ha2010

第197号  2020年10月

 
 (第3043話) お墓供養
2020年10月31日 | 意見

 “実家の祖母の七回忌が九月にありました。感染拡大が続く新型コロナウイルスの影響で皆が集まっての会食はせず、時間差で訪問して仏壇の前で手を合わせる簡素なものにしました。
 実家にはもちろん墓はありますが、祖母の納骨はまだ終わっていません。近年よく話題になる「墓じまい」を意識してか、納骨をためらっているようです。
 嫁いだわが家は自宅近くの墓地に一区画を用意していますが、私が死んでからここに入りたいかと問われれば、答えは「いいえ」です。誰がこの先墓を守るのかと思うと、正直ちゅうちょしてしまいます。供養のかたちは多種多様で正解はありません。心がこもっていればそれが一番ではないでしょうか。”(10月6日付け中日新聞)

 愛知県弥富市の主婦・大河内さん(50)の投稿文です。最近はお墓のあり方についてもいろいろな提案がある。考えも多種多様である。
 昨年2月、義弟が急逝し、妻の実家を処分することを進めてきた。その時墓をどうするかと言うことになった。一時は墓じまいと考えたが、最後的にはそのまま残すことにした。義弟の墓碑銘も入れた。わが家からそれ程遠くもなく、妻は毎月墓参りをしている。妻もボクもいけなくなったとき、どうなるか。娘も近くにいる。そして娘にも話した。できることをはやってくれるだろう。そんな先のことまで案じておられない。
 残したのは、父母始め先祖伝来の墓を処分するのは忍びなかった、ということが第一理由である。処分などいつでもできる、急ぐことはない、と言うことである。
 ボクはどちらかというと、今の流れには疑問を持っている。誰もが先祖があって今の自分がある。その先祖をないがしろにすることは、身の程知らず、傲慢である。人間は楽を求め、またすぐ忘れます。形のないものはより忘れられるでしょう。そういう意味で、形のあるお墓の形態はいいものだと思います。亡母は「お墓は先祖のためのものではなく、子孫のためのもの」とよく言っていました。また、法要など故人に関わるいろいろな行事も、故人のためのものではなく、残された人のためのものだ、と言っていたことをよく考えてみたいものです。

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(第3042話) 優しさに触れ

2020年10月29日 | 出来事

 “土曜の夜、思い通りにいかない育児に、夫との意見対立も加わって我慢は限界に達して私は家を飛び出しました。行く当てもなく近所の歩道橋に上がり車の流れを見ながらボォーとしていました。すると父ぐらいの年齢の男性がライトを見ながら「奇麗だな」と言って私のそぱを通り過ぎました。何げない言葉でしたが、頬を涙が落ちました。先の男性はすぐに戻って来て「大丈夫か?」と優しく声を掛けてくれ、一気に思いがあふれてきました。男性は私の話に耳を傾け、うなずいたり助言してくれたりしながら一緒に泣いてくれました。最後には「頑張れよ」と手を振ってくれました。
 見ず知らずの人との思いがけない触れ合いで嫌なことは吹っ飛びスッキリした気持ちで帰宅できました。”(10月5日付け中日新聞)

 名古屋市のパート・船越さん(女・41)の投稿文です。何かドラマを見ているような光景です。この男性には自殺するようにでもみえたのでしょうか?通り過ぎてまた戻ってきたところを見ると、よほど気になったのでしょう。すれ違いに「奇麗だな」と独り言を言う。この言葉もドラマですね。この場面でこんな言葉をはける人は詩人でしょう。そしてこんな優しい展開になる。人生にはこんなことも起こるのだ。
 先日は出産のことを書きました。今回は育児のことです。最近の育児を見ていると大変だな、と思う。今では母親もほとんどが働いている。働かざるを得ない状況である。働きながらの子育ては、周りの理解と協力がなくては成り立たない。船越さんのようなことも度々であろう。でも早まってはならない。どこかに解決の道はある。このような触れ合いもあるのである。

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(第3041話) 免許更新

2020年10月27日 | 行動

 “運転免許証の更新を迎えましたが、感染が拡大した新型コロナウイルスの影響で認知機能検査や講習はニカ月遅れ、免許交付までに時間がかかりました。講習では安全運転を再認識するのが常で、今回は信号機のない横断歩道での注意点を学びました。以前の講習で「横断歩道は歩行者のためのスペースで、車両はそこを通らせていただくという謙虚さが必要です」と言われたことを思い出しました。
 私はほぼ毎日車を運転していて、幸いにもこの三十年間は無事故無違反です。スピードを控えめにして時間にゆとりを持った運転を心掛けていて、免許証を返納する日まで安全運転に努めることを誓いました。”(10月5日付け中日新聞)

