ha1812

第175号  2018年12月



 

(第2723話) ミカンの木

2018年12月30日 | 出来事

 “「今年はいつもの半分だね」。目の前にある、二メートル弱の高さのミカンの木を見てつぶやく。毎年、二百個近くの黄色い実がなる。葉っぱの緑より目立つ、オレンジ色や黄色の大きな玉で枝が折れそうになっている。主人がうれしそうに色づきを見守っている。毎年、十二月と一月の二回に分けて収穫するのは彼だ。
 一つ一つ大事そうにはさみを入れ、箱に入れている姿は無邪気な子どものようだ。数日置いてから、家族で食べる。玉が大きいわりに、甘みがありおいしい。
 今年も楽しみにしていた。今年の夏から秋にかけて、日本中が天候に苦しめられた。豪雨に台風が、人々に混乱と絶望を与えた。幸いわが家は、一回の停電で済み、ミカンの木は頑張ってくれたようだが、幹を守るため、多くの実が犠牲になった。
 冬になり気温がぐんぐん下がると、青かった実が一気に色づいた。黄色からオレンジ色に変わっていくのを見て主人が「いつ収穫しようか」とウキウキしている。例年よりは少ないけれど、主人を笑顔にしてくれるミカンの木に感謝。来年はきっと、たくさんの実をつけてくれることだろう。”(12月11日付け中日新聞)

 浜松市の主婦・鈴木さん(51)の投稿文です。ミカンの木の寿命は30~40年と言われます。何年前に植えられたのでしょうか。そしてこれはボクの感じですが、果物は1年おきに豊作、不作が繰り返される気がしています。
 果樹を自分で作って収穫するのは嬉しいものです。鈴木さんの気持ちがよく分かります。ボクも毎年味わっています。今年は酷暑に台風等もあり樹木にも厳しいものがあったでしょう。ボクの家では枯れた木もあります。そして、ボクの家には父が植えたミカンの木が2本あります。父が亡くなってもう35年以上過ぎますから、多分はもう50年以上の寿命でしょう。移設した場所が悪いのか、近年ほとんど成ったことがありません。ところが何としたことか、今年その木の1本が100個近くの実をつけたのです。びっくりです。木の命の素晴らしさを思いました。今までは邪魔な枝を切るだけでほとんど手入れをしませんでしたが、これからはもう少し大切に扱おうかなと思っています。
 ボクの家には他に柿、枇杷、イチジク、キウイ、夏みかんなどがあり、これらは毎年大量に収穫します。また、桃やブドウもありますが、これらは余り収穫していませんでしが、今年は成りました。これからはもう少し手入れをしようと思っています。ある有り難さ、もう少し手を入れないと申し訳ない気がしています。
 これを今年の最後とします。良い話をできるだけ集めたいのですが、難しい時代、なかなか苦労するものがあります。でも、最後は良い話で終わることができました。読んで下さった皆さん、ありがとうございました。良い年をお迎え下さい。

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(第2722話) 転換

2018年12月28日 | 意見

 “私が子どものときの正月三が日はたいてい店が閉まっていて自宅で家族と過ごした。しかし近年は元日からショッピングモールが営業しており新年早々欲しいものがいつでも買いに行ける。私たちはそんな便利な生活に慣れてしまった気がする。
 日本郵便は人手不足などを理由にして土曜の配達を取りやめることも検討しているそうだ。今後も少子高齢化が進むであろうわが国では人手不足の劇的な改善は期待できそうにない。だからこそ私たちは将来に向けて「あったら便利」と考えるのではなく、そろそろ「なくてもやっていけるかもしれない」との思考に転換すべきだ。コンビニは二十四時間営業でなければならないの? 消費者が多少なりとも不便さを受け入れる覚悟が必要なのではないだろうか。家族そろってゆっくりと過ごした子どもの頃の正月は今思えばとても豊かな時間だった。不便さが生み出す副次的な面も忘れてはならないと思う。”(12月9日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の公務員・宮城さん(男・43)の投稿文です。ここにも現代社会を問う意見があった。ショッピングモールの元日からの営業、24時間営業のコンビニ、本当に必要なのだろうか。ボクには消費者が求めて始まったのではない気がしている。企業の方が消費者の欲望を先取った気がする。それが企業の勝ち組になる知恵と思った。消費者は便利なものを与えられれば、当然その恩恵を受け取っていく。そして、止めれば不満になる。
 しかし、消費者の多くは働く人でもある。元日営業も24時間営業も働く人があって可能である。人は消費者であると同時に労働者である。この便利さは自分で自分の首を絞めることにも繋がった。またこのことは1年のメリハリをなくした。1年中同じことの繰り返しになった。夜は休むもの、と言う意識も減った。豊かになり、年中ご馳走を食べるようになった。これが本当に幸福感に繋がったであろうか。いつも何かに追われる生活は、心の豊かさにならないと思う。適度な余裕が必要である。少子高齢化の社会、労働者不足はますます強まるだろう。今こそ問い直さねばならない。ここ3話、社会現象を憂う文章となった。この課題は若い人に大きく降りかかってくる。これからの人に自分自身の問題としてもっと考えて貰いたいと思って取り上げた

