ha1912

第187号  2019年12月

 
 (第2892話) 遺構見てほしい
2019年12月30日 | 活動

  “織田信長が東美濃に攻め込む少し前のことです。岐阜県の関市と美濃市にまたがる本城山にあった小野城は美濃地方屈指の山城でした。本城山頂上からは北方に白山と御嶽、南方には麓の宮野地区と関の市街地、さらにその南には小牧山城、西方には岐阜城がそれぞれ望めます。晴れた日には遠く名古屋駅周辺の高層ビル群もくっきりと見えます。
 私たち地元の有志はこの山城の姿を明らかにして訪れる愛好家に遺構を見て楽しんでもらおうと地権者の理解を得ながら下草を刈っています。「曲輪」と呼ばれる平たんな場所が六十ヵ所以上あり強大な軍事施設であったことを物語っています。日々整備をするうちに尾根筋を攻めてくる敵を撃退するための「堀切」や山肌を迂回してくる敵を防ぐ「竪堀」、敵を狭い道に導くための「切岸」などが実に合理的に設けられたことがよく分かってきます。
 戦国の野武士の息遣いを思いながら、さらに整備を進めていきたいです。”(12月5日付け中日新聞)

 岐阜県関市の川合さん(男・66)の投稿文です。埋もれた遺構を発掘する、これはまた大きな地域活動である。次々新たな発見があり、少しずつその全容が見えてくる。考えてみただけでもワクワクし、その喜びが目に見えてくる。
 こうした活動に高齢者の役割は大きい。時間などいろいろな余裕がないとできない。元気な高齢者にはこれがあるのである。寿命が長くなった分、何かを貢献していきたい。これは高齢者のロマンでもある。
 そしてこの発掘調査の効果は計り知れなくなるかも知れない。熊野古道でも最初は小さな動きであったろう。ボクのさほど遠くないところに、旧国鉄中央線の愛岐トンネル群がある。これも埋もれていたものを地域の人が発掘にかかり、今では一大行楽地であり、行事があれば一大イベントである。川合さんの活動を期待して見守りたい。ボクのところからそんなに遠くないところである。いつか訪れる機会が生じるかもしれない。時折中間報告の投稿をお願いしたい。

 今年は169話をアップできました。ご愛読のほどありがとうございました。

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(第2891話) 読書ノート

2019年12月28日 | 行動

  “十一月二十一日付本欄の「ネット時代こそ紙必要」を読み、投稿した小学生が紙の教科書やノートの必要性を意識しながら学習していることに感心しました。
 インターネットの検索で分かったつもりになっても実際には理解していないことはよくあります。私は数年前から読書ノートをつくってポイントをメモするようにしたら自分の頭の中を整理するのに役立ちました。自分の手を動かして考えながらメモを取ることで理解力は随分高まります。最近は図書館で本を月に十冊以上借りられるようになりました。
 知識の定着を確かめるにはアウトプットも必要です。できるだけ本の内容を実践してみたり他人に話したりしてわが脳に刺激を与えたいと思っています。”(13月3日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市の会社員・加藤さん(男・56)の投稿文です。スマホやインターネットだけでは知識が偏ることを12月2日の「話・話」 第2878話でも書いたが、今回は更にアウトプットの必要性の話である。加藤さんは読書ノートを作っておられるという。これはなかなか難しい。ボクも若いときから何度も試みたが、いつまでも続かなかった。
 人は知識を得てどうしようというのだろう。知って自己満足か、また物知りと人に褒めて貰いたいのか。いろいろあっていいが、これは途中の段階であろう。活用して初めてその知識は本当に生きるのである。こう言うと難しくなってしまうが、少しでも心にかけ生かして生きたいものだ。それがアウトプットである。ボクもこの「話・話」 を書きながら、少しでもできることは実践しようと思っている。考えてみればこの「話・話」 は大きなアウトプットであろう。
 加藤さんの文で更に気づいたのは、自分の読書量の少なさである。手軽な電子ブックを持ちながら、最近はそれを読む時間も減っている。どこに問題があるか、もう少し見つめ直す必要がある。

