ha2011

第198号  2020年11月

 
 (第3057話) 嫁の心配り
2020年11月29日 | 出来事

 “姉の亡きがらが入院先の病院から戻ってきた。きょうだい、親戚が姉の家に集まって通夜・葬儀の手配をした。夜も更けてきたので私はいったん自宅へ戻ることにしたら、門扉横の花壇に枯れかけた花が明かりで照らされていた。ところが翌日、斎場へと送り出す姉のひつぎを支えながら家を出る際、昨晩の花は見事に咲き誇っていた。見間違いかと思った。
 後で聞いた話によると、姉の息子のお嫁さん二人が「花が大好きだったお母さんを枯れた花で送り出すのは忍びない」として閉店間際のホームセンターに駆け込んで花を購入し深夜に植えたとのこと。優しいお嫁さん二人の心配りには感謝するとともに、大いに感動して涙があふれてきた。”(11月6日付け中日新聞)

 愛知県大府市のパート・相羽さん(男・67)の投稿文です。棺を運び出す前夜「閉店間際のホームセンターに駆け込んで花を購入し深夜に植えた」。こんな思いやりに涙は溢れることでしょう。それも嫁姑の間柄です。いさかいの話はいくらでも聞くだけに、心温まるものがあります。こんな行為はそう思いつくものではありません。いくら花好きの姑さんだからと言って、どこからこんな発想が生まれたのか、感心するばかりです。
 嫁舅、姑の問題は古代からのようで、つきない課題のようです。でもうまくいっている家も多いでしょう。ボクの娘2人は共に問題なく過ごしているようです。いろいろあるとは思いますが、共に何も聞こえてきません。聞こえてくるほどの問題はないと言うことでしょう。こちらが心配なく過ごせるだけでもありがたいことです。ボクの妻とボクの親とはいろいろありましたが、それは結婚する前の問題であり、本人に関することでありません。
 葬儀については、今様々な形になっているようです。また機会があれば取り上げたいと思っています。

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(第3056話) ハッピーバースデイの歌

2020年11月27日 | 出来事

 “四年ほど前からでしょうか。車で一時間余りの所に住む長女の孫が、夫と私の誕生日に、電話口で「ハッピーバースデイ」を歌ってくれるようになりました。兄と妹の元気な歌声を聴くと、とても幸せな気持ちになります。
 十月に入り、夫が「いつも歌ってもらっているから、今度の十歳の誕生日には、こっちから歌ってやろうかな」と言い出しました。驚く私です。というのも、二十八年前の交通事故で、声帯の片方を駄目にしてしまった夫です。療法士さんの訓練を受け、病院の屋上で、息を出す、声を出す練習をしていました。
 今では日常生活には困りませんが、普通の人の半分ほどの声量です。のどに違和感があると、せきをしたり、むせたりします。そんな夫が歌うなんて、よほどの決心です。
 孫の誕生日の夕食後、電話をかけました。「いつも歌のプレゼントありがとう。きょうは、お返しにおじいちゃんが歌うからね」小さな声でゆっくりと歌い始めました。「ハッピバースデイツーユー、ハッピバースデイツーユー、ハッピバースデイ、ディア元君。ハッピーバースデイツーユー!」見事に歌いきりました。「すごいお父さん、良かった、完璧」。夫の気力と努力に脱帽の私でした。”(11月3日付け中日新聞)

 愛知県あま市の主婦・木村さん(69)の投稿文です。おじいちゃんおばあちゃんにとって、孫との関わりの話は尽きません。木村さんのこの話もその一つでしょう。誕生日に孫が電話口で「ハッピーバースデイ」の歌を歌ってくれたお返しに、今度はおじいちゃんが歌う。それも痛めた声帯を克服して。いろいろな家庭があるものです。そして孫との話は楽しい話ばかりです。特に小さい頃はいろいろあります。
 ボクには4人の孫がありますが、一番下でももう中学2年生です。このコロナ禍もあってもうほとんど来てくれることはなくなりました。わが家の居間にはフォトフレームという写真立てがあります。何千枚という写真をSDカードに入れ、1日に5時間くらい20秒ごとに写真が移り変わっていくようにセットしいます。その中には孫が小さいときの写真も入れてあります。ボクは孫が3歳くらいの時からウォーキングに連れ出していましたが、その写真を見ると懐かしく、仕草が本当にかわいいものです。孫のある幸せをつくづく感じます。
 残念ながら今は孫のない家庭も多くなりました。孫の話ができない友人も多くなりました。ボクにはいろいろ総合的に考えて、結婚し子供を持つことがいいと思いますが、古い固定観念でしょうか。

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(第3055話) 何でしたか?