 愛知県江南市の高田さん(75)の投稿文です。高田さんも今年運転免許更新で、後期高齢者の認知機能検査も受けられたようです。ボクも全く同じです。コロナ禍でいろいろ状況が変わる中、無事先月免許更新ができました。ボクは割とスムーズにいった方で、誕生日前に新しい免許証を手にすることができました。更新は今も大変なようです。蜜を避けるため1回あたりの人数制限をしているだけに、まずなかなか試験の予約が取れません。高田さんは2ヶ月遅れのようでした。
 交通事故がなかなか減らぬ中、高齢者の事故が多いということで、特に高齢者の更新手続きが複雑になりました。認知機能検査では、今日の日にちを書いて下さいとか、時計の文字盤を書いて下さい、といった問題も出されます。これができない人が車を運転していると言うことでしょう。自分のことは分からないものです。まだ良いと思っている内に衰えています。この試験もやむを得ないことなのでしょう。ボクも40年以上、無事故無違反です。ボクの知人で免許返納をした人がいます。その後の行動は全く制約されています。これも考えねばなりませんが、無事故無違反は免許返納の日まで続けたいものです。

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(第3040話) 厄介なこと

2020年10月25日 | 意見

 “私は剣道の指導ボランティアをしています。剣道着、はかま、防具の着装では結ぶという作業が随所にあり、子どもにさせるのは大変です。体の前だけでなく、後ろにも手を伸ばして見えないところで結ばなければなりません。それでも根気よく続けていけば子どもでもいずれできるようになります。達成感と自信を味わい、自らの成長も感じられるので、剣道にはこういったことにも価値がある気がします。同時にこれが日本の文化の継承なのではと感じています。
 合理的なことがより求められる昨今ですが、厄介なことにも意味があるのです。それと真剣に向かい合うことも必要ではないでしょうか。”(10月3日付け中日新聞)

 愛知県高浜市の自営業・竹内さん(女・52)の投稿文です。厄介なことは誰もが避けます。そして機械文明の発展は厄介なことを機械にさせることであったと言ってもいいでしょう。でも、その分人間の能力は衰えます。小刀で削ることも、火をおこすことも、ご飯を炊くことも苦手になりました。今の若者がどの程度か知りませんが、ひもを結ぶこともその一つでしょう。竹内さんは、こういった面での剣道の価値を認められました。
 ボクの高校時代の部活動は剣道でした。この意見に意を強くしました。ボクも剣道は非常に良い運動だと思っています。今中学3年の孫が、小学校の高学年から剣道を始めました。ボクはこのことを聞いたとき、良いことに始めてくれたと嬉しく思いました。今年が中学最後の部活動でしたがこのコロナ禍です。先日最後の対抗試合があったようです。リーグ戦で4勝1敗だったと報告してきました。その後2段の昇級試験もあり、合格したと報告がありました。ボクは高校で初段ですから、ボクよりかなり上を言っています。また高校に入っても剣道を続けると言っていたことも非常に嬉しいことです。竹内さんが言われる他に、剣道にはもっといろいろ良いことがあります。