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(第2890話) 時流に乗り

2019年12月26日 | 行動

  “急激な社会の変化には驚かされる。「のんびり余生を楽しむ」をモットーに過ごしているが、社会に取り残されたような錯覚に陥ることがある。
 三重県鈴鹿市に住む小学二年生の孫娘から無料通信アプリ「LINE(ライン)」でやりとりしようと持ち掛けられた。孫とは自筆で思いを伝える大切さを感じてほしいとの願いから手紙のやりとりをしてきた。私には元々新しいものへの抵抗感が強く「スマートフォンがなくたって十分生活できる」という気持ちが強かった。「ライン?何じゃそりゃ」と思ったが、孫からの頼みに弱い私はそのためにスマホを購入した。使い方を教えてもらいながらラインでのやりとりをするようになった。
 今は孫と写真や動画を送り合っている。操作にはまだ悪戦苦闘しているが、便利さや楽しさも分かってきた。社会の変化とも適度に付き合うことも必要かな。今はそう思い始めている。”(12月3日付け中日新聞)

 三重県桑名市の森山さん(男・74)の投稿文です。元々乗り遅れがちの高齢者からみれば、近年の世の中の変わり様は凄まじい。パソコンが普及してきた頃にも感じたが、近年はそれ以上である。森山さんはお孫さんにそそのかされてスマホを購入、ラインを始められた。森山さんは元々新しいものに抵抗感があったと言われる。それでもスマホを始められた。ボクに言わせれば正解だ。孫の存在は大きい。
 ボクは2年半前から、妻がこの10月から携帯電話からスマホに変えた。そして、娘や孫とラインもしている。便利さ、手軽さは言うまでもない。
 ボクは森山さんと逆に、新しい物好きである。今となってみればボクの強みになっているパソコンがある。パソコンを使い始めてもう25年くらいになろうか、まだ職場にも数台しかなく、一般的でなかった。パソコンに長けた部下が入ってきて、パソコンに興味を持ち、教えてもらった。パソコン教室に通うことなどなく、自分で学ぶなり近くの人に教えて貰うなどして、我流で使ってきた。だから基本的なことでも知らないことがある。普通にはパソコンを覚えても家庭ではなかなか使う機会はない。ところがボクにはあった。いろいろな地域活動や会に関わり、結構資料作りをしてきた。これが幸いした。その内人にそそのかされてホームページを作るようにもなる。これが更に幸いした。ボクの歳である程度パソコンが使えるのは強みである。こんなボクであるので、スマホもそんな苦労することもなく活用している。

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(第2889話) 巧妙「詐欺師」

2019年12月24日 | 知識

  “「中部電力の者ですが、消費税が上がった分の電気料金を安くしています。七十代の方ですか? 同居で六十代以下の人はいますか?」わが家に十月末、こんな電話があり、私が正直に答えたら、「またあした連絡します」と言って電話は切れました。不審に思って翌朝、中部電力に確認すると「そのようなことは一切行っていません」と。今思うと高齢者を狙った悪だくみが潜んでいた気がしてなりません。
 九月には「負債があるからすぐ連絡をください。放っておくと裁判になります」とのはがきがポストに入っていました。三年ほど前北京と思われる消印が押された茶封筒には二億円当選しました。返信封筒で手数料五千円を送ってください」とあり、返信先はなぜかカナダの住所だったため無視していたら、その二ヶ月後に上海らしい消印で二億五千万円当選したとの手紙が届きました。あの手この手で詐欺師は近づいてきます。油断は禁物!”(12月2日付け中日新聞)

