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第179号  2019年4月


(第2779話) 無投票

2019年04月29日 | 意見

  “統一地方選の前半戦では中部六県の県議選で無投票当選が相次いだ。私はこれまで選挙の立会人として投開票を何度か見守ってきただけに、有権者が候補者を審判する四年に一度という貴重な機会が無投票で失われることは残念でならない。県議選は首長選、市町村議選より関心は薄くなりがちだが・・・。
 間もなく始まる後半戦は有権者にとって身近な選挙のはずだ。市町村での議員のなり手不足が指摘される昨今、議会側も有権者の関心を高めようと一般質問を夜間や休日に開くなど思い思いに知恵を絞っている。後半戦はそんな議会改革はもちろん議員のあり方について私たちが意思表示する場になる。権利を有する者は投票に行くべきだ。”(4月10日付け中日新聞)

 愛知県あま市の山田さん(男・62)の投稿文です。山田さんは無投票を問題にさているが、ボクはその前に投票率の低下を問題にしたい。今年は統一地方選の年であった。ボクはつい先日の市議選に係わった。前回よりも投票率は5%も落ちた。最も身近な市議選にして41%である。県議選では35%、市長選では27%であった。これはまず国民の多数が、自分のことだけに関心があり、公のこと関心がなくなったことがまず最大の原因であろう。投票などに行っても自分の何の得もなく、また自分の1票くらい何の影響もない、と考えるところにあるのだろう。本当には大きな影響があるのにである。関係者はいろいろ工夫を凝らしているのだろうが、今のところ余り効果は見えない。「なくして知るありがたさかな」とならないように願いたい。
 そして無投票である。首長選など1人だけを選ぶ場合、現職が圧倒的に支持されていて、対抗馬がでない。これは以前から多々あることである。しかし、県議選や市議選となれば多数を選ぶのである。選挙選になることが多かった。しかし、昨今はこの場合でも無投票ということが多くなった。議員に魅力がなくなった、議会に無関心になった、と言うことであろうか。選挙されるとなると、いろいろ考え反省する。抱負も述べねばならない。これは4年に一度の振り返るいい機会である。ボクの支援する市議も、いろいろ述べていた。この機会がなくなると惰性になる。やはり無投票はよくないと思う。

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(第2778話) つえデビュー

2019年04月26日 | 知識

  “左膝に痛みが出たのが一月終わり。二月初めに受診したところ、膝の骨の壊死と分かった。つえを使って膝の負担を減らすように言われた。三週間後に再び受診。まだつえを持っていない私を見て、先生がすぐ使うよう言われたので、翌日購入した。でも次の日は雨。その翌日は自転車で買い物と、なかなか使えない。
  意を決して次の日、恐る恐る使ってみる。つえと手と足の動きがうまくかみ合わない。えっ、つえって難しい。体が痛くなった。二日目、昨日よりはぎごちないけど使えている。やはり体が痛い。三日目、体が斜めに傾いている私を見た友人が「つえに力を入れず、普通に歩くようにして力を分散させるんだよ」と教えてくれた。四日目、デパートヘ買い物に行った時、つえがあると荷物は片手でしか持てないことが分かった。そんな当たり前のことに気付かなかった。友人が「ひとつ賢くなったね」と笑った。  だんだん慣れて、階段の上り下りも、なんとなくスムーズになった。時々、つえと同じ方の足が一緒に出て、「あれっ」と思うけど、その都度修正している。手術をしないで済むよう、頼りにしてますよ。つえさん、お願いね。”(4月8日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・川上さん(68)の投稿文です。体験して初めて知ることは多い。この話で杖もそうであった。使ってみて、その難しさを知った。不便さも知った。杖を使う人の多くは体が不自由である。その上の杖であるから不自由な訳である。でも、その不自由な体を助けるのである。上手に使わざるを得ない。
 こうした体の補助具は車椅子を始めいろいろ開発されている。今では重いものを持つための補助具もある。ボクは今のところ何のお世話になっていない、と思ったが、考えてみればメガネも立派な補助具である。中学生の時からお世話になっている。もう体の一部である。老いるほどに補助具に頼ることが多くなろう。やせ我慢をせず、上手に使うことも必要であろう。