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(第2721話) 田んぼ

2018年12月26日 | その他

 “霜月の朝、収穫を終えた田んぼに立った。凛とした気配の中で、辺りを見渡す。機械で細かく切り刻まれたわらが、田んぼ一面に広がっている。日の経過とともに茶色くなり、やがて土に返る。近くでもみ殼を焼いているのだろうか。プーンといがらっぼい匂いがする。遠い昔から続いているであろう、日本の田舎の原風景である。
 今年の夏は猛暑で、農作業をするには、年齢的にもずいぶん苦しめられた。しかし、台風の影響も受けず、米は豊作であった。農作業を頑張った分、神さまからの贈り物だろうか。大きな自然に感謝、感謝である。農を営んでいる私は、たくさんの人々の命を支えているという自負がある。だから頑張れる。
 冬に向かっていくこれからは、すべての生き物が静かになり、また近くの山の木々も裸木になり、里山も冬眠に入る。米の収穫という大仕事を終えた田んぼもやがて静寂の中に。田んぼは限りない食の宝庫である。体力の続く限り、微力ながらも大切に大切に守っていきたい、と田んぼに語りかけた。”(12月5日付け中日新聞)

 滋賀県彦根市の農業・松本さん(女・80)の投稿文です。詩のような文章と感じた。でもまさにこれが田んぼである。農作業の方法は変わったが、田んぼは昔のままである。ボクにもわずかになった田んぼがある。そして、自宅から外に出れば田んぼの風景である。刻まれた藁が広がった今朝の田んぼは霜で真っ白である。松本さんは、限りない食の宝庫といまだに米作り作業をされている。都市近郊の田んぼは随分減った。次々住宅や工場が建っていく。農業では成り立たない、都市近郊の宿命であろう。
 少なくなったと言ってもボクの回りは田畑である。松本さんのようにその風景を楽しむことはできる。田は委託して作ってもらっているが、わずかになった畑は自分で作っている。野菜や花を作る楽しみは維持できている。専業農家で育ったボクに、都会に住むことは苦痛だろう。今の環境をありがたく思う。
 田んぼは洪水調整池の役割を果たしてきた。減ればその対策を施さねばならない。それが遅れて各地に水害が起きている。前回の「話・話」の川尻さんのような山間地の荒れも対策が必要である。北海道胆振東部地震での山の崩壊には驚いた。いずれ全国になるだろう。その被害は大きく、対策は困難であろう。国や地方公共団体は今何をなすべきか、何が重要か、今一度振り返って欲しいと思う。

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(第2720話) 山奥の暮らし

2018年12月24日 | 人生

 “私の父は九十四歳。岐阜県下呂市の山深い地域に、私の姉夫婦と暮らしている。周りは杉やヒノキなどの森林。私が十五歳まで暮らした実家だが、今も水道はなく、山からホースをつないで自然の谷水を使っている。大雨や台風などの時は、ホースが流れてしまい、水がこなくなるときもある。杉やヒノキの倒木によって、道路が通れなくなったり、停電になったりもする。
 イノシシや猿、シカなどの食べ物も少なくなって、民家近くまで動物が下りてくるようになった。民家の人たちは金網などで柵を作らなければ、野菜などの作物を作れない状態となっている。
 山奥なので携帯電話の電波も入らないし、携帯ラジオも使えない。自然の木の山は、山で水分が長く保てるが、杉やヒノキの山では、大雨が降ったときに山で水分が保てず、川にそのまま流れ込んでしまう。そのため氾濫などが起きてしまう。
 豊かで便利になった日本で、まだこんなところに暮らしている人がいることに驚く人もいるだろう。父は年々、脚力が弱くなってきているが、自分のことは自分でやるようにと頑張っているそうだ。いつも父のそばにいてくれる姉夫婦に感謝の気持ちでいっぱいだ。”(12月2日付け中日新聞)