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(第3039話) 帝王切開

2020年10月23日 | 出来事

 “六十一年前の今ごろ、私は手術の痛みに必死で耐えていました。東海地方を襲った伊勢湾台風の影響で、水道もガスも電気もない親戚の病院の手術室の中です。院長夫人と父の、それぞれの両手が持つ懐中電灯四本の光だけでの帝王切開による出産でした。院長夫人から「もう少し我慢して、恵子ちゃん。赤ちゃんが出たら麻酔かけてあげるから」と言われたことは記憶にあります。それから後のことは覚えていません。
 両親や祖母は、この非常時の中での手術は大反対でした。しかし、この赤ちゃんの命は、父親である主人に決定権がありました。主人の「お願いします」の一言で手術は行われ、無事3180の女の子が誕生しました。
 産湯は古井戸の泥水しかなく、体中に湿疹ができ、退院一ヵ月後も毎日タクシーで隣町の皮膚科へ通いました。あの日、娘を産んでいなかったら今の幸せはありません。その娘は大勢の教え子に恵まれ、幸せな教員生活を送っています。非常事態の中、私のために手術をしてくださった、今は亡き院長ご夫妻に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。”(9月29日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の主婦・栗田さん(84)の投稿文です。10月の川柳連れ連れ草の句【産声が苦しみの中聞こえたよ(ペ天使)】に、ボクは「5年くらい前の連続テレビドラマのようですが、最近、アマゾンビデオで“コウノドリ”というドラマを見ました。お産のドラマです。ドラマですが、いろいろな事例を見ました。出産は奇跡と感じました。誰もがこの奇跡があって今があることを知りました」と言うコメントを添えました。
 そしてこの投稿文です。伊勢湾台風の影響がまだ残る中、懐中電灯で帝王切開の出産です。無事生まれ、今幸せな生活を送っている。ドラマ以上に奇跡です。出産は時期状況を待たない、こういう出産もあるのだ。こんなドラマを見た後だけに、より感激を覚えます。反対のある中、ご主人は出産を希望された、一瞬の判断です。この判断が違ったらこの幸せはなかった。
 ボクの家では3子目をどうするかとなった時、身近で出産で亡くなる母親が2人続いた。妻はうろたえた。そうして3子目は諦めた。これも運命です。出産を軽く見てはいけない。特に男性は気を配らねばならない。その点でボクは落第生だった。

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(第3038話) 前向きに

2020年10月21日 | 意見

 “感染拡大が続く新型コロナウイルスの収束が見通せないからか、私の周りで「コロナのせいで」という悲観的な声をよく耳にする。当たり前だった日常が奪われてしまい、我慢を強いられ続けていることもあり不安が高まり、ストレスを抱えているからか。先の読めない今の状況にいつまでもネガティブな気持ちで向かっていても何ら打開策とはならない。そこで今こそ「ピンチをチャンスに」という精神が改めて必要だと私は考える。
 「コロナのせいで」と悲観することなくコロナ禍の今だからこそできることは何だろうか。思い思いに前向きな考えを持って自分と向き合えば必ず違った次の一手が思い浮かぶはずだ。大学はオンライン授業になり、私には時間に余裕ができたためジョギングと筋肉トレーニングを始めた。来春のフルマラソン初挑戦を目標にしていて、コロナ禍前よりも今は充実した生活を送れている気がする。”(9月29日付け中日新聞)

 愛知県愛西市の大学生・杉村さん(男・21))の投稿文です。できないことを何かのせいにする、人が大いに陥りがちなことである。特に今回のコロナ禍は、人にいろいろな制限を加えた。ストレスをためている人は多かろう。「コロナのせいで」と言えば、すべて許されるくらいであろう。しかし、それは人には許されても、自分には何の解決にもならない。杉村さんはいいことに気づかれた。その中で何をするかである。「自分と向き合えば必ず違った次の一手が思い浮かぶはず」は良い。人にはできても自分にはできないこともある。逆もある。やはり自分を見つめて考えることであろう。「コロナ禍前よりも今は充実した生活」と言われるのは素晴らしい。ボクも中断していたラジオ体操を復活させ、お参りを兼ねた朝の散歩が定着した。新聞欄の写し書きも定着した。これらは朝に集中している。他の時間はまだまだと思うので、次の一手を探したい。ボクの机の上には「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」と言うガンジーの言葉が張ってある。

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(第3037話) 分け合った

2020年10月19日 | 出来事

 “その昔、私が今でいう小学校六年生だったとき、遠足のために父が果物や菓子を買って来てくれました。夏ミカンやキャラメルなど私も妹も弟も口にしたことのないものばかりでした。遠足前夜、詰めたリュックの中身が気になってなかなか寝つけませんでした。
 母は当日の朝、麦飯にシソを入れたおにぎりを作ってくれました。遠足の行き先は学校から約五キロ離れた冷泉でした。決して広くはありませんが、湧きでる水はおいしくて卵のようなにおいがしました。その水は水筒に入れて持ち帰りました。
 遠足に持って行った果物や菓子類はもったいなくて、そのほとんどを食べることなく帰宅しました。家で妹や弟と分け合いながら食べました。”(9月28日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の糟屋さん(男・80)の投稿文です。糟屋さんは良い思い出を持たれた。貧しい中、親は精一杯の努力をし、また子供はそれを十分に理解した。まさに昔の家族愛の気がする。
 この話からボクの小学校の時の遠足を思い出した。ボクのおやつは甘納豆一袋だった。ボクはそれ程に甘納豆が好きだったようだし、親にそれでいいと言ったと思う。人に比べれば随分少なかった。親に大きな負担を掛けないようにと思ったかも知れない。陰で小さくなって食べた気がする。それでも一部持って帰った気がする。普通の日におやつなどはなかったからであろう。
 こうして思い出し始めるといろいろなことが出てくる。思い出というのはないようでもあるのである。今は当時と比べる比較できない豊かさである。豊かな分、良い思い出を作って欲しいものだ。まさか逆と言うことはあるまい。