2020年11月25日 | 意見

 “  「あなたが受け取ったメッセージは何でしたか?」
                  大坂なおみ(9月14日付け本紙夕刊)
 今年のテニスの全米オープンで、日本人とハイチ系米国人を両親にもつ大坂なおみさんが優勝した。彼女は人種差別で命を奪われた人たちの名前を記した黒いマスクを全試合に使用して、差別に抗議を表した。試合後に彼女にマスクの意味を尋ねた質問者に「あなたが受け取ったメッセージは何でしたか?」と聞き返した。
 それは質問者を介して、私たち一人ひとりに「あなた」と問いかけている。あなたとは人種差別、民族差別などの当事者でありながら、「私は差別していない」と他人事にする「私」のことである。
 差別問題はどこまでも「己が身にひきくらべて」(法句経)考える問題である。歴史的に形成されてきた差別に自らを顧みることなく、傍観者的に「人間は皆平等である、差別はいけない」と答えて正論とすることではない。むしろ、現実の構造的な差別に加担している、その自覚に身を据えることが求められている。”(11月3に付け中日新聞)

 「今週の言葉」から同朋大名誉教授・尾畑文正さんの文です。大坂なおみさんのこのマスクの行動は大きく報道されたし、話題になった。ボクはずっと気になっていた。そしていつか取り上げたいと思っていたが、この尾畑さんの文が機会を与えてくれた。
 ボクは世の中のいろいろな差別に驚くことが多い。それはそのような差別に中にいることが少ないから、またそのことを考える機会が少ないから驚くのであろう。世の中のほとんどの差別について同調する気はないが、ではその中に置かれたらどう思うだろう。離れているときは、この文で言う傍観者である。傍観者は加担していると同じと言われるときつい。傍観者でなくなったとき、よほどの考えを確立していないと、揺れ動くだろう。常に問いかけられていることを、頭に入れておかねばならないことだと思う。
 尾畑さんのこの「今週の言葉」は、今年亡くなった中村薫さんの後任であろうか。身近だった人の後任だけに、尾畑さんの文も興味を持って読んでいきたい。

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(第3054話) 初個展

2020年11月23日 | 行動

 “ふるさとの豊かな自然や文化の一こまを記録にとどめ、後世に伝えていくとともに、生活に夢と潤いを醸成しようと写真を撮り始めたのは五年前のことです。以降、好奇心を胸に「今日はチャンスに遭遇するかもしれない」と朝夕カメラを手に駆け巡りました。活写したわが作品が入賞するという素晴らしい名誉に輝くことが時折あり、それが子どものようにうれしくてたまりません。頭の中は写真のことでいっぱいです。
 五年を一つの区切りとして、これまでに賞をもらった作品を一堂に集めた初めての個展を開くことにしました。地元の駅のギャラリーで三十日まで開催していて、どんな評価が得られるでしょうか。不安もありますが、いくらかの楽しみもありそうな気がしています。”(11月3日付け中日新聞)

 滋賀県愛荘町の自営業・青木さん(男・80)の投稿文です。75歳を超えて写真を撮り始め、5年目にして個展を開く。それも賞を貰った写真を集めたものと言われる。人はしようと思えばできるものだ、と言うことをあらためて知らされた。そして今も頭の中は写真のことでいっぱいと言われる。この好奇心はどうだろう。生きている限り、人生に終わりはない、その手本のような人である。
 そしてその目的が「ふるさとの豊かな自然や文化の一こまを記録にとどめ、後世に伝えていく」と言われる。単に自分の楽しみだけではない。社会に役立つと言うことも視野に入れておられる。素晴らしい。人間、年齢ではないのだ。する人はするし、しない人はしない。心意気である。ボクも今年後期高齢者に入った。青木さんはこの歳から写真を始められた。ボクはこのコロナ禍の中で戸惑っている。いろいろ予定していたものが中止になってしまった。今年始まったものは神社総代くらいである。想像していた以上に大仕事である。でもこれを言い訳にしてはいけない。次を見据えて考えておきたい

