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第184号  2019年9月

 
 

(第2847話) 非常用袋点検

2019年09月28日 | 行動

  “わが家では一日の「防災の日」を前に、夫と子ども二人の家族四人の食料や衛生用品などをまとめた非常用袋の中身を点検した。五歳となった息子が生まれてから本格的に袋を準備するようになり、九月と三月の年二回、中身を確認するようにしている。子どもの成長は早く、半年もたてばおむつのサイズも変わるからだ。今回、二歳の娘のために備蓄してきた離乳食の瓶を取り出して、乾パンや子どもでも食べやすい菓子系の非常食を入れた。
 私は息子に非常用袋を見せながら「『逃げろ』となったときにママがこの袋を背負って行くからね」と言い聞かせた。「そのときに抱っこはできないよ」と続けた。神妙な表情で息子は「うん」とうなずいた。傍らの娘も兄をまねてこっくりとしていた。
 災害には絶対に遭いたくないが、ITの時代でも災害の予知ができない以上、わが子の命を守るためにも十分な自衛策を講じていかないといけない。そう強く思った。”(9月11日付け中日新聞)

 岐阜県可児市の主婦・池田さん(32)の投稿文です。災害列島日本と昔からいいながら、そしていろいろ対策がとられてきましたが、今年も全く災害続きで大きな被害が出ました。特に千葉の停電には驚いています。今の生活で、1週間も2週間も停電だったら本当に悲嘆に暮れるでしょう。自然災害はある程度予想できても、どのくらいの被害になるのか分からない災害です。そして、非常持ち出し袋の必要性が叫ばれてきました。もちろんボクの家も用意しています。しかし、その更新となるとどうでしょう。災害がいくら多いと言っても、日本全国を見渡してです。自分のところとなると、一生に何度もと言うことは、ほとんどの地域でありません。ボクの今までの生涯で言えば、伊勢湾台風と東海豪雨くらいでしょうか。東海地震が叫ばれていますが、近い時期と言っても、明日か何十年も先かも分かりません。そんなときのための非常持ち出し袋です。一度準備することはできても、その更新となるなかなか難しいことです。ものによっては毎年入れ替える必要があります。そう思っているボクに、池田さんの投稿文には感心しました。毎年時期を決めて点検する。こういう習慣をつければできるでしょう。思いつきではなかなかできません。決めを作る、習慣化する、重要なことと思います。
 ボクはほとんど妻任せです。妻は水など期限が近づくと入れ替えています。でも、妻一人の知恵には限度があります。協力し合ってこそ、よりいいものになります。できる早い時期に、妻のしていることを点検しながら、ボクも知恵を出してみたいと思っています。

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(第2846話) 笑顔褒め合い

2019年09月26日 | 活動

  “職場のスーパーで八月、私たち従業員が笑顔の良かった同僚を選んで思い思いのメッセージを寄せる「スマイル・キャンペーン」がありました。二度目の取り組みで、毎週一人を選び、そのメッセージを名刺大のカードに記入して社内のポストに入れました。集まった数々の力ードは従業員通路と休憩室に掲示されました。
 私は一週目、七月から働き始めたばかりの三十代の女性を選びました。彼女は私と同じレジ係でした。私が仕事を教えたらメモを取りながら熱心に学んでくれたので、「いつも私の分かりにくい説明を一生懸命に聞いてくれてありがとう。あなたの明るい笑顔に助けられます」とカードにつづりました。
 こうして従業員同士で笑顔を褒め合うことが結果として、スーパーのお客さまへの対応に大きく寄与した気がしています。ちなみに私も笑顔が褒められ、猛暑で疲れ気味だった心身をリフレッシュすることができた気がしています。”(9月8日付け中日新聞)

