“織田信長が東美濃に攻め込む少し前のことです。岐阜県の関市と美濃市にまたがる本城山にあった小野城は美濃地方屈指の山城でした。本城山頂上からは北方に白山と御嶽、南方には麓の宮野地区と関の市街地、さらにその南には小牧山城、西方には岐阜城がそれぞれ望めます。晴れた日には遠く名古屋駅周辺の高層ビル群もくっきりと見えます。
私たち地元の有志はこの山城の姿を明らかにして訪れる愛好家に遺構を見て楽しんでもらおうと地権者の理解を得ながら下草を刈っています。「曲輪」と呼ばれる平たんな場所が六十ヵ所以上あり強大な軍事施設であったことを物語っています。日々整備をするうちに尾根筋を攻めてくる敵を撃退するための「堀切」や山肌を迂回してくる敵を防ぐ「竪堀」、敵を狭い道に導くための「切岸」などが実に合理的に設けられたことがよく分かってきます。
戦国の野武士の息遣いを思いながら、さらに整備を進めていきたいです。”(12月5日付け中日新聞)
岐阜県関市の川合さん(男・66)の投稿文です。埋もれた遺構を発掘する、これはまた大きな地域活動である。次々新たな発見があり、少しずつその全容が見えてくる。考えてみただけでもワクワクし、その喜びが目に見えてくる。
こうした活動に高齢者の役割は大きい。時間などいろいろな余裕がないとできない。元気な高齢者にはこれがあるのである。寿命が長くなった分、何かを貢献していきたい。これは高齢者のロマンでもある。
そしてこの発掘調査の効果は計り知れなくなるかも知れない。熊野古道でも最初は小さな動きであったろう。ボクのさほど遠くないところに、旧国鉄中央線の愛岐トンネル群がある。これも埋もれていたものを地域の人が発掘にかかり、今では一大行楽地であり、行事があれば一大イベントである。川合さんの活動を期待して見守りたい。ボクのところからそんなに遠くないところである。いつか訪れる機会が生じるかもしれない。時折中間報告の投稿をお願いしたい。
今年は169話をアップできました。ご愛読のほどありがとうございました。