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(第2777話) パンクの孫

2019年04月24日 | 出来事

  “愛知県大治町で暮らす高校生になった孫が中学校三年生のときのことです。孫の自転車が登校中にパンクしました。始業時間が迫っていたため、やむなく自転車を通学路に置いて学校に向かったといいます。夕方、授業や部活動を終えた孫が自転車を放置した場所に戻ると、何と自転車はすっかり修理されていたのです。自転車を家まで引いて帰るつもりだっただけに孫は思わぬ親切に「跳び上がるほどうれしかった」と話していました。
 私は昨年暮れ、孫の母親である私の長女からこの話を聞きました。何と優しい方がいるものか、世の中はまだ捨てたもんじゃないなと思いました。おかげさまで孫はその後もその自転車で中学校に通学することができました。三月に卒業し四月からは高校生になりました。今となっては自転車を直してくれた方を捜しようがありませんが、その節は孫が大変お世話になりました。本当にありがとうございました。”(4月8日付け中日新聞)

 名古屋市の小川さん(女・83)の投稿文です。本人が頼まないの、本人が知らぬ間に、パンクした自転車が直してあった、こんなことがあるのだ。こんなことをする人があるのだ。今の世の中、自転車がなくなってもおかしくない。多分直した人は、パンクして困っていた中学生を終始見ておられたのであろう。そこで、直す気になられた。そして、自分の名も何も記されなかった。それにしても親切である。親子共々感激するのはもちろんである。そしてこのことは一生忘れないだろう。それが次の親切に続くのである。恩送りである。こうしたことの積み重ねが世の中をよくする。

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(第2776話) 自分の国

2019年04月22日 | 意見

  “私は日本に来た外国人に日本語や日本のビジネスマナーを教えています。「日本人は日本を好きじゃないのかな?」。彼らがこう話すのを聞くたび、私は恥ずかしく残念な気持ちになります。かくいう私も二〇〇九年から三年間、米国で生活するまでは日本のことを深く知ろうとせず、母国が好きとはとても言えませんでした。米国中西部のミズーリ州で日本に憧れて本や雑誌を通して日本の文化を学ぼうとする大学生や宣教師に日本語を教える中で、私の方が逆に日本の素晴らしさを気付かせてもらいました。帰国後、日本の伝統文化を少しでも伝えられたらと思い、華道や茶道を始めました。
 「隣の芝は青い」と言います。まずは自分の足元の草花に目を向けるようなことから始めるのが大切だと思います。自分が暮らす地域や国を見つめ直すことで世界はきっと違って見えてくるでしょう。それこそが世界の真の姿だと私は考えています。”(4月4日付け中日新聞)

 名古屋市の日本語教師・萬さん(女・50)の投稿文です。日本人の幸福度や満足度について少し調べて見ると、いろいろなデータが出てくる。ある調査では日本人の幸福度について、世界156ヶ国中、2019年度は第58位とあった。それも2015年度の46位から下がり続けている。日本は失業率の低さ、衣食住の質、労働者一人当たりの資産形成、市場の規模等々、経済力に関するほとんどの指標で世界のトップクラスにある。しかし、現在の生活に満足している日本人は65%に過ぎないという。何がそうさせているのか。それが外国へ行って、日本の良さを知ることが多い、とうのは何かが足りないのである。萬さんは3年間アメリカで過ごされた。そこで日本の良さに気付かれた。ボクなど10日くらいの外国旅行でも、日本の良さを知ることが多かった。もちろん外国生活に慣れていないこともあるが、日本に帰ると、日本はいいなあ、とつくづく思うことが多かった。人間豊かさにどっぷりつかったら、それが当たり前になり、幸福感も豊かさも感じなくなるかも知れない。ボクらは戦後から今日まで、貧しさから豊かさに、上昇の中で過ごしてきた。昨日より今日の方が良かった。それをいつもありがたいと思ってきた。最初から豊かさの中にあったら、ありがたさを感じないだろう。そこは他国を知れば分かるのではなかろうか。人間は比較する中でいろいろなことを知る。今こそ日本をもっと知るべき時ではなかろうか。