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(第3036話) 誕生祝い

2020年10月17日 | 出来事

 “昨年、病気で妻が他界した。夢も希望も遠のき、独居老人として生きる中、八十四回目の誕生日を迎えた日、思わぬ来訪者に、びっくり胸が高鳴った。近くに住む長男の子どもたち、つまり孫三人が玄関に立ち、大きな声で「誕生日おめでとうございます」と言ってくれた。「誕生祝いに三人の結婚相手を連れてきた」という。頭が真っ白になり、言葉が出なかった。
 婚姻届を三人一度に出すことは、めったにない。誕生祝いに報告をと計画し、実行してくれたとのこと。心遣いに涙がにじんだ。三人がそれぞれ相手を紹介してくれ、三組とも職場結婚であることに私は感銘を受けた。仏壇に手を合わせる六人の姿に、胸がいっぱいになった。天国に旅立った妻もさぞかし喜んで祝福していると察し、心に温かみが押し寄せた。生前の笑顔が思い出され、天を仰いだ。
 十二月に最初に次男が結婚式を挙げ、来年一月には長男、二月には長女と続く。相次いで挙式に招待され、うれしい悲鳴となった。今回の誕生祝いは冥土の土産と言っても過言ではなく、感謝の一言に尽きる。ひ孫誕生まで何とか生き抜きたい。小さな望みが押し寄せてきた。孫たちよ、ありがとう!”(9月25日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の赤松さん(男・84)の投稿文です。3兄妹が婚約者を連れて訪れ、次々と結婚式を挙げる。こんなにめでたいことは、今の世ならずとも昔でも希有のことではなかろうか。こんなことしようと思ってもできないことで、世の中にはいろいろなことがあるものだ。誕生日の日にこんな訪れを図ってくれたお孫さんは、また赤松さんの誇りであろう。
 今の世の中、2人3人の兄弟があって、全員が結婚している家庭を探すのが難しいくらいである。ボクの近くを見回すと、1人は未婚の人がいる家庭が多い。また離婚して実家に戻ってくる人も目につく。要はそれ程に結婚に執着がないのである。もちろん結婚は自由であるし、できる巡り合わせ、環境もあろう。それにしてもそれ程結婚に魅力がないのだろうか。
 今の世の中、いろいろ魅力のあるものも多い。結婚すればいろいろな制約が出てくる。これを嫌うのであろうか。それとも出会いの機会が少ないのだろうか。これについてはボクはノーと言いたい。昔に比べれば随分多い気がする。結婚を考えて付き合う勇気がないのか、また高望みが多いのか。いろいろ考えられるが、未婚者が多いのが良い傾向とは思えない。少数なら問題なかろうが、これだけ多くなると、大げさに言えば日本の存続に関わる。
 ボクはつい先日金婚式を迎えた。結婚して今までもよかったし、これからのことを考えるとよりよかったと思う。赤松さんのお孫さんたちは本当によかったと思う。この幸運を大切にして欲しい。

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(第3035話) 同級生の会話

2020年10月15日 | 行動

 “退職してから小・中学校の同級生と毎週一回程度の割合でモーニングコーヒーを飲みながら互いの近況を語る定例会を催しています。男だけだと話が途切れて盛り上がりに欠けることがあったため、にぎやかで楽しい雰囲気の同級生の女性をゲストとして招いたことがありました。これが大成功でした。以降、定例会のたびに参加する女性は増え、今や女性メンバーは六人となりました。
 感染拡大が続く新型コロナウイルスの影響で男性陣では二月ごろから参加を自粛する人が増え、ここ最近はずっと私一人でした。一方の女性で自粛する人は少なく、定例会を開催し続けられていますが、最近は女子会みたいになり、自然と女性向きな会話が多くなっています。それにしても、これといった話題がないのに何となく話がつながるのは実に不思議です。定例会で耳にした面白い話はわが家での食事の際に妻との格好の話題としています。男性はロマンチスト、女性はリアリストであることを実感する今日この頃です。”(9月24日付け中日新聞)