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(第3053話) 衣服に名前

2020年11月21日 | 行動

 “秋晴れの日、自宅で衣替えをしました。収納ケースに衣類名を書いた上で、さらに衣服の裏のタブや折り返し布にも自分の名前を書いていきました。私は介護施設で働いていた十年ほど前から持ち物には必ず名前を書くようにしています。災害が起きて行方不明の人がたくさんいるというニュースに触れるたび、捜索の手掛かりの一つとして着衣の名前は役立つと思ったのです。こんな私は、友人から「認知症でもないのに・・・」と言われていますが、自分の身にいつ何があるか、誰も分かりません。周りに迷惑を掛けないよう、少しずつ身の処し方を考えていこうと思う今日この頃です。”(10月30日付け中日新聞)

 三重県鈴鹿市の主婦・北川さん(66)の投稿文です。衣類等いろいろなものに名前を書く、これも生活の知恵である。名前を書くのは、自分のものと分かるためである。多くは間違えないため、またはなくしたとき見つけて貰うためということが多かろう。園児や小学低学年の時、母親がすべての持ち物に名前を書いてくれたことを覚えている人は多かろう。それが大きくなると共にその習慣を忘れていく。それはいくつになっても必要なことであるのだ。北川さんは介護施設で働かれ、その必要性を感じられていた。そしてそのことが捜査のために役立つと感じられた。災害の時、身元不明と報道されることは多い。このときどこかに名前があったらすぐに判明するだろう。最悪の場合であるが、実際こういう時もあろう。
 ボクはかなりのものに名前を書いている。名前を書く習慣を持っているだけに、なくすことも少ない。でも衣類には書いてない。衣類に書くとなれば、かなりのこだわりが必要である。洗濯してもなくならないものでなければならない。シールなどでは無理であろう。今のボクにしてみれば妻の仕事になってしまう。言うほどに簡単なことではない。

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(第3052話) 二度目の人生

2020年11月19日 | 出来事

 “七月初めに受けた人間ドックの結果に驚いた。腫瘍マーカーの一つの値が何と正常値の十五倍以上だっ一だ。腫瘍マーカーとは、がんの可能性を示す指標。年齢的に余命いくばくもないというにはまだ早く、うそだと思いながらも衝動的に書店を訪ねてエンディングノートを買い求めた。家族に迷惑をかけてはいけない。手にした一冊のノートに死後を考えていろいろなことをつづった。
 その後、かかりつけの病院で再検査したら正常値に戻っていた。大きな病院でもう一度検査しても結果はほば同じで幸い問題は見つからなかった。この約一カ月は生きた心地がしなかった。今は二度目の人生と考え、一日一日を当たり前でなく大事に過ごすようにしている。”(10月27日付け中日新聞)

 名古屋市の公務員・横田さん(男・33)の投稿文です。こうした話はよく聞くところであるが、しかし、33歳の男性と言うことに驚きである。一度の腫瘍マーカーの異常値に驚き、ここまで考え行うのか。ボクは驚くのであるが、悪いこととは言えない。考えるきっかけになったのである。毎日平穏なことを当たり前に思い、特に感慨もなく過ごす。そんなときの衝撃である。気持ちを新たにし、その後を二度目の人生と考え、大事に過ごす。良いことではないか。人間には歳に関係なく、時折こういう機会を持つことは大切である。時折振り返り、反省し、気持ちを新たにし、次に臨む。その機会がこのように病気の時もあるし、何かの失敗の時もある。特に身近な人の死の時は考えることも多かろう。その時、悲観的になるばかりでなく、ポジティブに捉えたいものである。