 名古屋市のパート・恒川さん(女・53)の投稿文です。笑顔の褒め合いとは、また粋な試みです。笑顔の効果は大きいものがあります。人は褒められたい欲求があります。褒められて悪い気がする人はほとんどないでしょう。笑顔は人の輪を和やかにする効果があります。それをうまく組み合わせたのでしょう。接客業となれば笑顔は非常に大切です。ブスッとされていては、客も不機嫌になるだけです。真っ先に対応する人は特に重要でしょう。笑顔も訓練、慣れです。こうした運動を通じて、笑顔作りができていけば、店にいい効果があることは確かでしょう。形も大切だが、もっと大切なのは気持ちという意見もあるでしょう。これはいろいろなことが影響するでしょうから、一筋縄ではいきません。でも、形から気持ちができていくこともあります。まずは笑顔作りです。
 ボクも笑顔には心がけています。できるだけ笑顔で、大きな声で接しようと思っています。まだまだ足らないでしょう。これからも心がけていきたいと思います。

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(第2845話) 野外映画

2019年09月24日 | 出来事

  “六十数年前、私が小学校低学年だった頃、夏休みになると名古屋市千種区の実家近くの空き地で一夜限りの映画が無料で上映されました。現代とは違って娯楽が乏しかっただけに、私はいつも開催を心待ちにしていました。
 日が暮れてくると家からござを持参して友達と一緒に場所取りをしました。空き地にあふれるほどの人が集い、後方しか空きスペースがないことがありました。やむなく映し出されるスクリーンのすぐ裏側に陣取ったこともありました。上映された作品は時代劇や戦争物が多かった気がします。中でも第二次世界大戦中の現ミャンマーを舞台にした「ビルマの竪琴」では主人公の日本兵が現地で僧侶の格好をして肩にインコを乗せた場面が印象的でした。
 今でも野外での映画鑑賞会がどこかであると聞くと妙にワクワクして、あの夏の夜の楽しさがよみがえってきます。”(9月8日付け中日新聞)

 愛知県稲沢市の自営業・車館さん(女・74)の投稿文です。また懐かしい話を話題にしました。名古屋市千種区は今は都会のど真ん中ですが、60年前はどうだったのでしょう。ボクのところと似たような田舎だったのでしょうか。こうした話など、こういう話を聞かなければ思い出すこともありません。車館さんは私と全く同年代、同じような思い出が語れるのは楽しいことです。
 ボクのところでは中日新聞のサービスだったと思っています。神社の鳥居にスクリーンを取り付けます。多分ただの白い布だったと思います。そして暗くなると映画が始まります。境内は人の山です。鞍馬天狗や日清日ロの戦争映画を覚えています。映画館など行く機会もなく、また普通の家庭にテレビはありません。夏休みばかりでなく、年数回あった気がします。大きな楽しみでした。
 単に時代の違いと言ってしまえばそれまでですが、それを知って今更どうなるのだと言われると答えようもありませんが、人間は思い出の中に生きています。そして人の歴史は連綿と続いています。一朝一夕に今があるわけではありません。そうした時代の人に思いをはせられるのも、人間の心の広さ、優しさではないでしょうか。

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(第2844話) 習字に挑戦

2019年09月22日 | 活動

  “六月から習字教室に通い始めました。毛筆を持つのは、小学校の授業以来十数年ぶりのことです。私は営業部門に属しているため、社内外の人と文書でやりとりする機会が多くあります。入社前はパソコンが使えれば大丈夫だと思っていましたが、仕事場で手書きを求められる場面が思いの外多くて・・・。バランスの崩れた自分の文字をずっと恥じてきました。特にファクスでのやりとりでは自分の字の汚さから相手に誤った情報を伝えかねず、何とかしなければと思ってきました。
 「字は体を表す」といいます。思えば学生時代の就職活動で三十社ほどに履歴書を提出した際、大半の企業から手書きを求められました。一枚を仕上げるのに二時間以上かかりました。バランスの整った読みやすい字でまとめられた手書きの文書はパソコン入力とは違った味わいがあり「読みたくなる」ものです。私も上達を目指して頑張るぞ!”(9月5日付け中日新聞)