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(第2775話) 「食」隔世の感 

2019年04月19日 | 意見

  “戦後まだ数年の私が子どもの頃は畳にちゃぶ台を置いて食事をしました。ちゃぶ台の上はもちろん畳に落とした物も拾って食べるようにしつけられました。私の実家は比較的裕福で幼稚園に通うことができた上、弁当にはぜいたく品だった卵焼きやかまぼこが入っていました。バナナも持って行きました。それでも祖父はかびのはえた餅をカンナで削ってから口にしていました。ご飯は多少酸っぱい味がしても湯で洗い流して食べました。
 今私は飲食店を営んでいるので衛生面の大切さは知っているつもりです。でもスーパーヘ買い物に行くたび、賞味期限の設定には行き過ぎた面があるような気がしてなりません。食べ物を捨てることにはどうしても罪悪感があります。
 三月十一日付本紙の四こま漫画「ねえ、ぴよちゃん」のある登場人物はきれいに拭かれた机の上でも落とした物は「食べない」とのことでした。自分が否定されたようでどこか寂しく隔世の感を覚えました。”(4月2日付け中日新聞)

 愛知県常滑市の飲食店経営・笹本さん(男・70)の投稿文です。今の日本の食生活について、戦前や戦後数年生まれの人には、これでいいのかという思い、、疑問に思う人は多いのではなかろうか。幼稚園は行くなど結構裕福に過ごされて笹本さんさえこのように思われるのである。まして、貧しく育ったボクなどにはとんでもないことである。今ボクは、数ヶ月前に賞味期限が切れたお菓子をコーヒーの友として食べている。賞味期限切れで捨てるなど、とても出来ることではない。こぼしたものを拾って食べるボクを見て、孫は嫌な顔ををする。経済的にできるのだから、そんな非衛生のことまでする必要はない、と言うことだろう。衛生面を重視することは必要なことではあるが、何ごとも行き過ぎはよくない。特に食品について日本は大量輸入国である。世界からかき集めて、大量廃棄していることは問題であろう。日本に食糧危機は起こるかと言う問いに、起きないという人もある。起きなくても浪費や無駄は良くない。地球資源は有限である。自然災害に備えると共に、食糧危機に対しても備えることである。自由奔放の生活から縛られる生活は苦痛である。節度ある生活に努めて、いざという時の生活を抵抗少なく受け入れらるようにしておいた方が賢明だと思う。

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(第2774話) 障害なんの

2019年04月17日 | 出来事

  “「いらっしゃいませ」―。声の主は私がいつも利用しているショッピングセンターのペット用品売り場にいる男性店員です。彼にはハンディキャップがあるようです。一年余前から見掛けるようになりましたが、初めの頃は客に背を向けるように売り場の隅で商品の整理をしていました。「いらっしゃいませ」の声もあまり聞かなかったような気がします。それが今では見違えるように明るく大きな声で私たちを迎えてくれます。はたきを掛ける姿は堂々としています。
 まだ彼と直接話をしたことはありませんが、自信を持って仕事に臨む姿はすがすがしく映ります。自分が得意とする分野で、できることをどんどん増やしていってもらいたいものです。彼と自然体で接している他の店員も皆感じが良く、愛犬の餌を買いに出掛けるのが私の楽しみになっています。四月から新天地で働く人も多いと思います。こんな職場ならいいですよね。”(4月2日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・恒川さん(53)の投稿文です。最近障害者の方が働いている姿をよく見るようになった。企業に一定割合の就労を義務付けている法律もある。働ける範囲で働く、これは権利であると共に義務であるかも知れない。そういう人達を受け入れる社会になりつつあると言えるだろう。
 ボクの近くに最近できた喫茶店に「就労継続支援B型」と玄関に表示されていた。少し調べて見ると、就労継続支援B型とは「通常の事業所に雇用されることが困難な就労経験のある障害のある方に対し、生産活動などの機会の提供、知識および能力の向上のために必要な訓練などを行うサービスです。このサービスを通じて生産活動や就労に必要な知識や能力が高まった方は、就労継続支援(A型)や一般就労への移行を目指します」とあった。店の奥は大勢の障害のある方が集まり、にぎやかである。注文を取りに来たり注文したものを持ってくる人もある。時折、散歩の帰りに寄ろうと、先日チケットも買った。こうした場所の理解者が増え、賑わうことを期待したい。