 愛知県あま市の加藤さん(男・74)の投稿文です。 先日も高齢者大学で詐欺師の話を聞いた。「おれおれ」詐欺から始まった詐欺はいろいろな手段になり凄まじいようだ。その被害額を聞くと、その大きさに驚き、この効率の良さを見れば増える訳だと思う。今年に入って愛知県だけでもその被害額は12億円以上と言われた。かかったが誰もが、自分は絶対にかからないと思っていたそうである。今や誰しもこの詐欺のことを知っており、用心しているはずだが、それが巧みな言葉にかかるのである。
 その時の話をもう少し紹介しておくと、今は個人情報を調べてから電話をしてくるそうである。真実味がありかかりやすくなる。そして、得する話が向こうからかかってくるわけがない。「ATMの前に着いたら電話をして」は絶対アウト!。「あなたの口座が犯罪に使われています」これもアウト。 対策は一人では振り込まない。そしてすぐに振り込まない。自分だけは大丈夫は絶対無い。自分が衰えていることを自覚すること、などであった。
 今思い出せば、ボクにもいろいろかかってきた、と思う。加藤さんのような話もあった。今までかかるようなことはなかったが、今は相手はもっと巧妙、こちらは衰えてきている、金銭に関することはまず疑わねば、と言うことであろう。穏やかな老後は無理であろうか。

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(第2888話) 孫と文通

2019年12月22日 | 活動

  “私七十六歳、通称ボスバアと申します。ボスバアというのは、昔いた愛犬ボスからきています。孫娘のネーミング。この二十三歳の孫と、文通をしています。
 孫は今春、大学を終え、大阪市内のホテルヘ入社。「その前におじいちゃん、おばあちゃんに会いに行っとくわ」と言って、岡崎へ来てくれたときのこと。私が日記をつけていることを話すと、彼女も時々、日記や感動した言葉などをパソコンに入れていると言います。この先チャンスがあれば、いつか、小説やエッセーにも挑戦してみたいと話してくれたのです。
 その時です。「おばあちゃん、私と文通しよか」と孫が唐突に言い出しました。パソコンもスマホも持たない私を思いやり、あえて文通という手段を選んでくれたのでしょう。なんて優しい孫。本当にうれしかった。胸が熱くなりまた。
 そして、その文通が私を幸せな気分、楽しい気分にさせてくれたことは言うまでもありません。デジタル世代とアナログ世代。二つをつなぐ文通は今も続行中。この先、この幸せがどうか、いつまでも続きますように。”(11月30日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の天花寺さん(女・76)の投稿文です。このお孫さんは本当にボスバアが好きかも知れませんが、それ以上に優しいのである。こんなに優しい若い娘さんがいるのである。優しくてもまず文通という言葉は出てこない。文を書くのが好きなようではあるが、それでも祖母と文通とはならないだろう。天花寺さんは本当にいい孫さんに恵まれた。これも両親や祖母祖父など周りのいい環境があってこそであろう。
 孫と祖父祖母との関係は一般にどうであろう。祖父祖母にとって孫はタダかわいいばかりであろうか。孫にとって祖父祖母はお金やモノをねだる対象だけであろうか。家族が少なくなった現代である。かわいがったり甘えたり思い切りできるのである。どんな関係がいいのだろうか。ボクと妻はどちらかというと、婿の両親に一歩引いて接してきた。妻は自分でそうはっきり言っている。ボクは孫孫という気は全くなかった。その感じは孫にも分かるから、孫も変に甘えてきたりはしない。ただ近くの中学2年の孫は今でもよく立ち寄ってくる。つい先日、大阪の大学へ行った孫は少し大きなおねだりをしてきた。多分初めてであろう。これが良かったか、いずれ分かろう。