 岐阜市の会社員・石田さん(男・25)の投稿文です。25歳にして習字教室に入る、ここにも挑戦する人があった。大切なことに気づかれた。パソコンやデジタル機器が発達して文字を書く機会が減ったと言っても、書く機会は多いのです。ちょっとしたメモ書きをすることは日に何度とあるでしょう。それを人に見せる場合、パソコンなどとは言っておられません。そして、あまり知らない人については文字を見てその人を評価することも多いのです。字が上手な人は得です。現代なら毛筆が使える人はさらに評価が上がります。
 ボクの字もとても褒められたものではありません。もっと学んでおけばよかったと、とても残念な思いです。妻は上手な方の類いでしょう。どれだけ助けられてきたことか。でも、ちょっとしたときまで助けてもらうことはできません。ボクの残念なものの一つです。
 さらに文字の形ばかりではなく、言葉の使い方、さらに鉛筆の持ち方によっても人を判断します。これらのことが今、全くおざなりにされているのではないでしょうか。孫を見ていてそう思います。英語やパソコン以前に学ぶことではないでしょうか。

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(第2843話) すばらしい体験

2019年09月20日 | 行動

  “お盆休みの最中、次男と私は憧れのナゴヤドームのマウンドに立ち、大観衆の前で投球しました。一通のはがきが届いたのはその十日ほど前。「スピードボールコンテスト当選のご案内」と書かれていました。驚き、喜び、そして緊張してきたのを今も覚えています。
 翌日から毎日、次男とキャッチボールをしました。野球部の次男と元ソフトボール部の私の目標は、もちろん記念品がもらえる球速80キロです。これまで何度もキヤッチボールをしてきましたが、こんなに真剣に投げ合ったことはありません。  そして迎えた本番。投球順は私が四番、次男は最後の投球者の五番目でした。大観衆の前でどれほど緊張するだろうか、どれほど本来の力が出せるだろうか。不安に押しつぶされそうでした。でも、いざマウンドヘ向かって走って行くうちに、不安は不思議にやる気に、さらに興奮へと変わっていきました。
 「絶対、80キロ」と思い切り投げた結果、私は惜しくも77キロ、次男も76キロと二人とも目標達成とはいきませんでした。それでも大観衆の前で投げた感動、達成感は、生涯忘れることのできない思い出となるでしょう。次男とのキャッチボールの日々も含め、すばらしい体験となりました。”(9月3日付け中日新聞)

 名古屋市のパート・山田さん(女・48)の投稿文です。ボクはナゴヤドームに年数回出かけている。そして、いつもこの「スピードボールコンテスト」を見ている。それを実際に体験された人の投稿である。
 こうして投稿されるといろいろ知らないことを知る。そして何事もその裏にはいろいろな思いが詰まっている。応募して当選してその機会を与えられる。そして、80キロ以上出すと記念品がいただける。山田さんはいい体験をされた。これまで何度も息子さんとキヤッチボールをされてきたが、こんなに真剣に投げ合ったことは初めてと言われる。それは目の前に大きな目標があったからであろう。そして何万人という目の前で投げた感動と達成感、それが生涯忘れられないものというのは言うに及びません。いいことずくめでした。そして、それは応募するという、積極的に望もうとする行為から生まれたことです。やろうとしなければ何事も生まれてきません。一歩踏み出す、何事にも大切です。ボクも余生、余生などと言っていらず、まだ25年あると思って、いいと思うことは積極的に望みたいと思い直しています。

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(第2842話) 風呂の水

2019年09月17日 | 行動

  “六十年ほど前のことです。わが家の風呂の湯船に水を張るのは八人きょうだいの三男だった私の仕事だった。夕方、風呂場と十メートルほど離れた井戸との間を十数回は往復してバケツで水を運び続けた。一滴の水もこぼさないように気を配ったものだ。
 高校を卒業して家業を一年手伝ってから私は鉄道員になった。名古屋市内の駅での一日置きの泊まり勤務をしていた三十年近く前、就寝前に先輩と一緒に従業は湯船に満々と湯を張ってから体を沈めたため、勢いよく湯が流れ出た。かつてのわが家では決してそんなことをしたことはなかった。「何ともったいないことか」。心の中でそう叫んでいる自分がいた。
 今の私はといえば、畑仕事を終えた夕方に風呂でひと汗流してから、冷たい麦茶を飲むのが至福のひとときとなっている。もちろん、蛇口をひねれば簡単に出るようになった水への感謝をかたときも忘れたことはない。”(8月29日付け中日新聞)