 岐阜県坂祝町の川尻さん(男・67)の投稿文です。時折こんな所に人家がある、どんな生活をしておられるのだろう。住めば都であろうか、そんな思いで通り過ぎることがる。その一つがこの投稿であろう。水道はない、電波は届かない、野生動物が襲撃してくる。豊かになった平成の時代である、まさに驚くばかりである。
 川尻さんのお父さんやお姉さん夫婦は都会の生活をどんな目で見ておられるのだろうか。それも聞きたい。便利な都会生活を羨ましがっておられるのか、それとも悲惨な事故や事件ばかり起きている都会を冷ややかな目で見ておられるのか。多分、ものは豊かだが心は貧しいのを嘆いておれるのではなかろうか。
 都市は人口が集中し、過疎地はますます過疎化が進んだ。川尻さんのお姉さん方など今住んでいる人が最後で、その方が亡くなれば誰もいなくなるのではなかろうか。そして住む人がなくなった大地は荒れる。いずれそれは下流にも及んでくるだろう。狭い日本といいながら全体のバランスが取れていない。効率を求めた結果だろうか。日本全体の青写真が描けていなかった、狂っていた、何か虚しく思うがどうすればいいのか、ボクには思いつかない。

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(第2719話) ハーモニカ演奏夢みて

2018年12月22日 | 活動

 “散歩中、近くにある老人ホームのそばを通ると時折入所者の合唱が聞こえてくる。~雨雨降れ降れかきくけこ 蛇の目でお迎えさしすせそ・・・。脳トレを意識した童謡の替え歌だと思う。歌や音楽は人を元気にし脳を活性化する力があると聞く。老人ホームからの歌声を耳にするたび、私は特技でもあるハーモニカの演奏をお年寄りがいる各施設で披露できないかと考えている。
 私は子どもの頃からハーモニカが好きで、楽譜を読む能力はないが独学で吹き続けてきた。どんな曲でも節を聴けばたいてい吹奏できる。自分も高齢者なので同世代や少し上の世代には懐かしい童謡や演歌を吹くことができる。ささいなことかもしれないが、一人でも多くのお年寄りがひととき元気になってくれればうれしいと思う。そんな日を夢見て童謡の由来などを記した資料を集めながら練習に励んでいる。”(12月5日付け中日新聞)

 名古屋市の五太子さん(男・79)の投稿文です。何歳の人の投稿文かと思ってみたら、何と79歳である。努力や志は素晴らしいと思うが、今すぐすることではないか。「永遠に生きると思って学びなさい」という言葉もあるが、これは心意気である。行動は永遠という訳にはいかない。
 「明日死ぬと思って生きなさい」という言葉もある。五太子さんは子どもの頃からハーモニカが好きであったと言われるから、もう10年前には施設訪問等を始めて貰いたかった。ボクはこの投稿が多くの人の目に留まり、誰かから誘いがかかったことを期待している。多分そうなっていると思う。次の投稿を楽しみにしたい。

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(第2718話) 家族の無事祈る

2018年12月20日 | 活動

 “三十八年前に八十歳で亡くなった父は晩年、自宅の軒下に毎朝立って子や孫も含め家族全員の名前と年齢を声に出しては西の方角に向かって手を合わせていました。道行く人は皆好奇の目で父を見ていました。私は「そこまでしなくても」と言いましたが、父は聞いてくれませんでした。
 あのときの父と同じぐらいの年齢になった私は今、父の気持ちが分かるような気がしています。凡人で特に秀でたところもなかった父が家族を守るには祈るしかなかったのかもしれません。
 妻子の無事を願うことは父親としての責任だと思います。わが子も無事成長して私は幸せに暮らせています。父のような大げさなことはできませんが、私も至るところで家族を思って手を合わせる機会が増えてきました。小さな体で軒下にいた父の姿は、私に大切なことを教えてくれました。そんな父には、今とても感謝しています。”(11月28日付け中日新聞)