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(第2887話) 玄関を整頓

2019年12月20日 | 教訓

  “十四日付本欄「履物そろえる余裕持つ」を読み私が日ごろ心掛けることと同じだと思った。昭和十年代、生家は月刊の農業雑誌を出版していた。来客は絶えず玄関の土間は常に出入りの方の履物でいっぱいだった。きれい好きだった祖母は「整理整頓! 玄関は家の顔!」と唱えて私たち家族に履き捨て、脱ぎっ放しを戒めた。「履物をいたわるように」とも教えられ、外出から帰ると玄関で「げたさん、ありがとう」と口にしてから脱いだものだ。
 五月の改元で昭和はすっかり遠のき、昨今の土間はこぢんまりとして家族の人員も少なくなり玄関は様変わりしたが、いつの世も履物の扱いで人格は知れるものだけに、感謝の気持ちは忘れないようにしたい。”(11月30日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・石黒さん(82)の投稿文です。「履物の扱いで人格は知れるもの」と言われると、ボクには辛いものがある。ボクは散らばるほどに履き捨て、脱ぎっ放しにはしていないが、履くときにはいつも逆になっているか、後ろ向きに脱ぐことがある。脱いたら、屈んで向きを変えておくのが正式ということでは、落第生である。何にでも感謝するのは大切だ。と言いながら「げたさん、ありがとう」は思いつかなかった。石黒さんの家は、そんなしつけが行き届いていたのである。一事が万事である。他のこともキチンとされていたと思う。今はこういうしつけをできる親も少なかろう。
 ボクの家の玄関は比較的整っていると思う。脱いた履き物は脱ぎ台や縁の下に入れるように作ってあるから、ほとんど外に出ていることはない。2人家族だから当然かも知れないが、この工夫は良かったと思う。

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(第2886話) 配偶者の呼び方

2019年12月18日 | 知識

  “配偶者についてどのように呼んでいますか。最近、テレビを見ていて女性が自分の配偶者を「私の旦那さん」と言ったり、男性が「うちの嫁が・・・」と話していたりする場面によく出くわします。知人も「うちの旦那さんが」と何のためらいもなく話していて、そんな言い方に私は日頃違和感を覚えてきただけに、何だかモヤモヤしてきました。
 少なくとも私の中では「旦那さん」という表現は、その場にはいない他人の夫への敬意を示した言い方です。それを自分の配偶者に使うのはふさわしくないと思ってきました。そして「嫁」は親がわが息子の妻を指して言うものではないでしょうか。  言葉は確かに時代によってその意味や使い方が変わるものです。家の中では何と呼んでも構わないと思いますが、やはり外で他人と話すときは「夫」や「妻」と言えば周りから反感を買わない気がしています。”(11月28日付け中日新聞)

 愛知県江南市の主婦・市原さん(57)の投稿文です。たわいもないこととも言えるが、配偶者の呼び方に戸惑っている人は多いのではなかろうか。ボクもいつも迷っている。「内の」をつけながら妻、女房、嫁、やつ、ママ、名前・・・等々であろうか。ボクは女房が多い気がするが、これはどうなのだろうか。おかしいと言えばおかしいものばかりだが、日本人はそれだけ、配偶者をおもんぱかっていなかったかも知れない。特に男ではあろう。こだわる人の前では、妻以外は愚かに見えるだろう。やはり妻が一番いいと思うが、使い慣れないとなかなか口から出てこない。
 では夫婦二人の間での呼び方はどうだろうか。パパ、ママと呼んでいるのをよく聞く。これなどは考えてみれば全くおかしい。ボクの家では、パパ、ママと呼んだ時代はない。数年前に名前で呼び合おうと決めたことがある。妻はすぐになじんで、呼びかけるときはいつも名前か「あなた」と呼んでくる。ボクは名前で呼び時もあるが、どうもまだ戸惑うことがある。呼び方について日本の夫婦はどうも素直でない気がする。