 愛知県幸田町の加藤さん(男・77)の投稿文です。また懐かしい話に取り上げた。今の人には理解できない苦労であった。そんな時代を経て今があることを知ってほしい。
 水道のない時代、風呂に水を入れるのは大仕事だった。つるべからポンプに変わっただけでも大進歩だった。ボクに家に水道が引けたのは、小学5年の時だった。つるべからポンプに変わったのはいつ頃だったか、記憶にない。水道の引ける前でボクの特に印象があるのは、朝からバケツやはそりなど家にある大きな入れ物を外に並べる。そしてそこに水を入れるのである。天日で少しでも温度を上げるのである。そして夕方、五右衛門風呂に入れる。高いところから陥れるので、これも大変な作業だった。そして、くどでわかす。ボクの家は平野であるので、薪などない。麦わらと籾殻が主であった。ずっとそばについていなければならなかった。それだけの苦労をしながら沸かす風呂である。近所3軒がもらい風呂をするのである。もちろんかけ湯などしない。十数人が次から次へと入る。よくあんな風呂に入っていたものだと、今思い出すとぞっとする。それでも風呂には入れるのはありがたかった。ボクは今でも湯を風呂桶からあふれ流すなど考えられない。
 その時代ごとの生き方がある。一般のあり方に沿っていれば、それほどの不満はない。生活は比較にならないほど向上したが、今の人の意識はその当時より大変かもしれない。ふとそんな気がする。

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(第2841話) 頑張った匂い

2019年09月15日 | 行動

  “先日、長野県に嫁いだ娘が、もうすぐ一歳の孫を連れて一週間ほど遊びに来た。介護施設で働くお婿さんの話になった。毎日仕事で汗だくで帰宅するという。そんなときに娘は、「頑張った匂いがするね」とねぎらうそうだ。「そうなの」と答える私に、娘は「前にお母さんが言ったんだよ」と笑った。
 娘は中学生の時、剣道部に所属。毎日練習に励んでいた。汗まみれで帰宅した娘に、私は「頑張った匂いがするね」とちゃめっ気たっぷりに迎え入れたらしいのだ。当の私は忘れてしまったが、言われた方は覚えていた。そのころの私は「勉強しなさい」とか「はやくしなさい」しか言わなかった。年ごろの娘に向けた数少ない肯定文だったと思う。彼女に深く刻み込まれたであろうその言葉は、長い年月を経て、バトンタッチ。お婿さんへの言葉になったというわけだ。
 飲食店の仕事で忙しい毎日。娘の部活動の大会など応援に行ったことはほとんどない。今でも侮いが残るが、それでも私のひと言が、青春の一ページに挟まっていたことは、うれしい発見だった。これからは孫が成長したときに「頑張った匂いがするね」と、娘がきっとこのフレーズを使うだろう。小さな幸せを感じた出来事だった。”(8月26日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の飲食店経営・鈴木さん(女・56)の投稿文です。汗臭さである。「汗臭い!」と言ってしまいそうである。ボクは若いときからすごい汗かきである。ボクは多汗症と思っていた。でもこの歳まで何とか乗り越えてきたので、単なる大汗かきであろう。妻には汗臭いとよく言われてきた。特に人前に行くときはよく注意をされてきた。まあ、そこは妻の気遣いだったろう。「うるさい!」と文句を言うより感謝せねばならなかったろう。でも頑張った後には言われたくないものだ。そこは「頑張った匂いがするね」、と言ってほしいものだ。この言葉は何と和む言葉であろうか。頑張って出た汗臭さなのだから、慰めや褒め言葉であってほしいものだ。
 娘さんは母親のそんな言葉に癒やされたのであろう。言った本人は忘れても言われた娘さんは覚えているのである。今、娘さんは旦那さんにその言葉を返している。良いことが伝わる、こういう流れはいいものである。一つの恩送りである。こういうことが普通になると、社会はいくらでもよくなる。ボクのこの「話・話」 はその仲介作業のつもりである。そうなるとボクも嬉しい。

