“長男が中学一年、長女が小学五年の時、末っ子の次男が生まれました。実は次男のおめでたが分かった時、主人に反対されたのです。主人が四十六歳の時に生まれてくる次男に、親として十分なことをしてやれないからだと言いました。
私はとても諦めることができず、同居のしゅうとめに言うと、「産めばいいよ」と言ってくれ、産む決心をしました。次男の出産は早朝だったので、主人は初めて出産に立ち会ってくれました。生まれた時、主人はとても感動し、とても喜んでくれました。
次男が五ヵ月の時、主人の両親が事故で突然亡くなりました。悲しみの中、主人、私、長男長女の心を癒やしてくれたのは、赤ちゃんの次男の笑顔でした。次男が生まれてきてくれたのは、主人のためだったんだと、その時思いました。一度に両親を亡くした主人の寂しさはいかぱかりだったでしょう。その寂しさを埋めてくれたのが、次男の存在でした。
長男長女が結婚したあと、しばらく主人、次男と三人の生活でしたが、親を助けてくれる息子に育ちました。二年前に社会人になり、わが家から巣立っていった次男。もう親孝行は十分です。仕事を頑張れと、エールを送ります。”(8月10日付け中日新聞)
愛知県豊田市の主婦・大沢さん(61)の投稿文です。こういう文を読むと家族の歴史というものを感じます。二男になる子を産むなと言ったご主人が、出産に立ち会い感動したという。そして、ご主人の両親が亡くなったとき、その悲しみを癒やしたのが生まれた赤ちゃんの二男だったという。その二男も孝行を尽くし、巣立っていった。人生50年、いや、今や90年、100年である。この間には言い尽くせない出来事が起こる。ほとんどが想定したとおりには行かない。良いこと、悪いこと、入り交じって起きる。誰もがその気になれば一編の自分史など書けるだろう。どういう経緯をたどろうとも、最後に「良い人生だったな」と思えればこれに勝るものはなかろう。
ボクはホームページに数ヶ月かかって「青春放浪記」を掲載した。これを自伝的フィクション小説としたが、固有名詞を除けば概ね自分の姿である。まだ終末の大事業が残っているが、ここまでのところで言えば「良い人生だったな」と言えるだろう。