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(第2773話) おはよう握手

2019年04月15日 | 活動

  “「おはよう」。次々に起きてくる四人の孫たちに、手を差し出して握手する。笑顔で力強く返してくる日もあれば、寝起きの悪いときは指先でチョンと返すときもある。以前から朝のあいさつを握手とともにしたいと思っていたが、孫たちの反抗期などで機会を逃していた。
 ある日の朝、受験に行く孫娘に「頑張っておいで」と握手をしたところ、緊張が解けたように、にっこりと出掛けていったことがきっかけで始まった。アメリカ人と結婚した次女の家族や親族とは、全く抵抗なくハグができるのに、なぜか簡単な握手が難しく、やっと実行にこぎ着けた。その日その日の握手の返し方で、家族の健康状態、とりわけ孫たちのご機嫌状態、心理状態まで分かるのがおもしろい。
 家族間での握手に加え、会合の場所でも握手を始めてみた。戸惑いながら受けていた男性陣も、今や満面の笑みのおまけをつけて力強く握り返してくれ、その後の会合が和やかに充実したものになることを実感している。簡単な握手で、たくさんの気づきや喜びが味わえることに感謝し、勇気を出して握手の輪をもっと広げよう。そしてたくさんの力強い握手を受けるため元気でいよう。””(4月2日付け中日新聞)

 岐阜県土岐市の原田さん(女・74)の投稿文です。日本人間で握手する習慣は政治家くらいで一般にはない、ましてハグなどない。肌に触れあう習慣はほとんどないであろう。同性間はまだしも異性間ではあっても熱々の新婚ほやほやの夫婦間ぐらいではなかろうか。原田さんの言われるように、肌に触れあう効果は大きいと思う。親密さの表現と共に健康状態を知ることもできよう。わだかまりがあっても、一度に解消することもあろう。ただこの習慣が日本で普通になるには、かなりの時間を要すると思う。特に男性側から女性に握手やハグを求めたら、嫌らしいと思われたり、時にはセクハラとさえ思われるのではなかろうか。父親が娘にしても嫌らしい父さんと思われるであろう。まだ日本はそんな状態だと思う。これを早く習慣化したければ女性側から積極的にすることであろう。女性間同士ならたやすかろうし、また女性から握手やハグを求められて、嬉しく思っても避ける男性は少なかろう。この課題は女性にかかっていると思う。

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(第2772話) 支える側へ

2019年04月13日 | 活動

  “昨夏の誕生日、主治医から難病と診断された。数ヶ月前から熱や痛みがあった。マラソンが趣味の私は岐阜県でのハーフマラソンや金沢市のフルマラソンにエントリーしていた。治療のために二ヵ月ほど入院した。主治医に「走れますか?」と尋ねたが、かなわなかった。
 十月末に退院してすぐ名古屋ウィメンズマラソンのボランティア募集を知った。過去にランナーとして申し込み抽選に外れた大会だった。私はそこで走れなくても走る人を支えたいと思った。十日のマラソンは私にとって初のボランティア参加だった。
 ゴールのナゴヤドームで走り終えたランナーを迎えた。ボランティアには私と同じく病気の人もいた。私は汗をぬぐう彼女たちに「お疲れさま」と自然に声を掛けることができた。全身のしびれは残るが、ボランティアとして走りきることができて満足感を覚えた。”(3月31日付け中日新聞)

 岐阜県関市の会社員・山田さん(女・45)の投稿文です。難病になってマラソンが走れなくなった。そしてマラソン大会のボランティア募集を知り、それに応募、首尾よく目的を果たした、という話である。難病になって悲嘆に暮れて終わっても何ら不思議ではない。そこを次の活躍場所を求めて頑張るのである。これぞ強さである。生きている限り生を尽くす、こうありたいものです。しかし、これはいうほどには易しくない。順風の時は何でも言えるが、逆風になると何にも言えなくなる。
 ボクなどそれ程大きな逆風はなかった気がする。数え上げてみれば、第一志望の大学に落ちたこと、結婚を両親に反対されたこと、椎間板ヘルニアで入院したこと、仕事で大事故に遭ったこと、そして3年前に前立腺ガンの手術をしたこと、こんな程度でなかろうか。第一志望は落ちたが第二志望は受かった。結婚も最後には認めて貰った、椎間板ヘルニアは信じられないほどの回復を遂げた、大事故は時間が解決した、前立腺ガン手術は、尿漏れは残ったがもう恐れはないだろう。このようにいずれも乗り越えてきた。難病などと言う乗り越えられないものはなかった。問題はこれからであろう。いよいよ本番である。