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(第2840話) 幸せの切符

2019年09月13日 | 出来事

  “四十三年勤めた鉄道会社を辞め、十年ほどになる。終着駅となった職場は、JR飯田線の三河一宮駅であった。朝夕、近くの高校に通う女生徒のかまびすしいおしゃべりが始まると、小鳥のさえずりのようで、小さな待合室がパアッと明るくなる。その雰囲気がたまらなく良かった。
 話し好きだった私も、親鳥のような気持ちで、話の輪の中に入るようになったが、二年余りで病気退職した。その時、「みんな幸せになってね」と、手元にあった北海道・旧広尾線の「愛国ー幸福」駅間の切符を生徒たちに手渡した。今では廃線となったが、「愛の国から幸福へ」とブームになった四十年ほど前に何枚か購入したものだ。
 職場を去る日、生徒たちが「駅員さん、ありがとう」と、仲間で書いた寄せ書きをくれた。一生の宝物である。数年後の中学の同窓会。肩をたたかれ振り向くと、会場のホテルの接客係だ。「以前、三河一宮駅にいた駅員さんですよね」「そうだけど」「幸せの切符をもらった者です。覚えていますか。あの時はお世話になりました」すてきな女性になっていた。ドタキャンした親友への厄よけのトルコ土産を彼女にプレゼント。いつかきっと、どこかでまた、会える気がした。”(8月25日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の神藤さん(男・72)の投稿文です。「愛の国から幸福へ」とブームになったもう四十年も前のことになるのか。廃線は昭和62年とあるから、それだけ経つのである。ボクはツアー旅行で廃駅になった幸福駅を見に行ったことがある。そして、神藤さんはこの切符のおかげでいい出会いをつかまれた。これだから人生楽しい。
 こういった仕掛けはパワースポットや愛の鐘など、今至る所にある。連理の木もある。多分ボクの知っているものなどしれているだろう。そして、考えてみるとそのほとんどが「愛」を願ってのものである。人間それほどに愛を欲しているのである。ボクは最近カラオケに誘われていくようになった。ほとんどの歌は愛だの恋などである。愛を求めてさ迷っているのが人間かと思うほどである。だったらそれだけ真剣に対応しなければならない。そんなものなのに平生の生活では、愛に少し無頓着の気がする。求める人はもっと積極的に、満たされている人はもっと大切にしなければと思う。

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(第2839話) 山登り陰で支える

2019年09月11日 | 知識

  “七月下旬、長野県松本市の北アルプス・蝶ケ岳に初めて登った。山頂を目指す道中に出会った女性は大きな荷物を背負っていた。私と同じくテント泊かと思って声を掛けたら山小屋の診療所でボランティアをすると語った。そのときの私は、このボランティアについてさほど深くは考えなかった。
 翌日、予定通り下山して自宅で日記を書こうと思い「蝶ケ岳」や「ボランティア」をキーワードにインターネットで検索した。その結果に驚いた。蝶ケ岳は北アルプスでは初心者向きの山とされている。だが過去には高山病で命を落とした登山者がおり、急病を早期に察知するための声掛け運動が展開されていることを知った。あのとき、女性が私に言っていたことを思い返した。「調子の悪そうな方がいたら早めに知らせてくださいね」登山者を支えるこんなボランティアがいたなんて!”(8月24日付け中日新聞)

 名古屋市の会社員・稲川さん(男・51)の投稿文です。登山を支えるボランティアは多い。アルプスなど高い山になればより多かろう。案内のガイド、調子が悪い人を診療する人、事故になれば救出、捜索する人など様々、数多くある。それだけ危険なのだ。山は低山といえど、決して軽々しく登ってはいけないものなのだ。ボクも一時山登りによく出かけたが、もう数年前からすっぱり止めた。やはり老いれば老いるほど危険である。人に迷惑をかけないうちに止めにした。ボクにはウォークがある。
 ボクも蝶ヶ岳へ登ったことがある。北アルプス初めての山だった。平成7年7月、職場の同僚3人で行った。蝶ヶ岳から常念岳、大天井岳、燕岳と2泊3日の登山であった。稲川さんが言われるように初心者向きの山であったろう。初めてのアルプスで、天候にも恵まれ、いい思い出である。その後白山や仙丈ヶ岳、宝剣岳へも登った。鈴鹿山脈は多くの山に登った。道に迷ったことや危険な目に遭ったこともある。山は慎重な上にも慎重が必要である。今登山はブームのようである。でも、決してピクニック気分で行くことがあってはならない。