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(第2885話) リハビリ前へ

2019年12月16日 | 行動

  “私はバドミントンの試合に出場して膝をけがしました。それでも一週間ほどしたら医師から「歩いていい」との許可が出たので、公園を歩くなどしてリハビリを続けています。この公園は以前はランニングで利用してきましたが、今回私のように歩いている人が案外多いことに驚きました。けがや病気のため、うまく歩けるようにとリハビリをしている人がこんなに多いなんて。皆スピードもさまざまで症状に合わせながら自分と闘っているんだと思いました。
 日がたつにつれて私は知らない人でも自分の仲間のような気持ちになってきました。声には決して出しませんが、「頑張れ」と心の中でつぶやきながら抜かしたり、抜かされたりしています。
 私は今、「今日はどうする?」「もう少し頑張ってみようか」と自分と対話しながら歩を進めています。急がは回れとはよく言ったものです。焦らず自分のペースで歩き続けるつもりです。”(11月25日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市の主婦・加藤さん(48)の投稿文です。膝をけがして1週間不自由し、やっと医師から歩いてもいいという許可が下りたと言われる。そしてリハビリに公園を歩いていて、そんな人が意外に多いことを知られた。ボクの周りでもリハビリで歩いている人は結構ある。高齢化社会である。当然であろうと思う。
 先日この「話・話」 で少し触れたが、ボクがぶっ倒れた話を書いておきたいと思う。11月19日、一宮友歩会の来年7月例会の下見で名古屋市内を3人で歩いていた。ボクは歩道で突然ぶっ倒れるのである。つまずいたことは記憶にない。気がついたときは起き上がるときであり、一緒にいた人の話ではすぐに起き上がらなかったという。両膝を大きく擦りむいた以外には、手の平と目の下に少しの擦り傷である。顔面に大きな傷を作ることもなく、骨折もしなかった。その後も歩いて下見を終えた。歩くことには自信のあるボクである。大ショックである。その後、皆さんにも気をつけてもらおうと、恥を恥とも思わず、話す機会があるたびに話した。すぐ病院に行かなかったことを何人もの人からひどく叱られた。ボクとしても意識がなかったことが気になってきた。そして1週間後に病院へ行き、CTとMRIの検査を受けた。この結果も先日聞いたが、大きな問題点は見つからなかった。脳波検査も受けることにした。
 あの転倒で、骨折したり顔面に大きな傷を作っていたら、その後の生活は全く違っただろう。予定は大きく狂ったろう。多くの人を惑わせたかも知れない。転倒は本当に怖いことを身で知った。

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(第2884話) 投稿欄

2019年12月14日 | 知識

  “新聞には読者が思い思いに感じたことや意見を自由に述べられる投稿の欄があることを、高校での授業を通じて知った。新聞は情報を得るだけのものだと私は思い込んできただけに、読者も自分の考えを発信できるということは驚きで発見だった。会員制交流サイト(SNS)をよく利用する私たちの世代が幅広い世代に自分の意見や考えを伝えたいとき、新聞の投稿欄は活用できるなと思った。
 それにしても投稿の欄には幅広い世代の文章が毎日載っていて、読んで共感できるものも少なくなく、一方でこんなふうに考える人がいるんだと知り「なるほど」とうなずいている。少し前まで全く新聞を読んでこなかった私にも読みやすいものだった。私は投稿の欄から幅広い世代の考えを知り、自分の確固たる意見を持てるようになりたいと思っている。”(11月24日付け中日新聞)

 津市の高校生・北村さん(女・15)の投稿文です。新聞の投稿欄を評価する意見である。それも高校生である。ボクには嬉しいことではあるが、何か不安も感じる。高校生がこの程度もことも分かっていなかったのか。
 今の中高校生がどれほど新聞を読んでいるのだろうか、一度孫にも聞いてみなければいけない。スマホやタブレットは見るが、新聞はほとんど見たことがない、それが実態かもしれない。12月2日の『(「話・話」 第2878話) 発言欄』で取り上げたばかりであるが、再び取り上げた。
 スマホやタブレットは自分の好みのものを選んでみる傾向になる気がする。それが一方的になり過激になる気がする。人間はどうしてもそういった傾向になると思う。それが新聞だと、いろいろなものが一度に目に入ってくる。どれを読むかはまた自分の傾向だろうが、それでも自分の求めるもの以外も目に入る。これが違いとして大きいと思う。北村さんはいいことを知られた。そうしてこうした投稿までされた。いい意見が持てるようになると思う。