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(第2771話) 愛せる名前

2019年04月11日 | 意見

  “「王子様」という名の山梨県の高校三年生か改名した。「唯一無二の王子様のような存在」との母親の思いが名前の由来だという。幼いときは「かわいいね」と言われるかもしれないが、中学生や高校生になり自己紹介する際の本人の気持ちまで彼の親は考えたのだろうか。
 私の名の「礼子」は「礼儀正しい子に育つように」と付けられたと亡き母から聞いた。私は今もその名がとても気に入っている。わが子の名前は夫と一緒に考えた。リーダーとして和やかに人をまとめてほしいとの願いを込めて長女は「美和」。「りょう」という音の響きが良く人からも呼びやすいだろうと思って長男は「亮」とした。大人になった彼らに名前に不満はないかと尋ねたら、答えはともに「満足」だった。「キラキラネーム」も珍しくない昨今だが、いくつになっても愛せる名前をプレゼントするのが親の責任だと思う。”(3月28日付け中日新聞)

 三重県東員町の主婦・中村さん(68)の投稿文です。多くの親は子どもの名付けを一生懸命考えるものである。名前はことある毎に毎日、言葉に発し書くものである。そして、一生続くものである。名前ほど使うものは他にはないだろう。それ程に重要である。さて親は、一生懸命考えたもののどこまで思いをはせられたのか。 先日孫の卒業アルバムを見ていた。何十人という中で、戸惑いもなく読めたものは数人であった。ほとんどが確かめなくてはならなかった。そして、最初から間違いなく読める人はないだろう、と思う人がかなりあった。ボクには昨今の名付けが疑問に思えてならない。名前は自分が使うだけではない。相手も使うのである。ボクは8割方の人は間違いなく読める、そしてそれ程の苦労なく書くことができる、これが基本と思っている。
  さて「王子様」である。王子様は普通名詞である。固有名詞とは普通思わないだろう。手紙のように様を付けたら「王子様様」となってしまう。ボクでも改名したくなる。実はボクは小学2年の時に改名している。16名ばかりの同級生の中に漢字は違うが発音が同じ人が3名いた。また転居したすぐ近くに全く同姓同名の人がいた。父は随分苦労して改名したようだ。新しい元号は「令和」と決まった。「和」が入っている名の人が随分喜んでいるようだ。ボクは改名の結果「和」が入った。父は先を見通していたのだろうか。

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(第2770話) 健康体操

2019年04月09日 | 活動

  “東海地方の体操愛好者が一堂に会する「健康のための体操発表会」が三日、名古屋市内であり、私も団体メンバーの一員として参加しました。愛知県東浦町の有志百八十人で披露した健康体操「東うらうら体操」は表彰されました。
 私が体操を始めたのは子どもが保育園に通っていた三十代半ばでした。母親のリフレッシュも兼ねて体操をする場が設けられたのです。そして今の私は同県の「健康づくりリーダー」の一人として東浦町をはじめ、近隣の阿久比町や大府市で高齢者と一緒に体操で汗を流しています。  年一回開かれる発表会は今回五十回の節目で会場で新聞も発行されました。いきいきと体を動かす私と仲間の写真が載り、とても良い記念になりました。”(3月19日付け中日新聞)

 愛知県東浦町の主婦・芳本さん(55)の投稿文です。芳本さんは健康体操を30代半ばなから始められた。それなら今は当然指導者であろう。今、高齢者の健康体操クラブは各所で開かれているだろう。行政も力を入れている。指導者は引っ張りだこであろう。長年続ければ指導者になり得る。趣味もやはり若い時から始めるに越したことはない。  ボクも地元にできた健康体操クラブに参加している。できたきっかけがボクが老人クラブの会長の時だったので会長補佐となっているが、実質は会長である。指導者は外部から来て貰っている。今の所順調に動いてはいるが、問題ははらんでいる。毎回25名前後の参加者があるが、男性はボク一人であることも問題だが、いずれ指導者のことも出てくるのではなかろうか。折角できた会である。少しでも長く存続させたい。
 そしてボク自身について少し寂しく思うのは、いろいろな会の主宰者や企画者になれても、指導者になれないことである。指導ができる程の技能や知識が何もないのである。主宰者や企画者は何の知識がなくてもできるが、教えるには技能や知識が必要である。芳本さんのようにはなれないのである。欲が深すぎると言われるかもしないが、本音である。

