“旧国鉄時代から親しまれた夜行列車が、半世紀余りの歴史を終えた。JR東海とJR東日本が一月二十二日、東京駅と大垣駅(岐阜県大垣市)を結ぶ臨時夜行快速列車「ムーンライトながら」の運行終了をひっそり発表したのだ。同じ区間を走った名物夜行列車「大垣夜行」の後を継いだムーンライトながらも、時代の波にあらがえなかった。帰省や貧乏旅行に使われ、時に感傷を誘う夜行列車を惜しむ声がやまない。
「ついになくなるのか・・・。大垣市の元職員田中重勝さん(七一)が嘆息する。市役所に入って間もない二十代の頃、研修で東京に向かう際に大垣夜行に乗った。「朝六時前に東京に着く。一日が有効に使えると考えたんや。でもね、席がとにかく窮屈。体を横にしたくて新聞紙を持ち込んで床に寝そべったなあ。そんな苦労も振り返ると楽しいね」(後略)”(2月4日付け中日新聞)
記事からです。ボクも「大垣夜行」から「ムーンライトながら」とよく利用した。一番よく利用したのは、日本ウォーキング協会が歩き納めのウォークとして、毎年12月第3日曜日に開催した「鎌倉歴史探訪ウォーク」に参加するときである。この列車に乗り、東京駅に朝5時前につく。それからこのウォークに参加し、その日の9時頃一宮に帰る。もちろん青春18切符の利用である。仲間8人ばかりで10年連続参加した。今思えばよくやったものだと思う。できるときにしておいて良かった、と言う感である。
記事にもあるように「大垣夜行」は辛かった。窮屈で寝るに寝られない。「ムーンライトながら」に変わって楽になった。でも予約になったのでこれを取るのが大変になった。
この他にも東京方面へ行くときはこの列車をよく利用した。宿泊費が1泊分助かるのである。これは大きい。今は高速バスなど、いろいろな方法がある。利用客も減ってJRにとっては重荷になってきたのかも知れない。これも時代の移り変わりであろう。