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(第2883話) 優しい言葉 

2019年12月11日 | 出来事

  “生後三ヵ月の息子と散歩した。ポカポカ陽気の中、息子は抱っこひもの中で寝てしまった。擦れ違った自転車の女性の視線を感じたが、特に気にすることなく歩き続けた。しぱらくして先の女性が戻ってきて私の前で自転車を止めた。女性は私よりも若く、十~二十代のようだった。「何だろう?」と少し身構えた私に女性は言った。「肩ひもが取れちゃったのかと思って」と。
 息子が寝息を立てている抱っこひものフード部分は前側に垂れていた。確かに肩ひもが外れているようにも見える気がした。私が両手で息子の頭を支えていたので不思議に思ったのかもしれない。「これ、外れていないんですよ」と抱っこひもを見せながら説明する私に、「お母さん、大丈夫かなって心配で」と優しい言葉を掛けてくれた。
 抱っこひもから子どもが転落することがあると聞くが、あの女性のように心配してくれる人がいると思うだけでじんわりとわが心は温かくなった。”(11月23日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・菊池さん(32)の投稿文です。ボクにはあまり分からないことだが、抱っこひもから子供が転落した話を時折聞く。通りすがり見た様子が気になって、戻ってきて確かめる。これがなかなかできそうでできないことなのだ。この女性は素晴らしい。
 ボクも気になることを見ながら通り過ぎることが度々ある。あの時こうすれば良かったと後で思うが、とっさに行動に移せないのである。このように気がついたら戻ればいいのであるが、もう戻れない。落とし物など特によくある。さっと拾って届け出るなり、声を出すなどすればいい。先日は駅の階段で袋物の落とし物を見つけた。誰もがそのまま通り過ぎる。電車の中で定期券だと思うが、見つけた。とっさに手を出せばよかったが、出せなかった。降りるときに拾おうと思ったが、もうその時にはなかった。混雑した電車である。どうなったろうか、今でも気にかかっている。とっさの行動はできにくいものである。これができるかできないか、人間性の分かれ目である。
 この若い女性は、菊池さんの心を温かくした。世の中この積み重ねである。いい行動は次につながるのである。

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(第2882話) 初めての町で 

2019年12月10日 | 出来事

  “先日、小用のため初めての町に出かけました。用事を済ませ駅に来ると、数少ない列車はたった今発車したばかり。次の列車までにはまだ一時間。思わずため息をつき無人駅の片隅に腰を下ろした私に、「どう、よかったら私たちと一緒に歌わない?」と明るく爽やかな声がしました。
 この町に住む一人の女性でした。その爽やかさに、私は何の迷いもなく、むしろ救われる思いで駅の一室にお邪魔させていただき、そこで十人ほどの女性たちの明るい笑顔に迎えられました。何曲かの素晴らしい歌声を聞かせていただきながら、いつの間にか私も一緒にお仲間入りして、楽しく歌っていました。
 小休止の時、住所、名前などをお伝えして、新しい人たちとのすてきな時間を持たせていただきました。あまりの楽しさに、待ち時間はすぐに過ぎ、列車に乗るときが来ました。「水曜日には歌っています。いつでもお寄りくださいね。お待ちしています」。優しい言葉に送られ、初めて訪れた町の心細さはすっかり消え、ほっこりとした温かさを全身に感じながら、帰りの列車に揺られていました。初めての町の、すてきな時間でした。”(11月20日付け中日新聞)

 静岡県掛川市の大谷さん(女・87)の投稿文です。駅で合唱をする、いろいろな活動があるものですね。そして女性の行動力にはいつもながらびっくりします。待ち時間の人を楽しませる、通る列車の人をびっくりさせる。また自分たちの発表の場にもする。いろいろな効果があります。1時間1本の列車のようですから、大きな町ではないでしょう。何かゆとりを感じます。これがきっかけで大谷さんは、特に用がないのにまたこの町を訪れるかも知れません。どんな発展につながるかも知れません。ともかく高齢者は、出かけられる間はできるだけ出かける機会を作らねばいけません。それが健康寿命を保つ秘訣です。
 ボクの予定表をのぞき込んだ知人がびっくりしていました。ほとんど毎日何かが書き込まれています。書き込んでない日をみて畑仕事や外仕事をしなければいけません。自由になった分、どうでもできます。それがこんな状態にしている気がします。妻にはやり過ぎ、引き受けすぎと言われます。でもできるうちが華と、いそいそとやっています。掲示板では書きましたが、まだこの「話・話」 では書いていないようですが、先日ボクはぶっ倒れました。いつ生活が一変するかも知れません。これを教訓に、気をつけながらやっていきたいと思っています。

