい食事をいつも用意してくれています。私が健康でいられるのも妻の支えがあってこそです。「最愛の妻よ、いつもありがとう。これからもよろしくお願いします」”(2月12日付け中日新聞)

 愛知県岩倉市の会社員・羽塚さん(男・31)の投稿文です。男、31歳、それでこの奥さんへの思いやり、感謝である。気持ちは持っていても表現をしない人が多い。今の若い人はいざ知らず、特にボクらの年代以上はそうであろう。結婚までのいきさつは、また結婚何年か・・・気になることはいくつもある。しかし、言葉を持って伝えることは必要なことである。羽塚御夫婦は、特に日を決めてそれを励行される。こうされれば、忘れることもなかろう。いつまでも続くであろう。良い知恵と思う。
 この投稿されたこともいいと思う。世間に公表された。その手前もある、もう疎かにはできない。有言実行である。
 結婚式も世間に公表の意味がある。夫婦生活も山あり、谷ありである。うまくいかなくなったとき、皆の前で結婚式を挙げたことが、別れることへの縛りになる。その時期を耐え忍べばまた元の夫婦になる。多くの夫婦はそうしてきた。今はその耐え忍ぶ期間が短い気がするが、いかがであろうか。

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(第3104話) 実家へ電話

2021年03月04日 | 行動

 “女性音楽家は、仕事前の忙しい朝に母親から声を掛けられてイラッとし「(忙しいから今は)無理」と返答したそうで、「毎日三分、親の話を聞ければ神だ」と語っていた。そんな話を聞くと「あれ、私は神?」と思って涙が出てきた。母が認知症と診断されてから毎朝、実家へ様子確認の電話をかけ続けてはや六年となる。寝ていてなかなか電話に出ないときもあれば、朝からテンションが高い日もあり、愚痴をひたすら聞かされることもある。私だって早く仕事の準備をしたいと思いつつ、母の話に耳を煩けている。
 そう遠くないうちに母と同居し、育児と介護の両立が強いられるだろう。イラッとしたら素直に話し、無理なときは無理と言おう。母は母らしく、私は私らしくいたいと思う。”(2月8日付け中日新聞)

 愛知県大府市の介護福祉士・浜口さん(女・47)の投稿文です。人は自己主張したいものである。ただ聞くことは難しい。特に老人の話を聞くことは難しい。少し認知症の入った人の場合は更に難しい。浜口さんは、認知症の入った母親に毎朝電話をし、話を聞かれている。それももう6年である。「毎日三分、親の話を聞ければ神だ」と言う言葉に、自分自身に涙された。思い出せばよくやってきたと、自分自身に感激されたのであろう。
 「そう遠くないうちに母と同居」と言われるので、お母さんは一人暮らしであろうか。認知症と言われるのにである。認知症と言っても程度がある。一人暮らしができる程度であろう。こういう家庭が今どれほどあるのだろうか。浜口さんは、状況を見て同居できるからいい。そうでない一人暮らしの人も多かろう。病院や施設には入れればいい。それもなかなか難しい。ボクの身内でも今どうしようか、悩んでいる人がいる。今健康で長生きの高齢者も、その先は分からない。どうするか、どうなるか、十分に頭に入れておく必要がる。

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(第3103話) 百万遍

2021年03月02日 | 知識

 “私の住む地区には昔から百万遍という正月の行事があって、中学生以下の男の子だけで大きな数珠を持って地区内の五十軒くらいを回ります。私の長男も孫も参加していました。
 百万遍とは百万回極楽往生を祈願して、七日間に百万回念仏を唱えること。京都の知恩寺発祥の仏教行事とか。子どもたちは鉦を鳴らしてくるので、近くに来ると玄関を開け、線香を立てて待っています。子どもたちが回ってくると、玄関の中で家の者も一緒になって「チンチクリンノナンマイダ」と三回唱えて大きな数珠を回し「ヘイッ」と頭の高さに上げるのです。
 ところが今年はコロナ禍のため、子どもたちは全員マスクを着用し、家の中には入りません。しかも数珠を持とうとしたら「コロナのため、おうちの方はご遠慮ください。子どもだけで回します」と言われてしまいました。
 長男の参加していた頃は小学四年から、孫の時は小学一年から中学三年までの参加でした。近年は少子化のため、子どもが少なくなり、女の子も参加し、さらに親御さんが何人か付いているのです。時代ですね。この行事が絶えることなく続いてほしいと思いながら、子どもたちの鉦の音の余韻に浸っていました。”(2月6日付け中日新聞)

 岐阜県中津川市の志津さん(女・87)の投稿文です。もちろん初めて知る行事です。地方にはまだいろいろな行事があるものです。
 さて我が地域です。ボクの子供頃を思い出せばまだいろいろありました。破魔矢、七夕祭り、湿り祭り、虫祭り等々これらは全くなくなりました。しゃぎと(左義長)、国府宮の裸祭、そして結婚式や葬式、これらはまだ残っていますがその形は全く違ってきています。こうした歴史を書き残したものは、ボクが知る限り昭和31年発行の「千秋村史」くらいしか見当たりません。何事も一朝一夕にできるものではありません。経緯、歴史を知ることは大切です。ボクにできることはないか、ということをもう10年以上前に思いました。そして数人の高齢者にこの思いを話し、何でもいいからメモにして欲しいと頼みました。私もそれ以上言いませんでしたので、何を聞くこともない内に亡くなってしまいました。
 そして今、やるなら一時も早いほうがいい。書いてもらうのではなく、こちらから聞き取る、そしてまとめる。まとめたものが紙1枚でも2枚でもいい。まずはすること、と思い立ちました。そして数人の長老に協力をお願いしました。どうなることでしょう。

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柳&ウォーク