 三重県紀北町の自営業・長井さん(男・75)の投稿文です。家族の安寧を願う、これは誰しも同じであろう。それをどういう形で表すか、もうこれは様々である。神社仏閣で願う、仏壇やお墓の前で願う人もあろう。心の中で願う人もあろう。しかし、長井さんのお父さんは堂々としていた。人の通る前で、家族全員の名前と年齢を声に出しては西の方角に向かって手を合わせていた、と言われる。こうなるともう尋常ではない。信念の現れである。家族の誰もの心に残るであろう。誰もが自分自身気をつけねばと心がける。それでより安寧が保たれる。凡人で特に秀でたところもなかったお父さんと言われるが、とんでもない。素晴らしいお父さんであった。
 社会が希薄になり、家族関係も希薄になった。もちろんより濃くなった部分もあろう。家族は、そして夫婦は社会の最小単位である。ここがゆがんでいては社会はますますゆがむ。まずは最小単位を固め、そして社会にも目を向ける。物質的には豊かになったが、逆に心は貧しくなった、よくいわれる言葉であるが、この言葉もなくしたい。

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(第2717話) 年賀状

2018年12月18日 | 意見

 “最近は年賀状を出さない人が増えているという。私の職場でも近年、儀礼的なあいさつは不要として「年賀状禁止令」が出されたが、私はごく親しい同僚とだけ送り合っている。年賀状はご無沙汰してしまっている人に近況を知らせる一方、身近な人には改まって感謝を伝える絶好の機会だと思う。今年も早々に年賀はがきを購入し、来年のえとであるイノシシを描いたはんこも用意した。一枚一枚、相手に合わせた一言を丁寧に添えている。今年初めにいただいた賀状の添え書きを読み返していたら、「お元気ですか? 昨年は家族皆、新生活で慌ただしい一年でした」「機会を見てまた会えるといいですね」ー。友人や知人の飾らない言葉に心が和み、それぞれの顔を思い浮かべた。
 年に一度のこんな賀状のやりとりは、私にとって旧友や知人との貴重な近況報告の場になっているだけに、来年も再来年も私は年賀状を書き続けようと思っている。”(11月27日付け中日新聞)

 愛知県みよし市のパート・加藤さん(女・47)の投稿文です。この時期になる毎年年賀状の是非についての意見も多い。問題は世の中の慣習、義理と思うかにあると思う。このように思うと無駄な出費、時間の浪費と思うであろう。今はSNSなどいろいろな手段があり、このように思う人が多くなったのであろう。何事も捉え方である。何事にも功罪はある。ネガティブに捉えるか、ポジティブに捉えるか、それだけである。
 喪中で年賀状欠礼のはがきも多くなった。そして、そのまま翌年からなくなる、そんなこともあって毎年出す年賀状も減っていく。今年で最後にします、と言う添え書きがある物もある。高齢になって出すのが億劫になると共に、もう年賀状だけの付き合いは止めたということであろう。ボクも一時どうしようか、と迷った時がある。しかし、ボクから出すのを控えるのはしないと決めた。毎年出す人には出し、頂いた人には後日でも出す。ボクの場合、年賀状には長年妻とボクの川柳を載せている。ただの決まり文句だけではない。これを楽しみにしていると言ってくれる人もある。いろいろなことは止め始めると芋づる式に減っていく。それ程減らしてどうするのだ。形式的でもいい。加藤さんの意識を支持する。

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(第2716話) 自慢の忘年会

2018年12月16日 | 活動

 “連続五十三回目を迎える忘年会が近づいてきました。思えば工業高校電気科を卒業した昭和四十一年に、有志が友人宅に集まって始まり、以来連綿と続いています。当初をのぞき、会場も日時も同じ。多少のメンバーが入れ替わりつつ、毎年二十五人前後が出席。われながらよく続いていると感心しきりで、大いに自慢でもあります。
 若いころは「課長の給料の半分は俺が稼いでいる」と騒いでいた連中が、いつしか「今どきの若い者は」と慨嘆し、気がつけば、細かい宇が見えないだの、あちこちが痛いだのとのたまう始末。揚げ句の果てに「われわれが死に絶えるのが先か、店がつぶれるのが先か」と冗談を飛ばすやからもおりました。幸いお店は安泰ですが、困ったことに近ごろ、冗談が冗談でなくなりつつあります。
 ここ数年、永久欠席となる者がちらほら。集まれば一瞬で青春真っただ中のわれわれも、実態は七十一歳の高齢者。やむを得ないとはいえ、本当に寂しい限りです。永久幹事のはずだったI君も、数年前に亡くなってしまいました。今は彼に指名されたK君が大役を担ってくれております。昭和、平成、新元号と、この忘年会はまだまだ続けていきます。”(11月26日付け中日新聞)