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(第3051話) 改善続ける

2020年11月17日 | 行動

 “私が今年目標に掲げた漢字は「続」です。中学生になった以上、小学生のときよりも学習の時間を増やさなければなりません。課された宿題に取り組むだけでなく、自学も積極的にやっていく必要があります。しかしながら自学を続けていくには、それなりの強い意思が自分にないとできません。このため私はどんなに疲れて中学校から帰宅しても、授業の復習や予習を欠かさないように頑張りたいと考えています。
 私は自分の思ったことをそのまま正直に言ってしまう欠点があり、ずっと改めたいなと思ってきました。小学生の間はまだしも、私も含めた中学生は自己ができつつある思春期にいるので、周囲のことを十分におもんぱかった上でひと呼吸置いて話すようにしたいです。こうして少しずつ自分を変えられたらいいな。”(10月27日付け中日新聞)

 岐阜県中津川市の中学生・赤座さん(女・13)の投稿文です。こんな募集があったのでしょうか、続いて女子中学生による決意の漢字です。赤座さんは「続」をあげられました。「継続は力なり」という諺もあります。ボクは「続」と言うことに、非常に価値を置いています。我々凡人は、それ程のことが成せる訳ではありません。まして一朝一夕にできる訳はありません。できるとすれば継続によってでしょう。そして継続は非常に難しいことです。何か始めても飽きるなり、諦めるなりでまもなく止めてしまいます。止めてしまっては成果は上がりません。続けることが成果と言っても良いかもしれません。それ程に継続は価値があります、とボクは思っています。
 ボクのホームページに「継続の力」()と言うページがありますが、読んでいただけると幸いです。もちろん中断したものも多いですが、継続しているものもいろいろあります。例えば川柳は35歳から始めていますし、ウォークも40代後半から始め今も続いています。この「話・話」 ももう15年になり3000話を超えています。この一つずつは本当にささやかなことです。でも今では私の財産と思っています。本当に継続の成果です。

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(第3050話) 自ら行動

2020年11月15日 | 意見

 ”中学生となった私は今年の決意を示す漢字として「動」を選びました。誰かに言われるのではなく、何事も自分から取り組めるようになりたいと思ったからです。小学生のときは人前で話すのが苦手でした。授業中も挙手や発言があまりできませんでした。中学校に通い始めてから自分なりに意識したことで、少しずつ手を挙げることができ、自分の思ったことや考えたことを話せるようになった気がしています。
 私は積極的に行動できる人間になることを目標としています。環境も小学生とは随分変わり行動できる範囲は広がってきました。考えれば考えるほど、いろいろと活躍できる場面もあるなと思っています。自分の未来を切り開くのはこの私です。中学校一年生の間、「動」を意識して後悔しないように過ごしたいです。”(10月22日付け中日新聞)

 岐阜県中津川市の中学生・水野さん(女・13)の投稿文です。素晴らしい決意と思います。行動して初めて分かることもありますし、それより行動しなければ何事も達成できません。水野さんは少しずつ行動することによって、そのことに気がつかれました。「動」を意識して過ごすことを決意されました。この意識すると言うことも大切なことです。「何事も身近にすれば興味わく」はボクの今月の川柳です。何事も毛嫌いせずに、近寄ってみることです。するといろいろなことに興味がわき、行動するきっかけになります。その先に発展があります。ボクは巻頭句集に、この句に「人生は挑戦だ、体験だ」と添え書きをしました。
 先日こんなことが起こりました。ボクは数年前から誘われてグラウンドゴルフを始めました。それまでグラウンドゴルフをするなんて考えたこともありませんでした。しかし、例会にはあまり参加できず、なかなか上達もしません。11月3日にクラブ員25名ばかりで親睦大会がありました。それまであまり芳しい成績を残したことはありませんでしたが、それがいきなり優勝です。信じられません。これもグラウンドゴルフをするという行動に出たことにあるし、挑戦したことにあります。最近ボクに起こった小さな例ですが、人生とはこんなものだと思います。水野さんは若い、これからいろいろなことが起こるでしょう。避けることなく、「動」を意識して臨んでください。

