“感染拡大が続いた新型コロナウイルスの影響で、新たに社会に根付いたテレワークという働き方をウイルス収束後も継続しようとする企業が増えているそうだ。その昔自宅で仕事なんてイメージすることさえできなかったが、ITの発展でインターネット社会となったことがテレワークを可能にした。
私はいわゆる過疎といわれる山間部で暮らしている。ここでの生活に満足しているものの、働き盛りの世代が過疎地で働ける場所は限られていて人口が減るのも致し方ないとずっと思ってきた。しかしこのウイルス禍をきっかけとしたテレワーク拡大に、過疎の問題解決への一筋の希望を私は覚えるようになった。
自宅にいながら仕事ができるのなら、自然いっぱいの暮らしが注目されていいはずだ。青々とした田んぼの景色、鳥の声で目覚める朝・・・。こんな生活を志向しつつも夢想で終わってきた若者を、今度は山間部に呼び込めるかもしれない。私はそんな気がしている。”(7月9日付け中日新聞)
愛知県新城市の菅沼さん(女・78)の投稿文です。コロナ禍で大きく変わったことの1つがテレワークであろう。菅沼さんが言われるように、一般にはつい先日まで考えもしなかったことではなかろうか。テレワークのできる仕事とできない仕事があろう。僕の娘婿は、4月から2ヶ月半で2日事務所に出かけただけという。そして今も週1日だそうだ。それで何も問題なく業務をこなしているという。通勤のない働き方というのは、大きな変化をもたらすであろう。時間の使い方に自由さが広がる。菅沼さんの言われるように住む場所にこだわらなくてもよくなろう。自粛が解けても、テレワークができる業務はそのメリットを享受できる体制を敷いて欲しいものである。ただボクが心配するのは、接触がなくて人間関係は本当に正常に働いていくのだろうか、そして効率が上がった分、より過密にならないかである。通勤時間というのは、ある意味自由時間であった。その時間まで、仕事で煩わされることになると、何のテレワークかということになる。例えば携帯電話がそうであった。車の運転中も煩わされることになった。ただでさえ会社人間を作ってきた日本社会である。よく考えて人間社会を構築して欲しいものである。