 名古屋市の恒川さん(男・71)の投稿文です。忘年会と言われるが、これは同窓会であろう。53回と言われると高校卒業後毎年である。素晴らしい。仲間がよかったのであろう。工業高校と言われればほとんどが男であろう。皆比較的近くにおられるのだろうか。永久幹事長というまとめ役もおられた。いろいろな幸運もあろう。出だしがうまく行けば、続くものである。同級生というと何かと頼りになる。恒川さんはこれだけでも恵まれた人生と言えよう。
 ボクは小中学校の同窓会、職場の同期退職者の会の永久幹事長を自認している。今年までで小学校は11回、中学校は22回、同期退職者の会は37回の集まりを催している。時折嫌になることもあったが、自分を慰めやってきたこともある。幹事長は時折替わることが良いだろうが、多分どこかで中断になるだろう。これはボクの経験上である。数年に1回、または年に数回のことである。慣れたこと、さほど言うようなことではない。そんな気持ちでやってきた。後何回できるだろう。ボクが一番長生きしなければならない。この願いは達成できるだろうか。

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(第2715話) 朝令暮改

2018年12月14日 | 活動

 “「教育界から消えます」。五年前、定年退職した際の職員室での私のあいさつだ。小中学校で三十八年間、子ども、保護者、上司、同僚に恵まれ、充実した教員生活を過ごせた。残りの人生をのんびり過ごそうと思い、冒頭の言い回しになったのだ。
 時間に束縛される生活から、自由気ままな生活へと激変した。それが災いしたのだろうか、体調を崩してしまい入院。二度の手術という羽目に陥ってしまった。退院後、散歩コースが近所の小中学校になった。運動場で先生が子どもたちを指導する姿を見て、もう一度あの舞台へ戻りたい、教職に復帰したいと思うようになった。一度は決別した教職ではあったが、精神面でも健康面でも、自分にはかけがえのないものであることを再認識したのだった。
 国の働き方改革のおかげか、非常勤講師として中学校に再就職できた。上司や同僚に温かい声をかけていただきながら四年目に入った。本年度は定年退職した中学に赴任。当時の教え子や保護者から声をかけられるとうれしくてたまらない。復帰してよかったと、心から思う。全身老化の一途ではあるが、あと数年は「教育界から消えたくありません」。たとえ朝令暮改と言われても。”(11月23日付け中日新聞)

 名古屋市の中学校非常勤講師・佐野さん(男・65)の投稿文です。これも一つの生き方と思って紹介した。60歳定年でそのまま仕事から退く。やっとのんびりできる、のんびり過ごそうと思ってが、意外に満足できるものでもなかった。再び教職の仕事にありつく。11月21日の「話・話」第2704話でも同じような話を紹介した。健康寿命80年の時代、50歳、60歳で完全引退は早過ぎるようだ。その次に何をするか、しっかり見据えている人なら良かろうが・・・。それまでに得た知識を生かしながら、仕事の割合を少しずつ減らしていく。減らした分、今までできなかったことに費やしていく。余程好きな仕事なら生涯現役もあろう。この見極めは50代前半から模索する必要がある。ただ考えても、そのようになるかというと、これはまた別物だ。でも、考えねば始まらない。先日エジソンの言葉を知った。「失敗は存在しない。その方法が違うと分かっただけで、それは成功なのだ」。もっともだと思ったが、高齢者にはそぐわない気もする。挑戦はいつまでも必要だ。でも、何度もやり直す時間はない。ここは今までの知識、体験を生かした計画だろう。
 幸いボクの定年後は、描いた過ごし方に近い過ごし方でここまでこれた。いや、上回っているかも知れない。これも挑戦の結果だろうか。問題はこれからだ。

