“実家の祖母の七回忌が九月にありました。感染拡大が続く新型コロナウイルスの影響で皆が集まっての会食はせず、時間差で訪問して仏壇の前で手を合わせる簡素なものにしました。
実家にはもちろん墓はありますが、祖母の納骨はまだ終わっていません。近年よく話題になる「墓じまい」を意識してか、納骨をためらっているようです。
嫁いだわが家は自宅近くの墓地に一区画を用意していますが、私が死んでからここに入りたいかと問われれば、答えは「いいえ」です。誰がこの先墓を守るのかと思うと、正直ちゅうちょしてしまいます。供養のかたちは多種多様で正解はありません。心がこもっていればそれが一番ではないでしょうか。”(10月6日付け中日新聞)
愛知県弥富市の主婦・大河内さん(50)の投稿文です。最近はお墓のあり方についてもいろいろな提案がある。考えも多種多様である。
昨年2月、義弟が急逝し、妻の実家を処分することを進めてきた。その時墓をどうするかと言うことになった。一時は墓じまいと考えたが、最後的にはそのまま残すことにした。義弟の墓碑銘も入れた。わが家からそれ程遠くもなく、妻は毎月墓参りをしている。妻もボクもいけなくなったとき、どうなるか。娘も近くにいる。そして娘にも話した。できることをはやってくれるだろう。そんな先のことまで案じておられない。
残したのは、父母始め先祖伝来の墓を処分するのは忍びなかった、ということが第一理由である。処分などいつでもできる、急ぐことはない、と言うことである。
ボクはどちらかというと、今の流れには疑問を持っている。誰もが先祖があって今の自分がある。その先祖をないがしろにすることは、身の程知らず、傲慢である。人間は楽を求め、またすぐ忘れます。形のないものはより忘れられるでしょう。そういう意味で、形のあるお墓の形態はいいものだと思います。亡母は「お墓は先祖のためのものではなく、子孫のためのもの」とよく言っていました。また、法要など故人に関わるいろいろな行事も、故人のためのものではなく、残された人のためのものだ、と言っていたことをよく考えてみたいものです。