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(第3049話) 人材の育成

2020年11月13日 | 知識

 ”プロ野球の名選手で名監督たった故野村克也さんは監督時代、「財を残すは下、仕事を残すは中、人を残すを上とす」との言葉を大切にしたそうです。
 モノづくり分野での世界的な競争を考えると、日本の各企業では人材の育成と技術の継承が急務といえます。とはいえ私は長年、技術職に従事してきただけに、その道で磨き上げ蓄えてきたものを次代に伝えることが決して容易でないことがよく分かります。教える立場になると、かつてのようにがむしゃらにやればいいわけではありません。時に目線をいったん落とすことも必要となってきます。野村さんの「生涯一捕手」にあやかり、定年まで「生涯一社員」の気持ちで私は仕事に取り組もうと考えています。”(10月19日付け中日新聞)

 三重県四日市市の会社・奥村さん(男・58)の投稿文です。「人を残すを上とす」とは本当に含蓄のある言葉です。人を残すことによってこそ、継続や進歩があります。そして、奥村さんが言われるように、人を育成することは非常に難しいことです。ボクはこのことを問われると、どうやっていたのかあまり自信がありません。
 近年は特に難しいことをよく聞きます。昔は上の言われることは黙って従うことが多かった。黙って従うから伝えることが比較的容易です。分かってからはその人の判断になります。近年は、まず同意であるようです。納得しないと始めない。よく知らない人を納得させるのは難しい。
 このコロナ禍で更に難しくなった。テレワークやリモートで仕事はできるのでしょうが、人材育成はどうでしょうか。顔を合わせて行うことが大切なことだと思うので、更に困難になったし、また偏りが生じる気がします。また経営が難しくなると目の前のことが優先します。人材育成どころではありません。日本の技術力低下や学力低下はよく報道されることです。資源の少ない日本は技術力で繁栄してきた国です。教育の高さで保ってきた国です。今の政策始めどこか間違っている気がしてなりません。課題提供と言うことでこの投稿を取り上げました。よく考える必要があると思います。

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(第3048話) 一礼してくれた

2020年11月11日 | 出来事

 ”車で愛知県道を走っていたら横断歩道の脇に幼児二人を連れた若い女性がいたので停車した。幼稚園か保育園からの帰りらしく自転車の前と後ろに子どもをそれぞれ乗せ、荷物は多かった。女性は道を渡る前に一礼、道の半ばでも一礼、渡り終えてさらに一礼していた。気づくと上の子が会釈して頭を下げるまねをしていた。ほほ笑ましい光景で、小さい子も懸命にもみじのような手を振っていた。思わず私も手を振り返すと女性はまたも一礼した。
 バックミラーから確認すると女性は自転車を押していた。二人の子どものみならず自身もヘルメットをきちんと着用していた。あんなに礼儀正しいお母さんなら二人の子どもはきっとすてきに育つことだろう。私はそう強く思った。”(10月19日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市の主婦・野田さん(59)の投稿文です。車の横断歩道での一旦停止、これは規則です。その規則を守られた野田さんは、丁寧な礼儀を返され、感動されました。少しおかしな話ですが、それ程にこの一旦停止を守る車は少ないのです。
 先日テレビでこんなニュースがありました。”JAFが2019年に調査した結果、三重県は一時停止率が3.4%と全国ワースト。ところが2020年の調査で、三重県は27.1%。全国平均の21.3%を上回り、大幅に改善、第14位となった。その理由の一つとして、5年前から、横断歩道で小学生が会釈をする「まもってくれてありがとう運動」を進めてきたこと”という内容でした。子供らが横断歩道の前で、手を挙げて車が止まるのを待っている。この姿に、止まる気持ちを起こす人が多いと言うことでしょうか。多くなって当然と思いますが、それでも止まらない車が多いのはおかしな話です。
 ボクはこの話で、女性がヘルメットをしていることに、もっと驚きました。ボクは自転車の女性のヘルメット姿など、見た記憶がない。まさに、この女性にしてこの子供もあり、の感じです。自転車の高齢者のヘルメットの話も、先日テレビで見ました。、高齢者はよく転びます。ヘルメットで障害程度は大きく違ってきます。ボクはヘルメットをかぶるようになってもう4年になります。でもまだボク以外に見かけませんね。