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(第2838話) 庭木整理

2019年09月09日 | 行動

  “高さ三メートルの脚立にのっていると、足元でミシミシ。「アッ、倒れる」二階まで伸びた、孫の誕生記念樹のプラムの枝を切っていた私は、とっさにへその下の丹田に力を込め、亡夫に加護を乞い、手を離してコンクリートの通路に落ちた。
 「お母さんは、けがだけが心配」「私のいるときだけ、はしごに乗ってね」。娘たちの声が一瞬、脳裏をよぎる。「やってしまった」と反省しきり。そっと力を入れると、足の指は動く。右の腰がやや痛く、右足は引きずった。二日後、みてもらった医師の先生から「丈夫な骨ですね」とのお言葉。利き腕でない左肘にも青いあざがあった。
 花よりカボチャ。食料の乏しい時代に育った私は、嫁ぐとすぐにカキ、ミカン、ヤマモモ、イチジク、サクランボと、実のなる木を植えた。その後、念願の花々も。ハチに刺され、チャドクガにやられ、草むしりに追われた六十年。手はグラブのようだが、健康には恵まれた。
 放っておくと、一年に五十センチも伸びる松の木も、病に倒れた庭師さんに代わり、ここ数年は私が剪定している。見よう見まねのお粗末さまだが、なぜか、すがすがしい。まだ少しはれの残った足首よ、なんとかもうひと踏ん張りしてね。”(8月21日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の福田さん(女・84)の投稿文です。何歳の人の文かと思えば、84歳の女性である。84歳の女性が一人で脚立に乗り、庭木の剪定をするのか?。「丈夫な骨ですね」と言われる人であっても、ボクは無謀と言いたい。
 ボクも自分の家の庭木を、数年前から自分一人で行っている。数十本はある。クロガネモチやウバメガシは4m近いであろう。昨年は1週間かかった。脚立に乗るときはいつも妻に支えてもらう。それでも怖くて仕方がない。脚立から落ちて大けがをした人を何人も知っている。そして、先月決断した。ほとんどの木を背丈くらいで切り落とすことを。これは英断である。庭木のほとんどは父が亡くなってから植えたものである。庭を造ってくれた庭師に剪定に来てもらっていた。その庭師も高齢になり来られなくなった。ボクが我流ですることにした。庭を造って35年、木は大きくなった。脚立に上がらねばならない。未練はあるが、けがをしない前に諦めよう。そして英断となった。業者に見積もりを依頼したところである。
 今の時代、庭木は植えても、小さな木数本である。日本庭園を造る人などまず見かけない。これも時代の流れなのか。世の中変わっていくのである。

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(第2837話) 情報収集

2019年09月07日 | 意見

  “インターネット社会の昨今、新聞を読む意義って何だろう?
 長年新聞を購読してきた私はふと疑問に思い、最近ある答えに到達した。ネットでニュースを読んだり見たりすることは自分好みの情報を素早く得られる点でファストフードのようだが、食べ過ぎれば塩分の過剰摂取が気になるように、ネットだけだと自分の興味に偏った情報に身を任せかねない気がした。片や紙の新聞は政治からスポーツ、地域の話題までさまざまな話題を取りそろえて毎日自宅に配られ、栄養バランスがいい「宅配食」といったところか。健康のためにバランスの良い食事を心掛けるようにネットと新聞の併用でバランスの良い情報収集に努めようと私は考えている。”(8月14日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・田口さん(30)の投稿文です。インターネット時代の新聞について、田口さんは考えられた。そして、インターネットはファストフード、新聞は宅配食と捉えられた。面白い捉え方と思うし、一理あると思う。
 新聞を取っていない家庭が多くなったと聞く。ボクには考えられない生活だ。ボクは起きると真っ先に新聞を取りに行く。そして、30分程度で一通り見終える。新聞を開けば、2面分がさっと目に入る。題字だけで済ますもの、じっくり読むもの。この程度で政治、経済、家庭、スポーツなどおおよその世の流れは分かる。これがネットだと、こんな程度の時間では、限られた分野の数項目読んでみるだけで終わってしまう。ボクはまだネットで読むことに慣れていないことにもよるだろうが、新聞とネットでは一度に目に入る量が違うのである。ボクは今のところ、ネットは調べ物用で読み物用になっていない。

