“「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」は日本一短い手紙として知られます。退職して文書を書く機会はめっきり少なくなりましたが、思わぬところで効率的な短文作成の必要性を感じることがままあります。その一例が携帯電話間のショートメール。私の携帯では一回の発信は七十字までとの制約があり、簡潔に打ったつもりでもすぐに字数オーバーとなります。二回に分けて打てばいいのかもしれませんが、できれば一回の送信で済ませたいものです。
本欄での各投稿の見出しの十字を手本に私は、頭の体操の意味も込めていろいろな表現に挑戦してみようと思い始めています。”(12月7日付け中日新聞)
名古屋市の鈴木さん(男・79)の投稿文です。簡潔要領よくは読む方に楽である。理解も早い。いい文章の条件である。これはもう技術である。これは日頃から心がけ、修練を積むのである。メールも使い方である。頭の体操と気づかれた鈴木さんは、老いてまだまだ成長されるだろう。
さてボクはどうか。この「話・話」 は随分文章を長くしている感じがある。引用文が主体の「話・話」 であるが、引用文より長くしたい思いがあるからである。引用元もはっきり示しているし、著作権侵害とは言われることはないと言われているが、気にしている部分ではある。ということもあって長い文になっている。本当は引用文の方を読んで欲しくてボクの文などどうでもいいが、この機会を利用して自分史のつもりで書いている。自分を振り返るにいい機会である。何事も機会の捉え方である。人にチャンスはいくらでも訪れる。そのチャンスを生かすか、ただ見逃すか、そのことによって人生は大きく変わる。鈴木さんはそのチャンスを上手に生かそうとされている。