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(第2881話) 家族葬に寂しさ

2019年12月08日 | 意見

  “家族葬という言葉をよく耳にするようになった。身内だけの葬儀も事情によるのだろうが、後から亡くなったことを知って驚き、告別式に出てお別れしたかったと思うことが随分増えた気がする。
 先日も自治会から訃報の回覧があり、葬儀・告別式の案内に加え「喪主の意向で家族葬」とあり、故人と親交のある方はどうぞ参列くださいと書き添えられていた。にもかかわらず実際に参列したのは私も含めて数人で、故人の早すぎる死や人柄を思うとあまりにも寂しい見送りだった。時代の流れかもしれないが、田舎でも人情が希薄なのか、残念に思えた。
 私はわが意思を家族にこう伝えている。「たくさんの花に囲まれて大勢の人に見送られたい」と。”(11月19日付け中日新聞)

 三重県桑名市の農業・森山さん(女・74)の投稿文です。近年のいろいろなことの変わり様は凄まじいものがあるが、その一つが葬儀のあろう。葬儀が変わると言うことは、身内はもとより周りの人との人間関係も変わると言うことである。葬儀を機会に親族関係を切る人もあるし、いろいろな付き合いをなくす人もある。何でも簡素化、合理化である。簡素化が合理化であろうか。たかが葬儀では無いのである。
 家族葬が増えたと言うより、ほとんどが家族葬になった。そしてボクの地域では、家族葬は回覧も何の連絡もない。隣で亡くなった人があっても随分後に知る例もある。ボクはせめて回覧だけでもと思っているが、ボクが外野で言っているだけでは何も変わらない。ボクが町内役員になったらすぐにも取り上げるが、当分その機会はない。葬儀の簡素化は地域の絆を極めて薄めた気がする。
 さてボクはどのような葬儀にして欲しいか、どう伝えよう。普通の一般葬にして欲しいと伝えてはあるが、もう少し具体的に言い、連絡先も分かるようにしておかねばと思う。

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(第2880話) 姉と恩師

2019年12月06日 | 出来事

  “私が中学生だったときのことです。中学校に赴任してきたばかりの校長先生から「お姉さんはいるかな?」「名前は?」と声を掛けられました。私はあまりにも突然のことに驚きながらも、姉の名前を告げました。校長先生は「やっぱり」と言われました。
 太平洋戦争が激化してき一九四四(昭和十九)年、九歳だった一番上の姉は岐阜県高山市の寺に学童疎開したそうです。そのときに引率したのが校長先生だったのです。そのときに記憶されていた姉の顔と、私とがきっと似ていたのでしょう。不思議な縁を感じました。
 しばらくして姉は私が通う中学校に校長先生を訪ねて、二人は再会を果たすことができました。”(11月17日付け中日新聞)

 愛知県江南市の松岡さん(女・75)の投稿文です。これは奇遇ですね。何といい出会いがあったことでしょう。この出会いは昭和何年のことだったのでしょう。想像するに20年代後半でしょうか。それにしても姉妹がこれほど似ているとは、驚きです。会って数年後に、妹さんからお姉さんを推測するとは。
 いやそれほど不思議ではないかもしれない。親子兄弟姉妹は本当によく似ている場合がある。これは時折体験することでもある。名乗られれば納得することの方が多いのではなかろうか。ボクも父親に似ていると言われたことがあるし、長女もボクに似ていると言われるようである。これがDNAであろうか。これを見ても自分は自分1人ではない。身内の人に泥を塗るようなことがあってはならない。皆助け合って誇れるように生きたいものである。