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(第2714話) 健康なうちに

2018年12月12日 | 意見

 “「人生百年時代」と言われるが、本当にそうだろうか。平均寿命は男性が八十一歳、女性が八十七歳で、介護を受けたり寝たきりになったりせず日常生活を送れる「健康寿命」は男女ともに七十代前半だそうだ。百歳まで生きられる人は限られている。
 政府は企業の定年を七十歳に引き上げる方針を示したというが、私には年金支給年齢を引き上げることが主目的に思えてならない。高齢者が「老後のため」と七十歳まで働いて消費を控えて貯蓄し、気付いたら健康に過ごせる年齢を過ぎて楽しいことを存分にできないまま人生を終えるとしたらあまりにも残念だ。
 私は元気なうちに存分に楽しみたい。高齢者が健康な間に旅行や遊びで積極的に金を使えば経済はうまく循環するのではないか。「健康寿命八十年」と言い換えるようにして、経済的に余裕のある高齢者にもっと消費を促した方がいいと私は思う。”(11月22日付け中日新聞)

 滋賀県彦根市の山本さん(男・65)の投稿文です。いろいろな考え方、生き方がある。生涯現役、死ぬまで一筋に働きたい人もあろうし、いろいろやってみたい人もある。それぞれがいろいろな情報を得て、自分にふさわしい生き方を進めていけば良い。山本さんの考えもその一つであり、ボクも賛同するところがあって紹介した。
 人間いくら寿命が延びようとも、自分が思うようにできるのは健康寿命の間である。山本さんが言われるように、人生百年はいくら多くなったと言っても一部であり、健康でとなるとこれこそ希有の人となろう。人生百年の言葉に惑わされてはいけない。あるのは健康寿命の間である。「健康寿命八十年」と言い換えようと言われる。今の健康寿命は70数歳である。こうしたことを考えるようになる人は高齢者であろう。高齢になった人の平均の健康寿命は何歳なのだろう。平均余命的な考えはないのだろうか。調べてみたがでてこない。70歳の平均余命は85.7歳とあるから、平均健康余命は80歳くらいと考えるのが妥当であろう。この歳になると人による差は大きい。ボクは当面、健康寿命八十年と思って事に当たろうと思う。後7年、今の生活を続けたい、続けられるだろう。でも後7年か。

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(第2713話) シニア向け

2018年12月10日 | 意見

 “十月十三日付本欄「少量 シニア向け料理を」に同感です。私は時々友人とランチに行きますが、いつも量が多すぎて食べきれないので、ご飯は「少なめにしてください」とお願いするようにしています。ご飯とおかずにうどんが付いたランチセットがありますが、私はおかずとうどんで十分で、食べきれない分は持ち帰って夕食にいただくことがあります。先日レストランで注文した焼きそばの量が多かったため「持ち帰ってよいか」と店側に聞くと、「自己責任でならのこと。一方で、ご飯を少なめにしたら二十円引きというレストランも確かにあります。超高齢化社会、食品ロスを減らすためにも「シニアランチ」は有効だと私は思います。”(11月20日付け中日新聞)

 名古屋市の武藤さん(女・85)の投稿文です。この意見も時折見かける。確かに高齢になると食事量が減ってくる。大食らいのボクにとってもしかりである。そして老人には多過ぎる時が多々である。食べ残せば捨てられる。もったいないことである。多い分、値段も高くなろう。同じ料理でも大中小と量に差を付け、値段も差を付ける。簡単なことだと思うが、なぜできないのだろう。何か他の思惑があるのだろうか。どの店も早々に実施して欲しいことである。
 ボクは若い時から痩せの大食らいであった。食べる量が少なくなったと言っても、まだ人に比べれば多い方であろう。170cm、67kgはダイエットを気にするほどのことではない、と思っている。食べられることは元気の元、元気の証拠と思って食べている。妻と外食するとちょうどいい。妻には多過ぎる時や苦手なものが出てくる時がある。それをボクの皿に載せてよこす。ボクにはそれで満たされた量になる。