 岐阜県多治見市の安藤さん(男・71)の投稿文です。同級生が毎週1回、喫茶店で会う、いいですね。そして、安藤さんの意見がよく分かります。ボクも似たような状況にありますので。ボクは月1回ですが、日を決めて、中学の同級生が会う機会を設けています。 平成27年からだと思いますので、もう6年になるのでしょうか。毎回10人前後が参加します。ところがこちらは、未だ男性ばかりです。でも話が途切れることはありません。同級生だからでしょうか、無駄話の中にもいい情報もあります。ボクが提案したのですが、いい催し物を提案したと思っています。
 他に、女性ばかりの中に、男性はボク1人が参加するお茶の会もあります。これはボクが老人クラブ連合会長をやったときの、女性部長だけの集まりです。ボクは特別参加です。毎月1回、10人前後が集まります。毎回2時間以上、時間を忘れて話しています。呆れていますが、楽しみでもあります。
 ボクはこうして世の中を見ながら、女性は長生きする訳だと、実感しています。女性は本当によくしゃべります。男性の集まりはほとんど無口です。一緒に座りながら、時には新聞や雑誌を読む人もいます。この違いは何でしょうか。

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(第3034話) お返し

2020年10月13日 | 知識

 “六十年ほど前の昭和三十年代のことだ。明治生まれの祖母は他人から食べ物をいただくとお礼にマッチを渡していた。なぜ?ずっと不思議に思ってきた。
 今年初めに読んだ女性漫才師の第一人者内海桂子さんの本に「頂き物には必ずお返しをする」とあり「お付け木」を渡すことが紹介されていた。お付け木とは硫黄が塗ってある板切れで、かまどに火を移すときに使われたマッチのない時代の台所の必需品だったという。この本から、長い間の祖母にまつわる疑問が解けた。昭和三十年代はガスこんろを付ける際、マッチが必要だったからマッチをお返しとしたのだろう。
 九十七歳で亡くなった内海師匠の訃報に接して思った。昨今は何を渡したらいいのだろう、と。”(9月21日付け中日新聞)

 岐阜県大垣市の岩田さん(女・70)の投稿文です。またまた昔、昔の話です。頂いたもののお返しの話です。持ってきていただいたとき、お付け木やマッチを渡していたという。これは知らないが、この話から思い出したことがある。ボクが子供の頃、赤飯など重箱で持って行くと、すぐ移し替えて空の重箱を返してもらう。その時、子供の駄賃程度のお金が重箱に入っているのである。お使い賃である。当時はめでたいことがあると、赤飯をよく配ったものである。
 そうして、こうした頂き物をきちんと記録していたのである。もらったら返す、これが当時の習わしであった。礼儀であった。これを間違うと非難の対象になった。ボクの妻も母親の習慣を受け継ぎ、今もきちんと付けている。そして返礼に気をつけている。あげたものはあげたもの、貰ったものは貰ったもの、同等のものをお返ししなければならないなんておかしい、とボクは思っていた時期がある。そうして、ボクの意見のように、世の中こういうことに全く無頓着になっていった。そうなってみると、それにボクは違和感を感じるようになった。あの習慣は、世の中を円滑に、良い絆を保つための知恵であったのだ。話が長くなるので、ここらで止めますが、皆さんはどう思われるのでしょうか。

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(第3033話) 雨の日休み

2020年10月11日 | その他

 “私が子どもだった戦後すぐの昭和二十年代、故郷の岐阜県では九月の日照りが続いた後に雨が降ったら「おしめり遊び」という名の休暇がありました。農家の作業は現代のように機械化されておらず、その全ては人力のみでした。重労働だったゆえ、あえて雨が降ると日頃の疲れをとるための一休みにしていたのです。
 雨が降った日の早朝、地区の組長が話し合い、その日を休日と決めていました。私の父は組長で「おしめり遊び」の実施が決まると父から各家庭に触れて回るように言われ、私は組の一軒一軒に「今日は仕事を休んでください」と伝えて回りました。苦労多い時代でしたが、めりはりが利いて潤いのある決めごとだったと懐かしく思う今日この頃です。”(9月21日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の高田さん(男・80)の投稿文です。昔の農家は、重労働の上に休日というものがありませんでした。農家だけではなかったかも知れませんが、特に農家は自営業ですから、それぞれの思いのままに働きます。日が出ている間は外で働きます。高田さんの話はそんな中の知恵だったのでしょう。日照りの多い9月に、雨が降ったら「おしめり遊び」という休み日を設ける。地域で強制的に休み日を設けないと、誰もが休まなくて、体を壊してしまう、と言うことだったのでしょう。
 この話から、ボクの村にも農休日という日があったことを思い出しました。月に1日、日を決めて村人全員が休むのです。ボクの小学生の頃の話で、次第になし崩しになっていった気がします。村の長老で聞ける人があったら聞いてみたい気がします。もう聞ける人も少なくなりましたが・・・。
 「湿り祭り」というものもありました。これは7月終わり頃晴天が続き、一雨欲しい頃に雨が降ると、その祝いとして、村人が神社に集まって酒を酌み交わしたのです。これは祝いです。村人のお酒を飲む良い機会です。こうして村人の絆を深めていたのです。これもボクの小学生までだったのでしょうか。こうした記録はどこかに残っていないのだろうか。