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(第2769話) 花見の季節 

2019年04月07日 | 出来事

  “今年も花見の季節がやってきます。毎年、愛知県岩倉市の五条川へ夫婦で出かけるのが春恒例の行事です。川幅二十メートルほどの両岸から、満開の桜の枝がせり出して、川面を覆うさまは圧巻です。それが数キロも続きます。
 たくさんの屋台が並んで、川沿いの桜並木は大にぎわいとなります。伝統的なこいのぼりののり落とし、山車の巡行やからくりのお披露目もあります。何年か前のこと、そのようなにぎわいの中で、休憩所の椅子に座って、満開の桜並木を一人で静かに眺めている、私と同年配と見られるご婦人を見かけました。すぐ近くのテーブルには、手札サイズの写真立てが置かれていて、それも満開の桜並木に向けられていました。  私はちょっと気になって、「こんにちは、桜見物日和ですね」と声をかけました。すると、その方は「主人は桜見物が好きで、毎年ここに来るのを楽しみにしていたので、今年も連れてきました」と静かに話されました。
 映画のワンシーンのような光景でした。温かさと、寂しさと、愛情の深さを感じ、胸が熱くなりました。その後はお見かけしていませんが、今年はお目にかかれたらいいなあ、と楽しみにして出かけたいと思います。”(3月17日付け中日新聞)

 名古屋市の後藤さん(男・76)の投稿文です。まさに映画のワンシーンであるが、現実にも多くあることだと思う。亡き人の写真を持ち歩く人も多い。亡き人と持った時間を再現し、思いを寄せる。人間関係が希薄になっていく時代、良い姿ではなかろうか。まさに夫婦麗しである。配偶者を亡くした後、どうなるか? 一般に女性は、一時は落ち込むがその後は活き活き生きる。男は萎えたままそうそうに亡くなる。多分ボクも一般の男性と同じで、そうそうに亡くなると思う。そう生きていたいとも思わないだろう。もうこの歳まで生きたのである。
 五条川は全長約28kmのうち15kmほどの距離を4,000本もの桜が埋め尽くしている。大口町から清須市まで各所に桜が植えられているが、その中心はやはり岩倉であろうか。岩倉はボクの最寄り駅であり、その岩倉の五条川にボクら夫婦も毎年のように桜見物に出かけている。ところは今年は、4月1日に歩き仲間と出かけた。全く寒かったが、かなり咲いていた。人も出ていた。ボク達は早々に料理屋に入った。五条川の桜の見事さはそんじょそこらに負けるものではない、と思っている。

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(第2768話) 毛筆の答辞

2019年04月05日 | 出来事

  “間もなく孫娘が私と同じ小学校を巣立ちます。六十二年前の自分の姿を重ねつつ、亡き父との思い出がよみがえってきます。小学校卒業を控えたある日のことです。担任の先生から答辞を朗読するように言われました。その晩から父は私のために原稿を一生懸命考えました。学校と児童との間では答辞を任されるということは家ぐるみで考えるのが暗黙のルールとなっていました。ところが仕上がった父の原稿を見て驚きました。小学生の私には読み取れない旧仮名遣いだったのです。しかも崩し文字で書かれていました。やむなく近所の書道家に代筆を頼んで新仮名遣いの楷書に改めてもらいました。
 父は二十七年前に九十一歳で亡くなりました。実家の仏壇の引き出しを整理していたら巻紙に毛筆で書かれたあの答辞の原稿があったのです。私はそれを幾度も読み返しました。亡き父から受け継いだ唯一の形見です。私の大切な宝物になり、わが家の金庫にしまってあります。”(3月17日付け中日新聞)

 愛知県江南市の大脇さん(男・74)の投稿文です。卒業式の答辞を任せられた人は、家族でその文を考える、それが暗黙のルールであった、という。この文からボクはある出来事を思いだした。実はボクも小学6年の時、答辞を任せられた。書いたものを読むだけではない。文案から書かねばならない。父親が書いてくれた。どんな内容だったかは思い出せないが、まさに父の文であったろう。ボクはほとんど何も加わっていなかったと思う。清書はどうしたのだろう。思い出せないが、父ではなかった気がする。あくまでボクが書いた体裁だった気がする。ここが大脇さんと違うところだったと思う。ボクの文ではないだけにいつまでも気がひけているのである。大脇さんのように暗黙の了解があり、堂々としておられればよかった。光栄ではあったが、少し苦い思い出である。
 父親とはこういうものだったかも知れない。子供の光栄を嬉しくて、つい手を出してしまう。他に工作などでも父がよく手を貸してくれた。何かといろいろあった父とボクの関係であったが、亡くなった後にいろいろ話を聞くと、父は内心、ボクを誇りに思っていた気がする。もっと思いやりを持って接すればよかったと、悔いるのである。