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(第2712話) 仲直りの瞬間

2018年12月08日 | 人生

 “私は夫と時々けんかをする。原因はささいなことだ。最近はもっぱら、部屋の片付け、今流行の断捨離だ。衣装ケース五段分の、夫が昔聴いたレコードやカセットテープ。私には部屋を占領するただの厄介者にしか映らない。それでも、自分にとって不要でも、夫には大切な宝物だからと言い聞かせ、目をつぶっているが、前を通るたびにため息が出てしまう。
 そして掃除をしているとき、かたわらの夫に「こんなもの、どうせ必要ないでしょ。捨てたら」と口走ってしまった。「しまった、まずい」夫の顔を横目でちらっと見る。顔をしかめて怒っている。重苦しい空気が流れる。お互い、相手の気配を気にしながらも目をそらし、あっち行ったりこっち行ったり。やけに時計の針が進むのが遅く感じる。目が合った。「コーヒーいれようか」。ぎこちない声で夫に尋ねる。「うん、頼むわ」。いつもの夫の声が返ってきた。「ごめんね、ちょっと言い過ぎた」と私。「いいよ」と夫。
 一瞬にして、目の前が明るくなり、テーブルの花さえも優しく笑っているように思えてくる。やっぱり夫婦っていいもんだ。私は、この仲直りの瞬間が大好きだ。”(11月19日付け中日新聞)

 愛知県江南市の主婦・市原さん(女・56)の投稿文です。夫婦喧嘩など犬も食わぬものである。日常茶飯事の夫婦もあろう。市原さんは時折とある。そしてその喧嘩は些細なことが多い、とある。大きなことであれば離婚ということになるから、些細なことであろう。でも些細なことでも意地を張っていればこじれるばかりである。どうやって仲直りするかである。これも長年の夫婦生活の中で出来上がっていくものである。市原さんは仲直りの瞬間が大好きとある。こうなるともう喧嘩も楽しみの一つのようなものである。
 最近は離婚が増え、少し調べて見ると離婚率は35%とある。ボクは4組に1組が離婚と聞いて驚いていたが、それは以前のことで最近は3組に一組である。結婚5~15年が多いとあるが、どうも年数、年代を問わないようである。どうしてこうなったであろうか。離婚理由は「性格があわない」が男女ともだんとつ1位である。生まれも育ちも違って性格など、合わせようとしなければ合うはずがない。人の離婚にとやかくいうつもりはないが、もったいないことである。折角結婚できたのに。生涯離婚率についても調べてみた。平成27年では男性23.4%、女性14%とある。ボクは昭和45年に結婚したが、その年は男性1.7%、女性3.3%とある。この推移にも驚く。これで見ると、夫婦で終えられる男性は4人に1人となってしまう。本当かな?と思うと共に、どんな社会になるだろうかと不安になる。

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(第2711話) 消費期限

2018年12月06日 | 活動

 “スーパーで豆腐を二丁買おうとしたら、消費期限の異なるものが同じ値段で売られていた。いつものように期限が一番長いものを奥から取ろうとしたら、棚に貼ってあった「すぐ食べるときは順番に取って」という注意書きが目に入った。近年社会問題となっている食品ロスを減らすために賞味期限、消費期限が近い商品から買う運動の一環だそうで、環境省が消費者に呼び掛けているという。
 私は週に二、三回スーパーに行くが、なるべく期限が先の商品を選ぶようにしてきた。けれど、すぐに食べるものであれば期限が迫っていても問題はないことに気付いた。期限切れによって廃棄される食品を減らすことができるのなら、ぜひ協力したいと思った。
 食品ロスはわが国でも根深い問題だと思うが、私たち消費者一人一人の行動によって五年後や十年後、結果は大きく変わってくるかもしれない。そう考えて私はその日の夕食用に、消費期限が一番近い豆腐を買い求めた。”(11月17日付け中日新聞)

 名古屋市の会社員・加藤さん(女・27)の投稿文です。消費期限の長いものを買おうという気持ちは解る。その結果、廃棄されるものが増えてくる。そして、その行為が本当に必要であったのか、加藤さんはここに思い至った。すぐに食べるものであれば、消費期限など気にすることはない。この問題は、買いだめすることにある。冷蔵庫に眠ったままのものはないか。これが結構あるようである。食品の購入をボクはほとんどしたことがない、妻任せである。立派なことは言えないが、料理にも計画性が必要ではなかろうか。消費期限を気にするならばである。ボクには期限に余りに振り回されている気もしている。昔は期限などほとんど書いてなかったと思う。書くようになったことはいいことだと思うが、その分自分の判断がなくなった。食べられるものも捨てるようになった。食品を大量に輸入している日本に、食品ロスは大きな問題ある。賢い消費者になることが大切だと思う。