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(第3032話) 国勢調査員

2020年10月09日 | 活動

 “五年ごとの国勢調査が実施されています。私は二十五歳のころ、何も知らずにアルバイトとして統計調査員を紹介され、国勢調査や工業統計調査に長年携わってきました。そして今回は指導員として、連続十回目の国勢調査です。
 今まで何度も落ち込むことがありました。「お母さん、お客さんだよ!」「いないと言っといて!」。明らかな居留守や苦情、調査拒否などでつらい思いをしたことも。
 しかし「書いたら届けてあげるよ」との温かい言葉、ようやく面会できたときの安堵感、「大変ですね、ご苦労さま」の一言などに、力をもらいました。健康にも恵まれ、今に至っています。新聞報道にもありましたが、近年は日中の不在、外国人やオートロックマンションの増加、個人情報保護による拒否と、さらに調査は難しくなっています。
 二〇一四年度「統計の日」の標語に応募した私の作品「統計であなたも参加、国づくり」が佳作になりました。この標語の趣旨を少しでも皆さんにご理解いただきたく思います。前回から調査員として参加している主人と夫婦そろって、コロナ禍の中、国勢調査を無事に終えることを願っています。皆さま、ご協力をよろしくお願いします。”(9月19日付け中日新聞)

 愛知県津島市の主婦・加藤さん(70)の投稿文です。ボクの家にも国政調査票が配布されてきました。ボクはすぐにインターネットで始めてみました。あっけなく終わることができました。5年に1度ですから、そう機会のあることではありません。インターネットは初めてのことです。
 加藤さんは10回目の調査員と言うことですから、もう45年です。国勢調査のいろいろな苦労を聞きます。まず調査員のお願いです。ボクの村では今年どうやって選んだのでしょう。苦労が多いことを知れば、誰もが引き受けるのを拒みます。そして、引き受けてからの苦労です。何度も訪ねていかねばならない家もあるようです。これについては加藤さんも書かれています。
 昨今はいろいろな機関から調査データが示されます。メディアでもいろいろなアンケートがされています。また、スマホが広がって更に多くなった気がします。ポイントを与えて、アンケートを募る会社もあります。でもこれらは、一握りの人からのデータです。恣意的に取られるデータがあるかも知れません。どこまで信頼できるのか、疑問が残ります。それに比べれば、国勢調査は全国民からです。これほど信頼できるものはありません。
 ボクは調査員を頼まれたことがありません。助かったというのか、残念だったというのか・・・残念だったという気持ちの方が大きい気がします。体験しておけば、この話題についてももっといろいろ書けたと思います。

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(第3031話) 法要の集い 

2020年10月07日 | 意見

 “亡くなった叔母の四十九日法要があり、僧侶の読経とセミの鳴き声が交錯した。ふと、理系の大学院生である私は思った。お経をあげたからといって故人が本当に喜んでいるかどうかは分からない。死後の世界を知らない私はそれを判断するだけの科学的根拠を持ち合わせていない。どうして法要に集う人たちは皆黒い衣服をそれぞれ身にまとい、数珠を手に同じ方向へ手を合わせるのだろう。それに何の意味がある?
 よくよく考えて私はある結論に達した。法要というこの独特の雰囲気を生みだしていくこと自体に意味があるのではないか、と。手を合わせて目をつむり祈りをささげる。故人との記憶をよみがえらせながら、家族をより大事にしていこうとの思いを一層強くしていった。健康であることに感謝する気持ちも生まれてきた。法要という場に皆が集い、思い思いにさまざまな気持ちを抱くことにこそ意味があったのだ。私はそう感じた。”(9月17に付け中日新聞)