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(第3047話) アルバム

2020年11月09日 | 行動

 ”暑さ寒さも彼岸まで。猛暑だった今年の夏の暑さと、終息が見通せない新型コロナウイルス。当たり前だった日常が奪われてしまったストレス。運動不足でドッと老いを感じる。そんな今読んだ本に、子供らが親の死後に一番処分に困る品は手紙、日記、アルバムと書いてあった。自分も片足八十代に入ったので、やらなけれぱとの思いもあったが、秋らしい涼しさに、やっとエンジンがかかった。
 結婚して四十一年、天国に旅立った夫とは旅行が好きで、北から南まで、よく旅をした。お互いカメラで写真を撮り合い、旅から帰ると写真に絵はがき、入場券、航空券、おいしかった店や名所のパンフレットなども加え、アルバムを一冊作成するのが、旅の後の楽しみだった。そんなアルバムが、八十冊ほど。昔のアルバムは百科事典ほどの厚みで、二キロくらいの重さ! 持ち運ぶのも大変だ。一冊ずつめくり、思い出深いスナップをはがし、粗大ごみに・・・。
 半月ほどかけて出来上がった、シンプルな新しい二冊のアルバムが、リニューアルした私のヒストリー。コロナ禍でも、充実した思い出深い日々を送ることができた。「ありがとう」”(10月19日付け中日新聞)

 岐阜県可児市の主婦・勝野さん(79)の投稿文です。残された人が困らないように、最近は終活、終活と騒がしい。そして断捨離、断捨離とも言う。勝野さんが言われるように、終活、断捨離で特に言われるのは「手紙、日記、アルバム」であるようだ。これは出来事を忘れないように、また思い出を保存しておいたものである。そのためのものを、自分で捨てよと言われても簡単にできるものではない。自分の過去を、自分の人生を自分で葬るようなものである。
 さてこれが分かる子供らに、この処分は本当に困るだろう。そして昨年、ボクら夫婦も、勝野さんと同じような作業をした。残しておいた方がいいと思う写真を1枚ずつはがして、50冊近いアルバムを4冊にまとめた。ただ元のアルバムはそのまま残してある。
 実はボクにはもっと膨大なものがある。「私の宝物」と題する随想、次のホームページを見ていただきたい。http://terasan.dousetsu.com/zu021.htm この文は平成15年9月に書いたものである。その後15年以上たつ。その分増えているのである。「私の宝物」と言っても、これはもう残してくれとは言わない。
 この他にも、ボクの家には思い出につながるものがかなり残っている。また場所があるから道具などのガラクタも多い。妻は処分しようと言うが、ボクはする気にならない。今ならまだより分けねばならない。死ねば見ずもせずに一括すっきり処分するだろう。今の若い人は割り切っている。ボクらが心配するような感情は持っていない気がする。

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(第3046話) 靴への思い入れ

2020年11月06日 | 行動

 ”バレーボール部員だった高校生の「汚れた靴は努力の証し」を読んだ。古い靴を大切に取ってあるのは私だけだと思っていたが、同じ思いの人がいることにまず驚いた。
 私は社会人になって以降の靴三十数足を今も大事に保管してある。新入社員で職場で履いた安全靴は甲から爪先までに薄い鉄板が入っていて、万が一部品が落下しても鉄板が足を守ってくれた。ベルギーと当時の西ドイツに駐在した際、よく降る雪のために用意したブーツは暖かかった。そのブーツは雪が積もった日の雪かきに今も役立っている。管理職になってからはそれまでよりも値段の高い靴を買った。毎日のように履いたのでかかとが擦り切れているものもある。
 運動靴も含めてどの靴にも懐かしい思い出がある。捨てることができない気持ちは、この高校生と同じだ!”(10月14日付け中日新聞)

 三重県亀山市の岩谷さん(男・78)の投稿文です。いろいろ思い出の品を取っておく人は多いだろうが、この靴には驚いた。高校生はまだしも、78歳の岩谷さんもである。それも30数足とある。それ程に深い思いがあるのだろう。それが靴の保存になっているのだろう。人様々と言うが、全く様々である。断捨離、断捨離と言われる時代である。それに最も反しているだろう。
 ウォーキング愛好家のボクに靴は重要な用具である。もう20年以上も前になるが、最初の頃はいろいろ試した。歩くのに普通は数千円の運動靴である。それはすぐに底がすり減る、破れる、まめ(肉刺)ができる。人にいろいろ聞き、試していく。そしてアル中といわれる人の多くはワールドマーチという靴を履いていることを知る。2万円近くする。数千円の靴しか買ったことがないボクにはかなりな冒険である。靴は値段ばかりではない。高価でも合わない場合もある。躊躇しながらも買ってしまう。ところがボクに非常に合っていたのである。1日に数十キロも歩くことがあるが、簡単に底が減らない、マメもできない。手入れをすれば長持ちもする。結局安上がりになった気がする。それ以来ウォーキングはワールドマーチである。これがボクの靴の思い出であろう。思い出は至る所にある。これが豊かな人生であろう。