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(第2836話) パソコンで備忘録

2019年09月05日 | 行動

 “七十歳を過ぎて使い方を覚えたパソコンを駆使して辞典や新聞などで目にしたことわざ、四字熟語、難読の漢字を集めた自分なりの備忘録を作っている。知っていると得しそうな言葉を少しでも覚えて老化を防ぎ「人生百年」と言われる時代をたくましく生き抜こうと考えている。
 縦書きで「トビが夕力を生む」「一石二鳥」「隔靴掻痒」「百舌」「瓦礫」などとキーボードをたたき、その意味や読み方を書き添えておき、この半年で五ページほどになった。他人にも役立ててもらえれぱとB4判の紙五枚に印刷した上でホチキスでとじて同世代の友人ら男女七人に配ったら「よく勉強した昔を思い出す」と喜んでもらえた。引き続き、備忘録作りに励みたいと思っている。”(8月14日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の山本さん(男・85)の投稿文です。80歳を超えて元気な人は本当に多い。ボクの入っているグラウンドゴルフの会など半数以上が80歳以上である。そのようにボクが顔を出す多くのところで、ボクはいつも若手である。山本さんは「人生百年と言われる時代をたくましく生き抜こうと考えている」とさらりと言われる。こうなると、ボクも余生、余生などと言っておられない。100歳はボクにはまだ25年以上ある。25年以上を余生、余生と言っていて良いだろうか。
 山本さんは、その100年に向けていろいろな努力をされている。その一つがこのパソコンの備忘録である。良い知恵だと思う。作ったものを人に配布もされる。またまた効果が上がるであろう。パソコンの機能は全くすごい。僕らが使っている部分などほんの一部である。
 ボクは7月にパソコンを買い換えた。Win10のものにした。この1ヶ月、パソコンとにらめっこして多くの時間を過ごした。今までと比べて楽しめる部分が非常に多くなった気がしている。その部分の活用の勉強はこれからである。100年時代、ボクも楽しく有意義生き抜きたい。

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(第2835話) 作業員の汗

2019年09月03日 | 出来事

   “愛知県新城市の自宅から車で浜松市に出掛けるため国道257号をよく利用します。道路管理者からの指示でしょうか、作業員が蒸し暑い中、懸命に路肩部分の草を刈っていました。そんな草刈りが通行の妨げにならないよう、誘導員が路上で旗を持っていました。
 しばらくして、その箇所を通り掛かったら、空き缶やペットボトルトなどのごみが散乱していました。そんなポイ捨てされたごみを見て私ほとても悲しくなりました。草を刈った作業員と、その作業を支えた誘導員の「ドライバーには気持ちよくハンドルを握ってもらいたい」という願いを無にする行為だと思いました。皆さん、今からでも遅くありません。路上でのポイ捨てほやめてください。”(8月12日付け中日新聞)

 愛知県新城市の平沢さん(男・79)の投稿文です。今年の夏、ボクは自分の家で過ごすことが多かった。そして、エアコンをこれほど使用した年は初めてである。そんなとき、外出して道路工事など外で働く人を見る。交通誘導されている人を見る。そんなに若い人は見ない。大変だな、ご苦労さんと思った。そして、自分は現役でなくて本当に助かった、自分勝手ながらいつもそんなことを思った。
 この暑い夏に、草刈りなどの外仕事をしたり、交通誘導をされる人は本当に大変だったと思う。仕事であるから大変であってもやらねばならないし、やらねばお金も入らない。ではやって終わりで、お金が入ればいいのだろうか。そんなものではないはずだ。世の中の仕事は、社会的な価値があり、意義ある。価値がなかったら仕事ではない。多くの人に喜んでもらってやり甲斐もあろう。特に公共事業は多くの人のためになされている。この草刈りもまさにそれある。刈った後にゴミを捨てるというのは、その事業をないがしろにするものである。唾をかけていると同然である。そう考えたら全体ポイ捨てなどできない。

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川柳&ウォーク