 岐阜市の大学院生・高木さん(23)の投稿文です。理系の大学院生が理論で考えたら世の中、理解できないことばかりでしょう。それは人間、科学的理論ばかりでは動いていなからです。人間、いくら科学が発展し世の中が進歩しても、まずは感情が優先することが多いと思います。本当は感情に左右されてはいけないことが多いのですが、それは認めざるを得ないでしょう。人間は感情の動物とも言います。
 そう思えば、法要にはいろいろな意味があります。高木さんはそれに気付かれました。ボクの母なよく言っていました。法要は亡くなった人のお導きにより、親族が集まる機会となり、仏縁を頂く機会と。亡くなった人のためにあるのではなく、残された人のためにあるのだと。高木さんは何宗か知りませんが、ボクは浄土真宗です。他力本願です。ただ南無阿弥陀仏を唱えなさいと言われます。そうすれば救われると言われます。そして、もう救われているとも言われます。ボクの最近は、ほとんど毎日お墓に参り、寺院に参拝します。無心とは行かず、何かを思います。こういう時間を持つことは大切だと思います。高木さんは若いのに、良いことに気づかれました。ボクはこの歳でです。

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(第3030話) 防災ベンチ

2020年10月05日 | 知識

 “岩倉市の五条川沿いで、川の増水時に即席で簡易的な堤防になる「防災ベンチ」が設置され、約10年がたつ。 2000年9月の東海豪雨の教訓を生かして地元住民の発案で作られたベンチ。その後の大雨では幾度も実際に浸水被害を防ぎ、住民を守り続けている。ベンチは箱型で、コンクリート製の土台と、座面になるプラスチックのふたでできている。土台の側面には垂直の溝が付けられ、外した座面をベンチ同士の間にはめると、高さ約四十センチの即席堤防となる。座面を外した中のスペースには、ベンチー基あたり約二十個の土のうが入っている。
 11年から、同市東町や八剱町など、橋周辺の四ヵ所に計六十四基を設置。台風に備え、毎年六月下旬から十一月半ばまで、土のうを取り出して設置する。昨年からは市内の土木会社に設置を依頼している。(中略)
 ベンチだけでは、大規模な台風の被害を完全に防ぐことは難しいが、近年増えているゲリラ豪雨で一時的に川の水位が上がったときは即席堤防でせき止めることができ、安心感があるという。ただ、発案した石黒勝逸さんには気掛かりもある。「ベンチができた理由を知らない人も多く、将来は教訓が生かされなくなるのでは。われわれが伝えていかないといけない」と、記憶も合わせて受け継ぐ大切さを強調する。”(9月13日付け中日新聞)

 記事からです。ボクは時折五条川にウォーキングに出かける。そして、この防砂ベンチに腰を降ろして休む時もある。先日は、この防災ベンチが活用されている場に出合った。土嚢が取り出され、座面のプラスチックのふたが設置されていた。40cmほど堤防がかさ上げされることになる。この40cmの効果は大きいと思う。この防災ベンチについて少し知っていたが、この記事によって詳しく知ることができた。うまく考えたものだと思っていた。地元住民の発案と知ってより感心した。
 東海豪雨から今年で20年である。各所で改修が図られ、安全が増したと思う。ボクの家の近くの川は、川幅が広がり、堤防がかさ上げされ、水の引きもかなり早くなった。でも、この五条川流域はそうでもない。住宅が建ち並び、また桜並木の名所でもある。川幅を広げるのは至難のことであろう。最近の雨の降りは強い。そんな地域の防災ベンチである。何度となく役だったであろう。しかし、石黒勝逸さんが言われる「ベンチができた理由を知らない人も多く、将来は教訓が生かされなくなるのでは。われわれが伝えていかないといけない」と言うこともよく分かる。もう一つ気になったのは「昨年からは市内の土木会社に設置を依頼している」ということである。ますます住民から遠くなる。20年も立つと住民もかなり変わる。知らない人も多くなる。伝えていかねばならない。これはどこも同じである。