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(第2767話) 天職 

2019年04月03日 | 人生

  “私は二十歳から保育に携わり、四十歳のときに自ら設立した幼稚園で今も毎日のように園児と触れ合っています。毎朝園庭に出れば、園児たちが「先生、見て見て」と私の手を引いて鉄棒や登り棒の近くまで連れて行き、得意顔でできるようになったことを見せてくれます。もう少しでできそうな子を励まして成功したときは自分のことのようにうれしく思います。
 働き始めた頃は不安もありましたが、周りに聞いたり先輩の園児への接し方を見たりして少しずつ経験を積んでいきました。次第に園児との信頼関係ができ、子どもの園での様子を伝えることで保護者とも親しくなっていきました。
 本欄で保育士や幼稚園教諭を希望する若い人の投稿を読むとうれしくなります。私は「幼・保育園ほど良い仕事場はない」と自負しています。私と同じように幼い子どもと接する仕事を天職だと思える後輩が一人でも増えたらいいな”(3月16日付け中日新聞)。

 名古屋市の日比野さん(女・86)の投稿文です。転職と思って仕事を終われた人はどのくらいあるでしょうか。ボクもある程度の充足感で職を終えることはできた。でも単なる充足感だけでは天職とは言えない。自分に最もふさわしかった、やり甲斐があった、と思えねばならない。日比野さんは素晴らしい。人を相手に教えたり導いたりする職業は、難しいだけにやり甲斐もあり、天職と思えることも多かろう。
 多くの投稿欄には職業が書かれている。ボクもこの「話・話」では、職業が書いていると職業を記すことにしているし、無職とある人は何も書かないことにしている。日比野さんは無職と書いてあった。しかし、文を読んで、これで無職と言えるであろうか。立派な幼稚園の先生である。役職に就いていない、報酬を貰っていない、そんなところから無職とかかれたのではないだろうか。ものの捉えどころが違う気がする。これだからこそ天職と思えるのである。

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(第2766話) アメリカン・ファースト

2019年04月01日 | 意見

  “アメリカのトランプ大統領は、政治経済など全てに強い国を作ろうとしている。自国さえ良ければ良いということである。ヨーロッパでも極右主義の台頭が目立つ。日本も「美しい国 日本」に国粋主義が見え隠れする。
 その世界的な流れが、自他の差別により、格差社会を生み出している。一部の豊かな人々と、その日の生活に苦慮する人々がいる事実。また、諸外国の移民問題。ファースト主義は、平等社会を願うものとはほど遠い。本来の平等共生の社会とは、緑色は緑の光を放ち、赤色は赤い光を放ち、黄色は黄色い光を放つ。緑色が赤色になる必要はない。皆違って皆良い。(後略)”(3月12日付け中日新聞)

 「今週のことば」より真宗大谷派養蓮寺前住職の中村さんの話です。誰もが自分、自国が大切なことははっきりしている。本音である。自分第一にするとは、相手を構わないことである。自分本位であることを社会で堂々言うのは、今までは控えられた。それが堂々言うのである。世界最強のアメリカ大統領がである。そして、〇〇ファーストがはやりだした。自分より相手ファーストならいい。でも、今のファーストは自分である。  末法思想というものがある。釈迦が説いた正しい教えが世で行われ修行して悟る人がいる時代(正法)が過ぎると、次に教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで悟る人がいない時代(像法)が来て、その次には人も世も最悪となり正法がまったく行われない時代(=末法)が来る、という歴史観である。いつの世から末法というのか、いろいろな人があるが、ボクにはこれからがいよいよだという気がする。こんな言葉が堂々通ることが本番の末法である。
 先日久しぶり、中村さんの話を聞いた。体調をかなり崩されていたが、この日はだいぶ回復されていた。声にも張りがあった。この日は「四苦八苦」の話であった。これからも良い話を聞かせてもらいたいものだ。

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