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(第3045話) コキア収穫

2020年11月04日 | 活動

 ”ハロウィーンを前に、ほうきを作るためのコキアの刈り取り体験が十一日、一宮市光明寺の138タワーパークであり、親子連れら二十組が参加した。コキアは、枯れた後は乾燥させてほうきの材料にできることから「ホウキグサ」とも呼ばれる。パークには約七百株あり、ハロウィーンに合わせてコキアを使った長さ約五十センチのミニほうきを作るイベントを企画している。そのため、今回は使用するコキアの刈り取りを来園者が手伝った。
 パーク職員の指示に従い、大きく育ったコキアの茎を根元から刈り取った。父親と参加した岐阜県各務原市の福手まりちゃん(五つ)は「難しいところもあったけど、切るのが楽しかった」と笑顔で話した。”(10月13日付け中日新聞)

 記事からです。コキアを話題にしたくて、この記事を取り上げた。コキアは箒木として川柳連れ連れ草の第165号(平成27年9月号)で扱っているが、「話・話」 としては扱ったことがないようだ。138パークでは「ハロウィーンに合わせてコキアを使った長さ約五十センチのミニほうきを作る」とあるから、ハロウィーンではこのほうきに魔女の子でもでも乗せたのだろうか。
 ボクがコキアを作るようになってもうどれくらい立つのだろうか、もう思い出せないくらい昔のことになった。元は1株買ってきただけである。それが毎年種をこぼれ、増えていった。それをいろいろなところに植えたので、今では庭や畑、いろいろなところに生えてくる。邪魔にならないところはそのままにしている。見栄えもする。青もいいが、赤はもっといい。今年ももう随分色づいた。楽しい植物である。ひどいことをしなければ自然生えしてくる花は多い。ボクはこれを十分に楽しんでいる。敷地が広いことは苦労も多いが、ありがたいことである。

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(第3044話) 手作りおはぎ

2020年11月02日 | 行動

 ”わが家では秋の彼岸におはぎを作ります。小豆と砂糖を煮て、家族で味見しながらあんをこしらえます。普段の食事ではあまり会話がありませんが、おはぎを作るときは皆自己主張するから不思議です。完成するとまず仏壇に供えます。そして親戚や知人に持っていきますが、今や待っていてくれる家庭もあります。
 「スーパーに行けば何でも手に入る時代なのだから購入すればもっと楽だろうに・・・」と思うこともありますが、家族からは「今まで元気に過ごせたのはご先祖様のおかげ。感謝の気持ちで作ろう」との声が上がりました。この先も日本の良き習慣を続けたいと強く思いました。”(10月10日付け中日新聞)

 三重県松阪市の会社員・山本さん(男・64)の投稿文です。お彼岸に団子やおはぎを作る習慣はまだ残っているのだろうか。またお彼岸にこうしたものを供える習慣も残っているのだろうか。ボクの家も父母がいた時代は、芋名月と言って里芋を供えたものだ。それも随分昔のことだったと思う。
 山本さんの家はまだしておられる。おはぎを作って配られる。昔はこうして手作りしたものをやり取りしたものだが、最近はどうだろうか。買えばたやすく手に入るので、随分減ったのではなかろうか。またそれ程量も作らなくなった。また好みも様々になって、あげることが喜ばれるかどうかも分からない。
 山本さんがされる理由は、「今あるのはご先祖様のおかげ。感謝の気持」と言われる。お彼岸は先祖供養である。そして先祖供養は今の自分達のためにあるものである。先回の「話・話」 のお墓と同じである。形は違えども、この気持ちが大切と思う。

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