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(第3029話) 心は隠さず

2020年10月03日 | 意見

 “昼食を取るために入った料理店の張り紙が目に留まった。イラストとともに「店員は衛生管理のため、マスクをしています。でも、マスクの下は笑顔です」と書かれていた。感染拡大が続く新型コロナウイルスの影響で、今や外出する際のマスク持参と着用は現代社会の暗黙の了解となった。さて、飛沫を防ぐために口元を隠すことによる功罪ってどんなものがあるだろうか。
 功は手洗いや消毒も合めて衛生管理への意識が高まったことだろう。一方、マスクで見えなくなるからとの理由でひげそりや化粧といった身だしなみで手抜きをする人が少なくないと聞く。やや拡大解釈し、これまで以上に意図的に感情を表に出さなくてもいいやと考える人が既にいるかもしれない。「コロナ禍だから仕方ない」とする風潮がはびこればその方が問題だ。マスクをしていても良心までは絶対に覆い隠したくない。私は今、そう強く思っている。”(9月12日付け中日新聞)

 名古屋市の大学職員・佐藤さん(男・27)の投稿文です。コロナ禍の対策でいろいろしてきているが、功罪はどうだろうか。佐藤さんは口元を隠す功罪について、功は手洗いや消毒も合めて衛生管理への意識が高まったことと言われる。これはあろうが、マスク着用は罪の方がはるかに大きいと思う。ともかく表情が分かりずらいのである。この料理店のように「マスクの下は笑顔です」と書かねばならないのである。、目だけで表情を表すのは、一般には難しいことであろうし、また読み取ることも難しい。この先どんな風になっていくのだろう。
 同日の中日新聞に「マスクの妄想」と題して、哲学者の鷲田さんの文が掲載されていた。一部を紹介する。
 “マスク。元はといえば「仮面」を意味する。顔を隠すのみならず、それを偽る装具でもある。マスカレードといえば仮面舞踏会のことだ。しかし、「彼は穏やかなマスクをしている」と言うように、人の容貌もまたマスクである(日本語の「おもて」もお面と同時に素顔を意味する)。仮面も容貌もマスクと言うことから一つ、見えてくるのは、人がほんとうの心根を隠して顔をつくろうとき、顔それじたいが仮面になっているということだ。とすれば、マスクをつけることも容貌の演出の一つだということになる。そう、顔がマスクだったら、マスクをつけることは顔を二乗することにほかならない”。
 マスクは白いものと思っていたが、今やマスクは色形様々、ファッションの様相である。鷲田さんの言われるように演出用具である。化粧の一部である。二乗になっただけである。楽しむ人も現れよう。そのように考えれば、そう慌てふためくこともなかろう。しかし、ますます素顔は分からなくなっていく。

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(第3028話) 祖母の習慣

2020年10月01日 | 教訓

 “熊本県に住む母方の祖母が八月、九十九歳で亡くなった。感染拡大が続く新型コロナウイルスの影響で通夜と葬儀に私は参列できなかったが、小さいころから常に祖母を尊敬し、まねたことがいくつかある。
 まずは日記をつけることだ。祖母が長年日記をつづっていることを小学校三年生で知り、ちょうど宿題として出されたこともあって日記に取り組んだ。日々を記録し振り返るだけでなく、文字にすることですっきりとした気持ちになれ、心の安定を保てるのが日記で今も書き続けている。
 二つ目は歯を大事にすることだ。祖母は歯をとても大切にしていて八十歳になっても自分の歯が二十本以上あった。硬い煎餅も自分の歯でバリバリと食べていた。
 三つ目は本を読むことだ。活字が好きで小説や新聞を九十歳を過ぎても眼鏡なしで読んでいた。祖母を見習って心も体も健康で元気に年を重ねていくことを、私は目標にしたいと思う。”(9月10日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の公務員・河井さん(女・48)の投稿文です。手本になる人、尊敬できる人を身近に持つ影響は大きい。素晴らしい人は、新聞テレビなどの情報でいくらでも見る。もちろんそれも価値があり影響もあると思うが、身近な人の影響はもっと大きいと思う。実在人物を直接触れる効果は大きい。身内であれば更に大きかろう。それが河井さんのこの文である。おばあさんの行動をそのまま受け継ぎ、また目標としていく。日記を書くこと、丈夫な歯を持つこと、そして活字に触れること。そうして、99歳まで元気に生きられるだろう。
 さてボクはこうした人がサッと浮かぶかというと、浮かばない。この人のこういう点、あの人のこういう点とは言えるだろうが、河井さんのようにこれだけボクに印象を与えている人を言うのは難しい。強いて言えば妻だろうか。出会ってからそれなりに感心はしているが、最近家にいることが多くなって、妻を観察する機会が多くなった。妻だから言うのをはばかれるが、ともかく誠実、熱心である。どれだけ助けられているかと思う。でも、同じことをする気になるものは少ない。ボクは身勝手、傲慢なのだろうか。

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