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(第2710話) 座ろう

2018年12月04日 | 出来事

 “一年ほど前、しゃがもうとしたら足腰に強い痛みが走った。整形外科に通って痛みは取れたが、今も少し足元は不安定だ。けれど一人で出歩くのが好きで、毎日つえなしでスーパーやデパートに行っている。
 先日久しぶりに娘と出掛けた。満員のバスに乗って娘と背中合わせで立っていたら娘の前の席の男性が「座りますか」と声を掛けてくれた。座るつもりはなかったが、娘はお礼を言って私を座らせた。それから四つ目の停留所でバスを降り、娘に「なぜ座らせたの」と聞くと、「高齢者が立っていてバスの揺れなどで転んだら迷惑がかかる。譲られたら座って」と。今まで他人の厚意を無にしていた自分に気付いた。これからは一区間でもためらわずに座ろうと思った。”(11月13日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・河原さん(82)の投稿文です。電車やバスなど乗り物の座席についての投稿は多い。身近な話題だからであろう。若者が占めている優先席、譲ったのに断る人、強引に割り込む人の話などいろいろ出てくる。要は相手の気持ちにどれだけ寄り添えるかであろう。
 譲られて断るなどは、余程の理由のない限り止めて欲しい。相手は勇気をふるって譲ったのである。ここで断られたら、その後どう振る舞っていいか、困惑してしまう。もう2度と譲る気などなくなるだろう。いつまでも若い気持ちでいるのもいいが、場合による。特にバスは転倒の危険がある。席が空いていたら若い人も座った方がいい。そして混んできたら譲ればいいのである。
 電車の車内は観察していると面白い。座っている人の両側が空いている。皆さん最初は適当な間隔を空けて座るからこうなる。そこへ二人連れが乗ってきた。サッと席をずらす人もいれば、知らぬ顔のままの人もいる。ボクは席をずらした人に好感を持つ。混んでいてもリュックを背負ったままの人も多い。先日、リュックを前にかけた人を見た。これなら迷惑は少ない。要はどこまで人を思いやれるかであろう。

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(第2709話) 70歳女子会

2018年12月02日 | 活動

 “私たちは地域の老人会で「女子会」をつくり、女性十五人ぐらいで月に一回程度、家で作った食べ物や飲み物を持ち寄っての食事会を開いたり、体操やカラオケなどをしたりしています。決まり事も会費もありません。
 時々私鉄のバスに乗って愛知県豊田市の市街地へ出掛け、「銀ブラ」ならぬ「豊ブラ」をしてウインドーショッピングや買い物をしてまたバスで帰ります。バスを利用するのは、高齢となり車の運転に自信がなくなってきて免許証を返納するメンバーもいることと、一時間に一本だけ近くを走るバス路線を絶やさないよう、できるだけ利用したいと思っているからです。
 私たちは集まるたびに「パイプオルガンの演奏を聴きに行こう」「芝居見物や美術館もいいね」などと次の計画を練っています。一人ではできないことも皆と一緒なら挑戦できる気がして。「体が動くうちに」と思い、皆のやる気と根気で活動を今後も続けていくつもりです。”(11月8日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の主婦・山口さん(70)の投稿文です。もう何度も書いたが、女性のこうした集まりにはただ敬服するばかりである。そしてこれも以前に書いたと思うが、昨年ボクは老人連合会会長をしたが、その歳の女性部長16人は終わったらすぐに月1回集まる会を立ち上げた。そして39人のクラブ長はすべて男性だったが、こちらは何の声も出ずそのまま解散であった。この違いにはただびっくりするばかりである。山口さんは老人会の中に女子会を作られた話であるが、全く同じようなことである。集まれば次にいろいろな発展もある。ボクがやっているサロンでも、サロンに集まった女性有志で別の日に手芸教室を開くようになった。何もないところから作り上げるのは大変だが、集まっていれば次の発展も早い。山口さんの言われるように「一人ではできないことも皆と一緒なら挑戦できる」は本当です。高齢者になればなるほどです。これが健康寿命を保つ元です。問題は核になる人です。ボクはその核に少しでもなれればと思っている。

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