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(第2879話) 「まいか」で健康作り 

2019年12月04日 | 行動

  “「あいち健康づくり応援カードドMyCa(まいか)」をご存じですか。健康に関する目標を自分で立ててそれが守れたら一ポイント、健康診断や健康に関するイベントに参加したらそれぞれ五ポイント・・・。計五十ポイントをためて応募すると、まいかがもらえ、これを愛知県内の協力店に提示すれば各種サービスを受けられるというものです  チラシでこの制度を知った私は早速、「毎朝、テレビ体操をする」ということを目標としました。そして健康診断や健康教室に参加することでポイントをためていき、まいかを手にしました。
 こんな取り組みは愛知県外でもあるようですが、健康のために、この種の取り組みがまずは県内で普及すればいいなと思います。”(11月16日付け中日新聞)

 名古屋市の教員・青山さん(女・48)の投稿文です。「こんな取り組みは愛知県外でもあるようです」と言う言葉通り、我が一宮市にもある。それは知っていたが、どんなものか詳しくは知らなかった。この機会に調べてみた。そしてそれはこの「まいか」と連携するもであった。「毎日チャレンジ版」として、毎日何か健康に関する目標を立て、2ヶ月内に30日以上実行すれば、まいかがもらえるというものであった。そしてもう一つは、「イベント参加版」として、市の健康に関するイベントに参加すると、スタンプがもらえ、それが5つたまるとまいかが、それ以上達成すると抽選券がもらえるというものであった。
 ボクは老人会に関わるようになっていろいろなイベントに参加する機会が多くなった。そしてこのまいかである。知っただけでは何にもならない。参加してこそ意味がある。そしてこのまいかにも参加することにした。まずは「毎日チャレンジ版」である。毎朝始めた墓参りを兼ねたウォーキングを目標に掲げた。

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(第2878話) 発言欄

2019年12月02日 | 行動

  “私は毎日、新聞を読んでいます。私が子どものときはテレビ欄しか見ていませんでしたが、二十歳ぐらいになって今は亡き母から「いろいろな人の思いが載っているので読んでみるといいよ」と言われ、新聞をよく開くようになりました。それから欠かさず読んできたのは「発言」で、その欄で取り上げられているさまざまな出来事や意見に触れるうちに、ニュースにはもっと敏感にならなきゃという気持ちになってきました。
 今では新聞を読まないと一日が始まらないような気になってくるから不思議です。新聞にくまなく目を通すようにしています。私はこの先も新聞を読み続け、ときに発言をはじめとする投稿にもチャレンジしたいと思っています。”(11月10日付け中日新聞)

 愛知県稲沢市の家事手伝い・佐藤さん(女・32)の投稿文です。ボクが「発言」の欄にいかに注目しているかは、この「話・話」 を見ていてもらえば分かることでしょう。多くは発言の欄からの紹介です。様々な人が様々な考えを示す。投稿者の採択については、編集者の考えもあろうが、そこは編集者を信頼しよう。高齢者の投稿が多い。やはり長寿社会になったと感じる。ボクももう十分高齢者だからつい賛同してしまう。小中学生用には「ヤングアイズ」と言う欄があり、必ず数編が載っている。よく投稿されるものだと感心する。投稿にはしっかりした考え方と勇気、文章力が必要である。ボクにはない。
 新聞のない生活はボクには考えられない。パソコンもスマホも見るが、とても同列には思えない。新聞はいろいろな情報が目に入る。インターネットは自分で選んでみることが多い。好みのものに偏りがちである。また一度に目に入る量が違う。いろいろ差異があり、長短もあろうが、まず新聞のない生活は考えられない。
 ボクは毎朝5時に起き、カーテンを開け、新聞を取りに行く。コーヒーを飲みながらまず新聞を読む。この生活は変えられない。

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川柳&ウォーク